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2009年11月23日

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空のコラージュ。

空ばかりを眺めていた時期がありました。とおい昔のようでもあり。近い昨日のようでもあり。いろいろなことに行き詰っていた日々でした。無音のなかで耳を澄まして狙いをつけた雲の方角へ矢を射るように。空ばかりを眺めていました。

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締め切った部屋に寝転んで、腕を枕にして、硝子越しに眺めていた空。あるいは歩くことで辛さを忘れようとして、考えごとをしながら見上げた空。ゆっくり雲が移動する日もあれば、灰色に塗りつぶされていたことも。空は同じようで同じではない。まったく雲のない冬の高い空も悪くはありませんでした。青さがまばゆい。いくら眺めていても空は飽きないものです。飽きることがない空。アオゾラ。

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空をデジタルカメラで撮影しようとして立ち止まると、かたわらを通りすぎるひとたちは怪訝な顔をします。そこには何もないので。飛行機雲がきれいな線を引いているときもありました。けれども特別な日だから、特別な対象に向けて、カメラを構えるわけではないでしょう。なんでもない日常だからこそ記録しておきたいこともある。何もない何かをかたちにしておきたい気持ち。それでも空を切り抜くときには細心の注意を払います。同じ青でも空には濃淡がある。一瞬の後には雲のかたちは変わってしまう。繊細なのです。夕暮れ時には特に。

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「あなたが、あんまりソラ、ソラいうものだから。」

そんなにいったっけかなあ、とおもいつつ否定はできませんでした。狭く縮こまったこころを解放するには、空の広さが必要だったので。俯いてばかりいるわけにはいかなかったから、せめて顎を上げていたかった。空にこだわったのは、身体的な姿勢の問題もあったのかもしれません。

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「散歩の途中、空を眺めて歩いてみました。そうしたら、とてもきれいなのでびっくり。それから後、わたしが、きょうの空はきれいだよ、と何度も言うものだから、おばあちゃんまで天気のいい日には、ほら、みてごらん、きれいな空だよ、とわたしを呼び出すようになってしまって。」

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空好きが伝播した、というのは照れくさいけれども、ささやかなよろこびです。空の伝道師として布教するつもりはないのですが、この場所ともつながっている空が、すこしだけ他のひとにもつながるのであれば、空について語りがいがある。

「空について教えてくれて、ありがとう。」

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こちらこそ。むしろ感謝するのはこちらのほうです。気象天文に詳しいわけでもなく、風景写真のプロでもなく、ときには空虚さを埋めようとして、あるいは青ければ青いほどかなしい気持ちになって、空を写真におさめていただけだというのに。感謝されるなんて、そんな。

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高い場所は風が滞り、低い場所では風が強い日には、速度の違う雲の動きがまるでスライドのように、ひとびとを楽しませてくれます。グラウンドのような場所に佇むと、地上を飛び去っていく雲の影をみることもできる。雲のかたちはさまざまで、いきものや無機質な何かの輪郭を連想させます。雲が太陽を隠すとき、光の濃淡が天上をおもわせるような影をつくることもあります。そうそう。機上から見下ろした雲の連なりは、ひとつの芸術でした。

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空にまつわる、ささやかなはなし。

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語り得ぬものの上で、空は今日も寡黙に拡がっているばかり。

投稿者: birdwing 日時: 07:02 | | コメント (2) | トラックバック (0)

2009年11月14日

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パラノイアの読書、音楽観賞の軌跡。

外は雨降り。窓に雨粒の当たる音がきこえています。ぶるぶる。寒くないですか。あったかくしてくださいね。急速に冷え込んだ11月。ぼくも身体をほかほかにしようと何度もあたたかい飲み物を摂取しています。青い縞のはんてんを着ているので、まるで浪人生のようです。それにしてもキッチンでカフェオレを飲みすぎました。カフェイン過剰気味なアタマで、1年を振り返っています。

12月まであとわずか。もう1年を振り返る時期になったんですね。はやいものです。今年は夏をはしょって秋になったような気がしています。いろいろと後悔もありますが、いまのところの後悔は・・・さっきのカフェオレに袋入りのシュガーをあんなに入れなきゃよかった、ってことかなあ。まあいいか。

スキゾ・パラノということばがありました。

1980年代の流行語です。ポスト構造主義的な用語で、使い始めた浅田彰さんは第一回新語・流行語大賞新語部門銅賞を獲得しました。

簡単に述べると、パラノ(パラノイア:偏執型)人間というのは、ひとつのことに執着してこだわる一途な人たち。一方で、スキゾ(スキゾフレニー:分裂型)人間は、多数のことに関心を抱く浮気ものです。

2つの型によって、時代の兆候をとらえようとしていました。パラノからスキゾへ。ひとところに定住する農耕民族的な在り方ではなく、狩猟民族的に、フットワークを軽く、さまざまな新しい情報や知に飛びついていく。安住を拒絶して"逃走"する姿勢が望ましい、というような思想が、80年代にはもてはやされていたように記憶しています。自分なりの解釈ですが。

ところで今年の自分を考えると、パラノイア(偏執型)の傾向にありました。

ひとりの作家に執着して本を読む。ジャンルを絞り込んで音楽を聴く。もともとはスキゾ型で、関心のあるものを雑多に漁るタイプであり、いまでもその傾向はみられるのですが、今年はやや方向性が変わりました。アンテナを水平に拡げて、さまざまなものをキャッチするのではなく、垂直志向なのです。目的の石をみつけたら、ここ掘れ、わんわんという感じ。そもそも自分をみつめて、自分の内面を深堀りしていくことを心がけたい、と年頭に宣言したこともありました。

「垂直に読む」というエントリで、中島義道さんの本ばかり読んでいることを紹介しましたが、実はそれ以降も彼の全著作を読破する勢いで読んでいます。もうすこし広い範囲では、哲学に関する本に目を向けるようになりました。

音楽鑑賞では、以前は、エレクトロニカや洋楽のインディーズが中心でしたが、このところ聴いている音楽は、クラシック音楽の3B(バッハ、ベートーベン、ブラームス)のうちの2B(鉛筆みたいだ)のバッハとブラームスばかりです。どうしてこんなに狭い趣味になっちゃったかな、とおもうときもありますが、その鋭角的な趣味が楽しい。

ほんとうはひとつひとつの作品の感想を書きたいのですが、大量に読了したり観賞して怠惰に放り出していたので手が負えません。そこで、読了・観賞した順に、6月から11月まで読んだ本と観賞したCDを時系列で並べてみます。

列記してみて面白かったのは、パラノ型のこだわりが途中で解体して、別のジャンルの小説などが入り込んでいることでした。リストなので読まれる方はつまらないかもしれないのですが、自分のための備忘録としてまとめておきます。


******** Book ********

中島義道さんの本は、哲学書/対話型読み物/エッセイの3つのカテゴリーに分けられるのではないでしょうか。

哲学書はカントに関するものが中心で、かなり手強い。しかし、「カントの人間学」では、社交的でありながら変人ともいえるカントのエピソードが面白く描かれていて、さらにそれが中島義道さんご本人のイメージに重なるため、楽しめました。「哲学の教科書」では、掲載されていた推薦本のうち何冊かを読み、読書の幅を拡げることができました。対話型読み物は、人生論の格闘技のような感じ。「生きるのも死ぬのもイヤなきみへ」「「哲学実技」のすすめ―そして誰もいなくなった・・・」などは、哲学のボクシングという印象で緊迫感があります。エッセイは、なんとなく坂口安吾をおもわせる無頼派な文章が心地よい。ただ、文化騒音の問題はやりすぎです。「ぐれる!」は面白すぎます。

哲学系では、中島義道さんの本に引用されている作家をピックアップし、大森正蔵さん、永井均さんの本を探して読みました。大森正蔵さんのことばは、ホンモノの哲学のことばとして重いのですが、なぜかふわっとした雰囲気を感じます。独特の哲学の匂いを持っていらっしゃる方だな、と感じました。逆に永井均さんの「<子ども>のための哲学」は、童心に戻ってわくわくしました。そうそう!そういうことを少年時代に考えていて両親にも理解してもらえなかったんだけど、オトナになると忘れちゃうんだよね、という風に。培養液のなかの脳が世界である、のような発想は、まさに映画「マトリックス」につながるSF的な発想ですが、そんなことを真剣に考えるのも哲学である、それが<私>を考えることにつながるという指摘には、ほーそれでいいんだと感心しました。

その他の本では、共感覚者の岩崎純一さんの「音に色が見える世界」は凄い!!共感覚が実際にどうみえているか(文字や音に色がみえる、女性の生理周期さえみえてしまう)という事実にも驚愕しましたが、科学というよりも文化論、哲学として、なぜわれわれが日本語を失ってはいけないか、ということ痛感することができました。実はブログでも何度か共感覚については触れています。残念ながらぼくは共感覚者ではないのですが、絶対音感や共感覚があればいいのに、とおもっています。これらのテーマについてはきちんと一度、考えたことをまとめてみたいとおもっています。

さらに、「音に色が見える世界」のなかで著者に薦められて読んだ「風姿花伝」に感動。古文ではなく現代語訳というのが若干(国文学科卒業の自分としては)恥ずかしいところではありますが、カントもウィトゲンシュタインもいいけれど、こんなにすばらしい文芸論、哲学が日本にあったんじゃないか、と新鮮な気持ちになりました。

※中島義道さんの著作は■です。それ以外の著作は□を付けました。

■6月25日読了

4061492934時間を哲学する―過去はどこへ行ったのか (講談社現代新書)
講談社 1996-03

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■6月28日読了

4043496060どうせ死んでしまうのに、なぜいま死んではいけないのか? (角川文庫)
角川グループパブリッシング 2008-11-22

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■6月30日読了

456969361X「人間嫌い」のルール (PHP新書)
PHP研究所 2007-07-14

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■7月9日読了

4101467250カイン―自分の「弱さ」に悩むきみへ (新潮文庫)
新潮社 2005-07

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■7月12日読了

4480424121人生を「半分」降りる―哲学的生き方のすすめ (ちくま文庫)
筑摩書房 2008-01-09

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■7月13日読了

4061594818哲学の教科書 (講談社学術文庫)
講談社 2001-04

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■7月24日読了

4043496036生きにくい...―私は哲学病。 (角川文庫)
角川書店 2004-12

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■7月25日読了

456955847X「対話」のない社会―思いやりと優しさが圧殺するもの (PHP新書)
PHP研究所 1997-10

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■8月1日読了

4480423060たまたま地上にぼくは生まれた (ちくま文庫)
筑摩書房 2007-01

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■8月2日読了

4043496052ひとを愛することができない―マイナスのナルシスの告白 (角川文庫)
角川書店 2007-02

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□8月2日読了 村上陽一郎

4101375518あらためて教養とは (新潮文庫)
新潮社 2009-03-28

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■8月3日読了

4043496044怒る技術 (角川文庫)
角川書店 2006-03

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■8月6日読了

4309409598後悔と自責の哲学 (河出文庫 な 24-1)
河出書房新社 2009-05-30

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■8月9日読了

4569771068やっぱり、人はわかりあえない (PHP新書)
PHP研究所 2009-07-16

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□8月11日読了 大森荘蔵, 坂本龍一

4480090541音を視る、時を聴く哲学講義 (ちくま学芸文庫)
筑摩書房 2007-04

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■8月12日読了

4043496079生きるのも死ぬのもイヤなきみへ (角川文庫)
角川グループパブリッシング 2009-03-25

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■8月13日読了

448042105X日本人を<半分>降りる (ちくま文庫)
筑摩書房 2005-06-08

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□8月15日読了 茂木健一郎

4480422188生きて死ぬ私 (ちくま文庫)
筑摩書房 2006-05

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□8月15日読了 サン=テグジュペリ, 内藤濯

4001140012星の王子さま (岩波少年文庫 (001))
内藤 濯
岩波書店 2000-06

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■8月16日読了

4061493833カントの人間学 (講談社現代新書)
講談社 1997-12

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■8月21日読了

4047040010「哲学実技」のすすめ―そして誰もいなくなった・・・ (角川oneテーマ21 (C-1))
角川書店 2000-12-01

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□8月21日読了 池田信夫

456969991Xハイエク 知識社会の自由主義 (PHP新書)
PHP研究所 2008-08-19

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□8月29日読了 マッテオ・モッテルリーニ

4314010541世界は感情で動く (行動経済学からみる脳のトラップ)
泉 典子
紀伊國屋書店 2009-01-21

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□8月29日読了 荻上チキ

4062879980社会的な身体~振る舞い・運動・お笑い・ゲーム (講談社現代新書)
講談社 2009-06-18

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■9月1日読了

4480086838時間論 (ちくま学芸文庫)
筑摩書房 2002-02

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■9月8日読了

4106100096ぐれる! (新潮新書)
新潮社 2003-04-10

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■9月9日読了

4121009568ウィーン愛憎―ヨーロッパ精神との格闘 (中公新書)
中央公論社 1990-01

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□9月12日読了  エーリッヒ・フロム

4488006515自由からの逃走 新版
東京創元社 1965-12

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□9月13日読了  村上春樹

41035342221Q84 BOOK 1
新潮社 2009-05-29

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□9月16日読了  村上春樹

41035342301Q84 BOOK 2
新潮社 2009-05-29

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□9月16日読了  香山リカ

4344981324しがみつかない生き方―「ふつうの幸せ」を手に入れる10のルール (幻冬舎新書)
幻冬舎 2009-07

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□9月17日読了  養老孟司, 久石譲

4047102059耳で考える ――脳は名曲を欲する (角川oneテーマ21 A 105)
角川書店(角川グループパブリッシング) 2009-09-10

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□9月19日読了 大森正蔵

4782800150流れとよどみ―哲学断章
産業図書 1981-05-12

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■9月21日読了

4121017706続・ウィーン愛憎―ヨーロッパ、家族、そして私 (中公新書)
中央公論新社 2004-10

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■9月22日読了

4480064273カントの読み方 (ちくま新書)
筑摩書房 2008-09

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□9月23日読了 ラ・ロシュフコー

4003251016ラ・ロシュフコー箴言集 (岩波文庫)
二宮 フサ
岩波書店 1989-12

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■9月25日読了

406159396X時間と自由―カント解釈の冒険 (講談社学術文庫)
講談社 1999-09

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□9月26日読了 ひさうちみちお

479666596Xイラスト西洋哲学史(上) (宝島社文庫)
ひさうち みちお
宝島社 2008-09-03

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□9月26日読了

4101499012ブラームス (新潮文庫―カラー版作曲家の生涯)
新潮社 1986-12

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□9月26日読了

4101397015バッハ (新潮文庫―カラー版作曲家の生涯)
新潮社 1985-04

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□9月29日読了 ナシーム・ニコラス・タレブ

4478001251ブラック・スワン[上]―不確実性とリスクの本質
望月 衛
ダイヤモンド社 2009-06-19

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□10月1日読了 ナシーム・ニコラス・タレブ

4478008884ブラック・スワン[下]―不確実性とリスクの本質
望月 衛
ダイヤモンド社 2009-06-19

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□10月3日読了 スティーブンピンカー

4140911301思考する言語〈上〉―「ことばの意味」から人間性に迫る (NHKブックス)
Steven Pinker
日本放送出版協会 2009-03

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□10月6日読了 ひさうちみちお

4796665986イラスト西洋哲学史(下) (宝島社文庫)
ひさうち みちお
宝島社 2008-09-03

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□10月7日読了 ポール・オースター

4560071314最後の物たちの国で (白水Uブックス―海外小説の誘惑)
Paul Auster
白水社 1999-07

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□10月15日読了 岩崎純一

4569771092音に色が見える世界 (PHP新書)
PHP研究所 2009-09-16

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□10月17日読了 川上弘美

4167631067真鶴 (文春文庫)
文藝春秋 2009-10-09

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□10月17日読了 向井周太郎

4122050537生とデザイン―かたちの詩学〈1〉 (中公文庫)
中央公論新社 2008-09

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□10月18日読了 永井均

4061493019<子ども>のための哲学 講談社現代新書―ジュネス
講談社 1996-05-20

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□10月26日読了 永井均

4480056203ウィトゲンシュタイン入門 (ちくま新書)
筑摩書房 1995-01

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□10月28日読了 東野圭吾

4167110075探偵ガリレオ (文春文庫)
文藝春秋 2002-02-10

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□11月3日読了 永井均

4326151765<私>のメタフィジックス
勁草書房 1986-09

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□11月4日読了 世阿弥, 水野聡

4569641172現代語訳 風姿花伝
水野 聡
PHPエディターズグループ 2005-01

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□11月6日読了 佐々木正人

4061598635アフォーダンス入門――知性はどこに生まれるか (講談社学術文庫 1863)
講談社 2008-03-10

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□11月12日読了 永井均

4480090924翔太と猫のインサイトの夏休み―哲学的諸問題へのいざない (ちくま学芸文庫)
筑摩書房 2007-08

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******** Music ********

硬質的なバッハばかりを聴いていた時期を経過し、ブラームスを聴きはじめたとき、自分のなかで何かが変わった気がしました。情緒的なものというか、あたたかさというか。そうするとなぜかバッハ的なものに馴染めない。なんでしょうね。繊細な何かがそこにあるような。

バッハに関していえば、グールドとリヒテルの演奏が違うことにも驚いたのですが、チェロでカザルスとフルニエの演奏の違いにもびっくりしました。最初にフルニエの演奏に親しんでいたぼくは、カザルスの無伴奏チェロ組曲を聴いてぶっとんだ。古い時代の録音のせいもあるかもしれませんが、フルニエがイージーリスニングだとすると、カザルスはロックのような気がする。なんだろう、このラフな演奏は!とおもった。最初はどちらかというと不快だったのですが、聴いているうちに馴染んできて、これがバッハだ、とおもえるから不思議なものです。

ぼくはどうやら全般的に室内楽が好きなようです。したがって、オーケストラによる交響曲は、なんだか落ち着かない。ティンパニで、どこどこどこどこどぉーん、とやられると、およよよよよよよぅ、と不安になってしまう。アマデウス弦楽四重奏団の弦楽五重奏曲、スークトリオのピアノ三重奏曲、ウィーン室内合奏団のクラリネット五重奏曲は癒されます。特にクラリネット五重奏曲ロ短調作品115のはじまりは、ジュゼッペ・トルナトーレ監督の世界ですね。牧歌的な風景が目にみえます。逆に弦楽四重奏曲はいまひとつ。曲自体が好みではありません。アファナシエフのピアノも、ぼくには馴染めませんでした(グールドのほうがいい)。

ブラームスの室内楽は全体的に、導入部分というか曲のはじまりが美しくて、うっとりします。うまく言えないのですが、ああこれこれ、これなんだよう、というブラームスらしい甘さがあり、だからこそ何度もはじめから聴き直してしまいます。

ちなみに一枚だけクラシックではないアルバムがあります。エリック・モングレインの「イクイブリアム」で、これはアコースティックギターです。タッピング奏法という弦を打楽器のように叩く演奏で、ハーモニクスなども混じってきらきらときれいな音が出ます。しかし、結構神経が苛立っているときには、落ち着かない音楽でもあります(個人に拠るのでしょう)。このひとのことは、以前、ブログにも書きました。


■6月10日 グールド(グレン), バッハ

B001FOSK20バッハ:ゴールドベルク変奏曲(1981年録音)
グールド(グレン)
SMJ(SME)(M) 2008-11-19

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■6月10日 エリック・モングレイン

B001TK8W0Kイクイブリアム(初回生産限定盤Blu-specCD)(DVD付)
エリック・モングレイン
ドリーミュージック 2009-05-13

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■6月25日  J.S. Bach, Sviatoslav Richter

B000026OHNWell-Tempered Clavier
RCA 1994-03-01

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■6月28日 グールド(グレン), バッハ

B001FOSK1Gリトル・バッハ・ブック
グールド(グレン)
SMJ(SME)(M) 2008-11-19

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■7月20日 ハーン(ヒラリー), バッハ

B001FOSKBGヒラリー・ハーン デビュー! バッハ:シャコンヌ
ハーン(ヒラリー)
SMJ(SME)(M) 2008-11-19

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■8月1日 リヒター(カール), バッハ, ミュンヘン・バッハ管弦楽団

B000I0S8HOバッハ:管弦楽組曲第2番&第3番
リヒター(カール)
ユニバーサル ミュージック クラシック 2006-11-08

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■8月2日 ミュンヘン・バッハ管弦楽団リヒター(カール), 

B000M5B9GMバッハ:ブランデンブルク協奏曲第1~4番&第6番
バッハ ミュンヘン・バッハ管弦楽団 リヒター(カール)
ユニバーサル ミュージック クラシック 2007-02-28

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■8月8日 グールド(グレン), J.S.バッハ

B001FOSK2Aバッハ:インヴェンションとシンフォニア/イギリス組曲第1番
グールド(グレン)
SMJ(SME)(M) 2008-11-19

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■8月14日 フルニエ(ピエール), バッハ

B000M5B9MGバッハ:無伴奏チェロ組曲第1番&第3番&第5番
フルニエ(ピエール)
ユニバーサル ミュージック クラシック 2007-02-28

by G-Tools

■8月29日 シェリング(ヘンリク), バッハ

B000I0S8NSバッハ:無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ全曲
シェリング(ヘンリク)
ユニバーサル ミュージック クラシック 2006-11-08

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■9月14日 カザルス(パブロ), バッハ

B000PDZPJ8バッハ:無伴奏チェロ組曲(全曲)
カザルス(パブロ)
TOSHIBA-EMI LIMITED(TO)(M) 2007-06-20

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■9月18日  アマデウス弦楽四重奏団

B000I0S8WYブラームス:弦楽六重奏曲集
アマデウス弦楽四重奏団
ユニバーサル ミュージック クラシック 2006-11-08

by G-Tools

■9月25日  ジュリーニ(カルロ・マリア),

B000I0S8DSブラームス:交響曲第1番
ジュリーニ(カルロ・マリア)
ユニバーサル ミュージック クラシック 2006-11-08

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■10月3日 アマデウス弦楽四重奏団

B00024Z8P6ブラームス:弦楽五重奏曲1&2
アマデウス弦楽四重奏団
ユニバーサル ミュージック クラシック 2004-06-30

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■10月9日  スーク・トリオ

B000BU6P7Qブラームス:ピアノ三重奏曲第1番&第2番&第3番
スーク・トリオ
コロムビアミュージックエンタテインメント 2005-12-21

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■10月16日 プリンツ(アルフレート)

B00018H08Gブラームス:クラリネット五重奏曲
プリンツ(アルフレート)
コロムビアミュージックエンタテインメント 2004-03-24

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■10月16日 アファナシエフ(ヴァレリー)

B00008BDFCブラームス:ピアノ作品集
アファナシエフ(ヴァレリー)
コロムビアミュージックエンタテインメント 2003-03-26

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■10月31日

B000JVS3QSブラームス:弦楽四重奏曲全集
プラハ弦楽四重奏団
コロムビアミュージックエンタテインメント 2006-12-20

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■11月11日

B000PGTE88ブラームス:ドイツ・レクイエム
クレンペラー(オットー)
TOSHIBA-EMI LIMITED(TO)(M) 2007-08-22

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投稿者: birdwing 日時: 01:09 | | トラックバック (0)

2009年9月27日

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音楽という、ことば。

秋です。大気の粒子の組成が変わったような気がしました。空が高くなりました(今日は曇り空だけれど)。先日、秋の空を見上げていたら上空にあるうっすら霞んだ雲と、地上から近い場所にぽっかりと浮かんだ雲の動くスピードが違っていました。高度によって吹く風の強さが違うのでしょう。前景と背景のように移り変わる雲のパースペクティブを眺めるのは、なかなか楽しいものです。そんな雲を眺めながら、あいかわらず読書とクラシック観賞の毎日です。

19世紀後半、ピアニストであり指揮者でもあったハンス・フォン・ビューローは、偉大な音楽家として「3B」を挙げたそうです。

つまり、バッハ、ベートーヴェン、ブラームスの3人のこと。このところバッハをよく聴いていたのですが、3Bのベートーヴェンを通りこして、最近ブラームスをよく聴くようになりました。ブラームスは、初秋の雰囲気に合っているようなので。

バッハについては、ヒラリー・ハーンのパルティータ、パブロ・カザルスの無伴奏チェロ組曲などをよく聴いていました。ところが美しい旋律なのだけれど、耳が馴染んでしまうと叙情的な感覚が薄れていきます。そこで、なんとなくブラームスに浮気ごころが(笑)。というのも、先日読み終えた、養老孟司さんと久石譲さんの対談による「耳で考える」という本のあとがきで、久石譲さんが次のように書かれていたからです。この影響もありました。

余談になるが最も感性と理性で引き裂かれた作曲家は「ブラームス」だった。ベートーヴェンを崇拝してやまない理性と最もロマン派だった感性で引き裂かれた男、「ブラームス」。それがもっとも人間的であるために多くの人に楽曲が愛されているのだろう。いつか必ずコンサートで演奏したいと思っている。

この「耳で考える」という本、なかなか面白かった。科学者と音楽家の対談でいちばん秀逸だったのは、茂木健一郎さんと江村哲二さんの「音楽を「考える」」ですが、その本を彷彿とさせる印象がありました(ええと、二番煎じだったりするのかもしれないのだけれども)。また、80年代に書かれた古い本とはいえ、哲学者の大森正蔵さんとミュージシャン坂本龍一さんの「音を視る、時を聴く」も、哲学的な思索に耽るにはよい書物です。この本をきっかけとして、最近では大森正蔵さんの哲学書も読んでいます。


4047102059耳で考える ――脳は名曲を欲する (角川oneテーマ21 A 105)
角川書店(角川グループパブリッシング) 2009-09-10

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ちなみに、余談なのだけれど、この本のなかで興味深く読んだのは、鳥が「絶対音感」をもっているということでした。絶対音感はWikipediaによると、「基準となる他の音の助けを借りずに音の高さ(音高)を音名で把握することのできる感覚」だそうです。久石譲さんは、脳的には絶対音感は「聴覚野」ではなくて「言語野」で認識しているというお話をされています。以下を引用します(P.152)。

久石 僕は「絶対音感」はないんです。
何が鳴ってもこれは「ラ」だとか「シ」だと音がわかってしまうのが絶対音感ですが、三歳前後の時に徹底して鍛えると、言葉を覚えるのと同じように音を覚えて絶対音感が身につくといわれているんです。そこで面白いのが、絶対音感というのは、どうやら「聴覚野」ではなくて「言語野」で覚えているらしいんですね。それで音楽を聴いても、言語野と聴覚野が両方きっちり動くという話があるんです。
養老 そこは、ちゃんと調べてみると面白いと思います。
鳥だけでなく、動物は根本的に絶対音感があるんです。実験してみるとわかる。

絶対音感は、音を「ことば」として認識することなのかな、と考えました。となると、鳥が歌うのは絶対音感によることばを発していることに他ならない。オリヴィエ・メシアンという作曲家は、絶対音感の持ち主であると同時に、鳥の音型を採集して楽譜にしていたようです(P.154)。

久石 さっき話をしたメシアンという作曲家は絶対音感の持ち主だったんですが、世界中の鳥の声を採集してその音型を譜面にしたり、その行動にも精通したりして、もう地球上で最高の音楽家は鳥なんだ、という極論に行くんです。

ブログで鳥に関連するハンドルを使いつつ、DTMで曲も作っている自分としては実に興味深い。さらにメシアンは、絶対音感とともに共感覚の持ち主でもあり、音を聴くと色彩や模様などを連想したそうです(Wikipediaの記事)。

さて、ブラームスといえば、ロストロボーヴィッチのチェロ・ソナタ第1番・第2番、グールドの間奏曲集は数年前からのお気に入りなのですが、他のCDも欲しくなりました。しかし、どちらかというと交響曲より室内楽のほうが好みです。そんなわけで、あまり前提の知識もなくCDショップで選んだのは、アマデウス弦楽四重奏団の弦楽6重奏曲第1番・第2番でした。


B000I0S8WYブラームス:弦楽六重奏曲集
アマデウス弦楽四重奏団
ユニバーサル ミュージック クラシック 2006-11-08

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弦楽6重奏という演奏形態はあまりきいたことがありません。ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロそれぞれが2人ずつの構成のようです。

第2番を聴いていたところ、中盤あたりから突然くっきりとして他とは浮いた旋律が繰り返されることに気づきました。何だろうなあこれは、のように漠然と、どちらかといえば最初は耳障りに感じていたのですが、ライナーノーツを読んだところ、失恋した相手アガーテ・フォン・ジーボルトの名前を音型化したらしい。「アガーテ音型」として有名とのこと。つまり、彼女の名前を音化したわけです。

うーむ、やるなーブラームス(笑)。クラシック初心者の自分としては、はじめてこのエピソードを知りました。失恋した相手の名前を永遠に楽曲に閉じこめるのは未練がましい気もするし、なんとなく引いてしまうような青臭さもあるのだけれど、個人的には、こういう隠しワザ好きです。暗号に似ていて楽しい。

もっと詳しくブラームスのことを知りたくなり、Amazonで次の本を頼んじゃいました。新潮文庫の「カラー版 作曲家の生涯」シリーズの1冊です。


4101499012ブラームス (新潮文庫―カラー版作曲家の生涯)
新潮社 1986-12

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この本がとてもよかった。著者、三宅幸夫さんの文章やまとめ方のうまさにも拠るとはおもうのですが、ブラームスの生涯がドラマティックに描かれています。フィクションよりも面白い。カラーによる美しい風景写真や、スケッチ、石版画、自筆の譜や交友のあった作曲家などのセピア色のポートレートまであって、552円(税別)はおトクすぎる(ちなみにバッハも購入したのですが、こちらは残念ながら、つまらなかったです。涙)。

問題のアガーテ音型は、楽譜で次のように紹介されています。

090927_agathe_re.jpg

彼女の肖像はこんな感じ。

090927_agathe2_re.jpg

好みはひとそれぞれ、時代にもよる、ということで(苦笑)。

婚約指輪まで交わしたそうですが、もともとブラームスは精神を病んで亡くなったシューマンの未亡人であるクララをずっと愛していた。アガーテとふたりのところにクララもやって来たのですが、ふたりが恋愛関係にあることに気づいて、すぐに立ち去ったといいます。

婚約を公表する段階になって仲を引き裂いたのは、ブラームスの書いた1通の手紙だったようです。引用します(P.60)。

僕は貴女を愛しています。もう一度お目にかからなければなりません。しかし、僕は束縛されるわけにはいかないのです。貴女を僕の腕に抱き、口づけし、貴女を愛しますと言うために、戻っていくべきかどうか、すぐにお返事をください。

余計なことは、書かなきゃいいのに(苦笑)。でも、書いてしまうんですよね。

この手紙でブラームスが踏んだ地雷は2つあって、ひとつは、彼女そして結婚が重荷(=束縛)であることを明言したこと、そしてもうひとつは、自分が決断すべき結婚の判断を彼女に委ねてしまったことです。優柔不断な気の弱さが感じられて、確かにこれは男らしくない。大学教授の娘であり、プライドの高いアガーテは、この手紙をきっかけにきっぱりと関係を断ってしまったそうです。

惚れっぽいのですが、ぶすっと無愛想で、自分の過去の作品を破り捨ててしまうぐらい自己批判の強く、気難しいブラームス。彼は結局のところ、生涯を独身で過ごします。額が広く、真っ白な髭をたくわえて恰幅のいい晩年の彼の肖像をみると、かっこいいなあ、とおもうのですが、不器用だった恋愛遍歴などを知ると、なんだかとても親しみを感じますね。

そんな生涯を知って、あらためて音楽を聴き直すと、印象もわずかばかり変わります。音が豊かになります。アガーテの名前を曲のなかに織り込んだ弦楽6重奏曲をYouTubeから引用してみます。3:11あたりに出てくるのが、アガーテ音型でしょう。

Johannes Brahms: String Sextet No.2 in G Major Mov.1 Part 1

絶対音感を持つ鳥にとって、鳴き声のメロディはことばであるように、たとえ歌詞がなかったとしても、音楽家にとっては"音"が"ことば"です。ワーグナーのような歌劇は作らなかったけれど、ブラームスの音を通して、彼が眺めていた風景を(心象風景も含めて)みることができるような気がします。

弦楽6重奏曲第1番の第2楽章にも、終盤部分で、とてもやさしくてやわらかくて、川の水面で踊る光のような木漏れ日のような美しい音があり、どうすればこんなに美しい"音=ことば"を紡ぎ出せるのだろう、と感嘆することしきりです。

作家の生涯も含めて、また作品として紡がれた音にも耳を澄ましながら、ゆっくりと音楽を聴いていきたいと考えています。そうして作品の背後にある人間性に触れたとき、音に託されたことばの意味も変わるだろうし、伝わる。何よりもその人が作り上げた音楽に親近感がもてます。

時代や空間を隔てていたとしても、音=ことばで誰かを好きになれるということは、とても素敵なことではないでしょうか。ブラームスの伝記を読んで、以前よりも彼の音楽に惹かれるようになりました。実際には寡黙で気難しい男だったかもしれませんが、作品のなかのことば(音)は饒舌です。彼のことば(音)にもっと触れたくなりました。

投稿者: birdwing 日時: 12:11 | | トラックバック (0)

2009年8月30日

a001110

感覚、理論はジャンルを超えて。

気がつけばもう8月も終わり。いつもは田舎で夏休みを過ごすのですが、今年は東京で過ごしました。東京の夏は、暑いのだけれど夏ではないような季節感に欠ける夏のようにおもいます。そんな感想を抱いてしまうのは、芯からぼくが田舎もののせいかもしれません。お盆の期間には、送り火や迎え火、線香の匂い、なす馬やほうずきの飾られたお盆ならではの風景を懐かしく思い浮かべました。甚平や浴衣に花火もいいなあ(遠い目)。

最近、聴いている音楽はやっぱりバッハです。この偏向ぶりはいかがなものかと疑問ですが、もう数ヶ月あまり、かけているCDはなぜかバッハ。さすがに飽きて違う音楽にも関心を広げはじめましたが、この夏はバッハ三昧でした。

彼の作品にブランデンブルグ協奏曲という曲があります。宮廷音楽らしい優雅さがある曲です。けれどもぼくは、なんとなくもこもこした積乱雲をイメージします。たとえば第1番の第3楽章。

■Bach Brandenburg Concerto No. 1 in F major, BWV 1046 3. Allegro

ホルンの旋律がふわふわした青空に浮かぶ、入道雲のように聴こえませんか。検証すべく積乱雲の写真を撮影しようとおもったのですが、残念ながら撮れませんでした。そこで散歩の途中にスナップした夏の空を掲載しておきます。

090830_sora.jpg

ブランデンブルグ協奏曲は全部で6曲あります。つづけて聴きながら昼寝をしていて、朦朧とした現実とも夢とも境界のない意識のなかで、うおお?とトリップしかけたのは第6番第1楽章でした。

追いかけてくる旋律がディレイを効かせた音のような気がする。なんだかエレクトロニカっぽい。あれ、いまエレクトロニカ聴いてたっけ?、バロックじゃなかったっけ?と、半覚醒のうつろな意識化でトランス状態になりました。

■Bach: Brandenburg concerto no. 6 in B flat major (BWV 1051)

相変わらず平均律も全巻聴いています。リヒテルのピアノ演奏による平均律を聴きつつ、積んだままの未読の本の山から一冊読んでみようかなと抜き取ってみたところ、手にしたのは菊地成孔さん・大谷能生さんの「東京大学のアルバート・アイラー」という文庫でした。2冊ありますが歴史編のほうです。


4167753537東京大学のアルバート・アイラー―東大ジャズ講義録・歴史編 (文春文庫)
文藝春秋 2009-03-10

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放置していたのですが、偶然にも、のっけからこの本は平均律のお話なのでした。東京大学教養学部で実際に行われた講義録で、2004年4月15日の第一回の講義タイトルは「十二音平均律→バークリー・メソッド→MIDIを経由する近・現代商業音楽史」。なるほど。面白そう。

十二音平均律/バークリー・メソッド/MIDIはそれぞれ調律の仕方、ジャズの音楽理論、デジタル機器の統一規格の技術なのですが、ここで菊地成孔さんは歴史を俯瞰して、いずれもオンガクを記号化するための体系としてとらえられています。クラシックからジャズ、そしてテクノまで俯瞰する発想に斬新さを感じました。読んで、そうか!と刺激されたのは、

オンガクは記号化されることで「ポップ」になる

ということでした。そこでMIDIはとりあえず置いておいて、十二音平均律/バークリー・メソッドについて書かれた内容をまとめてみます。

まずは、あらためて平均律。なんだろーなーと無知なぼくは意味もわからずに、そのことばの響きに惹かれていたのだけれど、Wikipediaで調べてみると次のように書かれていました(Wikipediaの解説はこちら)。

平均律(へいきんりつ)とは、1オクターブなどの音程を均等な周波数比で分割した音律である。一般には十二平均律のことを指すことが多い。

上記につづいて平均律に関する論争や、12ではない平均律の存在についても言及されています。ただ専門的でわかりにくい。「東京大学のアルバート・アイラー」で菊地成孔さんは、次のように意義を解説されています。ぼくにはむしろこちらのほうがわかりやすい(P.16) 。

これは、それまでの音楽の中で使われてきた調律に比べて、殆どヴァーチャルと言っても過言ではない、極めてデジタルなやり方で作られた調律である、と捉えています。平均律以外の、それまで使われていた調律、音階っていうのは、ひとつひとつの音の幅っていうのがそれぞれ微妙に異なっているんですが、平均律っていうのは、もっぱら数学的な操作でもってオクターヴを十二等分に切り分けて、そこに生れた半音階のビットマップを使って、全ての音楽を分析したり作ったりしていくっていう方法を取っています。

いま十二音による音階は当たり前のように使っています。平均律以前には、音と音のあいだ(距離?)が等しくないものもあったのかな。十二音が常識になってしまっているぼくには、想像もできませんが。

菊地さんは「ビットマップ」ということばを使われていますが、曖昧な音の距離をびしっとマス目のなかに配置したイメージを抱きました。現在のピアノなどの調律では当たり前のことですが、以前には曲によってはびみょうにチューニングを変えたり、いくつもの音階があったのでしょうか。そんな音階を体系化、びしっとデジタル的に揃えた印象があります。ちょうどDTMでリズムにクォンタイズをかけたり、音程を波形を編集して揃えるように。

「もっぱら数学的な操作でもってオクターヴを十二等分に切り分けて」というところにも注目しました。やっぱり数学的なのか・・・と。

Wikipediaの平均律のページには周波数の対比表もありましたが、和音について数学的な配分がなされているところが特徴のようです。そのチューニングされた音ををさらに理論的に美しいカタチに組み合わせた印象があり、村上春樹さんの「1Q84」の印象もあるのかもしれませんが、バッハの平均律はぼくにとっては実に数学的です。

つづいてバークリー・メソッド。これは20世紀の半ば頃からボストンのバークリー音楽学院というところで教えられるようになった、「商業音楽を制作するためのメソッド」だそうです。この方法論、奥が深そうなのですが、画期的なところは以下のようです(P.19)。

このメソッドの画期的なところは、えーと、いろいろあるんですが、その中でも最大と言っても過言ではない特徴は、今演奏の現場で普通に使われている「コード・シンボル」。和声をシンボルとして処理するっていう方法を体系化して教えることに成功したところだとおもいます。

要するにギターを弾こうとすると、Cマイナーセブンとか、Fディミニッシュとか、そんなコード・シンボルを必ず使います。これらを体系化して、展開などを理論化したのがバークリー・メソッドらしい。というぼくは、あまりよくわかっていないので乱暴にくくってしまいますが。

つまりオーケストラ譜のようなかたちで全体をカタマリとして作っていた音楽を、コード化することでメロディと分離して、理論的にパターン化していった。そうすることで、ポピュラー音楽は量産できます。菊地成孔さんの講義で面白いのは、実際にいくつも曲を聴かせて、理論的か?理論的ではないか?という印象を学生たちに手を挙げさせているところでした(東大の学生ではなく、もぐりの聴講者も多いようですが)。その結果、最も理論的に作られているという挙手が多かったのは、チャーリー・パーカーとジョージ・ラッセルの曲だったようです。

本のなかで取り上げられている、チャーリー・パーカーの曲をYouTubeから。

■Shaw 'Nuff

次のように菊地成孔さんは解説されています。

この演奏は一応、構造的には、それまであったスタンダードの曲のフレームを拝借するような形で作られています。それまでのジャズの形式をとりあえず使いながら、しかし、ここでは何か、体系的に学ぶことができる新しい音楽的ロジックがある。と、当時の先鋭的なミュージシャンたちは皆強く感じ取ったわけなんですよ。

一方、ジョージ・ラッセルは、アンチ・バークリー、カウンター・バークリーな音楽理論として「リディアン・クロマティック・コンセプト」を提唱したとのこと。

「東京大学のアルバート・アイラー」は現在、176ページをゆっくりと読書中なのですが、さまざまな理論を実際の音楽を使いながら紹介していきます。インターネットの世界に生まれてきてよかったなあとおもうのは、その引用された楽曲をYouTubeで探して聴くことができること(ただし、最近削除されている音楽も多くさびしい限りですが)。これはあらためてうれしかった。本×ネットというクロスさせたメディアの使い方もあるのだ、と。

という考察を経由しながら感じるのは、バロックからジャズを経て感覚や理論を横断しながら、ポピュラーな音楽はぼくらの生活のなかに知らず知らずのうちに深く入り込んできている、ということでした。

中島義道さんは嫌うのですが、ちょっと外に出ると街は音/音楽であふれている。iPodのような携帯音楽プレイヤーだけでなく、ケータイに着うたフルをダウンロードして聴くこともできます。映画やドラマにも音楽は欠かせないし、ゲームの音楽にもすぐれたものが多い。

最近、古い携帯電話が壊れたので機種変更したのですが(P-02Aです)、ケータイのゲームをダウンロードしたところ、子供たちに引っ張りだこです。特に人気なのは、バンダイナムコゲームスの「即答もじぴったん」。これは空白を文字で埋めてことばを作っていくゲームですが、以前、プレイステーション版を購入して持っていました。しかし、ケータイにぴったりというか、むしろケータイのほうがみょうにはまる。

使われている音楽もポップで気持ちがいい。なんとなくロジャニコ(Roger Nichols & The Small Circle of Friends)の「Love so fine」を思わせるようなイントロで、サビの転調も個人的な趣味をくすぐります。打ち込みなのだろうけれど、生音のバンド演奏のようなドライブ感がある。ブリッジ部分でドラムとベースになるところもいい。YouTubeから引用してみます。


なんとこれ、capsule 中田ヤスタカ REMIXではないですか!うーむ。そう言われてみると、Perfumeでもいいような気がする。歌詞を掲載したメーカーのページでは、mp3でダウンロードも可能です。

というわけで節操もなく、バロックからジャズ、ゲームミュージックまで駆け抜けてみましたが、最近、ぼくにとってはジャンルというものをあまり意識することがなく、無国籍もOK、ボーダーレスな趣味になりつつあります。ほんとうはそうした経験を経由して、DTMで曲を作りたいのですけれどね。

すこし長めの遅れた休暇をとろうとおもっています。そんなわけで、ブログの更新は気まぐれに、ぼちぼちと。

投稿者: birdwing 日時: 07:20 | | トラックバック (0)

2009年6月24日

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垂直に読む。

読書に没頭したくなるときが周期的に訪れるようで、いま小遣いのありったけを投入して本を購入して読んでいます。といっても、読みやすい本ばかりで、読む気が失せた本は途中でうっちゃっている。熱しやすく醒めやすいのかもしれません。あるいは飽きっぽいのか。

本は読者にとって"読みごろ"の時期がある、というのが自論です。

啐啄同機ということばもあるように(卵が孵化するとき、雛と親鳥の両方が殻を突くこと)、ぼくの求めている本があると同時に、本がぼくを求めていることがある。もちろん絶対的に評価されている名著はありますが、ある時期の自分にとって、とんでもない駄作がめちゃめちゃこころを打つこともあります。そのことを恥じることはないとおもう。逆に数十万部の売上げのあるベストセラーがすこしもぴんとこないこともある。読者あっての書物です。本の価値は本のなかにあるのではなく、読んだひとのなかに生まれる。

池田信夫さんがブログで姜尚中さんの「悩む力」を批判されていました。ウェーバーに関する事実から「陳腐なお伽話」と表現されていて、まさにその通りかもしれないな、と感じたのだけれど、その「お伽話」的な部分も含めて、「悩む力」を読んでいたとき、ある種のうっとりとした印象がぼくにはありました。個人的にはしなやかな文体によるところが大きかったと感じているのですが。

いま振り返ると「悩む力」はタレント本であり、内容は浅いのかもしれません。しかし、ごりごりとした歯ごたえのある本がすべてではない。映画に難解な文芸作品だけでなくエンターテイメント作品もあるように、さまざまな本があってよいと思うし、個々人が多様に(というか勝手に)感想や評価を抱いてよいのではないでしょうか。ただし、事実の誤りに惑わされない知力あるいは教養は必要ですね。本に書かれていたことだからと鵜呑みにすると、間違っていることもある。

松岡正剛さんの「多読術」にも同じような表現があった気がしますが、読書というのは、本と読者のあいだでつくられていくものです。世界を認識する人間の数だけ多様な現実の世界があるように、読者の数だけ多様に本は読まれる。あなたの読む「悩む力」と、ぼくが読む「悩む力」は違っていて当然かもしれません。けれども共感できる部分がひとつでもみつけられたら、しあわせなことです。

自分の整理のために現状の読書状況をメモしておきます。手付かずのまま積まれた状態になってしまったのはこの本たちでした。

4309463150大洪水 (河出文庫)
望月 芳郎
河出書房新社 2009-02-04

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P.237まで読んだのに。

4167753537東京大学のアルバート・アイラー―東大ジャズ講義録・歴史編 (文春文庫)
菊地 成孔
文藝春秋 2009-03-10

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まったく手付かず。

4140911301思考する言語〈上〉―「ことばの意味」から人間性に迫る (NHKブックス)
Steven Pinker 幾島 幸子 桜内 篤子
日本放送出版協会 2009-03

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すっごく面白いんだけれど3冊あるんですよね。一方で、ゆっくりと読み進めているのはこの本です。

41035342221Q84 BOOK 1
村上春樹
新潮社 2009-05-29

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41035342301Q84 BOOK 2
村上春樹
新潮社 2009-05-29

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いまだにBOOK1のP.334まで。とほほ

4167337037男たちへ―フツウの男をフツウでない男にするための54章 (文春文庫)
塩野 七生
文藝春秋 1993-02

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P.90まで。なかなかためになります。

そして、ここ一ヶ月ばかりひとりの作者にターゲットを定めて、突き進むように読み進めてきました。並行して異なるジャンルの本を読むのではなく、ある意味、垂直に読む感じでしょうか。実際にオブジェクト指向の開発用語には垂直読み(vertical reading)という用語があるようですが、これは異なる開発フェーズにおけるドキュメントを串刺しにして読むことのようです。ぼくの場合には、ある作家をコンプリートして読もうと考えていました。それが中島義道さんでした。

まず、中島義道さんは変人だとおもった(笑)。狂っているのかもしれないと感じました。彼の講演を受けたひとのうち数名は気分が悪くなった、というエピソードもありましたが、あながち嘘ではないでしょう。「どうせみんな死んでしまう」という考え方を軸に独自の哲学を展開されていて、意識を逆撫でする感覚があり、最初は居心地が悪かった。にもかかわらず、なぜか読み進めるうちに引き込まれて妙に安心してしまう。なんだろう、この感覚は?ということで次から次へと買い求めてしまいました。

読了した順に並べてみます。

■5月26日読了

4101467269私の嫌いな10の人びと (新潮文庫)
中島 義道
新潮社 2008-08-28

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■5月28日読了

4043496028ひとを"嫌う"ということ (角川文庫)
中島 義道
角川書店 2003-08

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■5月31日読了

4004309352悪について (岩波新書)
中島 義道
岩波書店 2005-02

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■6月3日読了

4101467226私の嫌いな10の言葉 (新潮文庫)
中島 義道
新潮社 2003-02

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■6月6日読了

4101467277狂人三歩手前 (新潮文庫)
中島 義道
新潮社 2009-01-28

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■6月11日読了

4480057595哲学の道場 (ちくま新書)
中島 義道
筑摩書房 1998-06

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■6月18日読了

4569624596不幸論 (PHP新書)
中島 義道
PHP研究所 2002-10

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■6月20日読了

4167753189孤独について―生きるのが困難な人々へ (文春文庫)
中島 義道
文藝春秋 2008-11-07

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■6月20日読了

4101467234働くことがイヤな人のための本 (新潮文庫)
中島 義道
新潮社 2004-04

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ひとつひとつの内容に触れたい気もするのだけれど、さておき。一見するとネガティブな不快な思考としかおもえない膨大な文章からわかったことは、

哲学する、とは、思考を停止しないこと

ではないかと感じました。なぜ?を問いつづけること。「しあわせだから、まあいっか」と片付けてしまうような瑣末なことであったとしても、すっと振りほどく手をぎゅっと捕まえて、さらに仔細に拡大鏡をあてて、「ほんとうにしあわせなのかっ?!」と自責もしくは自省すること。しかも問いを継続した結果もたらされるものは何もありません。世のなかをよくするとか、自分や他者を救うということが到達点ではない。問いつづける状態そのものが(彼のいうところの)「哲学する」ことのようなのです。

中島義道さんの限度を知らない自責(ネガティブループといえないこともない)については、ついつい笑っちゃうほど厳密なのですが、誤魔化したり騙したり嘘を吐いたり妥協したりして生きているぼくには、眩しいほど純粋で感受性が鋭くて誠実にみえました。ただ、彼のようになりたいとはおもわないですけどね。

あらためておもったのは、彼はノイズという映画に出てきたティム・ロビンスに似ている(映画の感想はこちら)。うるさくてもちょっと我慢すればいいじゃん、というところを嫌だ!という意識に忠実になるのでしょう。感情論や極論が嫌いではないぼくには、非常に面白かった。

現在は時間論の本を読んでいるのですが、さすがにこれだけ読めばかなりのものだろう、と考えてWikipediaで著作を調べて驚いた。ものすごい量の本を出していました。どひゃー。以下引用して、読了したものは■を付けてみます。

カントの時間構成の理論 理想社 1987年 (「カントの時間論」岩波現代文庫)
ウィーン愛憎 ヨーロッパ精神との格闘 中公新書 1990年 (のち角川文庫「戦う哲学者のウィーン愛憎」))
モラリストとしてのカント1 北樹出版 1992年(「カントの人間学」講談社現代新書)
時間と自由 カント解釈の冒険 晃洋書房 1994年(のち講談社学術文庫)
哲学の教科書 思索のダンディズムを磨く 講談社 1995年(のち講談社学術文庫)
「時間」を哲学する―過去はどこへ行ったのか 講談社現代新書 1996年
うるさい日本の私―「音漬け社会」との果てしなき戦い 洋泉社 1996年(のち新潮文庫)
人生を<半分>降りる―哲学的生き方のすすめ ナカニシヤ出版 1997年(のち新潮OH!文庫)
哲学者のいない国 洋泉社 1997年 (のちちくま文庫「哲学者とは何か」)
<対話>のない社会―思いやりと優しさが圧殺するもの PHP新書 1997年
■哲学の道場 ちくま新書 1998年
■孤独について―生きるのが困難な人々へ 文春新書 1998年 (のち文庫)
うるさい日本の私 それから 洋泉社 1998年 (のち「騒音文化論 なぜ日本の街はこんなにうるさいのか」講談社+α文庫、「日本人を〈半分〉降りる」ちくま文庫)
空間と身体 続カント解釈の冒険 晃洋書房 2000年
■ひとを<嫌う>ということ 角川書店 2000年 (のち角川文庫)
■私の嫌いな10の言葉 新潮社 2000年 (のち新潮文庫)
「哲学実技」のすすめ そして誰もいなくなった...... 角川oneテーマ21 2000年
■働くことがイヤな人のための本 仕事とは何だろうか 日本経済新聞社 2001年 (のち新潮文庫)
生きにくい...... 私は哲学病。 角川書店 2001年 (のち角川文庫)
ぼくは偏食人間 新潮社・ラッコブックス 2001年(「偏食的生き方のすすめ」新潮文庫)
時間論 筑摩書房・ちくま学芸文庫 2002年
たまたま地上にぼくは生まれた 講談社 2002年 (のちちくま文庫)
カイン 「自分」の弱さに悩むきみへ 講談社 2002年 (のち新潮文庫)
■不幸論 PHP新書 2002年
「私」の秘密 哲学的自我論への誘い 講談社選書メチエ 2002年
怒る技術 PHP研究所 2002年
ぐれる! 新潮新書 2003年
愛という試練 マイナスのナルシスの告白 紀伊國屋書店 2003年 (「ひとを愛することができない」角川文庫)
カントの自我論 日本評論社 2004年 (のち岩波現代文庫)
どうせ死んでしまう...... 私は哲学病。 角川書店 2004年
英語コンプレックス脱出 NTT出版 2004年
続・ウィーン愛憎 ヨーロッパ 家族 そして私 中公新書 2004年
■悪について 岩波新書 2005年
生きることも死ぬこともイヤな人のための本 日本経済新聞社 2005年
■私の嫌いな10の人びと 新潮社 2006年(のち新潮文庫)
後悔と自責の哲学 河出書房新社 2006年
■狂人三歩手前 新潮社 2006年
カントの法論 ちくま学芸文庫 2006年
醜い日本の私 新潮選書 2006年
哲学者というならず者がいる 新潮社 2007 年
「人間嫌い」のルール PHP新書 2007年
「死」を哲学する (双書哲学塾) 岩波書店 2007年
観念的生活 文藝春秋 2007年
孤独な少年の部屋 角川書店 2008年
カントの読み方 ちくま新書 2008年
人生に生きる価値はない 新潮社 2009年

全部は読まないかもしれないなあ。けれども、ひとりの作者を一貫して読むことで、自分とは違った思考を辿ることができ、思考力を鍛錬できました。ただ、万人にはおすすめしません。このひとの本は毒も多い。強靭な精神力をもって読まないと、揺さぶられることもあります。精神を病んでしまう。たぶん、精神を病んでいた自分だからこそ、すんなりと受けとめられたのでしょう(苦笑)。

いま、この本を読んでいます。もうすぐ読み終わりそう。

4061492934時間を哲学する―過去はどこへ行ったのか (講談社現代新書)
中島 義道
講談社 1996-03

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すげー!!面白い。カイシャの帰りに電車のなかで読みながら、ちょっとどきどきしました。自分なりの時間論を考えはじめて止まらなくなった。いずれ書くかもしれません(書かないかも)。

いやー。深彫りする読書もいいですね。

投稿者: birdwing 日時: 22:38 | | トラックバック (0)