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2010年10月12日

[DTM作品]シンコキュウ。 feat. sheep

こころを鎮めるとき。深く息を吸って大きく吐いて、深呼吸をすると気分が落ち着きますね。青空のみえる朝、窓を開いて深呼吸するのも気持ちがよいものです。新鮮な空気を身体のなかに送り込んで、こころのなかに溜めた気持ちとともに吐き出す。さあ、やるぞ、という熱意が湧いてきます。

そんなすがすがしい気持ちを曲にしたいとおもいました。1年少し前にプロトタイプを作った曲(こちら)をまったく新しいアレンジで作り直しました。LotusloungeのSheepさんにボーカルを協力していただき、やっと完成させました。ブログで公開します。お聴きください。

Our feelings are refreshed when breathing deeply. Bodies take fresh air, and breathe out old air. "Sinkokyu" is a deep respiration in Japanese. I wrote lyrics with the deep respiration as the theme, and composed the song. Sheep of Lotuslounge sang this song. I'd like you to listen to this tune.


■■シンコキュウ。(3分31秒 4.83MB 192kbps)


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シンコキュウ。
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Vocal:sheep (Lotuslounge
詞・曲・プログラミング:BirdWing

sheep_LL.jpg深呼吸
をして見上げた青空。
たなびく雲
は、未来の
軌跡。

とぎれた
指をつないで
誓った。
忘れない
ように、約束をした。

深く。
強く。

ここから明日へ
歩き出すために。

息を。
ためて。

鎮めたこころは
もう迷わない。

遠く。
近く。

ぼくらが地上で
探してる道標(しるべ)。

息を。
吐いて。

鎮めたこころは
もう迷わない。

・・・・・

インターネット経由でファイルを交換して制作するネットコラボです。Sheepさんとは「AME-FURU」につづいて2度目の制作になります。

しかし、制作方法はまったく違います。「AME-FURU」はバックの打ち込みが全部完成した後にそれを聴きながら歌っていただき、歌のファイルを編集したのですが、今回は歌をいただいた時点で、バックを全面的に作り直しました。かつて作ったプロトタイプを聴いていただくと違いがわかるとおもいます。

「AME-FURU」のときにも感じたのですが、歌のファイルをいただいたときには、ほんとうに感動しました。

というのは、歌詞は作ったもののアタマのなかで歌ってみただけです。声に出して歌ったことがありませんでした。いままで脳内のイメージでしかなかった。自分のアタマの外には、この音楽は存在しなかったんですよね。それがきちんと現実に天使のようなボーカルで存在している。Sheepさんは、マクドナルドのポテト風(笑)に強弱によってL・M・Sという3つのバージョンで歌を録音して送っていただいたのだけれど、その表現の違いにも驚きました。結局、Sのファイルを中心にMをダブル・ヴォイスで重ねる処理をしましたが、Lも捨てがたかった。

歌をお願いしたときに、こうしたいああしたいという着想はありましたが、実際に歌のファイルを聴きながら、いさぎよくいったん白紙にしました。そうして考えたことは、シンコキュウだけに、

「息を合わせよう」

ということでした。

イメージの上にボーカルをのせるのではなく、ボーカルのイメージから曲を組み立てていくこと。いたずらに自分のやりたいことを後付けするのではありません。ボーカルの「息」を乱さないように気をつけながら、アレンジをのせていく。ボーカルと「息」の合った曲にしたい、ということです。

まず作ったのはバスドラムとベースのパートでした。それも音色づくりだけに1時間以上もかけて、とことんこだわりました。アンプシミュレータを通したシンセベースなので、生音っぽい艶が出たとおもっています。最初は♪=100という速度がやや遅く感じたのですが、音を重ねていくうちに気にならなくなりました。

結果として、サンプリングしたボーカルをコラージュしたイントロ、エレクトロニカのポップな印象、ややバロック風の間奏とビートルズっぽい半音進行のロック的なフレーズなど、うまい具合にアレンジができたとおもっています。自画自賛ですが(苦笑)。

実は、この曲を1年ほど前に作ったときには、個人的に辛い状況にありました。袋小路に入り込んだような気分で、それこそ息の詰まるような毎日だったのです。いま、かつてのプロトタイプを聴くと、そのときの閉塞感が蘇るのですが、今回の曲ではうまい感じに突き抜けた、よかった、とおもいました。

ところで、リラクゼーションでは呼吸法を重視します。

ゆったりと深呼吸することでストレスから解放され、心身を健全な状態に保つ。呼吸法に関心があって、齋藤孝さんの「呼吸入門」という本を買ったところ、これが非常に面白かった。

4043786034呼吸入門 (角川文庫)
齋藤 孝
角川グループパブリッシング 2008-04-25

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薄い本なのであっという間に読んでしまったのだけれど、呼吸についての知見が豊富です。哲学的な考察にも惹かれます。たとえば「呼吸と死生観」(P.67)。

死という最大の不安に対してどう処するかというのは、生きる上での大きな課題です。
これに関して、伝統的な息の文化はどのような死生観を持ってきたかと言うと、息というものにすでに死が含まれているという考えです。
吸って吐くと、吐き終わった瞬間に一度死が訪れる。

つまり、こういうことです(P.68)

生きていることの中にすでに死が紛れ込んでいる、そういう死生観なのです。
呼吸は吐いていって止まったところが一番神聖な瞬間。すべてが静止した状態で、いわば仮に訪れた死という瞬間を見極める。それを平静に受け入れる。

呼吸を意識したことはあまりありませんが、ひとつの呼吸という刹那のなかに生と死がある。つまり息を吸い込むたびにぼくらは生まれ、息を吐くとともに死んでいく。とても深い死生観です。

ほかにも「呼吸を考える上で大切なのは、吸うことではなく、吐くこと」として「捨てればスペースができ、そこが自然と満ちてくる」と書かれています。また、臍下丹田ということばを挙げ、腹式呼吸による呼吸力、息を完全にコントロールすることが強い精神力を生む、ということも書かれていました。実に深い。

「人は、自分の呼吸が他と共有されたときに心が安らぎます」として、次のことばも参考になります(P.167)。

自分の呼吸のリズムが他の人と共有されると、受け入れられているという自己肯定感が生まれてきます。他のからだと同一化するような感覚は、そのまま個を強くする支えとなります。

現代に生きるぼくらは、自己肯定感を失いつつあるようにおもいます。それは、ぼくらの呼吸に乱れが生じているからなのでしょうか。自己肯定感が薄れると、他のひとといっしょにいても一体感がない。さびしい。ぼくらが大切にしたいことは「空気を読むこと」ではなく「息を合わせること」かもしれません。そのためには、各自がきちんと呼吸し、いまを生きて、同時にこころのなかにある息を吐き出して、他人を受け入れるスペースをつくらなければならない。

歌もまた息です。「シンコキュウ。」という曲を作りながら、ぼくは「息を合わせること」に注力していました。電子の律動を組みながら。

行き詰まり=息詰まりを感じているとしたら、やりかけの仕事や鬱陶しい悩みからすこしだけ離れて深呼吸してみませんか。

齋藤孝さんによると、3秒吸って、2秒溜めて、15秒かけて口から細く吐き出す呼吸法がよいそうです。深呼吸することで、見失っていた自分の未来の行方を見出すことができるといいですね。

投稿者 birdwing 日時: 21:06 | | トラックバック

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