2016年4月10日
ノイズを愛でる。
道行く人々がみんなきれいに見えるのは、薄着になった装いのせいでしょうか。それとも自分の脳内が浮かれポンチなせいでしょうか。太陽の光を浴びて、少しばかり気持ちが緩んでもいいじゃありませんか。春だし。あったかくなってきたし。
新入学あるいは入社したばかりのみなさんは、浮かれてもいられないかもしれませんね。でも、あまり緊張せずに、ぼちぼちまいりましょう。
自宅の近くで撮影したサクラの写真を載せてみます。
ゆっくりファインダー越しに花を確認していくと「私を撮って!」と目が合うサクラがあります。彼女(なのか彼なのか?)に目はないはずですが、目が合ったとしか考えられない瞬間がある。自己主張している。そういうサクラはきれいです。写真に撮っても美しい。
最近、ドローン(カメラを搭載したラジコンのヘリコプター)が一般的に使われるようになりました。家電量販店にドローンコーナーを発見したときには驚きました。お花見では下からしか眺めないけれど、空から眺めるサクラもよいものではないでしょうか。公園の川に流れるサクラの花びらを撮影した写真をニュースで見ました。あれもドローンで撮影したのかな。
ドローンも飛行機も持っていないし、鳥ではないので、残念ながら空からお花見をした経験はありません。しかし、いつか眺めてみたいものです。そう遠くない未来には、宇宙船から花見をできるようになるかもしれません。
と考えながら、YouTubeで「桜 空撮」と検索したところ、たくさんの美しい映像がありました。奈良の吉野桜の映像が素晴らしい。
風に吹き飛ばされて、自宅の玄関にサクラの花びらが一枚落ちてくることがあります。
一枚の花びらもサクラだけれど、こんもりと薄いピンクで咲いている集合体もサクラである。また、ぼくらはサクラの開花を日本列島の南から共有していくけれど、同時に、自分の中で過去の記憶を現在の風景に重ねて見ている。つまりお花見というのは、空間軸と時間軸の交差する「いま、ここ」の体験なんだとぼんやり考えています。
今年、自宅の近所のサクラは、満開の状態をしっかりと見届けることができずに、葉桜になってしまいました。雨の降る日が続いたからです。
「なんだかな。雨のせいで花見がキャンセルでがっかりだよ」と舌打ちをする方もいらっしゃるかもしれませんが、雨はサクラたちには次の芽を育むための大切な水。雨にかすむサクラを見るのも風流では。
雨つながりで唐突に話は変わりますが、かつて「AME-FURU」という曲を作ったことがありました。
歌詞は「あめ ふる そら きらい/かさ さす てが おもい」という言葉からはじまります。雨が降るから外に出たくない、傘がかさばって(シャレです)重いし、服が濡れちゃうし。だから、あなたが迎えにきて。みたいな、ちょっと我儘でアンニュイな女性を想定して書きました。ワガママなんだけど、いろいろなことに自信が持てなくて情緒不安定な女の子のイメージです。
Soundcloudでお聴きください。
この曲はSheepさんという方に歌っていただき、ネットを介してデータのやりとりだけで完成させました。2007年のことです。当時、ネット回線はまだ光ファイバーではなくADSLで、ストレージから音声ファイルをダウンロードするのに30分ぐらいかかったりしました。
Sheepさんは凄い!と感動したのは、4パターンの歌い方でファイルをお送りいただいたことでした。ただ、いまおもうと大変失礼なことをしちゃったなと反省もしています。ぼくのイメージに合うように、いただいた音声を切り貼りしたからです。たとえば「あめ」の「あ」と「め」は別ファイルの言葉を編集して合成する、といったように。
さらに非常に悩ましかったのは、ブレス(息継ぎ)の音を消すか残すか?ということでした。実は、ウィスパーヴォイス、つまりささやき声の歌い方のヴォーカルが好きです。息継ぎフェチというか(苦笑)「すっ」「ふっ」という音にぞくぞくっとしてしまうんですね。ただ、この曲ではそれらの息継ぎ音のほとんどを消してしまいました。
ぼくは音楽の専門家ではないのですが、あらためて考えるのは、息継ぎ音もまた音楽の一部ではないか?ということです。メロディからすると息継ぎ音は「ノイズ」でしかないのだけれど、そのノイズも含めて音楽ではないか、と。
ギターでは、弦の上で指を滑らせる「きゅっ」という音も音楽の一部という気がします。実際に、RealGuitarという音源を使っていましたが、ノイズがサンプリングされて立派にプリセットに用意されていました。打ち込みをリアルに聞かせるためには、ノイズの素材も重要です。
話はさらに跳びますが、近所のカフェで聴いて、アイリッシュフルートを吹く須貝知世さんという方のファンになりました。彼女が組まれているユニット「na ba na」の音楽は、とても癒されます。ファーストアルバムは、いまだに一日中リピートして聴いても飽きません。
ライブ演奏とCDを聴き比べて感じたのは、息継ぎ音がよかったのに、ということでした。CDでは息継ぎ音がカットされていて、少しばかり残念です。
息継ぎ音やギターの弦をこする音は演奏的なノイズですが、世界はノイズ(雑音)であふれています。電気信号のぶーんじりじりという音とかエアコンの音とか。テープの時代には、ヒスノイズという、しゃーっという音もありました。ドルビーやdbxのような技術で低減させたことを覚えています。
このノイズ、現在ではソフトウェア上で低減させることができます。
数年前から、YouTubeなどにアップする映像の音声ファイルをAdobeのAuditionというソフトで加工しています。ノイズを低減させたり音圧を上げたり、いわゆるマスタリング的なことに活用しています。
Auditionのノイズを低減させる機能について、ちょっと説明してみましょう。
まず、修正したい音源を読み込んで、Auditionのメニューから「エフェクト」→「ノイズリダクション/リストア」→「ノイズリダクション(プロセス)」を選択します。
で、音の波形からノイズの部分をサンプリング(抽出)するんですね。
サンプリングした音が低減されます。あまり強くノイズリダクションをかけると音がけろけろした感じになります。宇宙人みたいな(笑)。したがって、うっすらと処理してやるのがいいようです。
全体にノイズ除去を適応させると、こうなります。ちょっと分かりにくいのですが、ノイズのあった部分が平坦になって細い波形になります。
実際の音源をお聞かせいたします。まずはツイキャスで演奏した音源です(何度もトライしていたのですが失敗ばかりするので中断してしまいました。苦笑)。
最初のベース弾き語りをノイズ除去したものをYouTubeにアップしました。ちなみに、演奏を失敗した部分は削って、荒っぽくつないでいます。イコライザーやマスタリングの処理もしました。うまくできていないのですが。
ぴーっというノイズが低減されていることが分かるのではないでしょうか。ただ、ぼくがしゃべっている部分には残っています。
技術的なことはよく分からないのですが(なんだかちょっと分かっているけど詳しく分からないことばかりですが。苦笑)、おそらくこの仕組みは、サンプリングしたノイズと逆位相の音を発生させて、相殺させているのではないか、と。
ノイズキャンセリングのヘッドホンなども同じ仕組みで、もっと大々的なものとしては、高速道路の騒音を逆位相の音で消すようなニュースも読んだことがありました。また、キングジムさんからは、デジタル耳栓が発売されています。製品ページを読んだところ、この製品も位相を反転させてノイズを消すようでした。
実はこの「逆位相」で音を消すことを知ったのが、中学2年の頃で、ぼくの人生を大きく変えた技術でもありました。
その当時、ラジカセのカタログ収集マニアだったぼくは、ソニーのカタログの端っこに「ん?なんだこれは?」という機材をみつけました。名称は忘れてしまったのですが、ステレオの音源からヴォーカルを消すことができる3,000円ぐらいの機械でした。
(あー、いまでもぜったいに荷物のどこかにあるはず。今度探し出したら追記します)
中学2年のぼくは「ヴォーカルが消せる?!そんなわけないだろう、どうやって?」と興味津々&好奇心が膨らんで、近所の電気屋にあったので、ついに小遣いをためて購入しました。
手のひらぐらいの大きさで、ツマミが何個かあるだけの脱力するほどシンプルな機械でした。こんなもんでヴォーカル消えるのかね?と不安になりながら、ピンプラグのコードを接続したのですが。。。
石野真子さんの「狼なんか怖くない」というシングルレコード(おそらくぼくが生まれて初めて購入したシングル)をその機械を通したところ、ぶっとびました。
ヴォーカルが完全に消えてる!
よく聴くとエコーだけは残っているのですが、カラオケになってる!しかもふつうに聴いているときには気付かなかったバックのギターのカッティングやブラスの音が明瞭に聴こえて、たまげました。なんだこれは!魔法のようだ!と。
どうやって消えてんの?!ということで、夢中になって取扱説明書を読んで理解したのが、センター(たいていのヴォーカルは中央に定位しています)の逆位相の音を重ねることで、ヴォーカルを相殺して、左右に振ってある楽器の音を残している仕組みでした。なので、ベースが消えちゃうこともありますね。
その機材を使って中学2年の文化祭で、カラオケ大会をやった記憶があります(笑)まだカラオケボックスなどない時代です。もしそれを事業化していたら、めっちゃ儲かったかも。
位相を反転させる手の平サイズの魔法の機材で、あらゆる音楽をオケに変えるところから発展して、少年時代のぼくは多重録音など音楽制作にはまっていきました。もちろん音楽が好きだったこともありますが「魔法のように音を消すソニーのちっぽけな機材」が、音楽を作り始めるきっかけだったのです。
最近調べて知ったのは、それはソニーの特許技術であり、いまでもウォークマンには機能が搭載されているとのこと。いや-、なんだか嬉しい。少年時代の自分を驚かせた技術がまだ使われているなんて。
YouTubeにサンプルがありました。これこれ!ぼくが少年の頃からかなり進化したようで、ヴォーカルの消え方が半端じゃない。
とまあ、おじさんの回顧録をつらつらと語りましたが。
エレクトロニカでは、ノイズ自体を音源として使った音楽がたくさんあります。シガー・ロスの使い方はとても美しい。宮内優里さんの音楽も素敵です(ちなみに最初は女性だと思ってたのですが、髭をはやした優しそうな男性の方です)。
「digo_」では小山田圭吾さんがギター弾いてますね。
とはいえノイズを使えばいいというものでもなく、坂本龍一さんとアルバムを出している、カールステン・ニコライ(Alva noto)のアルバムをタワレコで試聴したときに、ファックスのぴーがりがりみたいな音だけの曲があり(実際にはフロッピーディスクに記録する信号だった気がします)、さすがにこれはいかがなものかと困惑しました。前衛すぎるものは、よく分からん。
電車の走る音などは胎内の音に似ているから、赤ちゃんは落ち着くなどと言われることもあります。ノイズを心地よいとする感性もあり得る。
現在、音楽はハイレゾ化しています。でも、ぼくはローファイな音も好きです。古いラジオのようなノイズ混じりの音とかね。ノイズキャンセリングのヘッドホンで騒音をシャットアウトして聴きたい気持ちも分かるけど、「雑踏やクラクションや自然音などのノイズ(雑音)も含めて音楽なんじゃないか」とも考えます。
音楽以外にもいえますね。気に入らないこと、嫌なことを排除して快適にするのはいいかもしれないけれど、汚れたモノも含めて人間であり、社会なのではないか。強力にノイズリダクションをかけると音がけろけろしてしまうように、強力に不純なものを取り除こうとすると、人生もしくは人間がけろけろしちゃうんじゃないか。けろけろ。
風の音、水の音、雷なども自然が作り出した最高の音楽です。ゲリラ豪雨の雷は異常で、ばっしゃーん!と近所に落ちたときにはさすがにビビりますが、遠雷には耳をすましてしまいます。
赤ちゃんの声も、ちょっとイライラしちゃうときもありますが、あれは「雑音」なんかじゃない。人間の声なんですよね。EV(電気自動車)の登場によって、自動車の排気音もなくなってしまうかもしれません。しかし、爆音が胸を躍らせてくれた時代がありました。
ノイズを愛でる。リダクション(除去)するのではなく、雑音も含めて世界を許容する。そんな生き方ができればいいな、と考えています。
投稿者 birdwing 日時: 12:32 | パーマリンク | トラックバック