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2008年9月27日

風に吹かれて。

朝のプラットホームで電車を待っているあいだ、目の前にふわふわしたものが飛んできたなと思ったらタンポポの綿毛でした。秋ですね。

一直線にぼくの前を新宿方面に飛んでいくと、線路の上ですっと急にみえなくなった。どうやら線路の下に入ってしまったらしい。そんな場所で芽が出せるのだろうかと、朝の眠たい思考のままぼんやりと心配していたのですが、反対側を通過していく急行電車の突風に煽られてまた飛んでいった。今度は線路の上です。さらに風に吹かれて、行ったりきたりしているうちに、すごい勢いでどこかへ吹き飛ばされていってしまいました。びゅうううう、という具合に。

と、通勤電車の待ち時間に、タンポポの綿毛の飛行をみながら考えたのは、なんとはなしに人生についてのあれこれ、です。

自分の生き方を持つこと、主体的に生きることが重要であると語られることが多いのですが、風にまかせて飛んでいくタンポポのように、運命に身をゆだねてしまう生き方だってある。成り行きで無計画という気がしないでもないけれど、どこへ行くのか予測もつかない生き方は、ある意味、冒険でありスリリングです。

もちろんタンポポと違ってぼくらには意思があるから、ときには風に翻弄されることを疎ましく思うこともあるだろうし、冷たい線路の上に落ちた不遇をなげくことだってある。芽が出せない、花を咲かせることのできない不安や、思い通りにならない未来や、うまくいかない現在にアタマを抱えることもある。そんなに割り切れないものですよね。

でも、飛ばされた先の環境を受けとめながら、しなやかに生きていくことができたら、しあわせではないでしょうか。運命をはじめ、時代であるとか社会であるとか、自分の不遇をあらゆるもののせいにしていたらきりがありません。いま楽しめるはずの現実さえみえなくなってしまう。

ゆるすこと。漢字にすると、赦す、という文字かな。その言葉をいま、ぼくはとても大切に考えています。当然、ゆるせ!と誰かに強要するつもりはないし、共感を促すものでもありません。個人的にあれこれと考えて、さまざまなことを悩んでいくなかで、その言葉に辿りつきました。

運命に翻弄されて不遇に着地した自分をゆるす。ゆるしがたい感情で自分をなじる誰かをゆるす。うまくいかない仕事をゆるす。重くのしかかってくる人生の負荷をゆるす。で、どうするか。これはもう、生きていくしかないですね。あらゆる現実をゆるしながら。

過剰に前向きである必要はないし、頑張らなくてもいい。けれども、凹む必要はないし自分を卑下しなくていい。ときには愚痴をいってもかまわないし、めちゃめちゃ壊れてもいい。完全な自分である必要はないのだから、誰かとの関わりのなかで迷惑をかけたりかけられたりもあっていい。それでも、少しだけ長期的な視点からあらゆることをゆるして、現実を調和あるいは維持できたなら落ち着いて余裕のある気分で暮らしていけそうな気がします。

風まかせ、といっても、あらゆることに流されるのではなく、自分であることの核については忘れないでいたいですね。タンポポがふたばになって、やがてちいさな黄色い花を咲かせたとしても、綿毛であった頃の自分を忘れない、という感じ。不遇な環境に着地して根付いたとしても、空を飛んで風に乗っていた自分を内包しつつ、誰にも気付かない場所で花を咲かせていたい。

さて、「風に吹かれて」というタイトルで思い出すのは、ボブ・ディランの曲です。YouTubeから引用しようと思うのですが、コーラスのきれいなPPMの演奏を取り上げてみます。モノクロの映像も好みです。

■Blowing The Wind - Peter, Paul and Mary

ついでに英語の歌詞を引用しつつ(若干PPMの歌と違うのですが)、勝手に1番と3番を自分で訳してみます。英語力はないので、文法的な部分はよくわかりません。適当に意訳、ということで。

How many roads must a man walk down
Before you call him a man?
Yes, 'n' how many seas must a white dove sail
Before she sleeps in the sand?
Yes, 'n' how many times must the cannon balls fly
Before they're forever banned?
The answer, my friend, is blowin' in the wind,
The answer is blowin' in the wind.

どれぐらい
道をあるいたら
あなたに認められるひとになれるのだろう

いくつの
海を越えたら
白い鳩は砂のうえでやすらいで
眠れるのだろう

争いの砲弾の雨がいくつ降り注げば
闘いは永遠に終わるのだろう

ねえ、きみ
その答えは風に吹かれている
風のなかにある

How many times must a man look up
Before he can see the sky?
Yes, 'n' how many ears must one man have
Before he can hear people cry?
Yes, 'n' how many deaths will it take till he knows
That too many people have died?
The answer, my friend, is blowin' in the wind,
The answer is blowin' in the wind.

青空がみえるようになるには
どれぐらいの時間
見上げていればいい?

ひとびとのかなしみを
聴き取るためには
いくつの耳を持てばいいのだろう

どれだけのひとを傷つけて
死に追いやったなら
もう諍いはたくさんだとわかるのか

ねえ、きみ
その答えは風に吹かれている
風のなかにある

風に吹かれた答えは、まだみつかっていません。

投稿者 birdwing 日時: 12:02 | | トラックバック

2008年9月23日

[DTM作品]キュウジツノ空。

いつ頃からか、というかブログで文章を書き始めた頃からなのですが、デジタルカメラで空の写真を撮ることが多くなりました。被写体としていつでも真上にあり、しかしながら刻々と変化するため数分後には消えてしまう・・・ということが空を撮ることの面白さでしょうか。カメラで切り取った空はブログで公開したり、PCのフォルダのなかに未分類で放り込まれたりしています。

そんな空の風景写真家(自称)でもある自分ですが、これはたまらないなあ、と思うのは、ふだんは下から眺めている空を上から、つまり飛行機のなかから眺めるときです。仕事でもプライベートでも飛行機に乗ることは少ないけれど、搭乗することがあれば可能なかぎり窓側の席を確保して、ずっと雲を眺めていることが多いようです。

そのとき痛感するのは、「地球ってきれいだな」ということ。馬鹿馬鹿しいほどストレートな感想ですが、ほんとうに雲を眺めていると、宇宙人がこの星に訪れたとしたら、空から眺めた地球の風景に感動するのではないか、と思う。感動のあまりに侵略しちゃおうと宇宙人の欲を出されたら困るのですが、高度数千メートルから眺める地上の風景は美しい。地球に生まれてよかった、と思います。

飛行機からの写真を引用しながら、上空から眺める空について書いてみます。

080923_sora1.jpg

もくもくと連なる雲は雪のようでもあり地上にある山並みのようでもあり(あるいは、うまそうに注がれたビールの泡のようでもあり)、要するに地球上に存在する物質のいくつかは自然に発生すると同じ形態になるのではないのかなと、科学なのか妄想なのかわからないことをぼんやりと考えさせてくれます。

080923_sora2.jpg

ちぎれた雲は上空からみるとひとつひとつはちいさいのだけれど、きちんとその影が地上に落ちている。その影のなかにいる数千人は、太陽の光を遮られて暗くなっているはず。曇っちゃってまいったなあ、布団が乾かないんだけれど、と天気を恨んでいるひともいるかもしれません。でも、上空から眺めるとちいさな雲の影に入っているだけであり、雲が移動すればきちんと日が当たるようになる。おーい、もうちょっと待っててみてね、と地上の誰かに話したくなります(こんな上空から話しかけても、届かないのだけれど)。

080923_sora3.jpg

できたばかりなのかできそこないなのか、うっすらと襞のようなかたちで浮かんでいる雲もあり、地上の風景が透かしてみえる。時間が経過すれば大きな雲に成長するのかもしれませんが、ひょっとしたらそのまま消えてしまうのかもしれない。雲の行く末が気になります。

と、まあそんなことを考えながら飛行機に乗ると、結局のところ空ばかり眺めていて目的地に着いてしまい、本も読まずに鞄にしまい込むことが多い。空は眺めていて飽きません。少なくとも、ぼくにとっては。

さて、空や雲のことを考えつつ、上空からでも地上からでもいいのだけれど、趣味のDTMで空を眺める気持ちを曲にしてみたいと思いました。タイトルは「キュウジツノ空。」としました。ブログで公開します。


キュウジツノ空。 (3分56秒 5.4MB 192kbps)

作曲・プログラミング:BirdWing


今回は、なんと全部打ち込み。"打ち込みすと(ステップ入力で音楽を作るひと。勝手な造語です)"の初心に戻りました。いままでドラムは音のループを切り貼りして作っていたのですが、ピアノロールの画面で1音ずつパターンを組み立てるところからはじめています。久し振りに打ち込んだところ楽しかった。シンセはSONAR付属のTTS-1しか使っていません。妙な逆回転も使っていないので、シンプルです。

音的にめざしたかったのは、先日ジョイ・ディビジョンに関する映画も観たのですが、ニュー・オーダーのRegretでしょうか。ストリングスのシンセの音が好みです。ベースもツボに入る音です。YouTubeから映像を。

■Regret - New Order

あとは80年代に大好きだったネイキッドアイズ。バカラックの名曲をカバーをした「僕はこんなに(邦題)」という曲があるのですが、この曲のシンセのアレンジはめちゃめちゃ好きでした。金属系の鐘の音とか無機質なドラムとか。YouTubeにライブ映像がありました。埋め込み不可なのでリンクを記載します。

■Naked Eyes - Always Something There To Remind Me: On Stage At World Cafe Live
http://jp.youtube.com/watch?v=w5uPd6TyQtQ

うわー。これはやばい!!!テンションあがった。なんというか、ぼくの打ち込みの原点のような曲なのです。○○歳のぼくはテープをオートリピートにして何度この曲を聴いたことか・・・。一発屋の洋楽ユニットなのだけれど、強烈に印象に残っています。しかし、この映像で踊っているふたりのおねーさんは何でしょうか、いったい?(苦笑)

80年代にレコードというメディアがまだ存在していた頃、12インチシングルというものがありました。これは何かというと、ヒットした曲を5分以上の長めの曲にリミックスして、ディスコ(苦笑。いまでいうクラブですか)などでかけるためのものだったかと思います。ボーカルを抜いてインストの部分を作ったり、ベースとドラムだけの長いパートがあったりしました。CDどころかダウンロード販売が主流になりつつある現在はそんな形態も消えつつありますが、懐かしい音楽を思い出させるような楽曲にしたつもりです。

ただ、ぴこぴこ音(シンセのシーケンス)については、アンダーワールドの最近のアルバムを参考にしたところもあるかもしれません。耳がよろこぶサウンドを作りたかった。

楽しんで作ってみたところ、なんとなくノリのいい楽しい曲ができました。翳りのあるコードも使っていますが、打ち込みながらぼくも気持ちがよかった。やはり何より作り手の気持ちが大事かもしれません。特にブログを書くように曲を作りたいと思う自分としては、体調や気分に曲が左右されることがあり、それがよくもあり悪くもあるところではあります。

9月20日は「航空の日(空の日)」だったようです。天気のいい日はPCを閉じて、空でも眺めますか。星空もまたいいですね。東京ではあまり星もみえないのだけれど。

+++++

■空の日ネット
http://www.soranohi.net/

投稿者 birdwing 日時: 16:22 | | トラックバック

2008年9月15日

ジャンパー

▼cinema:跳んでみたい。でも、ちょっと跳べないかも。

B0019GZBK8ジャンパー (特別編)
ヘイデン・クリステンセン, サミュエル・L・ジャクソン, ダイアン・レイン, ジェイミー・ベル, ダグ・リーマン
20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン 2008-07-23

by G-Tools

自動車、飛行機、新幹線、2013年頃にはリニアモーターカーと、さまざまな移動手段はありますが、究極の移動手段は「どこでもドア(by ドラえもん)」・・・じゃなかったテレポテーションではないでしょうか。身ひとつあれば行きたい場所に行くことができます。環境も破壊しない。これほど便利なものはありません。

「ジャンパー」は、世界中のどこへでもテレポテーションができる超能力者の物語です。高校生デヴィッドは、想いを寄せていた同級生のミリーに送ったガラスの置物を友人にからかわれ、友人に氷の張った川に贈り物を投げ込まれます。それを拾いに行く途中で川に落ちるのですが、氷の下でもがいているといつの間にか図書館にテレポテーションしていた。そんな経緯から自分の超能力に気付きます。そして、テレポテーションを練習しながら強めていきます。

とはいえ、彼は若さゆえに道を踏み外します。その特殊能力を悪事、つまり泥棒に使ってしまう。金庫のなかに瞬間移動して大金を盗むわけです。考えそうなことですね。いつか返します、などという置手紙をするところがかわいいのですが、お金には不自由しないし、特殊能力のおかげで一瞬にして世界のどこへでも行くことのできる彼は裕福な生活を貪る。そうして高校時代に好きだったミリーに再び会いに行き、ローマへの旅行に憧れていた彼女の夢をかなえてあげる。しかし世のなか、そうはうまくいかない。ジャンパーを捕獲する組織「パラディン」が彼を捕獲しようとして・・・。

どうでもいいことですが、映画のなかで、高校時代には清楚なミリーが成長したらやたら派手な女性になっていてぼくは幻滅したのですが(女優が違うので仕方ないことですけどね)、それでもデヴィッドは彼女が好きなようで、彼女が行きたがっていたローマに連れていき、立ち入り禁止の柵をテレポテーションして開けてあげたりします。このときに出会ったもうひとりのジャンパーであるグリフィン・オコナーと共同で戦おうとする。

彼らがジャンプする先は、エジプトであったり東京であったりするのですが、実際に世界ロケを実施したとのこと。東京では銀座がジャンプ先でした。しかし、こうしてみると(成長したミリーに劣らず)東京はけばけばしいネオンのきらめく街だなあと思いました。日本の映画ではあまり東京のけばしさを思うことは少ないのだけれど、外国の映画にとりあげられた風景をみると、あらためて自分の国について考えてしまう。きっと日本のよいところも悪いところもデフォルメされてしまうからでしょう。

なんとなくすっきりしなかったのはラストシーンでした。続編があるから中途半端な終わりにしたのかもしれません。すっきりしない感覚としては、もうひとつ。超能力の使い方がわからずに力に翻弄される幼稚なデヴィッドはうまく描かれていますが、バットマンやスパイダーマンのように、力のおぞましさと特別な人間であることの使命に悩む葛藤は描ききれていない印象を受けました。主人公が若いから仕方ないのかもしれませんけどね。続編に期待します。

映像はすばらしいのだけれど、物語としての深みがいまひとつ。映画を観たぼくの感想としては、人物の描き方においてもう少しジャンプが足りないんじゃないかな、と少し辛口の言葉を述べておきます。SFとはいえ、ぼくらの感情を跳躍させてくれる映画には、こころの核心に迫る何かがあると思うので。

ついでに補足ですが、映画のタイアップサイトは面白かった。特にユニクロのサイトは楽しめました。ジャンプしているみんなの写真が表示されます。

■公式サイ
http://movies.foxjapan.com/jumper/

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投稿者 birdwing 日時: 23:59 | | トラックバック

2008年9月14日

コントロール

▼cinema:制御不可能な生きざま、モノクロの人生。

B001B4LQ2Uコントロール デラックス版
サム・ライリー, サマンサ・モートン, アレクサンドラ・マリア・ララ, アントン・コービン
ジェネオン エンタテインメント 2008-09-10

by G-Tools

マンチェスターのバンドであるニュー・オーダーには何やら楽しげでポップな雰囲気がありますが、その前進でもあるジョイ・ディビジョンは内向的な暗い印象が否めません。このふたつのバンドは、光と影のようにも思います。影から光が生まれた。あるいは、影という重々しさを突き抜けてヴォーカリストを失った抜け殻は、光の軽さでしか存在し得なかったような。

ジョイ・ディビジョンの歌詞や曲調は、社会から孤立(アイソレーション)した人間のひりひりとした寂しさや拒絶された何かを感じさせるものです。けれども、だからこそバンドとしては、どうしようもないぐらいに衝撃的なカリスマ性があったのではないでしょうか。それが退廃的で、儚いものであったとしても。

「コントロール」は、ジョイ・ディビジョンのヴォーカリストであるイアン・カーティスの人生を描いた映画です。アメリカツアーという成功の目前の朝に23歳という若さで自殺するまでの彼の生きざまが描かれています。

アントン・コービン監督は、そもそもロックを撮るフォトグラファーだったようです。この作品は、映画の第一作だとか。確かにモノクロームの映像は、動画ではあるのだけれど、写真の連続というか、ソリッドな静止画の美しさがあると思いました。特に若い頃のイアンがベッドに寝転んで音楽を聴くシーン。上半身裸の彼の身体は、鮮明な美しさで撮られていると思いました。また、顔のクローズアップも圧倒的な美しさです。イアン役のサム・ライリーは目がでかいなー、というのが率直な第一印象でしたが。

ちいさなライブハウスからスタートして大きな存在になっていく課程は、さまざまなアーティストにとってステレオタイプなストーリーではあり、その過程で女性関係で悩んだり、才能の限界を感じたりするのもまたありきたりという印象があるのですが、抑制されたモノクロの映像が大袈裟になりがちな物語をコントロールしている気がしました。これがカラーの派手な映像だったら、ちょっと引く気がします。

バンドの演奏風景もよく再現されていると思いました。イアン・カーティスの独特のノリも、きちんとサム・ライリーが演じている。リッケンバッカーのベースがいいなあと思いました。あとドラム。がりごりしたベースラインと合って、タイトなリズムがかっこいい。さすがに本物のジョイ・ディビジョンと比較すると何かが違う気がするのですが、それはどうしようもないことで、かなりいい感じの映像になっていると思います。

ちなみに、ジョイ・ディビジョンの演奏をYouTubeから。

ぶっとんでいます。映画でもきちんと再現されていました。

表現者というのは、やはり強い精神力が求められるものだと思いました。また、精神だけではなくて身体の健全性がなければやっていけない。しかしながら、強くて健康なアーティストが作った曲が、ぼくらの心を打つのかというと、必ずしもそうではない。苦しみや弱さのなかで絞り出した悲鳴や叫びのような声が、ぼくらの心を揺さぶるものです。

とはいえ、アーティストではない凡人のぼくにはちょっと辛いものがありました。行き場所のない悲壮感があった。観終わったら暗くなっちゃった。モノクロで描かれたイアン・カーティスの人生に対して、ぼくが感じたコントロールできない何かは、制御可能な現実のなかで解消してしまいたい。当たり前だけれど、イアンのようには生きられません(9月14日鑑賞)。

■公式サイト
http://control-movie.jp/

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投稿者 birdwing 日時: 23:59 | | トラックバック

2008年9月13日

潜水服は蝶の夢を見る

▼cinema:言葉を話すこと、綴ることの途方もない行為。

B0017LZRE0潜水服は蝶の夢を見る 特別版【初回限定生産】
マチュー・アマルリック, エマニュエル・セニエ, マリ=ジョゼ・クローズ, アンヌ・コンシニ, ジュリアン・シュナーベル
角川エンタテインメント 2008-07-04

by G-Tools


ぼくらは何でもないように誰かに話しかけ、ときには討論したり、ときには愛を語ったり、自分の権利を主張したりします。あるいは、筆記用具やパソコンを使って言葉を綴ることによって、仕事を片付けたり、遠い場所に住む誰かともメールやチャットやブログのようなコミュニケーションも行うことができます。けれどもこの当たり前のような行為が、実はとても有り難い行為であるということに気付かされました。言葉が自由にならないひともいる、ということを知って。

「潜水服は蝶の夢を見る」は、ELLEの編集長であるジャン=ドミニク・ボビー(マチュー・アマルリック)が42歳のときに突然、脳梗塞で倒れてロックイン・シンドローム(閉じ込め症候群)という病のために全身が麻痺して運動機能を失ったときの実話をもとにしたフランス映画です。かろうじて動かすことができるのは左の眼だけ。けれども脳は完全にふつうのひとと同様に働いているわけです。さまざまなことを考え、かなしんだり憤ったりもする。

身体が拘束されて動かないけれど、脳は通常どおりという状況が、彼の視界からの風景という映像で表現されています。どこか詩的であり、美しくせつない風景です。そうして彼の内なる声はモノローグによって語られていきます。

まばたきや涙で滲む様子も含めて、身体を動かせない左目からみた映像を中心に彼のもどかしさが表現されていく。ときには、わかっていることを何度も繰り返されたり、言葉が出ないあまりにテレビを消されてしまうときの怒りなどを爆発させながら、現実の彼はベッドでぎょろぎょろ眼を動かしているだけしかできない。しかし、記憶や想像のなかの彼は活発に動き回り、たくさんの美味いものを食べたり、奔放な恋をしたりする。

彼が動かすことができるのは瞼だけなのですが、「はい」は1度、「いいえ」は2度というサインを送ることによって、少しずつコミュニケーションを回復させていく。そして、アルファベットを単語に使われる順に並べたものを読み上げてもらって、該当するところでまばたきをすることによって、彼は本を綴っていく。

途方もない行為だと思いました。言葉という単位ではなく、音という単位で綴っていくのは気の遠くなるような耐久力が求められます。音だけで構成されるヨーロッパの言語だからこそ成立するのかもしれません。ひらがなだけでなく、カタカナや漢字など、言葉が複雑な日本語ではあり得ない気がします。本人ももどかしいだろうし、その途方もないやりとりに付き添ってあげるひとたちも、長期的な視点がなければやっていられない。

彼には三人の子供と妻がいるのですが、当然、彼らには何もしてあげられない。しかも、病院に電話をかけてきて泣く愛人に、ずっと君のことを待っている、という言葉を妻に代弁させたりしている。彼自体は動けないのだけれど、周囲の状況は変わっていき、その動と静の対比が静かに心に染みる感じでした。

映画の手法としては、やはりフランス映画ということもあって言葉を喋れない彼のモノローグが印象的でした。フランス語はひとりごとがよく似合う気がします。そして、時間軸をばらばらにして挿入する構成もしっくりきました。彼が脳梗塞に陥るシーンをどこに持ってくるのか、ということが気になったのですが、個人的にはベストな場所ではないでしょうか。

そういえば、ぼくの父も脳梗塞で倒れたのだっけ。病院で車椅子に座って言葉を喋れなくなった父でしたが、もしかすると脳はきちんと機能していたのかもしれません。うろたえるぼくらの様子をみて、何を考え感じていたのだろう。とはいえ、健康を過信して不摂生を繰り返すぼくも、もう若くはありません。気をつけなければ。そして言葉をきちんと伝えられるうちに、さまざまな想いをきちんと伝えておきたいものです。

■YouTubeからトレイラー

■公式サイト

http://www.chou-no-yume.com/

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投稿者 birdwing 日時: 23:59 | | トラックバック

2008年9月 9日

[DTM]朝が待ちきれない。

えーと、恥をかきましょう(苦笑)。日曜日に公開した久し振りの趣味のDTM曲「凍える痛み。」ですが、どうも暗くて気に入りません。感情の暗い部分に焦点を当てて作ったので暗い曲調は当然なのですが、ノイジーでダークな音楽はぼくがめざしているものなのか、と。闇があるからこそ光も輝くものですが、暗い部分ばかりみていたくない。自分のなかにある光を信じていたい。

というわけで、自分が作った曲で鬱屈とした気分を変えてくれる曲はないか、光に溢れている曲はないか、と探したところ、10年以上も前の自作曲に行き当たりました。

久し振りに聴いたのだけれど恥ずかしい。恥ずかしいけれど元気が出る。まだカセットテープで作っていた時代の遺産であり、ノイズリダクションを切ったまま音声ファイルにしたので、ヒスノイズ(しゃーっという音)がひどいのですが、えいやーと公開してしまいます。ボーカル入りです(若気の至りだ・・・)。歌詞も掲載しておきます。

■朝が待ちきれない。 (4分14秒 5.87MB 192kbps)

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朝が待ちきれない。  1995.8.26
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詩・曲・プログラミング・Vocal BirdWing

眠れない科学者たちが 祈りを捧げる夜
窓を開ければキンモクセイの懐かしく甘い香り

きみからの便りがぼくの心を癒してく
目が回りそうな毎日だけど何とかやっていける

遠ざかってく諍いや焦りのとき
近づいてくるきみの笑顔 そうさ

地球を転がして きみに会う朝を呼び起こそう
3万6000秒の長いときを超えて

確かめよう やり直そう 途切れたページの数々
朝が待ちきれない やりきれない夜を蹴とばしたい

ステップを踏んで駆けてく 迷える羊たち
バスルームの窓から差し込む明るい月の光

思い出す ラジオに耳を傾けた頃
夜明け近くに 聴いたメロディ そうさ

地球を転がして きみに会う朝を呼び起こそう
3万6000秒の長いときを超えて

確かめよう やり直そう 途切れたページの数々
朝が待ちきれない やりきれない夜を蹴とばしたい

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たぶんこの曲を作ったのは、小沢健二さんの「犬は吠えるがキャラバンは進む」などのアルバムが流行っていた頃だったと記憶しています。ネオアコ系(要するに渋谷系、でしょうか)のバンドだったので、打ち込みとはいえ、そちらの方面の音づくりになっている気がします。しかし、イントロはモータウンのスモーキー・ロビンソン&ザ・ミラクルズのつもりだったんですけどね(苦笑)。ぜんぜんわからないですね。

大学時代の先輩に声をかけられて加入したバンドですが、真摯に音楽に向き合うバンドで、ぼくにとってはスタジオで練習する時間はかけがえのないものでした。音楽だけでなく、人生に対する考え方もそのバンドの音作りのなかで学んだ気がします(というのは、大袈裟かもしれませんが)。

3人編成もしくは4人編成というミニマムなバンドだったのですが、日曜日に4時間スタジオに入って終わったあとには、スタジオと同じ4時間をミーティングに費やすという気合の入れようでした。おれたちの音楽はどこをめざすのか、いまどんな音楽が素敵なのか、こんなの聴いてるんだけどどう?ということを延々と語り合いました。理屈っぽいといえば理屈っぽい。でも、しあわせな時間でした。

そのミーティングのなかで自作曲をプレゼンテーションするのですが、なにしろリーダーである大学のゼミの先輩とそのお兄さんという強力なシンガーソングライターがふたりいて、そのふたりの楽曲に絶対に勝てない。おどおどとテープを持っていって聴いていただくと、けちょんけちょんにけなされることも多く、うまく取り上げてもらうことができたとしても、ドラムはこう叩いて、ギターはこう弾いてなどと指示などできるわけもないので、困惑するばかりでした。いまでこそ言えるのですが、好きでやっていたはずのバンド活動が真剣にストレスだった時期もありました。

しかし、どうしても自分の曲をアピールしたくて、夜を徹してひとりで黙々と曲を作ったものです。これはそのプレゼンに持っていったプリプロダクションのようなもので、当時はQY-20という玩具みたいなシーケンサーで打ち込んでいました。いま思うとその情熱を何か他のものにぶつけていたら・・・と、思ったりもします。でも、とにかく夢中でした。音楽を作っているとあっという間に時間がすぎて、気付くと空が明るくなっていた、ということが何度もありました。

ボツになる曲が多いなかで窮地に立たされていたこともあるのですが、起死回生をねらって、ふっと力が抜けた瞬間にできたのが「朝が待ちきれない」でした。

当時、ぼくが住んでいたアパートの周囲にはキンモクセイの樹が多く、秋にはものすごくいい匂いに包まれて目が覚めたものです。そのしあわせな気持ちを思い出しながら、喧嘩した彼女と仲直りをする朝について歌いたかった。眠れなくて辛いのだけれど、しあわせな辛さです。会いたい気持ちが、あらゆるネガティブな気持ちを払拭してしまう。過去はうっちゃって、とにかく彼女に会いたい・・・そんな歌詞の世界です。若いですなあ(笑)

レンアイにピュアな時期は遠く過ぎてしまい(遠い目)、何かと複雑な人生をいきていますが、できればこういう気持ちは失いたくないものです。別に誠実ぶろうとしているわけではないけれど、どんなに不器用だとはいえ、こういう風にしか生きられない、という生き方はある意味清々しいものではないでしょうか。変えられないし、変わらない。でも、それでいいのではないか。

若気の至りとはいえ、現在の曲作りにはない勢いと誠実さも感じます。10年前の自分にまさか元気付けられるとは思ってもみなかったのですが、音楽を作ること、記録しておくことはすごい。というわけで音楽に救われた気持ちのまま勢いでエントリーしてみました。あとで引っ込めてしまうかもしれないですね。

そういえばバンドで演奏したビデオもあったけなあ・・・。どこにしまったのか忘れましたが。

投稿者 birdwing 日時: 23:16 | | トラックバック

2008年9月 7日

[DTM作品]凍える痛み。

夕方、外出して帰ってくるときに大粒の雨が降り出したのですが、部屋に入るとものすごいカミナリと大雨になりました。どんがらがらがら、どしゃどしゃどしゃどしゃーのような感じ。夕立といえば夏の風物詩ではありますが、東京都内の最近の天候はやはりおかしい。風物だなあ・・・とのんびりかまえていられないものがあります。地球の悲鳴が痛々しい。

今週はブログに書きたいテーマがたくさんあったのですが、なんとなく気分が乗らずに断念しました。ちなみに以下のようなことを書きたいと思っていました。もしかすると遡って書くかもしれませんが、メモしておきます。

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■二コラ・テスラつながり。
「シガレッツ」という映画で知ったのですが、ニコラ・テスラはエジソンと並ぶ発明家だそうです。偉大なサイエンティストの名を冠したテスラモータースについて先日はエントリで触れてみたのですが、気になると情報を目にしやすくなるもので、東京IT新聞という業界誌の9月2日号を読んでいたところ、インテルがニコラ・テスラの考えていた無線による電気供給システムを開発しているという記事がありました。シロウトの感覚では、無線で電気を供給されるとおっかなくて仕方ないのですが、コンセントがいらなくなるということでしょうか。感電しそうで怖いのですが、便利だろうなあとは思います。ブログ(英語)では、ワイヤレス電源システムのビデオを観ることができます。なんとコイルから供給されて電気が点いてる。うーむ。

■クロームの衝撃。
突如として発表されたグーグルのブラウザ「Chrome」。もはや各方面でセンセーショナルを引き起こしていますが、ぼくも使ってみて圧倒されました。凄い。まずデザインが美しい。そしてシンプルです。さらに、新しく採用したレンダリングエンジンのV8の威力のためか表示が速い。タブウィンドウでありながら、ドラッグするとウィンドウを分離できる機能も素敵ですが、シークレットウィンドウというクッキーや履歴を残さない特別なウィンドウも用意されていて、その解説のユーモアにグーグルの知性を感じました。ストリートビューでは賛否両論を巻き起こしていますが、やはりグーグルという企業のインテリジェンスには参りました。さて、コメディアンとビル・ゲイツ氏の対談によるCMを投下してVista販促とイメージ向上の巻き返しを狙っているマイクロソフト。ブラウザの面でどのように反撃するのか気になります。

■コンピュータは恋をするか。
黒川伊保子さんの「恋するコンピュータ」を読了。最初の著書らしく、他の本と比べると若干甘ったるいかなという印象を受けました。息子さんの胎内の記憶の話があったり、子供の成長とシステムの開発を同じようにみつめる視線が微笑ましく、科学者でありながら人間の感情という非常に曖昧な領域に思いを馳せる黒川さんの熱意に打たれました。

「青い風が吹いた」という言葉が想起するイメージにこだわる思考も科学とブンガクを横断する試みとして興味深く読みました。また、コンピュータが感情を持つためには、呼吸することが大事という発想が新鮮でした。ぼくらは文節で思考していて、その身体的な一区切りが思考にも影響を与えている。思考と身体、そして言葉は切り離せないものなのかもしれません。

448042458X恋するコンピュータ (ちくま文庫 く 23-1)
黒川 伊保子
筑摩書房 2008-08-06

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■ダウンロード購入初体験。
お恥ずかしいことに、いままでiTunesのダウンロードで曲を購入したことが一度もありませんでした(照)。しかし、某家電量販店のポイントが溜まったのでiTunes Cardを購入。ついにダウンロードで曲を購入してしまいました。記念すべきダウンロード購入の1曲目は、LotusLoungeの「Atem」です。150円なり。LotusLoungeは、夫婦で活動されているインディーズユニットですが、音作りの緻密さが参考になります。

ダウンロードしながら音楽の価値について少しだけ考察したのですが、ぼくは最近大物アーティストが展開するプロモーションのための無料配布がベストだとは考えていません。アーティストが自分の思いや能力を全力で注入した作品は、しかるべきお金をリスナーからいただいて当然だと思います。買っていただくという意識が緊張感を生み出すものであり、作品のレベルを高めることになるのではないでしょうか。だから胸を張って堂々と売っていいと思っています。たとえインディーズであろうとも、まったくの趣味の音楽であったとしても。

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ということを書こうかどうしようか迷いつつ、なんとなく夏バテのせいか気分が乗らなくてブログを書くのは断念して、結局のところ土曜日と日曜日にかけて久し振りに夕鶴状態で自室のPCに向かい、趣味のDTMの曲を作ってしまいました。新しい曲のタイトルは「凍える痛み。」としてみました。

残暑の厳しい東京では凍えるというよりも蒸し暑くて仕方がないのですが、突然のゲリラ豪雨に打たれて、びしょぬれのまま仕事をしていたら、クーラーの利いたオフィスで寒くてかなわなかった。なんとなく惨めな気持ちになりました(苦笑)。そんなせつない気持ちを音にしてみたので、ちょっと暗めで、投げやりな曲になっています。

というのは冗談ですが(笑)、焼けるような痛みもありますが、冷たくエッジの尖った刃物で心を切り裂かれるような痛みもあるものです。涙を流すかなしみというよりも、乾いた心を静かに塞いだまま空を仰ぐようなやるせなさを曲にしてみたいと考えていました。ひりひりと心が擦れるような感覚でしょうか。ブログで公開します。こんな音になりました。


■凍える痛み。 (3分10秒  4.34MB 192kbps)

作曲・プログラミング:BirdWing


今回の曲で、直接影響を受けたのはコールドプレイだと思います(タイトルの「凍える」も影響あり)。金曜日に会社の帰りに、タワーレコーズに行って久し振りに試聴三昧をしたのですが、再度コールドプレイの新しいアルバムを聴きなおして、なんとなく惹かれるものがありました。ちなみに、そのほかに気になったのは9月に来日するEpic45の再発アルバムと、ステレオラブの新譜でした。小遣いを貯めているので買いませんでしたが、かなり長時間、試聴機を陣取って聴いていた気がします。あやうく全曲聴いてしまうところだった・・・。

B0018CZQVC美しき生命 【通常盤】
コールドプレイ
EMI MUSIC JAPAN(TO)(M) 2008-06-18

by G-Tools

作り方としては、同じピアノのフレーズを繰り返しただけの、非常にミニマルな作り方です。そのフレーズに、さまざまな音を加えたり、フレーズ自体を切り貼りして構成しています。今回は、久し振りにフリーのVSTiを利用しまくりました。冒頭の、フルートのような音はtapewarm。テープをセットして音を再現したサンプラーのはしりであるメロトロンのような音がでます。つづいてシャープなリズムの音は、中近東のパーカッション音源であるTakim。さらに、ストリングスとベースは、多用させていただいているSUPERWAVE P8です。

残暑も落ち着いてきて、やっとヘッドホンを被っているのが苦にならなくなりました。ぼくにとって趣味のDTMはブログを書くことと同じような表現手法なので、そのときどきに感じたことを音にしていきたいと思っています。もちろん作品=現実の自分ではなくて、そこには必ず表現者としての距離感もあります。しかしながら、冷たいPCのなかで生まれる音たちに、少しでも感情のあたたかさや心を打つ何かを込められるようになりたいものです。

今回の曲では、あえて凍えるような痛みを表現しましたが、できればあたたかい気持ちについても表現できるといいですね。

投稿者 birdwing 日時: 19:52 | | トラックバック

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