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2015年4月29日

本のミライ。

150429_aoba1.jpg150429_kanyo.jpg150429_aoba3.jpg昭和の日、快晴です。昭和30年代後半生まれの自分ですが、昭和という言葉に違和感を抱くようになりました。提出書類に書き込むとき、なんとなく時代から取り残されたような、賞味期限が切れたような気分になる。昭和から平成になって既に27年を経ているわけで当然のことかもしれません。

最近撮った写真を3枚載せてみます。昨日天気がよかったのでサブウェイのサンドイッチをテイクアウトして食べた近所の公園の青葉、出窓で育てている観葉植物パキラ(100円ショップで購入)、そして雨上がりの朝に撮影したはっぱから滴る雨粒です。青葉の季節。青葉づくしということで。

忘れがちだけれど、いまは21世紀でもあります。

ゆるやかに時代が変化しているので実感できないとはいえ、ぼくらの生活はテクノロジーの進化によって大きく変わりました。

近畿大学の卒業式で堀江貴文さんは、10年前には歩きスマホでツイッターやLINEをする時代が来ることを誰が想像できただろうか、だから未来を考えることは意味がない、過去を悔やんでいる暇はない、今を集中して生きろ、というお話をされていました。とても共感しました。


■「平成26年度近畿大学卒業式」堀江貴文氏メッセージ


昭和の人間がタイムスリップして現代に迷い込んだとしたら、びっくりするだろうな、と感じます。予想もできなかった未来がここにある。

文字盤が変化するApple Watchや薄っぺらなスマホはもちろん、電車の中や駅構内に設置されたデジタルサイネージ(広告などを表示する大きな液晶パネル)だって驚く。切符の要らないPASMOだって目を瞠る。電話屋さんでロボットが売られているのも、ある意味あり得ない、よくわからない(笑)

これから世の中はどのように変わっていくのでしょうか。

どのような変化であれ、ぼくは変化を歓迎します。変化はわくわくする。もともと文系でありながら最先端のテクノロジーやガジェットが大好きだったのですが、新しもの好きです。

変化は同時に不安をともなうものであり、だから保守的なひとは変化を嫌い、過去にしがみつくものです。それが過剰になるとインターネットやパソコンに対する生理的な拒否反応になり、「会って話をするのがいちばん」「文章は手書きだよね」みたいな話になる。ぼくはアナログも否定しませんが、あまりに先端技術に嫌悪感を抱くひとは滑稽に感じます。ああ、このひとは臆病なんだなとおもう。

もちろんぼくにも変化に対する不安はあります。昨年の記事ですが、オックスフォード大学は、あと10年後に消滅する職業や業種という衝撃的な発表をしました(「オックスフォード大学が認定 あと10年で「消える職業」「なくなる仕事」702業種を徹底調査してわかった」現代ビジネス)。そんなに長いスパンじゃなくても、いまぼくが携わっている仕事が数ヶ月後もあるという保証はありません。

そのことを考えると快晴の青空がポジからネガに反転するような、深い不安に陥ることがあります。村上春樹さん的な表現を使えば、深い井戸の底に落とされたような。そして井戸の底で朽ち果てて、虫などに身体を喰われて消滅してしまうような感じ。

ま、しかし、先のことを考えて不安になっていても仕方ないわけで。いずれ人間は死んでしまうものです。であれば、充実した「いま」を生きるのがよい。刹那的に、あるいは享楽的に生きる意味ではありません。堀江貴文さんをはじめ、最近、多くのひとが同じようなことを言っていますが「目の前にある課題に没頭する」ということです。

ところで、ぼくは本が好きです。

それほど読書家ではありません。しかしながら、国語の教師だった亡き父の書斎には、棚が文学全集で埋め尽くされていていました。そんな環境で育ったせいもあるでしょう。近所にも古本屋がありますが、天井まである棚に本が埋め尽くされている状態をみると、ほっとします。

21世紀、本をめぐる状況もめまぐるしく変化しつつあります。

これからは電子書籍の時代だ!などと言われましたが、いささかコケちゃった感は否めません。とはいえ、静かに深く電子書籍は浸透している気がします。

紙の本はなくなる!ともいわれ、実際に自宅のすぐそばの学生時代から利用していた本屋が店を畳んだことはショックを受けました。といっても、TSUTAYAで本を売るようになったり、最近ではコンビニでも本が充実しています。

私見ですが、ぼくはデジタルネイティブな世代にとって「ゲームは本である」と考えています。ゲームにもいろいろありますが、特にRPG(ロールプレイングゲーム)と呼ばれるものは、現代の世代にとって、本といっていいのでは。

「ゲームなんかしないで本を読みなさい!」というおとーさん、おかーさんには眉をひそめられそうだけど、ゲームには「物語」があり、インタラクティブに物語を体験できる意味で本のひとつの形態ではないか、と。

また、朗読つまりCDブックやオーディオブックも立派な本だとおもいます。詩の世界では、ポエトリーリーディングも盛んなようです。「見る」本だけでなく「聴く」本もありだと考えています。

図書館で小林秀雄さんの講演CDを借りて聴いたことがあり、興味深く感じました。とはいえ笑っちゃったのは、iTunesに登録してアルバムのカヴァーをダウンロードしたら、なぜか小林旭さんの写真が・・・(笑)これは違うだろ。


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糸井重里さんが運営している「ほぼ日」のサイトでは、吉本隆明さんの講演が無料で公開されていました。「183回の講演、合計21746分」という凄い数の音源です。講演を録音したものと言ってしまえばそれまでですが、ぼくはこれもまた「本」ではないかとおもう。文字に書き起こしていないだけで、書き起こせば充分に本になりますね。


■吉本隆明の183講演
http://www.1101.com/yoshimoto_voice/ 

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朗読としては、谷川俊太郎さんの朗読と谷川賢作さんの音楽のCDも気に入っています。オススメはこちらです。


B000060N53クレーの天使
EARL K BRENT 谷川俊太郎+谷川賢作
プライエイド 2002-03-27

by G-Tools


ほしおさなえさんという作家さんは、ツイッターで140字小説を発表しています。その小説をご自身が朗読されていて、これがとても癒やされるので大好きです。超・掌編小説で、どちらかというと散文詩に近いイメージでしょうか。仕事でアタマが疲れたときに、ぱらぱらっと表示されるイメージから、なんとなく選んだ小説を聴いて気分転換しています。


■ほしおさなえ 140字小説の朗読
http://hoshiosanae.tumblr.com/

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詩人の田中庸介さんは、フィラデルフィアでポッドキャスティングのインタビューに英語で答えつつ、英訳された詩を日本語で朗読されています。とても迫力のある朗読です。かつて荻窪の六次元で詩のイベントがあったときに「パプリカ」という詩を生で聞いたことがありました。圧倒される言葉の力がありました。


■Ariel Resnikoff interviews Yosuke Tanaka(英語)
http://jacket2.org/podcasts/ariel-resnikoff-interviews-yosuke-tanaka

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ぼくも朗読してみました。かつて何度かブログで、掌編小説を書きつつ物語の内容をイメージしてパソコンで曲を作る、という試みをしてきたのですが、そのなかから『ポートレート』という作品を選びました。朗読の背後に流れる繰り返しのミニマルな音楽もMacBook Airで作っています。映像はAdobe Premiere Pro CC 2014で編集しました。



この朗読映像を作るにあたって、音とともにやはり「活字」も重視したかったですね。というのは、ある言葉をひらがなで書くのかカタカナで書くのか漢字にするのか、ということは作者にとっては最大のこだわりです。日本語表記の選択によって、本を開いたときのイメージもまったく異なります。活字は言葉の意味だけでなく、その形状自体に意味があると考えます。だから、この朗読では映像でテロップのように文字を入れました。そしてやはり日本語は縦書きだろう、と。

オーディオブックのよさは、何かをしながら聴けるということでしょうか。どこかラジオドラマに似ているかもしれません。また視覚に障がいがある方にも楽しめる気がしています。

本のミライがどのように変わっていくのか予測できません。ただ、紙の本はなくなることはないでしょう。とりあえずぼくは老衰して目が見えなくなるまで読書したい。そして、デジタルの波が本を変えていく様子も眺めていきたいと考えています。

投稿者 birdwing 日時: 17:35 | | トラックバック

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