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2007年5月 3日

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ふんばってるキノコは。

連休真っ只中ですね。今日はものすごい快晴でした。しかし、家で仕事をしておりました(あまりはかどらず)。仕事をしているんだけど、音楽を聴きながらいろいろと考えたりする時間が楽しい。連休だからどこかへ出かけねば、という強迫観念は捨てて、仕事を楽しむ、音楽を楽しむ、部屋の片づけを楽しむことに割り切りました。

部屋の片づけでは、ものすごく大量のものを捨てました。明日あさってにも継続して捨てるつもりですが、すっきりだ。ついでにPCやネット関連のブックマークなども整理中です。息抜きを楽しむことに関しては、ギター弾いたり、曲作ったりしているのですが、先日あまりにものめり込んで作りすぎたので、ちょっと後遺症があります。できあがったものはたいしたことないのですが、ものすごく細かい編集作業をしたんですよね。で、燃え尽きちゃった(苦笑)。しばらくは、あまり曲は作れないかもしれないなあ。とはいえユーガな休日です。

ところで、机の前には次男くん(4歳)作の絵があって、これがもうほんとうに和ませてくれます(笑)。ウルトラセブンに登場する怪獣を書いた絵です。これです。

pic_kingjo.jpg

キングヨーって(苦笑)。キングYO!って感じでしょうかね。かっこいいYO!おっきいんだYO!みたいな。ちなみに正式名称はキングジョーです。ソフビ人形の写真を。

B000R4NC40ウルトラ怪獣シリーズ16 キングジョー
バンダイ 2007-06-30

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ところで、隅っこのほうに、たぶんちっぽけなウルトラマンともうひとつ「ふんばってるキノコ」のようなものがあります。なんだこりゃー?。拡大してみると、これです。

pic_ebi_2.jpg

なになに?えびらやいじん?「や」じゃなくて逆さまの「せ」か。ああ、セブンに出てくるビラ星人か。エビみたいだから、「えびら」ってのはわからないでもない。パパもそういう名前かと思っちゃったぞ。探してみたらこれです。

B001ILKTVUX-PLUS エクスプラス・大怪獣シリーズ ウルトラマンセブン編 宇宙蝦人間ビラ星人
エクスプラス

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うーむ。どうでしょう(笑)。まあ、怖そうな顔を書こうとすると、次男くんの表現としてはこうなっちゃうんだろうな。むーって口も結んでいるし。

彼と話していると、うれしい話になるとぴょんこぴょんこ跳びはねたり、走り出したりするので困る。もうちょっと落ち着いて話なさい、といっても、だってうれしいとこうなちゃうんだもーん、とのこと。しかも、走り出すと必ず何かを破壊するか、転んで自分を破壊して泣いちゃうかどっちかなので苦笑です。まあ、アーティストは破壊が大事だよな。ほどほどに破壊してくれ。

明日はどこかに外出したいなあ。そんなこと考えながら、ビール飲みつつブログ書いている休日のど真ん中の夕方でした。

投稿者: birdwing 日時: 00:00 | | トラックバック (0)

2007年5月 2日

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ashes and snow。

感動というものは、そのとき/その場所においては満たされていても、すぐに薄れてしまうものです。ゆっくり書こうと思ったのですが、日常生活のなかでどんどん失われてしまうので、先に書いておくことにします。

快晴の振替休日、お台場のノマディック美術館でグレゴリー・コルベールの「ashes and snow」の展示を鑑賞に行ってきました。茂木健一郎さんのブログ「クオリア日記」の記事で知ってサイトを見て、おおーこれは行きたいぞと思った展示です。

お台場の大観覧車を見上げつつ、コンテナで組まれた倉庫的な美術館へ。連休ということもあって、かなりのひとが訪れていました。

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非常に立派なパンフレットと小冊子が無料で配られていてすごいなと思ったのですが、解説から引用します。

Ashes and Snowは、写真作品、映像、美術装置、手紙形式の小説が一体となった、現在も進行中のアートプロジェクトです。15年間にわたり、グレゴリー・コルベールは40回以上もの長期遠征を行い、インド・エジプト・ミャンマー・トンガ・スリランカ・ナミビア・ケニア・南極大陸・ボルネオ諸島など世界各地で、人間と自然界の傑作ともいうべき動物との交流を写真や映像に収めてきました。

15年つづいていて、いまも進行中のライフワークということに驚きました。グレゴリー・コルベールはもともとパリで社会問題のドキュメンタリーフィルムの制作からスタートして、芸術作品の分野に転身したようです。はじめての作品展示は1992年のようですが、つづく10年間はまったく作品を発表しなかった。そして、空白の期間を含めた15年にわたる制作活動がいまも継続されている。なかなかできることではありません。

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芸術を究めるためには、孤独のなかで自分に向き合う時間が大切であった、と茂木健一郎さんのブログでは書かれています。以下、引用します。

グレゴリーは、何よりも、魂の
孤独(solitude)が必要だったと
言った。

現代人は、あまりにも多くの
情報に串刺しされて日々を過ごして
いるが、孤独に浸って初めて
わかることがある。

グレゴリーの作品は、動物と人間の
間の共感(empathy)を描く。
グレゴリーの写真の中に表出するような
深い共感も、それに呼応する
魂の孤独があって初めて可能に
なるのかもしれない。

先日、「品格ある人物になりたい」という記事でも書いたのですが、時間に追い立てられたり、さまざまなしがらみのなかで絡み合った生活の中で、ときにはあらゆるつながりを切断してひとりになる。そんな時間も大切です。ぼくもひとりで美術館を訪れたのですが、こういうのも悪くないな、と思いました。

ノマディック美術館の入り口を潜り抜けたとき、わっと押し寄せてきたのはまずはインキの匂いでした。大きな手漉きの和紙に動物たちと人間の写真が焼き付けられていて、すべてがセピア色です。粒子が粗くて、木炭のデッサンのようにもみえる。作品の下には石が敷き詰められていて、大きな写真に囲まれた通路は宮殿あるいは街路樹に囲まれた舗道のよう。この美術館は日本人建築家の坂茂さんによって設計されたとのことです。

大きな写真と3つの映像が展示されているのですが、いずれもアジア系の人物と動物たちが寄り添うように存在するシーンで、人間たちは、ほとんどが目をつぶっています。瞑想しているようにもみえるし、祈りを捧げているようにもみえる。一方で、動物たちは目を見開いている。サルがぱちっと目をあける映像では、こんなにかわいい目をしていたのか、と思いました。涙が溜まっているようにもみえた。

動物と人間の動きにまず感動です。野生の動物たちに演出はできないですよね。彼らに人間の言葉はわからない。けれども、動物たちの動きはまるで演出されたかのように美しい。そして人間の舞い踊る姿と重なることによって、もしかして神様っているのかも?!と思うような、神秘的な世界を生み出しています。世界の広がりも感じる。

写真と同様のシーンが映像にもなっていたので、これは映像から静止画をプリントしたのか、と思ったのですが、そうではないようです。次もパンフレットから引用。

どの作品もデジタル画像処理や合成、字幕などを加えずにコルベール自身がレンズを通して見たままに記録されました。スチールとムービーカメラの両方を使っていますが、スチール写真は独自に撮影されたもので、映像のワンシーンを流用したものではありません。

これは何気なく凄いことです。どうやって撮影したんだろう。

ちょっと官能的なシーンもあって、オランウータンと人間の女性が手を絡めて、たぶん彼女の腕についた水を舐めようとしているのだと思うのだけど、まるでオランウータンが彼女の腕にキスをするようにみえる映像もありました。勝手な見る側の解釈だけれど、自然界における異種を越えた愛情を感じました。ふたりは舟のなかにいるのですが、オランウータンは彼女の手を引いて、舟の先頭のほうへ移動する。言葉はないのだけれど、なんだか、こっちへおいでよ、という声が聴こえそうな映像です。

3つの映像が公開されていたのですが、2つ目の大きめな会場で映像を観ているときに、ああーこれはやばいなと思ったら、感動して不覚にも涙が出てしまった。

確か踊る女性の後ろからワシのような鳥が飛んでくるシーンだったかと思います。音楽もいい。弦の響きが広い館内に響きわたって、特にチェロのような低音がやさしい。さらに2番目の会場では、パーカッション的な激しいビートも使われていて、思わずリズムを解析しようとしている自分がいました(苦笑)。

おみやげに奮発して、ジャバラになったミニ写真集と、「the bird path」といういわゆるパラパラ漫画的な写真集を購入。いずれも1600円。ううう、ちょっと出費が痛いです。DVDを購入すると、いろいろなものがもらえたようですが、1万円だもんなあ。

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ちなみに、帰宅して「the bird path」を息子たちにみせたのですが、すぐに反応したのは次男くんでした。「もういっかいやってみたい」とぺらぺらやるのですが、ぐしゃっと折りそうな感じで、はあああ、それはちいさいけど1600円もしたので大切にしてくださぁい(泣)と父は怯えました。ちょっとリッチな時間を過ごしても、家に帰るとぜんぜんリッチじゃないな。

6月24日まで開催されているようです。ううむ、書き足りないような気がする。ぼくのセンサーは館内でいろいろなことをキャッチしていたはずなのですが。

+++++

公式サイト。このサイトだけでも写真を鑑賞できます。やはりインキの匂いや館内に響く音は美術館に行ったほうがよいと思うのですが、いずれはインターネットでバーチャルな臨場感も可能になるのでしょうか。

http://www.ashesandsnow.org/jp/
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投稿者: birdwing 日時: 00:00 | | トラックバック (0)

2007年4月10日

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親になるには。

サクラの季節も終盤で、東京では葉桜になってきました。そんな春の日、午前中は次男くんの入園式に参加。彼のイベントは(いまのところ)いつも快晴に恵まれていて、気持ちがいい。しかも、長男の経験から1年早めに3年保育で幼稚園に送り込んだため、すっかり慣れていて楽ちんです。

思えば長男の入園式のときには、長男くんは号泣しまくりでした。平然と式を受けている他の子供と比較してしまい、彼の行く末に心を痛めたものです。親としてもまだ未熟だったから、余計に心配になった。実は後から知ったのですが、下から上がってきた3年保育の子供が多ので、そりゃ他の子供は慣れている。1年間そこで過ごした子供たちと比較するのは酷だろうと思いました(その経験を次男に活かしています。三歳になったら放り込め、という形で入れてしまった)。

長男くんに関していえばいまでも今後が心配なのだけれど、次男くんは放置していても勝手に育つだろう、という気がします。乱暴ものの次男くんは転んだり脱臼したり暴れたり危なっかしいのですが、あまり気になりません。長男くんだったら大慌てで医者に連れて行ったけれど、次男くんであればぜんぜんかまわない。その代わり感動も少なめなのかもしれません。

とはいっても、去年までは制服というよりもエプロン(うわっぱり)だったのだけれど、今年からは制服姿で、なんとなく大きくなったな、と感慨深いものはあります。某アイドルの娘さんと同じクラスにもなり、そういうところも東京の私立幼稚園だなと思ったります。だからどうだ、ということはないのですけどね。

物理的あるいは生物的に考えると、子供ができた時点でぼくらは親になります。けれども人間的には、いつになったら親らしくなるのだろう。何をもって親というか、という定義について考えると、よくわかりません。

大人とは何か、という定義に近いものもあるかもしれませんね。社会人とは何か、という定義にも近い。大学を卒業して働き始めれば社会人かというと、そうともいえないものがある。ぼくも社会人になった頃には胸を張って、どうだ自分は社会人だと思っていたものですが、いま振り返ると、あの頃の自分はまだ青くて、社会人45%ぐらいだった気がしています。

話がそれました。親とは何かということはわからないのだけれど、幼稚園の入園式に参加して、ビデオカメラやデジタルカメラでわが子を撮影しているお父さんやお母さんは、みんな親らしい。スーツを着ているけれど茶髪で長髪の若いお父さんもいるのですが、それでもやっぱり親だなあという感じがする。

結局のところ精神性はともかく、わが子をみつめるあたたかい視線があれば親らしくなる、ということにしてみましょうか。

親として自覚を持つこと、声をかけること、一緒に遊んであげることも大事だけれど、何よりもまずあたたかくわが子をみつめてあげる。それが親としての第一歩かもしれない。その見守る視線さえあれば、親らしくなれる。

視線のシャワーを浴びると、子供たちは生き生きと変わります。あたたかい眼差しは太陽光線のようなものであって、光合成をして育つ子供たちには欠かせない栄養です。うちの次男くんに関していえば、カメラを構えたり、みられていると気付くと、過剰なアピールがはじまるのでどうかとも思うのですが(苦笑)、それでも親に見守られていることが子供にとっては成長のための第一条件ではないでしょうか。

ということを書きましたが、最近の次男くんは何か画用紙に書いているときに近づくと、「みないでっ! 10時間まってて!」といいます。創作過程をみられたくないクリエイターとしてのプライドが生まれてきたらしい。

そんなときは視線をそっと外してあげるのも、親としての配慮だったりします。

投稿者: birdwing 日時: 00:00 | | トラックバック (0)

2007年4月 6日

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本気で変わる。生活を変える。

このままではだめだ、と思いました。いきなりすみません(苦笑)。自分のことなのですが。

今回のエントリーはいわゆる「ぼやき」系の日記になるかと思いますので、あまり読まれても得るものはないかもしれません。なので、適当にスルーしてください。

いちばん大きいのは体調不調なのですが、健康管理もさることながら、さまざまな局面において、いまのままではだめだ、と思いました。

生活のスタイルを変えようという願いを込めて書きはじめたブログですが、実はそれほど変化していなかった。変えようと思っていても、惰性で動いている以上、なかなか大きな軌道修正はできないものです。割り切れない感覚もある。しかしながら、体調を崩したことを契機に、真剣に今後の在り方を変えようと考えました。これではまずい、と。

もちろんブログや趣味のDTMについては、そこそこ軌道に乗った手ごたえがあります。充実感もあるし、以前のようにとんでもないエントリーをすることもなくなりました。以前は感情に煽られて、ひどい文章を書いたこともありますが、最近は安定した文章を継続して書くことができていると思います。人間、痛い思いをすると進歩するものです。安定しそうにないときは書くのをやめるか、過去に書いたアイディアメモをリライト(書き直し)してアップするというリスクヘッジもできている。進化したものだなあ(苦笑)。

ただ、以前にも書いたのですが、ぼくにとってブログはOSであって、その上を走るアプリケーションとしての現実がうまくいかなければ意味がない。

実は昨年後半に、ぼくにはいくつかチャンスがありました。自分の大きな転機となるチャンスの神様が、それこそ交差点の向こうから押し寄せるような状況にあったのですが、チャンスにはリスクもともなうものです。そのリスクを考慮して、変化よりも現状維持のほうを選択してしまった。腰が引けたわけです。けれども、現状維持を選択したことが、余計に状況を悪化させてしまったようにいま感じています。

それはぼくが選んだ選択であって、誰を責めるわけにもいきません。現状維持であっても可能性があるだろう、行けるところまで行ってみようと期待した。その言い訳はもっともらしく聞こえますが、一歩踏み出す勇気がなかっただけのことで、安全な場所を選んだ自分が愚かだった。だからこそ、いまのような状態に陥ってしまった。であれば、そのことをきちんと冷静に受け止めて、これからどうするかということを考えたいと思いました。

体調不調と相まって凹むところまで凹みまくったのですが、その結果、何か吹っ切れたものがあります。痛い思いをしないとエンジンが本格稼動しないところがぼくのポンコツなところですが、それでも前に向きはじめた。いちばんの問題は、環境や他人任せにしても何もよい方向には動かないということです。たぶんこの状態がこれ以上つづけば、体調を崩すばかりか腐ってしまう。

というわけで(非常に抽象的で何のことやら読んでいてわからないかもしれませんが)、いま未来の設計図を引き直しています。やはり未来を考えるのは楽しい。自分の気持ちが揺るがないように、変わるぞ(変えるぞ)ということを、ここで宣言してしまいましょう。背水の陣で、崖っぷちにいるつもりで明日からは未来に臨むつもりです。

などと書きましたが、あんまり力が入りすぎてもどうかと思うので、抽象的な抱負はこれぐらいにして、あとは脱力して日常の断片です。

息子の格言

風呂上りの長男くんがぴょんぴょん跳びはねていたので、「ずいぶん跳べるねえ」と声をかけると、「でも空を飛びたいんだよね」とのこと。「飛行機に乗ったときに飛んだじゃん」と言ったら、「そうじゃなくて鳥みたいに飛びたい」らしい。

たぶん彼はドラゴンクエストのやりすぎです(まだ8をやっている。クリア後のドラゴンに勝てないらしい)。マップを移動するときに空を飛ぶので、そのことを考えていたのでしょう。すると、先日右腕を振り回しすぎて脱臼して病院に行ったやんちゃな次男くんが、

「いっぱいべんきょうちゅ(す)れば、とべるよ」

と、にいちゃんに諭していました。生意気な口をきくようになったものですが、おお、そうか、いっぱい勉強すれば飛べるかー、その言葉、父がいただいた、という感じです。

いっぱい勉強して飛びますか。というよりも、将棋で初めて長男くんに負けてしまったので悔しいです。身体はもちろん精神的に弱っていると、子供にも負けてしまうのだろうか。

なんだか彼の将棋は突拍子もない戦法だけど、ぐいぐい押してくる力強い将棋をさしてくれました。まずは将棋の勉強でしょうか、いま身体も心も弱ってしまっている父としては。

ちいさな変化

ところで、いまさらながらなのですが、あらたにBirdWingハンドル用にGoogleのGmailの設定をして、Google Docs & Spreadsheetsのドキュメントで日記の原稿を書くように変えてみたのですが、Wordとか要らなくなりますね、これ。なんとなくローカルPCに保存しないと落ち着かなかったので使わなかったのですが、どうせネット経由でブログに掲載するものであれば、別にローカルになくてもいいや、と。

ぜひ、はてなさんでも開発してほしいです。はてなダイアリーの記事を公開せずに保存し、できればプリント機能があればいいだけかもしれませんが。という簡単なことが実は大変だったりするのかもしれませんけど。

さて、来週から真剣に自分を変えようと思うので、さまざまな準備のため、この週末はひょっとするとブログをお休みするかもしれません。でも、書かずにはいられないハイパーグラフィアなひとなので、書いちゃうかもしれません。しばらくはそんな不定期な状況がつづくのではないかと思っています。

ついでに言うと、たぶんブログ自体の内容は来週もいままでと変わりなく、いつものような記事だと思います。若干いつもより控えめな(長文ではないということですが)エントリーになるかもしれません。

++++

さらに余談ですが、ネットをうろうろしていたら、以前レビューに書いたKettelのイベントが4月13日にあるらしいことを発見。しかし、OPEN 23:00じゃ行けません。独身ならよかった(泣)。というかもう入れないかもしれませんが。

http://www.growcreation.com/colorsstudio/index.html#pickup03

上記サイトの紹介文から引用です。

ライヴでは、シンセ、アコースティックギター、ノイズ、ウィスパーコーラス、ストリングスなどを重ねたドリーミーなうわものと、反復するように刻み続けるビートを絡めた、心の琴線に触れる壮大なメロディ+緻密なアブストラクトビートを披露。 スタンダードな手法でありながら斬新で輝きに満ちた様々なタイプのトラックを紡ぎ出している。

うーむ。聴きたくなる。

投稿者: birdwing 日時: 00:00 | | コメント (2) | トラックバック (0)

2007年3月18日

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選択のエクササイズ。

風はまだ冷たいのですが、よいお天気なので息子(長男くん)とふたりで出かけました。映画を観ようと思って「ドラえもんはどう?」と訊いたところ、「ナイトミュージアムがいい」と言われて、思わずたじろいだ。洋画じゃありませんか。子供だと思っていたら、いつの間に。

実はその映画をぼくは知らなかったのですが、ネットで調べて面白そうだったので、ドラえもんは次の機会にして「ナイトミュージアム」の吹き替え版を観に行きました。どちらかというと、ぼくはドラえもんを観たかったのですけどね。

途中、時間がなかったのでマクドナルドで昼を済ませたところ、トレイのシートにアルバイト募集の広告があり、4人の若い女性の写真が掲載されていました。かつてまだ彼が3歳ぐらいの頃に「どのこがいい?」事件があってトラウマを与えてしまったのですが、性懲りもなくまたぼくは「どのこがいい?」と言ってみた。案の定、彼には異様に緊張が走ってフリーズした。10歳児が真剣に困っている(苦笑)。けれども待つこと5分。ついに「このこ」と指を差しました。

おおーいいじゃん、パパも好みのタイプだなー、いい選択してるよ、と今度は思いっきり褒めてあげると、おかしなものを食べちゃったような微妙な顔をしていました。ファーストフード店で、女性の好みのタイプについて親子でお話している父と子も珍しいかもしれません(学生の友達どうしじゃあるまいし 苦笑)。

考えてみると、ぼくの親父とはそんな話を一度もしたことがありませんでした。しかし、ぼくはぼくでやわらかい路線の親父をめざしてみますかね。店から外に出ると長男くんは、はしゃいでいたので、彼もトラウマを克服したのかもしれません。やれやれ。

映画の時間を待ちながら、いろんな話をしてわかったのですが、なかなか小学生も大変です。人間関係もいろいろあるらしい。とはいえ、誰かと比較して落ち込んだり、焦ったりしないように、きみはきみの納得のいく人生をきちんと選択できるようにしてほしい。

というわけで、チョイスのエクササイズをこれからも繰り返していくぞ、息子。

とか言っている父がいちばん優柔不断なのだが・・・。

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