2016年9月25日
一歩踏み出すためのプロトタイピング。
すっかり秋めいてきました。近所では彼岸花がきれいに咲いています。少し前までセミが鳴いていたのが嘘のようです。あれは幻だったのかな?と考えてしまう。季節が過ぎ去るのは、ほんとうに早いですね。置いてけぼりにされないようにしよう。
さて、久し振りのブログ更新です。
みなさま、いかがお過ごしでしょうか。
前回の更新が4月10日なので、5ヶ月ぶりになります。「何やってたんだ?」と思われるかもしれませんが、ただ粛々と生きておりました(笑)ツイッターを毎日つぶやいているので、ブログは頻繁に書かなくてもいいかなと考えています。
エントリは更新していなかったとはいえ、ブログ自体は、びみょーに更新していました。何を更新していたかというと、トップページです。最近、趣味の音楽制作に再び力を入れ始めているのですが、プロトタイプ(試作)あるいはツイキャスで演奏した録画をアップデートしていました。
実は、ブログのお引越しも考えていました。こんな感じのサイトを作って、過去のコンテンツを移行していました。
現在のブログはMovableTypeというシステムで構築しているのですが、バージョンが古いんです。レスポンシブじゃないから、グーグルさんからモバイルフレンドリーではないと叱られてしまう。検索順位も下がりっぱなしです。
あまりインターネットの技術に詳しくない方は「よく分からん」と思うかもしれないので、少し解説しましょう。
最近は、パソコンよりスマートフォンでインターネットのWebサイトを見るひとが多くなりました。そこで、パソコンで見た場合、タブレットで見た場合、スマートフォンで見た場合のように、端末によってレイアウトを変えるようになりました。これが「レスポンシブWebサイト」です。アクセスした端末によって最適なデザインを、CSSというファイルで制御します。
この対応をしていないWebサイトは、モバイルフレンドリーではない(携帯端末に適した配慮をしていない)として、グーグルが評価を落とすようになりました。
にも関わらず、いまでもぼくのブログにアクセスされている方が毎日いらっしゃって、感激しています。かつてに比べてアクセス数は激減していますが、ブログで稼いでいるわけではないので「ま、それでもいいか」なのですが、スマホで見ると文字がちっちゃくて読めないので、WordPressのブログに引越しを考えました。そんなわけで、上のような段階まで完成していたのです。
ところがですね、仕事で徹夜明けの日に、ちょっと気晴らしにいじってみようか、とカスタマイズしようとしたところ、設定の記述を間違えてアクセスできなくなってしまいました(苦笑)どうしたものか・・・と困惑したのですが、徹夜明けでモーローとして判断力を失っていたこともあり、消しちゃえ!とぽちっと削除。はっはっは・・・やれやれ。
毎日欠かさず投稿しているツイッターはこちらになります。
あ、そうだ。ブログを書かない空白の5ヶ月で髭を生やしました。それが大きな変化かもしれません。白髪混じりの髭です。
ツイッターでは、毎日、全世界に向けて「おはようございます」と挨拶する変なおじさんです(笑)ただ、自分のためになっています。
誰に対してともなく(あるいは特定の誰かをアタマに思い浮かべつつ)世界に向けて毎朝挨拶すると、さあ!今日も頑張るか!という気持ちになるんですよね。「どうも朝は気合が入らない」という方には、「全世界に向けて、おはようの挨拶をつぶやく」ことをオススメします。
基本的には毎朝、挨拶に続いて、5つぐらい素敵なこと、面白いこと、楽しいことを探して、それについて何かコメントするようにしています。
これが仕事で意外に役に立ちます。「お、この話に近い記事をどこかで読んだぞ?」ということでツイログを検索すると、発見できる。外部脳がある感じですね。だから覚えておかなくていい。コメントというアンカリングをしているので、おぼろげながら記憶に引っかかっています。リツイートだけでは、記憶に残らないのでは。
ツイッターを「ミニブログ」と呼んでいた時期もありました。とはいえ、連続して投稿すると、かなりの文章を書くことができます。日によっては1,000文字以上書くこともざらです。したがって、ブログを書く必要がなくなりました。
でも書くんですけどね、ブログ。むちゃくちゃなぐらい長文を書きます。長文読むのが面倒くさい方は、この先はスルーしてください。
【目次】
・■未完成な現在が自分の完成形
・■「やさしい気持ち」を試作から完成へ
・■詩集にインスパイアされた「souvenir」
・■2014年の自作曲「カゼノウタ」リメイク
・■人生もプロトタイピング思考でいこう
さて、最近考えていることは、
「何かを始めるのに資格や準備は不要だろう」
ということです。
もちろん、医者になるには医師の資格、弁護士になるには弁護士の資格が必要です。しかし、特殊な仕事ではない限り、とにかく始めた人間、行動した人間が結果を出せるのではないか。準備ができるまで待っていたら、人生が終わっちゃうかもしれない。
「いつか小説を書く」
「いつかミュージシャンになる」
と言っている人間は、一生何もしないで終わるでしょう。
堀江貴文さんの言葉を借りれば「言い訳野郎」だからです。小説家になりたいと思うならいまから1文字でも書く、ミュージシャンになりたいならいまから1音でもギターを弾く。その第一歩から始めなきゃダメだと考えます。思うだけなら誰にでもできます。でも、何もやってなければ妄想に過ぎない。
そんなことを考えていたので、先日、中学生の次男を叱ってしまいました(苦笑)試験前なのに遊んでいる。「試験勉強やってんの?」と訊いたら「いまからやろうと思っていたのに」と言うので、おとーさんはキレてしまいました。
「いまからやろうとか言ってんじゃねーよ。ということは、何もやってないってことだろーが。思ってるだけじゃダメなんだよ。妄想でしかないんだよ。やってません、と言え。そしてすぐに、いまから行動しろ!」と。
趣味の自分の音楽楽制作に関しても
「下手でもいい。笑われてもいい。
しかし、未完成な自分が現在の自分の完成形である。
それで卑屈になる必要はないだろう。
だから、未完成の自分を晒け出せ。
晒け出して、その恥ずかしさを励みに進化しろ。
それが嫌ならやるな」
と考えています。その考え方に基づいて、未完成な状態でツイキャスで弾き語りを生演奏したり、YouTubeに途中経過の状態で音源を載せてきました。いやー恥ずかしいです。後で見て凹みまくりますね。
しかしながら、自分自身が人生の折り返し地点を過ぎて
「あと、どれだけ生きられるのか?」
「人生の可能性はまだ残っているのか?」
と考えるようになりました。
ぼくは緑内障を抱えているので、いつ失明してもおかしくない。であれば、世界の美しいものを目が健康なうちに、見ることができるだけ見ておきたい。あるいは何かの原因でいま、ぽっくり逝っちゃったとしても悔いがないようにしたい。「あれ、やっときゃよかった」と後悔したくない。うちの実家は、男が長生きする家系ではないので、おそらくそんなに自分も長く生きない気がします。
緑内障に関しては、先端医療で治すこともできるようになったことを、ある方に教えていただきました。ただ、自分としては、もう世界を見ることができなくなるかもしれないという「有効期限ありの緊張感」に自分を置いておきたいと考えています。
まあ、実際は失明したり、病気に倒れたりしたら、めちゃめちゃ後悔するのでしょうけど。借金もあったり、残した家族たちが心配だったりもするのですが。
仕事でたくさんの文章を書いているのですが、その反動として高まっているのが、趣味の音楽制作をやりたい!という気持ちです。昔に作った曲だけでなく新しい曲も、がっつり時間をかけて取り組んでいます。
会社員時代、11時頃に帰宅して夜中(というか明け方)3時から4時まで音楽を作っていました。その後、ブログに夢中になりましたが、ブログと並行して音楽を作るようになり、自分のライフワークと考えています。
そんな深夜の音楽活動で作った曲に「やさしい気持ち」という曲があります。もともとはMUSIEというサイトで公開していた、Vocaloid MEIKOを使ったインスト曲でした。SoundCloudに公開している2005年の作品です。
人生の時間は限られています。何かを選べば何かを損なうトレードオフです。当時を思い出して、後悔していることもあります。
いちばん印象に残っているのは、まだ長男が幼稚園ぐらいの頃に、食事を済ませて「さあ、自分の部屋で音楽だ!」と立ち上がったとき、息子が
「どうしてパパはごはんがすむと、あっちいっちゃうの?」
という言葉を背中に聞いたときでした。ずきーんと心が痛みました。
ひとりで打ち込み活動をする前は社会人バンドもやっていて、土曜日か日曜日のどちらかは朝から夕方までスタジオ4時間+会議3時間(楽曲の検討会)の生活でした。ほとんど家にいなかったかもしれない。言い訳ですが、息子たちをよく公園に連れて行くなどのことはしたんですが。
ま、ともかく。
「やさしい気持ち」はその後、Vocaloid MEIKOの部分だけ抽出して、リミックスしました。
それから長い期間、放置されていたのですが、今年になって「自分で歌ったらどんなものかな?」と考えて、1月26日にアコースティックギターで弾き語りしてみました。以下はツイキャスの30分の録画ですが、最初の1曲目で演奏しています(失敗多数)。
そのアレンジをもとに、もう少し明るいアップテンポの曲にしようと考え、ヘフナーのヴァイオリンベースで弾き語りしました(2016年3月21日)。
ベースを弾き語りした時点で、ぼくの頭の中にはピアノとドラムのアレンジができあがっていました。ちょうどジョン・カーニー監督の映画『はじまりのうた』で、やさぐれた音楽プロデユーサーのダンがグレタのギター弾き語り曲をライブバーで聴くとき、頭の中でピアノやドラムスなどあらゆるアレンジが鳴り始めるような感じです。
早速、脳内で鳴っているアレンジを、GarageBandでインストの曲として具体化しました(2016年7月30日)。
で、インストの曲にアドビ社のAuditionというソフトで多重録音してヴォーカルとコーラスを入れて現在に至ります(2016年8月13日)。
今後の構想としては、スタジオでピアノ+ベース+ドラムスを生演奏で録りたいと考えています。誰かにお願いするかもしれないし、自分で練習してポール・マッカートニーみたいにマルチプレイで録音・録画もいいかなと考えています。ドラムはKORGのクリップヒットを買ったし。おもちゃみたいですけど、あれで練習するか!と。
続いて、詩人の永方佑樹さんの詩集『√3』を読んで刺激を受けて作った「souvenir」です。『√3』は、思潮社オンデマンドでAmazonから発行されている詩集で以下からお求めになれます。
この詩集は、たまげました。実験的な試みをされている前衛的な詩集です。長い時間をかけて選び抜かれた多様なジャンルの言葉が、知的な刺激として突き刺さります。そもそも表紙は筆で書かれた「θ(シータ)」。詩集の構成は和漢朗詠集を典拠としていて、冒頭に以下のような注釈があります。
※tanθ=漢字 cosθ=ひらがな sinθ=カタカナ
s=√3 (√漢字+ひらがな+カタカナ)をそれぞれ意味するものとする
三角関数?やばい、分からん。分からないけれども、数式のように書き言葉(エクリチュール)を緻密に構成していることが伝わります。化学式のような詩集でもあります。学生時代にソシュールの記号論やポスト構造主義に傾倒した自分には、この「記号(文字)に対するこだわり」に痺れました。
とはいえ、永方さんご自身の話では、数学というアプローチ自体に拒否反応を示されたり、表層的な前衛と批判されたりするとか。そうかなあ。ぼくは違うと思いますね。昨年、北園克衛という前衛詩人の詩を読み耽ったのですが、彼の前衛的手法に匹敵するか超えているぐらいの価値はある。王道的な前衛であると感じます。また、詩の歴史に残る1冊ではないか?ぐらいに捉えています。大袈裟かもしれないけれど。
この詩集は、読んでいるといろんな思考が呼び覚まされます。意味を解釈する悦楽がある。まずぼくが試みたのは、上記の三角関数って何?という理解でした。
学生時代に数学は落ちこぼれだったので、正しいのかどうか分かりませんが、ある日の深夜、三角関数について調べていたところインスピレーションが浮かんで、tanθ=漢字 cosθ=ひらがな sinθ=カタカナを次のように解釈してカードにメモ書きし、それだけでは満足できずにPowerPointでスライドにまとめてみました。
PowerPointからmepeg4のムービーに書き出したものが次になります。
Slideshareのようなサイトにアップロードすればよかったですね。
その後、ある日の深夜3時ごろ、冒頭の「スーブニール:モルタル地層」という詩を読んでいたところ、むしょうにエレクトロニカが作りたくなり、MacBook Airを開いて打ち込みました。打ち込んだ音源にフリーの映像素材をネットから拾ってきて制作した作品が、次の映像です。
エレクトロニカに詳しい方はご存知かもしれませんが、ウルリッヒ・シュナウスというユニットの音を意識しています。
キャメロン・クロウ監督の『エリザベスタウン』という映画の中でも彼らの楽曲が使われています。オーランド・ブルームが主役のいい映画で、ビジネスにおける大失敗と失業、父親の死というどん底の中で、新しい生き方を見つけていく物語です。
ほぼ徹夜状態で完成させたものの、何度か見直していると「音楽も映像も甘い。もっと詰められるだろう」と考えて、進化させた作品が次になります。
今後の展開としては、詩に書かれた言葉を挿入したり、詩人に朗読いただいた音声のマッシュアップ(組み合わせる)を考えました。しかし、作品の著作権自体は思潮社にあると思うので、どうしたものか思案中です。
次に2014年に作った「カゼノウタ」のリメイクです。もともとの曲は次になります。
ツイキャスのライブで最初に演奏したときは、あわあわ状態でうまく弾けませんでした(苦笑)しかし、練習に練習を重ねてなんとか弾けるようになり、同時にコードやアルペジオを変えたり細かい変更を重ねました。
だいたい曲の構成ができたので、まずバックトラックをGarageBandで作りました。ほんとうはこれより前に、もう少し幻想的なピアノによるアレンジの短いプロトタイプを作っています。「何か懐かしい感じがしていい」という感想をいただきました。とはいえ、いろいろ作業をしていくうちに、インストのプロトタイプはこんな感じになりました。(2016年7月27日)
プロトタイプとしては、悪くはないでしょう。悪くはないのだけれど、ダイソーのような100円ショップで流れているBGMだな、これは(苦笑)と。そこでシンセ系の音を全部ミュートして、ドラムスを生のドラムに近いスネアがカンっと高い音で鳴るようなプリセットに変え、テンポを若干早くしました。
アドビ社のAuditionというソフトウェアでヴォーカルやコーラスを多重録音してでき上がったのが次のバージョンです。
ヴォーカルは2回(正確にいうとギターの弾き語り時と合わせて3回)重ねているのですが、これはビートルズの時代から行われてきたダブルヴォイスという手法だと思います。ジョン・レノンは必ずダブルにしたかった、というようなエピソードをどこかで読んだ記憶があります。
そもそもこの曲の冒頭部分は、レディオヘッドの「My Iron Lung」にインスパイアされています。硬派なかっこいいイメージにしたいと考えて、Premireという映像編集ソフトウェアのブリーチというプリセットを使いました。「銀残し」と呼ばれているようで、ハリウッド映画風にする映像エフェクトです。
レディオヘッドの「My Iron Lung」はこんな曲です。
細かいのですが、イントロのスネアの2度打ちのフィルは真似・・・いやリスペクトして同じにしています。といっても、分かるひとにしか分かりませんね(苦笑)
この曲の次の構想としては、CD化できるほどにクオリティを上げたいと考えています。現在、かなり雑な部分があり、また、最初はMacBook Airで再生しながらデジタルビデオカメラで弾き語りを撮影したため、そのときのバックの音が残ってしまって、音像が曖昧になってしまいました。なので、もっとクリアな音にしたいと。
ものすごい長文を書いてしまいましたが、まだまだ書き足りないことがたくさんあります。とはいえ、ブログを更新しない間、そんな風に音楽にトライしてきました。もちろん仕事もちゃんとやっています。ここに書いたことは、ぼくの人生の氷山の一角に過ぎません。
しかし、あらためて考えるのは「とりあえず何か作っちゃって、それを進化させた方がいいぞ」ということです。行動しながら考える、というよりも、なんらかの結果を出して、さらにクオリティを向上させる方法です。
これは仕事にも子育てにも、人間関係にも言えるのではないか?と考えています。まず、一歩踏み出す。踏み出した先が泥濘(ぬかるみ)であれば、足を取られない場所に踏み換える。そして足跡を残しながら、前進あるのみ、って感じでしょうか。
プロトタイピングは、製造業やIT業界でも一般化している手法です。焦って完成形をめざすのではなく、準備に膨大な時間を費やすのでもなく、フットワークを軽くして未完成の状態から始めて完成形の状態に向けて努力することが大切かもしれません。
※プロトタイピングに関しては、以下もご参考まで。
投稿者 birdwing 日時: 14:55 | パーマリンク | トラックバック