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2010年3月28日

[DTM作品] sakura_no_utage(サクラの宴)

3月も終盤だというのに寒い日がつづいています。ぽかぽかと陽射しのあたたかい日もあるのですが、午後には翳ってしまうことも多く、とても変化しやすい天候です。寒暖の差が激しいと身体に不調を起こすもの。みなさん健康には十分にご自愛くださいね。

トウキョーでは、サクラの花もまだまだ五分咲きのようです。それでもちらほらと、つぼみから花に変わりつつある景色がみられるようになりました。

毎年チェックするウェザーニュースというサイトでは、「さくら情報を公開しています。今日のトウキョーの開花状況をみると、サクラの名所では、小石川後楽園(シダレザクラ)と妙法寺の2箇所が満開のアイコン(赤)でした。しかし、まだまだつぼみのところが多いようです。

100328_sakura1.jpg

ウェザーニュースでは、次のように開花状況を解説されています。

九州や高知・和歌山では各地で満開!お花見ピークです。また、その他の西〜東日本でも開花が進んでいますが、冬の寒さが戻ってきているため、満開へ向かう速度はゆっくりめ。

また、ウェザーニュースのページには「SakuraSimulator2010」という開花のシミュレーションページがあるのですが、4月中旬までの日曜日の推移を、1週間ごとに並べてみると次のようになります。

■3月28日(日)
100328_sakura2.jpg

■4月4日(日)
100328_sakura3.jpg

■4月11日(日)
100328_sakura4.jpg

■4月18日(日)

100328_sakura5.jpg

サクラが北上して、葉桜(緑の部分)になっていくようすがよくわかります。1週間でずいぶん散ってしまうようです。サクラは短命です。関東では4月の1週間目がピークだとおもうのですが、見所を逃さないようにしたいですね。

というわけで、やや時期的には早いのですが、趣味のDTMでサクラの花見の曲を作ってみたいとおもいました。

といってもどんちゃん騒ぎのための曲ではなく、宴会の終わったあとで妖艶な夜桜の光景を見渡しているようなイメージです。日本的というか、和というか、そんな曲調をめざすつもりでした。

「サクラの宴」というタイトルにしました。ブログで公開します。お聴きください。


■sakura_no_utage(5分02秒 6.92MB 192kbps)

作曲・プログラミング:BirdWing


なぜ「和」的なものをめざしたかというと、日曜日の夜8時、NHKで放映されている「龍馬伝」の影響があったかもしれません(苦笑)。

実はNHKのドラマはあまり観たことがなかったのですが、Twitterでソフトバンクの孫正義社長が熱く盛り上がっていたこともあり、毎週欠かさず観るようになりました。見事に嵌まりました。あまりにも単純ですが、龍馬伝に対する思い入れが今回の曲の原動力になっている気もしています。

福山雅治さんの龍馬はもちろん、加川照之さんの岩崎弥太郎、大森南朋さんの武市半平太、迫力ありすぎの田中泯さんの吉田東洋など、キャストが凄すぎる。毎回、あっという間に45分が過ぎ去って、ドラマを超えていろいろなことを考えさせられます。

100328_ryomaden.jpg

さて「サクラの宴」制作メモです。

今回、基本的なリズムは前回同様フリーシンセのRhythms v3.6.1を使用しました。その基本リズムににTTS-1のブラシによるジャズドラムの音を加えています。広がりのあるスペーシーな音は、フリーシンセのCygnus-Oを使っています。幻想的な音の出るシンセですが、なかなか使い方が難しい。いくつかのプリセットの音を打ち込んで音声ファイルにバウンスして重ねました。

080721_cygnus.jpg

後半、ストリングス的な音とシンセベースは、これもまたフリーシンセとしては定番のSUPERWAVE P8を使いました。定番的ではありますが、やっぱりいい音です。ストリングスにはワウでフィルターをかけています。

superwavep8

ほんとうは妖しさを表現したかったのですが、なかなか表現しきれていません。おんなへんである「妖しさ」は、ある程度、女性の感性が必要ではないかと感じました。というのも、80年代の洋楽で、化粧をして一種の倒錯したイメージを醸し出していたカルチャー・クラブのボーイ・ジョージや、ジャパンのデヴィッド・シルヴィアンは妖艶だったので。彼らには退廃的な匂いも感じました。そんな不健全さを求めていたのだけれど、もともと健全・安全・好青年(?)なぼくには、表現力にあり余るものがありました。

夜桜の妖艶さは、いったいどこからきているのでしょう。たぶん日本人には敏感に捉えられる感覚だとおもうのですが、その妖艶さを表現する術をぼくはまだ獲得していません。夜桜でも眺めて、ものおもいに耽りたいところです。

投稿者 birdwing 日時: 17:06 | | トラックバック

2010年3月24日

オンガクと人柄。

KANさんが新しくリリースした「カンチガイもハナハダしい私の人生」というアルバムの1曲目、「REGIKOSTAR ~レジ子スターの刺激~」に嵌まっています。ナタリーという音楽サイトで記事を読んで、どんな曲だろうとYouTubeで検索して聴いたところ、おもわず噴きました(笑)。楽しい。この曲です。


B00317COKIカンチガイもハナハダしい私の人生(DVD付)
KAN
UP-FRONT WORKS 2010-03-10

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歌詞の世界の物語を簡単にまとめてみます。

<ぼく>はスーパー(?)でレジを打っている女の子にひと目惚れします。彼女に会うために通い詰めるのですが、めったに会えない。諦めかけていたところに東急線で偶然オフタイムの私服の彼女をみつけて動揺します。彼女をみつめているうちに駅を乗り越してしまう。しかし、そのときを境に会えなくなる。彼女は姿を消してしまう。そうして、きっと彼女は星だったんだ、また会えるときがくるかもしれないとおもう・・・そんな甘酸っぱくて切ない、誰にでもあるようなささやかなストーリーです。

歌詞は以下のサイトでみることができます。

REGIKOSTAR ~レジ子スターの刺激~ KAN 歌詞情報 - goo 音楽
REGIKOSTAR ~レジ子スターの刺激~ KAN 歌詞情報 - goo 音楽

歌詞で楽しいのは、彼女がレジで告げる清算のことばを8回も繰り返すところ(笑)。ふつうのアーティストはここまで連呼しないでしょう。「20%引きです」は、なんとなくかわいい。サビでは「スター」と韻を踏んで「ひと目惚れました/お会計しました おつりが出ました」と、延々と「~した」でことばを合わせていく部分が秀逸です。「乗り越した」というのもユーモアがあっていい。また、「黒タイツ」を3回も繰り返すのはフェティッシュですね(最後は「黒タイチュ」)。これは二の腕の歌(「夏は二の腕発情期)」を作ってしまうような、KANさんの趣向をよくあらわしているとおもいます。

タイトルは1979年のバグルスのヒット曲、『ラジオ・スターの悲劇(Video Killed The Radio Star)』を彷彿とさせます。ぼくにとっては懐かしい。若かりし頃に好きだったこの曲を聴いてみます。



これ、友達がシングルレコード持っていて、借りて聴いたっけなあ(世代が・・・)。ニューウェーブの先駆けでありながら、ポップスの名曲中の名曲だとおもいます。ピアノ+シンセのキーボード類にしてもベースにしても、完璧なアレンジ。イコライジングしてラジオの声のようにしたボーカル、一転して女性ボーカルがサビを担うところも素敵ですね。

一方で「REGIKOSTAR ~レジ子スターの刺激~」の楽曲自体は、聴けばすぐにわかるようにPerfume風のアレンジです。最新音楽ニュースサイトのナタリーからインタビュー記事を引用します。

──それでは、ここからはニューアルバム「カンチガイもハナハダしい私の人生」についてお訊きします。誰が聴いてもまず1曲目で必ず驚くはずの、ものすごく大きな突っ込みどころが用意されていますよね。Perfume、中田ヤスタカ(capsule)さんからの影響を色濃く感じさせるというか(笑)。

いやそれはもう僕、大ファンですから。例えばビリー・ジョエルのあの感じ、THE BEATLESのああいう雰囲気の曲が作りたいとか、具体的な目標とかあこがれの対象があって、そこに向かって作っていくというのを僕はずっと普通にやり続けていて。「REGIKOSTAR ~レジ子スターの刺激~」はその中に含まれる、最近作った曲のうちのひとつですね。

──たまたま彼女たちがKANさんよりも後輩だったというだけで。

Perfumeのここ2枚のアルバム(「GAME」「⊿(トライアングル)」)は何度も聴いてますね。音楽的にすごいファンですよ。


2年ぐらい前からKANさんはPerfumeが好きだということを公言されていたそうですが、ご自身でここまでやっちゃうとは。冒頭は「ポリリズム」そっくりです。しゅわーんというノイズからはじまります。リズムなど随所に中田ヤスタカさんの音作りを感じました。

ただ、KANさんらしい特長としては基本的にバスドラムの4つ打ちを踏襲しながら、サビ以外はエイトビートになっているところだと感じたのですが、いかがでしょう。ちょっとポリリズムも聴いてみます。



ところで、ナタリーのインタビューのなかでKANさんは「例えばビリー・ジョエルのあの感じ、THE BEATLESのああいう雰囲気の曲が作りたい」という動機から曲を作る、ということを述べています。

ぼくもまた、このオンガク好きなんだよねー、という気持ちや憧れが表出していたり、継承されている作品が好きです。

おふざけがすぎると真似やパロディ(それこそ企画モノ)になってしまうのですが、KANさんの場合には誠実さが伝わります。そして、Perfume/中田ヤスタカさんの音作りに対する憧れが込められていながら、ベースとしてはいままでKANさんが歌ってきたシンプルなレンアイの世界です。23年間ずーっと、KANさんが音楽を通じて描いてきた「恋する切ない純朴な青年像」という主題から、大きくぶれていない気がします。

そもそもKANさんの音楽に出会ったのは、大林宣彦監督の「日本殉情伝 おかしなふたり」という映画を観たとき、その音楽を担当されていたからでした。

この映画はモーニングという雑誌の連載マンガが原作ですが、お蔵入りしかけたという危うい状況にあった映画です。しかし、ぼくは大林監督のなかで最も好きな映画です。ビデオが擦り切れるほど観て、いまはDVDで持っています。冒頭だけで、ぼろぼろ泣けました。この冒頭のインストゥルメンタルの曲がいい。ストリングスのシンセによるシンプルな曲ですが、たぶんこの音楽もKANさんが作った曲でしょう。


B00005MIH1日本殉情伝 おかしなふたり ものくるほしきひとびとの群 デラックス版 [DVD]
パイオニアLDC 2001-08-24

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おもえば「愛は勝つ」が収録されている「野球選手が夢だった」にも「健全 安全 好青年」という面白い歌詞の曲があり、エレクトロニックなポップのアレンジでした。また「HAPPY TITLE」というアルバムにおいても、古いスタンダードなロック・ポップスとともに、電子音楽全盛だった当時を感じさせる打ち込みサウンドを聴くことができます。

エレクトロニックでありながらあったかい。

これはストレートなラブソングを作りつづけてきたKANさんの人柄によるものかもしれません。

ぼくはインディーズのひねくれた前衛的な曲も随分聴いてきました。ネガティブな文章も読んだり書いたりしてきたのですが、基本的にはストレートに、まっすぐに想いを表現するひとに惹かれます。そんなわけでKANさんのこの曲に惹かれたのかもしれない、などとそんなことを考えました。

音楽に関わらず「エレクトロニックでありながらあったかい」ものに、今後も惹かれていくのではないかと感じています。テクノロジー(技術)と人間性が重なりあう場所に、ぼくは関心があります。

投稿者 birdwing 日時: 20:47 | | トラックバック

2010年3月13日

[DTM作品] mizu_no_wakusei(水の惑星)

和歌山県太地町のイルカ漁を題材にした長編ドキュメンタリー映画「ザ・コーブ(the cove)」が、アカデミー賞を受賞しました。「わんぱくフリッパー」の調教師リック・オバリーを含む撮影隊が、隠し撮りによってフィルムに収めた作品であるとのこと。

ただ、ぼくは多くのひとと同様、このニュースをきいてとても居心地の悪い印象を受けました。というのは、日本人全体がおとなしいイルカを殺戮しているようなイメージにとらえられ、批判の対象になっている気がしてならないからです。

ぼくはイルカの肉を食べたことがありません。

クジラの肉は、ちいさな頃に学校給食で竜田揚げを食べた記憶があります。ウシやブタの肉なら日常でずいぶん食べています。ときにはウマやヒツジもおいしくいただきますが、イルカを漁で捕獲することがいけないのであれば、なぜ他の動物たちはいけないのでしょう。極論をいってしまえば、トマトやニンジンだって生命です。イルカだけが槍玉にあげられるのは何か納得がいかない。

生態系(エコシステム)の連鎖のなかで、ぼくらは他の生き物たちを食することによって生きています。全体論でくくるべきではないのかもしれませんが、自然に生かされているぼくらのちっぽけな存在の有難さを感じ取る必要はあります。他の動物を食することで自分の生命を維持している、ということ。食べ物であると同時に、すべての生き物は同じ地球上に棲む仲間でもあります。

ということを考えながら曲を作りました。今回もエレクトロニカ風の曲です。タイトルは「水の惑星(mizu_no_wakusei)」としました。ブログで公開します。お聴きください。


■mizu_no_wakusei 水の惑星(4分13秒 5.78MB 192kbps)

作曲・プログラミング:BirdWing


すこし「ザ・コーブ(the cove)」の映画の話に戻ります。池田信夫さんがブログで批判されていました。とても共感したので、3月10日の「エコロジーという自民族中心主義」というエントリを引用します。

イルカを年2万頭殺すことが残虐なら、年3500万頭の牛を殺すアメリカ人は何なのか。デリダもいうように、高等動物と下等動物の区別には意味がなく、人間と動物の境界も恣意的なものだ。たとえば新生児を殺したら殺人だが、妊娠3ヶ月で中絶するのは犯罪にはならない。逆に、かつては老人を「姥捨て山」に遺棄することは犯罪ではなかった。殺してはならないものの境界を決めるのはそれぞれの時代や地域の文化であり、絶対的な基準はない。

ところがキリスト教文化圏は、すべての人類に普遍的な倫理があると信じる特異な地域だ。さらに人間が神の姿に似せてつくられたという特権意識をもち、すべての動物は人間のために殺されるのが当然だと考える人間中心主義が強い。「イルカは賢いから殺すな」という主張の根底には、黒人などの「劣った民族」は殺しても奴隷にしてもよいという自民族中心主義がある。

池田信夫さんは日本をバッシングする「政治的意図」を危惧されています。自分たちの文化は棚上げして他の文化を批判あるいは排除しようとする「自民族中心主義」には、確かに危険性が潜むと感じ取りました。

閑話休題。

音楽でイルカというとおもい出すのは、ネオアコ系のオレンジジュースというバンドの次のアルバムです。ぼくの音楽とは関係ないのですが、ジャケットを掲載しておきます。

B0000565U9キャント・ハイド・ユア・ラヴ・フォーエヴァー
オレンジ・ジュース
ポリドール 1998-03-25

by G-Tools

「水の惑星(mizu_no_wakusei)」の制作メモです。

今回はSONAR付属のGrooveSynthとフリーソフト中心で作りました。イメージとしては広い海原をパッド系のシンセで、あとクジラの鳴き声のようなリフをフリーシンセのminimogueVA、イルカあるいは海鳥の鳴き声をGrooveSynthで作っています。

minimogueVAの操作パネルはこんな感じ。アナログ風です。今回はプリセット音のSoft Mini Sweepをベースにして、つまみをいじって音作りをしました。

100313_minimoog_re.jpg

ドラムスはフリーシンセのRhythms v3.6.1です。テクノ系の音作りにはいい。操作パネルはつまみが並んでいますが、プリセットを利用。コンプレッサーを強めにかけて、低音をイコライザーで持ち上げています。

100313_rhythm_re.jpg

ところで、制作中にトラブルが多発で苦労しました。まずは、いい感じになってきたなあ・・・とおもったらソフトウェアがフリーズ。作ったデータが跡形もなく消えていました。それこそ"海の藻屑"です。調べてみると音声ファイルにミックスダウンした部分だけ多少保存されていたので、そのファイルを利用しつつ制作。しかし非力なPCには限界らしく、ソフトウェア上ではドロップアウトして再生できなくなってしまい、試しにエクスポートしてみたところミックスダウンが書き出せたので、やっと完成した次第です。

インスパイアを受けたのは、特定のミュージシャンではなくサイトの音楽でした。まずは、ユニクロのUNIQLOCK。音楽を担当しているFPMについては、ブルータス2/15「吉本隆明特集」号の記事で知りました。以下では音を消していますので、右下の音声ボタンを押して音楽をお聴きください。

もうひとつは、ソニーエリクソンから発表された新しいケータイXPERIAのサイト。アンドロイドというOSによる携帯電話ですが、さすがにソニーエリクソンだけあってかっこいい。こんな音楽作ってみたいなあ、と。

100313_experia.jpg

と、このようにつれづれに書き進めてみて、イルカ捕獲の問題と音楽の趣向は合致しにくいものがある、と感じました。海外ではトム・ヨークのように環境問題に関心を示しながら良質の音楽を作るアーティストがいます。思想的なものと音楽をうまく重ね合わせることができるといいのですが。大きな(自分にはあまりにも大きすぎる)課題です。

投稿者 birdwing 日時: 18:32 | | トラックバック

2010年3月 6日

[DTM作品] TOHO(徒歩)

やっちゃったな、とおもうときがあります。たとえば酔っ払って電車で帰宅する途中に眠り込んで、自宅の最寄駅で降りずに通過してしまったとき。

反対方面に引き返す電車があれば逆の路線に乗って戻ればいいのですが、眠りこけていた電車が終電だったりするといけない。帰れません。ひと駅どころか、いくつも駅を乗り過ごしてしまうと悲惨です。

かつて惰眠を貪って駅を乗り過ごして、終電がなくなっていたので、5000円ぐらいタクシー代を払って帰宅したことがありました。あるいは、3駅の距離を線路に沿って歩いて帰ったこともあったっけ。東京都内に住んでいるからまだラッキーなのですが、郊外では、そうもいかないでしょう。

しかし、考えようによっては、春先のコートが要らなくなった時期に、ほろ酔い気分で隣駅で途中下車して、ぶらりと歩いて帰るのもよいものです。

楽しかったどんちゃん騒ぎを思い出しながら、街灯に照らされた静かな道を歩く。街灯のあかりを逆光に、ぼうっと霞んだサクラの花が美しい。ところどころにあるコンビニエンスストアのあかりが、みょうにあたたかい。見上げるとネガポジの反転した雲の向こうに月が出ている。月はうっすら鋭利な刃のように輝いた下弦の月かもしれません。まだ開いている飲み屋からは、陽気な笑い声が聞こえてきたりする。

と、そんな情景を曲にしてみました(笑)。

タイトルは「徒歩(TOHO)」です。タイトル的にいかがなものか、とおもったのですが、考えに耽りながら歩くので、途方に暮れることの「途方」かもしれません。あるいは「とほほ」のTOHOかも。東方神起の東方ではないですね、たぶん。

ブログで公開します。お聴きください。


■TOHO 徒歩(3分12秒 4.39MB 192kbps)

作曲・プログラミング:BirdWing


いままでジャズ風の曲をいくつか作ったのですが、一転してエレクトロニカです。制作上の手法も、通常はピアノロールという方眼紙のような画面にマウスで音を置いていくのですが、今回は、音声ファイルの切り貼りです。4小節だけ打ち込んで、その音を音声ファイルに変換し、切ったり貼ったり裏返したり(リバース、逆回転)、そんな手法で作っています。絵に喩えると、通常は点描画なのですが、今回は切り絵という感じでしょうか。

ほんとうは最近よく聴いている武満徹さんの音楽のような、幽玄というか妖しい曲を作りたいとおもいました。しかし、とても無理だと断念。無難なエレクトロニカ方面に匙を投げてしまいました。

ところで、自作曲とはほとんど関係がないのですが、ブログを書きながらエレクトロニカや効果音の処理でおもい出したアーティストがいくつかあります。そのことについてあらためて書いてみようとおもいます。

サンプリングした音の切り貼りや、ノイズをはじめ自然音などを効果音として加えることは、エレクトロニカでは当たり前の手法です。一昨年頃インディーズのエレクトロニカに嵌まり、CDショップで試聴して手当たり次第アルバムを購入していた時期がありました。その当時好きで何度もヘヴィーローテーションしていたausという日本人アーティストの「Halo」をYouTubeから引用します。


■Halo - Aus


キラキラしたせつない音が綺麗です。天気のいい朝、この曲をiPodで聴きながら電車に乗っていたら、なんとなくトリップした気分になったことがありました。これは「LANG」というアルバムに入っている曲ですが「Antwarps」というアルバムも持っています。

ジャズでは菊地成孔さんも演奏に取り入れていました。ライブでそのまま弾いた音をプレイバックして、逆回転させたり、エフェクト処理するところが以下のYouTubeでみることができます。


■菊地成孔ダブ・セクステット - Dub Liz


ピアノの上にもパッド系のコントローラーが置いてあります。弾いたメロディをその場でサンプリングし、逆回転などの効果を加えて、生演奏に合わせてリアルタイムで再生しているようです。

最後に自作の「TOHO(徒歩)」に戻って、こまかい制作メモを残しておきます。

今回ピアノとドラムス(FX)はTTS-1です。ドラムスといっても通常のセットではなく効果音を使い、心臓の鼓動の音がバス、靴で歩く音がスネアです。ピアノは逆回転させるとともに、一部のトラックにはサラウンドをかけました。

他のシンセらしい音はフリー(無料)VSTi音源では定番のCrystalを使っています。やはりエレクトロニカを熱心に聴いていた頃とその数年前には、無料のソフトウェアシンセをネットで探しては試していたものでした。こんなに凝った音づくりができる音源がフリーで配布されているのか!と驚きました。以降、まったく探究心が失われてしまったのだけれど、最近はどうなっているのだろう。

Crystalの操作画面はこんな感じです。波形のカーブなどが、機械ごころをくすぐります。といってもプリセット音をいじったことがないのですが。

100306_crystal2_re.jpg

ぽかぽか春のような陽気の日があるとおもうと、一転して雨降りの肌寒い鬱陶しい日になり、気を緩めることができません。これから卒業・入学シーズンも迎えて、サクラの花も咲きはじめる時期です。コートを手放して散歩が楽しめるような季節になるといいですね。

投稿者 birdwing 日時: 19:33 | | トラックバック

2010年3月 2日

工藤重典/武満徹:フルート作品集~巡り

▼music10-03:みえない風の音を視る、不思議な邂逅。

武満徹:フルート作品集~巡り
工藤重典
武満徹:フルート作品集~巡り
曲名リスト
1. そして,それが風であることを知った
2. 巡り
3. マスク
4. 海へ3
5. エア

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武満徹さんの音楽には、相反するものが混沌のなかに投げ込まれている印象があります。妖しさと硬質さと、力強さと儚さと、ぬくもりと尖った刃のような冷たさと。異質な要素のカオスのなかで音が渦巻く感じ。

オーケストラと尺八や琵琶で構成された「秋」などにはまた違った趣きがあるのですが、フルートを中心にハープ、ヴィオラで構成された「武満徹:フルート作品集~巡り」は、研ぎ澄まされた音でありながら癒されるアルバムでした。

かつてぼくは武満徹さんの音楽が苦手でした。これは自分には合わないな、と諦めてしまっていました。しかし、ふたたび彼の音楽にめぐりあって不思議なあたたかさを感じています。自分自身の何が変わってしまったのか。ぼくにも理解できません。戸惑っています。

遠い昔に読んだ本を読み直すと新しい発見があるように、あるいは読まず嫌いで放置していた作家の作品にあらためて嵌まるように、趣向は変化します。時期によっても、年齢によっても。

小説にしても音楽にしても、作品はその作品内で完結しているようにみえますが、実は受け手(読み手・聴き手など)に向かって開かれています。受け手の感受性や身体がどのような状態にあるかによって、読まれ方、聴こえ方も変わってくるのではないでしょうか。

ヴァイオリニストは、コンサート会場のコンディションに合わせて、調弦のヘルツ数を細かく変えるということをきいたことがあります。本来であれば、そのようにして「場」ごとに作品も微妙に調整され、作り変えられるべきなのかもしれません。また、真剣に読む/聴くのであれば、作品は人生と同じように一回性のものであり、読むたび聴くたびに受け手のなかで生成され消えていくものが理想であるとも考えられます。

そもそもぼくはクラシックの初心者であり(昨年あたりから集中して聴くようになったばかり)、現代音楽に関しては知識ばかりで、きちんと触れたことがありませんでした。

しかし、この武満徹さんのフルート作品集は、そんな自分にしっくり馴染むものでした。ありがたいことにTwitterで教えてくれた方のおすすめだったので、良い作品であることは間違いないのだけれど、耳が求めていたというか、ぴったりと嵌まった感覚に自分でも驚きました。

同時に、フルートという楽器の可能性を知る契機にもなりました。

クラシック初心者だけに、フルートといえば高音で可愛らしい音色を奏でる笛だとばかりおもっていたのですが、武満徹さんの作品のなかでは、ぶおーっという迫力のある音も聴くことができます。きれいな旋律だけでなく、幽玄の響きもあります。まるで尺八のようです。楽器に対する認識をあらたにしました。

それは武満徹さんが、フルートという楽器に特別な思い入れがあったからかもしれません。以下、ライナーノーツから引用します。

フルートは武満徹にとってピアノと同じように身近な楽器である。武満は作曲を始めた初期からフルートのための曲を書き、半世紀に及ぶ創作活動の最後の作品となったのは、フルート・ソロのための<エア>(1995)だった。声高になることなく、また威圧的になることもなく、つねに柔らかさを保ちつつ微妙な音の移ろいを託しうるフルートは、おそらく武満にとって等身大の楽器だったのだろう。

アルバムのなかには7つのトラックが収録されているのですが、ぼくが最も好きなのは、1番目「そして、それが風であることを知った」です。

このタイトルについては非常に詩的だなと感じたのですが、実際にエミリー・ディキンソン(Wikipediaの解説はこちら)の詩の一節から取ったそうです。この詩人のことをぼくはまったく知らなかったのですが、Wikipediaの解説を読んで興味を持ちました。神秘主義的な傾向があり、それが武満徹さんの趣向とも合致したのでしょう。

ネットで検索したところ、「そして、それが風であることを知った」という一節を含むエミリー・ディキンソンの詩をYuuki Ohtaさんが翻訳されていました(ページはこちら)。以下、引用させていただきます。

雨のように、曲がるまでそれは鳴っていた
そして、それが風であることを知った----
波のように濡れた歩みで
しかし乾いた砂のように掃いた----
それが自分自身を何処か遠くの
高原へ押し去ってしまったとき
大勢の足音が近づくのを聞いた
それはまさしく雨であった----
それは井戸を満たし、小池を喜ばせた
それは路上で震えて歌った----
それは丘の蛇口を引っぱりだして
洪水を未知の国へ旅立たせた----
それは土地をゆるめ、海を持ち上げ
そしてあらゆる中心をかき回した
つむじ風と雲の車輪に乗って
去っていったエリヤのように。

この詩のなかで、風は木の葉を揺らすざわめきの音、でしょうか。直喩で「雨のように、曲がるまでそれは鳴っていた」ことによって、詩のなかの<私>は、ざわめきが風であったことを知ります。次の行にも関連して、「波のように濡れた歩み」「乾いた砂のように掃いた」という「雨の音=波の音、砂の音」というざらついた音の連鎖を生むことによって、風というみえない音の動きを、詩人はことばで追いかけていきます。

間接的に海あるいは水(波)へのイメージを喚起していることが、「海へ」「ウォーター・ドリーミング」のように水をモチーフとすることが多かった武満徹さんの琴線に触れたのかもしれません。「風」自体も彼にとっては重要なモチーフのようです。ライナーノーツによると次のように述べているそうです。

「人間の意識の中に吹き続けている、眼に見えない、風のような、魂(無意識の心)の気配を主題としている」と作曲者は述べている。

風は眼にみえませんが、木の葉の揺れ、水面の波紋、巻き上がる砂埃のように、他の物質とかかわることで視覚化されます。そして魂のゆらぎも、叫びや声にならない唇のわななき、ぎゅっと握った拳の震えなどで表現されます。そして大切なのは「気配」です。はっきりと言葉化されたものではいけない。感じられるけれど、ことばにならないもの。吹き抜ける透明な風=魂を表現するには、やはりフルートという楽器でなければならなかったのでしょう。

ところで、文学的なイメージはともかく、音楽的な技巧としてはライナーノーツで次のように解説されています。

6音の上行形モチーフが、ハープのハーモニクス、ヴィオラのノン・ヴィブラート、指板の上を弾くスル・タスト等の特殊奏法により、肉の厚みを削がれた静かな音で奏される。フルートも通常の奏法のほか、ハーモニクス、フラクター・タンギング等をはさむ。

・・・専門的でわかりません(涙)。ハーモニクスぐらいの用語であれば、ギターにもあるのでわかるのですが。ただ通常の奏法ではない凝った音であることは、実際に楽曲を聴けばわかります。どの音がどの奏法かはわかりませんが。

「そして、それが風であることを知った」に焦点をあてましたが、彫刻家のイサム・ノグチを追悼して書かれた「巡り」、ふたつのフルートによって奏でられて能の女面に由来したタイトルの「マスク」、最後の作となった「エア」なども不思議と癒される曲です。

そして「海へ」。楽曲はもちろん、解説書を読んで注目したのは次の部分でした。

<海へⅠ>の前年の1980年に書いた<遠い呼び声の彼方へ!>(1980)では、河が流れて調性の海に入る光景を設定され、海の綴りのSeaからとったes(S)-e(e)-a(a)の3音に始まる6音の音階が使われている。

「海へ」にもes-e-aのモチーフが使われているそうです。おもわず、にやりでした。ブラームスの弦楽六重奏曲第2番の第1楽章にも「アガーテ音型」と呼ばれる音があることを知り、以前ブログに書きました(「音楽という、ことば。」)。アガーテというのはブラームスが失恋した相手の名前で、難しそうな顔をしているけれどブラームスってロマンティストなんだな、と微笑ましかった。あまり音楽と関係のないところで凝りすぎるのもどうかとおもいますが、こういう記号的な隠しワザが個人的には大好きです。

いまも「巡り」のアルバムを聴きながら文章を書いているのですが、とても落ち着きます。西洋の楽器を使った音楽でありながら、武満徹さんの作品は「和」のイメージがあります。できれば、障子や襖のある部屋で和服を着て、正座をして瞑想しながら聴きたい。

現代音楽には縁がない。ずっとそうおもい込んでいました。ところが意外な「巡り」あわせに自分でも首を傾げながら、何度も繰り返し武満徹さんの音楽を聴いています。

投稿者 birdwing 日時: 22:37 | | トラックバック

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