2009年9月27日
音楽という、ことば。
秋です。大気の粒子の組成が変わったような気がしました。空が高くなりました(今日は曇り空だけれど)。先日、秋の空を見上げていたら上空にあるうっすら霞んだ雲と、地上から近い場所にぽっかりと浮かんだ雲の動くスピードが違っていました。高度によって吹く風の強さが違うのでしょう。前景と背景のように移り変わる雲のパースペクティブを眺めるのは、なかなか楽しいものです。そんな雲を眺めながら、あいかわらず読書とクラシック観賞の毎日です。
19世紀後半、ピアニストであり指揮者でもあったハンス・フォン・ビューローは、偉大な音楽家として「3B」を挙げたそうです。
つまり、バッハ、ベートーヴェン、ブラームスの3人のこと。このところバッハをよく聴いていたのですが、3Bのベートーヴェンを通りこして、最近ブラームスをよく聴くようになりました。ブラームスは、初秋の雰囲気に合っているようなので。
バッハについては、ヒラリー・ハーンのパルティータ、パブロ・カザルスの無伴奏チェロ組曲などをよく聴いていました。ところが美しい旋律なのだけれど、耳が馴染んでしまうと叙情的な感覚が薄れていきます。そこで、なんとなくブラームスに浮気ごころが(笑)。というのも、先日読み終えた、養老孟司さんと久石譲さんの対談による「耳で考える」という本のあとがきで、久石譲さんが次のように書かれていたからです。この影響もありました。
余談になるが最も感性と理性で引き裂かれた作曲家は「ブラームス」だった。ベートーヴェンを崇拝してやまない理性と最もロマン派だった感性で引き裂かれた男、「ブラームス」。それがもっとも人間的であるために多くの人に楽曲が愛されているのだろう。いつか必ずコンサートで演奏したいと思っている。
この「耳で考える」という本、なかなか面白かった。科学者と音楽家の対談でいちばん秀逸だったのは、茂木健一郎さんと江村哲二さんの「音楽を「考える」」ですが、その本を彷彿とさせる印象がありました(ええと、二番煎じだったりするのかもしれないのだけれども)。また、80年代に書かれた古い本とはいえ、哲学者の大森正蔵さんとミュージシャン坂本龍一さんの「音を視る、時を聴く」も、哲学的な思索に耽るにはよい書物です。この本をきっかけとして、最近では大森正蔵さんの哲学書も読んでいます。
耳で考える ――脳は名曲を欲する (角川oneテーマ21 A 105) 角川書店(角川グループパブリッシング) 2009-09-10 by G-Tools |
ちなみに、余談なのだけれど、この本のなかで興味深く読んだのは、鳥が「絶対音感」をもっているということでした。絶対音感はWikipediaによると、「基準となる他の音の助けを借りずに音の高さ(音高)を音名で把握することのできる感覚」だそうです。久石譲さんは、脳的には絶対音感は「聴覚野」ではなくて「言語野」で認識しているというお話をされています。以下を引用します(P.152)。
久石 僕は「絶対音感」はないんです。 何が鳴ってもこれは「ラ」だとか「シ」だと音がわかってしまうのが絶対音感ですが、三歳前後の時に徹底して鍛えると、言葉を覚えるのと同じように音を覚えて絶対音感が身につくといわれているんです。そこで面白いのが、絶対音感というのは、どうやら「聴覚野」ではなくて「言語野」で覚えているらしいんですね。それで音楽を聴いても、言語野と聴覚野が両方きっちり動くという話があるんです。 養老 そこは、ちゃんと調べてみると面白いと思います。 鳥だけでなく、動物は根本的に絶対音感があるんです。実験してみるとわかる。
絶対音感は、音を「ことば」として認識することなのかな、と考えました。となると、鳥が歌うのは絶対音感によることばを発していることに他ならない。オリヴィエ・メシアンという作曲家は、絶対音感の持ち主であると同時に、鳥の音型を採集して楽譜にしていたようです(P.154)。
久石 さっき話をしたメシアンという作曲家は絶対音感の持ち主だったんですが、世界中の鳥の声を採集してその音型を譜面にしたり、その行動にも精通したりして、もう地球上で最高の音楽家は鳥なんだ、という極論に行くんです。
ブログで鳥に関連するハンドルを使いつつ、DTMで曲も作っている自分としては実に興味深い。さらにメシアンは、絶対音感とともに共感覚の持ち主でもあり、音を聴くと色彩や模様などを連想したそうです(Wikipediaの記事)。
さて、ブラームスといえば、ロストロボーヴィッチのチェロ・ソナタ第1番・第2番、グールドの間奏曲集は数年前からのお気に入りなのですが、他のCDも欲しくなりました。しかし、どちらかというと交響曲より室内楽のほうが好みです。そんなわけで、あまり前提の知識もなくCDショップで選んだのは、アマデウス弦楽四重奏団の弦楽6重奏曲第1番・第2番でした。
ブラームス:弦楽六重奏曲集 アマデウス弦楽四重奏団 ユニバーサル ミュージック クラシック 2006-11-08 by G-Tools |
弦楽6重奏という演奏形態はあまりきいたことがありません。ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロそれぞれが2人ずつの構成のようです。
第2番を聴いていたところ、中盤あたりから突然くっきりとして他とは浮いた旋律が繰り返されることに気づきました。何だろうなあこれは、のように漠然と、どちらかといえば最初は耳障りに感じていたのですが、ライナーノーツを読んだところ、失恋した相手アガーテ・フォン・ジーボルトの名前を音型化したらしい。「アガーテ音型」として有名とのこと。つまり、彼女の名前を音化したわけです。
うーむ、やるなーブラームス(笑)。クラシック初心者の自分としては、はじめてこのエピソードを知りました。失恋した相手の名前を永遠に楽曲に閉じこめるのは未練がましい気もするし、なんとなく引いてしまうような青臭さもあるのだけれど、個人的には、こういう隠しワザ好きです。暗号に似ていて楽しい。
もっと詳しくブラームスのことを知りたくなり、Amazonで次の本を頼んじゃいました。新潮文庫の「カラー版 作曲家の生涯」シリーズの1冊です。
ブラームス (新潮文庫―カラー版作曲家の生涯) 新潮社 1986-12 by G-Tools |
この本がとてもよかった。著者、三宅幸夫さんの文章やまとめ方のうまさにも拠るとはおもうのですが、ブラームスの生涯がドラマティックに描かれています。フィクションよりも面白い。カラーによる美しい風景写真や、スケッチ、石版画、自筆の譜や交友のあった作曲家などのセピア色のポートレートまであって、552円(税別)はおトクすぎる(ちなみにバッハも購入したのですが、こちらは残念ながら、つまらなかったです。涙)。
問題のアガーテ音型は、楽譜で次のように紹介されています。
彼女の肖像はこんな感じ。
好みはひとそれぞれ、時代にもよる、ということで(苦笑)。
婚約指輪まで交わしたそうですが、もともとブラームスは精神を病んで亡くなったシューマンの未亡人であるクララをずっと愛していた。アガーテとふたりのところにクララもやって来たのですが、ふたりが恋愛関係にあることに気づいて、すぐに立ち去ったといいます。
婚約を公表する段階になって仲を引き裂いたのは、ブラームスの書いた1通の手紙だったようです。引用します(P.60)。
僕は貴女を愛しています。もう一度お目にかからなければなりません。しかし、僕は束縛されるわけにはいかないのです。貴女を僕の腕に抱き、口づけし、貴女を愛しますと言うために、戻っていくべきかどうか、すぐにお返事をください。
余計なことは、書かなきゃいいのに(苦笑)。でも、書いてしまうんですよね。
この手紙でブラームスが踏んだ地雷は2つあって、ひとつは、彼女そして結婚が重荷(=束縛)であることを明言したこと、そしてもうひとつは、自分が決断すべき結婚の判断を彼女に委ねてしまったことです。優柔不断な気の弱さが感じられて、確かにこれは男らしくない。大学教授の娘であり、プライドの高いアガーテは、この手紙をきっかけにきっぱりと関係を断ってしまったそうです。
惚れっぽいのですが、ぶすっと無愛想で、自分の過去の作品を破り捨ててしまうぐらい自己批判の強く、気難しいブラームス。彼は結局のところ、生涯を独身で過ごします。額が広く、真っ白な髭をたくわえて恰幅のいい晩年の彼の肖像をみると、かっこいいなあ、とおもうのですが、不器用だった恋愛遍歴などを知ると、なんだかとても親しみを感じますね。
そんな生涯を知って、あらためて音楽を聴き直すと、印象もわずかばかり変わります。音が豊かになります。アガーテの名前を曲のなかに織り込んだ弦楽6重奏曲をYouTubeから引用してみます。3:11あたりに出てくるのが、アガーテ音型でしょう。
Johannes Brahms: String Sextet No.2 in G Major Mov.1 Part 1
絶対音感を持つ鳥にとって、鳴き声のメロディはことばであるように、たとえ歌詞がなかったとしても、音楽家にとっては"音"が"ことば"です。ワーグナーのような歌劇は作らなかったけれど、ブラームスの音を通して、彼が眺めていた風景を(心象風景も含めて)みることができるような気がします。
弦楽6重奏曲第1番の第2楽章にも、終盤部分で、とてもやさしくてやわらかくて、川の水面で踊る光のような木漏れ日のような美しい音があり、どうすればこんなに美しい"音=ことば"を紡ぎ出せるのだろう、と感嘆することしきりです。
作家の生涯も含めて、また作品として紡がれた音にも耳を澄ましながら、ゆっくりと音楽を聴いていきたいと考えています。そうして作品の背後にある人間性に触れたとき、音に託されたことばの意味も変わるだろうし、伝わる。何よりもその人が作り上げた音楽に親近感がもてます。
時代や空間を隔てていたとしても、音=ことばで誰かを好きになれるということは、とても素敵なことではないでしょうか。ブラームスの伝記を読んで、以前よりも彼の音楽に惹かれるようになりました。実際には寡黙で気難しい男だったかもしれませんが、作品のなかのことば(音)は饒舌です。彼のことば(音)にもっと触れたくなりました。
投稿者 birdwing 日時: 12:11 | パーマリンク | トラックバック