2009年11月29日
色に音を聴く、ことばを探す。
ふと立ち寄ったちいさな公園に金色の銀杏の樹がありました。そこだけが輝いてみえる佇まい。しばし樹木の相貌に見惚れてしまいました。空は青い。雲はない。静けさのなかに子供の遊ぶ声だけが聞こえています。時折、はらりと樹木から金色が剥がれて地面に落ちてゆく。地面には剥がれた金色が絨毯のように敷き詰められていました。秋の純度が高まったような、そんな風景でした。
この風景に似合う音は何だろう。
公園を横切りながら、そんなことを考えました。透き通ったグラスハープのようなはかない減衰音。あるいは古典派クラシックによる弦のしらべ。しかし、どうしてもアタマで考えているとイメージが陳腐になります。枠に嵌められたイメージに偏りがちになる。もっと直感的に、風景を音に、あるいはことばに翻訳できるといいのですが。どうしても現前の風景を通俗の枠組み(紅葉、わびしさ、美しさなど)に入れて考えてしまう。
表現者であるために大切なことは何でしょう。ステレオタイプの表現から脱して、眼前の風景をことばや音にできることもそのひとつだとおもうのですが、難しい。新しい表現を創造しようとしても、どうしても既存の感覚に絡め取られてしまう。ことばにすることで、はらはらと零れ落ちてしまう何かがたくさんあります。写生をするように感情を排して風景を描くのもひとつの手法です。ところが、感情を込めようとすると別の困難な壁に立ち向かうことになります。
さて、最相葉月さんの「絶対音感」という本を読み終わりました。
絶対音感 (新潮文庫) 新潮社 2006-04 by G-Tools |
最近関心のある共感覚にもかかわりがある本でした。音と色彩の関連についても言及されています。
以前、久石譲さんと養老猛司さんの「耳で考える」という本からオリヴィエ・メシアンという作曲家が絶対音感と共感覚を持っていたことが書かれていてブログに引用しましたが、「耳で考える」の本ではさわりに過ぎなかったオリヴィエ・メシアンのことが、「絶対音感」にはやや詳しく書かれていました。次のように色彩イメージを持っていたそうです。最相葉月さんが取材したシンセサイザーの元祖といわれるオンド・マルトノの奏者、原田節さんの発言から引用です(P.41)。
ただ、フランスの作曲家のオリヴィエ・メシアンはもっと複雑な色彩イメージを持っていたといわれています。たとえば、『神の降在の三つの小礼拝楽』の楽譜の解説によれば、ド・レ♭・ミ♭・ミ・ファ♯・ソ・ラ・シ♭の音程配列(旋法)ではバイオレット、ド・レ・ミ♭・ミ・ファ♯・ソ・ラ♭・シ♭・シの音程配列ではグレーの奥から金が反射してきて、オレンジ色の粒が散らばって、そこに黄金色に輝いている濃い目のクリーム色が・・・・・・などといろんな色が見えたようです。
音に色彩がみえる。この特殊な感覚は、ぼくにはまったく想像できません。色彩から音へ、という逆の方向が可能かどうかわかりませんが、オリヴィエ・メシアンが銀杏の葉をみたとしたら、どのような音にしたでしょうか。ド・レ・ミ♭・ミ・ファ♯・ソ・ラ♭・シ♭・シの音程配列において「金が反射してきて」という視覚的イメージがあるのなら、この音程に近いメロディということも考えられます。
メルロ=ポンティは「知覚の現象学」で、「諸感官は、ものの構造にみずからを開くことによって、互いに交流しあう」と述べているとのこと(P.142)。視覚による色彩と聴覚による音程も交流し合うものがあるとすれば、音程によって色彩を表現することもできそうです。次のような実験によって、共通の色彩感を見出す試みもされたようです(P.143)。
京都市立芸術大学音楽部教授の大串健吾らは、一九九〇年(平成二)年に「音楽の調性感と色彩感」と題する調査を行っている。それによると、これまで個人差が大きいといわれていた色彩感が、ある程度の共通点を持っていることがわかってきた。 被験者は九割以上が絶対音感の持ち主で、彼らに最も共通していたのは、ハ長調=白だった。順に、ト長調=青、ニ短調・ホ長調=橙や黄色、イ長調=赤・・・・・・といった色彩イメージがあることもわかった。実際、イ長調にはショパンの『軍隊ポロネーズ』やベートーベンの『交響曲第七番』など華やかな明るいイメージの曲が多く、緑をイメージした人の多いヘ長調には、ベートーベンの『交響曲第六番・田園』や『バイオリンソナタ第五番・春』などがある。
銀杏の風景に戻って考えると、イチョウだけにイ長調かとおもうのですが(笑)、そうでもないようですね。一方で、次のような音の色彩感覚もあるようです(P.250)。
また、スクリャービンはハ長調は赤、ヘ長調は明るい青、変ホ長調は金属性の輝きをもった鋼色・・・・・・などと調に対して色彩のイメージを持っていたという記録が残っており、彼の創作活動に色彩は非常に重要な要素だったといわれている。これは絶対音感ゆえのカテゴリー化を思わせるものである。
絶対音感を持ち共感覚者である岩崎純一さんは、「音に色が見える世界」という著書で、音やことばから色彩を感じ取る能力について、古来の日本人の感覚に遡って検証されています。なるほどなあとおもったのは、日本語にはもともと「あか・あを・しろ・くろ」しかなかった、ということです。
音に色が見える世界 (PHP新書) PHP研究所 2009-09-16 by G-Tools |
以下、引用します(P.111)。
たとえば、「あか」。今の日本人が英語のredとほぼ同義で用いている赤の語は、実は「明か(あか)」「明け(あけ)」などと同源である。「あか」「あけ」は、redを意味するものではなく、上代においては、彩度と明度がともに高い状態を指した。したがって、現代日本語の赤や紅の色相だけでなく、黄という語で示される色相をも含み、他のほぼすべての色相にも及んでいた。すなわち、「光のある色」「明るい色」「輝く色」のこと、その程度の彩度と明度を持った様々な色相をすべて「あか」と呼んだのだ。
銀杏の写真を載せましたが、ぼくらが通常、赤というともみじの葉の色を指すとおもいます。つまり、こんな紅葉の風景でしょうか。
しかし、古来の日本では、銀杏も、もみじも「あか」だったのかもしれません。確かに、輝くように明るい色の銀杏の葉は「明か(あか)」ということばを使っても間違っていない印象があります。音程的に長調が明るい、というのは後天的に刷り込まれた固定観念のようでもあり、短調でも抜けるような明るい和音があると感じています。どれが、と提示できないのがもどかしいのですが、弦楽四重奏曲を聴いていて、短調の曲がすべて暗いかというとそんなことはない。気分というより和音的に、すかっと抜けた音があります。
音と語と色彩のイメージを比較しましたが、共感覚者の岩崎純一さんは、五十音のそれぞれのひらがなやカタカナにも色がみえるそうです。これが凄い。著作のなかでは、このように紹介されています。
よくみると、イチョウを構成していることばとして、イとチは黄色、ヨは灰色、ウは黒ですね。全体的に、イ行の音は黄色系のようにみえます。黒川伊保子さん的な解釈では、ア行の音、つまり口を大きく開いた音が身体的にも音的にも明るい色になるような気がしました。先鋭的なイ行の音も、ウ行やオ行のくぐもった音と比べると明るく発話できる/聞こえるのかもしれません。
なぜぼくは音と色彩、ことばと色彩などにこだわるのか。
最近、絶対音感や共感覚に関するテーマで本を探して読んできました。ぼくのアンテナがそちらの方面に向くのは、何より知的好奇心です。
個人的に、自分には絶対音感も共感覚もありません。だから、どんなに特殊な能力に関する本を読んでも完全に理解はできないし、ないものねだりの悔しさも感じる。絶対音感や共感覚を解釈しても、後付けの理屈ともいえるでしょう。
けれども好奇心を起点として、表現の可能性を追求してみたいとおもっています。五感それぞれを研ぎ澄ませること。また、研ぎ澄ませた五感を連携させること。そうすることによって、文章を書いたり音楽を作ったりするときに(最近では曲を作っていませんがDTMが趣味のぼくとしては)、自分のなかにあるなんとなくもやっとした感覚を適切に、リアルに、脳内にある質感をそのまま(つまりクオリアを)表現できないか、と夢想しました。
そのものズバリの風景を表現として切り取ることは無理だとしても、ある風景や感情を音や文章に「翻訳」したい。そんな尽きない欲望が自分のなかにあります。技術の問題ではなく、表現する身体に関わる問題かもしれません。あるいは、「死とは何か」「私とは何か」と考える哲学のように、永遠に答えに辿り着けないテーマのような気もします。
それでもぼくは銀杏の樹木をみるとき、煌くような樹木をことばにしたい。風景が奏でるオンガクがあれば聴いてみたい。そのためには、目で見る、耳で聴くという単一の方法だけでは難しい。五感をザッピング(テレビのリモコンのチャンネルを次々と変えること)したり、視覚×聴覚を交差させたり、西洋の哲学と日本古来の哲学を横断させたりする考え方や姿勢に、表現力を磨くための鍛錬があるのではないでしょうか。あるいは、音を視る、ことばに触れる、など、感覚を解放することにヒントがありそうです。
いま、デジタルカメラにおさめた銀杏の写真を眺めながら、静かに耳を澄ませています。残念ながら、ぼくのなかにある音叉はまだ共鳴しません。ふさわしい音楽も、そしてことばも聴こえてこないようです。
投稿者 birdwing 日時: 22:38 | パーマリンク | トラックバック
2009年11月23日
空のコラージュ。
空ばかりを眺めていた時期がありました。とおい昔のようでもあり。近い昨日のようでもあり。いろいろなことに行き詰っていた日々でした。無音のなかで耳を澄まして狙いをつけた雲の方角へ矢を射るように。空ばかりを眺めていました。
締め切った部屋に寝転んで、腕を枕にして、硝子越しに眺めていた空。あるいは歩くことで辛さを忘れようとして、考えごとをしながら見上げた空。ゆっくり雲が移動する日もあれば、灰色に塗りつぶされていたことも。空は同じようで同じではない。まったく雲のない冬の高い空も悪くはありませんでした。青さがまばゆい。いくら眺めていても空は飽きないものです。飽きることがない空。アオゾラ。
空をデジタルカメラで撮影しようとして立ち止まると、かたわらを通りすぎるひとたちは怪訝な顔をします。そこには何もないので。飛行機雲がきれいな線を引いているときもありました。けれども特別な日だから、特別な対象に向けて、カメラを構えるわけではないでしょう。なんでもない日常だからこそ記録しておきたいこともある。何もない何かをかたちにしておきたい気持ち。それでも空を切り抜くときには細心の注意を払います。同じ青でも空には濃淡がある。一瞬の後には雲のかたちは変わってしまう。繊細なのです。夕暮れ時には特に。
「あなたが、あんまりソラ、ソラいうものだから。」
そんなにいったっけかなあ、とおもいつつ否定はできませんでした。狭く縮こまったこころを解放するには、空の広さが必要だったので。俯いてばかりいるわけにはいかなかったから、せめて顎を上げていたかった。空にこだわったのは、身体的な姿勢の問題もあったのかもしれません。
「散歩の途中、空を眺めて歩いてみました。そうしたら、とてもきれいなのでびっくり。それから後、わたしが、きょうの空はきれいだよ、と何度も言うものだから、おばあちゃんまで天気のいい日には、ほら、みてごらん、きれいな空だよ、とわたしを呼び出すようになってしまって。」
空好きが伝播した、というのは照れくさいけれども、ささやかなよろこびです。空の伝道師として布教するつもりはないのですが、この場所ともつながっている空が、すこしだけ他のひとにもつながるのであれば、空について語りがいがある。
「空について教えてくれて、ありがとう。」
こちらこそ。むしろ感謝するのはこちらのほうです。気象天文に詳しいわけでもなく、風景写真のプロでもなく、ときには空虚さを埋めようとして、あるいは青ければ青いほどかなしい気持ちになって、空を写真におさめていただけだというのに。感謝されるなんて、そんな。
高い場所は風が滞り、低い場所では風が強い日には、速度の違う雲の動きがまるでスライドのように、ひとびとを楽しませてくれます。グラウンドのような場所に佇むと、地上を飛び去っていく雲の影をみることもできる。雲のかたちはさまざまで、いきものや無機質な何かの輪郭を連想させます。雲が太陽を隠すとき、光の濃淡が天上をおもわせるような影をつくることもあります。そうそう。機上から見下ろした雲の連なりは、ひとつの芸術でした。
空にまつわる、ささやかなはなし。
語り得ぬものの上で、空は今日も寡黙に拡がっているばかり。
投稿者 birdwing 日時: 07:02 | パーマリンク | トラックバック
2009年11月14日
パラノイアの読書、音楽観賞の軌跡。
外は雨降り。窓に雨粒の当たる音がきこえています。ぶるぶる。寒くないですか。あったかくしてくださいね。急速に冷え込んだ11月。ぼくも身体をほかほかにしようと何度もあたたかい飲み物を摂取しています。青い縞のはんてんを着ているので、まるで浪人生のようです。それにしてもキッチンでカフェオレを飲みすぎました。カフェイン過剰気味なアタマで、1年を振り返っています。
12月まであとわずか。もう1年を振り返る時期になったんですね。はやいものです。今年は夏をはしょって秋になったような気がしています。いろいろと後悔もありますが、いまのところの後悔は・・・さっきのカフェオレに袋入りのシュガーをあんなに入れなきゃよかった、ってことかなあ。まあいいか。
スキゾ・パラノということばがありました。
1980年代の流行語です。ポスト構造主義的な用語で、使い始めた浅田彰さんは第一回新語・流行語大賞新語部門銅賞を獲得しました。
簡単に述べると、パラノ(パラノイア:偏執型)人間というのは、ひとつのことに執着してこだわる一途な人たち。一方で、スキゾ(スキゾフレニー:分裂型)人間は、多数のことに関心を抱く浮気ものです。
2つの型によって、時代の兆候をとらえようとしていました。パラノからスキゾへ。ひとところに定住する農耕民族的な在り方ではなく、狩猟民族的に、フットワークを軽く、さまざまな新しい情報や知に飛びついていく。安住を拒絶して"逃走"する姿勢が望ましい、というような思想が、80年代にはもてはやされていたように記憶しています。自分なりの解釈ですが。
ところで今年の自分を考えると、パラノイア(偏執型)の傾向にありました。
ひとりの作家に執着して本を読む。ジャンルを絞り込んで音楽を聴く。もともとはスキゾ型で、関心のあるものを雑多に漁るタイプであり、いまでもその傾向はみられるのですが、今年はやや方向性が変わりました。アンテナを水平に拡げて、さまざまなものをキャッチするのではなく、垂直志向なのです。目的の石をみつけたら、ここ掘れ、わんわんという感じ。そもそも自分をみつめて、自分の内面を深堀りしていくことを心がけたい、と年頭に宣言したこともありました。
「垂直に読む」というエントリで、中島義道さんの本ばかり読んでいることを紹介しましたが、実はそれ以降も彼の全著作を読破する勢いで読んでいます。もうすこし広い範囲では、哲学に関する本に目を向けるようになりました。
音楽鑑賞では、以前は、エレクトロニカや洋楽のインディーズが中心でしたが、このところ聴いている音楽は、クラシック音楽の3B(バッハ、ベートーベン、ブラームス)のうちの2B(鉛筆みたいだ)のバッハとブラームスばかりです。どうしてこんなに狭い趣味になっちゃったかな、とおもうときもありますが、その鋭角的な趣味が楽しい。
ほんとうはひとつひとつの作品の感想を書きたいのですが、大量に読了したり観賞して怠惰に放り出していたので手が負えません。そこで、読了・観賞した順に、6月から11月まで読んだ本と観賞したCDを時系列で並べてみます。
列記してみて面白かったのは、パラノ型のこだわりが途中で解体して、別のジャンルの小説などが入り込んでいることでした。リストなので読まれる方はつまらないかもしれないのですが、自分のための備忘録としてまとめておきます。
******** Book ********
中島義道さんの本は、哲学書/対話型読み物/エッセイの3つのカテゴリーに分けられるのではないでしょうか。
哲学書はカントに関するものが中心で、かなり手強い。しかし、「カントの人間学」では、社交的でありながら変人ともいえるカントのエピソードが面白く描かれていて、さらにそれが中島義道さんご本人のイメージに重なるため、楽しめました。「哲学の教科書」では、掲載されていた推薦本のうち何冊かを読み、読書の幅を拡げることができました。対話型読み物は、人生論の格闘技のような感じ。「生きるのも死ぬのもイヤなきみへ」「「哲学実技」のすすめ―そして誰もいなくなった・・・」などは、哲学のボクシングという印象で緊迫感があります。エッセイは、なんとなく坂口安吾をおもわせる無頼派な文章が心地よい。ただ、文化騒音の問題はやりすぎです。「ぐれる!」は面白すぎます。
哲学系では、中島義道さんの本に引用されている作家をピックアップし、大森正蔵さん、永井均さんの本を探して読みました。大森正蔵さんのことばは、ホンモノの哲学のことばとして重いのですが、なぜかふわっとした雰囲気を感じます。独特の哲学の匂いを持っていらっしゃる方だな、と感じました。逆に永井均さんの「<子ども>のための哲学」は、童心に戻ってわくわくしました。そうそう!そういうことを少年時代に考えていて両親にも理解してもらえなかったんだけど、オトナになると忘れちゃうんだよね、という風に。培養液のなかの脳が世界である、のような発想は、まさに映画「マトリックス」につながるSF的な発想ですが、そんなことを真剣に考えるのも哲学である、それが<私>を考えることにつながるという指摘には、ほーそれでいいんだと感心しました。
その他の本では、共感覚者の岩崎純一さんの「音に色が見える世界」は凄い!!共感覚が実際にどうみえているか(文字や音に色がみえる、女性の生理周期さえみえてしまう)という事実にも驚愕しましたが、科学というよりも文化論、哲学として、なぜわれわれが日本語を失ってはいけないか、ということ痛感することができました。実はブログでも何度か共感覚については触れています。残念ながらぼくは共感覚者ではないのですが、絶対音感や共感覚があればいいのに、とおもっています。これらのテーマについてはきちんと一度、考えたことをまとめてみたいとおもっています。
さらに、「音に色が見える世界」のなかで著者に薦められて読んだ「風姿花伝」に感動。古文ではなく現代語訳というのが若干(国文学科卒業の自分としては)恥ずかしいところではありますが、カントもウィトゲンシュタインもいいけれど、こんなにすばらしい文芸論、哲学が日本にあったんじゃないか、と新鮮な気持ちになりました。
※中島義道さんの著作は■です。それ以外の著作は□を付けました。
■6月25日読了
時間を哲学する―過去はどこへ行ったのか (講談社現代新書) 講談社 1996-03 by G-Tools |
■6月28日読了
どうせ死んでしまうのに、なぜいま死んではいけないのか? (角川文庫) 角川グループパブリッシング 2008-11-22 by G-Tools |
■6月30日読了
「人間嫌い」のルール (PHP新書) PHP研究所 2007-07-14 by G-Tools |
■7月9日読了
カイン―自分の「弱さ」に悩むきみへ (新潮文庫) 新潮社 2005-07 by G-Tools |
■7月12日読了
人生を「半分」降りる―哲学的生き方のすすめ (ちくま文庫) 筑摩書房 2008-01-09 by G-Tools |
■7月13日読了
哲学の教科書 (講談社学術文庫) 講談社 2001-04 by G-Tools |
■7月24日読了
生きにくい...―私は哲学病。 (角川文庫) 角川書店 2004-12 by G-Tools |
■7月25日読了
「対話」のない社会―思いやりと優しさが圧殺するもの (PHP新書) PHP研究所 1997-10 by G-Tools |
■8月1日読了
たまたま地上にぼくは生まれた (ちくま文庫) 筑摩書房 2007-01 by G-Tools |
■8月2日読了
ひとを愛することができない―マイナスのナルシスの告白 (角川文庫) 角川書店 2007-02 by G-Tools |
□8月2日読了 村上陽一郎
あらためて教養とは (新潮文庫) 新潮社 2009-03-28 by G-Tools |
■8月3日読了
怒る技術 (角川文庫) 角川書店 2006-03 by G-Tools |
■8月6日読了
後悔と自責の哲学 (河出文庫 な 24-1) 河出書房新社 2009-05-30 by G-Tools |
■8月9日読了
やっぱり、人はわかりあえない (PHP新書) PHP研究所 2009-07-16 by G-Tools |
□8月11日読了 大森荘蔵, 坂本龍一
音を視る、時を聴く哲学講義 (ちくま学芸文庫) 筑摩書房 2007-04 by G-Tools |
■8月12日読了
生きるのも死ぬのもイヤなきみへ (角川文庫) 角川グループパブリッシング 2009-03-25 by G-Tools |
■8月13日読了
日本人を<半分>降りる (ちくま文庫) 筑摩書房 2005-06-08 by G-Tools |
□8月15日読了 茂木健一郎
生きて死ぬ私 (ちくま文庫) 筑摩書房 2006-05 by G-Tools |
□8月15日読了 サン=テグジュペリ, 内藤濯
星の王子さま (岩波少年文庫 (001)) 内藤 濯 岩波書店 2000-06 by G-Tools |
■8月16日読了
カントの人間学 (講談社現代新書) 講談社 1997-12 by G-Tools |
■8月21日読了
「哲学実技」のすすめ―そして誰もいなくなった・・・ (角川oneテーマ21 (C-1)) 角川書店 2000-12-01 by G-Tools |
□8月21日読了 池田信夫
ハイエク 知識社会の自由主義 (PHP新書) PHP研究所 2008-08-19 by G-Tools |
□8月29日読了 マッテオ・モッテルリーニ
世界は感情で動く (行動経済学からみる脳のトラップ) 泉 典子 紀伊國屋書店 2009-01-21 by G-Tools |
□8月29日読了 荻上チキ
社会的な身体~振る舞い・運動・お笑い・ゲーム (講談社現代新書) 講談社 2009-06-18 by G-Tools |
■9月1日読了
時間論 (ちくま学芸文庫) 筑摩書房 2002-02 by G-Tools |
■9月8日読了
ぐれる! (新潮新書) 新潮社 2003-04-10 by G-Tools |
■9月9日読了
ウィーン愛憎―ヨーロッパ精神との格闘 (中公新書) 中央公論社 1990-01 by G-Tools |
□9月12日読了 エーリッヒ・フロム
自由からの逃走 新版 東京創元社 1965-12 by G-Tools |
□9月13日読了 村上春樹
1Q84 BOOK 1 新潮社 2009-05-29 by G-Tools |
□9月16日読了 村上春樹
1Q84 BOOK 2 新潮社 2009-05-29 by G-Tools |
□9月16日読了 香山リカ
しがみつかない生き方―「ふつうの幸せ」を手に入れる10のルール (幻冬舎新書) 幻冬舎 2009-07 by G-Tools |
□9月17日読了 養老孟司, 久石譲
耳で考える ――脳は名曲を欲する (角川oneテーマ21 A 105) 角川書店(角川グループパブリッシング) 2009-09-10 by G-Tools |
□9月19日読了 大森正蔵
流れとよどみ―哲学断章 産業図書 1981-05-12 by G-Tools |
■9月21日読了
続・ウィーン愛憎―ヨーロッパ、家族、そして私 (中公新書) 中央公論新社 2004-10 by G-Tools |
■9月22日読了
カントの読み方 (ちくま新書) 筑摩書房 2008-09 by G-Tools |
□9月23日読了 ラ・ロシュフコー
ラ・ロシュフコー箴言集 (岩波文庫) 二宮 フサ 岩波書店 1989-12 by G-Tools |
■9月25日読了
時間と自由―カント解釈の冒険 (講談社学術文庫) 講談社 1999-09 by G-Tools |
□9月26日読了 ひさうちみちお
イラスト西洋哲学史(上) (宝島社文庫) ひさうち みちお 宝島社 2008-09-03 by G-Tools |
□9月26日読了
ブラームス (新潮文庫―カラー版作曲家の生涯) 新潮社 1986-12 by G-Tools |
□9月26日読了
バッハ (新潮文庫―カラー版作曲家の生涯) 新潮社 1985-04 by G-Tools |
□9月29日読了 ナシーム・ニコラス・タレブ
ブラック・スワン[上]―不確実性とリスクの本質 望月 衛 ダイヤモンド社 2009-06-19 by G-Tools |
□10月1日読了 ナシーム・ニコラス・タレブ
ブラック・スワン[下]―不確実性とリスクの本質 望月 衛 ダイヤモンド社 2009-06-19 by G-Tools |
□10月3日読了 スティーブンピンカー
思考する言語〈上〉―「ことばの意味」から人間性に迫る (NHKブックス) Steven Pinker 日本放送出版協会 2009-03 by G-Tools |
□10月6日読了 ひさうちみちお
イラスト西洋哲学史(下) (宝島社文庫) ひさうち みちお 宝島社 2008-09-03 by G-Tools |
□10月7日読了 ポール・オースター
最後の物たちの国で (白水Uブックス―海外小説の誘惑) Paul Auster 白水社 1999-07 by G-Tools |
□10月15日読了 岩崎純一
音に色が見える世界 (PHP新書) PHP研究所 2009-09-16 by G-Tools |
□10月17日読了 川上弘美
真鶴 (文春文庫) 文藝春秋 2009-10-09 by G-Tools |
□10月17日読了 向井周太郎
生とデザイン―かたちの詩学〈1〉 (中公文庫) 中央公論新社 2008-09 by G-Tools |
□10月18日読了 永井均
<子ども>のための哲学 講談社現代新書―ジュネス 講談社 1996-05-20 by G-Tools |
□10月26日読了 永井均
ウィトゲンシュタイン入門 (ちくま新書) 筑摩書房 1995-01 by G-Tools |
□10月28日読了 東野圭吾
探偵ガリレオ (文春文庫) 文藝春秋 2002-02-10 by G-Tools |
□11月3日読了 永井均
<私>のメタフィジックス 勁草書房 1986-09 by G-Tools |
□11月4日読了 世阿弥, 水野聡
現代語訳 風姿花伝 水野 聡 PHPエディターズグループ 2005-01 by G-Tools |
□11月6日読了 佐々木正人
アフォーダンス入門――知性はどこに生まれるか (講談社学術文庫 1863) 講談社 2008-03-10 by G-Tools |
□11月12日読了 永井均
翔太と猫のインサイトの夏休み―哲学的諸問題へのいざない (ちくま学芸文庫) 筑摩書房 2007-08 by G-Tools |
******** Music ********
硬質的なバッハばかりを聴いていた時期を経過し、ブラームスを聴きはじめたとき、自分のなかで何かが変わった気がしました。情緒的なものというか、あたたかさというか。そうするとなぜかバッハ的なものに馴染めない。なんでしょうね。繊細な何かがそこにあるような。
バッハに関していえば、グールドとリヒテルの演奏が違うことにも驚いたのですが、チェロでカザルスとフルニエの演奏の違いにもびっくりしました。最初にフルニエの演奏に親しんでいたぼくは、カザルスの無伴奏チェロ組曲を聴いてぶっとんだ。古い時代の録音のせいもあるかもしれませんが、フルニエがイージーリスニングだとすると、カザルスはロックのような気がする。なんだろう、このラフな演奏は!とおもった。最初はどちらかというと不快だったのですが、聴いているうちに馴染んできて、これがバッハだ、とおもえるから不思議なものです。
ぼくはどうやら全般的に室内楽が好きなようです。したがって、オーケストラによる交響曲は、なんだか落ち着かない。ティンパニで、どこどこどこどこどぉーん、とやられると、およよよよよよよぅ、と不安になってしまう。アマデウス弦楽四重奏団の弦楽五重奏曲、スークトリオのピアノ三重奏曲、ウィーン室内合奏団のクラリネット五重奏曲は癒されます。特にクラリネット五重奏曲ロ短調作品115のはじまりは、ジュゼッペ・トルナトーレ監督の世界ですね。牧歌的な風景が目にみえます。逆に弦楽四重奏曲はいまひとつ。曲自体が好みではありません。アファナシエフのピアノも、ぼくには馴染めませんでした(グールドのほうがいい)。
ブラームスの室内楽は全体的に、導入部分というか曲のはじまりが美しくて、うっとりします。うまく言えないのですが、ああこれこれ、これなんだよう、というブラームスらしい甘さがあり、だからこそ何度もはじめから聴き直してしまいます。
ちなみに一枚だけクラシックではないアルバムがあります。エリック・モングレインの「イクイブリアム」で、これはアコースティックギターです。タッピング奏法という弦を打楽器のように叩く演奏で、ハーモニクスなども混じってきらきらときれいな音が出ます。しかし、結構神経が苛立っているときには、落ち着かない音楽でもあります(個人に拠るのでしょう)。このひとのことは、以前、ブログにも書きました。
■6月10日 グールド(グレン), バッハ
バッハ:ゴールドベルク変奏曲(1981年録音) グールド(グレン) SMJ(SME)(M) 2008-11-19 by G-Tools |
■6月10日 エリック・モングレイン
イクイブリアム(初回生産限定盤Blu-specCD)(DVD付) エリック・モングレイン ドリーミュージック 2009-05-13 by G-Tools |
■6月25日 J.S. Bach, Sviatoslav Richter
Well-Tempered Clavier RCA 1994-03-01 by G-Tools |
■6月28日 グールド(グレン), バッハ
リトル・バッハ・ブック グールド(グレン) SMJ(SME)(M) 2008-11-19 by G-Tools |
■7月20日 ハーン(ヒラリー), バッハ
ヒラリー・ハーン デビュー! バッハ:シャコンヌ ハーン(ヒラリー) SMJ(SME)(M) 2008-11-19 by G-Tools |
■8月1日 リヒター(カール), バッハ, ミュンヘン・バッハ管弦楽団
バッハ:管弦楽組曲第2番&第3番 リヒター(カール) ユニバーサル ミュージック クラシック 2006-11-08 by G-Tools |
■8月2日 ミュンヘン・バッハ管弦楽団リヒター(カール),
バッハ:ブランデンブルク協奏曲第1~4番&第6番 バッハ ミュンヘン・バッハ管弦楽団 リヒター(カール) ユニバーサル ミュージック クラシック 2007-02-28 by G-Tools |
■8月8日 グールド(グレン), J.S.バッハ
バッハ:インヴェンションとシンフォニア/イギリス組曲第1番 グールド(グレン) SMJ(SME)(M) 2008-11-19 by G-Tools |
■8月14日 フルニエ(ピエール), バッハ
バッハ:無伴奏チェロ組曲第1番&第3番&第5番 フルニエ(ピエール) ユニバーサル ミュージック クラシック 2007-02-28 by G-Tools |
■8月29日 シェリング(ヘンリク), バッハ
バッハ:無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ全曲 シェリング(ヘンリク) ユニバーサル ミュージック クラシック 2006-11-08 by G-Tools |
■9月14日 カザルス(パブロ), バッハ
バッハ:無伴奏チェロ組曲(全曲) カザルス(パブロ) TOSHIBA-EMI LIMITED(TO)(M) 2007-06-20 by G-Tools |
■9月18日 アマデウス弦楽四重奏団
ブラームス:弦楽六重奏曲集 アマデウス弦楽四重奏団 ユニバーサル ミュージック クラシック 2006-11-08 by G-Tools |
■9月25日 ジュリーニ(カルロ・マリア),
ブラームス:交響曲第1番 ジュリーニ(カルロ・マリア) ユニバーサル ミュージック クラシック 2006-11-08 by G-Tools |
■10月3日 アマデウス弦楽四重奏団
ブラームス:弦楽五重奏曲1&2 アマデウス弦楽四重奏団 ユニバーサル ミュージック クラシック 2004-06-30 by G-Tools |
■10月9日 スーク・トリオ
ブラームス:ピアノ三重奏曲第1番&第2番&第3番 スーク・トリオ コロムビアミュージックエンタテインメント 2005-12-21 by G-Tools |
■10月16日 プリンツ(アルフレート)
ブラームス:クラリネット五重奏曲 プリンツ(アルフレート) コロムビアミュージックエンタテインメント 2004-03-24 by G-Tools |
■10月16日 アファナシエフ(ヴァレリー)
ブラームス:ピアノ作品集 アファナシエフ(ヴァレリー) コロムビアミュージックエンタテインメント 2003-03-26 by G-Tools |
■10月31日
ブラームス:弦楽四重奏曲全集 プラハ弦楽四重奏団 コロムビアミュージックエンタテインメント 2006-12-20 by G-Tools |
■11月11日
ブラームス:ドイツ・レクイエム クレンペラー(オットー) TOSHIBA-EMI LIMITED(TO)(M) 2007-08-22 by G-Tools |
投稿者 birdwing 日時: 01:09 | パーマリンク | トラックバック