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2014年8月27日

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コトバノチカラ。

夏が終わりつつあります。今朝は雨が降っていて、とても涼しい。外を歩くと重力が倍増したかのように感じられた厳しい猛暑は、既に過去になりつつあるのでしょうか。もこもこ青空に湧き上がった入道雲をおもい出して、ちょっとだけ寂しい気持ちになります。

趣味の音楽づくりから遠ざかっていたのですが、7月の終わりにふいにコトバが降りてきて新しい曲ができました。あっという間に完成したのですが、弾きながら歌えない(苦笑)毎日少しずつギターを練習して、先週の日曜日、やっと録画が完成。YouTubeにアップロードしました。

「カゼノウタ」という曲です。ブログでも公開します。



歌詞は以下になります。

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投稿者: birdwing 日時: 08:02 | | トラックバック (0)

2014年5月11日

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輝きのアリカ

新緑の若葉が日を追って色が濃くなっていく季節になりました。

ゴールデンウィークも終了。歩くと汗ばむぐらい暑い日もあり、初夏を感じる連休でしたね。とりわけどこかへ出掛けたわけではありませんが、弟の発案により、77歳になった母の喜寿を祝いました。妹の家を使わせてもらって、久し振りに家族が顔を合わせて会食。楽しいひとときを過ごしました。

kiju_02_640.jpgのサムネール画像兄の自分とは違って、弟は頻繁に帰省して母を温泉に連れて行ったり、田舎の家を改修する相談に乗ったり、非常に親孝行な息子です。

喜寿のお祝いでもAmazonで喜寿セットを購入していて、彼の気配りに感銘を受けました。喜寿のカラーは紫色なのですが、紫色の大黒帽を被り、ちゃんちゃんこを羽織った母は、なかなか「かわいいおばあさん」の雰囲気があって素敵でした。次は80歳のお祝いで、このちゃんちゃんこを羽織っていただきます。

長生きしてくださいね。

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投稿者: birdwing 日時: 07:00 | | トラックバック (0)

2013年12月31日

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生活に紛れたダイヤモンド。

どうでもいい些細なことを書くのですが(そもそもこのブログ自体が些細なことばかりなのですが。苦笑)、最近ご飯がおいしい。特別なおかずではなくても、ふっくらと炊きあがったお米を箸で口に運んで、お新香をぽりぽり囓るだけでしあわせな気分になれます。焼き魚も丁寧に食べるようになりました。毎日ご飯の時間が楽しみです。

佐藤初女さんの『おむすびの祈り』という本を読んだからかもしれません。SNSを通じて教えていただいた本です。

4087478440おむすびの祈り「森のイスキア」こころの歳時記 (集英社文庫)
佐藤 初女
集英社 2005-07-20

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佐藤初女さんは、不登校、家族との不和、心の病などに苦しんでいるひとのために「森のイスキア」という癒やしの場を運営されています。そこでは、佐藤さんと訪問したひとたちがいっしょに食事をすることで、しあわせな時間を共有します。佐藤さんは特別な料理をするわけではないのですが、お米の状態に合わせて水を調整してご飯を炊いたり、ひとつひとつの実に愛情を込めて梅干しを作ったり、食をとても大切にされている方です。食からいのちをいただくという彼女の考え方に感銘を受けました。

この本を読むきっかけとなったのは仕事で食のことを知りたいと考えたからです。ぼくはライターとして飲食店の取材をして原稿を書く仕事もしています。東京メトロ様のスマートフォン向けアプリ「MANTA」の「ぼっち飯-一人だから旨い店」というコーナーで署名記事を書かせていただきました。東京都内のさまざまな飲食店に伺って、料理の写真を撮影しながら短い文章で紹介しています。たとえば、こんな感じです。


IMG_0241.PNG

IMG_0242.PNG

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アプリをダウンロードして読んでいただけると嬉しいです。どのお店も東京メトロ様、代理店や編集のスタッフみなさんが厳選したお店なので、おすすめです。

■iOS版
https://itunes.apple.com/jp/app/manta/id601326337

■Android版
https://play.google.com/store/apps/details?id=jp.tokyometro.manta

現在アプリのサンプルページにある「渋谷でがっつりトンテキを食らう」「路地裏で味わうオリエンタルライス」は、ぼく(外岡浩)の記事です。ぼく以外にもたくさんのライターの方が記事を提供されています。子供と一緒に楽しめるお出かけスポットや、女性が自分に贈るプチ贅沢の記事もあるので興味のあるひとはそちらもどうぞ。

ぼっち飯の記事は、11月と12月で28件のお店を取材しました。現時点で掲載されているのは13件なので、今後追加されていくことでしょう。和食から洋食、中華、フレンチ、イタリアン、ステーキ、ジャマイカ、ネパール料理、うなぎ、親子丼、カツ丼などいろいろあります。

撮影といっても7年ぐらい前に購入したFinePixのデジタルカメラを使っています。箸で料理を持ち上げて撮影することもあるので、重い一眼レフでは逆に困難かもしれません。この撮影が結構大変です。神経を使います。

カメラマンではないので撮影の技術的なことはわかりませんが、何度も料理を撮影して感じたことは、料理が「わたしを撮って!いまよ、いまなの!」というメッセージを送ってくることです。そのメッセージを受け止めてあげて、瞬間を切り取るとおいしそうな写真になります。モデルの撮影もそうじゃないかなとおもいました。彼女あるいは彼の発散している魅力をきちんとわかって、そのメッセージを最大限に活かしてあげるカメラマンがいい写真を撮れるのではないか、と。あとは「光」と「構図」でしょうか。これは大事。

いまカメラの撮影術とPhotoshopによる写真の補正術について学んでいます。あらためてPhotoshopというソフトの凄さを感じているのですが、要するに撮影した写真に「お化粧」をするわけです。そのお化粧ひとつで見違えるように変わる写真があります。写真の世界は奥が深い。

ところで「被写体のきらきらした輝きを引き出す」というテーマから引き継いで、強引ではありますが、自作曲の紹介をします(笑)

「生活に紛れたダイヤモンド」という曲です。作ったのは1996年頃だったかと記憶しています。つまり17年ほど前になりますね。久し振りにTakamineの弦を張り替えて、弾き語りしてみました。YouTubeにアップしたので、ご紹介します。



歌詞です。

+++++++++++++++++
生活に紛れたダイヤモンド
+++++++++++++++++

さりげなく暮らすのは意外に難しい
トーストを焦がさずにとてもうまく焼けた日の朝
住み慣れたぼくの部屋の窓から青空を
眺めながらそんなことをふと考える

平凡に生きるのを嫌ってた昔のぼくは
きらめいてるものを探して いろんなことをしてみたけれど
結局きみに出会ってわかりはじめてきた
大切なものはいつでも ここにある

 NEW LIFE
 そう ダイヤモンド
 生活に紛れたダイヤモンド

 NEW LIFE
 そう ダイヤモンド
 手に入れよう 日々の輝きを

週末に仕事が終わったら きみと駅で待ち合わせをしよう
美術館をひと巡りして ちょっと豪華なディナーを食べよう
ときどき無口になって不機嫌だったとしても
気にしないでいい いつものことだから

 NEW LIFE
 そう ダイヤモンド
 生活に紛れたダイヤモンド

 NEW LIFE
 そう ダイヤモンド
 手に入れよう 日々の輝きを

「大切なものはいつでも ここにある」ということがいちばん歌いたかったメッセージで、どんなに輝いているものがあったとしても、みずから光を感知する力もしくは意識がなければ気付かないものです。どこか遠くにある理想や夢を追い求めることも大切であり、夢や理想の追求によって頑張ることができるものですが、案外、近い場所に「青い鳥」はいる。

高すぎる理想や夢を掲げて、現実との乖離に苛立ったり不幸に感じるぐらいであれば、理想や夢なんて考えないほうがよいのではないでしょうか。むしろ淡々とした日々の生活に没頭して、ささやかなしあわせを有り難く受け止めたほうがいい。最初に書きましたが、ふっくら炊きあがったご飯をおいしくいただけることが最高のしあわせです。

ちなみに「生活に紛れたダイヤモンド」は、パソコンを使ってDTMによるインストゥルメンタル(要するに歌なし)のバージョンも作っています。Soundcloudにアップロードしたので、以下のプレイヤーの再生ボタンを押してお聴きください。ちなみにこの曲でギターの音が聴こえますが、弾いていません。RealGuitarというソフトによる打ち込みです。



ぼくは緑内障を患っています。緑内障は目の病気なのですが、一度かかってしまうと治ることがありません。失明に至らないように薬で進行をとどめるしかない病気です。緑内障であることを知ったときにはパニックになりましたが、結局、この病気とうまく付き合って生きていくしかないと考えています。逆に、世界がきちんと見えているあいだに、あらゆる美しいものや輝いたものを見ておきたい。ぼくがカメラにこだわりはじめた理由もそんなところにあります。

2013年が終わろうとしています。2014年がきらきら輝いた年でありますように。

投稿者: birdwing 日時: 07:08 | | トラックバック (0)

2013年8月 3日

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ぼくらはなぜ挨拶をしなければいけないのか。

今朝ゴミを出してきたときに、近所の年配の男性とすれ違ったので挨拶しました。「おはようございます」と交わす言葉が爽快でした。8月に入ったのに大丈夫かなと感じるくらいの涼しさで、空には雲が多い。

挨拶を交わしながらふとおもい出したのは、プロブロガーを標榜するイケダハヤト氏が今年の4月に「たかが挨拶ぐらい、できなくてもいいんじゃない?」というブログを書いていたことでした。幼稚園児みたいなことを書くひとだなあと妙に感心してしまったのですが、一部のひとたちは彼の意見に賛同したようです。

多様性は大切です。いろいろな意見があってよいとおもいます。どんな考えを持とうが行動しようが自由。しかしながら、一般的には(特に成人して社会生活を営む大人であれば)挨拶はできないよりできたほうがいいですよね。挨拶はしたほうがしないより「ベター」です。

頭ごなしに親から「挨拶をしなさい」と言われて、子供たちが挨拶を嫌だなとおもう気持ちは察することができます。挨拶を強制する必要はないという主旨も共感しますが、それでもやっぱり挨拶はしたほうがいいでしょう。なぜなら第一に自分も気持ちいいし相手も気持ちいいものだから。

挨拶は「呼吸」みたいなものです。

挨拶ができたから偉いとかできないから劣っているなどということはあり得ないし、挨拶が好きだとか嫌いだとかいう話もなんだかおかしい。とはいえ、ここでは印象で終わらせずに、もう少し持論を深めてみることにしましょう。

そもそも「挨拶」は禅の言葉であり、師と弟子、あるいは修験者同士が交わす真剣勝負による修行の瞬間だったようです。綾瀬凜太郎さんの『禅の名言100』という本には、挨拶について次のように書かれています。

たとえば、『碧巌録』には「一言一句、一機一境、一出一入、一挨一拶して、深浅を見んことを要し、向背を見んことを要す」とある。
要するに、問答によってさまざまな言葉を投げかけ、相手の心境を探ったり、その修行の度合いや器量をはかることをいうのである。
B007VAGPBK禅の名言100 (学研新書)
綾瀬凜太郎
学研パブリッシング 2010-09-21

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つまり挨拶とは「他者」と接することにより、瞬間で相手の気持ちを推し量り、自分の言葉を紡ぐことによって「自己」を切磋琢磨する一期一会の機会というわけです。禅における挨拶は真剣勝負なのです。したがって、この禅の思想にしたがえば、挨拶のできないひとは他者との真剣なコミュニケーションを放棄していることになり、そんな風に「逃げ」ることによって人生を緩慢なものにしている、とも考えられます。

視点を個人から企業に移してみましょう。

企業の不祥事は、経営の不徹底あるいは社員のちょっとした気の緩みから起こるものです。しかし、一瞬の気の緩みや不徹底が企業の信用を著しく低下させ、ブランドを大きく傷付けることになります。

たとえば、かつて雪印はスノーブランドとして牛乳の確固たる地位を築いていましたが、子会社の不祥事も含めて、すっかりブランドを失墜させてしまいました。その要因にはさまざまなものがあるかもしれませんが、経営幹部はもちろん現場における品質管理を徹底する気持ちが緩んでしまっていたのではないかと想像します。

気の緩みを起こさないためにはどうすべきか。

たとえば挨拶をきちんとする、身辺を片付けるというような日常の基本から徹底的に締めていく必要があるのではないでしょうか。

食料品工場やレストランなどの食を提供する場では、就業前に挨拶を唱和することがありますが、体育会系で嫌だと感じるひともいるかもしれないけれど、お客様に対する姿勢を徹底することで、それぞれの「心のボルト」を締めるための大切な業務といえます。機械のボルトを締めなければ事故につながるように、働いている人々の心のボルトも締めなければ事故につながります(だからといって機械と人間を同一視しているわけではありませんが)。

「神は細部に宿る」といいます。

仕事をする上で人間性や能力を高めようとするならば、挨拶という細部を疎かにすべきではありません。ブランドはお客様との「約束」であるとよくいわれますが、企業がブランド力を高めようとするときにはCIなどのロゴやイメージづくりに注力すればそれで十分というわけではなく、社員のひとりひとりの心構えと行動が大切になります。「お客様」に「挨拶」、つまり瞬間の出会いを大切にするつもりで製品やサービスを作る姿勢が必要だとおもうのです。

ブランドというと、あたかも高級品やネーミングがすなわちブランドであるかのように錯覚しますが、デューンE. ナップの『ブランド・マインドセット』には、次のように書かれています。

ほんものブランドとは、顧客や生活者に認識された感情的・機能的ベネフィットがもたらす印象の集積が、「こころの眼」の中でとんがった位置を占めることである。
4881358669ブランド・マインドセット
デューンE. ナップ Duan E. Knapp
翔泳社 2000-08

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ここで注目したいのは、ブランドが「印象の集積」であり、お客様の心の中に生まれるということです。したがって、ブランドはモノやネーミングを指すものではありません。どんなに素晴らしいモノがあったとしても、お客様の心の中で価値として印象を生まなければブランドになりません。「ブランドはお客様の心の中にある」という認識が必要です。

パーソナル・ブランディングという言葉が生まれ、自分をアピールすることが重要であるということも言われています。けれども資格やプレゼン能力を高めるよりもまず、挨拶をきちんとできるというような基本的な資質を省みることから始めたほうがいいのでは。昔は「挨拶をきちんとしなさい」と叱ってくれるひとがいましたが、最近は甘くなりました。

挨拶は頭で考えてするものじゃないですよね。身のこなしのようなもので、無意識の状態で挨拶できていることが大切です。企業の新人研修では礼を学ばせるところが多いのですが、「形」が「心」を作ります。ただし、心を作るためには時間がかかります。

ブロガーのイケダハヤト氏が挨拶を軽視するのは、インターネットで完結してお金を稼ぐアフィリエイトという方法でしか仕事をしていないからです。つまり、お客様はブログにアクセスしてくれる訪問者の「データ」であり、数字さえ集まればそれでいい。数字に人格はないから、イケダ氏も人間的に優れている必要はありません。なので彼は人間的な基本を欠いていても問題ないのです。

しかし、そうした特殊な人物の考え方を真に受けて、「じゃあオレも挨拶なんかやめよっと」とおもう若い人がいたとしたら、ひょっとすると人生を誤るかもしれません。そもそもイケダハヤト氏は自分の発言に責任が持てないと明言しているので、無責任な言葉に踊らされたなら自分が損をするばかりです。

賢くなりましょう。「カリスマ的な人気のある存在だから信じる」「アクセスが多いブロガーだから信じる」という安易な考え方ではなく、このひとの考え方はほんとうに自分にとって正しいといえるのか、ということをきちんと検証し、考えなければいけません。

・・・

ということをいま、ぼくは訪問された方にブログを通じて語りかけているわけですが、あらためまして、こんにちは(おはようございます、こんばんは)。はじめてぼくのブログを読んでいただいた方には、はじめまして。そして、ぼくの拙い文章を読んでいただいてありがとうございます。

このエントリを読んで「なるほどね」と納得された方は、まずはご家族の方に挨拶してみてください。おはよう、おやすみ、ありがとう、と。

ちなみに感性や語感の研究をされている黒川伊保子さんによると「あいうえお」の母音ではじまる言葉(音)で語りかけると、相手はリラックスした気持ちになるようです。母音は子音のように息を遮ったり擦ったりしない音なので、そのひとの素に触れたようにあったかくなれるのだとか。

4584392544ことばに感じる女たち (ワニ文庫)
黒川 伊保子
ベストセラーズ 2007-12-18

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あいたかった、あえてよかった、ありがとう、あとで○○しようね、あしたね、いいね、いっしょにいようね、うん、おはよう、などが母音からはじまる言葉です。あらためて考えてみると挨拶の冒頭には母音が使われている言葉が多い。相手を思いやる気持ちが込められているからかもしれません。

恋人や子供に対しては、そんな母音ではじまる挨拶を日頃から心掛けておくと、お互いにしあわせな気分になれそうです。

投稿者: birdwing 日時: 12:13 | | トラックバック (0)

2013年2月17日

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アイコンのからくりと、ソーシャルメディア。

子役や声優のお仕事をされている春名風花さんは、ツイッター界隈では、はるかぜちゃんとして知られています。彼女はまだ12歳。小学校6年生にもかかわらず、ツイッター上の発言には既に大人たちを越えた余裕があります。利発さを発揮した彼女のツイッターを読んでいると、これからの成長が楽しみです。

はるかぜちゃんのツイッターはこちら。
https://twitter.com/harukazechan
2013-2-17_harukaze.jpg

プロフィール。
http://www.smile-monkey.com/profile/haruna_fuuka.html

はるかぜちゃんは本を出されています。ご紹介です。

4778312694はるかぜちゃんのしっぽ(ω)
春名 風花 山本 敏晴
太田出版 2011-08-25

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「ついったの妖精」と自己紹介の欄に書き込み、ツイッター大好きなはるかぜちゃんですが、「ひみつの嵐ちゃん」に出演したとき嵐に物怖じせずに発言したため、ジャニーズの嵐のファンを敵にまわしたことがありました。「むかつくわぁ」や「クソガキ」などの暴言を直接ぶつけられただけでなく、殺人予告のようなものまで言い出すツイッタラーが登場した。簡単に言ってしまえば炎上したわけです。

ところが、最近、彼女のツイッターは 炎上しなくなった と感じているのは、ぼくだけでしょうか。もちろん周囲の大人たち(なのかよくわかりません。大人であれば12歳の子供にあんなに絡むのは大人気ない)が変わってきたのかもしれません。また、精神的あるいは情報リテラシーの上では既に大人たちの上をいくはるかぜちゃんが、自分の発言を慎んでいるのかもしれません。しかし、ぼくはもうひとつ大きな要因があると考えています。

彼女のアイコンがご本人の写真から、彼女の描いたイラストに代わった。つまり 「アイコンが変わったからだ」 と、ぼくは分析します。さすがアタマいいなあ、はるかぜちゃんは、と感心しました。

どういうことか分析を解説していきましょう。


■「アイコン5タイプ」の法則

まず下記の5枚を眺めていただけますでしょうか。

130217_icon01.jpeg 130217_rirekisyo.jpg 130217_neko.jpg 130217_neko2.jpg 130217_sora.jpg

左から以下のような内容を並べています。

01:実像-笑顔のアイコン(以前ツイッターで利用。現在は不使用)
02:実像-証明写真のアイコン
03:イラスト-ネコのアイコン
04:イラスト-眠っているネコのアイコン
05:抽象的な空のアイコン

イラストのアイコンは、ぼくが無料のペイントソフトを使ってマウスで描きました。ネコのアイコンをねずみ(マウス)で書くのは面白いなあと考えながら作りましたが、おじさんギャグみたいですね。目を開いているバーションだけでは寂しいので、目を開いているイラストを修正して、目を閉じてみた。このふたつのアイコンは現在、ぼくのツイッターで利用中です。抽象的な空のアイコンは今回試験的に作ってみました。

見ている側から、5種類のアイコンのうち好感触なものはどれでしょうか。

リサーチやグループインタビューを行っていないので裏づけはありませんが、直感的に「実像-笑顔のアイコン」の好感度が高いと感じます。一方で、主体が不快な感情を抱くのも「実像-笑顔のアイコン」かもしれない。おれがこんなに不愉快なのに何おまえは笑っているんだ、みたいに。

「02:実像-証明写真のアイコン」では、堅苦しい雰囲気だから話しかけにくいかも。実際の人間は話しやすいフランクな人間かもしれないのですが、この写真ではフォーマルすぎて話しかけられない。

さらに「05:抽象的な空のアイコン」は花にしてもいいのですが、自然のアイコンに暴言はできない。というのは、空や花に暴言を放ったことがないし(ありますか?)空や花の感情は読めないからです。

発言者側から自分が楽になるアイコンはどれでしょう。これもまた直感的な分析ですが「03:イラスト-ネコのアイコン」「04:イラスト-眠っているネコのアイコン」そして「05:抽象的な空のアイコン」と考えます。

自分の写真を表示して何かを語るのは責任が重く負荷がかかります。一方で、イラストであれば責任が軽減する。自由に語れます。「05:抽象的な空のアイコン」であれば、もっと言いやすくなる。

そしてもうひとつ、重要なポイントがあります。それは「視線」です。


■あなたはそんなに見られてない。

「05:抽象的な空のアイコン」は生物ではなく「視線」がないので別としますが、「01:実像-笑顔のアイコン」~「04:イラスト-眠っているネコのアイコン」には「視線」があります。視線があるときには「相手はこちらを見ていてくれている」と、見ている側では錯覚が起きるのではないでしょうか。

アイコンの視線がこちらを向いていると、根拠がないのに「見ていてくれている」と錯覚する。見守っているレベルではいいのですが、「話を聞いてくれている」という誤解は問題かもしれません。というのは(当たり前ですが)アイコンは偶像であり、実際の人物とは違う。リアルの本人はアイコンがあなたの方を向いているときに、眠ったり食事をしていることがある。あなたを見ているわけじゃないんです。それはただの写真です

目を閉じた状態になると、見られている側の負荷が減ります。これも直感的分析ですが「03:イラスト-ネコのアイコン」と「04:イラスト-眠っているネコのアイコン」を比べてどちらがほっとするかといえば、「04:イラスト-眠っているネコのアイコン」。

フェイスブックが登場したときに、ザッカーバーグって単純だなあとおもったのが、そもそもあれが同窓会名簿だったことでした。『ソーシャルネットワーク』という映画も観ましたが(彼の人生そのものだとはいえず虚構だとおもいますが)、まずは同窓会名簿だった。同窓会名簿のプロフィールに空や花の写真を載せる学生はいないわけで、必然的に「こちらに視線を向けた」実像の写真になる。笑っているかもしれないし、証明写真かもしれないのですが。

B005YWUMG6ソーシャル・ネットワーク [DVD]
ソニー・ピクチャーズエンタテインメント 2011-12-21

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ただ、ぼくがフェイスブックの問題だとおもうのは「友達」の写真を右側に並べて表示し、それがランダムに入れ替わるようにしたことです。その規則性については公開されていないし、ぼくらの印象に任せている。想像の範囲で予測すると、こちらを向いた視線の写真が表示されているとき、あっ××さんが観にきてくれた、と錯覚します。規則性が公開されない限り、実際にそうであるかどうかは不明なわけで、視線がこちらを向いているからといってあなたを見ているとは限りません

ということで遠回りして最初に戻るのですが、はるかぜちゃんの周囲の炎上が収束したのは、はるかぜちゃんのアイコンが「実像-視線がこちらを向いている」から「イラスト-視線が横を向いている(というかない?)」ものになったからだと分析しています。

以下がはるかぜちゃんの現在のアイコンです。

13217_harukazechan.jpg

なにものなのかよくわかりません。ネコと、はるかぜちゃんのツイートに表示される(ω)を合体させたキャラクターでしょうか。ただ、工夫しているのは下書きの白紙アイコンをひとつ作って、ハンバーガーやフライドチキンのように、さまざまに落書きをして増やしているところです。そうして時々アイコンを切り替えている。遊び心がありますね。

「実像-視線がこちらを向いている」アイコンは、語りかければ答えてくれそうだ、という誤解を抱かせます。そうしてメンションを送るのだけれど、相手が答えないので苛立つ。やがて自分のなかではるかぜちゃんに対する憎しみを煮えたぎらせて、酷い言葉をぶつける。ぼくはこうしたアイコンの虚偽にとらわれて、勝手に自分のなかで怨念を煮えたぎらせてしまうひとを「構ってちゃん」と呼ぶようにしました。

子供であればとにかく、大人がそんなこともわからない構ってちゃんでは、ほんとうに困るでしょう。日本のソーシャルネットワーク社会の未熟さを露呈しているといえるかもしれません。


■象徴的なネコとしての坂本美雨さん。

がらりと話題を変えて、ネコが出てきたので、ネコ好きのアーティスト坂本美雨さんの曲から、坂本美雨 Miu Sakamoto 「I'm yours」(Miu x KREVA) Music Video [公式]。

ヴァーチャルなネコが出てくるPV。ベッドの上でもそもそと身体を動かす坂本美雨さんは、象徴的にネコだとおもいます。


■ソーシャルメディアウィーク開催。

ツイッターやフェイスブックを取り上げましたが、明日2月18日~2月22日までソーシャルメディアウィークが開催されます。
http://socialmediaweek.org/tokyo/

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これからもフェイスブックやツイッターの動向や気付いたことに関して、ぼくはこのブログでこれからも考察および紹介していくつもりです。ソーシャルネットワークを企業で活用したりマーケティングコミュニケーションのひとつとして考える方法はもちろん 「個人がメディアになる時代」 のこれからを追求したい。

はるかぜちゃんのフォロワー数は現在16万7,008人。びっくりしましたが、彼女は既に12歳で自分のフォロワーたちのどんな情報を拾い、自分を介してどのように発信しているかわかっているように感じられます。メディアリテラシーをわきまえている。

プロブロガーとして明日登壇するイケダハヤト氏のツイッターフォロワー数は2万8,586人。若者の支持を集めているようで、どのような発言をされるのか注目しています。

投稿者: birdwing 日時: 14:55 | | トラックバック (0)