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2015年12月26日

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ちいさく始めて、大きく育てる。

151226_light1.jpg 151226_light2.jpg 151226_light3.jpgクリスマスが終わりました。2015年も残すところあとわずかです。

時間って、ほんとうに面白いなあ、とおもいます。油断していると、あっという間に残りわずかになる。時間がない!と焦っていると、案外余裕があったりする。1年という期間にもいえますが、生涯という長い期間においてもそう感じます。

イルミネーションが好きで、クリスマスの季節には、光に彩られた夜の街を歩くのが楽しみです。

以前には、クリスマスの季節の街を歩き回って、デジタルカメラで撮影して「ひかりの花束」を作ったことがありました。あの頃に比べると、スマートフォンのカメラは飛躍的に高機能化しました。家の近所でスマートフォンで撮影したクリスマスの雰囲気を醸し出している写真を掲載します。

さて、最近「ちいさく始めて、大きく育てる」ことが大切ではないか、ということをよく考えます。

ビジネスでは「リーンスタートアップ(lean startup)」という手法があります。2008年にエリック・リース氏が米国で提唱した方式で、最低限のコストで事業を始めて、顧客のニーズなどを取り入れながらPDCAサイクルを回して、改良しつつ大きく育てていく起業スタイルです。

ピーター・ティールの『ZERO to ONE』にも、ドットコム・バブルの崩壊からシリコンバレーの起業家が学んだことのひとつとして「少しずつ段階的に進めること」を挙げ、次のように書いています(P.40)。

壮大なビジョンがバブルを膨張させた。だから、自分に酔ってはいけない。大口を叩く人間は怪しいし、世界を変えたいなら謙虚でなければならない。小さく段階的な歩みだけが、安全な道だ。


が、しかし、ピーター・ティールの考え方で重要なことは、彼が上記をまったく否定して「小さな違いを追いかけるより大胆に賭けた方がいい」と逆の法則を提示していることです。

そのことはフェイスブックの上場後に株を全部売り払って「我々は空飛ぶ自動車を欲したのに、代わりに手にしたのは140字だ」と皮肉を残していることでも明確に示しています(こっちの方が重要だった。苦笑。2016年1月23日追記。でも、イーロン・マスクでもない限り、個人的には堅実路線がよいと考えます)

リーンスタートアップから連想するのは「プロトタイプ思考(buil to think)」です。商品開発の分野でも、いきなり完成品を仕上げるのではなく、試作品(プロトタイプ)で消費者テストを繰り返して、ユーザーの声に耳を傾けた上で製品化することが重視されるようになりました。特に最近では、消費者との「共創」的なスタイルが一般化してきました。また、3Dプリンタの登場により、ラピッドプロトタイピングというような、より短時間でプロトタイプを製作する手法も実現しています。

おもい起こせば1999年以降、ドットコムバブルが盛り上がっていた頃、多くの企業がβ版のサービスを公開して、運用・バージョンアップを繰り返しながら、よりよいものに近づける手法を取っていましたね。

ソーシャルネットワークのミクシィ(mixi)では、長い間タイトルの横にβ版であることが表記されていたことを記憶しています。「これ、ふつうに使えるじゃん、いつになったらβが取れるんだ?」と漠然とした疑問を感じたものです。

あ、そういえば、ぼくのブログもまだ「Lifestyle Innovation β」だ(苦笑)。これはその時代の名残りです。

と、ビジネスについて語りましたが、日々の生活についても同様のことがいえます。

壮大な夢を持つことは大切です。しかし、夢ばかり語って行動しなければ意味がありません。結局、夢の重さに押しつぶされてしまって、「時間がないんだよね」「いや、そうはいってもお金がないから」と「できない理由を探す」人間になってしまう。

最近、堀江貴文さんの『本音で生きる 一秒も後悔しない強い生き方』を読みました。ストレートなメッセージと勢いのある本です。



この本で堀江貴文さんは「言い訳野郎は立ち去れ」として、自信があるからやるのではなく、やってみないと自信はつかないと述べています。とにかくいちばんよくないのは「小利口」であり、プライドを捨てろ、と。ノリで始めちゃっていい、と。

同感ですね。考えてみると自分も「ブログを書くってどういうことだ?」とブログ黎明期の頃に考えて、2004年から書き始めました。いまこのブログには1,066のエントリが公開されていますが、実は公開していないエントリもあり、さらにSNSの投稿も含めると膨大な数の言葉をネットの海に投げています。

ブログを書いたことで、いろいろと恥ずかしいこともあり、炎上も体験しました。しかし、それは「行動したからこそ得られた恩恵」です。

なので、「それやって何になるの?」「実名で私生活を公開するとかバカじゃねえの?」と言う方々には、残念ながら一生分からないであろう貴重な体験をしました。勇気がなくて、やらないひとはやらなくていいんじゃないでしょうか。一生この貴重な体験ができないかとおもうと、残念だね、とおもうだけのことです。

ということは別にブログだけでなく、すべてのことにいえそうです。

ぼくはウィンタースポーツをやらないのですが、スキーやスノボをやるひとは、きっとやったひとにしか分からない冬山の爽快感があるのでしょう。またペーパードライバーなのでクルマを運転しませんが(免許は持っています。運転しないがゆえにゴールドです。苦笑)、ドライブを楽しむひとには、加速やコーナリングの楽しみがあるのではないでしょうか。

とはいえ年齢を重ねるにつれて、いろいろ億劫になってしまい、新しいことに挑戦しなくなります。これはいかんな、と。アタマが硬くなり始めている兆候かもしれません。

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投稿者: birdwing 日時: 14:50 | | トラックバック (0)

2014年8月27日

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コトバノチカラ。

夏が終わりつつあります。今朝は雨が降っていて、とても涼しい。外を歩くと重力が倍増したかのように感じられた厳しい猛暑は、既に過去になりつつあるのでしょうか。もこもこ青空に湧き上がった入道雲をおもい出して、ちょっとだけ寂しい気持ちになります。

趣味の音楽づくりから遠ざかっていたのですが、7月の終わりにふいにコトバが降りてきて新しい曲ができました。あっという間に完成したのですが、弾きながら歌えない(苦笑)毎日少しずつギターを練習して、先週の日曜日、やっと録画が完成。YouTubeにアップロードしました。

「カゼノウタ」という曲です。ブログでも公開します。



歌詞は以下になります。

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投稿者: birdwing 日時: 08:02 | | トラックバック (0)

2014年2月 9日

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ハツユキ

雪ですね!東京都心では45年振りの大雪だそうで、都心では27センチの積雪を記録したとか。自宅の窓から見える風景は一面の雪景色です。厳密に言うと初雪ではないとおもうのですが、久し振りの雪です。


yuki140209.JPG


東北や北海道など雪の多い場所にお住まいの方としては「それぐらいの雪で何を大騒ぎしているのだ」とおもわれる方もいらっしゃるかもしれませんが、節分ちょっと前あたりの東京では、なんとなく春の匂いさえ感じられるあたたかな気候でした。そのあとで、どかーんと降った雪には驚かせられるとともに新鮮な感動がありました

雪の記憶にはふたつあります。

ひとつは、幼少の頃に父が雪遊びに連れて行ってくれたこと。おぼろげなイメージでしか残っていないのですが、御殿場だったでしょうか。樹木の間に開けた原っぱの真っ白な雪の中でごろごろ転げ回ったり、プラスティック製の橇で遊んだりした思い出が残っています。

もうひとつは、大学受験の頃。浪人して東京でひとり暮らしをしていたとき、朝起きてみると大雪でした。受験週間に突入して緊張もあったのですが、食料を買い出すためにわしわしと雪を踏みつけて近所のコンビニに行ってきたところ妙に落ち着いて、楽しい気持ちになったことも覚えています。この真っ白な雪に新しい足跡を付けるように、未来は拓けているのだなあと感じました。合格発表の日にも雪は残っていました。

この受験生時代の記憶をベースに作った曲があります。「ハツユキ」という曲です。作った時期は定かではありませんが、1998年頃だとおもっています。社会人バンドをやっていた頃で、多重録音で作りました。そのテープは残念ながらどこかに紛失してしまって残っていませんが、大雪記念(笑)に弾き語りをしてみました。YouTubeでどうぞ。



歌詞です。

++++++++++
ハツユキ
++++++++++


 ぼくらは毎日生まれ変わるさ
 この冬の朝のように

 静かに だけど力強く
 踏み出そう雪のなかへ

きのう降り続いた雪が
街を別世界に変える
白いキャンバスに向かう
新しいぼくがいる

きっと明日になれば
とけてしまう魔法を
ぼくは信じてみよう
そして誓うだろう

 ぼくらは毎日生まれ変わるさ
 この冬の朝のように

 静かに だけど力強く
 踏み出そう雪のなかへ

時計を少しだけ進めて
きみと待ち合わせた駅で
古いポストカードを破る
新しいぼくがいる

 凍えそうなぼくらの街に
 火を灯すよ ささやかなぬくもりを
 いつまでも

 ぼくらは毎日生まれ変わるさ
 この冬の朝のように

 静かに だけど力強く
 踏み出そう雪のなかへ

 ぼくらは何度も生まれ変わるさ
 この冬の朝のように

 静かに だけど力強く
 踏み出そう雪のなかへ

バンドを辞めた後にDTMでアレンジを変えた音源を作っています。最初は2005年1月13日に制作した曲で、VOCALOIDに歌わせました。VOCALOIDはその後、初音ミクとなって大ヒットするわけですが、PCが歌うという、ヤマハのとんでもない素晴らしい技術でありながら、当時は一般的でなく、一部の音楽好きの他には知られていなかった気がします。Soundcloudでお聞きください。



先日、村上春樹さんの『ノルウェイの森』の感想で書いたのですが、人生は蓄積された成功の実績や人脈や傷付けてきた他者に対する責任など、さまざまなものを精算しながら「再生」していく行為ではないかと考えています。事実、同じ人間の形をしていても、その細胞は毎日新しく生まれ変わっていると聞いたことがあります。

この曲の歌詞のように「毎朝起きたときに新しい自分に生まれ変われたら」とおもいます。昨日の失敗や明日への不安にとらわれずに、毎朝、まったく生まれたばかりのような「ゼロ」ベースで一日をはじめる。一期一会という言葉もありますが、一日一日を真っ白なページからはじめることができたら素敵です。

昨日まで灰色だった東京を、一晩にして真っ白なキャンバスに変えてくれる雪は、風景を変えるとともに、ぼくらの心も刷新するものではないでしょうか。雪を契機に、あざやかに気持ちを刷新できたら素晴らしいとおもいます。

年を取ると脳内が硬直化して、「私はこういう人間だから仕方ない」「社会はこうあらねばならない」「常識は守らなければならない」など、自らの価値観に執着するあまりに、まったく違う価値観を排除するようなひとも多くなります。

もっと酷いのは若い人間に老いた自分の価値観を押しつけて、受け入れられないと「やっぱりおまえはバカだ」「いまの若い者はダメだ」などと嘆いたり批判したりするようになることです。自分の思考の軸を持つことは大切ですが、その軸に囚われると融通性と可能性を見失う。狭い軸で他者を批判するひとたちは、多様性を受け入れられないひとたちです。

自分の軸をしっかり持て、自分の強みを把握しろ、といわれますが、ぼくはいまだに自分とは何者かわからないですね。いくつも軸があるし、いくつも強みがある(もちろん弱みもある)。その意味では、まだ何者にもなれると考えています。

さて、本日は東京都知事選です。

さまざまな候補者がいらっしゃいますが、ぼくが注目し、推しているのは「家入かずま」氏です。

そもそも彼の著作を何作か読み、彼の生き様に共鳴したことが大きな要因です。早い時期からツイッターもフォローしていて、スタディーギフトの炎上だとか、携帯番号や銀行振込先を晒すこと、深夜というか明け方に人生相談をやっているなどの活動をみてきました。とはいってもカリスマ的に彼を支持しているわけではなく、「そこはちょっと違うんじゃないの」と感じていることも多々あります。ただ『こんな僕でも社長になれた』の著書には号泣した箇所がたくさんあったし、彼のマイナス面を考慮しても誠実な生き方が好きです。


4781608558新装版 こんな僕でも社長になれた
家入一真
イースト・プレス 2012-08-31

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家入一真氏に関していえば、最終的には「(人間的に)彼が好きか嫌いか」のような直感的な判断になってしまう。都知事としては頼りないし、仮に当選したとしても「逃げ」ちゃうじゃないかという不安はあります。

ただ、今回の選挙活動を通じて多くの若者が賛同し、家入氏を支えました。この多くの支持者によって彼は今後も支えられていくだろうし、逃げられない状況に置かれて覚悟を決めなければならなくなるような気もしています。ご自身の心の内から生まれる覚悟もあるでしょう。そして、彼の考え方に刺激を受けたり賛同したりした若者たちの中から、次世代を担う政治家や実業家が登場するのではないかという予感があります。

細川氏や桝添氏などの政策も読んだのですが、はっきり言って「ぴんとこない」。もちろん、政治家としての実績や実力はあるから、そこそこ東京都の行政を安心してお任せできる方々だとおおいます。でも、なんだか心を動かすものがないんですよね。一方、選挙活動を通じて発せられた数々の家入氏の言葉には揺さぶられるものがありました。

だいたい日本の政治は、家入氏が街頭で語ったように「おじいさんによるおじいさんのためのおじいさんの政治」になっている。「またか」というような過去の政策の踏襲と、ありきたりな改革しか見当たらない。これでは刷新は望めません。東京の人口ピラミッドのグラフをみると、高齢化といっても若い世代の人口比率は高いわけで、この世代が真剣に政治を考えれば新しい改革が生まれるのではないでしょうか。



家入氏が凄いのは、最初は1,000リツイートされたら立候補するという遊び感覚だったところが、自分には政策がないことを逆に利用して、自分は「器にすぎない」と公言し、ツイッターでみんなから政策を募ったことです。ツイッターに寄せられた3万件におよぶアイデアは120の政策に落とし込まれ、彼の政策としてウェブで公開されました。


http://ieiri.net/policy/

ieiri.jpg

「民意」を掲げる政治家は多いけれど、大半は単なるスローガンに過ぎず、当選しても有権者の意見に耳を傾けるようなひとはいないだろうなあと諦めていました。老人だから耳が遠いのかもしれませんが、みんなの声は政治家に届かない。民意は当選のための聞こえのいい惹句に過ぎないという印象でした。しかしながら、実際にツイッターで民意を集めて政策を作った家入氏は、民意をベースにした政治の本質を突いているとおもいます。

だから渋谷の街頭で、これだけの人々を集めることができたのでしょう。

家入氏に期待する声はいろいろありますが、ぼくがよいとおもったのはアゴラに寄稿されたNick Sakai氏の「都知事候補の家入さんに期待する」という提案です。「みんなで作る」政治であれば、選挙や政策だけでなく、行政のシステムもクラウドソーシングで作っていくという考え方です。

また、津田大介氏の運営されているポリタスに寄稿された評論家である宇野常寛の「家入一真の冒険は2月9日から「はじまる」」にも共感しました。次の部分を引用します。

今回の家入祭りはインターネット上の「祭り」であると同時に、長い間溜まって来た「新しい政治」への要求が爆発したものです。そしてその背景にあるのは、社会趣味の人たちの自分探しではなく、この10年で可視化されて来た新しい日本人の新しいライフスタイルです。新しい家族形態であり、新しい働き方であり、新しいメディア消費です。「義の言葉」ではなく「生活の言葉」であり、非日常の言葉ではなく日常の言葉です。そして、祭り=非日常が一瞬で終わっても、生活=日常は永遠に続きます。

したがって家入一真の次の課題は、この選挙を通じて集まった人たちの声と力を集めて何をやるのか、だと思います。彼がどれだけの票を集めるかわかりませんが、それが5万票でも10万票でも、その人数から出発して僕らはゆるやかに連帯し、やれることから手を付けていくべきだと思います。

もともと家入氏は行政に頼らずに、自分たちの力でシェアハウスなど人生に悩んでいる子たちの「居場所」を作ってきました。つまり長い間続けてきた活動の選択肢のひとつとして都知事に理候補することがあったわけで、当選しないことは決して敗北ではありません。むしろ立候補という行動を起こしたことによって、次の何かを生むための「きっかけ」になったはずです。家入氏にとって選挙活動は必ずしも無駄になりません。というよりも、むしろ大きな資産となるのでは。

振り返ってみると、家入氏は「きっかけ作り」の人でした。

JASDAQに自分で作った会社を最年少で上場させたことも、若手のベンチャー起業家に可能性を与えるきっかけだったし、不登校児や引きこもりに対するメッセージは、彼らに新しい生き方や考え方を与える契機を作りました。そして今回の都知事立候補は、政治に失望していた若者に政治を身近に考えさせるきっかけを与えたといえます。

ぼくらは、灰色の街を一夜にして変えてくれる「雪」のような新鮮な何かを求めています。

もちろん雪が降ったからといって覆い隠された街は変わらないし、雪はいつか溶けてしまう。それでも雪を契機として、冷たくて新鮮な空気を深呼吸することで気持ちを整え、ありふれた日常の生活に新風を吹き込み、あらたな一歩を踏み出すために心を引き締めることができます。

降り積もった雪を踏みしめながら、都知事選の投票に行ってきますか。この大雪の中の都知事選から東京が変わり、春に向けて新しい政治の萌芽が生まれることを期待しつつ。

投稿者: birdwing 日時: 11:39 | | トラックバック (0)

2013年4月22日

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小林弘人氏講演「僕らがWebから学ぶこと」

春だというのに冷たい雨が降り注ぐ4月20日土曜日、世田谷線のちいさな電車に揺られて三軒茶屋へ。世田谷ものづくり学校で開催されたイルカの学校、小林弘人さんの講演「僕らがWebから学ぶこと 先生も上司も教えてくれない、ワイルドな時代のサバイバル術」に行ってきました。

とにかく寒かった。ジャケットを羽織らずに外出したのですが、とんでもない誤算でした。ネットの案内によると、世田谷ものづくり学校は三軒茶屋から歩いて15分と書かれている。覚悟はしていたのだけれど、傘を差しながらiPad miniで開いた地図を頼りに歩く道のりは途方もなく遠い。凍えそうになりながら歩いて、やっと辿り着いたかとおもったら学校の裏門だったりして、その裏門で迷っているひとふたりと遭遇しました。そのうちひとりは、後で名刺交換のときに盗み聞きしたところミクシィの方だったようです。

はじめて訪問したIID(IKEJIRI INSTITUTE OF DESIGN)世田谷ものづくり学校。ほんとうにここは学校なのです。2004年3月に廃校となった旧池尻中学校跡地を利用して「デザイン・建築・映像・食・アート・ファッション」など、さまざまな分野のクリエーターに教室を開放している。入り口から校舎に足を踏み込むと、文化祭のような雰囲気がわーっと広がっていて楽しくなりました。階段を登って2階の奥にある「教室」が講演の会場でした。

P1000665.JPG会場内は白い壁にウッディな床が目にやさしく、黒板の場所にはプロジェクターでスライドが投影され、アップルのコンピュータが設置されています。席には四角い木のちいさな椅子が並べられていて、なんとなく森の学校という雰囲気です。続々と集まってきた受講者は若い学生らしきひとたちが多いと感じました。ちいさな子供連れのひともいらっしゃって、アットホームな雰囲気のなか講演がはじまりました。

まずマルチ・プロデューサーの関智さんから説明がありました。イルカの学校のイルカ(ILCA)とはInnovation, Learning, Creatibity and Artsの頭文字をとったもので、故人であるゲームクリエイターの飯野賢治さんが発起人として立ち上げた活動とのこと。イルカってそういう意味だったのかとおもっていると、小林弘人さんにバトンが渡され「飯野さんとは飲み屋で会ったことしかないんですよね。いっしょに仕事はしなかったけれど飲み屋でいろんな話をしました」という回想から講演がはじまりました。

講演はときおり会場からの参加者の声を拾いながら進行しましたが(隣のひとと挨拶をしましょう、というウォーミングアップのイントロもあり和みました。ぼくの右隣はイケメンな男子、左隣は眼鏡をかけた知的な女性でした)、まず参加者に問われたのは、講演のサブタイトルにも記された「ワイルド」についてです。いま世の中はワイルドだとおもうか、という問いに対して多くの参加者の手が上がります。実力次第で頭角を現せる時代は、確かにワイルドかもしれない。

P1000669.JPGのサムネール画像ワイルドというキーワードを踏まえて、小林弘人さんご自身のワイルドな経歴が紹介されました。どこの馬の骨ともわからない状態でワイアードというIT雑誌を立ち上げ、NeXT時代のスティーブ・ジョブズと単独インタビューを実現。このときの記事タイトル「叶えられた祈り」は、トゥルーマン・カポーティの小説の題名からとったそうです。スティーブ・ジョブズのインタビューでは写真嫌いの彼から写真を撮る許可さえ得ることができ、急遽作った表紙は35ミリフィルムで撮影した写真を大きく引き伸ばして使ったため、モアレが生じてしまったとのこと。

その後、アップルがどん底の時期には、両方から囓られたアップルのロゴを使って背景が真っ黒の表紙を作ります。アップルのファンであれば、この意図するものはすぐわかるだろうという目論見です。取次からものすごく怒られたそうですが、取次の反応とは逆に爆発的に売れて、雑誌としては異例の増刷があった。アトムが表紙の号では業界初のホログラム(立体的にみえる印刷)を採用するなど、出版業界の革命児のワイルドな試みが紹介されました。

自己紹介のあとは、Webの歴史を振り返って「学んだこと」の概観をお話されました。最初に提示されたキーワードは、

Webは人間をコピーする。

でした。インターネットの黎明期には数えるほどしかWebサイトは存在せず、Yahoo!ではたった2人でサイトを巡回してインデックスすべきページを拾っていたそうです。けれども、アメリカは面白いことを企てる人間が多かった。だから必然的に面白いWebサイトが登場した。そのアメリカの文化を日本にコピーすべく小林弘人さんはワイアードを立ち上げた。その後、Webは拡大し、現在では次のようであると語ります。

社会はWebをコピーする。

つまり、いまWebのアティテュード(行い、考え方)を学んでおくと、これから数年のちに社会がWebをコピーするかもしれない。要するにWebで行われていたことがリアルな社会で拡散したり浸透したりすることがあり得る。そこで次のような考え方につながります。

始点と終点は違っていてもいい(目標さえ見失わなければね)

目標さえ見失わなければ始点と終点は違っていてもいいという観点のもとに、Amazon、YouTube、Appleをはじめとして、さまざまな検索エンジンの動向などが俯瞰的に語られました。

たとえばAmazonは8年間赤字であったにも関わらず、上場したときに新規投資をします。さんざん社会から叩かれますが、Amazonは見据えていた目標があったからこそ批判にも揺るがなかった。その目標とは顧客のためによいサービスを実現するということです。

事業計画を立てるときに5ヶ年先の計画を立てることは「20世紀のやり方だ」と小林弘人さんは批判します。いまWebでは半年あればひとつのサービスを立ち上げることができ、3ヶ月で事業計画は修正するスピードです。しかし具体的な計画は修正されたとしても、見失ってはいけないのは目標なのでしょう。

という前提を踏まえて、Webから学んだことを7つ、ひとつひとつ解説しながら講演は進行していきました。とりあえず結果として小林弘人さんがWebから学んだことの7つをまとめてしまいますね。これです。

①強靱・迅速
②まず、始めることを終わらせる
③稀少
④与える
⑤Webじゃなくてもいい
⑥利他的でよい。それでよいのだ。
⑦動きまくれ。ぶつかってもまた動きまくれ。

ここからは小林弘人さんがお話したこととぼくが考えたことを混在させながら、簡単に講演内容をまとめていきます。

①強靱・迅速
「強靱」については、ロバストネスという生物学の用語も引き出しつつ、Amazonなどの企業における経営の強靱さを指摘されていました。8年間赤字でありながら目標に対して愚直に突き進んだAmazonのことを考えてみても、強靱な企業という印象があります。

一方、「迅速」であることも重要で、アジリティ(agility:敏捷)は「日本にはあまりない」と指摘されていました。グーグル出身で現在フェイスブックのシェリル・サンドバーグはマネタイズに長けたリーダーであり、彼女の動きは迅速そのもののようです。

0753541637Lean In: Women, Work, and the Will to Lead
Sheryl Sandberg
W H Allen 2013-03-12

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ポール・サフォーという未来学者が述べている以下の言及は印象的でした。

未来は今の延長にない。
ちょっとした飛躍があり、そこから一気に景色が変わる。

確かにそうかもしれません。ジェフリー・ムーアが言っているキャズムということをおもい出したのですが、何かが飛躍的に拡大するときにはキャズム(溝)を越える必要があり、ただしその溝を跳び越えてしまうと別の世界が拡がる。次のコトバも勇気づけられるものでした。

飛躍は論理的ではない。
飛躍を恐れてはいけない。
いつかその日のために情熱を失ってはいけない。

掃除機で有名なジェームス・ダイソンは、45歳で起業して、もはや改良の余地はないとされていた掃除機を再発明したことで偉業を成しました。多くのマーケターなどが掃除機のゴミは見せるべきではないと指摘したことに対して、機能は見えなければならないという思想を貫いた。その拘りが高価であっても購入されるヒットを生んだ。

小林弘人さんは彼にもインタビューされていて、彼の本は面白いとのこと。GEに売り込みに行ったときに、その場でゴミ箱のゴミをぶちまけられ、これを吸ってみろ、などという嫌がらせをされたエピソードも本に書いているとか。

ダイソンの本、『逆風野郎』というタイトルに吹いた(笑)

4822244040逆風野郎 ダイソン成功物語
ジェームズ・ダイソン 樫村 志保
日経BP社 2004-05-27

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②まず、始めることを終わらせる
フェイスブックのマーク・ザッカーバーグは「Done is better than perfect」ということを言っているそうです。いきなり仕様を変更することが多いフェイスブックですが、2006年にニュースフィードを公開する機能を追加して問題になった。プライバシーが全部友達に流れていってしまうからです。けれども当時問題になった機能が、いまでは最もユーザーに歓迎される機能となっています。その後、2007年にプラットホームを公開し、フェイスブックのプラットホームでビジネスを展開することを許可することで爆発的な飛躍を遂げたといいます。

始めよう始めよう、といつまでも言っているひとがいますが、まず「始めよう」を終わらせる必要があります。そうしないと何も始まらない。あれをやりたい、と夢だけを語っている人間は、きっと70歳になっても実現しない夢を語っている、ということをお話されていたのですが、その通りですね。

インターネット関連の企業にはフットワークの軽い企業が多い。完璧をめざして時間をかけて構想するよりも、まず着手してしまったほうがいい。「Done is better than perfect.」というコトバには確かに学ぶべきものがあります。

③稀少
何が稀少かというと、能力、知識、経験、体験。確かに自分の体験はかけがえのないものです。その結果、サービスデザインやユーザーエクスペリエンスに注目が集まるようになりました。いままでの社会は「What」が重視されていたのですが、これからは「Why」が重要になるとのこと。つまり「なぜ」その製品を使うのかという理由、あるいは理由の背後にあるストーリー(物語)が求められるようになるわけです。

④与える
ポトラッチという風習のイラストがプロジェクターで表示されたのですが、この風習のことは、ぼくも聞いたことがありました。パ。ワーを持っているひとが他のひとに与え続ける風習で、お返しをしなければならないので疲弊していくらしい。とはいえ、誰かわからないけれど誰かのために与えるならば、それがいつかあなたのために返ってくるかもしれない、という発想はとてもいいと感じました。

与えるというキーワードから、以下のサイトが紹介されました。

・CouchSurfing
https://www.couchsurfing.org/
おもてなしの交換サイト。「海外旅行などをする人が、他人の家に宿泊させてもらう(カウチをサーフさせてもらう)という形式の相互的な思いやりや信頼による制度(Wikipedia)」ということで、大丈夫なのかな、とおもったら、やはり一度はトラブルがあったらしい。しかし、その後はバウチャー制度などセキュリティが強化されているようです。

・ZOPA
http://uk.zopa.com/
ソーシャル・レンディングというサービス。一般のひとからお金が借りられる仕組みです。イギリスではTVCMも公開されているらしい。日本ではSBIが展開とのこと。金利も安いので、ちょっとお金の足りないひと、お金が余っていて他のひとに貸してあげたいひとは、今後このような互助経済を発展させていくのかもしれません。

・KHAN ACADEMY
https://www.khanacademy.org/
無料動画で授業が視聴できるサイト。

面白いなとおもったのは、検索エンジン時代のWebは「中抜きの力」が注目されていたことに対して、これからは人の力を「素敵に」借りられる仕組みが注目されるだろうという指摘。

OUYAというオープンソースのゲーム機の例も取り上げられました。OUYAはキックスターターで資金が調達され、著名なゲーム機でソフトを作るためには膨大なお金がかかるけれど、オープンソースのゲーム機であれば比較的安価でも開発ができるため、クリエイターたちに門戸が拡げられる。技術さえあれば誰でもゲームを開発、公開できることになるようです。

⑤Webじゃなくてもいい。
Webから学んだことが「Webじゃなくてもいい」。実に究極だなと感じたのですが、WebじゃなくてもいいというのはWebを使わなくてもいいということではなくて、コンテンツの発想はリアルにアイディアが転がっていて、それをどのようにWebに組み込んでいくかが重要だということです。例として次のWebサイトが挙げられました。

・いろどり
http://www.irodori.co.jp/
徳島県上勝町を起点として展開している葉っぱビジネスです。弁当の葉っぱを提供する会社を創って、年商2億にまで拡大。映画にもなったそうです。

・TCHO
http://www.tcho.com/
こちらはチョコレート工場。アメリカのチョコレート会社は輸入したチョコを再加工して販売しているようです。あらためてWebで検索してみると、TCHOとは「Technology meets CHOcolate」ということらしい。

これらのWebは「仕組みありき」で展開されています。Webのなかで完結してサービスを構築するのではなくて、リアルのサービスの仕組みがあってWebをうまく利用しているところがポイントではないかと感じました。

⑥利他的でよい。それでよいのだ。
「それでよいのだ」と繰り返しているように、これがいちばん大事な「学んだこと」であると感じました。一方で、脆く揺らぎやすい思想でもあります。

企業は自社の利益を追求するものであり、個々人も自分が大事です。けれども他者にとって何かよいものを提供しようと考えたときに、新しいものが生まれる。講演の最初に提示された「サバイブ」から連想するのは他者を蹴落とす競争社会ですが、ほんとうにサバイブするためには他者との共存、あるいは他者を生かすことで自分も生きるような発想が重要になります。次の言葉は印象的でした。

素敵に力を借りるには、素敵に力を貸す必要がある。 真のサバイバーは利他的なのだ。 リアルワールドで生き残ることは利己的。 それは資源が限られているからだ。

限られた資源を奪い合うことがリアルのサバイバルです。領地を奪い合う戦争などはいい例かもしれません。けれども、Webの世界では資源は無限にあるともいえる。もちろん人間の能力には限りがありますが、他者に力を貸そうとする気持ちは無尽蔵にあると考えていい。Webに限らずリアルでも同様だとおもうのですが、力を奪うだけの人間は他者から力を借りることができない。他者に力を「与える」ことができるものだけが借りることもできるという法則は、納得できる要諦であるとおもいました。

⑦動きまくれ。ぶつかってもまた動きまくれ。
動きまくると何が生まれるかというと、セレンディピティ(Seredipity)です。セレンディピティとは「偶然、幸運な発見をする能力。発見をすること。発見の事例」であって、「セレンディップの3人の王子たち」という物語から生まれた言葉です。

4036526308セレンディップの三人の王子たち―ペルシアのおとぎ話 (偕成社文庫)
竹内 慶夫
偕成社 2006-10

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Webを使ってよかったことは何?という問いに対して「この講演に参加できたこと」という回答をした参加者もいましたが、確かにぼくも参加してよかったとおもいました。それは積極的に参加しようと「動いた」からこそ得られた結果であり、動かなければ何も得られなかった。ちょっとぐらい恥をかいても失敗してもいい。大事なことは動き続けることかもしれません。

「大きな企業は偶然を許さない」ということを指摘されていましたが、それも納得できる話で、それぞれの社員が偶然を起こして仕事をしたら会社としての統制が崩れてしまいます。けれども小規模なベンチャーであったり、あるいはもっとスケールを縮小して個人であれば、偶然を契機として人生を変えることもできる。

そんな人生を、そして世界を変えたムーブメントの例として「Free Hugs」という活動の映像を最後に流しました。あるアメリカ人の話で、彼のお母さんはいつも彼をハグしてくれた。なぜかわからないけれどハグしてくれた。けれどもお母さんが亡くなってしまって、抱きしめてくれるひとがいなくなってしまった。そこで彼は、通りに出て他のひとをハグするようになった。

「人間は誰かを助けるためにある」という思想が背景にあります。究極のところ、ぼくらは誰かを助けるために存在しているのかもしれません。というよりも自分のためだけではなく、誰かのために存在していたいものです。

「Free Hugs」の映像を観ました。

正直なところ、ぼくはこの映像が流れているあいだ、涙が出てきて困りました。音楽もいい。Free Hugsのプラカードを掲げているひとは、はじめのうちは気持ち悪がられて敬遠されているのですが、しばらくすると何人ものひとがハグしてくれるようになります。しかし、警察に捕まってしまったりもする・・・。

「強靱」にもつながることですが、ひとつのムーブメントを起こすためには愚直に「動き続ける」ことが大切です。そして、インターネットは冷たい世界のようでいて、その向こう側には血の通った人間の生活がある。Webで他者に何かを「与える」ことはハグなんだな、とおもいました。サバイバルということがテーマだったのだけれど、最後には、とてもあったかい気持ちになった講演でした。

ところで余談ですが、隣のひとと挨拶をしようというウォーミングアップのときに「よろしくなっ!」と後ろの席にいた方から背中を叩かれ、びっくりしたのですが、小林弘人さんから「身体の大きいひと」と呼ばれていたその方は「鉄コン筋クリート」や「アニマトリックス」などのアニメプロデューサーの竹内宏彰さんでした。講演後に名刺交換をさせていただき、電子書籍をつくりたいということを伝えたところ、声優志望者に対する学校案内はどうだろう、というビジネスアイディアをいただきました。

最後の質問コーナーでは、ぼくも小林弘人さんに質問させていただき、本と電子書籍の未来について伺ったのですが、「電子書籍の登場によって、台割りのある雑誌的なものは紙媒体として消えていくかもしれない。けれども書籍は残るでしょう」という見解をいただきました。

それから穴があれば入りたいぐらいに恥ずかしかったことをひとつ。小林弘人さんとも名刺交換をさせていただき、ぼくはその際に本にサインをいただきたかったのだけれど、間違えて家入一真さんの『こんな僕でも社長になれた』を持っていってしまった(苦笑)。ご本人の前で、この本にサインを・・・と書店のカバーを外したら、家入さんの本で「家入くんの本に僕がサインしたらダメでしょー!」と言われてしまった。そりゃそうですよね。ああ、恥ずかしかった。

と、いろいろなことがありましたが、とても充実した土曜日の夜でした。イルカの学校、また参加したいとおもいます。世田谷ものづくり学校もとても面白い場所だと感じました。校内の机にたくさんのフライヤーが置かれていたので、めぼしいものを片っ端からいただいてしまった。帰宅してからいただいたフライヤーに目を通したのですが、デザインから音楽、映像まで、さまざまなクリエイターの活動が刺激的で、地域活性化のためのプロジェクトもあります。これは!というイベントなどには、積極的に参加していくつもりです。

投稿者: birdwing 日時: 11:12 | | トラックバック (0)

2012年10月14日

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働くということ。

社会人として若かりし頃、ぼくはやる気に漲って知識を貪欲に吸収し「よい仕事」をしようと燃えていました。同僚の目も輝いていました。誰もが最初は試みることだとおもうのですが、セミナーや異業種交流会に積極的に参加し、ビジネス系の雑誌や書籍を必死になって読んだものです。

しかしながら、カタチばかりの勉強は実を結びません。いまそのときの自分を振り返り自省すると、めちゃくちゃな方向に猛進していた気がします。節操のない名刺の収集に耽ったり、ライフハックのような小手先の技術を身につけたりすることは大事なことではなかった。むしろ「志を高く抱き、ビジネスの思想もしくはテツガクを考え抜くことを優先すべきではなかったか」と確信するのです。

技術や戦術はいくらでも後から学ぶことはできます。ところが難しいのは、戦略やビジョンとか、あるいは仕事を通じて何を実現したいのか、という抽象的なテツガクなのです。それらを徹底的に考え抜き、自分の核として持っていれば、おのずと戦術は決まってくる。腰が据わるからビジネスの実践でひるむこともありません。

15分のスキマ時間を有意義に使う方法を窮めること、ポストイットや手帳を活用して自己管理を徹底する手法を学んだほうが実務的だ、と言うひとも多いでしょう。iPadのおススメアプリを使いこなし、スマートに仕事しようぜ、というスタイルがかっこいいこともわかる。

わかるのですが、しかし。ぼくは若い世代だからこそスタイルから入るのではなく、「なぜ自分は仕事をするのか」「わたしの仕事はどこへ向かおうとしているのか、社会にどんな働きかけをするのか」という理屈っぽい大義あるいは思想を徹底して考え抜いたほうがよいとおもうのです。ちまちましたライフハックに拘るよりも、企業と社会全体を俯瞰する思想を獲得したほうが社会人としてでっかいコトができるのではないでしょうか。

そんな考えを基盤にして、仕事について考えたことを毎朝の連投ツイートでまとめてみました。若干古くなりますが、9月19日(水)~10月6日(土)までにツイッターで140字ごとつぶやいたことに加筆、修正を加えています。

仕事はどうあるべきか。まだまだ考えることは多そうです。

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■シューカツについて。(9月19日)

就職活動をする学生たちは依然として厳しい状況にあるらしい。100社にエントリーシート(ES)を送っても書類審査だけで撥ねられる学生もいて、自分の価値を疑って凹むような状況にあるという。どういう会社を受けているかということも気になる。著名な企業ばかり受けていれば書類審査さえ通過するのが難しいのは当然だ。

2013年卒業予定の人気企業ランキング(みんなの就職活動日記:楽天株式会社)によると、人気企業の総合ランキングで1位は電通、2位は伊藤忠商事、3位はオリエンタルランド。こうした企業には必然的に応募者が集まるわけで、その企業を受けて落ちて「オレはダメだ」などと考えるのは早急すぎる。

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自己分析や自己アピールを要求されて悩む学生も多いらしい。個人的な考えでは、自分を分析するよりも企業を分析するほうが重要ではないか。本人たちには申し訳ないが、学生時代に学んだことなんて、たかが知れている、直前になって海外に旅行して体験を積んでも鍍金は剥がれる。

面接の場は企業を知る「勉強の場」であると考えたらどうだろう。自分の研究よりも他者、企業の研究に重きを置けば受かった受からないのプレッシャーからすこし解放されるのではないだろうか。結果として内定が取れたら儲けもので、さまざまな企業のひとたちに会ってみる。その経験は貴重なはず。

ぼくらは結果ばかりを求めすぎる。だからプロセスを楽しむ余裕がなくなる。企業に入ってしまえば、新規開拓をする営業の場合はともかく、さまざまな企業の人事担当者に会える機会は少なくなる。さまざまな企業の人事の方とお会いできる就職活動の場は、貴重なチャンスだと考えたほうがいい。視野を広げれば地域の中小企業にも面白い会社はあるかもしれない。


■仕事について。(9月20日)

自分のやりたい仕事を優先すると、企業の求めていることと自分のやりたいことのマッチングの領域が狭まるから、自分に合った仕事がなかなかみつからない。であれば、眼前の仕事をやりたいことに変えてしまったらどうだろう。どんな仕事にも面白さを見出す。雑務を含めてあらゆる仕事も面白い仕事に変えてしまう。そうすれば仕事はもっと楽しくなる。

仕事は金儲けのためと割り切ってもいい。そういう考え方があっても構わない。けれども金儲けのためだから嫌々やるのではつまらなすぎる。金儲けのための仕事であっても楽しみをみつけて、自分のためになることに変えてしまえばいい。どんな雑務にも少なからず学ぶことはある。

「自己実現ではなく社会実現」のために就職をするという考え方を坂口恭平氏が『独立国家のつくりかた』という本で述べていて共感した。自分の眼前にある仕事は社会を変える仕事だろうか。社会をもっとわくわくするもの、便利なもの、あたたかいもの、進化していくものに変えていく。そんな仕事に携わりたい。社会実現の芽はそこにある。


4062881551独立国家のつくりかた (講談社現代新書)
坂口 恭平
講談社 2012-05-18

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仕事が面白くないと愚痴をこぼしたくなるときも確かにある。ただ、愚痴ばかりで何も行動しない毎日は寂しすぎる。もう一度、最初の頃に立ち戻って欲しい。その仕事を選んだのは自分なのだ。その仕事を選ばない自由もあった。自分で選んだ仕事であれば文句は言うべきではない。仕事自体を変えるのも辞めるのも、選択する権利は自分にある。

経済的に余裕があって働かなくても済むような人間は別として、たいていぼくらは何かの仕事をしなければならない。一生のうちの大半を仕事をして過ごす。であれば、その時間を有意義に変えたい。儲けるだけが仕事ではない。ライフワークというように、自分で仕事の領域や目標を決めて「稼がないけれども社会に貢献する仕事」「一生を通じてこれだけはやりきったと言える仕事」も存在するはずである。


■個がアメーバ化する組織。(9月27日)

稲盛和夫氏の『アメーバ経営』を読んだ。わかりやすい言葉で書かれているが、さすが経営者の方々のバイブルである。実践を通して培った自律した組織のノウハウと、「売上を最大にして経費を最小にする」というシンプルな指針が腑に落ちた。これからの組織を考える上でも多くの示唆があった。


4532312957アメーバ経営―ひとりひとりの社員が主役
稲盛 和夫
日本経済新聞社 2006-09

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アメーバ型の組織は営業や製造などの部門が独立採算制を取り、それぞれがひとつの企業として運営されていく。企業全体が細胞分裂して最適な組み合わせを選びながらつながりを模索する。転じて考えた。個人的な考えだが、これからの時代は組織からさらに「個」という細かな単位にアメーバ的活動が求められるのではないか。

「個」がトップと同じビジョンを共有し、企画から製造・販売まで企業全体をひとりで考えられるような自律性をもつこと。歯車として組織の一部を担うのではない。経営者から細胞分裂した経営細胞として社員個人が機能する。大企業では難しいかもしれないが、中小企業ではそんな逸材は重宝されるはずだ。

大前研一氏はPRESIDENT Onlineで構想を実現するためには「パーソン・スペシフィック(人材次第)」であることを強調されている。戦略を実行に移すには「どの人間がやるか」にかかっている。その意味では組織全体で足並みを揃えているのではなく、強力なリーダーが必要になる。

自律した個人は、ばらばらな方向に迷走するのではないかという危惧もあるが、ビジョンを共有していればベクトルは揃うだろう。経営的な視座から仕事をとらえられる社員が増えれば組織の創造性はぐんと高まる。個人が自走できるアメーバであることが、これからの組織に求められる要件ではないだろうか。


■ビジョンとは。(10月6日)

ビジョンという言葉が企業で使われる。目標とする未来の企業の姿、先見性などを指すのだろう。その意義は多岐に渡っている。ジェームズ・C・コリンズ/ジェリー・I・ポラス著『ビジョナリーカンパニー』は永続する卓越した企業の条件として企業の基本理念、ビジョンに注目したすばらしい本だった。


4822740315ビジョナリー・カンパニー ― 時代を超える生存の原則
ジム・コリンズ ジェリー・I. ポラス 山岡 洋一
日経BP社 1995-09-29

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中小企業ではビジョンどころではないかもしれない。いま眼前にある課題を片付け、どうやって厳しい現状を切り抜けていくか精一杯のところが多いだろう。後継者の育成も悩みどころであり、企業のDNAを引き継ぐことができるかどうか、あるいは刷新して活路を見出せるかどうかも後継者の力量で決まる。

大企業では基本理念が整備され、明文化され、共有されているところが多い。しかしながら、社員の一人ひとりに理念が浸透しているかといえば疑問が残る。末端神経ともいえるような企業の隅々にまでビジョンが共有されていなければ、ビジョンは企業全体の大きなベクトルとして立ち上がらない。

中小企業のなかでも、お客様のために役立つ仕事をするであるとか、地元密着型の企業として地域社会の発展に貢献するとか、地球環境の改善に努力するとか、そんなビジョンを掲げた企業には芯の強さを感じる。そうはいっても現実は......ということもあるだろうが、社員の大切な拠り所となる気がする。

視野を拡げて日本全体のビジョンを考える。新しい政治の動きを眺めたとき、そこに日本の新しい未来像を見出すことはできるだろうか。もちろん机上の空論に陥ってはならないが、「構想力」が必要だとおもう。日本が世界のリーダーシップをとっていくためには、ビジョンの構築は欠かせない課題だろう。


■リーダーシップとは。(9月25日)

リーダーは文字通り組織をLeadする(導く)ひとであって、管理者(マネージャー)ではない。よく言われるように日本の社会には優秀な管理者は多いかもしれないが、卓越したリーダーは少ない。ビジョンを語り、進むべき道を示し、ときには反対者をも含めて組織を引っ張るような人材に欠けている。

リーダーは論理的な思考に優れているだけでなく、人間的にも魅力のあるひとがなるべきだろう。自分の周囲3メートルばかりしかみえないひとではなく、もっと高邁な思想を持っているひとがなるべきである。管理者になるのは容易い。役職を与えればいいだけだ。しかし、リーダーになるのは難しい。

協調性を重んじる横並びの文化だからなのか、日本には突出したリーダーがいない。かつて日本は世界に対してリーダーシップを取るべき時代があったにもかかわらず、腰砕けで終わってしまった。政治では明確なリーダーシップを取る人物を輩出できずに、社会は迷走を続けている。リーダー不在は問題だ。

Steve_Jobs_Headshot_2010-CROP.jpgカリスマと呼ばれたリーダーがいる。スティーブ・ジョブズ氏もそうだろうし、日本の松下幸之助氏や稲盛和夫氏もそうだろう。彼等に共通するのは仕事に対して真摯に向き合う姿勢と高い志の両方を備えていたところだ。眼前にある課題を片付けることで精一杯だとしても、視線は遥か遠くを見据えていた。

眼前のものに執着するひとは近い場所に留まるばかりだ。しかし、可能性のある未来に視野を飛翔させるひとは、どこまでも遠くまで行ける。もちろん地に足が着いていなければいけないが、リーダーは「夢を描くひと」でありたい。ひとを動かすのは金儲けだけではない。遥かな志と感動がひとを動かす。

*Photo:Matthew Yohe (talk)(Transfered by fetchcomms/Original uploaded by Matt Yohe)


■自走するためのモチベーション。(9月26日)

「モチベーションが上がらない」ということが言われる。確かに仕事の場では、合理的ではない指示を受けたり面白くない仕事を押し付けられたり、やる気が起きない場合は多々あるだろう。しかしながら、モチベーションは外部の何かによって「上がる」ものではなくみずから「上げる」ものだとおもう。

他者の言葉をきっかけにモチベーションが上がることがあるかもしれないが、原則的に、モチベーションは自発的なものではないか。モチベーションは自分のこころのなかにあるやる気を燃やすエンジンだ。他者から火を点けられるのを待っていなくても、自分で自分のこころに火をつけることはできる。

自分で自分のこころに火を点けることができれば、ぼくらは自走できる。他者から褒め言葉や評価をいただいたり、あるいは目標達成のニンジンをぶら下げられなくても、自分のなかにある原動力で走ることができる。自分のなかにある原動力が確かであるほど、外部環境の影響を受けることは少ない。

自走力の火を他人にも分け与えることができれば、組織を動かすこともできる。それがリーダーシップなのかもしれない。最もわかりやすい自走力の火は給料かもしれないが、わずかな風に吹かれたら消えてしまいそうな火では危うい。強い火を点すこと。リーダーは強い火を他人にも分け与えられる。

冷めた時代だとおもう。夢のような言葉やわずかなご褒美では、ぼくらのこころに火は点かなくなってしまった。停滞する空気を吹き飛ばすような燃料は希少になってしまった。だからこそ自走力が必要である。走らなくてもいい。歩き続ければいい。自律的な自走力のエンジンを内包している人間は強い。

投稿者: birdwing 日時: 23:22 | | トラックバック (0)