07.workstyleカテゴリーに投稿されたすべての記事です。

2007年5月23日

a000188

ワークスタイル・イノベーション。

久し振りに短期間でハードなお仕事をしたのですが、率直なところ楽しかったです。

仕事が楽しいというと不謹慎に思われるかもしれないのですが、無愛想に嫌々やるよりも楽しんじゃったほうが得じゃないかな。人生、損得勘定で割り切ったほうがすっきりすることもある。何もないところからカタチを生み出すような仕事はプレッシャーもあるし、安全な場所から言いたい放題きついことを言うひともいたりして、腹が立ったり凹むこともあります。とはいえ、そんな大変さやネガティブ面も含めて楽しんじゃったほうがいい。

しかしながら、圧倒的に感じたことがあったので書いておきます。それはつまり、
年齢には勝てん(苦笑)
ということです。

若いスタッフが徹夜で仕事をするなかで、うひゃーこれについてはいけませーん、これに付き合ったら正直なところ死ぬかも、と思いました。という自分だって若い頃には(遠い目)、土日だろうが深夜だろうが働いて、始発で帰ったり会社の椅子を互い違いにしてベッドをつくって寝て泊まったこともあるのですが(これがまた身体が痛くなるんだな)、もはやそういう仕事はできそうにもない。

がむしゃらであればいい、若いひとのスタイル

若いうちはワークスタイルや効率的な仕事の方法論に関心がありますよね。ぼくも仕事のスタイルを確立したくて、啓蒙書だとか実用書を数え切れないほど読みました。企画に関する本であれば、しょうもない本も含めて、本棚が全部埋まるぐらい読んだ時期があった。要するにスマートに仕事をしたいし、できる男になりたいと思うわけです。できる男はなんとなくモテそうな感じもするし(笑)。

とはいえですね、私見だけれども、若いうちはスタイルは不要かもしれない、と思いました。乱暴なことを言ってしまえば、がむしゃらに仕事をする体力と熱意さえあればいい。必要なのは「がむしゃらさ」です。徹底的にクオリティにこだわって、自分の仕事哲学を守り、ときには上司と喧嘩するぐらいの、がむしゃらさ。それさえあればスマートさなんか求める必要はないんじゃないか。

むしろ、この仕事はこれぐらいでいいや、というように、自分で仕事の限界を決めてちいさくまとめてしまうほうがよくない。クールなスタイルのようにみえるけれども、そちらのほうが格好悪い。また、長期的にみても、ここまでと線を引き続けると、ここまで以上のことはできなくなる気がします。余剰に頑張ることが自分を成長させるものです。余剰さを求めない人間に深みは生まれない。

元気づけることが大切、もはや若くないひとのスタイル

一方で、年齢を重ねた人間にもがむしゃらさは必要だけれど、それだけではまずい。熱いおじさんもかっこいいけど、熱いだけだと、むさくるしいですよね(苦笑)。何が必要かというと、がむしゃらにやっている若いひとたちの仕事を俯瞰し、全体の方向性を見極めることが大切ではないか。

このとき、いちばん大切なのは、「元気づけてあげること」ではないでしょうか。自分が元気になる、じゃなくて。いや、元気なことはいいんだけど、若者と元気さ比べをしても意味ないですよね。

がむしゃらにやっている若いひとたちですが、ふと冷静になったとき、すごく凹むときがあるものです。凹みやすいぼくは、特にそういう傾向がありました。オレっていま何やってるんだろう、オレのやっていることって無駄じゃないのかな、何になるのかな、なんだかせつなくなってきたぞ、人間はどこからきてどこへ行くのでしょう(泣)のように、最終的にはブレードランナー的な人生とはなんぞや?という命題に突き当たってしまう。

そんなガティブループにはまっている若いひとの思考を破壊して、元気を与えてあげる必要がある。

ときには根拠のない奨励も必要です(笑)。おお、すげーよ、これいいじゃん、よくこんなの考えたなー、素晴らしい、さいこー、プレゼン取れそうな気がしてきた、いっけー!とか。

ところがそんなときに、ダメだこんなの(ぼそっ)、と言ってしまうと最悪です。疲れているひとたちを追い込んでどうする。確かに年齢を重ねた人間が若いひとたちの仕事に付き合うと疲れるのだけれど、そんなときだからこそ、やせ我慢が必要ですね。トップに立つべき上司や経営者が疲れていると、その疲れが伝播する。疲れているのは自分だけではないという認識が必要です。指揮をする人間も疲労するけれども、現場はもっと疲れているわけで。

余裕のある大人の思考へ

そんな余裕は、数々の修羅場を潜り抜けてこそ得られるもので、のほほんと仕事をして、こんなもんでいいかーという適当なやり方をしていると結局のところ経験値も知識も高くならない。ドラゴンクエストみたいなものですかね。

ただ、逆説的にいうと、年を取っても徹夜さえ辞さないがむしゃらな働き方ができると凄い。知識や経験が豊富であることに加えて、思考も柔軟で、さらにタフであると究極です。身体鍛えるか!と思いました。よーしジム通いだ、とか短絡的に鼻息が荒くなったのですが、いや、それより健康がまず最初でしょう、と。体力なさすぎ、というよりも体調悪すぎで不健全なので。へなへな。

年齢を重ねた人間の魅力は、ひとことで言ってしまうと「余裕」なのかもしれません。若いと余裕ないもんな。仕事だけでなく恋愛などもそうですね。自分の想いだけを突きつけるのは余裕がなくて、相手を考えられることが心の余裕であり、やさしさなのかもしれないし、それが大人の人間的魅力ともいえます。

というぼくはといえば、いつもいっぱいいっぱいで、体力どころか余裕もなさすぎですが(苦笑)。

あらゆる仕事をするひとに共通のワークスタイルや方法論もあるかもしれませんが、年齢に合わせたものもあります。個々にカスタマイズする必要もあるでしょう。

仕事を通じて人生のスタイルを考えてみたいと思いました。

投稿者: birdwing 日時: 00:00 | | トラックバック (0)

2007年5月17日

a000184

予期せぬ事態を活かす。

偶然の間違いや失敗が創造性につながるのではないか、ということを先日書いたのですが、その背景にあったのは、いま読んでいるドラッカーの「イノベーションと企業家精神」でした。

4478000646イノベーションと企業家精神 (ドラッカー名著集 5)
上田 淳生
ダイヤモンド社 2007-03-09

by G-Tools

この本の第3章「予期せぬ成功と失敗を利用する」を興味深く読みました。

といっても現在、複数の本に手を広げすぎていて、ついでに読書に集中できる時間もなく、どの本も中途半端に読みかじっているばかりです。ついでに読んだところを忘れてしまって、再び読み直したりしています。一歩進んで二歩下がるではないのですが、まったく前へ進めません。ある意味、永遠に読むことができてしあわせ、かもしれないのですが(苦笑)。

ちなみにこの本が書かれたのは1985年、ドラッカー75歳とのこと。75歳といえばぼくもじきに迎える年齢ですが(嘘です。笑)、瑞々しい文章と前向きな発想が心地よい。70歳を過ぎて、ぼくもこんな文章が書けるのだろうか。そもそも文章を書く以前に健康かどうかも自信がないのだけれど、できれば、こんな文章を書いていたいですね。内容はもちろん、著者の生き方が元気を与えてくれます。

イノベーションの7つの機会

さて、ドラッカーはイノベーションの機会として次の7つを挙げています。


第一の機会:予期せぬ成功と失敗を利用する
第二の機会:ギャップを探す
第三の機会:ニーズを見つける
第四の機会:産業構造の変化を知る
第五の機会:人口構造の変化に着目する
第六の機会:認識の変化をとらえる
第七の機会:新しい知識を活用する

常識的に考えると、イノベーションの機会の第一としては、産業構造や人口構造の変化ではないかと思いました。けれども、ドラッカーは予期せぬ成功あるいは失敗を第一に挙げている。この発想が新鮮です。

そもそもマネジメントとは、予期せぬことがあってはいけないもので、目標値をきちんと定め、目標値からまっすぐに引いた線上に事業や組織の進路を定め、その軌道を外れないように管理することではないでしょうか。ギャンブル(賭け事)じゃないのだから、運まかせで成功しちゃったとか、思いがけないチャンスに恵まれたとか、いきなり足元をすくわれて失敗したとか、そんなことがあってはならないはずです。不測の事態が起きないように、科学的に予測し、きちんと計画を立て、リスクを回避しつつ利益を追求する。

ところが、ドラッカーは予期せぬ成功と失敗に着目して、その「兆候」を読み取り、分析することが重要であると説きます。

ここでぼくは、そうか!と思ったのですが、たいてい予期せぬ出来事に遭遇したときは、「なんだか偶然においしい(あるいはとんでもない)目にあっちゃったな」という感想で片づけてしまいます。偶然にもたらされた出来事が何を意味するのか、どんな兆候なのかなど考えることはない。偶然でした、として思考停止して、その偶然を体系化したり構造化することはない。

けれども、この予期せぬ成功や失敗からパターンを見出すことがイノベーションを考える上では重要であり、論理的思考だけでなく直感のようなものが求められる。さらに分析だけでは不十分で、「調べるために出かけなければならない」とドラッカーは書いています(P.37)。いわゆるフィールドに赴き、そこで起こっていることを自分の目で確かめる。

予期せぬ機会を逃さない

ところで、この章を読んでいて、笑ってしまったのは次の一文でした(P.21)。



しかも予期せぬ成功は腹が立つ。

ははは。そうだよなあ。たとえば、偶然に隣り合った美人と話をして仲が良くなった話を聞くと、ちぇ、なんだよそりゃーと腹が立つ。しかしながら、これもまた腹が立っておしまい、ということが多い。

けれども、美人の定義、偶然に隣り合う時間的な要因、空間的な要因、心理的な要因・・・などから多角的に分析すると、人生における機会とは何か、という理論を構築できるのかもしれない。でも、理論どおりにやっても美人と仲良くなれるとは限りませんよね。だから人生は面白いのだけれども(笑)。

茂木健一郎さん的に言うと、偶有性いわゆるセレンディピティにつながる話かもしれませんね。

この偶有性について、通常は分析して理論化しようとは思いません。理論化できないから偶有性なのだ、という風に勝手に思い込んでしまっている。きっちりと思考の垣根を作って、そこから踏み出そうとはしないものです。トライしても無駄だと考えてしまう。ところが、無駄とも思える予期せぬ事態をあえて理論化すべきだ、と述べるドラッカーは、実は相当ぶっとんでいるのではないか、と思いました。

予期せぬ成功のエピソードとして、たまたま晩餐会で隣に座った女性から「どうしてお宅の営業マンは、私のところに売り込みに来ないのですか」と話しかけられたことから窮地を脱したIBMの話が引用されていました。

倒産の危機に直面していた1930年代初めのIBMでは、売れ残った銀行用の事務機に困っていた。ところが偶然に話しかけられた女性は図書館の館長で、彼女のところには潤沢な政府の予算があり、彼女の図書館に事務機を納品することによって、IBMは窮地から救われたとのこと。

一般的に考えると、たまたま運がよかっただけじゃないか、で終わる話です。あるいは、営業として自分から声をかけずに声をかけられた機会を利用するのは能力でもなんでもないんじゃないの、という気もする。しかしながら、この話が面白いのは、販売先のターゲットとして想定もしていなかったところに売れる可能性があり、そのチャンスを活かすのも殺すのも何気ないひとことをキャッチするかどうかにかかっていた、ということです。

もし、IBMの創立者トマス・ワトソン・シニアが彼女の言葉を聞いて、彼女が図書館の館長であることを知っても、いやうちには関係ないですから、と申し出を断っていたとしたら、ひょっとしたら今日のIBMはなかったかもしれません。そう考えると、すごい。予期せぬ事態にYesかNoかを選択することによって、分岐される未来の明暗が大きく分かれるわけです。

この予期せぬ(けれども将来に影響を及ぼす)一瞬を感知できるかどうかは、そのひとのセンスによるところもあるでしょう。ただ、常日頃アンテナを伸ばしていると、自然とキャッチしやすくなるようなものじゃないかとも思っています。

明日から、話しかけてくれるひとをぼくは無視しないようにしようと思いました。にっこりと微笑みつつ、お話してみよう。何気ない通りすがりのひとが、実はぼくの人生を変える大切なひとかもしれない。

実は今日のお昼に、定食屋のおばさん(失礼、おばさま)から話しかけられたのですが、あのおばさまはひょっとしてぼくの人生を変えてくれる女性だったのだろうか。

な、わけないな(苦笑)。

投稿者: birdwing 日時: 00:00 | | トラックバック (0)

2007年3月 7日

a000305

build to think(プロトタイプ思考)。

デザイナーではないのですが、デザインに関心があります。

けれども、さすがにプロではないので、さくっとデザインできません。昨夜も、このブログのタイトル画像をこつこつと作っていたら、夜更かしをしてしまいました。アドビのInDesignぐらい使えるとかっこいいのですが、ぼくのお仕事は企画業務なので使えるツールといえばPowerPointぐらいです(とほほ)。

そんなわけで、タイトルのブルーの鳥は、PowerPointのフリー描画機能を使ってマウスで描きました。しあわせの青い鳥でしょうか。最初はクロだったのですが、さすがにカラスじゃまずいだろう、と(苦笑)。それにしても音楽もイラストもマウスで作るので、マウス職人の道を究めようかと思ったり思わなかったり。

デザイン関連の本で昨日購入したのは、「デザインの知(Vol.1 2007)」です。

4046216212デザインの知 (vol.1(2007)) (デザイン哲学叢書)
降旗 英史
角川学芸出版 2007-02

by G-Tools

表現はもちろんデザインの背後にある考え方や哲学に関心があり、書店で興味を惹かれました。ついでにこの本は、すべてのページにおいて、左側に日本語、右側に英語という形でバイリンガルで構成されています。デザインだけでなく英語も学びたい、という欲張りなぼくには、一石二鳥の本でした。ちなみに英語に関していうと、最近はまず英語のブログを読もうと思っています。茂木健一郎さんの「the qualia journal」は必ず読んでいます。

「デザインの知」のなかでは噴水アーティストの杉原有紀さんの話が面白かったですね(杉原さんのホームページ)。いずれまた紹介してみようと思いますが、ちょっとだけ触れておくと、杉原さんはウォータードームという噴水アートを展開されています。芸術の道に進むきっかけとなった杉原さんご自身の水の体験も書かれていて、ぼくの幼少の記憶を手繰りよせるものとしても共感できました。VR(バーチャルリアリティ)の見地から、水を「マルチモーダルな物質」と位置づけるのも興味深い。マルチモーダルとは「複数の感覚に訴えることを意味する」そうです。

最近、スローリーディング&読む冊数を制限して、じっくりと本と関わる方向に軌道修正しようと考えてもいるのですが(つまみぐい的に本を読むことは、読書家として誠実さに欠けるのではないかと思うようになりました)、もうすぐ読了する「デザイン思考の道具箱」も非常に示唆に富んだ本です。

SAPとIDEOの共通点

「デザイン思考の道具箱」では、いままで軽視されがちだったデザインにおける哲学の重要性について解説されていて参考になります。その一方で、現場を観察することでインサイト(洞察)を発見する、フィールドワークの手法も重視されています。

「プロトタイプ思考(P. 144)」の章は、とても参考になりました。

この章を読んで、スタンフォード大学のDスクールは、ERP(Enterprise Resource Planning:企業の経営資産を効率的に運用するためのシステム)大手ベンダーSAPの創業者ハッソ・プラットナーから多額の寄付を受けているということを知りました。デザインコンサルティング会社IDEOのアプローチとERPのシステム開発のアプローチが似ていることをプラットナーが知って驚いた、ということを契機に寄付が進展したようです。

SAPとIDEOのアプローチで何が似ているかというと「デザイン作業の途中で顧客の反応を探っている点」とのこと。

ここで言うデザインとは、IDEOの場合はプロダクトデザインなど視覚的なデザイン(表現)だと思うのですが、SAPの場合はソフトウェアデザイン(設計や計画)でしょう。しかしながら、異なるデザイン領域であっても顧客を巻き込んでデザインしていく手法に類似点がある。

プラットナーはSAPの「SAPPHIRE'04」でIDEOに対する共感的な発言をしたようですが、IDEOの提唱した「クイック&ダーティプロトタイピング」と呼ぶ手法を非常に高く評価したそうです。

コンセプトや仕様を練りに練って時間をかけて制作や開発を行い、さあどうぞ、と納品したときに、これは違うんだけど・・・とお客様からひとこと言われたら、その時点でアウトですよね。それまでの時間もコストも無駄になります。しかし、お客様とともに試作品を検討しながら改良していけば、最終形はお客様の求めているものに近くなる。

顧客を巻き込んで開発していく手法は、ベータ版をとりあえず公開してユーザーの声を聞き取りながら改良していくことに近いかもしれません。多くのネット系ベンチャーのアプローチでは一般的ですが。

つくりながら考える技術

プロトタイプ思考とは、簡単に言ってしまうと"つくりながら考える"ことです。この方法が重要であると奥出直人さんはたびたび言及されています。まず、試作品を作る。その試作品について議論や検討しながら改良を重ねていくことで、「機能」と「見た目」を洗練させていく。以下、引用します(P.145)。

プロトタイプをつくる目的は、クライアントや上司を説得することではない。つくることで考える=build to think ためである。これは、考えたらまずつくってみるということである。つくることで考え、つくりながら考える。

ところが、このプラクティスが案外できないそうです。というのは、考えてから作る、という方法が一般化している。まずは準備周到にコンセプトを磨き上げ、それから作る。コンセプトが不完全な場合はまだ作るべき段階ではない、という考え方があるわけです。

一方で、自分では何もデザインしないくせに評論するときだけ元気になる。そんなひとも結構多いのではないでしょうか。ぼくもそのひとりかもしれないのですが(苦笑)、傍観者として口だけは達者なひとたちです。そういうひとは自分の手を汚すことはしない。自分ではつくらずに、他人のつくったものだけを論じる。けれども、自らがつくって失敗することが大事であると述べられています(P.146)。

何かアイディアやコンセプトができると、その本質を議論するひとがほとんどである。それではいけないのだ。まずつくってみる。そこが何よりも大切なのだ。つくったものはたいてい失敗する。しかしその失敗から多くを学んで素早く成功に結びつける。これがプロトタイプ思考である。失敗することでコンセプトを洗練させていく方法といってもいい。失敗からこそ学ぶことができる。つくらなければ失敗しない。

次のような部分も頷けます(P.148 )。

イノベーションの実践を教えているときに頻繁に観察される現象なのだが、新しいモノのコンセプトをつくると、いきなりそのコンセプトの詳細や有効性に関しての議論を始める人が多い。また実際にコンセプトを提案した者でなく、コメント好き、批評好きのメンバーが議論を引っ張っていく傾向もある。

この部分、非常に深いと思いました。手を動かさずに発想すると、机上の空論になりがちです。クリエイター/評論家のように領域に線を引いてしまうと安全ですが、これからの社会で求められているのは、手を動かしながら考えられるひとなのではないでしょうか。一種のプレイングマネージャー的ともいえます。

ぼくは歩くと思考が回転することがよくあるのですが、手を動かすことでも思考を促進できるらしい。こんなことも書かれていました(P.168)。

手を動かしていると同時に頭が活性化してくる。手で考えているのである。哲学的にいうとエンボディメント(embodiment)ということだが、楽器でもゴルフクラブでも同じで、身体の延長になっているときに、いろいろなことを思いつくのである。

そんなわけで、ぼくもヘタクソでいいから手を動かそうと思い、ブログの鳥ロゴをデザインしてみました(苦笑)。難しかったなあ。いやあ、デザイナーさん、すごいよ(しみじみ)。頭のなかにイメージがあっても、なかなか描けないものですね。

ブログ、音楽、子育ても同じかも

ブログにおいても、このプロトタイプ思考は使えそうです。とりあえず立ち上げて、部分的に改良をしていく。ぼくも昨日、タイトル画像を変更しましたが、作ってみて表示させて削除して作り直してまた貼って・・・という作業の繰り返しでした。プレビューという画面はまさにプロトタイプを確認する画面ともいえます。印刷では校正にあたる確認作業が、Webではもっと簡単にできるわけで。

自作曲の公開などの音楽に関しても、インターネットであれば簡単なので、とりあえず作った曲をアップロードできます。CDというメディアで配布するのであれば焼き直しはできないので、完成品が前提条件になる。しかしネットであれば、音楽のバージョンアップができます。ぼくも「rewind」という曲を一度公開後に手直しをしたのですが、現在さらに手直ししてmxd3(3回目のバージョンアップ)を作りたい気分です。ただ、この方法の問題点は、あまりにも不完全な段階で公開できるので、完成度を高めることがおざなりになってしまうこともある、という点でしょうか。

子育てにもプロトタイプ思考は応用できそうだと思いました。親として完璧な教育論を持っているひとには問題ないと思うのですが、多くの親たちは、親になっちゃったけどいったいどうすればいい?(おろおろ)という状態が多いのではないでしょうか。ぼくもそうでした。

けれども完璧な教育論を最初から持っている必要はなくて、子供といっしょに作っていけばいい。生成する発展途上の教育論でかまわない。テンプレートとして一般的な教育論を下敷きに借りて考えてもいいと思うのですが、子育てには一般論では対処できないことも多いですよね。だから、カスタマイズされた独自の子育て論でかまわないわけで、それは完成されている必要はない。現実に役立つ部分だけあればいいと思う。

ぼくらは不完全な生き物です。準備が完全になってから何かをしようとすると、時間に乗り遅れてしまう。見切り発車ぐらいでちょうどいい。

そもそも完璧な人間というものはいないわけで、人生そのものが途方もないプロトタイプ(試作)と改良の連続なのかもしれませんね。あっちを削ったり、こっちを出っ張らせたり、自分という試作品をいじりながら生きていくのも悪くないものです。その結果いびつなひとになってしまったら、それもまたよし、ということで。

投稿者: birdwing 日時: 00:00 | | コメント (2) | トラックバック (0)

2007年1月12日

a000410

思考を動かす。

会議がうまく機能すると、アイディアが走り出す感じがあります。停滞していた空気が一気に突破口をみつけて弾ける感じ。そんな勢いでアイディアが走り出すと、その風に巻き込まれて別のアイディアも疾走する。思考が動いた、と実感するひとときです。今日はなんとなくそんな感覚を得ることができて、ちょっと爽快な気分でした。深夜までブログを更新していて、めちゃめちゃ寝不足だったのですが。

・・・とかなんとか、非常に比喩的な美しい表現を使ってしまったのですが(苦笑)、実際には今日のような日ばかりではありません。走り出したアイディアに対して「その提案は以前にもやったけどダメだったよね」といきなり潰されることもあるし、走り出したのはいいけれど目的地が曖昧なまま暴走した挙句に現場に戻れなくなってしまったり、相手を論破するゴールのない徒競走的な世界に突入したり、そんなこともあります。

限度の設定

今週は分析作業に仕事の大半を費やしました。一般に分析という作業は、ある現象やデータを"静的に"把握するものであると考えます。もちろん運動に対する分析もあるかもしれませんが、運動であっても瞬間の連続として時間と空間をスライスしていく。科学的には「観察」ということなのかもしれません。被観察物と距離を置いて、観察者としてそれを眺める。眺めてパターンなどを見出す。

しかし、ぼくらが住む現実世界についていえば、プレパラートに閉じ込めた永遠の理論がいつまでもつづくわけではありません。プレパラートに閉じ込めた永遠はきれいにみえるけれど、静的なものとしてきれいな結晶を残しておきたいというのは観察者のエゴかもしれない。人間の行動はすべてパターン化できるとは限りません。むしろパターン化されてたまるか、とも思うし、パターンから外れるからこそ面白い、創造的である、とも思う。多様かつファジーなのが人間であって、だからいい。

数値との戯れ、分析機器という精巧な"玩具"との戯れは楽しいものです。ぼくも分析作業をやっていて、データの砂場をスコップで掘り返しながら、思わず「これをずーっとやっていたら楽しいだろうなあ・・・」と、思うことがある。データを掘り起こす作業は、光の当て方を変えるだけで違う結果が導き出されるもので、解釈の可能性は無限に広がっています。やろうと思えば永遠につづけられる。けれどもですね、必要のないデータいじりを無限につづけるのは分析者のつまらないエゴではないか。無限に遊びつづけるのではなく、

ひょっとすると、これって途方もない無駄じゃないか?

と気づくことも重要な気がします。適正な分析は意義があるけれど、不適正な分析は過剰なノイズを増産するだけです。そこまでやらなくてもわかるんじゃないの、ということもある。膨大な時間をかけて子供でも知っている当たり前しか導き出せないこともある。また、膨大な情報は判断を鈍らせるだけのものであり、それで正しい判断ができるか、というとそうでもない。むしろシンプルな情報で迅速に意思決定したほうが、時流をつかむこともある。

その限度を見極めるのは、分析者のセンス、直感かもしれません。制止することも必要だけれど、もっとここを掘ったほうが宝がみつかるのではないかという場合にも、どこを掘るのかを決めるのはセンスという気がします。

見栄えではなく

同様に考えられる無駄な戯れが、チャート化という戯れです。もうひたすらチャート(図形)化しまくる(苦笑)。でも、これは何を意味しているのだろう?という不可解なチャートも多い。チャート化して意味があるものもあれば、逆に箇条書きや文章で説明したほうがわかりやすいこともある。何でも図形化すればよいというものでもない。

コミュニケーションとして考えると、そこには必ず伝えたい対象者がいるわけで、対象者によっても伝え方のポイントは異なります。たとえば経営者に向けたものであれば、文章は少なめで数値を強調した方がいいかもしれない。図形的な説明が苦手なひともいて、であれば図形ではない手法で説明するのがユーザビリティとして適切であると考えます。なんでもビジュアル化すればいいってものではない。図形化すべきときは図形化する、しなくてもよいときはしない。その使い分けが大事です。フォーマット化(標準化)よりもカスタマイズが大切です。

かっこいいから図形化してみました、というのがいちばんかっこ悪いとぼくは思います。必要にないところにビジュアル化は要らない。思考という裏づけのないかっこよさは、むしろかっこ悪い。と、おこがましいのですが、そんなことが言えるようになったのは少しだけぼくが年を取ったかもしれません。若い頃にはとにかくかっこいいデザインのチャートを作りまくって、横文字のかっこいい言葉を使いまくったこともありました。それはめちゃめちゃかっこ悪い。若気の至りというか、いま過去の仕事を振り返ると卒倒したくなることも多くあります。

思考を動かすことができる人材

ビジネスにおいて求められるのは、傍観者や評論家、観察者やかっこよくチャートを仕上げられるひとではなく、その静的な知恵やスキルを動的に活用できるひとではないでしょうか。きれいに企画書を仕上げられる人材よりも、手書きでもかまわないし口頭でもいいから、思い浮かんだアイディア(思考)をすぐに現実として動かせる人材です。

技術とビジネスの分野においても考えられます。よく例に挙げられるのはゼロックス・パロアルト研究所の例ですが、マウスや現在のグラフィカルユーザーインタフェースなど最先端の開発をしていたパロアルト研究所は、技術やアイディアはあったのだけれど、それをビジネスとして現実化することはできませんでした。実際に現実化して普及させたのは、スティーブ・ジョブスやビル・ゲイツだったりするわけです。

とにかく仕事では集中的に考える一週間だったのですが、考えてばかりでいいのか、という疑問がぼくのなかにあります。ちなみに、このエントリーは他者に対する批判のように読めるかもしれませんが、ぼくはその意図で書いていません。疲労した頭をクールダウンさせながら、自戒と自分がなりたい方向性をまとめてみました。自分に向けたメモのようなものです。メモなので結論はありません。結論は明日からの行動で。

投稿者: birdwing 日時: 00:00 | | トラックバック (0)

2006年8月21日

a000475

それぞれの夏。

どきのトリトンスクウェアにある家電量販店の前を通りがかったのですが、人だかりができていて、なんだろうと思ったら、そういえば今日は甲子園の決勝だったのでした。人だかりの視線の先には、家電量販店のまえにあるテレビの画面がありました。みんな釘付けになっている。男性ばかりかと思うとOLさんもいて、向かいにある店のお客さんも店員さんも夢中。

なんとなくこの風景はいいな、と思いました。どこかでみたことがある、と記憶を辿ってみたところ、「Always三丁目の夕日」でテレビがまだ普及していない頃、テレビを購入した家に近所の全員が集まってみるシーンがあったことを思い出しました。ワンセグなどが登場すると、自分の携帯電話でテレビをみることができる時代になるのかもしれませんが、みんなで店のテレビをみる、というシチュエーションもよいと思います。知らない同士がそこで仲良くなったりして、そんな「にわかコミュニティ」もよいものです。

といっても3時を過ぎて昼食にありついていなかったぼくには、暑さと空腹で甲子園どころではなく、できればごはんが食べたい、味噌汁もほしい、とうろうろ彷徨っていたのですが、さすがにランチタイムを過ぎてお店は準備中の札がかかっていて、そのほかの店はテレビをつけて甲子園に夢中なひとたちばかりで、仕方なく喫茶店に入ってサンドウィッチと飲み物で空腹を埋めたのでした。

夏休み明けの今日、会社では日に焼けたひとが多かったようです。健康的な感じがいいなと思いました。さすがに最近、年をとってしまったぼくはあまり日に焼けないようにしているのですが、海に近い田舎で育ったぼくは、若い頃には、やはり夏に色が白いのはなんとなく落ち着かないものがありました。といっても東京育ちの子供たちにはそんな父の気持ちはわかるはずもなく、まだ幼稚園に入る前の長男を海に連れて行ったときには、砂が足につくのが嫌だったらしく、抱えたまま砂浜におろそうとすると足を引っ込めて抵抗したことがあり、困惑するやらかなしいやら、複雑な気持ちでした。確かに海の砂はべとべとするものですが、ぼくの田舎の海の砂はとてもきれいな白い砂で、その砂がぼくにとってはひそかな自慢でもあったので、なんとなくかなしかった。とはいえ、それは育った環境にもよるものだと思います。うちの奥さんはあまり海が好きなひとではないので、最近は帰省しても海に行かないようになりました。

それにしても東京は残暑が厳しく、トリトンスクウェアから帰ろうと思ったら動く歩道が点検中で、炎天下のなか、地下鉄の駅までとぼとぼ歩いていたら、思わず蒸発しそうになりました。さすがにスーツは汗でべとべとになってしまって、こういうときに公衆トイレではなく公衆シャワーがあったらいいのに、と思う。さすがにそんなものは少数の希望にすぎなくて、一年中、運営できるものではないので採算が合わないのだと思うのですが、シャワーでも浴びてシャツも取り替えたら、しゃきっと気分も変わりそうな気がしました。理想的なのは、どんなに暑い夏であっても涼しげにスーツを着こなす紳士なのですが、厳しい残暑にそうもいきません。高校球児の汗はさわやかですけど。

ビジネスマンのみなさま、暑い夏にお疲れさまです。

+++++

■コミュニティというとインターネットを思い浮かべてしまうのですが、ふるさと、地元、地域社会というのも大事かもしれませんね。東京では、あまり密接に関わることができないのですが。幼稚園によっては、非常に家族ぐるみの付き合いができるようなところもあるようで、うらやましいです。

引用した「Always三丁目の夕日」は、ノスタルジックで、近所づきあいってあったかいと思う映画です。そういえば、夏に賞味期限が切れたケーキ(?)を食べて、お腹を壊すような場面もありました。気をつけましょう。

B000EPE77SALWAYS 三丁目の夕日 通常版 [DVD]
山崎貴
バップ 2006-06-09

by G-Tools

投稿者: birdwing 日時: 00:00 | | トラックバック (0)