09.public visionカテゴリーに投稿されたすべての記事です。

2005年4月 4日

a000773

単なるテクノロジー企業ではない

言霊、というと古臭く聞こえますが、宣言することによってポジションや目指す方向性が明らかになることがあります。

方向性が見えてきたから言葉にするのか、言葉にすると方向性が明らかになるのか、タマゴとニワトリの理屈のようなところもあります。あえて言葉にしないこともある。政治家は自分の身を守るために証拠となる言葉を残さない。あいまいな表現を使って、煙にまくわけです。

自分のことを考えてみても、きちんと目標の数字や具体的な計画を立てないと、いつまでも夢は夢であって実現することがない。ものすごく基本的なことですが、いつまでに何をする、という具体的な方針がないと、リスクはない変わりに何も始まらない。

だから、言葉や数字にすることで、はじめていまいる場所やこれからめざす場所が明確になることが多い。ブログなんかを書いていても、あ、自分ってそういうひとだったんだ、とあらためて気づくことがある。アイデンティティを確立するためには、言葉にすることがいちばんです。

Googleが、3月31日に米証券取引委員会(SEC)に提出した年次報告書の中で、自社のことを定義している記事がありました。テクノロジー企業を超えたものである、というようにも読み取りました。

■我々はもはや単なるテクノロジー企業ではない~米Googleが自社を定義

報告書の中でGoogleは、自社の定義として「我々はテクノロジー企業として始まり、ソフトウェア、テクノロジー、インターネット、広告、メディアが全て1つにまとまった会社へと進化した」と説明している。この業態を実現するためのテクノロジーとして、高度な検索技術、Google AdWordsとAdSenseに見られる広告技術、そして大規模なサービスを実現するためのインフラストラクチャー技術を保有するとしている。

検索という機能と、検索のための技術が核だったと思うのですが、それを超えるキーワードのひとつが「メディア」かもしれません。

Googleは人工知能技術を使ってニュースを自動的に収集表示する「Google News」を公開し、すでに人気のある「ニュースサイト」の1つとなっている。さらに出版社や大学と提携し、入手しうる限りの書籍を検索できるようにする「Google Print」プロジェクトを進めている。また、多くの書き込みがあるニュースグループの「Google Groups」も保有している。その意味で確かにGoogleは「メディア企業」であると言えるだろう。

自社の業務案内を改定していて、3月末にやっと完成したのですが、5年後にも通用する事業領域の「定義」というのはかなり難しい。あまりにもかけ離れた理想の絵ばかり描きすぎると、現場から乖離してしまう。かといって、現状の等身大では広がりがない。発展性に欠けるわけです。

自分たちがどこから来て、どこへ向かおうとしているのか。

ちょっと哲学的ですが、なんのためにわれわれが存在しているのか、という定義は必要ではないでしょうか。企業においても、プライベートにおいても。

数字を達成できれば哲学は不要である、というドライな考え方もあるかもしれませんが、哲学に裏づけされた数字は強い、という気がします。

投稿者: birdwing 日時: 00:00 | | トラックバック (0)

2005年3月31日

a000771

Consumer-generated media

リコメンデーション・エンジン*1、について考えていたのですが、どうも気分がノリません。はっきり言ってしまうとITバブルの後遺症みたいなものじゃないでしょうか。理論先行のアタマでっかちな印象もあります。いやあデータベースが売れればいいんです、というSIの顧客を無視した思惑があるような気もする。

じゃあ、どういう考え方がいいのだろうと考えを巡らせていたところ、Consumer-generated media(CGM:消費者制作メディア)に至りました。

昨年の9月なので、記事としては古いものになりますが、Nikkeibp.jpで織田氏がConsumer-generated mediaの可能性を書かれています。

■Webマーケティングの近未来 第4回~Consumer-generated mediaとマーケティングの現状(その1)

つまり、個人や小さな団体が、ある分野に関して不特定多数の人に対してインフルエンサーとなり、プロモーションしてもらえ、検索エンジンなどを使って見つけてもらえるメディアを持つ環境が出現したと言えるだろう。そして、マスメディアのサイトと、その分野については対等に渡り合える。いや、Intelliseekの調査によると、90%のユーザーは、他の個人の意見に信頼をおいている、ということであるから、個人のブログの方が影響力が強いということが言えるかもしれない。

自分のことを考えても、上記の指摘は納得できます。

実は先週、SNSで足跡を辿ったら映画を監督されている方がいて、サイトをみたところ面白そうなので渋谷のシアター・イメージフォーラムまで観にいってきました*2。こんな「足跡プロモーション」も有りだな、と思いました。地道にビラを撒く作業に似ているのかもしれませんが、振り向いてくれる可能性は高い。

昨日は、やはりある方からインディーズCD+DVDのショートフィルムに出演してアルバムが発売、ということを聞いたので、新宿のHMVでそのアルバムを購入*3。影響されやすいのかもしれませんが(泣)

ひねくれものなので、僕の場合は特殊かもしれませんが、TVなどで「これおすすめです」というものより個人(知人ならさらにOK)が「作った」ものに惹かれる傾向がある。とはいえマスを無視しているわけじゃなくて、結局昨日はインディーズCDといっしょに、店頭でチャート1位の棚に置かれていたニューオーダーの新譜も買ってしまった。へえ、1位なんだ、と思ったことと、視聴したら割合よかったので購入したわけです。

たとえばメディアというのは、大きくなければいけない(=多数に影響を与えなければいけない)というマス発想が前提にあります。企業としてはより多くの利益を追求しなければならないので、多くの消費者に届くこと、購入していただくことは重要です。しかし、まったく違う方向のメディアとなるのが、ブログやSNSという気がしました。

さらに考えを深めていくと、ブログやSNSは、商品についての在り方も変えてしまうかもしれない。

多品種少量生産という顧客重視の発想に基づいたマーケティング手法がかつてありました。これは消費者が欲しいものを細分化して生産する、ということです。私見ですが、次には「欲しいものがないから自分で作っちゃえ」になるのではないか、と。つまり商品や情報を「作り出す」のがメーカーではなく消費者自身になっていくのじゃないかと考えます。行きすぎの考え方かもしれませんが、インディーズや自費出版が進化した形として、消費者がアーティストやジャーナリストになる。P2Pのような流通方法になって、生産者でありながら消費者にもなる。

ブログに関連するメディアの構造については、テクノクラティの佐藤氏のまとめた資料が、非常にわかりやすく参考になりました。

■ブログメディアの構造私論

一昨週の日経新聞に、大手広告代理店がブログ向け広告ビジネスに乗り出すと言う記事が載っていました。それを読んでちょっと「えー!?」と思ったのは僕だけでしょうか?

彼らは既存メディアの既存のやり方でブログをメディアとしてかんがえているのでしょうか?ここにアップした資料はあくまでも私論ですが、数年ブログと言うものに関わってきた経験から感じている事を少しブログメディアの本質って何だ?と言う側面からまとめてみたものです。

佐藤氏はブログを「メディアブログ」「ニッチブログ」「パーソナルブログ」の3つに分類しています

この佐藤氏が別にまとめたブログ動向などを引用しながら、FPNの管理人である徳力氏は以下のような記事を書かれています。

■日記系ブログとmixi日記の力関係はどうなるか?

丁度米国では、「米AOL、10代の若者向けにプライバシー制御機能付きブログサービス」を開始するというニュースもありましたが、今後は「大きな影響をもつブログ」を目指したい人は公開のブログ、「日記系のブログ」で一部の人とコミュニケーションしたい人はmixi日記やAOLのような公開制限のできるブログ、という流れができてくるのかなぁと感じたりします。

非常にわかりやすいと思いました。そして、実際にその通りになっている気がします。ブログ=日記、というイメージは個人的には既になくなりつつあって、コミュニケーションツールだと思っています。だから誰も反応してくれない「日々の独り言」を書いていても続かない、次第にやめてしまうんじゃないだろうか、と思います*4。

さらに付け加えるとすると、いま「心脳マーケティング」という本を読んでいるのですが、この本のなかで、マーケッターはすぐ1か2かという形に分類したがるが、人間の心や世の中の仕組みはそんなにデジタルなものではない、1でも2でもあるという状況がある、というようなことが書かれていました。実際に僕の場合にも、インディーズCDを購入すると同時にヒットチャートの1位も買っている。影響を与えたという意味では、SNSも店頭のPOPも同等なわけです。

とりとめがなくなってきましたが、「個人の閉ざされた日記でありながら、つながっているひとには多大な影響を与える。そのひととつながることがステータスになる」という徳力氏の分類をクロスオーバーしたものも考えられそうです。ちょっと宗教的な感じがして怖いですが。

ともあれ、「マス」と「個人」。「理系」と「文系」。「技術」と「芸術」。

そんな分野を横断した「組み合わせ」に僕は期待しています。


+++++

*1:ECサイトなんかによくある「この商品を買っているひとはこんな商品も買っています」というやつですね。ファーストフード店では「ポテトもいかがですか?」という売り方をしていますが、ファーストフード店の場合、マニュアルにしたがって店員が機械的におすすめしているのに対して、リコメンデーション・エンジンは購買履歴のデータベースからおすすめをチョイスします。おせっかいという意味では、どっちもどっちという気もしますが、参考になることもある。書籍を購入するときなどでは、結構重宝しています。

*2:アナライフという映画です。
http://www.analife.com/

*3:イズミカワソラさんの『Scene Vol.1』です。
http://www.sorasora.com/cd.html

*4:その独り言を5ヶ月も続けているのがこのブログなんですけど。

投稿者: birdwing 日時: 00:00 | | トラックバック (0)

2005年3月30日

a000770

27の桁違い

個人情報保護法の4月からの施行直前に、みずほ銀行が27万人の個人情報を紛失した、というニュースがありました。27万人! 流出しすぎです

■みずほ銀行、27万件の顧客情報を紛失

紛失した資料の多くは専用機がないとデータを読み出せないCOM(フィルムネガのような内部管理資料)やマイクロフィルムであったこと、各店舗で資料が数枚ずつなくなっていたことなどから、誤って廃棄した可能性が高く、外部へ情報が漏洩する可能性はきわめて低いとしている。なお、これまでに顧客からの照会や同行に対する不正要求などは起きていないとのことだ。

信頼がいちばん大事な銀行で、お客さんの情報をそんな風に扱っていたのか、というネガティブなイメージは払拭できません。それが、通常業務では使われていない情報だとしても、です。

PDFで支店別の情報が開示されていました。
http://www.mizuhobank.co.jp/company/release/2005/pdf/news050330.pdf

実は僕もみずほ銀行のユーザーです。

調べてみると自分が預けている支店では問題がなかった。振り込み用の口座で、ほとんどお金も預けていないのですが、ちょっとだけほっとしました。

しかし、ほんとうに紛失したんでしょうか。誰かがこっそりとリスト業者に売ったりしたのでは? 疑いはじめると、どこまでも疑ってしまう。紛失したことを隠しておくのではなくて、情報を開示する姿勢はよいと思うのですが、開示したことによって生じるリスクも大きいですね。

信頼というものは、一度失ってしまったら回復させるのが大変なものだ、ということをあらためて感じました。

ところで、情報流出のトラブルとしては他にどんなものがあっただろう、と検索してみたのですが、以下のような記事をみつけました。
■総務省から個人情報流出 一般募集モニター27人の間で

総務省関東総合通信局は29日、情報通信についての行政施策に反映させるために一般から募集している個人モニター27人分の氏名とインターネットメールアドレスが、対象となったモニター27人の間に流出したと発表した。

同じ27なのですが桁が違います。27万人の個人情報流出というニュースを読んでしまうと、27人ぐらいならまあいいか、と思ってしまう。ほんとうはよくないのですが。

投稿者: birdwing 日時: 00:00 | | トラックバック (0)

2005年3月29日

a000769

命名は難しい。

名は体を現す、といいますが、ブランディングの観点からみてもネーミングは大事です。

というのは別の商品の話だけでなく、子供の名付けも同じ。

僕には2人の息子がいるのですが、1人目の時には命名ソフトで検索しまりでした。ぜったいに女の子が欲しかったので、女の子の名前の候補ばかりを抽出していた。男の子のほうは1つしか考えていなかった。ところが生まれてきたのは男の子だったので、その唯一の名前に決定したわけです。僕と2人の息子ともに、うちの男どもは画数が同じ。漢字は1文字で、左側のつくりは同じ水に関するつくり、ローマ字表記にすると息子たちは同じ文字数と、どうでもいいことにこだわっています。家族の「ブランディング」ですね、これは。

さて。商品の場合には、もう少し面倒なようです。

メディアプレイヤー未搭載版Windowsの名称ですが、欧州委員会から難色を示されて名称が変更されることになりました。

■マイクロソフト、メディアプレイヤー未搭載版Windowsの名称を変更へ

これまでMicrosoftは、この製品の名称を「Windows XP Reduced Media Edition」としたいと考えていた。しかし今回「Windows XP Home Edition N」もしくは「Windows XP Professional Edition N」という名称に変更されることが決まった。

欧州委員会から独占的である、メディアプレイヤー未搭載のWindowsも売りなさい、という指摘を受けて、しょうがないなあという感じで命名した気持ちが「Reduced」という挑戦的な名前に表れている気がしました。「そういうこと言うから外したんでしょ、外したんだからこれでいいじゃん」という。確かにネガティブなイメージはあります。でも、わかりやすいし、機能的にはその通りではないでしょうか。消費者にとってはかえってやさしい気もします。あ、これは入ってないんだ、という。

Microsoftはほかにも、「Windows XP Not Incorporating Windows Media Player」「Windows XP/N」「Windows XP/B」などの名称を提案していた。

名称のかっこよさからすると(安易ですが)「XP/N」の方がよいと思います。でも、混乱を招くかもしれませんね。

以前には、こんな記事もありました。

■Media Player非搭載Windowsの名前は?

命名コンサルタントのローレル・サットン氏は次のように語っている。「そもそもMicrosoftが選んだReduced Media Editionという名称は、明らかにEUに対する大胆な挑戦だった。同社は、劣等の製品であるかのような印象を与えない名称を付けるよう、はっきりと要請されていた」

命名コンサルタント、という職業があるんですね。

同氏によれば、Reduced Media Editionという名称は誤ったメッセージを伝える。「この名称の最大の問題は、メディアプレーヤーを取り除いたバージョンというようには聞こえない点だ。Reduced Mediaという言い方は明らかに、このOSが一部のタイプのメディアを再生できないような印象を与える」と同氏。

それはその通りです。コンサルタントの方としては「Open Media」「Media Player Choice」などがよいだろうとのこと。確かに比べてみると、これなら前向きな感じがします。

でも次のコメントはどうでしょう。

サットン氏は、Microsoftには命名の戦略が欠けているようだと指摘している。OutlookやPowerPointのように、何かを連想させるような興味深い製品名もあるが、WordやOfficeなどの製品名は、いたって基本的で説明的だ。

私見ですが、それがマイクロソフトらしさ、だと思います。

合理的で、ちょっと冷たい印象もある。家で使うと殺伐とした感じもあるけれども、ビジネスソフトなのだから機能的な名称で十分です。基本的で、本質をついているネーミングの方がいい。

ちょっと考えてみると、日本市場向けに「文書作るくん(Word)」「プレゼンおまかせくん(PowerPoint)」と命名されても困ります。

「ちょっと、このプレゼンおまかせくんのさ、グラフ直してくれない?」
「いや、僕のプレゼンおまかせくんはMacのバージョンだから互換性ないですよ。文字崩れちゃいますよ」

などという会話をしていたら、脱力して仕事するのが嫌になっちゃいます(そんなソフトも実際にありそうですが)。

とはいえ、IT音痴の経営者にとっては親しみやすくていいだろうし、楽しいネーミングは日本のオフィスを楽しくしてくれる、のかもしれません。時には遊びも必要です。仕事の潤滑油として。

投稿者: birdwing 日時: 00:00 | | トラックバック (0)

2005年3月28日

a000768

思考するコンピュータ

午前中は会議、そして午後から資料作成、打ち合わせと慌しく動いていました。打ち合わせといっても、創造的な打ち合わせのためには、自分の引き出し(頭のなかのデータベースでしょうか)にある情報にセンサーを走らせてひらめくことが重要になる。結構、集中して臨むのでくたびれます。

先日、判断と決断の違いについて、情報が十分あるところで選択するのが「判断」、情報不十分のところで選択するのが「決断」ということを書きましたが、決断するためには「直感」というのも重要な要素です。確か野口悠紀雄氏の「「超」発想法」にも、最終的に情報を選ぶのは「直感」ということが書いてあった気がします。この「直感」こそが、人間の最も優れた能力である、と。

ところが、本日、IBMが脊椎動物のような思考を持たせる手法を開発、という記事がありました。

■IBM研究者、動物の思考に類似したコンピュータアルゴリズムを開発

IBMのバイオメトリカル・コンピューティングチームのCharles PeckとJames Kozloskiは、「ミニ円柱(minicolumn)」と呼ばれる大脳新皮質の小型円柱組織の働きを真似る数学的モデルを作り出したと発表した。ミニ円柱とは、ニューロン(神経細胞)からの刺激をまとめる組織の細い糸の集合を指す。この研究がさらに進めば、やがてロボットが人間のように「認識」し、センサーから得た情報を利用して適切な判断を行うことになるかもしれない。

従来からAIということは言われています。この、「ミニ円柱(minicolumn)」と呼ばれる大脳新皮質の小型円柱組織の働きを真似る数学的モデル、というのがさすがによくわからないのですが、人間的な認識ができるようにもなるのでしょうか。

自然界にヒントを求めるコンピュータ研究者は過去2年間にますます多くなっている。PalmOneの創業者であるJeff Hawkinsは、人間の脳と同じような思考プロセスを利用するシステムを販売するために新しい会社を立ち上げようとしている。一方、Intel共同創業者のGordon Mooreは先ごろ、新たに設計し直さないかぎり、コンピュータが人間のように思考できる可能性は低いと述べていた。

この最後の部分も面白いと思いました。なんだかSFみたいですが。

投稿者: birdwing 日時: 00:00 | | トラックバック (0)