10.othersカテゴリーに投稿されたすべての記事です。

2006年3月 7日

a000575

掌編#03:ちいさきもの。

================================================================
ブログ掌編小説シリーズ#03:ちいさきもの。
================================================================

春の夕暮れ。さわさわと木の葉が揺れる帰り道の途中で、少年はちいさきものをみつけた。ちいさきものは電信柱の影に隠れて、西のほうの空を眺めていた。その視線の先には、オレンジ色の夕焼け雲が広がっていた。あれはちいさきものだ、と少年はどきどきしながら思った。ちいさきものに出会うことができる日は、それほど多くない。友達から自慢されて、いいなあ、ぼくもいつかは出会ってみたいなあ、と悔しく思っていた。けれどもいま、ちいさきものはそこにいる。手を伸ばせば、つかまえられそうな先に。

少年はちいさきものを驚かさないように、そっと近寄った。そうして一緒に、ことことと煮立ったスープのような夕焼けの空を眺めた。しばらく黙って眺めていた。時間がのんびりと動いていく。ちいさきものも黙っていた。けれどもやがて、ゆっくりと少年のほうに顔を向けた。少年は口を尖らせるような顔をして言った。空を見ていたの?ちいさきものはゆっくりと頷く。夕暮れの空を?ふたたび少年がたずねると、こくりと首を縦に動かした。夕暮れはいいよね。毎日見ることができるわけじゃないのがいいよね。夕焼け雲を見ていると、ぼくはお腹が空いてくる。少年は夕暮れのほうを見ながら、それでもちらりとちいさきものも気にしながら言った。煮立った空が冷たくなるまで、少年とちいさきものは空を眺めていた。やがて少年は言った。ぼくんちに来ない?ちいさきものは、そうして少年と暮らすことになった。

最初のうち、ちいさきものはしゃべることができない。ただ、黙って少年の言葉を聞いているだけだ。ちいさきものは食事をしない。パンくずを食べるわけでもないし、牛乳を飲むわけでもない。けれども、少しずつ成長していく。どういうことかというと、ちいさきものは少年が話しかけた言葉を栄養にして、成長するのだった。今日の給食はね、がーりっくとーすとだった。がーりっくとーすとが、ぼくは大好きなんだ。ちょろぎは嫌いだけどね。ちょろぎは食べられないんだよ、どうしても。お正月に食べて、おえってなった。給食にちょろぎが出なくて、よかったよ。少年はひとりで話しつづけた。ちいさきものは黙って少年の言葉を聞いている。少しだけ左側に顔を傾けながら。漢和辞典のはしっこに腰かけて、ちいさきものは少年の話を聞き続けた。

ある日、ちいさきものはしゃべった。ちいさきものは、ちいさきもの。あれっ、きみ、しゃべれるんだ。少年は図書館から借りてきた恐竜の本(白亜紀)をカーペットの上に放り投げると、机の上のちいさきもののところへ行った。なんて言ったの?もいちど、しゃべってよ。ちいさきものは、ちいさきもの。鈴のような、オルゴールのような、そんな声でちいさきものは話をした。へえ、そんな声なんだね。少年は感心したようだった。ちいさきものは、ちいさきもの、か。そうだね、きみはぼくじゃないもの。きみはきみであって、ぼくはぼくだ。なんだか当たり前のようで、すごいことのようにも思えるね。うん、すごい。テツガクシャっていうんだよね、そういうの。少年が語りかけると、やっぱりちいさきものは応えた。ちいさきものは、ちいさきもの。

ところが、いつまでたっても、ちいさきものはちいさきもの、としかしゃべらなかった。少年は何だか馬鹿にされているような気がして、次第にイライラしてきた。おい、他のことは言えないのかよ、そればっかしかよ、つまんないなあ。でこぴんで、ちいさきもののちいさな頭をつんと弾いたりした。嫌いになりはじめると、ちいさきものの存在は逆に、彼の心のなかでおおきなものになってきたようだ。おまえなんか拾ってくるんじゃなかった、がっかりだよ、おまえになんか出会わなきゃよかった。思いっきり悪態をついてみる。けれども反応は同じだ。ちいさきものは、ちいさきもの。やっぱり同じことを繰り返している。少年はとうとう我慢がならなくなって、おまえなんか顔も見たくないよ、こんなか入ってろ。紅茶の缶のなかに入れて蓋をぎゅうっと閉めた。

それからしばらくの間、少年は友達とサッカーをして遊んだり、母に連れられて田舎に帰ったり、忙しいけれど楽しい毎日が続いた。ちいさきもののことなんて、すっかり忘れてしまった。宿題をやろうとして紅茶の缶のことを思い出して、そういえばちいさきものはどうしただろう、と気になった。

缶のふたをあけてみると、ちいさきものは細長くてひからびたものになっていた。おい。何も応えない。ねえ。指で突っついてみると、かさかさになった細い腕がぽきりと折れた。どうしちゃったんだよ。少年は紅茶の缶の奥に、深いあなぼこが空いたような気がした。胸のまんなかあたりがぎゅうっと縮んだ。ちいさきものが眺めていた夕焼けを思い出した。ことこと煮込んだような夕焼け。ちいさきものは、ちいさきもの。という声を聞いた気がした。

なんだよ、ちっちゃいなあ、おまえ。

声に出して言ってみたら、ふいにぶわっと涙が出てきた。少年はぼろぼろと泣いた。細長くてひからびたものの上に涙がかかって、ふやけたへんてこなものになった。少年は、わんわん泣いた。けれども漢字ドリルを3ページやらなければならなかったので、瞼を擦りながら漢字ドリルを終えて、宿題が終わって夕飯までの間に、また泣いた。

(ブログ掌編小説シリーズ#03/了)

Creative Commons License この作品は、クリエイティブ・コモンズ・ライセンスの下でライセンスされています。

投稿者: birdwing 日時: 00:00 | | トラックバック (0)

2006年3月 5日

a000573

掌編#02:あおぞら冷蔵庫。

================================================================
ブログ掌編小説シリーズ#02:あおぞら冷蔵庫。================================================================

玄関のチャイムが鳴ったとき、私はちょうど2歳の息子のおむつを替えていた。すぐに出ることはできないので、ちいさな息子の両方の足首を持ち上げてウェットティッシュでおしりを拭いながら、そのままじっと身構えた。宅配便か、あるいは新聞の勧誘といったところか。出なくてもいいだろう。できることならば通り過ぎてほしい。息子はおしりを私に任せながら、自分の手を組み替えて静かに遊んでいる。天井に向って影絵を演じているようだ。

けれどもしばらく時間を置いたあとで、チャイムはまた鳴った。私は息子にしっかりとおむつを履かせると、コリン・ブランストーンの「一年間」というCDを消した。甘ったるいソフトロックだけれど、最近、このCDをかけていると息子が暴れないでおむつを替えさせてくれる。私は息子をカーペットの上に転がしておいたまま、玄関まで行くと、チェーンキーを外してドアを開けた。

ああ、いらっしゃいましたか。よかった。

スーツ姿で細いインテリ風のめがねをかけた男性が立っていた。あと1回だけチャイムを鳴らしたら帰ろう、と思っていたようだった。なにか?私が腕を組んで聞くと、彼は言った。おやすみのところ、誠に失礼いたします。わたくし、株式会社あおぞら冷蔵庫のカミジョーと申します。ご主人さまでございますか?そうだけど。私は腕をほどかずに言う。奥さまはいらっしゃいますでしょうか。いまはいない。ぶっきらぼうに応えた。お買い物ですか、いつお戻りでしょうか。わからない。私が応えると、カミジョーさんは困ったような顔をした。

いつ戻るかわからないんだ。戻そうと思えば戻るんだけど。で、なにか?私が訊くと、カミジョーさんは一瞬戸惑ったが、マニュアル通りにセールスを進めようと考えたようだ。鞄のなかからカタログを取り出すと、付箋の付いたページを広げながら説明をはじめた。

では、旦那さまにお話をさせていただきたいのですが、わたくしどもはあおぞら冷蔵庫と申しまして、白物家電として冷蔵庫がご家庭に普及をはじめた時代から、お客さまの生活における保存という大切なソリューションを提供するために、さまざまな冷蔵庫の開発と販売に携わってまいりました。ひとくちに冷蔵庫と申しましても、最近はお客さまのニーズに従いまして、さまざまな機能が求められております。ひとり暮らしの寂しさを紛らわすために音声合成コミュニケーション機能つきの冷蔵庫ですとか、人工知能による冷蔵庫ですとか。

うちは必要ないから。

私は途中でカミジョーさんの話を打ち切ろうとした。じゃあね。ドアを閉めようとすると、あ、ちょっと待ってください、もちょっとだけ。と、彼はぐいと私の方に近づいてドアを閉めるのを阻止した。香水の甘ったるい匂いがした。あの、今回ですね、わたくしどもはついにミッションでもある最終的に目標としていた製品、つまりまったく画期的な冷蔵庫を開発したんです。それが、これ、青空冷蔵庫です。付箋をたぐってそのページを開いた。

わたくしどもは会社名にも掲げておりますように、青空を冷蔵庫で保存することを最終的な企業の目標として努力しております。そして長年の研究開発の上、ついに完成しました。こちらが製品になります。BSF-1068β、やっとみなさまにお届けすることができました。そこでこうして、みなさまのお宅を訪問してご紹介しているわけです。パンフレットには、ネイビーブルーの冷蔵庫の写真があった。扉はひとつしかなくて、前面には取ってのようなものが付いている。シンプルなデザインだ。冷蔵庫の横に笑顔のモデルが立っていた。青空を保存するには小型すぎる気がする。小型だけれど、機能的には従来のものを上回るのだろう。それにしても、だ。

青空なんて冷凍してもしょうがないだろう。

私が言うと、みなさんそうおっしゃいます。と、カミジョーさんは、その応えを待っていたんです風の顔をした。けれどもですね、青空をいつでも保存して解凍できるということは、われわれの生活を根本的に変えてくれます。まったく新しいライフスタイルをご提案できるわけです。たとえばですね、これから梅雨の季節になりますが・・・あ、おぼっちゃんですか?いつの間にか私の後ろに息子がやってきていて、ズボンの裾をつかんでいた。かわいいですね。ありがとう。私は腕をほどいて、息子のやわらかい頭を撫でた。

申し訳ないんだけど、こいつのご飯を作らなければならないので、もういいかな。私が言うと、あ、どうも失礼いたしました、貴重なお時間をありがとうございます、ではカタログだけでも置かせてください。カミジョーさんは、カラーできれいに印刷されたカタログを私の方に手渡すと丁寧にお辞儀をした。私は玄関のドアを閉めた。セールスマンだけれど、押し付けがましいところはなくて、さわやかな印象がある。

青空冷蔵庫ね。テーブルの上にカタログを放り投げた。なんとなく疲れてしまって、もう一度繰り返した。青空冷蔵庫か。そんなもの売れるわけがないだろう。でも、売らなきゃいけないんだろうな。彼はセールスマンだから。大変な仕事だ。どれくらい売れたんだろうか。

息子が私のところまで歩いてきて、こちらをじっと見ている。左右の人差し指を合わせて三角形のような図形を作っている。

ちょっと待ってな、いい子だから。私はまた息子のやわらかい頭に手を置いた。そろそろうちの奥さんに戻ってもらった方がいい頃だ。私は台所で冷蔵庫の扉をあけた。妻を解凍するために。

(ブログ掌編小説シリーズ#02/了)

Creative Commons Licenseこの作品は、クリエイティブ・コモンズ・ライセンスの下でライセンスされています。

投稿者: birdwing 日時: 00:00 | | トラックバック (0)

2006年3月 4日

a000572

掌編#01:おじいさんになりたい。

================================================

ブログ掌編小説シリーズ#01:おじいさんになりたい。

================================================

完璧だわよ、とユウコは思った。だから振り返って、斜め後ろの席に座っている悪友のサナエにぴーすをしてみせた。彼女の自慢の指はとても細くて、きれいなコンパスのように20度の角度ですっと伸びる。いつかお弁当を食べながら、サナエがため息をついて、あこがれちゃうわね、その指、と言ってくれたことがあった。完璧なあたし、そして完璧な指(でもピアノは弾けない)。その指を胸のまえでさりげなくぴーすの形にして、ウィンクした。サナエが両手を機関銃にしてこちらに、どどどどどと機銃掃射をしてきた。

じゃあ次、タナカ読んでみろ。

ほらきた。待ってました。国語のオザワが教壇の上で、を(ぅお)の口をして顎を掻きながら、ユウコを指名した。はい。よそゆきの声で返事をすると、椅子を押して立ち上がる。原稿用紙を持ち上げて、えへんと一度咳払いをすると一行目をゆっくりと読んだ。

64歳になったら、あたしはおじいさんになりたい。

読み終わると同時に、隣の席のシゲキがぷっと吹き出した。なんだそりゃ、タナカよう。するとそのひとことに合わせて、クラスの全員がどっと笑った。あはははは。サナエの方を振り返ってみると、教科書で顔を隠している。けれども髪の毛がふるえている。笑ってるな、あいつ。色が黒くて背が低くて、ひしゃげた竹中直人のような国語のオザワは、表情を少しも変えずに言った。

おまえ、おじいさんにはなれないだろう、女子だからさ。なるとしたらさ、その、おばあさんだろうが。

ふん、それだから、あんたは作家になる夢をかなえられずにこんなところで中学生に作文ばっかり書かせてるんだよ。と、ユウコは思ったが、もちろんそんなことは言わない。かっと頭が熱くなるのを感じたけれど、こんなのへっちゃらだ。冷静に、冷静に。

いいんです、これで。

ちょっと右に顔を傾けて、ふっと嘲笑を含んだ感じで言い放ってやった。続きを読もうとすると後ろの方の席で馬鹿っぽいサヤマが、あーでもさートシ取ると、おじいさんだか、おばあさんだか、わかんなくなるよねー、うちのばーちゃんもヒゲ生えてるんだよねー、まいっちゃうんだよねーと言った。また教室の中がどっとわいた。だから馬鹿はやんなっちゃうのよ、もう。ユウコは読みたいメーターの針が思いっきり下がったような気がした。

まあ、いいや。読め、続きを。

オザワが面倒くさそうに言った。もういいです。いや、続きを読まないと全体がわからないだろう、読め。ユウコの頭のなかでぷちんと音がして、思わず怒鳴った。嫌です、読みませんから!

おいおいヒステリーかよ、おまえまさか・・・と、隣のシゲキが言うので、教科書の角のところですこんと殴ってやった。思いのほか決まって、シゲキはいってーと頭を抱えた。ふん、いい気味だ。ほんとうに痛かったらしい。涙を流している。男がそれぐらいで泣くなよ。耐えろよ。しょうがねえなあ、とオザワが言って、じゃあおまえ読め、シゲキ。と、頭を抱えているシゲキを指名した。えっ、おれっすか?そうだよ、おまえだよ、読め。シゲキはしぶしぶ立ち上がった。

64歳のぼくは、おじいさんになっていると思います。

くすっと誰かが失笑。おまえそれじゃあ、タナカの作文と変わらんだろう。やっぱり表情を変えずに、オザワは言った。

***

ユウコは聴いたことがなかったのだけれど、ビートルズという古臭いバンドに「ホエン・アイム・シックスティー・フォー」という曲があるらしい。柄にもなくオザワのお気に入りの曲らしく、その曲にちなんで64歳になったら、というテーマの作文を書かされた。

結局のところ読まなかったけれど、作文の続きをユウコはこんな風に書いていた。あたしのおじいさんは、64歳で亡くなった。おじいさんはいつも陽だまりでにこにことしていた。悪い親戚に騙されて土地を奪われてしまったときにも、癌で病院に入院しなければならなかったときにも、おじいさんは、気にすんな、あしたという字は明るい日と書くんだよユウコ、というのが口癖だった。まだ子供で何もわからなかったあたしは、おじいさんは天国に行っちゃうの?行っちゃやだ、と言って困らせたことがあった。天国なんか行くもんか、おじいさんはね、いつもここにいるから。そう言って、あたしの頭を撫でてくれた。大好きだった。大きな煙突のある場所で、母といっしょにずーっと煙が空にのぼっていくのを見ていた。おじいさんはお空に行ったんだよ。そう言われたが嘘だ。おじいさんはいまでもここにいる。だから64歳になったとき、あたしはおじいさんになって、おじいさんが生きることのできなかった時間をかわりに生きようと思っている。

他のひとが発表している間に、ユウコは原稿用紙をきれいに消しゴムで消した。灰色のかすがいっぱい出たけれど、そんなことはどうでもよかった。捨てちゃえばいい。そして真っ白な原稿用紙に、高齢化社会に対する不安と政治が何をすべきか、という提言をきっちりとした文字で書いた。5分もかからなかった。

窓の外では青空にいわし雲が広がっている。オザワの作文でおじいさんのことを書くのはもったいないや、とユウコは思った。おじいさんのことは頭のなかの原稿用紙に書いておけばいい。干草のような芝生のような、あるいは神様のような、おじいさんの匂いを思い出そうとした。けれども、どうしてもその匂いを思い出せなかった。校庭で金属バットの音がして、わっと歓声があがった。誰かがヒットを打ったらしい。授業の終わりまであと10分。時計の針が進むのが遅い。

(ブログ掌編小説シリーズ#01/了)

投稿者: birdwing 日時: 00:00 | | トラックバック (0)

2006年2月28日

a000568

イヌはよろこび。

イヌはよろこび庭駆けまわり、というのは、童謡「雪」の一節ですが、2月25日から公開されている、はてラボの「はてなワンワンワールド」をみて、そんな感じがしました。これいいなあ。すごく楽しいです。打ち合わせやら企画書やらが一段落して、ちょっと息抜きにやってみたのですが、なんだかほっとしました。

このサービスはたぶんはてなの会員ではないと使えないのですが、どういうものかというとマッシュアップの一種でしょうか。はてなマップというGoogleMapを利用したサービスがあるのですが、それを遊び的に使ったものです。ログインすると、マップが表示される。そして、カーソルはかわいいイヌのアイコンになっている。地図をスクロールするとカーソルのイヌが走る。

そこまではたいしたことはないのですが、走っているうちに「わんわん」言ってるイヌに出会う。これが何かというと、それぞれのユーザーというわけです。で、友達に追加すると、そのひとのはてなSNSを表示することができる。日記を読むことができるわけです。どうやら会話もできるようになるらしい。3Dチャットみたいなものですね。

バーチャルなマップ上で新宿あたりをうろうろして、声をかけあうような感じです。ちょっとナンパっぽいイメージもありますが、地理的に移動していろんなひとと出会う可能性があります。通常、SNSなどではコミュニティで趣味の合うひとを探すとか、キーワードで検索して自分の趣味に合ったひとを探すものです。GREEではランダムというボタンを押すと、適当に選んだひとが表示されるような機能もあるようですが、あまりにも偶然すぎる。うろうろしているうちに出会う、というのはなかなか自然でよいです。

とはいえ、ぼくはどちらかというと誰もいない場所を、わんわん疾走するのが楽しかった。あっという間に東京を端から端まで走って行ってしまいました。単純に地図をスクロールしているだけなのですが、これが楽しい。どっかでみたことがあるなあ、と思ったんですが、ロールプレインゲームでした。ドラクエとか。

ところで、イヌ型とネコ型という区別をすると、ぼくはまぎれもなくイヌのような気がします。かなり忠実だし、ちょっとばかなところもあるし、感情が表れやすい。すぐにしっぽを振ったり、吠えたりする。一方、ネコ型の人間というと、ずる賢いところがあるような気がする。気まぐれであったりアンニュイだったりもする。頭が良さそうですけどね、ネコ型のひとは。

スクロールするアイコンはイヌじゃなきゃだめでしょう。ネコの場合には、丸くなったまま動かないかもしれません。

投稿者: birdwing 日時: 00:00 | | トラックバック (0)

2006年2月24日

a000564

脳と外部ブレイン。

本屋に行って「書きたがる脳」を買ってきました。いま49ページを読書中ですが、読ませる文章です。というのも著者は神経科医なのですが、文章を書くのが大好きなんですね。書くことが好きなひとの文章は読んでいてすぐにわかります。書くよろこびのようなものが滲み出しているので。

章の最初には、ロラン・バルトやカフカなどの文章が掲載されています。茂木健一郎さんをはじめとして、脳科学のトレンドなのかもしれませんが、基本的には理系でありながら分野を横断して文学的な教養もある方というのは、素晴らしいと思います。文系のぼくはもっと技術を理解したいものです。

先日書いたこととも重なるのですが(というか、最近は読むもの書くもの観るものすべてが重なりつつあって怖いのですが)、著者のアリスは、書きつづける動機、そして研究しつづける動機にきちんと「私」を据えています。そこが共感できます。もともと学生の頃からハイパーグラフィア的な「書かずにはいられない」傾向があったそうですが、結婚後に双子の子供を亡くしたときにハイパーグラフィアになった。頭のなかにアイディアが膨らんで、書かずにはいられなくなった。という自分の経験を語りつつ、客観的に科学的な考察を加えるアリスの文章は、こころに刺さって痛いものがあります。

一方、ぼくがなぜ脳にこだわるのか、ということを冷静に考えてみると、父親を脳梗塞で亡くしたことが要因じゃないかと思いました。父親が倒れたちょうどそのとき、ぼくはものすごくリアルな夢をみた。頭の左半分が、ごぼごぼごぼと水のなかに沈んでいく夢です。目が覚めてからも、ぬるりとしたなま温かい水の感触と水のなかに沈んでいく音を覚えていた。いやな夢をみちゃったな、と思いました。その直後に電話があり、父が倒れたことを知りました。ちょうど夢とシンクロしているのですが、トイレをごぼごぼと流したあとに倒れて、左脳の血管が破裂して脳のなかが血液でいっぱいになってしまったらしい。まさに、虫の知らせ、です。

病院で脳のレントゲン図を何度もみせてもらい、シャントという脳にたまった血液を排除する管を入れること、言葉はしゃべれなくなって半身は動かなくなるけれどリハビリでなんとかなること(結局のところ急変してなんともならなかった)などを医師から説明いただいたのですが、その当時、ぼくはレントゲンの写真を見ながら実は何も見えていなかったような気がします。医師の言葉に頷いていたけれども、言葉さえ聞いていなかった。すぅっと通り過ぎていた。ぼくは意識のなくなった父という現実を直視できませんでした。しばらくは脳の図をみるだけでも、なんとなく気分が悪くなった。

やっと最近になって、落ち着いて脳のことを考えられるようになりました。そして、考えはじめると、とことん考えたくなってきたというわけです。なんとなく脳ブームなので流行にあやかっているんじゃないか、ということもありますが、ぼくの個人的な脳に対する思いは、父を亡くしたことにつながっている。つまり実はかなり重い話題です。

個人的なナマナマしいお話を書いてしまいましたが、インターネットの世界では、脳はひとつじゃありません。それぞれのひとの脳が外部ブレインとして集合してひとつの頭脳を形成していくような感じです。協働というか、お互いに考えをぶつけながら考え方を練っていくというスタイルができつつあります。

そんな状況を踏まえつつ、はてなの近藤社長の「ウェブサービスの模型を作ろう」という日記に注目しました。

多くのプロフェッショナルなクリエイターの仕事には、模型、プロトタイプ、デッサンをする行程が存在します。建築物を作るのだったら模型を作って実際のイメージを確かめますし、工業製品を作るにもデッサンをしたり模型を作ったりします。作家は何度も推敲しながら文章を作り上げますし、画家もデッサンを繰り返します。

よくわかります。この推敲の時間というのが、実は楽しい。小説家には推敲の段階で書いたものの半分を削除するひともいるようです。文章作法の本に書かれていたのですが、アマチュアのひとは書いたものにこだわって消すことができない。ところが小説家は、全体を俯瞰して不要だと思った部分は潔く削除する。どれだけ削除しても書けるのがプロだそうです。

次の部分も同感です。

「ぱっ」と一瞬で作り上げた作品が、すぐさま改良の余地が無い程に100%の完成度である、と主張する人がいれば、多くの場合、それは怠慢によるものであると僕は判断すると思います。

というわけで、外部ブレインとして、いくつかのひとの手や知識を借りながらプロトタイプを完成に近づけていこうとするのが「はてラボ」のようです。なかなか面白いです。SNSのインターフェースになるところなど、同じブログも入り口を変えるとこんなに変わるのか、と当たり前だけどちょっと感動でした。

しかしながら、「新規実装・機能変更のお知らせ」で、新しい機能を○×で投票するという機能は、あっという間に消えてしまいました。イエイリさんのブックマークをお気に入りに入れていたところ、イエイリさんが非常に腹を立てられていたので、無知なぼくは、なんでかな?と思っていたのですが、オオヒダタカシさんの作った「コトノハ○×」にそっくりなんですね。「色までそのまま同じだったのが腹が立った理由です」と、イエイリさんのブックマークにコメントが書かれていました。ただ、ぼくはとりあえず走り出しちゃってから考える姿勢はいいと思います。問題をきちんと指摘してくれる方もいるわけだし。

マッシュアップが注目されていますが、アイディアだけいただき的なことに関しては、モラルも含めて今後もいろいろと議論が起きそうな気がします。オープンソースが主流になりつつある感じはあるのですが、問題も多そうです。

ところで、そのマッシュアップで思い出したのですが、カリフォルニアで行われたMashupCampでは、スケジュールがまったく決められていなくて、プレゼンテーションしたいひとが30秒間だけ壇上でプレゼンできたらしい。しかも、次から次へとプレゼンがつづいたとのこと。CNETjapanの「マッシュアップ・カンファレンスは異例ずくめ--「MashupCamp」レポート」を読んで唸りました。うーむ、斬新すぎるというか、無計画というか。日本だと難しいかもしれません。しかしながら、これぐらい騒がしいと脳内も活性化するでしょう。

投稿者: birdwing 日時: 00:00 | | トラックバック (0)