2009年8月30日
感覚、理論はジャンルを超えて。
気がつけばもう8月も終わり。いつもは田舎で夏休みを過ごすのですが、今年は東京で過ごしました。東京の夏は、暑いのだけれど夏ではないような季節感に欠ける夏のようにおもいます。そんな感想を抱いてしまうのは、芯からぼくが田舎もののせいかもしれません。お盆の期間には、送り火や迎え火、線香の匂い、なす馬やほうずきの飾られたお盆ならではの風景を懐かしく思い浮かべました。甚平や浴衣に花火もいいなあ(遠い目)。
最近、聴いている音楽はやっぱりバッハです。この偏向ぶりはいかがなものかと疑問ですが、もう数ヶ月あまり、かけているCDはなぜかバッハ。さすがに飽きて違う音楽にも関心を広げはじめましたが、この夏はバッハ三昧でした。
彼の作品にブランデンブルグ協奏曲という曲があります。宮廷音楽らしい優雅さがある曲です。けれどもぼくは、なんとなくもこもこした積乱雲をイメージします。たとえば第1番の第3楽章。
■Bach Brandenburg Concerto No. 1 in F major, BWV 1046 3. Allegro
ホルンの旋律がふわふわした青空に浮かぶ、入道雲のように聴こえませんか。検証すべく積乱雲の写真を撮影しようとおもったのですが、残念ながら撮れませんでした。そこで散歩の途中にスナップした夏の空を掲載しておきます。
ブランデンブルグ協奏曲は全部で6曲あります。つづけて聴きながら昼寝をしていて、朦朧とした現実とも夢とも境界のない意識のなかで、うおお?とトリップしかけたのは第6番第1楽章でした。
追いかけてくる旋律がディレイを効かせた音のような気がする。なんだかエレクトロニカっぽい。あれ、いまエレクトロニカ聴いてたっけ?、バロックじゃなかったっけ?と、半覚醒のうつろな意識化でトランス状態になりました。
■Bach: Brandenburg concerto no. 6 in B flat major (BWV 1051)
相変わらず平均律も全巻聴いています。リヒテルのピアノ演奏による平均律を聴きつつ、積んだままの未読の本の山から一冊読んでみようかなと抜き取ってみたところ、手にしたのは菊地成孔さん・大谷能生さんの「東京大学のアルバート・アイラー」という文庫でした。2冊ありますが歴史編のほうです。
東京大学のアルバート・アイラー―東大ジャズ講義録・歴史編 (文春文庫) 文藝春秋 2009-03-10 by G-Tools |
放置していたのですが、偶然にも、のっけからこの本は平均律のお話なのでした。東京大学教養学部で実際に行われた講義録で、2004年4月15日の第一回の講義タイトルは「十二音平均律→バークリー・メソッド→MIDIを経由する近・現代商業音楽史」。なるほど。面白そう。
十二音平均律/バークリー・メソッド/MIDIはそれぞれ調律の仕方、ジャズの音楽理論、デジタル機器の統一規格の技術なのですが、ここで菊地成孔さんは歴史を俯瞰して、いずれもオンガクを記号化するための体系としてとらえられています。クラシックからジャズ、そしてテクノまで俯瞰する発想に斬新さを感じました。読んで、そうか!と刺激されたのは、
オンガクは記号化されることで「ポップ」になる
ということでした。そこでMIDIはとりあえず置いておいて、十二音平均律/バークリー・メソッドについて書かれた内容をまとめてみます。
まずは、あらためて平均律。なんだろーなーと無知なぼくは意味もわからずに、そのことばの響きに惹かれていたのだけれど、Wikipediaで調べてみると次のように書かれていました(Wikipediaの解説はこちら)。
平均律(へいきんりつ)とは、1オクターブなどの音程を均等な周波数比で分割した音律である。一般には十二平均律のことを指すことが多い。
上記につづいて平均律に関する論争や、12ではない平均律の存在についても言及されています。ただ専門的でわかりにくい。「東京大学のアルバート・アイラー」で菊地成孔さんは、次のように意義を解説されています。ぼくにはむしろこちらのほうがわかりやすい(P.16) 。
これは、それまでの音楽の中で使われてきた調律に比べて、殆どヴァーチャルと言っても過言ではない、極めてデジタルなやり方で作られた調律である、と捉えています。平均律以外の、それまで使われていた調律、音階っていうのは、ひとつひとつの音の幅っていうのがそれぞれ微妙に異なっているんですが、平均律っていうのは、もっぱら数学的な操作でもってオクターヴを十二等分に切り分けて、そこに生れた半音階のビットマップを使って、全ての音楽を分析したり作ったりしていくっていう方法を取っています。
いま十二音による音階は当たり前のように使っています。平均律以前には、音と音のあいだ(距離?)が等しくないものもあったのかな。十二音が常識になってしまっているぼくには、想像もできませんが。
菊地さんは「ビットマップ」ということばを使われていますが、曖昧な音の距離をびしっとマス目のなかに配置したイメージを抱きました。現在のピアノなどの調律では当たり前のことですが、以前には曲によってはびみょうにチューニングを変えたり、いくつもの音階があったのでしょうか。そんな音階を体系化、びしっとデジタル的に揃えた印象があります。ちょうどDTMでリズムにクォンタイズをかけたり、音程を波形を編集して揃えるように。
「もっぱら数学的な操作でもってオクターヴを十二等分に切り分けて」というところにも注目しました。やっぱり数学的なのか・・・と。
Wikipediaの平均律のページには周波数の対比表もありましたが、和音について数学的な配分がなされているところが特徴のようです。そのチューニングされた音ををさらに理論的に美しいカタチに組み合わせた印象があり、村上春樹さんの「1Q84」の印象もあるのかもしれませんが、バッハの平均律はぼくにとっては実に数学的です。
つづいてバークリー・メソッド。これは20世紀の半ば頃からボストンのバークリー音楽学院というところで教えられるようになった、「商業音楽を制作するためのメソッド」だそうです。この方法論、奥が深そうなのですが、画期的なところは以下のようです(P.19)。
このメソッドの画期的なところは、えーと、いろいろあるんですが、その中でも最大と言っても過言ではない特徴は、今演奏の現場で普通に使われている「コード・シンボル」。和声をシンボルとして処理するっていう方法を体系化して教えることに成功したところだとおもいます。
要するにギターを弾こうとすると、Cマイナーセブンとか、Fディミニッシュとか、そんなコード・シンボルを必ず使います。これらを体系化して、展開などを理論化したのがバークリー・メソッドらしい。というぼくは、あまりよくわかっていないので乱暴にくくってしまいますが。
つまりオーケストラ譜のようなかたちで全体をカタマリとして作っていた音楽を、コード化することでメロディと分離して、理論的にパターン化していった。そうすることで、ポピュラー音楽は量産できます。菊地成孔さんの講義で面白いのは、実際にいくつも曲を聴かせて、理論的か?理論的ではないか?という印象を学生たちに手を挙げさせているところでした(東大の学生ではなく、もぐりの聴講者も多いようですが)。その結果、最も理論的に作られているという挙手が多かったのは、チャーリー・パーカーとジョージ・ラッセルの曲だったようです。
本のなかで取り上げられている、チャーリー・パーカーの曲をYouTubeから。
■Shaw 'Nuff
次のように菊地成孔さんは解説されています。
この演奏は一応、構造的には、それまであったスタンダードの曲のフレームを拝借するような形で作られています。それまでのジャズの形式をとりあえず使いながら、しかし、ここでは何か、体系的に学ぶことができる新しい音楽的ロジックがある。と、当時の先鋭的なミュージシャンたちは皆強く感じ取ったわけなんですよ。
一方、ジョージ・ラッセルは、アンチ・バークリー、カウンター・バークリーな音楽理論として「リディアン・クロマティック・コンセプト」を提唱したとのこと。
「東京大学のアルバート・アイラー」は現在、176ページをゆっくりと読書中なのですが、さまざまな理論を実際の音楽を使いながら紹介していきます。インターネットの世界に生まれてきてよかったなあとおもうのは、その引用された楽曲をYouTubeで探して聴くことができること(ただし、最近削除されている音楽も多くさびしい限りですが)。これはあらためてうれしかった。本×ネットというクロスさせたメディアの使い方もあるのだ、と。
という考察を経由しながら感じるのは、バロックからジャズを経て感覚や理論を横断しながら、ポピュラーな音楽はぼくらの生活のなかに知らず知らずのうちに深く入り込んできている、ということでした。
中島義道さんは嫌うのですが、ちょっと外に出ると街は音/音楽であふれている。iPodのような携帯音楽プレイヤーだけでなく、ケータイに着うたフルをダウンロードして聴くこともできます。映画やドラマにも音楽は欠かせないし、ゲームの音楽にもすぐれたものが多い。
最近、古い携帯電話が壊れたので機種変更したのですが(P-02Aです)、ケータイのゲームをダウンロードしたところ、子供たちに引っ張りだこです。特に人気なのは、バンダイナムコゲームスの「即答もじぴったん」。これは空白を文字で埋めてことばを作っていくゲームですが、以前、プレイステーション版を購入して持っていました。しかし、ケータイにぴったりというか、むしろケータイのほうがみょうにはまる。
使われている音楽もポップで気持ちがいい。なんとなくロジャニコ(Roger Nichols & The Small Circle of Friends)の「Love so fine」を思わせるようなイントロで、サビの転調も個人的な趣味をくすぐります。打ち込みなのだろうけれど、生音のバンド演奏のようなドライブ感がある。ブリッジ部分でドラムとベースになるところもいい。YouTubeから引用してみます。
なんとこれ、capsule 中田ヤスタカ REMIXではないですか!うーむ。そう言われてみると、Perfumeでもいいような気がする。歌詞を掲載したメーカーのページでは、mp3でダウンロードも可能です。
というわけで節操もなく、バロックからジャズ、ゲームミュージックまで駆け抜けてみましたが、最近、ぼくにとってはジャンルというものをあまり意識することがなく、無国籍もOK、ボーダーレスな趣味になりつつあります。ほんとうはそうした経験を経由して、DTMで曲を作りたいのですけれどね。
すこし長めの遅れた休暇をとろうとおもっています。そんなわけで、ブログの更新は気まぐれに、ぼちぼちと。
投稿者 birdwing 日時: 07:20 | パーマリンク | トラックバック