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このページは2008年6月に書いたすべてのエントリーです。

2008年6月29日

スモールワールド。

またここへ来てしまったね。足の親指にテープでとめられた脈拍と酸素の計測器。皮膚を透かして蛍のように光るセンサーの赤いひかり。液晶に表示された100近辺の数値。点滴のビニールと手に巻かれたネットの包帯。最先端の医療機器にもテレビにもなるディスプレイ。明るい部屋には、きみを含めて4人の子供たちがいる。そして4組の家族たちと医師、看護婦たちが見守っている。

今度の入院は喘息ではなく、細菌性髄膜炎と診断されたきみは、力なく横たわり、ひたすら眠っている。38度近い熱は波のように引いたり寄せたりして、きみの額に痛みをもたらした。その傍らで、所在のない父親は、たくさんの動物や植物たちの折り紙を折りあげていった。たわむれに買った本のページを開きながら、山折り、谷折り、中割り折りなどを繰り返して、ちいさな紙片は、次々とちいさな世界の構成物に変わっていく。

檻で囲まれた清潔なシーツの上にひろがる、ちいさな世界。スモールワールド。きみの眠りを妨げないように、そっと置いた、うさぎ、つりがねそうの青い花、小鳥、そしてクリーム色の鳩。

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窓の外には半円形のかまぼこを立てたような建物がみえる。遠くから長期の入院に付き添うひとびとが宿泊する施設だそうだ。建物の下には円形の庭が広がっている。それはちょうどきみが大好きなナスカの地上絵のようにみえないこともない。きみは窓の外を眺めることさえ嫌だ、と言っていたけれど。

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売店で買ったミニカーは、1日ごとにきみの枕元に増えていった。はしご車やダンプカーなど、チカラ仕事をするクルマが多かった。あまのじゃくな父親は、スペースシャトルを買ってみた。

10年後、きみが成長する未来には、月へハネムーンに行くことさえできるかもしれない。あるいは、そんな技術はまだ夢の夢で、いまと変わらない毎日が続いているかもしれない。

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どちらでもいい。そんな未来にきみがいればいい。好奇心の目をくりくりと動かして、分厚いくちびるをちょっと尖らせたりしてみながら、スモールワールドを卒業したきみの眼前に、おおきな世界が広がっていればいい。

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はやくよくなるように。折り紙でつくるちいさな世界に、祈りを込めて。

投稿者 birdwing 日時: 23:59 |

2008年6月26日

髄膜炎の子供をもつ親の初心者メモ。

このエントリーに関しては、慎重に読んでいただけるようにお願いいたします。また、もし同じような境遇にある方がいらっしゃったなら、安易に判断せずに専門医と相談していただくことをおすすめします。というのも、ぼくは医療関連に関してはまったくのドシロウトであり、息子(次男くん)の入院をきっかけに調べ始めただけの一般人なので。

子供が月曜日に細菌性髄膜炎で入院しました。その経緯については、昨日のエントリー「75%の未来。」になるべく詳しく書きました。その後、重病であるということもわからずに、のんびりと構えていたのですが、どういうことなのか理解したかった。そこで、さまざまな方法で情報を入手しているうちに、次第にことの重大さに気付きはじめています。

さらに最先端の医療問題に関連しているらしい、ということをなんとなく察知しました。まだきちんと調べていないのだけれど、そんな匂いがする。個人的に、というかブロガーとして嗅覚が働いただけのことです。ひょっとして調べてみると面白いかも、と上空から俯瞰した鳥的な視野にひっかかるものがありました。

興味深いというのは非常に不謹慎なのだけれど、自分の息子の話であり、ひとごとではありません。探偵みたいですが(苦笑)、調べていくうちに、重大さだけでなくて社会的な部分も含めて、この病気のコンテクストのようなものが、ぼんやりとわかりはじめた。たぶん現在、注目されているのではないでしょうか。というのも、読売新聞の記事を興味深く読んだからです。

読売新聞の2007年9月13日の記事「細菌性髄膜炎 防げるのに」では、生後5か月の時に細菌性髄膜炎にかかったケースをもとに、「一命をとりとめたが、てんかん、難聴などの後遺症が残った。発達も遅れ、今も座ることも、しゃべることもできない。」子供に対して、今後このような子供をひとりでも救えないかと切実な願いを抱く田中さんという母親が、ワクチンの存在に気付き、5万9000人分の署名を集めたことが記事として書かれています。

以下、引用します。

国内の細菌性髄膜炎の60%以上はHib(ヒブ=インフルエンザ菌b型)と呼ばれる菌が原因で、ワクチンは100か国以上で導入されている。原因の25%を占める肺炎球菌にも乳幼児用のワクチンがあり、84か国で使われている。
ワクチンが導入された国では、細菌性髄膜炎の患者が激減している――。「なぜ、日本でだけ使えないのか」。衝撃を受けた。

さすがに自分の子供のことしか考えていませんでしたが、世界では少なくなりつつある病気のようです。さらに長文になりますが引用します。

記事で紹介された耳原総合病院(堺市)小児科部長の武内一さんの支援を受け、昨年10月、他の患者の家族と「細菌性髄膜炎から子どもたちを守る会」を結成した。
会の活動もあって今年1月、Hibワクチンは国の承認を受けた。来年初めまでには輸入・販売体制が整い、接種が受けられる見通し。一方の肺炎球菌ワクチンは、近く厚労省に承認申請が提出される予定だ。

明るいきざしはあります。しかしながら、まだたくさんの課題を残している。世界の状況に比べると日本は遅れをとっているらしい。

だが、公費負担でまかなう定期接種に組み入れられる見通しはない。Hibワクチンは、生後3か月から1歳半までに計4回接種する。1回の費用は約7000円と見込まれ、約3万円の自己負担になる。
一方、世界保健機関(WHO)は、乳幼児への定期接種を推奨しており、Hibワクチンを導入した9割以上の国が定期接種としている。「日本も早急に定期接種で受けられるようにしてほしい」と田中さん。
日本の予防接種体制は、海外に大きく後れをとっている。他の先進国では、ポリオ、おたふく風邪に、日本の製剤に比べ副作用が少ないワクチンが使われ、乳幼児に下痢や嘔吐(おうと)を起こすロタウイルス胃腸炎への新しいワクチンの定期接種化が進んでいる。
「日本の常識は世界の非常識」と武内さんは嘆く。

ぼくの息子、次男君もインフルエンザ型の細菌性髄膜炎として診断されていました。病院からいただいた検体情報の結果には、莢膜抗原:b型と記されています。たぶんHib(ヒブ=インフルエンザ菌b型)だろうと思います。ちなみにWikipediaのインフルエンザ菌のページには、病原性として次のような記述があります。

膜株の感染症ではほとんどの場合b型が起炎菌で、敗血症、髄膜炎、結膜炎、急性喉頭蓋炎、関節炎などを起こす。b型以外の莢膜株が人に感染症を起こすことは稀である。

髄膜炎もきちんとありますね。なので間違いはないか、と。さらに手もとの「一般細菌検査」の資料によると、BLNARという菌名が記されています。これは、βラクタマーゼ非産生アンピシリン耐性(BLNAR)インフルエンザ菌のようです。以下もその解説です。

BLNARの存在が報告されたのは1980年であり、それほどBLNARの発生はそれほど古い話ではない[2]。しかし、2004年の北里大学の報告によると、検出されたインフルエンザ菌のうち21.3%(2002年)がBLNARであり[3]、また2007年の長崎大学による報告では、19.5%(1995-1997年)がBLNARであり[4]、近年の高い出現率が問題になっている。

つまりうちの息子の発症したものは、細菌性髄膜炎のなかでは比較的ポピュラーなパターンではないでしょうか。

というわけでいろいろとネットの海から情報を探しまくっていたのですが、ちょっと待て自分、とも思った。もちろん医療に対する理解は必要だけれど、何かとんでもない方角へ突き進んでいないか、と。

いま大切なのは、ベッドでぼんやりと眠る息子が元気になってくれることを祈ることであり、病気に対する情報収集にやっきになることではない。また、たくさんの情報が集まったところで、それは息子の病気を取り巻く現状を確認するだけのことであり、息子自体が置かれている状況は、また特別なものだったりするかもしれません。

そんなわけで、細菌性髄膜炎の息子をはじめてもった父であるところのわたくし(困惑)は、とりあえず病院にお見舞いに行こう、と思ったのでした。夜通しネットを検索して、安心するためのネタを探しまくるのではなくて。

不安はあっていいと思います。けれども不安を解消する場所はネットではなく、病院のベッドで元気になった息子の顔つきにあるのではないでしょうか。そのためにお医者さんは尽力していただいているし、親も親戚も応援している。それでいいじゃないか、と。

「知識だけあるバカになるな!」という本も読んだばかりでした。子育ての情報にいくら詳しくなっても、子供に接していなければ親として失格ではないか。病気に詳しくなったとしても、自分の子供が置かれている状況や苦しみをわからなければ、机上の情報を収集しただけに過ぎないのではないか。

ネットから離れて、病院へ行こう。

細菌性髄膜炎に対して若葉マークの父は、そんな風に考えをあらためています。元気に笑う息子の顔をイメージしながら。

+++++

以下、細菌性髄膜炎に関する参考リンクです。

■Wikipedia 細菌性髄膜炎

症状

発熱、頭痛、嘔吐、不機嫌(乳幼児の場合)などがみられ、症状が進行すると痙攣や意識障害も現れる。

発熱は細菌感染の一般的な症状であるが、髄膜炎では脳脊髄液の圧力(脳圧)が高まり、脳自体に浮腫を伴うこともあるため、その刺激や血流の不足によって嘔吐、意識障害などの症状が現れると考えられている。

治療

患者が小児である場合、難聴の合併を予防するため、デキサメサゾン(合成ステロイド)を2日間併用することが多い。しかしデキサメサゾンの有効性についてエビデンス(科学的根拠)があるのは、インフルエンザ桿菌b型による細菌性髄膜炎の場合のみである。


■細菌性髄膜炎から子供たちを守りたい・・・
http://www.k4.dion.ne.jp/~zuimaku/

■髄膜炎って?
http://www.k4.dion.ne.jp/~zuimaku/g77.html

■細菌性髄膜炎
http://idsc.nih.go.jp/idwr/kansen/k03/k03_38.html

■むっち母の体験記 「救われた命」
http://homepage2.nifty.com/~sakura2001/taiken/mutti/mutti.htm

以下を引用。まったく同感です。変化を察知するのが大事だという気がしました。しかも早く。

でも、いつも手のかかる子が、あまりにおとなしい、そして笑わないというとき「おかしい」と感じることができるのは、親だけだと思います。この病気のことが周知され、早め早めに診断がつき、後遺症なく治癒する子どもが増えるようにと願い、メールしました。

投稿者 birdwing 日時: 01:31 | | トラックバック

2008年6月25日

75%の未来。

日曜日、次男くんは37度ちょっとの熱を出していたのだけれど、深夜の1時すぎに突然アタマが痛いと泣きはじめました。最初は何か悪い夢でも見たのかと思った。公開したばかりの趣味のDTM作品を聴きながら、ネットにつないでいろいろと調べようと思っていたぼくが驚いて隣室にいくと、次男くんはわんわん泣いていた。

うーむ、きみもアタマが痛くなることがあるのかと新鮮な感じがしました。というのは、お腹が痛い、ということがあっても、アタマが痛くておお泣きするのは、はじめてだったんですよね。遠くで雨がざんざん降っている音が聴こえた。喘息のときのように救急小児科に行こうかと思ったのだけれど、この雨では大変だな、タクシーつかまるかな、と思ったのを覚えています。

ところが、何か楽しい夢心地のところを早朝の4時半頃に叩き起こされました。次男くんが痙攣を起こしたらしい。うつろな目をして5分間ぐらい手を前後に動かしたとのこと。奥さんのそんな話を聞いて、なんだか胸がざわざわとした。39度を超える熱があり、ぐったりとしている。呼びかけても反応がにぶい。揺さぶっても、ぼんやりとしている。どうしようかと思ったのだけれど、とにかく救急小児科に連れて行くことにしました。

奥さんの母親を呼んで長男をみてもらうことにしたのですが、この母親がまたパニックになるひとなので困惑。ちょっと切れそうになりつつ、ぼくはタクシーをつかまえに行って、奥さんが次男くんを連れてくるのを待っていた。あまりに遅いので、黒塗りのタクシーに待っていてもらうように話して迎えにいくと、タオルケットにくるまれた次男くんがぐったりとしていた。で、戻ってみると待っててくれとつかまえていたタクシーがいない。逃げられた。しかし、別のタクシーに乗り込むことができて安堵しました。あの個人タクシー許せん、と思った。

そうやって救急小児科に行ったのだけれど、さすがに月曜日の早朝なので誰もいない。手続きをしてトリアージというところで最初に話を訊いてくれた看護婦さんはしっかりしていたのだけれど、その後に出てきためがねをかけたお医者さんが、いままで仮眠をとっていましたーと言う感じの若いひとで、同じことを何度も繰り返して訊く。症状をパソコンに打ち込むのだけれど遅くて、ああ、もう、ぼくが打ってあげましょうか、と思った。診察後、点滴を打ちましょう、ということになって病室から外に出されました。点滴を打って、少し様子をみましょう、とのこと。

喘息のときに飲ませるテオドールとかいうクスリは発熱時にはよくないらしく、それが悪さをしているのではないか、とのことでした。しかし行きつけの小児科では、クスリの分量を測っているので、問題はないはず、と言われていたようです。点滴のせいか、次男くんはおしっこを洩らしてしまった。点滴をやるとおしっこがたくさん出るようになるらしい。あとで考えるとこれも予兆のような気がするけれど、着替えを持っていないので、久し振りにおむつ状態に。その後、8時になってから売店でパンツとズボンを買ったのですが、結局これは使いませんでした。

喉が渇いた、水が飲みたい、としきりに次男くんは言うのだけれど、医師の指示で水は我慢。しかしながら、7時を過ぎた頃だと思うのですが、ぼくのほうが眠さと喉の渇きに我慢できずに、次男くんには悪いけれど、こそこそと売店に行ってコーヒー休憩をしちゃいました。バニララテを飲んだところ、なんとなくしあわせな気持ちになった。会社の会議に遅れてしまうことは家から出てくるときにメールで連絡していました。でも、今日も1日やることあるなーとぼんやりと考えながら眠い目を擦った。

しかし、コーヒー休憩から戻ってみると事態は急変していました。2度目の痙攣を起こしたらしい。水を飲ませようとしたら嘔吐したらしいのだけれど、それが痙攣だったようです。

ぼくはいなかったのだけれど、そのときにナースコールをしたところ、看護婦さんを含めて6人ぐらいの医師がすっとんできて、だだだっと次男くんの周囲を取り囲んだとのこと。大袈裟だなーと思ったのですが、さらにびっくりしたのが、入院してください、と告げられたこと。ただの熱でしょ?もう帰ってもいいんじゃないの?勘弁してよ、と思ったのが正直な感想です。

医師の話によると、意識が低下して反応が鈍いのが気になる、とのこと。確かになんだかぼんやりとしている。次男くんは自分の身体に触られるのを異様に嫌って、手をつなぐことさえ嫌がる。手を払いのけます。将来、彼女ができたときにどうするのだろうと、どうでもいいことを心配してしまったこともあったのですが、そんな彼が医師に手をつねられてもびくともしない。ぼくも手を握ってみるのだけれど、高熱のために熱くなった指は握られたままになっている。

何の検査だろうか、と思っていたのだけれど、何度も首を曲げさせておへその方を見させようとする。首をくりくり動かして、痛くないか訊いていました。

その後、CTスキャンで脳の検査をしました。設備のしっかりした小児科で、CTスキャンのまあるい機材にドーナッツの絵が描かれているのがかわいらしかった。待っている間に奥さんに、次男くんにはひらがなを反対に書くような天才気質があるのだけれど、この発熱で天才になっちゃったりしてね、などと能天気なことを話していました。いつかNHKでやっていた番組のように、数学の答えを映像でみられるようになったら凄いよね、と。

ところが、その後、脊髄に針を入れて液を取る検査もやることに。局所麻酔を打つようだけれど痛いらしい。これも6人近くの医師がかかってやっていただいたのだけれど、ガラス窓の向こうで処置されるのをみながら、泣き声が聞こえてこないのが意外でした。喘息のときの点滴の針を刺すときにも、もうおしまい?、もうおしまい?と泣き喚いていた彼の声が少しも聞こえない。どうしちゃったのか。

結果を聞いてまたびっくりしました。3週間ぐらい入院してください、とのこと。

どうやら彼の脊髄の液からは、うようよとインフルエンザのウイルスが検出されたようです。インフルエンザといっても通常のものとは違う種類らしい。

細菌性髄膜炎、というのが彼の病名でした。そんな名前はじめて聞いたのですが、ようするに脳炎です。

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まず断っておきたいのは、もし同じように細菌性髄膜炎になった子供を持つご両親が読まれているとすれば、一般的な数値をあまり信じ込んではいけない、ということです。また、ネットなどで簡単に情報を入手できるけれど、その情報に翻弄されないことも大切です。担当の医師に、自分の子供はどういう状態なのかを訊くことが大事です。

ということを前提として書くのですが・・・。

髄膜炎は3歳までの乳児に多いらしく、10%が死に至り、25%ぐらいはその後、水頭症や難聴、発達障害のような後遺症が残る。半身不随や小児マヒになるようなこともある。軽く考えていたのだけれど、ものすごく重い病気のようでした。喘息も大変だけれど、それどころではないかもしれない。

まさかそんな・・・というのが本音です。ただの風邪でしょ?とまだしつこく思い込もうとしていた。

ただ現実は厳しい。5歳の彼にとっても25%ぐらいは障害が残るらしい。だから、しっかり治すためにも3週間の入院が必要である、というのが医師の判断です。今週、次男くんは幼稚園で清里へキャンプだったんですよね。ものすごく楽しみにしていた。それどころじゃない。そんなイベントはふっとんでしまいました。

で、目の前が暗くなった。

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歩きまわっていたような気がします。病院まで何回か往復した。ただ、何も記憶には残っていない。歩いたことさえ夢のなかの場面だったような気がする。

火曜日。疲れていて、それでも精神が焼け付いたような感じで遅くに出社。単純な仕事を何度も間違えて困った。あまり仕事にならずに(気を抜くと髄膜炎をネットで検索してしまうのがかなしい)困惑しつつ早く帰ったのですが、そのまま病院に立ち寄り、彼の病室に行ってみました。

帰りたいようと明るくダダをこねる次男くんを想像していたのだけれど、彼のベッドに行くなり、はっとした。顔つきが違っている。それは・・・そう。言ってはいけないのかもしれませんが、知識に障害がある子供の目でした。

どうやら眠っていないし起きたばかりだからかもしれないのだけれど、ぼーっと中空をみつめている。呼びかけてもこちらを見ない。焦点が合わない。そのうちに、ねる・・・と横になってしまった。首が痛むらしい。というのも脊髄のウィルスが首の辺りで炎症を起こすからだそうです。昨日の首の検査はそういうことだったのか、とあらためてわかりました。

奥さんと看病をかわっている間に、看護婦さんがやってきて彼を着替えさせてくれたのだけれど、脱げないよう・・いたいよう・・・と洋服を脱ぐことができずに力なく泣く、というか泣く気力もなく声をもらすだけの彼を見ていたら、看護婦さんがいるにもかかわらず、ぼろぼろ涙が出て止まらなくなった。どうしてこうなっちゃったんだ、きみは。

ぼくに似て、というのはおこがましいけれど、彼の目はとても大きく、好奇心でくるくると動く。最近は、惑星に凝っていて、土星が好きでした。世界遺産も大好きで、先日テレビで放送していたナスカの地上絵なども、いっしょうけんめい見入っていた。

その目が濁ってしまって、細くなって焦点も合わず、言葉もたどたどしい。溌剌とした笑顔が凍りついたように表情がなく、ウィルスをやっつける抗生物質の点滴のせいかむくんでいる。そのままなのだろうか。いや、きっとよくなるよね。

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医師の話によると、それでも早い時期に彼を病院に連れていったのがよかったとのことでした。喘息になると即病院に連れていく行動ができあがっていたのですが、それが功を奏したようです。また、仮眠をとっていたばかりのようなめがねのお医者さんの判断もよかったのではないかと思います(ありがとうございます)。1日そのまま寝かせていたら、取り返しのつかないことになっていたらしい。

入院している間、奥さんは付き添いで病院に泊まっているので長男くんとふたり暮らしです。学校に迎えに行ったり、さびしくてしおしおになっている彼と話をしたり、将棋をやったりしている。将棋は2日間とも彼に負けました。弱くなったものだ、父は。

弱くなった父は次男くんのこれからを想像すると現実に負けそうになるのですが、25%に障害が残るということは、75%はそれでもよくなるということじゃないのか。辛いけれど前向きでありたい。

75%の未来を信じてみようと思います。

きっと世の中には、もっと重い病気の子供を看病しつつ、暗い未来に負けそうになりながら、それでも強く前向きに生きているご両親が多いのではないでしょうか。ぼくのこんな日記など、まだまだ甘っちょろいのかもしれない。というか、日頃あまり子供とも遊ばないくせに、こういうときだけネタにしているのはどうか、と恥ずかしくもなる。きちんと子育てをしているご両親に申し訳ない。

けれども髄膜炎をネットで検索しながら、やはり参考になったのは医師の解説はもちろん、同じ髄膜炎の子供を持つ親の体験談でした。事例がいちばん参考になる。とはいえ、こんな長文は実用的ではないと思うのだけれど(苦笑)、不安もあって書き殴ってしまったこともあり、もしかしたら症状以外のところで参考になるかもしれません。推敲してあとでざくざく削る場合もあるけれど、早期発見で髄膜炎を防ぐ何かのヒントになったり、同じ症状の子供を持つ親の参考になるように、エントリーというボトルに詰めてネットの海に投げておきます。

いまは手が付けられないのですが、髄膜炎について調べたことも追加していくつもりです。次男くんが、また公園を走り回るときがくることを祈りつつ。そして髄膜炎を未然に防いで、少しでも健康な子供たちが増えるように。

投稿者 birdwing 日時: 02:02 | | トラックバック

2008年6月22日

[DTM作品] マインドスケープ

ブログを書きはじめてから思うことですが、フォントで考える自分がいてなんとなく怖い。どういうことかというと、帰りの電車でぼんやりと今日のブログは何を書こうかなーなどと思いをめぐらせているとき、フロー状態になってあふれた言葉が、脳内の電光掲示板にフォントで表示されていくわけです(左側から右のほうへ)。つまり、「・・・などと困惑しているわたくし(苦笑)」のような、かっこ苦笑まで文字で考えてしまう。更新頻度が減少しつつある最近ではさすがに少なくなりましたが、もはやビョーキですね、これは(苦笑)。

どうせなら、この流れていく言葉を脳波ごと読み取って、テキストにできないものか、などと横着なことを考えてしまうのですが、そんな技術が実用化されるのはもう少し後のことになるでしょう。といっても、GIGAZINEの記事に「脳波でパソコンを操作できるマウスが日本上陸」などという記事もありました。¥24,800らしい。うーむ、ほんとうに動くのだろうか。ちょっと心配。よこしまなことを考えて、あらぬ方向にマウスが動いちゃったら、それこそ困惑ですね(苦笑)。

一方で、脳内に広がる明確なイメージや感覚を、どうしても言葉にできないことがあります。ものすごい強烈な感覚がいま、ここに(脳内に)あるのに、表現する言葉がみつからない。特に徹夜明けであるとか、身体を徹底的に疲れさせたときに感じることがあります。たぶん辛さを緩和させるために脳内麻薬のようなものが分泌されていて、一種のトリップ状態にあるのでは。そのぶっとんだ感覚を言葉にしたいのだけれど、どうしてもできない。

先日、ものすごく身体が疲れているときに、へろへろになりながらそれでもタワーレコーズに行って試聴したことがあったのですが、音がまるで立体的な刺激のように突き刺さってきて圧倒されました。眩暈がした。そのときに試聴したアルバムのひとつは、コールドプレイの新譜でした。iTunesのCMにも使われているようですが、YouTubeの映像から。

■Coldplay - Apple iTunes Viva La Vida

すげーっ!!!と思ったのですが、くたくただったためにアルバムを購入せずに帰りました(小遣いもなかった。泣)。ところが別の日に試聴してみたところ、それほどの感動がなく、首を傾げてしまった。作品は、聞き手のコンディションや文脈によっても、まったく別の音に聴こえることがあるようです。

聴き手だけでなく作り手に関しても同じことで、ぼくは特にブログを書くように趣味のDTMで作品を作ろうと思っているのですが、制作中にはびしばしと刺激を受けるような感覚があっても、音というカタチにしている間にどんどん薄れていくことがあります。これは辛いですね。脳内にある音をそのままオンガクにできたらどんなにいいことか。モーツァルトはものすごいスピードで楽譜を書き上げたらしいのですが、きっとインスピレーションを具体化する表現の力がすさまじかったのではないかと思います。やはり天才は違う。

天才ではないぼくは、それでも脳内に広がる音の世界を具体化したくて時間を忘れて趣味のDTMに没頭しているわけですが、土曜日から日曜日にかけて曲ができました。曲・・・ではないかもしれないですね、メロディはほとんどないので、音のコラージュのようなものかもしれません。

心の内側あるいは脳内に広がる風景、という意味でマインドスケープというタイトルにしてみました。ブログで公開します。


■mindscape(2分23秒 3.29MB 192kbps)

作曲・プログラミング:BirdWing


MIDIの打ち込みではなくて、主として音の素材を切り貼りにより制作しています。このところピアノを中心にした曲が多かったので、ギターの曲を作りたかった。と、いってもいつものようにぼくは弾いていません。冒頭に聴こえるアコギの音は、RealGuitarというソフトウェアシンセの打ち込みで作りました。VAIOのノートパソコンのなかで完結して作ったラップトップミュージックです。

脳内に広がる言葉や風景のサイケデリックな感じを出したかったので、しゅわしゅわした音を多用しています。ベースも生音素材の切り貼りなのですが、フランジャーをかけました。ベースにフランジャーをかけると、なんとなくニューウェーブな気分が盛り上がります。

今回は特にリズムにも凝りましたね(笑)。10本ぐらいの素材を切り貼りしています。どちらかというとクラブのDJっぽい気持ちで作った感じでしょうか。

メロディやコードも大事ですが、リズムもオンガクにとっては大事ですね。とにかく身体にいちばん響く表現なので、かっこいいリズムを作りたい。渋谷系からハウス、エレクトロニカまでごちゃごちゃに詰め込んだ気がするのですが、洋楽っぽいかっこいいリズムを追求したいものです。

投稿者 birdwing 日時: 23:12 | | トラックバック

2008年6月20日

待てるひとは変われる。

1142008061901_im_01.jpg大変失礼なことを書いてしまうのですが(といってもブログだから、本音で書こうと思うのだけど)、石田衣良さんは小説よりエッセイを書いていたほうがよいのではないだろうか。今週のR25に連載されている「空は、今日も、青いか?」を読んでそう思いました。ちょっと、じーんとした。涙が出た。

タイトルは「今25歳でいること」です。昨日ぼくが書いたエントリーと同じ秋葉原の無差別殺傷事件について書かれています。なんとなく不遜にも答え合わせのつもりで読んでしまったのだけれど、こりゃかなわんと打ちのめされました。やはりプロの作家の筆力は違いますね。石田衣良さんらしい怜悧な視線で事件を腑分けしつつ、何か心を揺さぶるものが文章に込められています。

勝ち組に対する呪詛、孤独であることのやりきれない想い、仕事の不安定さ、彼女がいないことなど、無差別殺人を起こした25歳が掲示板に書き込んだ言葉に触れながら、フリーターとして転々とされていた石田衣良さんご自身の25歳の頃を語られています。けれども殺人鬼となったKと絶対的に違うことは、石田衣良さんは「変化を粘り強く信じていた」とのこと。そして次の部分では、事件を起こしたKを批判します。

ぼくはKは時の流れというものをなめていたと思う。いつまでも自分が同じままでとどまる、もう変わることはない。愚かにも、そう単純に信じてしまった。けれど、時の力からは誰も逃げられないのだ。四面楚歌だと思われる状況だって、いつか絶対に変わっていくのである。どれほど厳しくつらい状況も永遠に続くことはありえないからだ。

時間が解決することもあります。自分は変わらなかったとしても、周囲が変わることによって、いままでとはまったく違う状況に置かれることだってある。さらに石田衣良さんが書いているように、自分自身も変化あるいは生成していくものです。永遠に25歳のままでいることはできない。

しかし、若いうちはそんな風に悠長には考えられないものです。ぼくもそうだったのですが、答えを早急に急いでしまう。結果が出ないことに苛立ち、きちんと見える形で結果になったものを求めたがる。だから、もし答えや結果が出なければ、簡単に自分の未来を投げてしまうこともある。

あの日借りだしたトラックで秋葉原にいかなければ、Kはいつか正社員として希望する仕事に就けたかもしれない。Kのことを愛してくれる恋人を見つけられたかもしれない。家族をつくり、自分の子を抱きあげ、笑いかける日がきたかもしれない。

かなしみや辛さは視野を奪い、盲目的に現在しか見られなくなります。もう少し遠くを眺めることができれば、少しは考え方も変わったのかもしれません。

彼が携帯電話から掲示板に書き込んだ内容を、ぼくも読んでみました。モテない理由として容姿に異様に拘っている気がしました。それは若者らしい感覚で、わからないこともない。金こそすべてだ、容姿がすべてだ、と極言するのが若い思考の特長かもしれません(ま、ある意味、アタマの固くなったおじさんやおばさんもそうなのですが)。けれども彼が異性にもてなかった理由に関していえば、その心の持ちようにあった気がしてならない。

多くのひとが完璧な心を持っているわけがなく、どこか歪んでいたり、欠陥を隠しながら生きているものです。欠陥があるからモテないということは言えなくて、欠陥があるからこそモテることだってある。根気強く待てば状況も自分も変わり、自分の欠けている部分を補ってくれるひとが現われることだって考えられます。楽観的かもしれないけれど、待てば時代が変わることもあります。

えーと、ちょと脇道にそれると、いまOver40と呼ばれる40代以上の男性が20代の女性に慕われているらしい。読売ウィークリーや最近のSPA!などの雑誌にも特集されていましたが、カレセンと呼ばれる枯れた男性に熱い視線を送る女性もいるとのこと。ブームに便乗するのはどうかとも思うし、20代女性と知りあう機会もないわたくしには縁のないことですが(苦笑)、納得できることもありました。

誌面でも分析されていましたが、Over40の男性は最初の恋愛マニュアル世代といえます。つまり、お姫様であるところの彼女をよろこばせるために、情報収集したり、知識を習得したり、自分を磨いたり、お金をかけたり、お金がなければ愛だ!とばかりに、うんうん知恵を絞ったりしたのだ。

その涙ぐましい努力が若い頃には暴走してやりすぎだったのだけれど(苦笑)、年を取るとさりげなくできたりする。たぶんですね、若い20~30代の男性が面倒くさかったり恥ずかしくてできないことや、あっさり諦めてしまうことを、Over40の男性は臆面もなくやってしまう。しかも惚れたコイビトには全力を投入する。その若い世代にはない傾向が、20代女性にウケているのではないでしょうか。

しかしながら、40代になってモテはじめた男性の多くが、20代の頃は「努力しすぎで気持ち悪い、ストーカーっぽい」とか「熱くてウザい」とか言われて、ぜんぜんもてなかったんじゃないかな(苦笑)。ところが時代が変わって、世代という距離を飛び越えて若い女性のハートをつかんだりするのだから不思議なものです。そんなわけで、若い頃にはぜんぜんモテなくても、人生の後半、落ち着いたオトナになった頃に急にブレイクすることだってあるかもしれない。人生何があるかわからない。

脇道が逸れすぎました(苦笑)。

ほんのちいさな衝動が、人生を、そして社会を大きく変えてしまうことがあります。映画であれば過去に遡って軌道を修正することも可能かもしれませんが、リアルであるこの世界は不可逆なものであり、やり直すことはできない。こぼれてしまった血をもとの身体に戻すことはできません。しまった!と後悔する前に、ちょっとだけ呼吸を整えて、眼前の問題を保留にしてみること。現状維持にしておくこと。それは優柔不断ではなく、勇気がないことでもないと思います。

R25のコラムでは、最後の石田衣良さんの言葉が泣けた(涙)。引用します。

Kと同じような境遇で暮らしている25歳は全国に数十万人単位で存在することだろう。若かったころのぼくに似た、その多くの25歳にいっておきたい。今、きみがおかれている状況は、必ず変わるだろう。変化の芽はなかなか見えず、ときに心が絶望にかたむくことがあるかもしれない。

そして次のように強い言葉で締め括られます。

けれど、ぼくはあなたがKのように自分(かけがえのないひとりの人間)の未来と可能性を投げ捨てることを禁じます。その場で耐え、自分の力をすこしずつ磨き、いつかやってくる変化の時を待ってください。待てる人は変われる。嵐の空もいつかは晴れる。時は誰にでも平等に流れるのだ。あなたが今日を耐える力をもてますように。

ううう(泣)。なんとなく強行な言葉が気になるけれど、こんな風に叱ることができる大人が少ないのではないのだろうか。そして「待てる人は変われる。」という言葉がいいですね。

待ちましょう、いつか風向きが変わるときを。待つ時間を楽しめるひとは、しあわせなひとではないでしょうか。待つ辛さもありますが、待つことは期待や可能性にあふれた時間でもあります。決断を下すことだけが勇気ではない。問題を保留にすることもまた勇気が必要です。

待つことで蓄積された力は、安易に行動する力よりも強いはず。待つことが、ぼくらを強く変えてくれる。秋葉原の事件以降、衝動的に同じことをやろうとするひとも増えているようで、プチ秋葉原事件的なニュースもちらほらと読むのだけれど、一瞬の衝動が人生を台無しにする。

その行動は、その言葉は、あなたの人生を台無しにするものではないのか。ちょっと待って、考えてみましょう。窓を開けて、外の空気を部屋のなかに取り込んでみたりしながら。

投稿者 birdwing 日時: 23:59 | | トラックバック

2008年6月19日

新しい世界に挨拶を。

職場の斜め前方に派遣社員の方がいるのですが、いつも無言で出社して、無言で退社されます。とてもシャイなのか奥ゆかしいのか、挨拶をしたことがない。では、まったくしゃべらないかと言うとそんなことはなくて、実はとても大きな声が出る。どういうときに大きな声が出るかというと、文句を言うとき。ぼくは時折、集中して仕事をしなければならないような状態にあるのですが、その集中力に支障をきたすほど、でっかい声で仕事の不条理さを滔々とお話されます。

確かに仕事の任せ方など問題はあるかもしれないですね。ほんと、申し訳ないです。ぼくはその方の担当ではないので、よくわからないのですが、何もないところから新しいものを生み出すような仕事が多いぼくの職場では、きちんと役割分担が決まっていなかったり、ルール化されていないことも多い。そして、きっと仕事のできる方なのでしょう(これもやはり実際にどんな仕事をしているのかわからないので、なんともいえないのだけれど)。だから、ふがいない正社員にイラつくのもわかるし、不満をバクハツさせるのもわかる。

しかしだなあ、挨拶ぐらいしろよ、と正直なところ思う。基本だろ、社会人の。

たぶんぼくは、ばりばり仕事ができて職場の改善提案もする、でも挨拶しない無愛想なスキルの高い派遣社員よりも、ドジをしたり失敗したり失言も多いのだけれど、きちんと毎朝「おはようございますっ!」と出社して、「お先に失礼しますっ!」と退社する派遣社員の方が、いっしょに働きたいと思うし、会社にいてほしいと思う。ついでに、にこっとスマイルがあれば言うことありません。

派遣社員のうちスペシャリストはある意味傭兵であり、特化したスキルをもって雇われるもので、だからこそアウトソーシングの需要も生まれるものです。とはいえ企業内においては流動的であることは否めず、傍観者ともいえます。他者である。しかしながら、きちんと正社員の仕事をリスペクトし、その大変さをわかりつつ、自分がご奉仕、いや貢献できる何かを把握し、さらにムードメーカーであろうとするような人材であれば、企業からは引く手あまただと思うし、勤め先の企業が決して離そうとしないと思うんですよね。

正社員、派遣社員問わずいえることだと思うのだけれど、こんなもんでいいか、と成長を自ら限定するような人材は「こんなもん」でしか扱われない。しかし、プラスαの付加価値を与えられるような人材であれば存在価値はぐんと伸びます。黙っていても、みるひとはきちんとみている。そして、付加価値というのは別に仕事ができることばかりではないと思います。気持ちのいい挨拶ができる、という当たり前のことが大きな付加価値になることもある。

と、そんなことを書きながらあらためて省みたのですが、自分の職場についていえば、正社員であっても、いつの間にか現われて、いつの間にか去っていくひとが多いですね(苦笑)。なんとなくその状態を当たり前に感じてしまうところもある。しかし、実はこの感覚自体がヤバイ気がする。常識的なこと、当たり前のことができなくなりはじめた社会は、どこかネジが緩みはじめているものです。その変化は、気付かないうちに進展して、気付いたときには取り返しのできない状態のことも多い。

余談だけれど、最近、東京では朝の通勤電車が遅れることが多くなりました。車両故障であったり何かしらの原因によって、必ずといっていいほど電車が遅れる。ダイヤを守ることが仕事であるはずなのに、ダイヤを守れなくなってきていて、それが当然であるかのようにぼくらも出勤する。どうなんだろう?これ。

さて、秋葉原の通り魔の事件があってから、マスコミでは派遣社員という雇用形態の問題を指摘する記事がみられました。

ぼくは一概に派遣社員という雇用制度だけが問題とはいえないと思っていて、派遣社員にも挨拶がきちんとできて基本動作のすばらしい方もいる(って、それは当たり前か。苦笑)。以下の記事も読んで、そうだろうな、と思いました。同じ職場で頑張っている同僚の派遣社員にとっては、彼の行動は迷惑な話でしかない。ほんとうに頑張っているひとが迷惑を被る。

■「つまらないし、常に不安。でも…」同じ工場の派遣社員
http://www.asahi.com/national/update/0613/TKY200806130172.html

社会の問題、制度の問題にすりかえてしまうのは簡単だけれど、結局のところ個人の問題じゃないですかね。オトナなんだからさ、会社がなんとかしてくれない、格差社会のせいだ、と責任転嫁しないで、なんとかすりゃいいじゃないか、自分で。

というぼくも若い頃は、そして近年まで(苦笑)、というかひょっとするといまでも、そんな風に理想と現実のギャップに悩んだり、憤慨したり、凹んだり、いたたまれない気持ちになった(なっている)ものでした。しかし、最近少しだけ変わってきたように思います。年をとったせいもあるかもしれないけれど、

自分の人生を引き受けたい

という風に決めた、ということが大きいかもしれません。

自分の人生を引き受けられない人間は、他人を責めるし、社会や時代を恨んだりする。他者に対して微笑んだり挨拶するような余裕はなく、傷付けるような鋭い言葉や刃を投げかけるようになるだろうし、あるいはその攻撃性を自分に向けたりもする。でも、自分の人生を引き受けた人間は、ひとにやさしくなれるような気がします。肩の力も抜ける。

正しく生きろ、とは言えないな。というのは、いまぼくは何が正しいのか、何が間違っているのか、よくわからなくなっているからです(苦笑)。もちろん見知らぬ誰かの生命を奪うことは正しくない、それだけは間違っていないのだけれど、正しい生き方とは何かということを安易に上からの目線で語れないし、誰かに指南することもできない。あなたが正しいと思ったことが正しいんじゃないかな、などと無責任かつおどおどと考えたりしているわけです。

とはいえ自分に関していえば、辛いことも含めて、ぼくは自分の人生を引き受けようと思っています。正しくはないのかもしれないけれど、そして、揺れてばかりではいるのだけれど、なんとか覚悟を決めて、この、ぼくがぼくであることの人生を引き受けたい。

というわけで(どういうわけで?)、まずはきちんとぼくが誰かに挨拶をしようと思いました。落としどころはそこか・・・と書きながら自分でも脱力したのですが、できることから、身近なことからはじめます。うちの息子たちも、うまく挨拶ができないひとたちで、むにゅにゅ、とか口ごもるのだけれど、ぼくから声をかけるのだ。

人間の細胞は、常に新しくなる、新たな細胞に刷新されるのだと誰かの本で読みました。今日の自分は昨日の自分ではない。生まれ変わろうと思えばいくらでも生まれ変われるものだし、というよりも細胞自体は常に新しくなってきている。世界を認識する「私」が常に新しいのであれば、世界は常に新しい。

21世紀の新しい今日。おはよう。

投稿者 birdwing 日時: 06:22 | | トラックバック

2008年6月15日

[DTM]musiconsでプロトタイプ公開。

情報に流されてしまうので大量のサイトをチェックできない・・・というか最近はあえて大量のサイトを読まないようにしているのですが、田口元さんが運営されている「百式」はメールマガジンの時代から読んでいるお気に入りサイトのひとつです。海外のユニークなサイトを日替わりで掲載されていて、とても面白い。しかも毎日更新というのがすごい。一定のテンションとクオリティを維持されたままデイリーで更新されています。うーむ、これは絶対にぼくにはできないな。

■百式
http://www.100shiki.com/

ちなみに田口元さんの書かれているもうひとつのブログIDEA*IDEAも面白くて、6月9日の「今までの恋愛から学んだこと」は非常に参考になるというか突っ込みたいエントリーでした(うずうず)。

女性の方から好感触なコメントが書き込まれているのですが、続編とも思える「彼女ができたときのチェックリスト」では冷たいコメントを寄せられていたりして、なんとなく男性のぼくとしては共感を得てしまった(苦笑)。ひとことで言ってしまうと、テクニックではなくてハートなのではないでしょうか、女性の心を掴むのは。「かわいい」とほめてあげるときにも、本心からそう思って言わなければ、きっと彼女には伝わらないのではないか、と。照れくさいので、まあいいか。

さて、その百式で、ちょっと前(4日)になりますが、musiconsというサイトが紹介されていて、非常に興味を持ちました。

■自分の好きな音楽をメッセージ付きアイコンにできる『MUZICONS』
http://www.100shiki.com/archives/2008/06/muzicons.html

実際のサイトはこちらになります。

■musicon
http://www.muzicons.com/
080615_musicon.jpg

ウィジェットというかブログパーツのようなものなのですが、簡単に言ってしまうとmp3プレイヤーです。実はずーっとこういうパーツを探していたのですが、なかなかよいものがみつかりませんでした。かろうじて白い棒のようなFlashをネットで拾ってきて、趣味のDTMで作成した曲のうち、過去の楽曲や完成にいたらなかった曲は棒状プレイヤーで公開しています。棒プレイヤーもシンプルで気に入っているのですが、musiconsはかわいいアイコンが付けられるのがいい。

そんなわけで、今回はmusiconsのツールを使って、5月のプロトタイプ(試作品)を公開してみたいと思います。結果として「目覚め」という曲を完成させたのですが、その制作過程において、5つの試作を作りました。それを時系列で紹介してみましょう。

ぼくの曲はインストが多いので、できたばかりのときはタイトルが決まっていません。そこで、何月の何番目の曲、というファイルにして仮に作っていきます。連番にすると、モーツアルトのケッヘル番号みたいなものになるかもしれないですね。ぼくはきっちり管理できないので、それは無理(苦笑)。

そんなわけで、まず5月に入って最初に作った試作、08_may01_01です。4月から作っていた曲に没頭したため力尽きていたのですが、なんとなく元気な4つ打ちの曲を作りたかった。

しかし、テンポはゆっくりだし、これでは80年代のユーロビート(死語ですか)というか、一発屋で消えていった洋楽のアイドル曲みたいです(苦笑)。なので却下。もう少し翳りのある曲を作りたいと思って作ったのが08_may01_02。

いいんですけどね。リズムも凝っていてクールな印象もある。でもですね、こういう気持ちじゃなかった。なんとなく気持ちが入り込めないので却下。そんなわけで、また4つ打ちの曲に戻りました。08_may02です。

これは当初「midnight call」という曲として完成させる予定でした。ただ、やっぱり軽い。シンセのストリングスのコードは好きなのですが。ここで、ぴこぴこしているシーケンスを使いました。しかしながらちょっと保留にして、08_may03として作成したのが「目覚め」でした。

ただ、作成したときには納得がいかなくて、次に08_may04を作成。

これはちょっと行き過ぎちゃったかな、やりすぎか、と。そんなわけで、03に戻って「目覚め」を完成させました。その後、05というプロトタイプの作成しているのですが、これはほとんど作品になっていないので省略します。

プロの方がどんな風に曲を作っているのかわからないのだけれど、ぼくはこんな風にして曲を作っています。これらのプロトタイプは、15分~2時間ぐらいで完成します。その後、夜更かしをして膨大な時間をかけて1曲を仕上げていく。

そんなわけで1曲の背後に、曲の断片のような作品がたくさんできることもあります。忘れっぽい人間なので、すぐに作った曲を忘れてしまうのですが、かなり後で聴きなおして、おお?と思うこともある。たいてい自分の好みのコード進行があるので、似ている曲も多いんですけどね。

創造性をうまく管理して、ストックできるような仕組みがあればいいと思いました。あ、自分の脳内に作ればいいのか。

+++++

musiconsは時々エラーが出るようなので、musiconsで聴けない場合は、以下の白い棒プレイヤーでお聴きください。左端をクリックすると再生されます。

■08_may01_01




■08_may01_02




■08_may02




■08_may04




曲・プログラミング:BirdWing

投稿者 birdwing 日時: 09:36 | | トラックバック

2008年6月 8日

[DTM×掌編小説] 目覚め。

寝起きが最悪です。ぼくは朝が弱い。というのは、DTMなどで3時近くまで夜更かしをしているせいなのですが、仕事の疲れもあったりすると鉛のように身体が重い。起きられません。

よくドラマで俳優さんが演じているような、朝日が当たる部屋でうーんと伸びをして、すっきり~という目覚めを体験したいものですが、浮腫んでいる顔のまま、しょぼしょぼと目を擦りながら起きる毎日です。

というわけで、目覚めの曲を趣味のDTMで作ってみました。

目覚めの瞬間というのは、ぱちっと現実を受け入れるというよりも、どこかゆっくりと焦点が合っていくような気がします。そんな現実と夢のクロスフェード(夢がフェードアウトして、現実がフェードインする)の視界なども考えつつ、どこか抽象的な音をめざしています。こんな曲になりました。

■mezame(3分17秒 4.52MB 192kbps)

作曲・プログラミング:BirdWing


ちなみにぼくはたまにオンガクを作りながら、曲にあった短い小説のようなものを書くことがあるのですが、今回も曲を聴きながらイメージが浮かんだのでまとめてみます。DTMの曲をBGMとして聴いていただけるとうれしいです。


自作DTM×ブログ掌編小説シリーズ04
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目覚め
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作:BirdWing

心はどこにあるのだろう。目蓋をひらいて瞳孔に光をあつめる。かすんだ意識が雲を払うように明るくなる。グラデーションをかけたように内側の世界が遠のき、外側の世界に焦点が合っていく。朝だ。薄暗がりのなかで耳を澄まして時計の音を聞いた。鳥の声が聞こえる。隣の部屋からは戦争のニュースがやかましい。一日がはじまる。

目覚めると、僕は砂漠の町にいた。恋人を胸に抱いて眠っていた。やわらかい裸の乳房が僕の胸に押し付けられ、やさしい吐息が首のあたりをくすぐる。恋人の長い睫毛が美しい。昨日の夜のことを思い出した。清潔なシーツの上で、ふたりで愛を交わした。何度も何時間も溶け合うように抱き合った。長い歴史のなかで多くの恋人たちが過ごしたように僕等はつながり、そして眠った。そんなに眠ったのは何ヶ月ぶりだっただろうか。眠れない夜がつづいていた。戦争とか、あるいは将来のことなどを考えて。

いっしょに暮らしたい。こうやって何度も眠り、目覚めて、ともに生きていきたい。いっそのこと夢のなかで、まどろみながら暮らせたら、どんなにいいことか。目覚めはいつも鈍い苦痛とともにやってくる。ベッドから起き上がれば、戦争のこと、あるいは将来のことなどを考えなければならない。逃げることはできない。かといって立ち向かう勇気もない。ゆるゆると享受しながら、生きながらえていく現在。それでも、こうして恋人を抱いていると、それだけでしあわせだ。刹那が永遠にさえ感じられる。

慌しくドアが蹴破られ、光が部屋に溢れた。まばゆさに振り向くと、逆光のなかで銃を構えるひとの姿がみえた。なにやら英語で語るひとの言葉に半身を起こすと、閃光が胸を貫いた。あふれていく。押さえた右手からあふれていく自分のなかにあるものを止めようとするのだけれど、止まらない。せつなかった。心から、失われていく何か。もう、どこへも行けない。恋人のほうを向いた。やすらかに眠る顔がいとおしかった。この光景を、僕は忘れない、と思った。

目覚めると、僕は鳥のかたちをして空をめざしていた。騒々しいドアの音と、ばあんという弾けるような音に驚いて、枝から飛び立ったのだ。砂漠のなかにあるいくつかの家。ひとびとの生活には欠かせない井戸。鉄鋼で武装された、いかついクルマ。陽射しを遮る建物の影。あらゆるものを置き去りにして、僕は太陽をめざす。雲ひとつない晴れた青空。羽を動かして飛ぶ。もっと高く。イカロスの神話を僕は覚えていた。望んではいけないものを望んで飛行する想い。太陽に焼かれてもいい。焼かれたまま眠ることができればいい。いつか目覚めるときまで。

目覚めると、僕はここにいた。

21世紀のトウキョウで。戦争も砂漠もない、平和な現実の生活のなかで。僕は目を覚まして、昨日と同じような今日を消費し、今日と同じような明日を手繰り寄せる。けれども胸のどこかに銃であけられた穴がある。あふれていく鈍い痛みを感じている。裁くのは誰なのか。報われるのはいつなのか。

着替えよう。清潔なワイシャツとネクタイで武装して、心の在り処を笑顔で隠して。ベッドから抜け出し、洗面所で自分と向き合った。半透明な卵の膜のような現実の内側で、僕はまどろみながら生きている。目覚めることを夢みながら、今日を生き抜いている。

<了>

+++++

なんとなく輪廻転生のようなイメージもありますね。転生の小説として有名なのは、三島由紀夫の「豊穣の海」ですが、もうひとつ思い出せないのですが、転生を描いた小説を読んだ記憶があります。

サウンドとしては、最初のほうではきれいなピアノの音を入れていますが、ドラムが入ってからのピアノは、行間があいて(笑)空気感のある、どこか重厚でおごそかな音にしたいと思いました。リバーブを聞かせた響きにしたかった。例えば、ジョン・レノンの「MOTHER」のような。

■JOHN LENNON / MOTHER

あと、ノイジーなギターは弾いていなくて音の素材を使っているのですが、やはりこれもリバーブのなかに溶け込むようなディストーションの音がいい。シューゲイザー風のギターかもしれないですね。こちらは、モグワイといったところ。ピアノの音や複雑なリズムもそんな感じです。こちらもYouTubeから。

■Mogwai - "I Know You Are But What Am I ?"

タイトルが哲学的ですね。まあ、上記の2つの曲のように深遠な感じは表現できませんけれども(苦笑)。

というわけで、どちらかというとエレクトロニカというよりもポストロックの傾向の曲になりましたが、なかなかきれいな音と抽象的で難解なイメージを共存させるのは難しい。でも、そんなサウンドを作りたいと思っています。

投稿者 birdwing 日時: 13:56 | | トラックバック

2008年6月 3日

節約から学ぶこと。

思い立ったが吉日ということで、節約をしようと思い立ってみました。しかしながら、たいてい思いつきの行動はつづいた例がありません。閃くのは簡単だけれど、重要なことは閃きをきちんと行動に移すこと、かつ持続することでしょう。3日ボウズなわたくしは忍耐力に欠けます。とはいえ、節約はなんとなくつづけるつもりでいます。使いたい目的もあるので。

具体的には1日1000円で過ごそう、というわけで1万円札をくずして1日1枚(自分で自分に)渡す配給制にしているわけですが、ひとによっては贅沢だ、と思うかもしれないし、足りない、と思うかもしれません。どうなんでしょう。

というわけで、世の中のおとーさんのお小遣い事情がわからないので調べてみたところ、GE Money Japanというところで「2008年サラリーマンの小遣い調査」という調査をしていました。2005年から4年間トレンドを追っているようですが、その2008年版をチェック。今年の4月にサラリーマン500人に対して調査したようです。サマリーを抜粋すると以下のようになります。

◆ サラリーマンの平均小遣い額は上昇傾向に歯止め。2008年は、4年ぶりに前年比マイナス2,500円の46,300円に
◆ 51.4%が昇給あり。8割近くが「小遣い額に変化なし」。「小遣いアップ」は約1割と少数だが、その約半数が1万円以上の大幅アップ
◆ 理想の小遣い額は、「現実」プラス2.5万円の71,600円
◆ 昼食代は平均570円、昨年の590円から20円ダウン!
◆ 外食回数は、平均3.8回と昨年並み。1回の飲み代は約4,700円で、300円アップ!
◆ 物価上昇分は外食費を削ることで吸収
◆ 4割以上の人が、小遣いの使い道として外せないものは「昼食代」と「趣味の費用」と回答
◆ 家計の主導権は全体で6割が「自分」。既婚者では「妻」が6割と逆転
◆ サラリーマンの不安、第1位は「自分の将来設計」、2位「老後」、3位「会社の将来」
◆ 全体の9割が格差を感じている。「年収」や「自由になるお金」を比較した時に格差を実感
◆ 心身の健康のために「趣味で気分転換する」
◆ 2人に1人が資産運用。目的は、約6割の人が「今の生活をより充実させるため」
◆ 子どもへの金銭教育を実施しているのは約3割。約半分の人たちが、「必要だと思うが行っていない」
◆ 8割以上の人が、クレジットカードで決済。5人に1人が1,000円未満から手軽に利用

ううむ。さすがに共感するというか、よくわかる。しかしながら、昼食代平均570円は安いですね。東京も場所によると思うのですが、ぼくが外食した場合には800円が平均という気がします。そんなわけで外でランチを食べて、ちょっとお茶でもしようかと思うと1000円ぐらいはあっという間に消えていく。ぼくはタバコを吸わないのですが、喫煙したらもっとお金はかかりそうです。

上記のページには1979年から2008年までのサラリーマンのお小遣いの推移もあって、なかなか悲哀をそそるのですが、90年のバブル期には小遣いの平均額は76,000円だったようです。理想の小遣い額が71,600円なので、おとーさんたちはバブルの夢をまだ追っているのかもしれないですね。

というわけで、節約生活をはじめてみたのですが、なんとなくがらりと視界がかわったというか、目からウロコが落ちたというか、新鮮でした。

まずですね、ご飯やコーヒーがうまい。特にコーヒーは、そもそも会社の給湯室で自分で入れればよいのだけれど、ぼくはわざわざコンビ二や車内の自動販売機で缶コーヒーを頻繁に買うので(気晴らしに歩く意味もある)、この数が制限されると、1杯1杯をありがたく飲むようになります(笑)。これはきっと、戦場で一本のタバコをうまそうにのむ感覚に近いかもしれません。ありがてえ、うまいぜ、コーヒー、じゃ戦ってくるからな、あばよ、という。

そして、余計な糖分を取らないせいか、身体が妙に健康です。忙しくて疲れていることはあるのだけれど、なんとなく身体が軽い。というか、ストイックな気持ちが身体を健全にしてくれているのかもしれません。

節約ひとつでこんなに世界が変わるのかーと、ちょっと驚いています。というか、ぼくはいままで無駄が多すぎたんですよね。ほんとジャンクな生活で欲望の赴くままに飲食し、CDや書籍を購入していたので。だからきっと生活の落差が大きい。とはいえ、その不健全さが自分らしさのような気もするので、気がつくとやーめた、ということになっているかもしれないですが。

あらためて反省もしています。仕事が佳境なときなど、深夜に疲れてコンビ二に立ち寄り、蕎麦やらおにぎりやらビールやらポテチやらをしこたま買い込んで帰宅し、夜中に遅い夕食(あるいはものすごく早い朝食)を食べることも多い。しかし買い込んだわりに食べられなくて残してしまい、明け方に包装されたままのおにぎりをそのまま捨ててしまうこともあったんですよね。

感覚が麻痺していた、と思いました。世界のどこかでは飢えに苦しんでいるひともいるのに、これはいったいどうしたことか、と。

飽食のあまりに思い上がっていないか、と。田舎のばーちゃんであれば、もったいないから食え、お百姓さんに申し訳ない、とひっぱたかれる。まあ、賞味期限1年ぐらい過ぎていても、これは食べれると主張するばーちゃん(というか、ぼくの母)には困ったものですが、食べ物を粗末にしてはいけません。

などということを考えていて、どうしても連想して考えてしまったのが、ニュースで大きく取り上げられていた船場吉兆の問題でした。

偽装や残飯を使いまわしていたことは許されないことではあるのだけれど、ちょっと箸をつけただけで残すようなお客もどうか、と思った。もちろんすべての客がそうではなかったでしょう。ただ、自分も含めて、あるいは自分の息子たちもみていて、豊かさのあまりに食を軽んじていることも多いと思います。8割がた茶碗にご飯が残っているのに、子供たちは、ごちそーさまーと言うときもある。お米のひとつぶひとつぶをきちんと食べなさい、とぼくは親から言われたような気がするのですが、なんとなくいいか、と思ってしまう。時代は変わった、のでしょうか。いいのかな、それで。

使いまわし=リサイクル、という安易な構図もどうかとは思うけれど、もったいない、という感覚は大事な気がするんですよね。しあわせなことにぼくらは飢餓の状態に直面することはありません。でも、意識的に節約というハングリーな状態を自分に課してみて思うのは、ぼくらの生活は予想以上に豊かであり、ありがたいものである、ということでした。

当たり前のように豊かである現代では、当たり前のありがたさに気付かない。実は突拍子もない素敵なことよりも、当たり前のありがたさに気付くほうが難しい気がします。たとえば、大気のように漂っているしあわせ。あまりにも淡くて日常的であるからこそ、そのありがたさに気付かないものです。失ってしまったときに、はじめて気付くものかもしれません。

悲惨なくらいストイックになっても仕方ないけれど、豊かな時代だからこそ節約を楽しむというライフスタイルもありではないか、と思いました。とはいえ、亡者のように節約至上主義にはなりたくないですけどね。趣味や大事なことにはとことん投資する、そんなひとでありたいです。貯めたお金は墓場に持っていいくわけはできなので。

投稿者 birdwing 日時: 23:27 | | トラックバック

2008年6月 1日

なりたいものに、なりましょう。

少年よ大志を抱け、という言葉があります。志も大事ですが、可能性のカタマリであるところの少年たちには、自由奔放な夢を描いていてほしい。現実的であることは大切かもしれないけれど、最初からちいさくまとまってしまうのはいかがなものか、と思います。できれば型破りな夢を持っていてほしいものです。身の程知らずの夢を持てることは、若さの特権ではないでしょうか。

現在の小学6年生男子のなりたい職業No.1は、野球選手からゲームディレクターに変わってきたというランキング記事を読んだことがありました。時代によって人気のある職業も変わってきているのだと思いますが、ゲームディレクターというのは当たり前すぎる気がします。

というわけで、最も若人であるところの、うちの息子の次男くん(5歳)に、おおきくなったら何になりたい?と訊いてみたところ、こんなお返事をいただきました。

「しゃけになりたい」

ううむ。鮭・・・ですか。それは意外だ(苦笑)。さすがにとーさんもしゃけは思いつかなかった。おいしいもんね。ええと、食べられちゃうのか、きみは。

ちなみに去年の七夕の短冊には「ウルトラマンになりたい」と書いてあったのですが、「あれはせんせいにかかされちゃったんだよね・・・(ためいき)。ほんとうはしゃけになりたかったんだよ」とのこと。たいへんだな、園児も。いろいろと気を使うことも多いようです。しゃけになれるといいね。いや、なれないって(苦笑)

うちの長男くんはわりあいちいさくまとまるタイプですが、この次男くんはかなりぶっとんでいる気がします。先日までは、宇宙に関心があったらしく「やっぱりどせいがいいよね。かせいはあついんだよ。ひだから」などと言って、ぐるぐる星の絵を描いていたのですが、現在のお気に入りはどうも「せかいいさん(世界遺産)」らしい。カッパドキアとか、マチュピチュとか、ナスカの地上絵とか、そんな絵を描いています。

というわけで、先週のいつだったか忘れましたが、軽くビールを飲んで帰る道すがら、子供向けの世界遺産の本を買って帰ろうかと思って書店に寄り道しました。ところが、高価でびっくりした(4000円ぐらいだったと思う)。なので、ナスカの地上絵も載っている「星・星座」の図鑑にしました。

4052025946星・星座 (ニューワイド学研の図鑑)
藤井 旭
学習研究社 2006-11

by G-Tools

さて、若者の夢を憂いてぶつくさ言っているぼくにはなりたい夢があるのか、といまさらながらに自省しました。可能性も夢も枯れてきちゃったわたくし(困惑)ではありますが、夢がないこともない。どんな夢かというと、できることであれば、もういちど学生になりたい。学生をやり直したい。

キャンパスそのものに憧れるということもあるのですが、学生時代に戻って知識を貪欲に吸収したいと思っています。資格のためにとか、仕事に役立てるためにという理由ではなくて、知的好奇心の動いたものに対して徹底的に調べて、その分野についてずんずん知識を掘り下げていきたい。なんというか無駄に詳しくなりたいというか、何の役にも立たないものを丁寧に調べたい欲求があります。

哲学でも構わないし、経済学でもいい。もちろん文学でもかまいません。まずは俯瞰するようにその学問の全体像を学び、歴史的な流れを把握し、次に、これは?という好奇心のフックが動いたものに対して徹底的に調べ上げて考えて、その分野を究めたい。

といっても、タイムマシンで時代を遡らなくても、いまではインターネットを使えばいくらでも学生をやり直すことは可能です。

とっくの昔に学生を卒業したぼくのような人間であっても、ネットという場を活用して、ひとりゼミを立ち上げてアカデミックに学びつづけることができます。茂木健一郎さんも書いていたと思いますが、ネットを使えば永遠の学生として学びつづけることが可能です。独学で学んだことであってもブログに掲載すれば、面白そうだと誰かが便乗してくれたり、間違った知識を修正してくれるかもしれません。

いまさら学生なんて・・・という照れというか強がりもあるのですが、なりたいものになりましょう。自分の無知を再認識して、まっさらな気持ちで学んでいくことができればいいなあと思っています。永遠の学生でありたい。

気がついてみると、もう6月。1年の折り返し地点になりましたが、子供のときに比べると1日1日の重さが軽くなってきているような気もします。今日は昨日の繰り返し、昨日のコピーのようになっている。

なりたい自分のために、ほんのわずかでも1歩踏み出したいものです。ときには1歩後退もしつつ。それでも平均を取ったら最終的には1歩でも進んでいればよしとして。

投稿者 birdwing 日時: 23:22 | | トラックバック

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