« ブロガー卒業宣言。 | メイン | ノイズを愛でる。 »

2015年12月26日

ちいさく始めて、大きく育てる。

151226_light1.jpg 151226_light2.jpg 151226_light3.jpgクリスマスが終わりました。2015年も残すところあとわずかです。

時間って、ほんとうに面白いなあ、とおもいます。油断していると、あっという間に残りわずかになる。時間がない!と焦っていると、案外余裕があったりする。1年という期間にもいえますが、生涯という長い期間においてもそう感じます。

イルミネーションが好きで、クリスマスの季節には、光に彩られた夜の街を歩くのが楽しみです。

以前には、クリスマスの季節の街を歩き回って、デジタルカメラで撮影して「ひかりの花束」を作ったことがありました。あの頃に比べると、スマートフォンのカメラは飛躍的に高機能化しました。家の近所でスマートフォンで撮影したクリスマスの雰囲気を醸し出している写真を掲載します。

さて、最近「ちいさく始めて、大きく育てる」ことが大切ではないか、ということをよく考えます。

ビジネスでは「リーンスタートアップ(lean startup)」という手法があります。2008年にエリック・リース氏が米国で提唱した方式で、最低限のコストで事業を始めて、顧客のニーズなどを取り入れながらPDCAサイクルを回して、改良しつつ大きく育てていく起業スタイルです。

ピーター・ティールの『ZERO to ONE』にも、ドットコム・バブルの崩壊からシリコンバレーの起業家が学んだことのひとつとして「少しずつ段階的に進めること」を挙げ、次のように書いています(P.40)。

壮大なビジョンがバブルを膨張させた。だから、自分に酔ってはいけない。大口を叩く人間は怪しいし、世界を変えたいなら謙虚でなければならない。小さく段階的な歩みだけが、安全な道だ。


が、しかし、ピーター・ティールの考え方で重要なことは、彼が上記をまったく否定して「小さな違いを追いかけるより大胆に賭けた方がいい」と逆の法則を提示していることです。

そのことはフェイスブックの上場後に株を全部売り払って「我々は空飛ぶ自動車を欲したのに、代わりに手にしたのは140字だ」と皮肉を残していることでも明確に示しています(こっちの方が重要だった。苦笑。2016年1月23日追記。でも、イーロン・マスクでもない限り、個人的には堅実路線がよいと考えます)

リーンスタートアップから連想するのは「プロトタイプ思考(buil to think)」です。商品開発の分野でも、いきなり完成品を仕上げるのではなく、試作品(プロトタイプ)で消費者テストを繰り返して、ユーザーの声に耳を傾けた上で製品化することが重視されるようになりました。特に最近では、消費者との「共創」的なスタイルが一般化してきました。また、3Dプリンタの登場により、ラピッドプロトタイピングというような、より短時間でプロトタイプを製作する手法も実現しています。

おもい起こせば1999年以降、ドットコムバブルが盛り上がっていた頃、多くの企業がβ版のサービスを公開して、運用・バージョンアップを繰り返しながら、よりよいものに近づける手法を取っていましたね。

ソーシャルネットワークのミクシィ(mixi)では、長い間タイトルの横にβ版であることが表記されていたことを記憶しています。「これ、ふつうに使えるじゃん、いつになったらβが取れるんだ?」と漠然とした疑問を感じたものです。

あ、そういえば、ぼくのブログもまだ「Lifestyle Innovation β」だ(苦笑)。これはその時代の名残りです。

と、ビジネスについて語りましたが、日々の生活についても同様のことがいえます。

壮大な夢を持つことは大切です。しかし、夢ばかり語って行動しなければ意味がありません。結局、夢の重さに押しつぶされてしまって、「時間がないんだよね」「いや、そうはいってもお金がないから」と「できない理由を探す」人間になってしまう。

最近、堀江貴文さんの『本音で生きる 一秒も後悔しない強い生き方』を読みました。ストレートなメッセージと勢いのある本です。



この本で堀江貴文さんは「言い訳野郎は立ち去れ」として、自信があるからやるのではなく、やってみないと自信はつかないと述べています。とにかくいちばんよくないのは「小利口」であり、プライドを捨てろ、と。ノリで始めちゃっていい、と。

同感ですね。考えてみると自分も「ブログを書くってどういうことだ?」とブログ黎明期の頃に考えて、2004年から書き始めました。いまこのブログには1,066のエントリが公開されていますが、実は公開していないエントリもあり、さらにSNSの投稿も含めると膨大な数の言葉をネットの海に投げています。

ブログを書いたことで、いろいろと恥ずかしいこともあり、炎上も体験しました。しかし、それは「行動したからこそ得られた恩恵」です。

なので、「それやって何になるの?」「実名で私生活を公開するとかバカじゃねえの?」と言う方々には、残念ながら一生分からないであろう貴重な体験をしました。勇気がなくて、やらないひとはやらなくていいんじゃないでしょうか。一生この貴重な体験ができないかとおもうと、残念だね、とおもうだけのことです。

ということは別にブログだけでなく、すべてのことにいえそうです。

ぼくはウィンタースポーツをやらないのですが、スキーやスノボをやるひとは、きっとやったひとにしか分からない冬山の爽快感があるのでしょう。またペーパードライバーなのでクルマを運転しませんが(免許は持っています。運転しないがゆえにゴールドです。苦笑)、ドライブを楽しむひとには、加速やコーナリングの楽しみがあるのではないでしょうか。

とはいえ年齢を重ねるにつれて、いろいろ億劫になってしまい、新しいことに挑戦しなくなります。これはいかんな、と。アタマが硬くなり始めている兆候かもしれません。

そこで意識的に新しいことに着手するようにしています。

ただし、まったく違う分野に挑戦するのではなく「若かりし頃に好きだったこと、やりたかったけどまだ着手できていないことをやってみよう」と考えました。

ぼくは10代の頃からバンドをやっていて、音楽が趣味です。その割に上達しないんですが、「こういうことをやりたいな」という願望がいくつかあり、あらためてリストアップしてみました。次のようなことです。

□01.ドラムを叩きたい
□02.自宅録音スタジオを作りたい
□03.ネットライブをやりたい
□04.できれば路上で演奏したい
□05.さらに可能であれば、ライブハウスで演奏したい

そこで早速、「01.ドラムを叩きたい」から始めました。

松本隆さんに『微熱少年』という小説があり、映画化されてもいるのですが、その中で部屋にドラムが置かれているシーンが強烈にかっこいい。しかしながらナマのドラムを置くには書斎は狭すぎます。さらに防音室にでもしなければ、うるさい。近所から苦情が入りそうです。



ところが時代は変わって、いまは電子ドラムという素晴らしい機材があるんですね。ただ、これもかつては5万円以上かかる高価なものでした。ところが何気なくネットを放浪していたところ、KORGからCLIP HITという製品が出ていることを知りました。



なんとCLIP HITは、あらゆるものをクリップで挟むと電子ドラムにしてしまうというスグレモノです。Amazonで確認したところ、電源アダプター込みで1万円切っている。うーん、どうしよう、としばらく悩んだのですが、買ってしまえ!と。

モノはこんな感じで真っ白いタコみたいです。その先からフットペダル2個(1個は別売)と、振動を感知するセンサーのクリップが3つ付いています。


151125_cliphit.jpg


えーと、買ってすぐに試しに叩いてみた映像を載せてみます。恥ずかしいのでフェイスブックの友達限定で公開していました。そもそもドラム叩いたことがないので下手だし、深夜なので大きな音を出せませんでした。またスマホの低解像度の動画で撮影したため画像も質がよくありません。という技術的なことはともかく、クリップを手帳に挟んで叩いているのですが、あらゆるものがドラムになってしまうのは驚きです。



うまい人の映像だと、こんな感じになりますね。



で、どうせなら自作ドラムを作ろう!ということで100円ショップで「何かドラムパッドになるものはないか?」と2時間ぐらいかけて物色しました(笑)

その結果、こいつがいけそうだとチョイスしたものは、コルクの鍋敷きでした。その他に、アルミ製の皿も候補としてあったのですが、購入して叩いてみたところ、とてもうるさかった。なので却下。

そうして組み立てた、自作デスクトップドラム(DTD?笑)が次のような感じです。


151128_cliphit1.jpg


次に「02.自宅録音スタジオを作りたい」は、めっちゃ安いマイクスタンドを買いました。マイクスタンド持っていなかったので。ただ、かつて宅録(自宅録音)をしていた頃にマイクは買っていて、SHURE 588SDXという廉価版のマイクは持っていました。また、Roland VS-880というハードディスクレコーダーもあり、これはエフェクトボードまで搭載したにも関わらず、ほとんど使用せずに置物になっていました。ミキサーはこれでいいや、と。


151110_studio.jpg


続いてリップノイズ(ぽ、とか発音するときに息の音で生じるノイズ)を減らすために、Amazonのタイムセールでポップアップブロッカーも購入。700円ぐらいでした。

というわけで、おお!なんとなく自宅スタジオっぽいじゃん、という感じになりました。サンレコ(サウンド&レコーディングマガジン)に自宅スタジオ特集があって、ここに掲載されたミュージシャンの方々のスタジオを見ていると溜息が出てしまうのですが、まあ自分には等身大のスタジオでよろしい。何よりも「はじめの一歩」が大切です。

次に、「03.ネットライブをやりたい」に関してはUSTとツイキャスと迷ったのですが、ツイキャスが簡単そうなのでこっちでやってみようと考えて、早速やってみました。



間違えまくりで恥ずかしいです。

しかしですね、実は今年の初旬から「エンサイクロペディアの夜」という、かつて自分の作った曲をセルフカバーしていたのですが、バックトラックの打ち込みをしていくうちに、どんどん曲が膨れ上がって収拾が取れなくなりました。リードギターを思いついたのはいいのですが、打ち込みと違って自分の演奏技術がともなわなくて弾けない。「この曲は一生世に出せないのではないか?」と不安になっていました。

であれば、間違えてもいいからβ版として、弾き語りをライブで公開しちゃえ、と。

間違えると落ち込みます。自分は才能ないなあ、と凹む。また恥ずかしいです。恥ずかしいけど、「いつかライブ演奏でしたい。でも、下手だし時間ないからできないんだよね」と「言い訳」をするより、下手でも未完成でもいいから、現段階のベストを公開して、あとは練習して完璧な演奏に向けて上達すればいいじゃないか、と考えました。

というわけで、実は公開後にじっくり検証して、間違えたフレーズは1時間ぐらいそればっかり弾いて練習しています。「間違えること」によってモチベーションがアップするというか、「これじゃあいかん。まあいいか、じゃねえよ。ダメだろこんなんじゃ。練習だ!」と燃える。

楽しいですね(笑)一歩踏み出してよかった。そしてさらにもう一歩踏み出したい。

考えてみると写真もそうでした。仕事で必要になって、弟から借りっぱなしのNIKON D60 というデジタル一眼レフカメラを使っていますが、とにかく撮った写真をSNSにアップしちゃいました。

その後、毎朝のように散歩するときにはカメラを抱えて、なんでもない空や草花や公園を撮影してきました。あ、雲がきれいだ!とおもったら、すぐにカメラを抱えて雲を撮りにいく。お、今日はスーパームーンじゃん、というと三脚を抱えて外に出る。そして撮影した写真をPhotoshop CCで補正する。

150928_moon2.jpg

151001_asa06.jpg

151210_fukei01.jpg

最初はオートでばしゃばしゃ撮っているだけでしたが、さすがに公開するとなるとそうもいかなくて、絞りや構図などを本で読んだりネットで調べたり、研究し始めます。そうすると次々にいろんな知識が得られて、写真が面白くなってくる。

もちろん「もっといいカメラが欲しいな」「望遠レンズがあると違う写真が撮れんじゃないか」と考えることはあります。しかし、「いいカメラがないから、望遠レンズがないから写真が撮れない」というのは「言い訳野郎」であって、それじゃダメだとおもいます。そういうことを言っていたら、いつまでも上達しないし、きっと何もしないで人生は終わる。

未熟でも、未完成でも、「行動を起こす」ことが大切です。そしてその行動は、決して大きなものではなくても構いません。ほんとうにちいさなことから始めていい。

話は少し変わりますが、うつ病に苦しまれている方もいらっしゃるとおもいます。ぼくもまた重度のうつ病に苦しみ、一日に15錠以上の薬を服用し、起きられずに布団の中でぽろぽろ泣いているだけの日々がありました。

振り返ると、たったの3年(!)だったのですが、ぼくにとっては10年にも感じられました。症状がよくなりつつあったときに大学時代の恩師にお会いしたのですが、時間感覚がマヒしていて、まるで100年ぐらいの時間を経て再会したように感じました。

いまでこそ、うつ病の自分を公言できますが、当時は公言できませんでした。ただ、同じ苦しみを抱える方のために、参考のために告げておきたいことがあります。

とかく症状が重いときは焦りがちです。何とかしなきゃ、どうしてこうなっちゃったんだ、ひょっとして一生このままなのか? オレは落伍者か? と考えてしまう。

でも、そういうときは「動かない」ことを「選択」するとよいでしょう。「動けない」ではなくて「動かない」。これは、些末な違いのようでまったく異なります。現状維持を「自分で」選択すること。決して無理に何かしようとしないこと。できれば、前向きなことをしないだけじゃなく、後ろ向きなことを考えたり、気持ちを下げないように現状維持します。

そうして少しでも動けるようになったら、ほんとうにちいさなことから始めてみるといいですよ。ぼくは最初に「歯を磨くこと」を努力目標にしました。というのは、その当時は起きられず、歯を磨くことさえできない日々が大半だったので(そのために歯周病が悪化して、その後、右下の前歯が自然に抜けました)。そして、歯を磨くことができたら日記に○を付ける。実はいまでも続けています。

歯を磨けるようになったらシャワーを浴びてみる(これすら当時のぼくには、まるでフルマラソンをやるぐらいに気が遠くなるほど大変でした)。シャワーを浴びることができたら、5分ぐらい先のコンビニに行ってみる、1時間ほどウォーキングする。こんな風に少しずつ、できることを拡げていきます。躓いたら、最初に戻る。歯を磨くことから、また始める。

ちいさな達成感が、大きな成功につながります。これは、うつ病の方以外にも参考になるかもしれません。

先日、新宿のピカデリーで『マイ・インターン』という映画を観ました。



急成長するeコマースの敏腕女性社長であるジュールズ(アン・ハサウェイ)のもとに、シニア(高齢者)インターンとして、ベン(ロバート・デニーロ)が雇われます。インターンは要するに「見習い」です。米国から始まったようですが、日本でもいま学生は、インターンシップに参加することから就活を始めるのではないでしょうか。

ベンは、電話帳の印刷部門で部長職を長年務めた男ですが、40歳も年下のジュールズに対して上からものを言うような言葉を使わない。寡黙です。そもそも社会貢献のイメージアップのために高齢者を雇ったので、ベンにはやることがないんですよね。でも、何か訴えるわけでもなく、荷物運びに困った社員の手伝いなどをしてあげている。

ジュールズは秒刻みのスケジュールが入っていて超多忙なので、ベンと話す時間もほとんどない。けれども、やっとなんとなく対話ができたときには、よし、少し前進できた、みたいな感じでベンは微笑みます。

こういう落ち着いたシニアはいいな、とおもいました。押し付けがましくない。相手の言葉、要求を受け入れる姿勢を保ちながら、もし何かがあったときには全力で献身する。

その具体的なひとつとして、ベンは「いつも清潔なハンカチを持っていること」を習慣にしてます。何のために?というと、女性が泣いたとき、その涙を拭ってあげるために。紳士だな、と感銘を受けました。当然ハンカチの要らない日々が多いでしょう。けれども、「そのとき」のために常にハンカチを忘れない。こういうちいさな努力、というか習慣の蓄積が、その人物の品格を作るのだと考えます。



この映画を観て感じたのは「ひとは生涯インターン(見習い)だ」ということです。オレはもう完璧だ、こんなに実績がある、地位もある、と感じたときに奢りが生まれ、成長は止まる。けれども謙虚に「まだ学ぶべきことはたくさんある。ちいさなことから学んでいこう」と考えると、そのちいさな挑戦や努力はいつか自分を大きく育ててくれる。

「おはようございます!」と近所のひとに挨拶したり、毎朝ツイッターで全世界に向けて挨拶することでもいい。ただ、コピペで毎朝同じ挨拶をしているひとはBOTか?と疑われるので、何かひとこと付け加えたほうがよいでしょう。

人工知能でさえ気の利いたことを言う時代に、ボキャブラリーが貧困なつぶやきをしているひとは人間らしさを放棄している気がします。「昨日どれだけブログにアクセスがあったか」などという、どうでもいいことを報告するのは、もはや人間性のかけらもないただのマシーンといえます。それは、通勤電車で体力を消耗しながら出社するトーキョーのサラリーマン以下です。

会社の帰りに「お先に失礼します!」とひとこと声をかけることでもいいですね。「あれ?あいつ、いつの間に帰っちゃったの?」という忍者のような社員もたまにいます。サラリーマンには、場合によっては忍術が必要とされるときもありますが(くだらない飲み会で2次会をパスするためとか)、ちいさな挨拶が信頼を作ります。あるいは挨拶をすると自分自身が気持ちがいい。自分にとっても挨拶は大切です。

ちいさなことから始めましょう。で、大きく育てましょう。

ちなみに100円ショップで買ってきた観葉植物たちを窓辺で育てていたら、次々に増えて、こんなになってしまいました。

151226_demado.jpg

ここは植物園ですか(苦笑)。

投稿者 birdwing : 2015年12月26日 14:50

« ブロガー卒業宣言。 | メイン | ノイズを愛でる。 »


トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://birdwing.sakura.ne.jp/mt/mt-tb.cgi/1341