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2007年10月18日

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褪せないように、忘れないように。

日付変更線を越えるか越えないかという時間に帰宅するハードな毎日ですが、今日は久し振りに息子たちにおやすみを言うことができる時間に帰ることができました。

となりの部屋で息子たちは寝ているのだけれど、ごにょごにょ話したり、笑ったりふざけたり、ときどき歌い始めたりする声が聞こえる。早く寝なさいっ(笑)!という感じなのだけれど、甲高い声の歌を聞くのはいいものです。いずれ眠りに落ちてしまうのだから、もう少し聞いていたい気がする。そして、そんな声を聞けるのも、あと数年ではないか、と。

何の歌だろうと思って聞いていたら、ウルトラマン(それも初代。むねーに、つけーてる、マークは流星・・・という)でした。放送終了してしまった最新のメビウスではないのが面白い。ウルトラマンメビウスの番組のなかでも古いウルトラマンが出てきたのですが、時系列でアーカイブされたウルトラマンを息子たちはすべて並列にみています。家には最新の怪獣に混じって、キングジョーのソフトビニールの人形があったりする。不思議な子供たちです。

子供たちのことを久し振りに書いてみます。といっても、たいしたことじゃないのですが。

先週のことですが、金曜日。幼稚園の友達と芝生で転がりまくった次男くんは喘息をぶり返し、風邪をひいていたせいもあって、日曜日には喘息の発作を起こしました。発作を起こすと息がうまくできないせいか、お腹が硬くなる。硬くなったお腹をさすりながら、救急病院に連れて行きました。

久し振りに抱っこする次男くんが重くて、こんなに成長したかーと思った。相変わらず、診察のあいだには不安そうに「もう終わり?」を繰り返して泣きそうになるのですが、それでも最初の頃に比べると、彼も慣れてきた気がします。季節の変わり目のせいか、たくさんの子供たち(と、その親たち)が病院に訪れていました。1年未満の赤ちゃんを連れてきた夫婦が、診察で泣き喚く子供に耐えられずに涙をぼろぼろこぼしていて、思わずもらい泣きしそうになった(涙)。そういう時代もあったなあ、という感じです。

その次の日、いつものように会社に行く前に「行ってきます!」といったところ、いてらっしゃい、と次男くん。あれ?とちょっと新鮮に思いました。いつもは知らんふりをして怪獣遊びに夢中になっているのに、はっきりとぼくに、行ってらっしゃい、を言った。びっくりだ。ささいなことだけれど新鮮だったので覚えていて、次の日も声をかけてみると、やっぱり挨拶に答えてくれる。それもきちんとぼくの方を向いて。

たぶんですね、これはぎゅーっと抱っこしたためではないか、と。

喘息で辛くて苦しいときに、ぼくに抱っこされて、深夜に喘息の発作が起こって月を見上げながら病院に駆けつけた日のことを思い出したのかもしれません(彼はミカヅキが好きだ、とそのときに言っていた。以後、嫌いになってしまったらしいが)。そしてやっぱり辛くて苦しかったあのときと同じように抱っこされて、いままで「断絶」していた心の配線が、たぶん彼のなかで「つながった」のだと思う。

辛いときには声をかけてあげることも大事だけれど、やはり親がぎゅーっと抱きしめてあげることがどんな言葉よりも通じるものですね。

知らず知らずのうちに離れかけていた気持ちが、喘息という彼にとっては危機的な状況を契機として変わったのだと思います。それはほんとうにちいさな変化で、もしかするとただの偶然かもしれません。けれどもその「通じた」一瞬というものを大切にしたい。ついでにいうと、そんな危機的状況にならなくても、きちんと気持ちをつなげる父でいたい。

日常のあれこれはすべて色褪せていってしまいます。大きな事件や出来事は覚えているかもしれないけれど、瑣末な日常の断片はすべて記憶のなかに埋もれていってしまう。

ひょっとすると、ぼくがこの世界にさよならを告げるようなとき、思い出すのは4歳の次男くんの、いてらっしゃい、のような場面かもしれない。

なので、そんな瑣末な日常の断片も大切に記述しておこうと思います。

投稿者: birdwing 日時: 23:13 | | コメント (2) | トラックバック (0)

2007年9月29日

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生活のなかで繰り返されるもの。

今月、小遣いをもらったときに、はい、と1枚多めに渡されました。おおっ、最近休日も働いているので労っていただけるのですね、ありがたく頂戴いたしますーと財布にしまっていたら、しばらくして奥さんがやってきてドアの陰から、

無理しなくてもいいからね・・・

とのこと。えーと、無理しなくても?ああ、そういうことか(苦笑)、と思い当たったのが、彼女は今月、誕生日だったのでした。とほほ。というわけで花束とプレゼント。足出ちゃったんですけど(泣)

花束

写真立て

ケーキ

なんだか結婚式の引き出もののようなプレゼントですが、というか正直なところ引き出ものコーナーのようなところで買ったのですが(苦笑)、写真立てです。欧米風に子供の写真とか飾ってほしい、と思いました。ただ、何度も写真立てはプレゼントしているので、もう写真立ては結構です(苦笑)、と言われてしまった。そりゃそうでしょう。

しかし、デパートをぐるぐる回ったのだけれど、その予算内であげられるものは結構決まってしまい、悩むんですよね。女性の方は、どんなものを贈られると喜ぶんですかね?

だいたい男性は、付き合う前とか結婚する前には彼女に対して努力や投資を惜しまないものですが、付き合いはじめたり結婚すると手を抜くものです(ははは)。ぼくもかなり手抜きなほうで、アイロンかけや掃除は趣味なのでたまに手伝ったりするのですが、料理はできないし、子供たちもまかせっきりだったりする。で、趣味のDTMに集中して(なるべく深夜にやろうと思っているのだけれど)休日は部屋に引きこもったりしているので、旦那に対する不満はいろいろあるだろう、と。

それもどうだろうと反省して数年前から、結婚記念日と誕生日には必ず奥さんへの感謝を表明し、花束を贈るようにしています。ところが、最初は困ったような泣きそうな顔をしていた奥さんも、最近は慣れてしまって、はい花束ね、ども、でおしまい。どんなことであっても、生活のなかで繰り返されるとルーティン化されて感動も薄れていくものかもしれません。

とはいえ、その日常化することが大事かもしれなくて、できれば息子たちには、誕生日には彼女(もしくは奥さん)に花束を買って帰るものだ、という常識として認識していただきたい。頼むぞ、きみたちの未来の相方を大切にしてくれたまえ。というか、相方できるのか?という不安はあるのだが・・・。

しかしながら、ママにバースデイ・カード書けば?と言い残して仕事に行ったのですが、ぜんぜん書く気もなかったようで、だから男の子は嫌いだー、と奥さんは嘆いておりました。

運動会、誕生日、お正月、クリスマスなど、生活のなかで繰り返されるイベントがあります。運動会などは子供たちがちいさいうちだけで、いずれはなくなってしまうのですが。

ということを考えていて思い出したのですが、ぼくが子供の頃、節分には親父が豆といっしょにお菓子や小銭を撒くショータイムがありました。お菓子撒くぞーという父親の召集があって、みんなでわーいと拾ったりしたものでした。100円玉拾ったときにはうれしかったなあ。よく考えると、競争力を付けさせるという親父の教育的意図があったのかもしれない(いや、そんなものなくて、ただやりたかったのかもしれん)。

成長してから、どの家族でもみんなそういうものだと思っていたら、そうでもなかったので愕然とした記憶があるのですが、家族オリジナルの習慣のようなものを作って、それを定着化するのも楽しそうですね。先日コメントでいただいた、おとーさんの出勤前に奥さんと娘さんがちゅーをして見送る、という習慣もよいなあ(遠い目)。

エイプリルフールなども、楽しもうと思えばめちゃめちゃ楽しめそうな気がする。これからの季節では、ハロウィンなどもいいですね。お月見だって楽しめたはず。

仰々しくデザインとかプランニングとか考えることも大切であり、さすがにそれが仕事であると重くもなるのですが、生活にちょっとした変化を与える「企画」というものも大切かもしれません。お金と時間をかけて贅沢に旅行することであってもかまわないのですが、もっとちいさな工夫もできそうな気がしています。

投稿者: birdwing 日時: 23:59 | | トラックバック (0)

2007年9月17日

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折り紙ヒコーキを作ろう(1)

長男くん(10歳)の夏休みの自由研究は、「紙飛行機の研究」でした。その経緯については、「仕事よりハードなものは。」というエントリーで書いたのですが、なかなか大変でした。もちろん、親がやってどうする?という観点もあります。ただ、ぼくは子供に全面的に任せても、よっぽど優秀な子供でなければ、自由研究なんてものはやり方がわからないと思うんですよね。

ついでに、大変だったとしても親も楽しみたい気がする(笑)。結局のところそれかーという感じがするのですが、大変だ大変だと言いながらも、いちばん楽しんでいるのはおとーさんだったりするわけです。ふだんは忙しくて放置気味な子供と、まとめてお話することもできるし。

今回、10種類の紙飛行機をふたりで折って、長男くんが折っている横でとーさんはデジタルカメラで汗をぽたぽた流しながら撮影していたのですが、せっかく努力した成果を父としてもブログで活用しようと思いました。そんなわけで(気が向いたときに)紙飛行機の折り方を公開していこうと思います。

第1回目は「へそヒコーキ」の作り方です。

仕事柄(企画のお仕事をやっています)PowerPointを使うので、PowerPointで作ってみました。ただ、Webに公開するにあたっては、マクロメディアのFlashPaperというアプリケーションを使って、PowerPointのドキュメントをさくっとFlash化しています。

えーと、メインページではあちこちにFlashを使っているので、重くて表示できない方もいるかもしれません(すみません)。ページが重すぎです(泣)という方はコメントください。Jpegでスライドショーにするなど、対策を考えますので。

では、こちらでご覧ください。

ちなみにブログの横幅が短いため、ページをめくるボタンが隠れてしまっていますが、プリントの横にある四角形のボタンを押すと、別ウィンドウが開きます。そちらでページをめくって見ていただいたほうがよいかもしれません。

このへそヒコーキ、ぼくもいまは亡き親父に作り方を教わりました。あと、イカヒコーキという翼の前方にちいさな翼がある紙飛行機も教えてもらった記憶があります。実は、紙飛行機といえばへそヒコーキだと思っていたのですが、一般にはそうではないようですね。

紙飛行機を折るだけの自由研究は10歳としてどうだ?幼稚じゃないか、という考えもあったのですが、そんなに優秀な少年ではない(というのも彼にとってはどうかと思うけれども)長男くんは折り紙が苦手で、きちんと折り紙を対角線で半分に折れないひとでした。が、この研究後には、めざましい進歩を遂げています。ちょっとした折り紙上手になった。それだけでもいいか、と。

苦手なものであっても強制的に大量にやらせる、ということが大事なことかもしれません。大量にやることで身体で仕事を覚える。料理や伝統的なものづくりの職人は、地道な下積みが大切になります。コピーライターだって、まずはひとつの課題で1000本コピーを書くことを課されたりする。そういう下地のできていない人間は、窮地に追い込まれると弱い。付け焼刃で凌げるほど、現実は甘くない。日々の積み重ねがモノをいうものです。

ということを長男くんが理解したかどうか(苦笑)。たぶん、理解していないと思うのですが、大人になっていつか、そういえば親父に「違うっ!」とか怒鳴られながら、大量に紙飛行機を折らされた夏があったっけなあ、あれは何だったんだろう・・・などと、思い出してくれたらいいなあと思っています。

そんなことより、おとーさんは仕事が佳境なのだが(泣)。

投稿者: birdwing 日時: 18:32 | | トラックバック (0)

2007年9月 2日

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仕事よりハードなものは。

それは息子の夏休みの自由研究です(苦笑)。

ああっ、9月のはじまりの土日はそれで終わってしまった。息子よりもおとーさんの方がプレッシャーに負けそうでした。今日の夕食前には、ほんとうに具合が悪くなって倒れました。風邪をひいたのかもしれませんが、頭痛と眩暈に寝込みました(30分ほど)。

とはいえ、うーんうーん寝ているぼくのところへきて、次男くんには「あー、へんなひとがいるー(笑)」とか言ってからかわれるし、奥さんと長男くんといえば「じゃあお風呂入っちゃおうか?」とかぼくには声もかけてくれないし、ひとりで苦しんでいるのがばかばかしくなって、頭痛の引くのを待って必死で自由研究のフォローに向かったぼくは健気です。えーと、これは誰の自由研究なんだ?(苦笑)。

今年の長男くんの自由研究は、「紙飛行機の研究」をテーマとしました。

実は以前のブログで、「親子であそぶ折り紙ヒコーキ―かんたんに折れて、よく飛ぶ名作・新作13機」という紙飛行機の本を買ってあげた話を書いたこともありました。この本です。この本が、夏休みの自由研究の契機となりました。

親子であそぶ折り紙ヒコーキ―かんたんに折れて、よく飛ぶ名作・新作13機親子であそぶ折り紙ヒコーキ―かんたんに折れて、よく飛ぶ名作・新作13機
戸田 拓夫


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長男くんは紙飛行機が好きです。しかしながらヤリ飛行機というか、とんがらせた飛行機を飛ばすというより投げているばかりで、しかも図面思考が苦手な奥さんの血を引いたのか、折り紙が苦手。というわけで紙飛行機の研究となりました。ぼくは別のテーマを挙げていたのですが、安易な長男くんと奥さんに押し切られました(笑)。

とにかく本のなかにある10機を作ろうということで、クロの模造紙を買ってきて、その上で10機を折らせて、ぼくが折る過程をデジカメで撮影しました。これがまた面倒なんだなー。クーラーが効いている部屋なのに、どういうわけか撮影していると汗がぽたぽた落ちてくる。カメラマンって大変だ、と思いました。

数週間前に5機で終わったままだったので、土曜日に残りの5機を撮影。1ページに折る過程を3枚ずつ掲載しようとしたのですが、なんと今日の朝確認してみると、紙もなければプリンタのインクもない(もっと早く気付けー)。

最終的なレポート(というほどでもないか)の構成を説明して、奥さんに「これを買ってくるように!」と指示を出し、長男くんに「これを書いておくように!」と指示を出し、ぼくは新宿まで紙とインクの買出しに。トンボ帰りで帰宅すると飯も食わずに、公園へみんなを連れて行って、どれがいちばんよく飛ぶかのチェック。無軌道な次男くんが、あっちこっちを走り回るのにはらはらしながら、距離を測定しました。そうしてやっと3時すぎに冷めたスパゲッティの昼食にありつけた(泣)。

いやー仕事と変わりません。というか、やさしいパパモードではぜったいに終わらないと思ったので、仕事モードにぼくもチェンジしました。あら、いつものぼよよ~んとしているか、廃人でぶっ倒れているパパとは違うわね、という奥さんの視線を感じたのですが、そりゃそうだ。家のなかでビジネスライクなスキルを発揮しても胡散臭いだけで、そんなものは封印している。でも、この危機を乗り切るには、そんなこと言ってられないでしょうが(泣)。

休む暇なく、80枚近い折り紙の制作過程の写真をリサイズ(ちいさくすること)して出力。と、同時に、長男くんの進行状況を確認して手が止まっていれば、いろいろとアドバイス。奥さんにしてみれば、たかが自由研究に何を凝ってるんだかこのひとは(苦笑)、と思っていたかもしれません。いや、そうかもしれないのだが、参観日に行って思ったのだけれども、結構みんなすごいのだ。自由研究につぎ込む熱意には、ただならぬものを感じます。そして、ぼくは勉強はどうでもいいと思ってしまうのだけれど、自由研究はどういうわけかライバル意識むき出しで熱くなってしまうのです。

というわけで紙飛行機の自由研究が10時ぎりぎりに完成しました。ふ~。お疲れさま。

せっかくなので、撮影した10機の折り紙飛行機の作り方はこのブログで紹介していこうと思います。もしかすると紙飛行機に関心のあるひとの参考になるかもしれません。

ちなみに息子(長男くん)とぼくの力作レポートはこんな感じです。じゃーん。

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ついでに言うとですね、実は紙飛行機を作るだけではなくて、羽田や成田のほんものの飛行場に行って、飛行機を見る計画をぼくは立てていたのでした。インドア派な奥さんから「そこまでしなくても(苦笑)」と言われたのだけれど、ぼくは自由研究の最後をそれで締めたかった。

というのは・・・。かつて、ぼくが好意を抱いていたひとが飛行場を好きな場所として挙げていたからです。長男くんが、ひょえーやっぱり実際の飛行機は紙飛行機とは違うねー、と驚いている横で、父はひそかにノスタルジーに浸りたかったのだ。夏の終わりに。

ただ、そんな余裕もなく慌しく過ぎ去った夏休み最後の日も、それはそれでいいかもしれないな、と思ったのでした。

長男くんへ。きみが折った飛行機はあまりよく飛ばなかったけれども(苦笑)、きみがもっと遠くへ羽ばたいてくれることを、父は祈っている。

なんというかだなー、きみの自由研究なのにぜんぜん危機感のないきみに、奥さんと同じ血を感じてしまって、それはそれで頼もしいと思ったのだよ。きみのママは、ほんとうに危機感のないひとでした(苦笑)。いや過去形はまずいよね、危機感のないひとです。ただ、考えすぎて火のないところに危機感の火を勝手に起こしがちなぼくは、きみのママのいい加減さ(笑)に、どれだけ救われたかわからない。お互いに似たものどうしであれば、きみは生まれてこなかったかもしれない。

ハードな自由研究のフォローのせいか、ビールのせいか、風邪をひいたせいかわかりませんが、まとまらない思考のまま、書き殴って終わることにします。いやー疲れたぞ、父は。そして明日からまた、ハードな1週間がはじまります。

投稿者: birdwing 日時: 23:41 | | トラックバック (0)

2007年8月28日

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夏の終わりと焦燥感。

不安です。何が不安かというと、息子(長男くん)の自由研究が終わるかどうかが不安です。

ああ、なぜ父がそんな心配をしているのでしょう。朝食抜きでよろめきながら会社に赴き、昼食はマカ(ウィダー・イン・ゼリーの強壮剤っぽいやつ)+コンビ二で購入したサラダを短期間で食らって、しかも時には昼食にありつけるのは4時だったりして(何飯ですかそれは)、新宿、渋谷から新横浜と飛び回って汗みどろになって働き、10月公開のサイト企画のためにプレッシャーに押し潰されそうになりながら、外部協力会社に電話をかけまくり、設計図を引きまくり、予算をはじきまくり、くたびれ果てて早くて10時、遅くて終電で深夜に帰宅して眠れぬ夜を過ごしているというのに。

うちの奥さんは子供の教育に関しては、正直なところ放棄状態です。自由研究は例年、ぼくに任せきりでした。いや、いいんですけどね。ぼくはそういうの好きだし、息子たちといっしょに楽しめるし。でもねー、一日中、家のなかで息子たちとDSやってるのはいかがなものでしょう。宿題はぼくに任せたとしても、もう少し子供たちの夏休みを有意義に過ごさせてあげるために、プールに連れて行くとか、博物館に行くとか、公園に行くとか、あるでしょうに(泣)。ああ、できることならぼくが休暇を取って、連れて行ってあげたい。でも、全員に反対されるんですよね。やだ、と。

本音トークを炸裂させてしまいますが、ぼくはこの結婚が果たしてよかったのか?という疑問を感じています。もちろん奥さんにも不満はあるだろう。仕事に夢中で(というか追われまくって)、家事も料理もできなくて、PCや音楽ばかりにかまけていて、くたびれて休日には廃人になっている旦那には、そりゃー不満はあるだろう。

申し訳ない。ほんとうにすみません(涙)。いたらない旦那でごめん。

でも、ぼくはもういいのだ。どうせくたびれ果てて消耗して、死んでいく人間だ。

ただ、息子たちの人生はこれからです。その息子たちが夏だというのに青っ白い顔をして、くたびれたぼくが家を出るときにも何も言わずにDSやポケモンに向かっているのはどうだろう。ぼくは「行ってきます・・・」とひとりごとを呟きながら、何か切ない。それが妻のぼくに対する復讐であるのなら、全面的に受けることにします。その辛さを受け止めたい。でも息子を巻き込むことはないんじゃないか。

ぼくはもういい。終わっていると思う。でも、奥さんにだけではなく、このブログを読んでいるオトコの子を持つ母親の方に、切実に訴えたいことがあります。馬鹿馬鹿しいけど聞いてください。

働くおとーさんをリスペクトしてあげてください。

ブログでどんなにけなしてもいい。悪口を書いてもいい。あるいは母親同士の集まりで、旦那に対する愚痴をぶちまけてもかまわない。ふがいなさを笑い話にしてもいい。不満があるのもわかる。リコンしたい気持ちだってわかる。男たちの馬鹿さ加減に冷笑したって構わない。

でも、息子には、

「うちのお父さんは頑張っているのよ。働いているパパは素敵なの。ママはね、そんなパパが好きよ。だからパパを応援してあげようね」

と、嘘でもいいから言ってあげてほしい。

そりゃー家事をこなす奥さんは大変だろう。さらに子供の面倒をみなけりゃいけない大変さもわかる。でも、その空白の時間にパパは会社で遊んでいるわけではないのだ。もちろん若いおねーさんに鼻の下を伸ばしている瞬間もあるかもしれないが、数字や、時間や、くだらない社内政治や、そんなあれこれと闘っている。家族のことを遠く想いながら。

父親を馬鹿にする母親の気持ちは、息子に確実に影響を与える、と思います。これは確かです。たいてい、息子は母親の味方であり、母親と過ごす時間の方が長いものです。

しかしだな、ぼくは

父親をないがしろにするオトコの子は規律的な何かを損なう
成長の過程で、何かが精神をいびつに変える

のではないかと思う。短絡的に結びつけるのはどうかと思うのだけれど、最近の成人式が荒れ放題になるのは、父親の権威が地に落ちたことと無関係とはいえない気がしています。父性的な何かを敬う気持ちが欠けつつあり、それが社会のネジを緩ませているような気がしてならない。たとえば、企業の不祥事や、世界的な競争力の低下も、父性的な何かの欠如が要因になっているように思うのです。

これは父親にも問題があります。父親が、ものわかりがよくなりすぎている。もっと父親は息子に嫌われるべきだと思う。そして、息子と張り合うべきだ。くだらないことでかまわないのだけれど、外へ出るのであればオレを倒していけ、ぐらいのことを父親は言うべきではないか。精神的にも、肉体的にも、父親はタフでなければならないはず。それが軟弱になって、息子とお友達になっていたりする。いいのか、父親たち。

だから、ぼくは思うのだけれど、父親はもっとタフになるべきで、母親はそんな父親を(嘘であっても)支えてあげることが必要だと思います。もちろん家庭レベルでは不満もあるかもしれません。でも、

日本の未来のために、

ぼくは息子たちを持つ母親のみなさんに、旦那さんを大切にしてほしい。つまり権威を失いつつある父性を復活させるためには、父親の努力も必要だけれど、ママさんたちの意識改革も必要だと思う。というか、ふつうの家庭であれば、きちんと父親への愛情は確立されていると思うのですけどね(ふっ)。

ぼくはどんなに悪態をついていたとしても、結局、あなたは旦那が好きなのね(ほほえみ)というブログが好きです。そして子供たちの愛情にあふれるブログを読んでいたい。まず家族を大切にすべきで、その基盤がないことにはしあわせも有り得ないのではないでしょうか。

えーと、ぼくはもうどうでもいいんだ(苦笑)。過労死したときに、わかってくれるかな。パパもちょっとは頑張っていたのね、と。

いつかきちんと告げたいのだけれど、いまたぶんこんなことを相方に言っても通じないし、逆ギレされる気がしています。だからここに書いておきます。一般論として。そして、日常から少しだけ離れた、社会全体に対する提言として。

投稿者: birdwing 日時: 23:26 | | コメント (6) | トラックバック (0)