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2008年9月27日

風に吹かれて。

朝のプラットホームで電車を待っているあいだ、目の前にふわふわしたものが飛んできたなと思ったらタンポポの綿毛でした。秋ですね。

一直線にぼくの前を新宿方面に飛んでいくと、線路の上ですっと急にみえなくなった。どうやら線路の下に入ってしまったらしい。そんな場所で芽が出せるのだろうかと、朝の眠たい思考のままぼんやりと心配していたのですが、反対側を通過していく急行電車の突風に煽られてまた飛んでいった。今度は線路の上です。さらに風に吹かれて、行ったりきたりしているうちに、すごい勢いでどこかへ吹き飛ばされていってしまいました。びゅうううう、という具合に。

と、通勤電車の待ち時間に、タンポポの綿毛の飛行をみながら考えたのは、なんとはなしに人生についてのあれこれ、です。

自分の生き方を持つこと、主体的に生きることが重要であると語られることが多いのですが、風にまかせて飛んでいくタンポポのように、運命に身をゆだねてしまう生き方だってある。成り行きで無計画という気がしないでもないけれど、どこへ行くのか予測もつかない生き方は、ある意味、冒険でありスリリングです。

もちろんタンポポと違ってぼくらには意思があるから、ときには風に翻弄されることを疎ましく思うこともあるだろうし、冷たい線路の上に落ちた不遇をなげくことだってある。芽が出せない、花を咲かせることのできない不安や、思い通りにならない未来や、うまくいかない現在にアタマを抱えることもある。そんなに割り切れないものですよね。

でも、飛ばされた先の環境を受けとめながら、しなやかに生きていくことができたら、しあわせではないでしょうか。運命をはじめ、時代であるとか社会であるとか、自分の不遇をあらゆるもののせいにしていたらきりがありません。いま楽しめるはずの現実さえみえなくなってしまう。

ゆるすこと。漢字にすると、赦す、という文字かな。その言葉をいま、ぼくはとても大切に考えています。当然、ゆるせ!と誰かに強要するつもりはないし、共感を促すものでもありません。個人的にあれこれと考えて、さまざまなことを悩んでいくなかで、その言葉に辿りつきました。

運命に翻弄されて不遇に着地した自分をゆるす。ゆるしがたい感情で自分をなじる誰かをゆるす。うまくいかない仕事をゆるす。重くのしかかってくる人生の負荷をゆるす。で、どうするか。これはもう、生きていくしかないですね。あらゆる現実をゆるしながら。

過剰に前向きである必要はないし、頑張らなくてもいい。けれども、凹む必要はないし自分を卑下しなくていい。ときには愚痴をいってもかまわないし、めちゃめちゃ壊れてもいい。完全な自分である必要はないのだから、誰かとの関わりのなかで迷惑をかけたりかけられたりもあっていい。それでも、少しだけ長期的な視点からあらゆることをゆるして、現実を調和あるいは維持できたなら落ち着いて余裕のある気分で暮らしていけそうな気がします。

風まかせ、といっても、あらゆることに流されるのではなく、自分であることの核については忘れないでいたいですね。タンポポがふたばになって、やがてちいさな黄色い花を咲かせたとしても、綿毛であった頃の自分を忘れない、という感じ。不遇な環境に着地して根付いたとしても、空を飛んで風に乗っていた自分を内包しつつ、誰にも気付かない場所で花を咲かせていたい。

さて、「風に吹かれて」というタイトルで思い出すのは、ボブ・ディランの曲です。YouTubeから引用しようと思うのですが、コーラスのきれいなPPMの演奏を取り上げてみます。モノクロの映像も好みです。

■Blowing The Wind - Peter, Paul and Mary

ついでに英語の歌詞を引用しつつ(若干PPMの歌と違うのですが)、勝手に1番と3番を自分で訳してみます。英語力はないので、文法的な部分はよくわかりません。適当に意訳、ということで。

How many roads must a man walk down
Before you call him a man?
Yes, 'n' how many seas must a white dove sail
Before she sleeps in the sand?
Yes, 'n' how many times must the cannon balls fly
Before they're forever banned?
The answer, my friend, is blowin' in the wind,
The answer is blowin' in the wind.

どれぐらい
道をあるいたら
あなたに認められるひとになれるのだろう

いくつの
海を越えたら
白い鳩は砂のうえでやすらいで
眠れるのだろう

争いの砲弾の雨がいくつ降り注げば
闘いは永遠に終わるのだろう

ねえ、きみ
その答えは風に吹かれている
風のなかにある

How many times must a man look up
Before he can see the sky?
Yes, 'n' how many ears must one man have
Before he can hear people cry?
Yes, 'n' how many deaths will it take till he knows
That too many people have died?
The answer, my friend, is blowin' in the wind,
The answer is blowin' in the wind.

青空がみえるようになるには
どれぐらいの時間
見上げていればいい?

ひとびとのかなしみを
聴き取るためには
いくつの耳を持てばいいのだろう

どれだけのひとを傷つけて
死に追いやったなら
もう諍いはたくさんだとわかるのか

ねえ、きみ
その答えは風に吹かれている
風のなかにある

風に吹かれた答えは、まだみつかっていません。

投稿者 birdwing : 2008年9月27日 12:02

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