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2006年9月 9日

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「脳の中の人生」茂木健一郎

▼book06-065:反復とやさしい言葉が心地よい、茂木さん的世界。

4121502000脳の中の人生 (中公新書ラクレ)
中央公論新社 2005-12

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脳ブームといわれていますが、ぼくはどちらかというと目的なしに脳を鍛えるのはどうかと思っていて、ひねくれものなのでDSなどで「あなたの脳年齢は50歳」とか勝手に判断されたくないし、無目的で暗記や速読や視覚的な発見ができても、それであなたはしあわせになれるのか?と思ってしまうわけです。

ただ、茂木健一郎さんの本がよいところは、世界をより豊かに生きるための方法として脳や科学や文学について考えられています。ここがぼくが全面的に気に入っているところであり、そして、どの本を読んでも元気づけられる。反復して書かれているテーマもあるのですが、それが心地よい。特にこの本はやさしく書かれていて、すっと理解できるようなコラムばかりです。理解できるし、反復されたテーマが多いのだけど、これはものすごい真理ではないか、ということがある。

たとえば、「創造することは思い出すこと」という視点(P.31)。これは谷川俊太郎さんの「芝生」という詩を思い出してしまうのですが、脳の可能性を感じさせる言葉です。つまり、もしかするとこのちいさな脳のなかに、過去も現在もあらゆる世界の成り立ちの法則すべてが既に格納されているのかもしれない。したがって、木のなかの仏を掘り出すように、ぼくらは既にある法則を掘り出せばいいだけであって、それが創造することなのかもしれないわけです。といっても、それが難しいんですけど。

そして、ぼくは「思い出せない記憶よ、ありがとう」の最後に泣けました(P.225)。長いのですが引用しておきます。

親や教師は時折、子供たちが自分たちのことを将来、どれくらい思い出すのだろうかと考えて、寂しく感じるものである。確かに、自分の体験を振り返っても、学校の授業で「あんなことがあった」と思い出せたり、幼少期に「親があんなことを言った」とはっきりと想起できることは、ごくわずかである。
それでも、私たち一人ひとりは、間違いなく、親や教師が与えてくれた無数の「思い出せない記憶」によって支えられている。それが記憶の地層の奥深くにひっそりとしまわれているものであればあるほど、私たちの人生観、生き方は有形無形の深い影響を受けるのである。
子供たちは、「ありがとう」を言わずに大きくなっていき、やがて巣立って行く。それは寂しいことではあるが、子供たちの脳に刻まれた「思い出せない記憶」は必ず人生の支えになるはずなのである。

そう信じていたいと思います。9月7日読了。

*年間本100冊/映画100本プロジェクト進行中(65/100冊+52/100本)

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2006年9月 4日

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「小さき者へ」重松清

▼book06-064:父親として痛い、研ぎ澄まされた物語としての現実。

4101349185小さき者へ (新潮文庫)
新潮社 2006-06

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重松清さんの小説は、痛い。特にぼくを含めて父親であるみなさんには痛すぎるのではないでしょうか。とある外部協力会社さんの社長さんと飲んだときに、「流星ワゴンは泣ける」という話で盛り上がってしまったのですが、とにかく父親の辛さや喜びや、そんな感情を凝縮して物語に詰め込んだような感じがします。そして、リストラ、鬱、いじめ、死、不登校、パートナーの不倫、人生における負けなど、できれば目をそらしていたい事実を、先鋭的なかたちでどうだ!とばかりに突きつけてくるような作品ばかりです。

これは、職業ライターとして下積みされた圧倒的な力量があるからこそ書けるのだと思うのですが、「小さき者へ」も冒頭の小説から泣けるストーリーで、これは電車のなかでは読めないなあという感じでした。娘が高校を退学するまでを描いた「団旗はためくもとに」も泣けた。ビートルズに出会った自分自身の少年時代を回想しながら、息子への手紙を書く「小さき者へ」も、通勤電車のなかでは読めない一品でした。連続で数冊読むと食傷気味なところもあるのですが、重松さんの作品としては、次はgadochanさんがおすすめしていた「その日のまえに」を読んでみたい。9月1日読了。

*年間本100冊/映画100本プロジェクト進行中(64/100冊+52/100本)

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「ザ・プロフェッショナル」大前研一

▼book06-063:箍(たが)を締めるためには、プロ志向であること。

4478375011ザ・プロフェッショナル
ダイヤモンド社 2005-09-30

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日曜日にTBSのサンデーモーニングという番組で、日本人の「箍(たが)が緩んでいる」という特集をやっていて、なかなか興味深いものがありました。そのなかで評論家の佐高信さんが、山奥のサクラは見られることがないけれども美しく咲いている、という喩えを使って、自らを厳しく律する必要性を説いていたのだけど、それがプロフェッショナルではないかという気がしました。

総表現社会というと聞こえはいいけれど、パフォーマンスばかりが目立つ社会になっているような印象があります。つまり、すべてが表層的で、本質の部分で襟を正すようなことがない。なんとなくきれいに繕うけれども、見えない部分では手を抜いている。そこそこできれば、まあいいか、という力の抜き方が、日本全体の箍を緩めているのかもしれません。

大前研一さんの本では、そうした手抜きを「知的怠慢」と戒めています。そして、いま求められるのは融通の利かないスペシャリストではなく、プロフェッショナルであると説かれている。スペシャリストは命令された仕事を専門知識によってきちんとこなす人間です。もちろんそうした能力も必要だけれど、環境が大きく変化する時代においては、フレキシビリティを持って対応することが求められる。どんな環境であっても環境に適応した力を発揮できるのが、プロフェッショナルだそうです。

何度かブログでも取り上げたのですが、この本から学ぶことは多く、先見性、構想力、議論する力、矛盾に適応する力など、ひとつひとつが背筋を正してくれるものでした。技術から特定の業界知識まで、幅広い知見と常識を疑うような視点にも、がつんと殴られたような衝撃がありました。仕事は稼ぐためのもの、と割り切る考え方もあるのですが、ぼくはどうせ仕事をするのであれば、高みをめざしたい。だからといって理想と現実のギャップに苛立つのではなく(というか実際、苛立ちがちなのですが)少し気持ちを抑えて、ゆっくりと、一歩ずつ努力していきたいとあらためて思いました。8月31日読了。

*年間本100冊/映画100本プロジェクト進行中(63/100冊+52/100本)

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2006年8月29日

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「即戦力の磨き方」大前研一

▼Books062:危機感が必要、だからこそ自分で考えなければ。

4569648940即戦力の磨き方 (PHPビジネス新書)
PHP研究所 2006-04

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コンサルタントについて批判的なエントリーを書いてしまったこともありますが、大前研一さんは超一流であり、全面的に刺激を受けました。あまりにも自信のある言及は困惑するのですが、それだけ経験を積んだり努力されているひとなのだと思います。正直なところ、かないません。

この本ではまず下克上の時代のはじまりを解き、その時代に重要であるのは、「語学力」「財務力」「問題解決力」であるとします。そして、時代の先を読み「勉強法」「会議術」などによって、マニュアルではない自分自身の考え方に基づく「人生設計」をしなさい、と促します。その会議術の実践を家庭ですべきだという指摘もあって、ちょっと新鮮でした。旅行をしてリブートされたということもあり、ちょっと奥さんと議論してみたのですが、なかなか前向きなものがあった。

大前さんも批判されているのですが、恥ずかしながら、厳しい社会になるっていってもみんなそうでしょ、大丈夫でしょという感覚はあって、けれども年金問題などは、そのときになって怒ってもどうしようもないわけです。いまから政治に対してもセンサーを働かせて、たとえ個人であってもきちんと欧米なみに主張できるようにしたい。格差社会に対する答えもいくつか提示されていて、たとえば持ち家に縛られずに賃貸住宅という選択肢を検討するとか、クルマを持たないなど、常識を覆すような考えを提示されています。つまり、フレキシブルな対応(身軽な生き方)こそがこれから求められていて、会社や国家はあてにはできない。いたずらに情報に翻弄されるのではなく、きちんとした危機感を持ち、そのためにどうするかということを自らの頭脳で考えることが重要なんだな、息子たちにもそういうスキルこそ教えたいものだ、と考えました。8月29日読了。

*年間本100冊/映画100本プロジェクト進行中(62/100冊+52/100本)

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2006年8月19日

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「「関係の空気」 「場の空気」」冷泉彰彦

▼book06-059:日本語2.0、それは社会のために。

4061498444「関係の空気」 「場の空気」 (講談社現代新書)
講談社 2006-06-21

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日本語のもつ「空気」に着目し、1対1の場合には「関係の空気」、1対多の場合には「場の空気」が支配し、その空気に抗うことができないところに日本の「窒息感」があるとします。殺人やテロなどの社会的な問題を日本語の問題とする視点に切れ味のよさを感じました。そして、冷泉さんにそれができるのは、アメリカという社会から日本を眺めているという、内部でありながら外部というスタンスが重要であるように思いました。だからといって徹底的に日本の文化を批判するのではなく、欧米人からの指摘に対して擁護もしている。

とはいえ、あらためて冷泉さんが描写する企業などのシーンを読んでいると、正しいか正しくないかではなく、空気が支配する日本の文化はちょっとおかしいのではないか、という思いを強めました。子育てと総合職を両立させようとすると、賞与査定の評価が下がるという女性に対する「空気」も、残業や休日出勤をして自虐的にやたらと忙しいことを「善」とする空気も、どこかやっぱりおかしい。

では、どうするか、ということについて、冷泉さんの言葉を借りると「対等」な日本語を取り戻すことが重要である、という指摘は納得できることでした。対等というのは下のものがタメ口をきくのではなく、きちんとした「です・ます」調による尊敬語を使うということです。そして美しい日本語に帰るという幻想をやめて、新しい日本語の在り方を探すことが重要だと思いました。それは、日本語2.0といえるものかもしれなくて、日本語の未来を構想することで、言いたいことも言えない社会の窒息感や、略語などの暗号で分からないひとを排除する格差社会の進展や、そんな社会をよくすることができるのかもしれない、と考えました。非常に示唆に富んだ一冊なので、山本七平さんの「「空気」の研究」も読みつつ、またブログで考察してみたいと思っています。8月14日読了。

*年間本100冊/映画100本プロジェクト進行中(59/100冊+52/100本)

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