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2006年7月31日

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「態度が悪くてすみません―内なる「他者」との出会い」 内田樹

▼book06-056:しなやかな思想、身体に耳を傾けること。

4047100323態度が悪くてすみません―内なる「他者」との出会い (角川oneテーマ21)
角川書店 2006-04

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いい加減という言葉は適当とは異なっていて、ぼくにとってはよい加減という意味に思えるものであり、それはつまり風呂でいうと温くもなく熱くもなく、ゆったりと湯船で身体を伸ばしていると、うぇいーなんて言葉が思わず漏れてしまうような湯加減ではないかと思います。内田樹さんの本には、ぼくにとってはそんな"うぇい"な本であり、それでいて抜き出して深く考察したい部分がたくさんありすぎて困ってしまうほどです。

漫画から大滝詠一さんのことまで、内容も幅広く多岐にわたっていて、この節操のなさ(すみません)にも、体裁などに執着しないやわらかさを感じました。どうしてこんなにやわらかいのだろう、と思ったら、あとがきで、そもそもはブログに書かれた文章をあらためて書き直して集めた「コンピレーション本」とのこと。なるほどなあ、と思いました。内田さんのブログは拝見したことがないのですが、探してみようと思います。

ちょっと難しいテーマになってしまうのでまだ力量がなくて書けなかったのですが、「敗戦後論」の書評についても、深く考えるところがあり、つまりこれは靖国参拝問題なのですが、高橋哲哉さんの文章に悪い意味で「鳥肌」が立つと批判されていて、日本国民に周知徹底されない「正解」と、それが「正しすぎる」ゆえに危険であることを身体的に拒否する、という部分がすごいなと思いました。つまりどんなに理想で正しいことであっても、身体的にどこか警鐘が鳴らされることがある。戦争も同じことで、身体のともなわない理屈で判断することがいちばん怖い。「よくわからないけど変だ」「なんとなくおかしい」という、判断の留保を大事にしたいと思いました。考えてみると、「第1感 「最初の2秒」の「なんとなく」が正しい (翻訳)」という本にも書かれていたことかもしれません。

構造主義の本質は、いまここにある自分をカッコに入れること、また系譜として祖先からのツリー(樹形図)による「順−系図」は母方のリストを抹殺していることであり、私からはじまって時間を逆に辿る「逆−系図」の発想など、いろいろとインスピレーションを感じてブログに書きたいことがあったのですが、残念ながら本を読み終えてしまいました。というのは、ぼくはたぶん本を読み終えてしまうと、ひらめきも本といっしょに閉じてしまうからで、閉じてしまうと健忘症のようにすべてを忘れてしまうことが多いからです。もっとゆっくり読めばよかった。7月31日読了。

*年間本100冊/映画100本プロジェクト進行中(56/100冊+48/100本)

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2006年7月27日

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「ざらざら」川上弘美

▼book06-055:ひらがなというやすらぎ、そしてユーモア。

483871694Xざらざら
マガジンハウス 2006-07-20

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ざらざら、というタイトルをぼくは、ざわざわ、と読み間違えていたのですが、ぼくにとって川上弘美さんの文章は途方もなくざわざわした気持ちを呼び起こす小説で、転がされるものか、と警戒しつつ構えながら読んだのですが、この短編集はそれほどでもなく、ほっとしました。クウネルというマガジンハウスの雑誌に連載されていた作品で、既に雑誌で読んでいたものもいくつかありました。この雑誌は写真がオシャレで、会社帰りのコンビニでビールと一緒に買いました。

いま、ぼくはたぶん左脳的な本を思想関連書や脳科学、ビジネス書などで吸収していて、そのぶん、右脳的な本を女性作家のやわらかい小説で吸収しているような気がします。そんなわけで、重松清さんの文庫も買っているのだけど、なんとなく抵抗を感じて読まずにいる。また、物語に関しては映画で満足しているところもあり、だからこそ詩的なものや、やわらかい言葉を小説に求めている。もちろん船戸与一さんなどの硬派な冒険小説も好きだけど、いま読まないのは、そんなフレームワークが自然とできてしまっているからかもしれません。

川上弘美さんの描く女性は、なんだかちょっと間が抜けていて、ぼーっとしているようで繊細で、存在感がある。「ときどき、きらいで」という短編では、女の子の友達ふたりが部屋で夕飯を作りながら「はだかエプロン」をします。男の永遠のロマン的ファッションとはいえ、女の子の友人どうしでそんな試してみることってあるんでしょうかね?と思いました。しかし、そのありそうでない、なさそうでありそうなシチュエーションを生み出してしまうのが作家のイマジネーションです。「椰子の実」では、ちょっと、む、と思いました。兄と妹を描いた小説なのですが、人間の幸運・不運というのはある時期だけで判断できるものではなく、折り重なるような波を描きつつ、結局のところプラスマイナスゼロに落ち着くのではないか。そんなことを深く考えました。7月27日読了。

*年間本100冊/映画100本プロジェクト進行中(55/100冊+46/100本)

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2006年7月20日

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「寝ながら学べる構造主義」内田樹

▼book06-053:テツガクは、年を取ってからの愉しみに。

4166602519寝ながら学べる構造主義 (文春新書)
文藝春秋 2002-06

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学生のときの読書というのは、なんとなく見栄なんかもあり、難しくてよくわからないのだけど難しい哲学書を読んでしまったり、流行の作家を追いかけたりしたものでした。いま、もう若くもない時期になって、自分の好きなものを読んでいればいいや、という気持ちになっています。とはいえ、それでもやはり見栄もあるのだけど、ぼくに関していえば、例えばリリー・フランキーさんの「東京タワー」は途中で自叙伝的な言説に飽きてしまい、いまは積み上げられた本のどこかで化石化してしまっています。ただ、ひょっとしたらまたいつの日か読みはじめて最後まで読みきって号泣、ということもあるかもしれません。

学生時代には、構造主義とかポスト構造主義にかぶれていた気がします。しかし、ほんとうのところはよくわかっていなかった気がする。ところが、この「寝ながら読む構造主義」を読んで、あらためて面白すぎる!と思いました。それは入門書だからであって、実際にラカンやフーコー、レヴィ=ストロースやバルトなんかを読み直すとつらいものがあるかもしれないのですが、またじっくりと読んでみたい気がしました。とはいえ、個人的には来年以降でしょうか。今年はとにかく広く浅く、意識の網にひっかかってくるものを探す年にしたいので。

後書きで内田さんは、年を取ってから構造主義者たちの言いたいことがすらすら分かるようになった、と書かれていますが、確かに本にも期が熟さないと読み頃ではないものがあって、さらに人生経験が浅い若い人にはこの深みは理解できないだろう、ということがある。たいてい若いひとというのは、いや十分にオレは大人だ、などと強がってみせるのだけど(ぼくもそうでしたが)、ちっちっち、きみは若いからわからないよ、ということが確かにある。もちろんもっと先輩からみれば、ぼくもまだ青い年齢かもしれないのですが。

もう何度もブログでこの本から引用してきたので、本とは関係のないことばかりを書いてしまいましたが、まだまだ示唆を受けたことがたくさんあります。頭脳のなかにキープしつつ、また何か書いてみたいと思っています。7月20日読了。

*年間本100冊/映画100本プロジェクト進行中(53/100冊+44/100本)

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「夜のミッキー・マウス」谷川俊太郎

▼book06-052:みずみずしい詩人の感性は衰えを知らず。

4101266220夜のミッキー・マウス (新潮文庫)
新潮社 2006-06

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「夜のミッキー・マウス」「朝のドナルド・ダック」「詩に吠えかかるプルートー」とディズニーキャラクター3体の不思議な詩がつづいたあと、「百三歳になったアトム」となります。そういえば、そ〜ら〜をこ〜えて〜という鉄腕アトムの歌は、谷川俊太郎さんの作詞だったなあということを思い出しながら、きみょうな詩の世界に引き込まれていきました。

文庫のあとがきに書かれていて、杉本彩責任編集の「エロティックス」というムックにこの詩集から三篇の詩が採録されているそうなのだけど、確かに困ってしまうような詩もあって、それを困ってしまうのが大人の思考であって、無邪気に書いてとぼけているのが詩人という気がしました。タイトルからして過激で、女性の読者は「例のあの詩」としか言ってくれないようなひともいるらしいのだけど、ぼくが谷川俊太郎さんの詩を過激だと思うのは、表層的な言葉の過激さよりも、もっと心の根源のようなものをえぐるような感覚ではないかと思いました。それをものすごくわかりやすい言葉で、やさしく書いている。これにはまいりました。

たとえば「ママ」という詩は母親と息子の対話のようなかたちで進められるのだけど、いつまでも息子を自分の子供として独占しようとする母親の意識と、「コイビト」は「ママとおんなじ匂いがする人がいいな」とか「でもママいつかは死ぬよね/ぼくママが死んでも生きていけるようにしなくちゃ」という子供ならではの残虐な思考があったりして、鋭いものを感じます。これらがすべてやさしい言葉で語られていくから、余計に鋭い。

なんとなくふつうだな、と思う詩もあるのですが、本を閉じたあとにざわざわと感情がよみがえってくることもある。それからどう表現してよいのかわからないのですが、ものすごく遠い感じ(うーむ、うまくいえない)がする詩もありました。言葉自体は耳元で囁かれるのだけど、耳元から脳に向かった途端にぱあっと草原が広がるような感じ。だめだ、この感覚は表現不可能です。最後にこれもまた「あとがき」の言葉を引用します。

「この詩で何が言いたいのですか」と問いかけられる度に戸惑う。私は詩では何かを言いたくないから、私はただ詩をそこに存在させたいだけだから。

読んだ感想を言葉にできないのは、そういうことだからかもしれません。7月20日読了。

*年間本100冊/映画100本プロジェクト進行中(52/100冊+44/100本)

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2006年7月 7日

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「コーチングが人を活かす―やる気と能力を引きだす最新のコミュニケーション技術」鈴木義幸

▼book06-050:やさしい、そして深いノウハウ。

4887591195コーチングが人を活かす―やる気と能力を引きだす最新のコミュニケーション技術
ディスカヴァー・トゥエンティワン 2000-05-31

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ビジネス書のなかには、モジュール化されていてわかりやすいのだけど、時間が経つとあまり残らないような本もあれば、やさしい言葉のひとつひとつが実践のなかで現実に楔を打ち込むような本もあります。また、ものすごく難解な言葉で分厚い本もあって、それが重厚な知識として蓄積されるものもあれば、厚いだけで何を書いてあったのかさっぱりわからないこともある。たとえば、ジェームス W.ヤングの「アイディアのつくり方」のような本は、薄っぺらくて簡単で、すぐに読めてしまうのだけれど、時代を超えてアドマンのバイブルとされています。上司からすすめられた必読図書で、ぼくも何度も読み直しました。

このコーチングの本も薄くて、あっという間に読めてしまうのですが、コーチングのバイブル的な本だと思いました。すばらしい。やさしい言葉で書いてありますが、そのひとつひとつはものすごく深いノウハウばかりです。体系らしき構造がみえなくても、これだけ端的に(見開き単位で)整理されていると、実用度も高いと思いました。特に最後で、さまざまな場面を想定して、たとえば「部下に仕事を任せることができない」であれば「信頼する(22) 失敗する権利を与える(94)」のように、50の技術のどれとどれを組み合わせればコーチングできるというアルゴリズムのようなものが書かれているのはすごいと思いました。

テクニックだけでなく、ご自身の体験や聞いた話から構成されているので、説得力も違います。たとえば次のような挿話にはじーんとしました。「同僚のSさん」の話で、風邪をひいた6歳の娘さんがひとりで入院しなければならなくなる。そのとき最初はやさしく諭していたのですが、次第に声を荒げてしまった。そこで次のようにしたそうです。引用します(P.38)。

どうしたものかと途方に暮れはじめたとき、Sさんはふっと思い立って彼女の言葉をただ同じように繰り返しはじめました。「入院するのやだよ」「やだよね」、「お家帰りたいよ」「帰りたいよね」二分くらい繰り返していたそうです。すると彼女がぽつっと言いました。
「お父さん、入院する」
コーチングの基本的な哲学は、「安心感で人を動かす」というものです。アメやムチで相手を動機づけるのではなく、安心感をお互いの関係の中につくりだし、それを相手が行動を起こすための土壌とします。

泣けた。ほんとうにそうだと思います。特に、ぼくも次男が喘息で入院したときに同じようなことを感じました。コーチングは決して部下を掌握するためのテクニックではなく、もっと深い何かを教えてくれそうな気がします。7月7日読了。

*年間本100冊/映画100本プロジェクト進行中(50/100冊+39/100本)

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