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2007年8月21日

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創造することの理由とブログライフ。

ビジネスの領域では、Webマーケティングの手法としてSEO(Search Engine Optimization:Wikipedia)やSEM(Search Engine Marketing:e-Word)という考え方があります。検索エンジンにかかりやすくしてサイトに誘導する集客の手法です。その後、SNSなどのコミュニティの活性化によりSMO(Social Media Optimization:e-word)という言葉も出てきました。

SMOはともかく、SEOの発想の背景には、多ければ多いほどよいという考え方が根強いように思います。登場した当初は、Optimization(適正化)と言いながら、ただひたすらひとを集めればよいのだという短絡的なSEOやSEMもありました。さすがに最近はみなさん賢くなったので、目標値に対する達成率(コンバージョンレートのようなもの)を考えるようになったとは思いますが。

確かに企業は広告やプロモーションに多大な予算をかけているので、その費用対効果が求められるのは当然です。テレビのCMでは視聴率が成功の指標になったり、DMの開封率が問題になるように、企業活動では数字の結果を重視する。どんなに頑張ったとしても結果として数字を出さなければ評価されないわけです。そこにロマンの入り込む余地はない。でも、割り切ってしまえばこれほど単純で面白いものもない。

ただ、個人のブログにそれを求めるのはどうでしょうか。もちろん成り上がって有名になってやる、小遣いをがっぽり稼ぐのだ、というひとがいてもいいとは思うのですが、そうではない選択肢もあります。みんながすべて、必死になってアクセスを稼いだり、お金を稼いだりしなくてもいい。

個人ブログでさまざまな試みをしてぼくがわかったのは、最大瞬間風速的にサイトにひとを集めるのなんて簡単だということです。著名な誰かの悪口、いわゆる誹謗中傷をぎりぎりの線で書けばいいので(笑)。

ネガティブなことに脊髄反射的に注目しがちなひとたちがいて、そんな話題に飢えたハイエナのような群衆を集めるのは容易いことで、血の匂いをぷんぷんさせてやるだけで十分です。ただ、実際に体験してみて思ったのですが、虚しいですね。そんなことをやってみても。

何のためにブログを書いているのだろう、何のために曲を作っているのだろう、と考えたとき、まず第一には自分のためである、とぼくは考えます。誰から強制されるわけでもなく、他者と競争するわけでもなく、とにかくあふれてくる何かがあってそれが言葉や音楽になる。

次にやはりそれを読んでくれるひと、聴いてくれるひとがいます。共感であっても批判であっても、発信した何かを受け止めてくれるひとがいるのは、それだけで有り難い。もちろん、ひとりごと的につぶやくこともあるのだけれど、うんうんと静かに頷いてくれるだけで、ずいぶん違いますよね。

友達100人居るひとはすごいかもしれないのだけれど、たぶん人間が注ぐことのできる友情や愛情は無尽蔵にあるわけではなく、100人いるひとの友情は1/100になるのではないか。もちろん接客業をされている方のなかには、ものすごい数のひとと接して、それぞれに同等の感情を注ぐひともいます。そういうひとはほんとうに凄い。しかしながら正直なところ、ぼくにはできません。キャパ少ないので(苦笑)。

過剰に読者やリスナーを意識すると身動きができなくなることがあります。ブログを公開する以上、どんなひとに見られてもかまわない覚悟が必要ですが、検索によってあまり見てほしくないひとに訪問されることもある。そもそも見てほしいことばかり書いていたら、ものすごくフラットなつまらないブログになるような気がします。これはぼくの偏見と趣味に過ぎないかもしれないのですが、ある程度、ぎりぎりのやばさが感じられるブログのほうが楽しい(笑)。あーあ、こんなこと書いちゃって・・・と思いながらも応援しちゃうひとがいて、そんなプライベートな危うい文章に出会えるのもブログの魅力だと思うんですよね。

はてなにはプライベートモードという設定があって、これは自分もしくは閲覧を許可した特定のひとにしか見られない制限をかけるわけですが、時々意図的にプライベートモードにすると、ものすごく落ち着いて文章を書ける。それは過剰な他者の視線から解放されるからかもしれません。

現在、ぼくはこのブログの更新情報を検索エンジンに伝えない設定にしているのですが、見事にプライベートモードになって、ほとんど外部からの訪問者がいません。だから、すごく穏やかな気持ちで書きたいことを書ける。ちょっとぐらい失敗しても書き直しができる。天国だ。

ただ、この純粋培養状態がいいのか?という疑問もあり、9月以降には少しずつ検索されるような設定に変えていきたいとも考えています。ただし、天国状態の気持ちよさにはまって、先延ばしにしてしまうかもしれません。

ところで、なんとなくブログについてのあれこれを書きとめるために、blogstyleというカテゴリーを設けることにしました。数十年後には特に語るまでもなく、みんなが当たり前にブロガーになっているのかもしれませんが。

投稿者: birdwing 日時: 23:19 | | トラックバック (0)

2007年8月19日

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やさしさのかけら。

以前から考えていたことですが、難しいことを難しく書くのは簡単で、難しいことを簡単に書くことのほうがずっと難しいと思います。

難しい言葉ばかり並んだ文章はなんとなく偉そうに見えるけれども、その実、あまりたいしたことを言っていないことも多い。

アタマがよいとはどういうことかという定義によるかもしれないのですが、自己満足で誰かに伝わらないものを書いているひとは、あまり優秀な頭脳を持っていない気がします。頭のよいひとは子供にもわかるように、科学の深い真理や洞察を語ることができるのではないでしょうか。

という難解な文章批判は、アタマが悪いぼくの単なるひがみかもしれないのですが(きっとそうだ)、難しいことを簡単に書けるひとになりたいと思っています。そのためには、できれば難しい本にも挑戦したい。

先日読んだ「アフォーダンス―新しい認知の理論」という本にも、アフォーダンス理論を提唱したウィリアム・ギブソンについて、次のように紹介されていました。引用します(P.15)。

生涯の伴侶だった発達心理学者のエレノア・ギブソンの話によると、彼はいずれの著作も10年以上の歳月をかけて構想し、執拗に書き直したという。どの本も文章はあくまでやさしく、内容はきわめて難解である。とてつもない内容がふつうの言葉で書かれている。

これが理想ですね(笑)。

技術もそうかもしれません。開発者志向の難解な言葉でこれはすごい!と言われても、一般のぼくらにはどうでもよいことだったりして、むしろ簡単に使いこなせるサービスの背後で、ぼくらには気付かないすごい技術が動いているようなことのほうがよっぽどすごい。

開発系のブログには、こんなこともわかんないのか?という高みから冷たく見下ろす視線をよく感じるのだけれど、わかんなくてもいいひとにとってはどうでもいいことだってありますよね(笑)。わからなくても十分にしあわせなわけで。そのどうでもいいことにしがみついているほうが、悲しい。

いま、ぼくはMovableTypeというブログ構築システムでこのブログを立ち上げて、四苦八苦しているのですが、そもそもこのシステムはベン・トロットという開発者が、デザイナーである妻のミナ・トロットから、

「作品を簡単にネットで公開できるシステムって作れないの?」

と相談されたところから生まれたそうです。そこで旦那であるベンは、妻のために開発力を駆使して、簡単にネットに作品をアップできるシステムを作ってあげた。それがMovableTypeの誕生だった。

なんだかおとぎ話のようで、美しい夫婦愛だなあと思うのだけれど、そのやさしさがあったから、現在、全世界で使われるシステムとなっているのでしょう。きっかけは、ほんとうにちいさな夫婦間だけのやりとりだったのかもしれません。けれどもその核にやさしさがあったからこそ、なんとなくこのシステムはいいなあとぼくは思う(ぼくには全然、やさしくないんですけどね。ちぇっ。泣)。

ふつうのひとはあまり考えないと思うのですが、ぼくはAppleにしても、SONYにしても、その背後にある人間的なエピソードに賛同できるかどうかを考えることが多いようです。技術力や企業力だけでなく、ひとに対する「やさしさのかけら」がサービスのなかに残っているかどうかを大切にしたい。

トロット夫妻はシックス・アパートという会社を興して、現在、TypePad(ココログなどで使われているシステム)やVOXというブログサービスを提供しています。

ぼくもVOXのサービスは使わせていただいているのですが、いまひとつ動作が重かったり、自由度がきかないなどの不満はあるものの、ブログを書きたい初心者が作品をすぐに発表できるような配慮があると感じました。ベンがミナを思いやったように、VOXにも企業がユーザーを思いやるやさしさがあるような気がします。というか、あってほしいですね。

さて。

このブログも、やさしさのかけらを忍ばせながら書いていきたいものです。

ぼくはテツガク的なこと、抽象的な概念に関心がありますが、それは決して日常の瑣末な生活から切り離せるものではない、と考えます。むしろ生活と分断された抽象論より、子供や家族と接したり、どこかへ出かけた一瞬に感じた何かのほうが、すばらしいテツガク的な発想を生むことがある。

だからぼくはプライベートなことと、パブリックに公開すべきことを混在させて、さらに抽象的な思考と日常的な毎日のあれこれを雑多に書きとめていきたいと考えています。

ただ、やはり雑多に書きとめていくと振り返るのが大変なので、もう少しカテゴリーを詳細に作ることにしました。次のような感じです。

  • homestyle : 家族のこと、子育てのことなど。
  • workstyle : 仕事、会議や企画を効率的に行う方法、仕事を通じて考えたことなど。
  • private vision : 個人的なテツガク(というほどでもなくて、プチ・テツガク的な何か)。
  • public vision : 社会的な動向についての考え、政治とか環境問題とか健康など。

と、英語にしているところが何かすかしている気もする(苦笑)。「家族のこと」「仕事のこと」「個人的な考え」「社会に対する考え」でいいじゃん、とも思うのですが。いずれ変わっていくことでしょう。

関係ないのですが、夏休みに田舎で空を見上げていたら、矢印のかたちで飛行機が飛んでいったので、その写真を最後に。

飛行機の矢印

あれぐらい高く飛びたいものです。物理的に、ではなくて精神的に。

投稿者: birdwing 日時: 18:48 | | コメント (2) | トラックバック (0)

2007年8月12日

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忘れないように記録。

勝手にブログ移転を企ててしまったため、更新が軌道に乗りません(泣)。ほんとうはリアルタイムで日記を書きたいのですが、なかなか難しい状況にあります。引越しをしてもその後片付けに追われる感じでしょうか。というよりもいまだにブログのCSSをいじってレイアウト変更などをしているので、家具を運び込んでしまった後で壁紙を変えたり、配置をよいしょよいしょ動かしたりしている感じです。

ちなみに今後もCSSのお勉強にしたがって変更していくつもりなので、恥ずかしながら現状について記録しておきたいと思います。

レンタルサーバーはさくらインターネットのスタンダードプラン(初期費用1000円+月額500円)を利用して、MovableTypeの3.35をインストール(無償)。ほんとに初心者なんですが、さくらインターネットのインストールガイドを参考にふむふむとやっていくと簡単にできてしまいました。初期設定のファイルの書き間違えによって、若干戸惑ったりしましたが、なんとかブログっぽいものが表示されたときには、ほっとしました。

そういえば、かつてLinuxの自宅サーバー構築、というようなものにも挑戦しようと思っていたことがあり、自宅の古いVAIO(デスクトップ)にLinuxをインストールしたりしていたのですが、結局のところ断念(関係ないけど、息子用PCの無線LAN設定もまだ保留にしていました)。気が向いたらやってみよう...と思っているのだけれど、気が向く時間がないようで(苦笑)。そもそものめり込むタイプなので、ほどほどにしておこうと思います。それに、どうせのめり込むのであれば、ブログを書くほうに集中したほうがよいのではないか、と。現在のスペックで若干気になるのは、1GBという容量です。趣味のDTM曲が増えていくと、この容量では若干不安ですね。

とにかく毎日どこかしらデザインをいじったりしています。そこで、現在のトップページ(インデックスファイル)のデザインをキャプチャーしておくことにしました。それぞれ試みたことのメモも残しておきます(画面をクリックすると原寸大のキャプチャーが別ウィンドウで表示されるのでご注意ください)。

http://birdwing.sakura.ne.jp/blog/

トップページのレイアウト(070812現在)①ヘッダーはぼくが撮影した青空の写真を使いました。そして手書きの鳥の絵に写真を合成。この鳥は、ルネ・マグリットの「大家族」のイメージなのですが・・・ぜんぜん違うか(泣)。ハンドルネームも手書きです(ふつうにペイントを使用)。

②見出しをデザインしてみました。画像ソフトではなくてPowerPointで作っています。えーと、企画書づくりがお仕事のぼくには、このソフトのほうが馴染みが深いので。しかし、見出し用の画像を作成するのにPowerPointを使うのは、ぼくぐらいだろうな(苦笑)。

③ブログでやってみたかったジュークボックス。これは、FLASH‐UFOさんの無料Flash素材を使わせていただきました。二窓で音楽を聴いていただけるようなときに、お使いください(笑)。

④こちらもFlashbucksさんの無料Flash素材によりスライドショー。洗練されたデザインで素敵です。あまりFlashを使いすぎて重くなるのもどうかと思いつつ、やっぱりかっこいいページにしようと思うと使ってしまいます。

⑤カレンダーなのですが、CSSをいじって、以前のはてなのテンプレートに近いデザインに変えてみました。

⑥こちらもちょっといじって、付箋風の引用に変更。CSSカスタマイズの本を参考にしています。

⑦やはりCSSカスタマイズの本から、箇条書きのヤクモノ(記号)をアイコンにしてみました。ついでにサイドバー全体で、マウスオンするとオレンジ色にリンクが変わる設定にしました。

⑧こちらは単純に二重山カッコの記号を、いただいたコメントの前につけるようにしています。

⑨アマゾンのアフィリエイトと連動して、おすすめ本を表示。実はエントリーページ(右側のサイドバーのタイトルが緑色)では、記事の内容に合った本などが表示されるようになっています。

⑩G-Toolを使ったアマゾンの商品表示。本・音楽・映画と感想を書きたいぼくには、なくてはならないツールです。

⑪YouTubeの動画はそのままタグをコピー&ペーストで表示できました。

ちらっと書きましたが、それぞれのエントリーページでは、サイドバーも変えてTwitterの内容を表示したりしています。これからもまだいろいろと挑戦してみたいと考えていて、8月中には滞っているものをすべて処理、デザインもとりあえず決定して、9月からは落ち着いて記事をかけるようにしたいですね。

本やCDの感想も滞りがちになってしまいました。まずは7月中に読了した本が以下の3冊。

4000065122アフォーダンス-新しい認知の理論 (岩波科学ライブラリー (12))
佐々木 正人
岩波書店 1994-05

by G-Tools
4062583852東大駒場連続講義 知の遠近法 (講談社選書メチエ 385)
H. ゴチェフスキ
講談社 2007-04-11

by G-Tools
4255001545海馬/脳は疲れない ほぼ日ブックス (ほぼ日ブックス)
池谷 裕二
朝日出版社 2002-07-10

by G-Tools

つづいて、購入したCDで感想を書いていないのが以下の5枚。

B000007UZ8パブロ・ハニー
レディオヘッド
EMIミュージック・ジャパン 1998-06-24

by G-Tools
B00004XONNKid A
Radiohead
Parlophone 2000-09-14

by G-Tools
B000OXEQJOノー・プロミセズ
カーラ・ブルーニ
ポニーキャニオン 2007-05-16

by G-Tools
B000RG12ZEアウト・オブ・ザ・ウッズ
トレイシー・ソーン
インディーズ・メーカー 2007-07-18

by G-Tools
GoodbyeGoodbye
Ulrich Schnauss


Amazonで詳しく見る
by G-Tools


夏休みの宿題として、ぼちぼち感想を書いていくことにしますか。ちょうど今週いっぱい仕事は夏季休業なので、暇のある時間に書いていこうと思っています。

投稿者: birdwing 日時: 11:39 | | トラックバック (0)

2007年8月 9日

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デイリー・コラムニストになろう。

日記らしい日記を書こうと思うのですが、書けない自分がいます。どうしたことでしょう。そもそも、日記を書くほど律儀な性格ではないので、書けないのも当たり前、なのですが。

自分流のブログの書き方を解説してみると、ぼくはダイレクトにブログの編集画面に向かわずに、ワードパッドで一度下書きをしたあとで全文をブログの編集画面にコピー&ペースト、リンクなどの修正をしてアップしています。しかしながら、さあブログを書くぞ、と思ってワードパッドに向かうと、なぜか理屈っぽい文章とか、思考についての思考とか、そんな文章ばかりが浮かんでくる。

今日のお昼はパスタを食べた、とか、会社でこんなことがムカついた、とか、そんな文章を書いてみようと思うのですが、なんとなくそういうジャンルを書こうとすると筆が鈍くなる(もとい、キーボードのタッチが遅くなる)。記録的な文章も大事だと思っていて、そのときには日常の瑣末なことだと思っていても、数年後に振り返ると、おお、この日は茄子とベーコンのスパゲッティを食べていたか、などということが新鮮に思える気がするんですよね。それが瑣末であればあるほど大事な気がします。

しかし、どういうわけかそういう日記がぼくには書けない。

一方で抽象的な文章というのは時間や場所の情報が欠落していて、要するに頭のなかの心象風景なので、別にいつ考えてもよい。もちろんその時間と場所でしか考えられなかったことがあるかもしれないのですが、思考の痕跡ばかり延々と書き綴っても、どうかと思う。

じゃあいったいブロガーとしての自分はなんなんだ?と考えたとき、

デイリー・コラムニスト

ではないか、ということをぼんやりと考えました。

コラムニストという言葉から思い出すのは、80年代、泉麻人さんなどが肩書きに付けていた、ということです。Wikipediaで調べてみると、次のように書かれていました。

コラムニスト(columnist)とは、新聞や雑誌にコラムと呼ばれる短いエッセイを書く職業。本来一流紙に署名記事を書く記者のことを指したが、日本ではフリーライターもコラムニストを名乗ることがある。

このWikipediaで日本のコラムニストとして挙げられているひとは、泉麻人さんのほか、ぼくの知っているところでは、夏目房之介さん、 ナンシー関さん、中野翠さんなどです。小田嶋隆さんって小説家じゃなかったのかな。鴻上尚史さんは劇作家ですよね。二束のわらじを履いているひともいるわけだ。海外のコラムニストでは、ボブ・グリーンは有名です。

フリーペーパーのR25には、石田衣良さんの「空は、今日も、青いか?」という隔週連載が巻末に掲載されていて、これが結構好みだったりします。

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最新のNo.154では、「女子アナ的世界」として、女子アナは高度な専門職で、はなやかな世界にみえる割には給料もそんなに高くなく仕事は厳しく、彼女たちもふつうの女の子たちと同じように恋愛に悩んだりしている、ということが書かれていました。さすがフェミニストの石田さんらしい文章なのですが、気楽に読めてなんとなく心がくすぐられる。

こんな文章を書きたいものです。つまり、日常の瑣末なことに立脚しながら、あれこれと考察して、ブンガク的にも意味があるような文章。そうだ、ぼくはブロガーなのだけれど、デイリー・コラムニストとしてのブロガーになろう!と、あらためて思ったのでした。

投稿者: birdwing 日時: 23:20 | | トラックバック (0)

2007年8月 7日

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似ているひとへ。

テレビのバラエティ番組にはいろんなエンターテイメントがありますが、芸能人のモノマネは定番ではないでしょうか。似ているひとはほんとうに似ていますよね。顔や容姿がそっくりというだけでなく、仕草のひとつひとつが似ていたりする。似ているんだけれども、びみょうに違う。それが面白い。

どうでもいいことですが、平凡なぼくは、ぼくに似ているひとをよく発見されます。あれっ、おまえさっき神保町で歩いていなかったっけ?と訊かれたことがありました。いえ、ぼくはずっと会社にいましたが何か・・・なのでしたが。

それにしても、あまりにも仕事が嫌だったので、ぼくのレイコンがすぅっと仕事場を抜け出して神保町界隈を徘徊していたりして(いわゆる生霊みたいに)。あるいは本が好きで、学生時代と社会人になってしばらくは神保町界隈が職場でよく古本屋めぐりをしたので、そのときの残像が街に残っていたのかもしれません。

自分の残像が、ゴーストのように、みつからない本を探して街を彷徨っている。なんだか小説のようですね。そんな風に街に記憶が刻まれていると、ちょっといいかもしれない。ただ、かなしい自分が永遠にその場所に記憶の残像として残っているのは困りますが。

さて、容姿の話は別として、ブログを徘徊していると、おおっ、このひとの思考回路はぼくにそっくりだ!というひとに出会うことがあります。

あるいは、育った環境も考え方もぜんぜん違うのだけれど、文章を読んでいると、なんだかツボを押される、琴線に触れる何かがある、そんなスルーできないブログがあり、ブロガーさんがいる。

あまり身近なひとを例に挙げると照れくさいのであえて取り上げませんが(でも、みなさんの日記を読んでいますよー)、先日、はてなのサービスを退会して別の場所にブログを立ち上げようと苦労していたとき、他にも同じように考えたひとはいないのだろうか、こんな偏屈な人間はぼくだけか?と思いながらエントリーの雑踏を彷徨っていたところ、

このひとは、ぼくの思考とそっくりだ!

というブロガーさんをみつけてしまいました。

ブログ界に疎いので知らなかったのですが、どうやら有名なブロガーさんのようです。「奥様、鼻毛が出ておりますことよ」というブログを書かれている、わかむらゆうさんという方です。

■奥様、鼻毛が出ておりますことよ
http://wakamura.moo.jp/you/

最初は男性かと思っていたのですが、いろいろとページを読み進むうちに、ん?女性かもしれない、と思いました。どちらでしょう。性別・年齢不詳というのもミステリアスでいいですけどね。

わかむらさんは、ぼくと同様、はてなスターの登場に憤りを感じて、はてなを退会されたようです。そして、MovableTypeでブログを立ち上げています(これが実はぼくもMovableTypeを導入するきっかけとなりました)。

書かれている批判のエントリーひとつひとつが共感することばかりで、思わずコメントしちゃいました(お返事いただけなかったけど。泣)。その後、批判文に対する批判に傷ついて、反省して自滅的な文章を書いているのですが、思考の傾向さえ似ているような気がします(とか、書くとご迷惑かもしれないのですが)。

さらに、自分に対する励ましを自分のみえるところに記さないでほしいという要望なので(これもわかるなあ)、あえてトラックバックもコメントもしませんが、はてなスター問題がなければずっと人気のあるブロガーとして、はてなで書きつづけたひとではなかったでしょうか。惜しい人をなくした、いやなくなっちゃいませんが、はてなは失ったように思います。まあ、書き手を無視した強行な変更を行えば、去っていくひとがいるのは当然です。

プライベートでは音楽をやってステージにも立たれている方らしい。けれども、「本当に好きで大切なものを守るために口を閉ざす。」というストイックな姿勢のもとに音楽のことは一切ブログに書かれていません。このエントリーは、ものすごい数のブックマークが付いた人気記事だったようです。

わかむらさんの気持ちがわかりすぎる・・・というのはぼくの勝手な妄想にすぎませんが、膨大なアーカイブを読みすすめながら共感しまくって、もしかしたらぼくも書いたかもしれないテーマに唸らされながら、ちょこっとジェラシーも感じたりしています。似ているひとの存在は、なかなか心穏やかではないものもあるようで。

ぼくもそうでしたが、はてな退会の一件で、わかむらさんも少し文章から心が離れてしまったように見受けられました。そもそも慣れ親しんだ編集画面から離れてしまうと、それだけで書きたい気持ちが損なわれるものです。でも、ぜひまた以前のように書き始めてほしいですね。なんといっても魅力的な文章です。

似ているひとへ、少しばかりのエールを送ってみました。エールというか、念力のようなもの、なのですが。

投稿者: birdwing 日時: 23:28 | | トラックバック (0)