2010年6月28日
iPadの衝撃、ふたたび。
iPadにつづいてiPhone4が登場して、アップル製品がますます話題を呼ぶようになりましたね。
残念ながらぼくの携帯電話はiPhoneではありません。しかし、わが家のiPadは購入からおよそ1ヶ月が経過して、ファミリーマシンとしての確固としたポジションを築いています。予想以上に利用頻度が高く、使いたいなとおもうと、必ず家族の誰かが使っています。もう1個欲しかったとおもうぐらいです。
ゲームができると知って、子供たちにさっそく奪われました。初期インストールされていたアプリでは「写真」は家族の写真を取り込み、「カレンダー」には家族の予定を記入して情報を共有しています。SafariやYouTubeは延々と「へんないきもの」の動画を探したり、気になったキーワードを検索したり。地図アプリも近所の情報を再確認するなど重宝しています。
仕事系とコミュニケーション系のアプリはまったくなし。仕事に使うならウィンドウズマシンと考えているのでiPadを仕事に使う用途がみつかりません。使いはじめたら有用だとはおもうのですが、とにかくウチではiPadはリビング専用マシンです。ちなみに教育系のアプリとしては「元素図鑑」がずうっと気になっているのだけれど、1,600円は高い。
さて。いままで購入したアプリを整理するとともに、これは!とおもったアプリについて感想を書いてみたいとおもいました。
カテゴリーごと購入したアプリを列記しつつ、無料でダウンロードしたアプリは数え切れないので、厳選してみます。ひじょーに偏った趣味なのですが、iPadユーザーのご参考まで。
※補足ですが、iPadのスクリーンショットは、ホームボタン+電源ボタンです。画像は「写真」(PNGファイル)として保存されます。
■ブック
≪購入≫
・i文庫(HD) ¥700
・数学ガール ¥900
≪無料≫
・「藍色の蟇」大手拓次(i文庫)
・「ガリ版の話」津野海太郎(理想書店)
・「テロメアの帽子HD」
・「志高く 孫正義正伝」
電子書籍リーダーとして期待されるiPad。しかし、実際の感触として、680g(Wi-Fiモデル)はまだリーダーとして重い気がしました。片手で持つには腕力がいる。ちょっとしたダンベルとして腕が鍛えられるのかもしれないけれど率直にいって重いです。また、画面全体が明るい印象なので、すこし輝度を落としたり、背景の色を変えたほうが目にやさしいかもしれません。
以下、紙の本が発行されているものは、紙の本のリンクも貼っておきます。
結城浩さんの「数学ガール」は読みはじめたばかりです。同級生と後輩のふたりの美少女から数学を教えられたり教えたりする主人公が羨ましくもあり、数学の「解くことの楽しさ」をあらためて感じさせる本です。
数学ガール 結城 浩 ソフトバンククリエイティブ 2007-06-27 by G-Tools |
正直なところ高校時代に数学は最も苦手でした。しかし、どちらかといえば無機的に殺伐としたものとして感じていた数学ですが、この本のように物語形式によって対話で解かれていくと親近感をもつことができました。最後まで読み終えられるかどうか不安ですが。
「テロメアの帽子HD」はゲノムについてわかりやすく書かれた絵本。とぼけたキャラクターがいい感じです。電子書籍の絵本らしく、ページをめくる音が出ることはもちろん、アニメーションでイラストが動いたり、日本語だけでなく英語のナレーションも用意されています。サイエンス系の絵本は電子書籍という媒体にぴったりです。増えてほしいですね。
「志高く 孫正義正伝」も読書中。ソフトバンクの孫正義さんの起業家としての熱い志に打たれます。これもまたiPadにはぴったりの書籍。
志高く 孫正義正伝 完全版 (じっぴセレクト) 井上 篤夫 実業之日本社 2007-07-20 by G-Tools |
ページをめくる腕を鍛えつつ、電子書籍で上記の本を読んでいます。
■ゲーム
≪購入≫
・10 pinShuffle ¥450
・iFish Pond ¥350
・Labyrinth 2 HD ¥900
・Pinball HD ¥350
≪無料≫
・MultiPong
・DismountLite
・ACrawlerHD
・フーフーミントン
・太鼓の達人
・対極!!将棋
「iFish Pond」は釣りゲーですがリアルな映像が楽しい。アプリを立ち上げると池にさざなみが立ち、鯉のようなサカナが泳いでいます。水面に指をふれると、ちゃぷちゃぷと音がして揺れる。これが気持ちいい。背景も4画面から選ぶことができて、鳥や虫の声の効果音にも和みます。癒されます。
そういえばマイクロソフト社が、かつてサーフェスというインターフェースを開発していたことをおもい出しました(関連記事はこちら)。ガラスのテーブルがタッチパネルになっていて、その上で写真を選んだり、「iFish Pond」と同じように水面の画面に指で触れると波紋ができる。凄いなあ!とおもったのですが、その環境が数年も経たないうちにいまここにあるわけです。時代の急速な変化を感じました。21世紀だ。
加速度センサーによって球を転がす「Labyrinth 2 HD」は子供たちが嵌まっていました。また、ブラックなのだけれども、階段から突き落として骨折の度合いで点数を稼ぐ「DismountLite」もユニークです。さすがに、ちょっとこれは・・・と眉をひそめましたが。
■音楽
≪購入≫
・iELECTRIBE ¥1,200
・ProKeys ¥230
≪無料≫
・Beatwave
・Soundrop Free
・Virtuoso
・JamPad
・SonataNote
・AirGuitar
・GrooveMaker
・iRelax
・Shiny Drum
・digidrummer Lite
KORGの「iELECTRIBE」。いろいろとできそうなのですが、使いこなせていません(涙)。ほかにも有料版の音楽アプリにはシーケンサーや多重録音のHDレコーダーもあるようなので、興味津々です。
「ProKeys」は最初はLite版(無償)を使用。安いので有料版を購入してみました。上下2段の鍵盤が使えるのですが、録音することも可能です。指先によるリアルタイム録音で、試しに音を作ってみました。
※以下はFlashのMP3プレイヤーです。白い棒の左端を押すと音が再生されます。音量は変えられません。お手数ですがPCで調節をお願いします。
○ProKeysデモ(BirdWing作)
まずドラムをパッドで打って録音。指先ドラマーという感じでしょうか。それを再生しながら「Organica」というプリセットでコードを弾きました。なかなか幻想的ないい音です。リバーブのエフェクトもかけられます。鍵盤がちいさいし、そもそもぼくは鍵盤が弾けないので音がびみょうにズレていますが愛嬌ということで。
iPadの大きさとタッチパネルのインターフェースから、ヤマハのTENORI-ONやmonomeのようなシーケンサー(関連記事はこちら)がないかなあ、とおもって探したらやっぱりありました。「Beatwave」です。
垂直18(うち2つはリズム)×水平16のマトリックスをタップすることで、16ステップのシーケンサーになっています。垂直方向は音程、水平方向は左から右へリズムで、リアルタイムで打ち込みが可能です。
これもちょこっと打ち込んでみました。
○Beatwaveデモ(BirdWing作)
音の位置によって、さまざまな色がディスプレイに表示されます。これは楽しい。音色は有料で追加できるようになっています。シンプルですが、4つのトラックが用意されていて、トラックの音量やパン(定位)など変えられる。細かい配慮がなかなか素敵です。
偶然性の音楽という意味では「Soundrop Free」も楽しめました。
左端から白い点が落ちてきます。その点の先に指先で線を引くと、その線に点がはねかえって音が出る。はねかえった先にまた線を引くと、それが音になる。マリンバのような音色です。NHKで放映されていた番組「"スコラ" 坂本龍一 音楽の学校」のタイトルミュージックのような感じでしょうか。雨音の滴を音楽にしていくような面白さがあります。
上のシンプルな点と線の画面から、こんな音が出ます。
○Soundrop Freeデモ(BirdWing作)
■ビジュアル・3D
≪無料≫
・Sunny3D
最後にお絵描きソフト。ふつうのドローイングソフトやレタッチソフトでは特に目新しいものはないなあ、とおもっていたところ「おおっ?!」と目を引いたのが3D描画ソフトの「Sunny3D」でした。これは凄い。
やや操作がわかりにくいところはあるのですが、くるっと指先で描いただけで立体ができあがる。この素早さには驚きます。子供たちに使わせてみたところ、あっという間に次のようなみょうな生き物たちを作り出しました。
ギャラリーでは実際に作ったものを、指先でぐりぐり回転させたりズームイン/アウトすることができます。また、iPhone用のアプリもあるようです。
あとはこの3Dの怪獣たちを動かすことができれば、あっという間にアニメーションやゲームなどを作ることができるでしょう。YouTubeでアマチュアの方がアップロードした凝ったアニメーションを観たことがありました。しかし、アプリさえあれば小学生にも3Dが作れます。
次男は怪獣の絵を描くのが好きで、最近では紙を丸めて怪獣を造形するようになりました。その延長線上でコンピュータグラフィックにもすっと入っていくことができるようです。卵が描かれていて、そのなかを拡大すると怪獣がいる、というようなCGも自分で考え出して描いていました。びっくりしました。
*****
iPadの発売以降、テレビでCMも頻繁にみかけるようになりました。
CMのメッセージに頷ける部分が多くあります。たとえばアプリケーションは確実に増えつづけていて、毎日アプリのランキングをみるのが楽しみになっています。いくらポータブルだといっても、さすがにバイクの二人乗りの後ろでiPadを抱えるようなことはできませんが、「世界を変えてしまう革命がいま、はじまった」とナレーションにあるように、わが家のリビングというちいさな世界を起点に、家族の生活を変えつつあります。
変化というものは急激に変わるものではなく、じわじわと変わっていくものなのかもしれません。いちばん身近なところから。
投稿者 birdwing 日時: 21:00 | パーマリンク | トラックバック
2010年6月23日
「女は男の指を見る」竹内久美子
▼book10-10:繁殖戦略の観点からみれば。
女は男の指を見る (新潮新書) 竹内 久美子 新潮社 2010-04 by G-Tools |
男性の指にこだわる女性は魅力的である。個人的な印象ですが、指フェチの女性には素敵な方が多いのではないかという直感を以前から抱いていました。根拠はありません。ただ、なんとなく。
しかし、竹内久美子さんの「女は男の指を見る」という本のタイトルをみつけて、はっとおもうと同時に、ページをめくって「女性が気になる男性のパーツ」というAll Aboutの2006年アンケート1位が「手(指含む)」であることを知りました(3位は「腕、二の腕」)。多くの女性が男性の指に関心があったのですね。
また、「はじめに」に掲載されていた記事で、敏腕トレーダーは薬指が長く、年収差は7,800万円にもなるということを読んでショックを受けました。これは侮れない。できる男の指は長いらしい。女性は優秀な子孫を残すという生殖本能から男の指を評価していたのでしょうか。
この本を読み進んでいくと、まったくその通りらしいのです。指フェチをみずから表明しているいないにかかわらず意識的であっても無意識であっても、男性の指は生物学的に「できる男(=生殖能力的に強い男)」としての評価基準とのこと。そうだったのか! 石川啄木ではないのですが、じっと手をみてしまいました。ちょっとさびしげに(苦笑)。
ちなみにぼくは、指コンプレックスがあります。親父は、ごつごつとした男らしい長い指だったのですが(弟も同じ)、母親は短い寸胴の指で、残念ながらぼくは母親のほうの遺伝子を継承したらしいのです。かっこ悪いとおもうだけでなく、実際にベースなどの楽器を弾くときにもフレットが押さえにくくて苦労しました。恥を忍んで晒してみます。こんな指です。
薬指の長さは、人差し指に対する相対的な長さ(指比)を問題にするようです。竹内久美子さんは、男性ホルモンの代表であるテストステロンのレヴェルに密接に関連していると解説されています。
また、薬指は「飾りの指」であるとのこと。「うぃっしゅ」のポーズ(中指と薬指を折る)ときなどに人差し指や中指に比べて薬指が動かしにくいということから、薬指にはものをつかむ役割はあまりなく、薬指が長いことは、男性が生殖機能にすぐれていることを誇示している「飾り」というわけです。
結婚指輪を薬指に嵌めるのも、素敵な男性の薬指に結婚した女からの警告を示すためとのこと。そうだったのか。そういえば薬指に関しておもい出したのですが、小川洋子さんに「薬指の標本」という著書があったっけ。映画も観ました。
強烈に納得したのは、遺伝子による裏づけです。Hox遺伝子という遺伝子があるそうですが、遺伝子の並んでいる順は、ほぼ身体の各部位に対応するそうです。つまり次のようなことです(P.63)。
ということは、だ。胴体の末端である生殖器や泌尿器と、腕や脚の末端である指とは、共通のHox遺伝子によって作られていることになる。工事の担当者が同じなら、その「出来上がり具合」も同じレヴェルになっているはずだ。
女が男の指についてあれこれ品定めする。それは、まさにその男の生殖器とその質のほどを評価していることになるのではないでしょうか。指がセクシーに感じられるのは、こういう事情があるからに違いないと思ったからです。
したがって、次のような推測が導かれます(P.73)。
女は男の指を見て彼の生殖器の出来具合、生殖能力のほどを見抜いています。
さらにスポーツマンやミュージシャンはモテますが、それは彼らがテストステロン・レヴェルが高くて生殖能力が高いから。それがスポーツや音楽の才能を通じて表れている。女は直接指を見なくても、それらの能力を手がかりに生殖能力の高い男を選んでいるということになります。指にはまた、その動かぬ証拠が表れていて、マニングらの研究によれば指比の低い男は、精子の数が多く、質もよいことがわかっています。
Hox遺伝子の研究者であるマニングは「二本指の法則」という本を書いているようですが、ここには指と生殖器の大きさに関する研究が登場するそうです。52人の若者の人差し指を測定し「痛くない程度に、きわめてゆっくり伸ばしたペニスの長さ」(これってびみょう。苦笑)のほか身体の各部位の長さも記録すると、人差し指の長さとペニスの長さに大きな相関がみられたとのこと。
ちなみにもっとぶっ飛んだ研究をしている学者もいるようで、ベイカーとベリスの「サクション・ピストン仮説」は、ほーとおもうと同時に困惑しました。なぜペニスが太く、あんなカタチ(先に返しがある)かについて考察しているのですが、複数の男性と交わる乱婚的な精子競争において「前に射精した男の精子を掻き出す」必要があって進化したのではないかという仮説です(P.26)。
女の生殖器から先に入った精子を掻き出すわけだから、膣によりぴったりとフィットしなければならない。そういうことに優れている男ほど、他の男の精子をよく掻き出し、自分の精子で置き換え、卵を自分の精子でよく受精させる。つまりは自分の遺伝子をよく残すわけだから、そういう形質も次代にはよく伝わる。そしてまたそれよりも、もっと太く長く、返しもよくついたペニスが、遺伝子に突然変異が起きることで現れ・・・・・・という過程が繰り返され、男のペニスは今日、あのような立派な形にまで進化したのだというのです。
快楽(?)のために、でかければいいというわけではなく、強い遺伝子を残すための進化、免疫力の強さを示しているのでしょう。
次のような一節もありました(P.44)。
人間に限らず、動物が繁殖する際の一番の課題は何だと思われますか? お金や地位は、他の動物でいえば、まあ縄張りの質の高さや、集団内の順位などといった点と対応しなくもありませんが、違います。意外なことにそれは、バクテリア、ウィルス、寄生虫といった寄生者、つまりパラサイトに強いかどうか。免疫力の問題なのです。
免疫力に強い身体上の特長として、竹内久美子さんは、指のほかに「ハゲ」と「シンメトリー(身体の左右対称)」を挙げます。
「ハゲに胃ガンなし」という言い伝えがあるそうですが(はじめて聞いた)、実際に福岡県久留米市の脇坂外科に入院した1001人(男663人、女338人)のうち、胃ガンなしのグループでは四〇代でハゲが8.6%、五〇代では14.3%と、胃ガンありのグループに対して比率が高かったとのこと。
女性ホルモンのいくつかの総称であるエストロゲンに発ガン性があるらしく、男の胃ガン患者はテストロゲン・レヴェルが低く、エストロゲン・レヴェルが高いために発症率が高まったようです。ほかにも結核に強かったり、気管支ガン、肺気腫になりにくいとか。
テストステロンは男性を男性らしくすると同時に、ハゲさせてしまうという弊害(?)も、もたらすようです。さらに、中年以降、テストステロンの減少によって腹が出るようになる(P.99)。
男は普通、中年以降はテストステロン・レヴェルが下がってくる。ところが、そのテストステロンには脂肪を燃やす働きがあるのでお腹まわりを中心に残酷な状況がもたらされるわけです。
うーむ。中年のハゲとデブは、テストステロン・レヴェルの低下という部分で関連しているわけですね。男性ホルモンおそるべし。というか、コントロールしにくいから困ったものです。次のようにも書かれていました(P.100)。
アメリカの空軍の士官を対象にした研究によると、テストステロン・レヴェルは結婚すると下がり、離婚した場合には元のレヴェルに戻る。そもそも、テストステロンは攻撃や争い、特に女を巡って他の男と争うという行動に関係しています。だから女を手に入れたなら下がるのであり、また「争いの場」に出るとなれば戻るのです。
シンメトリー(左右対称)の男は「環境からのストレスを受けていない、あるいは受けていてもそれによく抵抗する力を持っていると考えられる」ので、免疫力の客観的なモノサシになるそうです。次のようにも書かれています(P.120)。
さらに人間の男では、シンメトリーな男は、精子の質がよく、数も多いということがわかっていて、そうしてみるなら先の三すくみは生殖能力と精子競争力も含めた問題になります。シンメトリーな男はまた、童貞を失うのが早い、浮気相手として人妻からよくオファーがかかる、女を効果的にイカせるなどの傾向があります(詳しくは『シンメトリーな男』文春文庫参照)。
ほんとかなあ。
ここで「三すくみ」というのは、テストステロン・レヴェル、男の魅力、シンメトリー(免疫力)という3つの要素のことです。
しかし、ストレスを感じると身体のバランスが崩れるということに関しては、経験的に異論がありません。もともと顔面は左右非対称なものですが、強いストレス下においては左右がアンバランスになって驚いたことがあったので。
ほかにも(個人的には)衝撃的な生物学的な見解がいくつも示されていました。たとえば竹内久美子さんは、HLA(Human Leukocyte Antigen:人白血球抗原)という遺伝子から、「自分となるべくかけ離れている相手ほどいい匂いだと感じることができるよう進化している」と解説します。つまり、性格や相性の問題だけでなく、レンアイの相手選びには免疫の弱点を補う相手を「いい匂い」であると遺伝子的に嗅ぎ分けているかもしれない、というわけです。ううむ。この分析、もうすこし知りたい。
人間の男の匂いとして第一に考えられるものはアンドステノールという物質(いわゆるジャコウ臭、ムスクの正体)で、これはテストステロンなどの男性ホルモンに構造がよく似ているそうです。シンメトリーな男はバクテリアの増殖を押さえるので臭くない。一方で免疫力の弱い男は、バクテリアを増長させるので臭いと考えられると書かれています。
遺伝子的な生殖競争について書かれていますが、その延長として過激にも浮気を擁護するような発言もあります(P.142)。
――浮気。
この浮気こそが人間を人間たらしめた原動力だと私は思うのです。
そもそも人間は男が女に求愛する際に、「口説く」。他のどんな動物もとりえない求愛方法を用います。もちろん初期の頃は言葉とは言えないような音声だったかもしれないが、よりうまく「口説い」た男がより多くの遺伝子のコピーを残す。そういう過程を経ることで言葉がより洗練されてきたはずです。
鳥の世界にも言及されていて、浮気がまったく見られない鳥(アメリカカケス、アカオカケス、クロコンドルなど)は外見の美しさにほとんど差がないのだけれど、「寝取られ率」の高い鳥ほどオスが色鮮やかだったり声が美しかったりするそうです(P.151)。
さらにオスとメスで外見に差がないが、寝取られ率が高い鳥もいます。ミヤマシトド(寝取られ率三六・〇%)がその例ですが、この鳥は歌がうまいことで有名で、外見ではなく、歌がオスの魅力になっている。彼等の場合にはこう議論できるでしょう。浮気をするほど歌がうまい。そう進化する、と。
これは納得。倫理的な観点を除外して語るならば、日本にも古代から異性に対する想いを歌にしたためた慣習があり、遺伝子や免疫性という絶対的な優位を乗り越えるためにも、オトコは身体を鍛えたり、楽器を上手く演奏できるように練習したり、ときには異性を口説くだけでなく、他の同性を論破するまでにことばを先鋭化させたりします。金やモノに対象を変えることもあるけれど、誤解を恐れずにいえば、根本的には狙った異性を手に入れるための努力です。結婚が、倫理観が、というのは、竹内久美子さんの言うように負け犬の論理に過ぎず、すべてが「繁殖戦略(P.165)」のひとつなのかもしれません。
さて、ここで最初のぼくの直感に戻ってみます。
黒川伊保子さんの音声と感性についての本や、竹内久美子さんの遺伝子からレンアイを解明する本など、個人的には非常に興味をそそられます。が、正直なところ、科学的な根拠についてまったく疑問がないとはいえません。やや首を傾げる箇所もあります。
が、しかし。竹内久美子さんが書かれている通り、男性の指にこだわる女性は、免疫力が高く良質の生殖機能をもった男性を品定めし、大勢の女性のなかから自分に関心を向かせる、ゲットする意識が高いと考えます。となると、いいオトコに注目されるために、女性も外見なり内面なりを磨かざるを得ません。ファッションやスタイルを洗練させることはもちろん、多様な知性を求めたり、向上心が高かったり、音楽や美術などゲイジュツに対する感性を追求するようになる。結果としてそういう女性は、いいオンナなのでは、と。
と、自分勝手に腑に落ちたのですが、いかがでしょう。女性側の意見も訊いてみたいところです。
投稿者 birdwing 日時: 20:41 | パーマリンク | トラックバック
2010年6月14日
「20歳のときに知っておきたかったこと スタンフォード大学集中講義」ティナ・シーリグ
▼book10-09:次世代のビジネスを担うひとの実践的な教育書として。
20歳のときに知っておきたかったこと スタンフォード大学集中講義 Tina Seelig 阪急コミュニケーションズ 2010-03-10 by G-Tools |
ぼくの父は教師でした。後継としてぼくも教師にしたかったようです。しかし、父の望みに反して教育とは遠い場所で働くようになって現在に至ります。はたしてそれがよかったことなのかどうか、いまでもわかりません。
子供の目から観察した親父の仕事は魅力的でした。実際に教壇に立つ父をみたことは一度もないのですが、夜遅くまで鉄筆でガリ版の試験問題を作る姿とか(当時の先生は業者のテストをそのまま使うなんてことはなかったのでは)、国語の教師だったので書斎に置かれた文学全集から調べものをする姿とか、裏方としての教師である父親の存在が幼い自分にとっては誇りでした。
一方で教師は閉鎖的でもあると感じました。子供ごころの思い上がった視点かもしれません。あるいはただ頑固な父を教師全体の象徴として偏見でみていたのかもしれません。そうして父の思惑通りにはならないという子供っぽい反抗心と、もっと別の職業を体験してみたいという好奇心が、自分を教師ではない道に進ませました。
教師の子供だから、というわけでもないとおもうのですが、教育に関する議論には、いまでも関心があります。教育の現場にいるわけでもなく部外者なのだけれど、ひとこと言いたくなる。
教師の遺伝子あるいは血が疼くのでしょうか。しかし、教師という職業ではなかったとしても、ぼくらの周りには教育的な課題がいくつも転がっています。学生や社会人は後輩の指導、親であれば自分の子供の教育、そして自分自身の生涯教育。それらの課題のいくつかは「おれは教師じゃないから」と避けて通ることができません。
ティナ・シーリグの「20歳のときに知っておきたかったこと」は、起業家精神に焦点を当てた実践的なビジネス書です。しかし、ぼくは教育書としてこの本を読みました。教育はどうあるべきかについて考えさせてくれた本でした。
著者のティナ・シーリグは、スタンフォード大学で工学部に属するSTVP(スタンフォード・テクノロジーズ・ベンチャーズ・プログラム)の責任者を10年間務め、科学者や技術者に起業家精神を教え、起業家精神を発揮するためのツールを授けることに尽力されています。スタンフォード大学のSTVPで標榜する人材像については、次のように解説されています(P.19)。
目指しているのは「T字型の人材」の育成です。T字型の人材とは、少なくとも一つの専門分野で深い知識をもつと同時に、イノベーションと起業家精神に関する幅広い知識をもっていて、異分野の人たちとも積極的に連携して、アイディアを実現できる人たちです。
人材教育関連の本で「T字型人間」の解説は読んだことがありました。専門性を軸足に幅広い総合力を持った人材と認識しています。専門に偏りすぎるか、広く浅い知識にとどまるか、どちらかになりがちで、「T字型人間」は理想としては美しいのですが、なかなか実現できないと感じています。
ところで、ぼくは大学で文学を学びました。出席日数はぎりぎりで成績は最悪。ひどい不真面目な学生だったに関わらず、刺激的な先生や先輩、仲間たちに恵まれ、大学に行ってよかったとおもっています。
しかし、もっときちんと学んでおけばよかったと後悔していることは、ティナ・シーリグの述べているような、社会に出て組織のなかで創造性を発揮できる能力を鍛錬すればよかった、ということです。文学を軸足としたT字型のスキルというのは、いまひとつ即戦力に欠ける気もするのですが。
大学時代には、ミニコミ制作やテニス、音楽などのサークル活動や(節操がありませんでした)、書店におけるアルバイト(週に7日)などを通じて、学ぶことはたくさんありましたが、「異分野の人たちとも積極的に連携して、アイディアを実現できる」ような講義があれば、ぜったいに受けておきたかった。といっても考え方次第で、学ぶ側の意識を変えたなら、どんな講義も実践的な講義に変えることができたのかもしれません。
文学や哲学などアカデミックな研究に没頭できることは、大学に行くもっとも有意義な動機でしょう。デザインや音楽などのゲイジュツも同様です。
とはいえ、社会に出てからクリエイターやデザイナーなど直接には創造的な仕事に携わらなかったとしても、大学時代に柔軟な創造力を育成し、その創造力を基盤として、卒業後の生活をゆたかに変えていく力を得られる講義があれば、学生たちのスキルアップ向上はもちろん、なにより大学を開かれた魅力的な場に変えるのではないでしょうか。
ティナ・シーリグが演習で学生たちに出す課題は実践的です。クラスを14チームに分け、元手として5ドルの入った封筒を渡して、2時間以内にできるだけお金を増やすことが課題です。水曜日の午後から日曜日の夕方まで制限時間が与えられていますが、いったん封を開けたら、効率的に5ドルの「資産」を増やさなければなりません。
結果として最高で6000ドル以上を稼ぎ出したチームもあるとのこと。具体的に学生たちが企画したことは、レストランの行列待ちの代行、自転車のタイヤの空気圧を調べる、雨の日に傘を貸し出すなど、さまざまだったようです。その後は、封筒に入れる「資産」を5ドルではなく、クリップやポストイットなどに変えて(それらの文具を価値に変えることは難しそう)何度も思考力を鍛錬する演習を展開したそうです。面白いな、と感じつつ、もし自分が企画することを想像すると冷や汗が出ます。
すべての学部に同様の演習が必要であるとはおもいません。最近の大学の講義や演習がどうなっているのか知らないので、ひょっとしたら類似した演習を課している大学もあるかもしれません。けれども個人的な印象ですが、社会人を想定した大学の演習というと、どうしてもビジネス英語とかパソコンのプログラミングとか、ダブルスクールでも学べるような専門学校的な演習を想定してしまう。ティナ・シーリグのような実践的、創造的な演習は画期的にみえます。
ティナ・シーリグの演習は、さまざまな分野で応用が利くものであり、本書では、演習を通じて得たイノベーションのコツ、発想のノウハウが、惜しげもなく解説されていて、わくわくしました。創造性を養う、などと紋切型の教育目標はもっともらしく聞こえますが、「どのようにして」という実践事例にはあまり触れることができません。本書に書かれた具体例やエピソードは参考になります。
と、同時に、iPhoneやiPadによるアップルの快進撃などを眺めて、さらに若い世代に向けてこのような実践的なビジネス教育が徹底されているのであれば、次のアップルやグーグルが登場する可能性は多いにあります。日本ものんびりしていられないぞ、と痛感しました。
イノベーション、発想のノウハウのひとつとして、たとえばルールを破るということが解説されています。グーグルの共同創業者のラリー・ペイジは「できないことなどない、と呑んでかかることで、決まりきった枠からはみ出よう」と講演のなかで言っているそうです(P.47)。
また、開発途上国の起業家を支援するための「エンデバー」を立ち上げたリンダ・ロッテンバーグがアドバイザーから聞かされた教訓が引用されていて、なるほどとおもいました(P.64)。
戦闘機のパイロットの訓練生ふたりが、互いに教官から受けた指示を披露し合いました。ひとりが、「飛行の際のルールを一〇〇〇個習った」というのに対して、もうひとりは、「私が教えられたのは三つだけだ」と答えました。一〇〇〇個のパイロットは、自分の方が選択肢が多いのだと内心喜んだのですが、三個の方はこう言いました。「してはいけないことを三つ教えられたんだ。あとは自分次第だそうだ」。この逸話の要点は、すべきことをあれこれ挙げていくよりも、絶対にしてはいけないことを知っておく方がいい、ということです。そして、ルールと助言の大きな違いも教えてくれています。助言を吹き飛ばしてしまえば、ルールははるかに少なくなります。
詰め込み式の受験教育を連想しました。たくさんの知識を増やすことは、自分の引き出しを増やすという意味でも大事なことです。しかし、やってはいけないこと3つを完全に教え込んであとは自由・・・という教え方は、限りなく自由です。どちらが創造的かといえば、迷わず後者でしょう。
知識が増えると既存の知識に縛られることもあります。知っているからこそ動けなくなる。しかし、禁じられたこと、やっても無駄なこと以外は何をやってもよければ行動の範囲が広がります。失敗したら失敗から学べばいい。
ティナ・シーリグは、演習のなかで「失敗のレジュメ」を書くことを義務付けているそうです(P.88)。確かに失敗から学べることは多いし、失敗は挑戦した証ともいえます。リスクばかりを注視することによって行動を狭めてしまう。日本発の世界的ベンチャー企業が生まれにくい要因として、リスク(失敗)に対する評価が厳しいということもよく聞きます。
失敗を見極めることもポイントであると感じました。組織行動の専門家ロバート・サットンの文章の引用を引用します(P.96)。
何かを決める際には、過去にどれだけコストをかけたかを考えに入れるべきではない――たいていの人は、この原則を知っている。だが「投資しすぎて、引くに引けない症候群」はかなり強力だ。何年にもわたって努力や苦労を重ねてくると、つい正当化したくなり、自分自身にも周りにも「これはなにか価値や意味があるはずだ」とか「だからここまで賭けたのだ」と言ってしまう。
引き際は重要です。ティナ・シーリグの演習のなかでは、たとえば5ドルを2時間で増やすための演習で、自分たちの企画が想定通りにいかなかったり、失敗じゃないかと見通しができたとき、中止すべきか再挑戦を試みるべきか、チームのなかで学んでいくのでしょう。
ビジネスにおいては交渉が決裂するときもあります。このとき重要なことは、目前の問題だけでなく、いくつかの選択肢を考慮するということです。次のように書かれています(P.175)。
席を立つべきかどうかを決めるには、ほかの選択肢を知ることです。そうすれば目の前の取引とくらべることができます。交渉学ではこれを、BATNA(不調時対策案)といいます。交渉を始めるときには、BATNAを持っているべきです。
失敗を認めること、他の選択肢を考慮することは、簡単なようで簡単にはできません。本書で書かれている事柄は、社会のなかで実践できる「知恵」として提示されています。大学という狭い領域のなかだけで重宝され、実社会では利用されないアカデミックな「知識」ではありません。学生時代にこんな交渉論やコミュニケーション論を実践的に学びたかったなあ。
コミュニケーション論といえば、人間関係における著者の考え方にも、さりげないのですが、こころに染みるものがありました。「正しく行動することと、自分にとってベストの判断を正当化することには、大きな隔たりがあるということ」と前打って、彼女独自の人間関係の要諦を次のように書いています(P.182)。
あなたの行為は、あなたに対する周りの評価に影響します。そして、何度も言うように、いつかどこかでおなじ人に出会う可能性は高いのです。ほかのことはともかく、相手があなたの振舞いを覚えているのは確実です。
20代の頃、特に学生時代には刹那的になりがちです。都合が悪くなればリセットすればいいや、と安易に考えることもあり、一方的に交渉を決裂させたり、相手を破滅させるまで攻撃することもあるでしょう。いまの若い世代はどうかわかりませんが、ぼくはそうでした。
失敗をリセットしてやり直せることが若さの特権でもあります。柔軟性や再生能力があるので、破壊のなかから新しいものを作り出すことができます。しかし、「人生は続く」ということを、学生時代を遠く離れたいま、ぼくは痛感するようになりました。喧嘩した相手と決裂したとしても相手は消えてしまうわけではない。不快な思いをさせた相手と、またどこかでめぐり会う可能性はないとはいえない。社会は狭いのです。
さて、遠回りして再び教育についての考え方、そして教師であった父の印象に戻ると、ぼくは20歳の頃に、ビジネスの成功法則とともに、人生のよりよい生き方をオトナたちや父親から学びたかった、学んでおくべきでした。
20歳以前の年齢から、数学であれ文学であれ、教師は数式の解き方を教えたり文学の歴史を教えるだけではなく、学問の実践を通して生き方を習得させることが重要ではないでしょうか。子供は「未熟なオトナ」ではありません。オトナの可能性と未来を内包した存在です。その意味では、子供に内包された可能性や未来と向き合う必要があります。いや、個人的にぼくは、亡き父親にそんな自分と向き合ってほしかった。
子供の人生にまで(まして他人であればなおさら)関わっていられるか、そんなところまで責任取れないよ、という実感があるかもしれません。が、教師だけが担わされる役目ではなく、オトナたち全員が考えるべきでしょう。
英語のEducatoinには「引き出す」という意味の語源があることを、かつてどこかで読みました。親や教師などのオトナたちには、過去の知識を伝授するのではなく、若い世代における個人の生きる推進力を引き出し、社会に飛び出すための滑走路のような役目が求められるのではないか、とぼくは考えます。
もっとも不誠実なオトナは、若さや可能性に対する妬みや僻みによって若い世代の芽を潰してしまうひとびとです。もちろん老いたひとたちも生き残るために、次世代の新しい勢力との競争や衝突は避けられません。しかし、シニアだけが眼前のゆたかさを貪り、後継者たちを排除する社会は、いずれ活力を失って破綻することは目にみえています。
ティナ・シーリグは、彼女の授業で、パワーポイントの最後のスライドを次のように締めくくるようです(P.188)。
「光り輝くチャンスを逃すな」
20歳の頃には気付かなかったのですが、生きるということは、一瞬一瞬がチャンスの連続です。そして、チャンスは自分から掴みにいかなければ掴むことができません。同時に、オトナたちであるぼくらには、若い世代のチャンスをどれだけ作ることができるか、という役割が求められているのではないか、と考えます。
投稿者 birdwing 日時: 21:02 | パーマリンク | トラックバック