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2010年3月 2日

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工藤重典/武満徹:フルート作品集~巡り

▼music10-03:みえない風の音を視る、不思議な邂逅。

武満徹:フルート作品集~巡り
工藤重典
武満徹:フルート作品集~巡り
曲名リスト
1. そして,それが風であることを知った
2. 巡り
3. マスク
4. 海へ3
5. エア

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武満徹さんの音楽には、相反するものが混沌のなかに投げ込まれている印象があります。妖しさと硬質さと、力強さと儚さと、ぬくもりと尖った刃のような冷たさと。異質な要素のカオスのなかで音が渦巻く感じ。

オーケストラと尺八や琵琶で構成された「秋」などにはまた違った趣きがあるのですが、フルートを中心にハープ、ヴィオラで構成された「武満徹:フルート作品集~巡り」は、研ぎ澄まされた音でありながら癒されるアルバムでした。

かつてぼくは武満徹さんの音楽が苦手でした。これは自分には合わないな、と諦めてしまっていました。しかし、ふたたび彼の音楽にめぐりあって不思議なあたたかさを感じています。自分自身の何が変わってしまったのか。ぼくにも理解できません。戸惑っています。

遠い昔に読んだ本を読み直すと新しい発見があるように、あるいは読まず嫌いで放置していた作家の作品にあらためて嵌まるように、趣向は変化します。時期によっても、年齢によっても。

小説にしても音楽にしても、作品はその作品内で完結しているようにみえますが、実は受け手(読み手・聴き手など)に向かって開かれています。受け手の感受性や身体がどのような状態にあるかによって、読まれ方、聴こえ方も変わってくるのではないでしょうか。

ヴァイオリニストは、コンサート会場のコンディションに合わせて、調弦のヘルツ数を細かく変えるということをきいたことがあります。本来であれば、そのようにして「場」ごとに作品も微妙に調整され、作り変えられるべきなのかもしれません。また、真剣に読む/聴くのであれば、作品は人生と同じように一回性のものであり、読むたび聴くたびに受け手のなかで生成され消えていくものが理想であるとも考えられます。

そもそもぼくはクラシックの初心者であり(昨年あたりから集中して聴くようになったばかり)、現代音楽に関しては知識ばかりで、きちんと触れたことがありませんでした。

しかし、この武満徹さんのフルート作品集は、そんな自分にしっくり馴染むものでした。ありがたいことにTwitterで教えてくれた方のおすすめだったので、良い作品であることは間違いないのだけれど、耳が求めていたというか、ぴったりと嵌まった感覚に自分でも驚きました。

同時に、フルートという楽器の可能性を知る契機にもなりました。

クラシック初心者だけに、フルートといえば高音で可愛らしい音色を奏でる笛だとばかりおもっていたのですが、武満徹さんの作品のなかでは、ぶおーっという迫力のある音も聴くことができます。きれいな旋律だけでなく、幽玄の響きもあります。まるで尺八のようです。楽器に対する認識をあらたにしました。

それは武満徹さんが、フルートという楽器に特別な思い入れがあったからかもしれません。以下、ライナーノーツから引用します。

フルートは武満徹にとってピアノと同じように身近な楽器である。武満は作曲を始めた初期からフルートのための曲を書き、半世紀に及ぶ創作活動の最後の作品となったのは、フルート・ソロのための<エア>(1995)だった。声高になることなく、また威圧的になることもなく、つねに柔らかさを保ちつつ微妙な音の移ろいを託しうるフルートは、おそらく武満にとって等身大の楽器だったのだろう。

アルバムのなかには7つのトラックが収録されているのですが、ぼくが最も好きなのは、1番目「そして、それが風であることを知った」です。

このタイトルについては非常に詩的だなと感じたのですが、実際にエミリー・ディキンソン(Wikipediaの解説はこちら)の詩の一節から取ったそうです。この詩人のことをぼくはまったく知らなかったのですが、Wikipediaの解説を読んで興味を持ちました。神秘主義的な傾向があり、それが武満徹さんの趣向とも合致したのでしょう。

ネットで検索したところ、「そして、それが風であることを知った」という一節を含むエミリー・ディキンソンの詩をYuuki Ohtaさんが翻訳されていました(ページはこちら)。以下、引用させていただきます。

雨のように、曲がるまでそれは鳴っていた
そして、それが風であることを知った----
波のように濡れた歩みで
しかし乾いた砂のように掃いた----
それが自分自身を何処か遠くの
高原へ押し去ってしまったとき
大勢の足音が近づくのを聞いた
それはまさしく雨であった----
それは井戸を満たし、小池を喜ばせた
それは路上で震えて歌った----
それは丘の蛇口を引っぱりだして
洪水を未知の国へ旅立たせた----
それは土地をゆるめ、海を持ち上げ
そしてあらゆる中心をかき回した
つむじ風と雲の車輪に乗って
去っていったエリヤのように。

この詩のなかで、風は木の葉を揺らすざわめきの音、でしょうか。直喩で「雨のように、曲がるまでそれは鳴っていた」ことによって、詩のなかの<私>は、ざわめきが風であったことを知ります。次の行にも関連して、「波のように濡れた歩み」「乾いた砂のように掃いた」という「雨の音=波の音、砂の音」というざらついた音の連鎖を生むことによって、風というみえない音の動きを、詩人はことばで追いかけていきます。

間接的に海あるいは水(波)へのイメージを喚起していることが、「海へ」「ウォーター・ドリーミング」のように水をモチーフとすることが多かった武満徹さんの琴線に触れたのかもしれません。「風」自体も彼にとっては重要なモチーフのようです。ライナーノーツによると次のように述べているそうです。

「人間の意識の中に吹き続けている、眼に見えない、風のような、魂(無意識の心)の気配を主題としている」と作曲者は述べている。

風は眼にみえませんが、木の葉の揺れ、水面の波紋、巻き上がる砂埃のように、他の物質とかかわることで視覚化されます。そして魂のゆらぎも、叫びや声にならない唇のわななき、ぎゅっと握った拳の震えなどで表現されます。そして大切なのは「気配」です。はっきりと言葉化されたものではいけない。感じられるけれど、ことばにならないもの。吹き抜ける透明な風=魂を表現するには、やはりフルートという楽器でなければならなかったのでしょう。

ところで、文学的なイメージはともかく、音楽的な技巧としてはライナーノーツで次のように解説されています。

6音の上行形モチーフが、ハープのハーモニクス、ヴィオラのノン・ヴィブラート、指板の上を弾くスル・タスト等の特殊奏法により、肉の厚みを削がれた静かな音で奏される。フルートも通常の奏法のほか、ハーモニクス、フラクター・タンギング等をはさむ。

・・・専門的でわかりません(涙)。ハーモニクスぐらいの用語であれば、ギターにもあるのでわかるのですが。ただ通常の奏法ではない凝った音であることは、実際に楽曲を聴けばわかります。どの音がどの奏法かはわかりませんが。

「そして、それが風であることを知った」に焦点をあてましたが、彫刻家のイサム・ノグチを追悼して書かれた「巡り」、ふたつのフルートによって奏でられて能の女面に由来したタイトルの「マスク」、最後の作となった「エア」なども不思議と癒される曲です。

そして「海へ」。楽曲はもちろん、解説書を読んで注目したのは次の部分でした。

<海へⅠ>の前年の1980年に書いた<遠い呼び声の彼方へ!>(1980)では、河が流れて調性の海に入る光景を設定され、海の綴りのSeaからとったes(S)-e(e)-a(a)の3音に始まる6音の音階が使われている。

「海へ」にもes-e-aのモチーフが使われているそうです。おもわず、にやりでした。ブラームスの弦楽六重奏曲第2番の第1楽章にも「アガーテ音型」と呼ばれる音があることを知り、以前ブログに書きました(「音楽という、ことば。」)。アガーテというのはブラームスが失恋した相手の名前で、難しそうな顔をしているけれどブラームスってロマンティストなんだな、と微笑ましかった。あまり音楽と関係のないところで凝りすぎるのもどうかとおもいますが、こういう記号的な隠しワザが個人的には大好きです。

いまも「巡り」のアルバムを聴きながら文章を書いているのですが、とても落ち着きます。西洋の楽器を使った音楽でありながら、武満徹さんの作品は「和」のイメージがあります。できれば、障子や襖のある部屋で和服を着て、正座をして瞑想しながら聴きたい。

現代音楽には縁がない。ずっとそうおもい込んでいました。ところが意外な「巡り」あわせに自分でも首を傾げながら、何度も繰り返し武満徹さんの音楽を聴いています。

投稿者: birdwing 日時: 22:37 | | トラックバック (0)

2010年2月 8日

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Charlotte Gainsbourg / IRM

▼music10-02:ベックが彼女の魅力をもうすこし引き出せたなら。

IRM
シャルロット・ゲンズブール
IRM
曲名リスト
1. マスターズ・ハンズ
2. IRM
3. ル・シャ・ドゥ・カフェ・デ・アーティスト
4. イン・ジ・エンド
5. ヘヴン・キャン・ウェイト
6. ミー・アンド・ジェーン・ドウ
7. ヴァニティーズ
8. タイム・オブ・ジ・アサシンズ
9. トリック・ポニー
10. グリニッジ・ミーン・タイム
11. ダンデライオン
12. ヴォヤージュ
13. ラ・コレクショヌーズ
14. ルッキング・グラス・ブルース *ボーナス・トラック

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シャルロット・ゲンズブールって、美人じゃないとおもいます。などと唐突に書くのは大変失礼だけれど、スレンダーというよりも痩せてがりがりな印象だし、少女がそのままオトナになったようなこまっしゃくれた雰囲気は、どこか地味で華がない。彼女と同年齢ぐらいの女性であれば、街中でみかける主婦さんのほうが余程きれいな方がいます。

が、しかし。フォトジェニックというか、写真やムービーのなかでみる彼女は美しい。なぜか可愛らしくて惹かれるものがあります。ミュージシャンのセルジュ・ゲンズブールと女優のジェーン・バーキンの娘という血筋のせいかもしれません。

映画では、「フレンチなしあわせのみつけ方」のワンシーンなど、いいなあとおもいます。ジョニー・デップ演じる男とCDショップの試聴スポットで出会い(BGMはレディオ・ヘッドの「Creep」)、男のことを気にしながら声をかけようか躊躇う。そんな場面です。

「IRM」は、ジャケットに使われたモノクロのポートレートがいい感じ。裏面もセクシーです。唇とか目とかクールさを漂わせながら、なまめかしい。こんな感じ。

100208_Charlotte.jpg

さて楽曲は、というと、全面的にベックとのコラボレーションで作られているため、非常にベックらしい凝った音づくりです。すこしばかりサイケデリックというか、ストレートなロックではない。アクの強いひねくれた印象があります。独特の空気感あるいは雰囲気です。彼の音楽の特長といえるでしょう。

全曲通して聴いてまず印象に残ったのは、パーカッションでした。ライナーノーツで解説されていたように、彼女の父親であるセルジュ・ゲンズブールがアフリカのパーカッションを多用したことに対するオマージュなのかもしれません。とにかく、どんどこどこどこ、どですかどかでん、というような激しいリズムが(空間的なエフェクト処理をされているせいもあって)気持ちよく響きました。

次は弦。ストリングスのアレンジは、ベックのお父さんが手がけているそうだけれど、気だるいような弦の音が記憶に残ります。そのあと印象的なのが・・・シャルロット・ゲンズブールの歌でしょうか(苦笑)。

タイトルのIRMとは、英語でいうMRI(magnetic resonance imaging:磁気共鳴画像法)のようです。フランス語では、まったく逆になってIRM(image en resonance magnetique)と呼ばれているとのこと。脳を輪切りにして内部を撮影して診察する医療機器ですね。ただし、CTとは異なりX線を使用しないようです(Wikipediaの「MRI」)。

うちの次男も、髄膜炎で意識がうつろなときにMRIで診察を受けました。小児科専門の大きな病院だったので、円筒状のMRIは子供たちが怖がらないようにドーナッツの絵が描いてあったっけ。シャルロット・ゲンズブールは、07年に水上スキーの事故で頭を打ち、MRIで検査をしたところ、脳内の大量出血がみつかり手術をしたそうです。

そのMRIの電子音が、そのままサンプリングさせてタイトル曲に使われています。スキャンをしても思考や記憶などはみえないのですが、歌詞は「何がみえる?」として、罪の影などもみえるのか、という問いを投げかけています。

1曲目の「Master's Hands」から2曲目の「IRM」にかけては、サラウンド効果をかけているのでしょうか、立体的な音像が面白い。楽しいです。個人的には、1曲目を聴いた感想は、トム・ヨークのソロというかレディオ・ヘッド的な繊細な翳りを感じました。「Master's Hands」は好きな曲です。マイナーコードのなかに、ちらっとメジャーコードが入るあたりとか、ルートを外したベースのハイトーンによる無機質な音とか。

「IRM」は、ヘッドフォンで聴いたら左右の音像などにびっくりしました。映像はありませんが、以下YouTubeから。

■Charlotte Gainsbourg - IRM


3曲目はフランス語の曲。フランス語による曲は、アルバムのなかでこの1曲のみです(あとはすべて英語)。しかもベックとの共作ではなく、70年代のジャン=ピエール・フェルランというひとのカヴァーとのこと。いい雰囲気の曲です。前作「5:55」をおもい出しました。

なぜフランス語ではなくて英語の作詞なのか。ライナーノーツの解説を読むと、次のようなコメントがあります。

だってベックはフランス語では歌詞を書けないでしょ。で、私はベックが書くものを歌いたかったから、そうするのが一番。それに母国語で歌わないことで感じる"借り物感"が好きなの。

フランス語で歌うと、どうしても父であるセルジュ・ゲンズブールの壁がある。英語で歌うと解放されるそうです。けれども個人的な感想としては、ほかにもフランス語の曲が聴きたかった。歌詞カードの翻訳を読まなければ、意味はわかりませんけどね。何よりも音の響きが魅力的なので、彼女にはフランス語で歌ってほしかった。フランス語の歌詞×ベックの楽曲というコラボがどうなるのか予測がつきませんが、ひょっとしてぶち壊しだったとしても、そんな挑戦があってもいいのではないでしょうか。

ベックといっしょに歌っている5曲目「Heaven Can Wait」は、どこかキンクスとかジョン・レノンとか、古いミュージシャンを彷彿とさせる曲です。

■Charlotte Gainsbourg feat. Beck - Heaven Can Wait


ウィスパー(囁き)系のヴォイスが好きなので、アルバム後半の曲では8曲目「Time Of Assassins」がいいです。もろにアフリカのリズムが導入された12曲目「Voyage」もいい。アコースティックギターのカッティングに惹かれます。

シャルロット・ゲンズブールは曲によって歌い分けています。しかし、ここでもぼくの好みを述べるのであれば、ウィスパー(囁き)系の曲を増やしてほしかった。

ベックの解釈によるところが大きいのかもしれませんが、リバーブをかけたり音を加工したりするエフェクト処理よりも、彼女自体の歌声を引き立てるようなプロデュースをしたほうがいいんじゃないのかな、と感じました。だからといってぜんぜんダメなわけではなく、むしろコラボとしては成功しているのですが。

ベックはやりたい放題で、というよりも自分の領域に彼女を引き込んでしまった印象があります。完成度は高い。良質な曲ばかりです。しかしながら個人的な感想としては、シャルロット・ゲンズブールらしさがいまひとつ。なかなかコラボは難しそうです。

投稿者: birdwing 日時: 20:37 | | トラックバック (0)

2009年7月11日

a001109

オンガクを楽しむ、その拡がり。

いままでクラシックには知識も関心もほとんどなく、乱暴な話、何を聴いても同じように聴こえていました。指揮者や演奏者によって大きく変わるといわれても、そんなものかなあ程度の感覚しかなかったのが実情です。どこかにクラシック音楽の"入り口"があるはずなのだけれど、高い城壁に囲まれて入ることができない。入り口がみつからない。そんなわけでクラシックを敬遠していました。

しかし、最近は、バッハのピアノ曲を聴くようになり、すこしクラシックの聴き方がわかりかけてきたような気がしています。

バッハを選んだのは、村上春樹さんの「1Q84」に影響されたからかもしれません。あるいは、作品としてはいまひとつだったけれど、何気なく観た「地球が静止する日」という映画のワンシーンに流れていたことが印象的だったのかも。バッハの音楽は情緒的には深みはないような気がしますが、クラシック初心者の自分には馴染みやすく、きれいな結晶のような旋律だと感じています。

実際にはバッハに入る前に、グールドのブラームスの曲集を買ったのがクラシックの城門に入るきっかけでした。なぜブラームスか、グールドか、といえば、輸入版をセールで1,230円で安売りしていたからです(苦笑)。情けない購入のきっかけです。とほほ。

■5月22日購入

B00006G9UMBrahms: 10 Intermezzi for Piano; 4 Ballades
Johannes Brahms Glenn Gould
Sony 2002-09-23

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このアルバムを聴いたときに直感的におもったのは、これクラシックじゃないんじゃないの?でした。ふつうに聴くことができる。どこかポップスのバラードのような印象がある。やさしい。易しいだけではなくて優しいという意味においても。

しばらくこの一枚に嵌まって、何度も繰り返し聴いていたのですが、ではグールドの名演奏といわれるゴールドベルク変奏曲を買ってみようと次を購入。

■6月10日購入

B001FOSK20バッハ:ゴールドベルク変奏曲(1981年録音)
グールド(グレン) バッハ
SMJ(SME)(M) 2008-11-19

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ほんとうにシロウトな感想を書きます。まず、第一印象は、最初のアリアがゆっくり過ぎないかな、ということでした。つづく第1変奏で、いきなり力強いタッチでがーんと音量がでかくなる。録音時でしょうか、YouTubeに貴重な映像があったので取り上げてみます。

これでは眠りから覚めてしまうよ・・・と感じました。確か不眠症に悩む伯爵のために書かれた曲ではなかったでしたっけ。といっても、くっきりとした明瞭な弾き方には、なんとなく気持ちよさを感じました。クセがありますけどね。

そんな風にしてゴールドベルク変奏曲を聴いていると、やっぱり「平均律」が聴きたい!それも全曲!と衝動が湧き上ってきて、CDショップを彷徨。1巻と2巻を合わせると5000円~7000円ぐらいするのですが、超・破格な輸入版を発見。4枚で1,960円でした。ロシアのピアニストのようです。

■6月25日購入

B000026OHNWell-Tempered Clavier
J.S. Bach
RCA 1994-03-01

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何度も聴くうちに慣れて逆に好きになったのですが、最初は残響音が気になりました。ザルツブルクのクレスハイム宮殿で録音されたらしく、リバーブが効いている。この録音場所が演奏に透明感を与えています。しかし、グールドの明瞭なタッチに慣れていた自分には、くぐもって聴こえて仕方がありませんでした。

なんと楽譜付きのものをYouTubeで発見。この演奏です。

ただ、やっぱり自分が求めていた平均律とは違う。どうしたものかーとおもってまた自宅近くのCDショップを彷徨ったところ、グールドの「リトル・バッハ・ブック」というアルバムに平均律クラヴィーア曲集第1巻第1番ハ長調が入っていることに気づいて、こちらを購入しました。

■6月28日購入

B001FOSK1Gリトル・バッハ・ブック
グールド(グレン) バッハ
SMJ(SME)(M) 2008-11-19

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聴いて驚いたのは、リヒテルの演奏とぜんぜん違う。

5番目の音をスタッカートというか、はずむように弾いていて、流れるような分散和音になっていない。びっくりしました。楽譜には書いていないのだとおもいますが、こういう風に解釈しちゃっていいのだろうか、と。これがグールド版です。リヒテルのものと聴き比べると違いは明瞭ではないでしょうか。

中島義道さんの「哲学の道場」という本には、「哲学者は作曲家というよりむしろ演奏家」として、次のようなピアニストの特長が書かれていました。以下、引用します(P.131)

(いずれも旧い人で恐縮ですが)ホロヴィッツのように神経剥き出しの超絶技巧的演奏もあり、ルーヴィンシュタインのように王者のような貫禄の華麗な演奏もあり、ハスキルのように清楚な気品に満ちた演奏もある。ポリーニのようにねっとりした正確無比の演奏もあり、バックハウスのように荘重で生真面目な演奏もある。コルトーのように典雅で叙情的な演奏もあり、ギレリスのように情熱的で強烈な演奏もある。ギーゼキングのように透明で硬質な演奏もあり、グールドのように神がかった魔力的演奏もある。こうした優れたピアニストに共通のものとは何でしょうか。それは、――月並みな言葉ですが――高度の技巧に支えられたその人の個性が輝いている演奏ということになりましょう。同じ意味で、ヴィトゲンシュタインにせよベルクソンにせよハイデガーにせよ、それはそれは優れた演奏家です。
4480057595哲学の道場 (ちくま新書)
中島 義道
筑摩書房 1998-06

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いわゆる哲学者の表現であり、クラシックのファンからすると、いやそうじゃないという解釈もあるかもしれません。けれども、中島義道さんが書いているように、それぞれのピアニストの個性を味わいながら楽曲を聴く、というのがクラシックの楽しみ方のひとつなのかなと考えました。

「神がかった魔力的演奏」と書かれたグールドは、かなり個性的なひとだったらしく、読み終えたばかりの「人生を<半分>降りる」には「グレン・グールド 孤独のアリア」から以下のような引用もされています(P.195)。

生涯を通じて彼はあまりものを食べなかった。実際ほとんど何も口にしなかったといってもよい。多くても一日一回だけで、けっして肉は口に入れなかった。野菜も同様だ。「野菜は呪われている」と彼は言っている。
距離は何色をしているのだろう。グールドは色彩を嫌った。派手な色の部屋の中では仕事もできないし、明晰な頭脳のはたらきも保てないのだった。グレーと暗いブルーならばどうにかこうにか我慢できた。陽の光は彼を悲しい気分にさせた。
4480424121人生を「半分」降りる―哲学的生き方のすすめ (ちくま文庫)
中島 義道
筑摩書房 2008-01-09

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4480871829グレン・グールド 孤独のアリア
千葉 文夫
筑摩書房 1991-02

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変人ですね(苦笑)。

けれども超・個性的といえるでしょう。芸術家気質ともいえます。もしピアニストではなかったなら、かなり生きにくい人生を歩んだかもしれません。

個性が表現になります。そして、その背景には人間性がある。演奏を聴きながら音のなかに内包される演奏家の生き方を感じ取り、あるいは時代について想像をめぐらせ、また演奏を聴く。さらには可能であれば、楽譜を入手して、その記号から生み出される音を検証する。あるいは、同じ楽曲の別の演奏家の音楽を聴いてみて、個性の違い、解釈の違いを楽しむ。他の音楽でも同様かもしれませんが、特にクラシックでは、そんな音楽の楽しみ方が可能になるとおもいました。

さらにいえば、ピアノの楽器としての鳴り方、ホールやスタジオなど、どこで録音されたか、いつ録音されたかによる違い、楽譜の1音ごとの解釈の仕方などにも違いがあるでしょう。難しいかもしれませんが理論を学べば、構造的な理解の楽しみかたもあるかもしれません(恥ずかしいのですが、フーガってなんだっけ?と平均律を聴きながら考えています)。量をたくさん聴くだけでなく、一枚をじっくりと聴き込む楽しさもある。

音楽を無限に楽むことができるような気がしてきました。オンガクを楽しむ拡がりを感じています。

投稿者: birdwing 日時: 17:27 | | トラックバック (0)

2009年5月23日

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Hector Zazou / Lights in the Dark

▼music09-04:ヒーリング効果がありそうな無国籍の響き。

ライツ・イン・ザ・ダーク
エクトル・ザズー
ライツ・イン・ザ・ダーク
曲名リスト
1. 星
2. 聖母マリアの7つの喜び
3. 死者の詩
4. 3人のマリアの哀哭の叫び
5. 聖母マリアの7つの喜び
6. 3人のマリアの哀歌
7. 受難の詩
8. 我等が父の御名のもとに勝利せんことを
9. 聖母マリアの7つの悲しみ
10. 主の御心に捧げる小さな歌
11. マリアの哀歌
12. 愛の求め
13. すべての希望の墓

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週末、どこかエレクトロニカな気分にはなれずに、かといってジャズでもない。最近は図書館から借りてきたバッハ(「音楽のささげもの」、「フルートソナタ集」)を聴いていることが多いのですが、それではクラシックのコーナーに行ってみよう、ということで試聴しながらセンサーに引っかかってきたのがこの一枚でした。聴いてみた感覚としては、クラシックといえないような気がするのだけど。

暗闇のなかの光というタイトルの通り、このアルバムに収録されているのは敬虔な祈りを込めたケルト民族の聖歌です。アイリッシュ・ミュージックというような感じでしょうか。全体的には静かな闇が覆っているのだけれど、きらびやかな音の粒子がときどきその暗闇から現われては消える。そして、やさしい歌声が空気のように暗闇を包み込む。

試聴したときの第一印象は、スティングの「The Soul Cage」というアルバムみたいだな、という感じでした。母親の死から半年後に父親も亡くしたスティングが、かなしみの淵から立ち上がりつつ製作した一枚です。冒頭の「Island Of Solls」という曲から、どこかアイルランド風のさびれた風景が音像として拡がりました。あるいは、「グレゴリアン・チャント」でしょうか。まさに聖歌なのですが、こうした聖歌に影響を受けたエンヤの音楽にも近いものがあります。

このアルバムを手にするまで、エクトル・ザズーというミュージシャンには、まったく知識を持ちませんでした。ライナーノーツを読んでみると、フランスの実験音楽家らしい。ポップな作品を発表するかと思うと、音響系の音楽を展開したり、多彩だったらしい。2008年に急逝されたとか。坂本龍一さんもピアノとして参加されているのですが、なんだか非常に納得しました。そうして、ピーター・ゲイブリエルも参加している。

民族楽器に詳しくないので判断できないのですが、楽器もケルト的なものだけではないような気がします。どうも日本の琴のような音も聴こえる。ギターもギターではないような気がする。だからこそ音像として際立って聴こえます。あるいは何か音響的な処理がされているのかな。また、6曲目のイントロで聴こえる音は、うわーディストーションギターか、と思ったらチェロの弦による音でした。この攻撃的な音は、どちらかというと暗めの癒し系音楽のなかでは、際立っているような気がします。坂本龍一さんが参加されているのはこの曲です。不安な感じのするピアノの分散和音が効果的です。

好きな曲は1曲目「星(Ralt (The Star) )」。この曲ではシーケンサーのようなピコピコ音も若干ですが聴こえます。これはエレクトロニカといっても差し支えないような気がします。3曲目の「死者の詩(Dn Nar Marbh (Song of the Dead) )」。オカリナのような音は、「シルク」という映画で雪に埋め尽くされた峠を越えるようなシーンを思い浮かべました。4曲目「 3人のマリアの哀哭の叫びCaoineadh Na Dtr Muire (Keening Joys of Three Marys))。男性のコーラスが素敵です。音響系ですね、この音づくりは。7曲目、「受難の詩(Amhrn Na Pise (Song of the Passion) )」は癒されます。眠れない夜に聴きたい。9曲目「聖母マリアの7つの悲しみ(Seacht Ndlas Na Maighdine Muire (Seven Sorrows of The Virgin Mary)のハイトーンのヴォーカルと合唱も美しい。

よーく聴いてみると、国籍不詳というか、むしろ日本風な音階を発見したりします。かと思うと、急に南の島に飛ばされるような音が奏でられる。この個性は、エクトル・ザズーそのものなのでしょう。

自宅の近くにどこか民族系の喫茶店(なんでしょうか、この表現は)があって、夜になるとアコースティックギターや笛などのミニライブをやっています。気になるのだけれど、なかなか入ることができない。しかし、エクトル・ザズーの音楽を聴いていたら、そういうところにふらりと立ち寄ってみたくなりました。5月23日観賞。

+++++

■映像がすこし気持ち悪いのですが、YouTubeから。これは5曲目の「聖母マリアの7つの喜び(Seacht Sauilcena Maighdine Muire )」ですね。

Lights In The Dark... Hector Zazou...

投稿者: birdwing 日時: 23:59 | | トラックバック (0)

2009年1月29日

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John Coltrane Quartet / BALLADS

▼music09-01:きめ細かなサックスの肌触り、粒子の調べ。

Ballads
John Coltrane Quartet
Ballads
曲名リスト
1. Say It (Over and Over Again)
2. You Don't Know What Love Is
3. Too Young to Go Steady
4. All or Nothing at All
5. I Wish I Knew
6. What's New?
7. It's Easy to Remember
8. Nancy (With the Laughing Face)

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ジャズには夜がよく似合う。と思っていたのですが、朝日にあふれた部屋のなかで聴いても、なかなかよかった。さわやかでした。願わくば、しっかりとしたコーンの幅がでかいスピーカーで聴きたいところです。

コルトレーンの名盤です。初心者向けかもしれないけれど、その通りぼくは初心者なのでしっくりきました。ジャズというジャンルには詳しくないのですが、音に身体を委ねていると心地よい。薀蓄を探すのはやめて、少しばかり印象で語ってみましょうか。

張りのある美しいサックスの音色は、どこかすーっと伸びた帯のようです。そのしなやかな帯が折れたり絡み合いながら旋律を織り成していく。バラードだけにゆったりと白玉系の長い音が多いのですが、メロディラインというよりもトーンのきめ細かさがぼくには気持ちよく感じられました。

クールなプレイは若干あたたかみに欠ける感じもするのですが、一方で、女性のなめらかな腰のラインを想像させます。くびれた曲線を指で確かめるような感触です。とはいっても淫靡ではない。朝もしくは午後にたゆとう逆光。肌が艶やかにみえる部屋の薄明かりのなかで、眠っている裸のシルエットのなめらかな輪郭を指の腹で辿っていく感じ。どこか聴覚よりも触感的な気持ちよさがあります。そういう意味では、明るいセクシーさに溢れたアルバムかもしれません。

好きな曲は、第一に1曲目の「Say It (Over and Over Again)」。出だしの音からぱあっと世界が開けます。しかしながら、ピアノソロの高音から低音への過剰に弾き込んだフレーズが、ぼくには耳障りなのですが、この曲はいいなあ。少しアマノジャクなことを書いてしまうと、音楽がはじまるまでの静けさがいい。3曲目「Too Young to Go Steady」も1曲目と似ているような印象ですが、好みです。それから8曲目つまり最後の「Nancy (With the Laughing Face)」もいい。コルトレーンらしさという意味では、4曲目「All or Nothing At All」は雰囲気があるのではないかと思います。

マッコイ・タイナーのピアノに関していうと、ぼくはあまり好きではないかもしれない。派手に高音から低音へグリッサンドのように動き回る旋律が、なんとなく苦手です。きれいなのだけれど・・・美しすぎてダメだ。もう少し謙虚さがほしい。音符通りに正確に弾くよりも、ちょっとぐらい外れてもいいから朴訥としたピアノが好きです。整いすぎているような気がします、なんだか。

というのは、趣味のDTMで単音の打ち込みをやっているからかもしれません。どうしてもきれいにグリッサンドした音符は、打ち込みのピアノロールに置かれた幾何学的な棒の配列をイメージしてしまう。どちらかというとジャズのピアノは、コードバッキングで、しかもたどたどしいような音がぼくの好みです。音の粒立ちがはっきりしていないような弾き方がいい。

ついでに、ドラムのロール、「 It's Easy to Remember」の、どこどこどこどこ・・・というおどろしい音にも困惑。盛り上げるのはわかるのですが、怖い。もう少し地味にしてほしい。ただ、その地の底からわきあがってくるようなリズムがいい、というひともいるのでしょう。

とかなんとか、ぶつぶつ文句を並べてみたのですが、やっぱりいいですね。なんだかとても懐かしい感じさえしました。コルトレーンのバラードがいい、ということをあるひとから聞いて、無知なぼくは音楽ジャンルとしてバラードかと思って返事をしてしまったのですが、あとから考えて、ああ、アルバム名だったかも・・・と思いました。そんなことを思い出しながら購入しました。

詳しくはないけれど、まっさらな状態で少しずつジャズも吸収していきたい。あまり変化球から入ると後が続かないので、まずは名盤からでしょうか。とはいえ、薀蓄より音を楽しみたい。そして聴きながら脳裏に思い浮かべたイメージを言葉にできれば、と考えています(1月22日観賞)。

投稿者: birdwing 日時: 23:56 | | トラックバック (0)