10.othersカテゴリーに投稿されたすべての記事です。

2005年12月20日

a000818

成功者になること。

まず自分に対する戒めですが、俺様が、と奢っているとそこで成長が止まってしまうものです。他人を批判したところで、自分が変わっていなければ、少しも偉いことではない。批判や評論することで自己満足するひとたちも多いのですが(またそういうブログが人気があったりもしますが)、そんなものはただの傍観者に過ぎません。偉そうなこと言っているけど、じゃあいったいあなたは何をしたんですか?ということになる。

井のなかの蛙でいること、限られた信奉者にちやほやされることは気持ちがいい。でも、そこに安穏とすると、いつの間にか世のなかに取り残されてしまう。常に意識を外に向けておかなければいけない。内輪で評価されることはもちろんですが、外部のひとに評価される方が大事です。その外部のひと、というのは、仕事の世界であればお客様ということになる。ブログであれば検索などをして訪問いただいた方、趣味の音楽であればリンクを辿って5分なりの時間を費やして(ぼくはFTTH環境に変えたのでもう気にしていなかったのですが、4MBのファイルを落とすのは結構時間がかかる。プロの曲ならともかく、アマチュアの曲にそれだけの時間をかけてダウンロードいただくのは非常にありがたいことです)聴いていただいた方です。

という考え方をベースに、いまの自分から未来の自分に向けて、きちんとベクトルの強さを鍛えておくこと。揺らぎながらも、堅実に、誠実に、けれども大胆に、生きていきたいものです。

なぜこんな風に熱くなっているかというと、ここ数週間、セミナーなどを通して、すごいひとたちの話を聞く機会にたくさん恵まれました。できるひとというのは、やっぱりオーラが違う。他者をぐぐっとひきつける魅力がある。だからといって自分を比較して卑下するつもりはなくて、これまでの自分もよしとしましょう。よしとした上で、すばらしいものをどんどん吸収したい。気持ちは前向きです。というか前しか見ていません。

昨日は「デジタルコンテンツ2006」というセミナーに参加しました。年末の忙しい時期にセミナーに参加してばかりですが、その時間にやっておかなければならない仕事はそのまま残っているので(小人が夜中にこつこつ靴を作ってくれるように、企画書や分析報告書を作ってくれる小人がいるといいのに)、結局、自分の首をしめているような気もします。しかしながら、昨日は出てよかったという満足感がありました。

このセミナーでは、昨日の日記で取り上げさせていただいた、情報考学 Passion For The Futureのブログを書いている橋本大也さんがモデレーターをつとめて、百式の田口元さん、ビデオジャーナリストの神田敏晶さんなどがディスカッションをするというおいしい企画でした。

読売新聞の方からも、新聞とネットの融合というお話がありました。あらためてですが、新聞は読むべきだとぼくは感じました。学生の活字ばなれはどうも厳しい状況にあるようですが、やはり子供の頃の勉強って辛いけど、面白いことだけやっていたらバランスのいい力がつかないじゃないですか。そこでプロのジャーナリストが書いた文章を読むこと、という必要性を感じました。そのためには読ませる(一般のブロガーとはレベルがまったく違う)ジャーナリストも必要ですね。日本ではものすごく弱い部分のような気がしています。ある意味、鎖国状態のように、SNSのような仲間うちだけの日記で満足していることが多い。それがダメだとは言いませんが(というよりもSNS大好きなのですが。もう誰かの日記にコメントするのが楽しくてしょうがない)、一方で力のある文章を書ける次世代のブログジャーナリストが出てきてほしいものです。アルファブロガー2.0って感じでしょうか。日本を背負って経つアルファブロガーのようなひとたちがいてほしい。

橋本大也さんのお話では、映像メディアの視聴の変化について、データベース化されたあとで「いじる」ということが重要になってきた、という視点が面白かったです。確かに、そもそもデジタルではなくても最近家を掃除しているのですが、レイアウトを変更したり本棚の本を並べ替えたり、いじるのは楽しい。iPodに関しても、シャッフルモードでザッピングしたり、自分なりの選曲リストを作るのが面白い。

田口元さんのお話では「Blog Creative」という視点に注目しました。つまりマスメディアではなく、アルファブロガーが企業を代弁して、さらにブロガーを通じて消費者に伝えていく。ぼくは音楽制作を趣味としているので、YAMAHAのプレイヤーズ王国は知っていたのですが、その仕掛け人が田口さんであり、あらためて田口さんの背景にある考え方について知ることができました。かなり辛辣な言葉もありましたが、ブログマーケティングをやるべきではない企業として「すぐ囲い込みたがる」「決定に時間がかかる」「プロセスを理解していない」「リスクばかり重視する」というのは耳が痛い言葉でした。

神田敏晶さんのお話では、横軸に趣味と企業、縦軸にプロとアマチュアというマトリックスを作って、4つの象限それぞれが「アマチュアの趣味」「趣味を極めてプロになる」「アマチュアなんだけどお金を稼ぐ」「プロでお金を稼ぐ」ということになり、それぞれが成立したり移行する、という図式に興味を持ちました。アマチュアで稼ぐ方法は、アフィリエイトというのがわかりやすいのですが、たとえば映像や音楽などの作品をインディーズ的に売る、という方法がもっと出てきてもいいかもしれません。

セミナー終了後にみなさんと名刺交換をさせていただきました。ついでに「次のアルファブロガーは誰か」ということを、田口さんに聞いてみたのですが「それは、ぼくです」とのこと。ブログの学校なども考えられていたそうですが、学校として教えるよりも、カリスマとなるような成功者が表れることがいちばんの動機づけになるそうです。同様に神田さんからも、ビデオブログやPodcastingは普及するのか、そのためにはどうすればいいのかという質問をしてみたのですが「それでがっぽがっぽ儲けているひとが登場すること」という答えをいただきました。それにしてもテンガロンハットがこれほど似合うひとは日本にはいないのでは?

タマゴとニワトリ論的に陥ることにもなりそうですが、成功者になること、事例をつくること、が重要。子供に対する教育でもそうでしょう。子供は父親の背中をみて育つ。よい子供を育てるためには、子供に何かを言う前に、まず父親である自分が人生を誠実に生きる必要があります。

さて、それ以外に今日刺激を受けたことは、あとふたつあります。

ひとつめは、マーケティングディレクターとしてマーケティングに関する企画なども仕事にしているのですが、仕事関係で、すごい企画書をいただいた。まだまだぼくは企画に対する取り組みが甘いな、知識も含めて企画のスキルアップをすべきだな、と思いました。

ふたつめは、藤田麻衣子さんというインディーズで活動されている方からCDが届きました。シンプルなのですが、じーんと心に染みる。よいです。これからもいい曲を作ってほしい。ものすごく刺激になります。

あとは、ボーナスが出たっ!ということもあるのですが、なんとなくやるぞっ!という気持ちになっています。さて何をやるか。。。です。

+++++

■藤田麻衣子さんの「恋に落ちて」が使われているFlashサイト。アマチュアの方の音楽をいろいろと聴いていて偶然にみつけたのですが、深夜にアクセスしてぼろぼろ泣きました。どんな分野であっても、いい仕事は、気持ちを前向きにさせてくれます。そしてCGM(消費者生成メディア)の最終形は、究極としてはメディアだけでなく消費者がプロダクト(製品)を創り出すことになるかもしれません。
※ページを開くと音楽が流れるのでご注意ください。
http://goboy.sakura.ne.jp/page003.html

投稿者: birdwing 日時: 00:00 | | トラックバック (0)

2005年12月19日

a000817

兆しに期待したい。

2005年もあと残すところわずかとなりました。忘年会なども多いようですが、あんなことあった、これからどうするというテーマでいろいろと語るのは楽しいものです。雑誌やブログなどでも、この一年間の総括と来年の予測というのが盛んになってきています。

ダ・ヴィンチの1月号では、「BOOK OF THE YEAR 2005」として5236人の本好きが選んだ今年のベスト本を紹介しています。第1位は「電車男」。うーん、納得できません。あえて言ってしまうと、ぼくはあまり好きじゃないんですよね、これ。読んでいないので批判は避けますが、社会現象ではあったとしてもブンガクじゃないと思うなあ。エンターテイメントであることは確かです。また、作家がひとりで何かを創り出すという時代ではなくなってきて、参加型や投稿型によるパブリッシングが出てきた、という意味では画期的だとは思っています。内容はともかくとして。ちなみに2位は、リリー・フランキーさんの「東京タワー」で、3位はコミックスの「NANA」。うちの奥さんが「NANA」は集めているので読んでいるのですが、ここまで話題になるとは思いませんでした。やはり映画化などもあって、これもまたNANA現象となったのでしょう。村上春樹さんの「東京奇譚集」は10位で、12位にはやはりブログから展開した「実録鬼嫁日記」が入っている。これも時代の流れというものなのでしょう。

橋本大也さんの情報考学Passion For The Futureは、その読書量に圧倒されつつ、いつも読んで考えさせられているのですが、忘年会議を実施、独断と偏見による今年のベスト10を発表されたとのこと。究極のサイトについて「自分のサイト」が10位に入っているのが面白いと思いました。やはりブログを書き始めると、自分の記事がいちばん面白い、と自画自賛モードに入りがちです。もちろん、他人のブログも読むのだけど、自分のブログであったりサイトに自信を持てるということは、それだけ熱心にも書いていることのあらわれだと思います。ところで、報告の第2弾にあるプレゼン資料は面白いですね。アルファブロガーの妻と、彼女といけない関係にある男性の会話が掲載されていますが、「ブロガーはみんな駄目よ。あんなの」と批判しつつ、「ブログを書き始めて1ヶ月で10%のひとが頭がおかしくなるんだって」「3月で38%」がおかしくなり、「60%の人はブログを書くのを止めるのよ。3ヶ月で」と続く。なんだかアメリカのショートコントのような感じです。でも、なんだか頷けるところもある。実際にこの会話のネタ(真実?)はブログのなかで書かれていることなんですね。読んでみたい。ちょっとこれから外出しなければならないので細かくチェックできていないのですが。

その資料にもありましたが、KIZASIというブログ検索エンジンが面白い。これはブログで取り上げられている言葉を、関連性のある語句とともに表示し、さらに24時間、1週間、1ヶ月という範囲でグラフ化してくれます。このグラフ化された画面が、マーケッターごころをくすぐってくれます。このグラフから連想したのは株価のチャートですが、言葉も株と同様、価値が出てくるのかもしれない。そして言葉の価値を上げるのは、ブロガーたちではないかと思います。

来年はどんな年になるのでしょう。きっとブログの動向などに、その芽があるんじゃないかと思っています。その兆しをつかむためには、アンテナとセンサーの感度を上げておく必要があります。

+++++

■ブログ検索エンジンKIZASI。
http://kizasi.jp/

投稿者: birdwing 日時: 00:00 | | トラックバック (0)

2005年12月18日

a000816

限られたリソースで。

金曜日、学生時代の知人たちと飲んだのですが、学生の頃に戻ったようで、なかなか楽しい時間を過ごせました。細かいことは書きませんが、印象的だったのが「それぞれの生き方を確立しようとしている」ということでした。そして、「俺はこれはやらない。こういうことはしない」という、自分の生き方に合わないものは手を出さないようにすること、無駄な重荷を背負わないシンプルな生き方を標榜しているということです。もちろんシンプルになりきれなくて、いろいろと葛藤もあったりするのですが。

確かに学生の頃と比べたら、ぼくらも年を取りました。何かを背負う、ということは、精神的にも肉体的にもタフでなければならないわけで、やはり年老いていくと、足腰も弱ってくる。ただでさえ、仕事やら家庭やら、大変なものを背負っているから、若い頃であればともかく、これ以上何かを抱え込んだら、つぶれるな、という気持ちがあります。でも、いいんじゃないかな、と思いました。別に強くなる必要はない。弱くたっていい。いまのままで十分です。変わる必要はないし、変わるのであればそういう自然な流れがきっとくる。その流れに乗ればいい。

弱い自分を認めた上で、それでもしあわせであれば、どんなに成功してリッチな生活をしているふしあわせな強者よりも、ずっといい。下流という言葉も流行っていて、世の中という社会では、勝ち組、負け組み、上流、下流などのレッテルをつけるのが得意ですが、そんなことはどうでもいいんじゃないでしょうか。いま自分がしあわせであれば、それで十分。ふしあわせであるならば、それはしあわせになれる可能性を持っているということです。自信を持ちましょう。

背負えないというのは受動的ですが、背負わないというかたちにすると能動的になる。そして、選択するということは、逆に何かを切り捨てるということでもあります。切り捨てるためには勇気も要りますが、一度切り捨ててしまうと、とてもさわやかな気持ちになることがあります。生かされている、のではなく、ぼくらは生きている、わけで、つまりそれは自分の意思さえ持てば、どのような選択も可能であるということです。もちろんその選択によっては責任を負わなければならないこともあるし、厳しい世界が待っていることもありますが、誰かに操られてマリオネットのように生きるよりも、しがらみの糸を切ったほうが生きがいがある。

理想を求めすぎるときりがないですね。たとえば趣味のDTMでも、もっといいソフトウェアシンセがほしい、とカタログを読み始めると、そのスペックにあわせたPCもほしくなってくる。そうすると、別の機材もほしくなってきて・・・ときりがありません。でも、果たして現状で120%機能を活用しているかというと、そんなことはない。まだまだリソースを生かしきれていない。無料で手にいれることができる優れたソフトウェアシンセだってまだまだあるはずだし、スペック不足で時々落ちてしまうPCだけど、CPUの負荷を減らすためにSONARにはアーカイブの機能があり(ソフトウェアシンセの音をオーディオにバウンスしたあとでシンセ自体を外す機能)、これらを駆使すればもう少しよくなるはず。限られたリソースで最大限の効果を生み出そうとしたとき、そこに発想や工夫が生まれるわけで、確かに恵まれた環境にあればいいものができるかもしれないけど、ぼくは貧乏DTM打ち込ミストとして、いまある機能を使い倒してやろうと思っています。

さて、お酒を飲むということに関していうと、いままさに忘年会シーズンまっさかりですが、愚痴や自慢話を聞かされるような飲み会は、勘弁してほしいと思っています。お酒は美味しく飲みたいし、飲むのであれば創造的な会話をしたい。どうしようもなく出席しなければならないものはともかく、別に無理をして参加しなくてもいいんじゃないかと最近思うようになりました。そのことでどうこう言われるなら、どうこう言っちゃってください、という感じです。つきあいの悪い狭い人間だ、というなら、その通り、と言いたい。とってもナロウなやつなんです、ぼくは。

うんざりするような飲み会に参加するのであれば、そのための時間や費用は、自分を高めるための投資に使ったほうがいい。人生というリソースも無限にあるものではなく、限られたものです。限られたリソースは有効に使いたい。ただし、古い知人や友人たちと会うことや、まったりといろんなテーマで人生について考えるなどという飲み会は、全面的にウェルカムです。ぼくは基本的にはお酒が好きだし(弱くなっちゃったけど)、いろんな話を聞くのが大好きなので。

異業種交流会のようなものにしても、一時期は積極的に参加していたのですが、終わったあとでネットワークビジネスや年金対策、マンションの電話などがじゃんじゃんかかってくることがあり、うんざりしていました。ああ、そういうことか、じゃあ出席しなくていいや、という気持ちになりました。もちろんなかには新しいビジネスを考えているようなひともいるのですが、飲み会だけの交流会では、そうしたひとと出会う確立が非常に低い。勉強を主体としてセミナーなどをやった後に懇親会、というようなスタイルの交流会に参加したほうが、まだよいような気がします。

なんだか理屈っぽくなりましたが、きっとそれは学生時代の知人たちと会って、みんなと過ごした時間からパワーをもらったからでしょう。書いたことと反しますが、ぼくらは生きている、と同時に、誰かによって生かされてもいる。仕事ではお客様に、家庭では奥さんや子供たちに、そして知人や友人たちに。そのことには感謝したい気持ちでいっぱいです。

それにしても友人とタクシーで帰ったのですが、気持ち悪くなって友人の家の近くで下車。夜中の3時に1時間ほどかけて、とぼとぼと家まで歩いたのはきつかったです。まあ、それで健康になったのかもしれないけど。

投稿者: birdwing 日時: 00:00 | | トラックバック (0)

2005年12月14日

a000812

発明家スピリッツ。

少年の頃には、さまざまな夢があったのですが、そのひとつに「発明家になりたい」というのがありました。何を発明するんだ、と言われても少年ぼくは困ってしまったと思うのですが、とにかく白衣を着てメガネをかけて、フラスコとかビーカーから煙のもくもく出てくる液体をかざしながら、頭はぼさぼさなんだけど世の中があっと驚くような何かを創り出す、そんなひとに憧れていたものです。いわゆる「バック・トゥ・ザ・フューチャー」のドクなわけです。内容はともかく、白衣が着たかったのかもしれません。となると、単なるコスプレイヤーかもしれないし、医者でもいいわけですが、とにかく医者嫌いだったので、痛そうなことをしない発明家ということになったのでしょう。目立ちたかっただけかもしれない。子供の発想なんてそんなものです。

B0026P1KL0バック・トゥ・ザ・フューチャー 【プレミアム・ベスト・コレクション1800円】 [DVD]
ジェネオン・ユニバーサル 2009-07-08

by G-Tools

その後、授業が算数から数学に変わったところですっかり挫折した少年ぼくは、消去法によってブンガクへの道を歩んでしまったのですが、技術者や開発者に対する憧れというのはいまでもあります。ASIMOやAIBOなどのロボットの話はやっぱり好きだし、ちょっと古いのですが、島津製作所の田中耕一さんの生き方には感銘するものがありました。しかしながら、研究者として生きるのも大変だと思います。特に企業のなかで研究をしていくには、いろいろと軋轢もある。職務発明に対する対価というのが、問題でもあります。青色ダイオードに関する訴訟なども記憶にあります。

本日も午前中、知的財産に関するセミナーに参加しましたが、今回は特許と商標に関するテーマでした。商標に関してはネーミングやブランディングの観点からかなり現在の仕事に近い部分もあるのですが、特許はあまり関係のない分野です。とはいえ、ビジネスモデル関連の事例で、ソフトウェアによるビジネスモデルを申請するときに、ハードウェア資源をからめないと「発明」とはならない、というお話は面白いものがありました。そもそもマイコン時代にはハードとソフトは一体化していたわけで、その時代の名残というか、いかにもお役所的な感じがします。また、特許権と著作権の比較も、アルゴリズムやサービスモデル自体まで保護する特許権に対して、プログラムだけを保護する著作権という分類がわかりやすかった。特許の申請には手続きには時間もコストもかかりそうなのですが、競合他社への牽制も含めて、大企業が知財に対しての取り組みを強化していくのは当然だろうという印象を受けました。とはいえ、ぼくは法務部ではないので、なんとも実感がないというか中途半端な気がしました。

商標の方のお話では「プラモデル」が商標というのが、へえと思いました。ということは正式にはプラモデル(TM)なんでしょうか。「セロテープ」「味の素」「ジッパー」「チキンラーメン」が商標というのはわかります。あと思い出したのですが確か「デジカメ」は三洋電機さんの商標だったかと思います。三洋電機さん以外が使うときには注意が必要です。

普通名称化すると商標としては登録できないようです。つまり、法務の担当者としては、辞書などに製品名が掲載されるときには注意が必要であるとのこと。これは微妙ですね。みんなに使われるぐらいに浸透した方が、企業としてもうれしいと思うのですが。

日本では認められていないようですが、海外ではキャッチコピーも商標登録できるところもあるとのこと。発明家にはなれないかもしれないけど発明に対する気持ちだけは持ちつつ、ちょっとしたひらめきを大事にしたいものです。

+++++

■特許電子図書館のホームページ。あれこれ商標の検索をしてみると楽しい。
http://www.ipdl.ncipi.go.jp/homepg.ipdl

投稿者: birdwing 日時: 00:00 | | トラックバック (0)

2005年12月13日

a000811

直すよりも予防すること。

思いがけず子供が喘息で入院したので、ひととおり喘息関連のサイトなどをみているのですが、以前にも紹介したグラクソ・スミスクラインのサイトで"「発作を止める」のではなく「発作を出さない」方向へ"というキャッチコピーが印象に残りました。医療においては、病気になってから治療するのではなく、未然に病気を防ぐ医療が重視されつつあるということも聞いた覚えがあります。

確かに、病気になってしまってあわてたり悲しんでも遅い。けれども往々にして、そういうことが多いものです。なぜそういう後悔が起きるかというと、病気に至るまでにはいくつかの兆候があったはずですが、「まあいいか」と見過ごしていたことが要因としてある。つまり大事にならなければ、まだ大丈夫だろう、騒ぐことはないだろう、と軽視してしまうわけです。

うちの息子の件に関しても、10月に一度、夜中に苦しがったので救急車で運んだことがありました。そのときには、はっきり喘息と診断されたわけではないのですが、自宅に戻って、アレルギーの原因になるほこりに注意しなければいけないなあ、カーペットも取り替えるかな、などと考えていたのですが、そこでまた「まあいいか」と思ってしまった。点滴の針を刺されながら泣き叫ぶ子供の声を聞きながら、なぜあのときにもっと気をつけて、実際に行動に起こさなかったんだろうということを痛いほど反省しました。

話は変わりますが、みずほ証券がジェイコム株を誤発注した件が大きく報道されています。61万円の株を1株というところを61万株を1円で売りに出したというあり得ないようなミスですが、当初は270億円の損失といわれていましたが、それだけでは収拾できないようで400億円という報道もあります。一部では、1000億円ともいわれています。当初はみずほ証券の責任が問われていましたが、その後、東証自体の問題、そしてシステムに関与した富士通にも責任問題が波及しています。

まさかそんな発注があるとは想定していなかった、という発言もみられましたが、まさかも含めてどこまでシミュレーションできるか、ということがリスク管理では重要ですね。新規上場の銘柄にみられる特殊な状況だったことも要因だったようですが、大規模なシステムだけに何度もあらゆる状況を想定することが重要です。それはひとごとではなく、ぼくらの仕事に関してもいえることかもしれない。

コンピュータを全面的に信頼するのではなく、やはり人的なチェックは必要であるし、アラート(警告)やインターフェースの部分においても改良が必要かもしれません。東京新聞の「みずほ証券 株誤発注のウラ」という記事では端末上の警告を社員が無視してしまったのではないかという立教大学の芳賀教授のコメントを引用して、「米ボーイング社のジャンボジェット機では操縦席内の操作画面上での警告が三段階ある。一番危険な場合は、警報音とともに画面が赤く点滅して危険度を伝える仕組みだ。」と記事に書いています。このような根本的な解決が必要です。コンピュータは間違えないけれども、人間は必ずミスをするものです。人間が間違えた情報をコンピュータは正確に処理する。これが人間を抹殺するボタンを押してしまった、ということになるとまるでSFの世界ですが、笑えない社会になってしまったなと感じました。

ところでふとJR尼崎線の脱線事故を思い出してしまったのですが、マスコミとしてはこのミスを起こしたのが誰か?という関心は当然あるわけで、それを追求しそうな気もしています。しかし、辛いだろうなあ、この事故の当事者は。

まだ新入社員の頃、電話番号の誤植をしたことがあるのですが、しんどい経験でした。幸い大きなトラブルはなくて済んだのですが、ミスは起きるものとわかっていても、やっぱりしんどい。できればミスは起こしたくない。

あ、やっちゃった、まあいいか、では済まないことも多くあります。病気にしても、ミスにしても、起こってしまって反省するよりも、起きないように未然に防ぎたいものです。

■IT Proの「動かないコンピュータ・フォーラム(17)証券取引所で何が起きているのか」という記事。証券はもちろん、ライフラインに関わるシステムトラブルの場合、ぼくらの生活も脅かされるような気がします。
http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/OPINION/20051208/225907/

投稿者: birdwing 日時: 00:00 | | トラックバック (0)