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2014年8月27日

コトバノチカラ。

夏が終わりつつあります。今朝は雨が降っていて、とても涼しい。外を歩くと重力が倍増したかのように感じられた厳しい猛暑は、既に過去になりつつあるのでしょうか。もこもこ青空に湧き上がった入道雲をおもい出して、ちょっとだけ寂しい気持ちになります。

趣味の音楽づくりから遠ざかっていたのですが、7月の終わりにふいにコトバが降りてきて新しい曲ができました。あっという間に完成したのですが、弾きながら歌えない(苦笑)毎日少しずつギターを練習して、先週の日曜日、やっと録画が完成。YouTubeにアップロードしました。

「カゼノウタ」という曲です。ブログでも公開します。



歌詞は以下になります。

++++++++++
カゼノウタ
++++++++++

窓のむこうで輝いている
月のあかるい光 星のうたげ

きょうも一日が終わっていく
昨日と同じように 何もかわらず

・・・ぼくはどこまで頑張ればいいんだろう

そんな気持ちに押しつぶされそうになって
ひざを抱えてる

きみは眠ったころだろうか
それとも起きて同じ夜をみてる?

もしも夢で会うことができて
話すチャンスがあればいいんだけど

...ぼくはこれからどこへ行くんだろう

そんな思いに押しつぶされそうになって
今夜も眠れない

 ふっと耳をかすめた カゼノウタ キミノコエ
 ざわめいてたこころが少しずつ静かに落ち着いていった
 きっとふたりの世界はどこかで つながっているはずさ
 深い夜を超えて

 ふっと耳をかすめた カゼノウタ キミノコエ
 あの日きみにふれた ぬくもりをおもい出していた
 きっとふたりの世界はいつでも つながっているはずさ
 つらい かなしみの淵で

+++++

ピックで弾くギターのアルペジオが苦手で、何度もミストーンがあって悔しい。完璧に弾きたかったので残念です。とはいえ、時間も限られていて、早朝(深夜?)の2時から4時まで2時間ぐらい録画し続けて、ベストテイクはこれ1本しかありませんでした。「カゼノウタという曲をやります」と言って弾き始めたら、いきなり1音目から違う弦を弾いちゃったことも数えきれず、だめだこりゃ~と絶望しました(苦笑)

ギターのアルペジオ部分はレディオヘッドの「My Iron Lung」みたいにしたかったんですよね。全然違うだろ、と突っ込みが入りそうですが、レディオヘッドの曲を引用しておきます。「The Bens」という大好きなアルバムの8曲目です。

■Radiohead - My Iron Lung (Live)

B000002TQVThe Bends
Radiohead
Parlophone (Wea) 1995-03-12

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歌詞的には、キリンジに「Love is online」というネット恋愛を描いた曲がありますが、それに近いイメージかもしれません。ネットという言葉はひとつも出てきませんが、遠く離れた場所にいる恋人とのつながりを描いた歌詞です。

■キリンジ LOVE IS ON LINE

B000IFRWJEDODECAGON
キリンジ
コロムビアミュージックエンタテインメント 2006-10-24

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「ソーシャルネットワークはくだらない」「オンライン上で話をするより会うのがいちばん」という考え方もあります。しかし、ぼくは「かなしみの淵」にいるときに、何度もSNSの言葉に助けられてきました。顔が見えない誰かのテキストで、転がり落ちそうな深い穴の手前でとどまることができた経験があります。

たぶん「くだらない」という考え方をするひとは、世界のあらゆるものがくだらなく見えるのではないかな。テレビがくだらない、メディアがくだらない、本がくだらない、人生がくだらない、と。でも、くだらなくしているのはいったい誰か。自分ですよね。損しているとおもいます。そういう思考のひとたちは。

世界には素敵なことがいっぱいあるのに、なぜくだらないことばかりに固執するのか。要するに自分が満たされないから、社会や誰かを批判することで自分を満たそうとしているだけではないでしょうか。他人を批判する人間の根本には優越コンプレックスのような劣等感があることが多いものです。寂しいから憂さ晴らしのために批判する。それもそのひとの生き方だとはおもいますが、ぼくは(あくまでも個人的に)くだらないことより素敵なものの方を向いていたい。

先日、ツイッターでとても興味深い発言を読みました。

まず思考ありきで言葉がアウトプットだと考えていたのですが、言語能力が思考回路を形成する。つまり、ネガティブな言語能力しか持たない人は、ネガティブな思考回路しか作れないわけです。いま、読んでいる茂木健一郎さん訳、マーシー・シャイモフ著『脳にいいことだけをやりなさい!』にも同様のことが書かれていました。


4837981305「脳にいいこと」だけをやりなさい! : 心と体がみるみる元気になる生活術! (知的生きかた文庫)
マーシー・シャイモフ 茂木 健一郎
三笠書房 2012-06-22

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言葉は何度も繰り返すことによって、「轍(わだち)」のように思考を定着させると書かれています。けれども「人間は変わることができる」と、この本では強調しています。

アドラーの心理学に共通している考え方を感じたのですが、人間の能力は遺伝子に刷り込まれたプログラムや過去のトラウマや天性がすべてではなく、新しい思考を「上書き」できる。どうすればいいかというと、あまりにもシンプルなのですが、日々使う言葉を変えるだけで、しあわせになれるというのです。

最近、ロビン・ウィリアムズさんの死にともなって、娘のゼルダさんのツイッターに酷い誹謗中傷が書き込まれ、アカウントを削除することに至った経緯が報道されました(産経ニュース 「心なきSNS、永遠にさよなら」 ロビン・ウィリアムズさん娘に卑劣な投稿 2014.8.16 )。なぜこういうことをするかな。たぶん、世の中にはこういうことでしか人生の憂さをはらせない寂しいひとが多いのでしょう。

また、マスコミからの不当なバッシングによって自殺した理研の笹井芳樹副センター長のニュースも憤りを感じるものでした(産経ニュース 「マスコミからの不当なバッシング、理研やラボへの責任から疲れ切ってしまった」遺族が遺書とコメントを公表 2014.8.12 )。

言葉には力があります。特にメディアの言葉は、ときには暴力的ともいえる大きな力があります。それに追随して、心ない誹謗中傷を書き込むような魑魅魍魎も現われる。数々の誹謗中傷を受けながら、まるで戦士のようにツイッターで闘い続けてきた、はるかぜちゃんの言葉には重みを感じました。

言葉を使うライターという仕事もしていますが、言葉を使うのであれば、誰かを救う言葉、誰かの悩みを解消できるような言葉を使いたいと、あらためて考えました。つまり、ソリューション(問題解決)のツールとして言葉を使いたい。誰かを貶めるためではなくて。

ところで、「カゼノウタ」に戻るのですが、歌詞を書くにあたって、ひらがなとカタカナにこだわりました。タイトルはカタカナになっていますが。他の部分はできるだけ、ひらがなに開いて書くようにしました。

それは詩人の永方ゆかさんからインスパイアを受けています。永方さんは現在「私の最高の経典である『和漢朗詠集』を参考に、「漢字」「ひらがな」「カタカナ」の特徴を掴む修練」をされているそうです。非常に興味深い試みだとおもいます。その習作の詩を六本木詩人会のページで読み、興味を持ち、詩集『ものさびしの、ハナ』を購入しました。


4812019443詩集 ものさびしの、ハナ
永方 ゆか
土曜美術社出版販売 2012-03

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「ものさびしの、ハナ」という書名自体から、ひらがな+カタカナのイメージが印象的に使われていますが、帯にある「ワタツミノコ」という詩の冒頭「おぼえていルよ。」という使い方もいい。

この詩集は東日本大震災から1年後の3月11日に発行され、震災で亡くなった方たちのいわば鎮魂歌のような詩集です。すべての詩が切なく、こころに染みるのですが、個人的に好きな詩をひとつ挙げるとすれば、「そういうことじゃ、ないのだ。」です。引用します。

そういうことじゃない、のだ
涙はぽろり、こぼせんのだ

ぽろり、としたら よってたかって
かわいそうだと 言うじゃないか

かわいそうだと 言われたら
かわいそなわたしになるじゃないか。

かわいそなわたしになったら
涙が ぽろり、こぼれるじゃないか。

アドラーは、たとえば誰かを怒鳴りつけるような場合、怒りの感情があって怒るのではなく、怒るために怒りの感情を生む、つまり感情は後付けであるということを述べています。いわば感情は自分の行動を動機付けるツールなわけです。

永方さんのこの詩を読んで、他者からの憐れみの言葉が自分の行動(涙をこぼす)を引き起こすことに対する自制心に共感を得ました。女性の涙はときには強力な武器にもなるわけですが、その武器を封印するけなげな感じが素敵です。

東北大震災では、マスコミが被災者を過剰に「かわいそう」に仕立て上げた気がしています。被災者の方々の気持ちを分かること、理解しようとすることは大事です。しかし、ぼくは被災者になってみなければ、ほんとうの意味で被災された方の気持ちなんてわからないんじゃないかとおもう。

安易に「かわいそう」と言葉をかけることは傍観者的であり、ある意味、被災しなかった安全な自分の優位性を誇示するもので、偽善者としての思い上がりも感じてしまう。そうした繊細な感覚を鋭く突いた詩だとおもいます。

話がやや逸れました。ひらがな表記について話を戻すと、最近読了した関沢英彦著『ひらがな思考術』も興味深い本でした。


4591086291ひらがな思考術
関沢 英彦
ポプラ社 2005-04

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日本では古来、ひらがなは女性が使っていた表記で、漢語を学ぶことが教養であると考えられてきました。現在でもアメリカから輸入した外来語を駆使できることが教養のように考えられていますね。広告やマーケティング業界は、カタカナ言葉と英語の省略語が氾濫しています。

率直なことを書きますが、特にマーケティング業界を傍からみていると、インバウンドマーケティングの定義がどうだとか、コンテンツマーケティングの定義がどうだとか、ネイティブアドとはなんだとか、そんな理屈にこだわって延々と議論しているのが滑稽です。

結局のところ「もうけるためのしくみ」がマーケティングの本質だとおもいます。

したがって、インバウンドだろうがコンテンツだろうがネイティブだろうが、そんなことはどうでもいい。協議会まで作るのは愚の骨頂であり、マーケティング業界って暇人が多いんだなあ、あるいは相当ダメになってきているのかもしれない、と感じました。輸入した外来語の概念に頼っているから、発想が貧困になる。日本には昔から「あきない」があり、商売の本質に立ち返ったほうが有意義だとおもいますね。

漢語や外来語を使うことによって、言葉が持つ肌感覚を失ってしまう。要するに思考が定型化して、物事の本質を見失う。しかし、ひらがなで考えると思考はシンプルになり、また感性によって世界を捉え直すことができます。

ひらがなを使うと少しだけやさしくなれます。『ひらがな思考術』の本では、ひらがな3語で日記を付けるというアイデアがありました。これはよさそうです。たとえば「すみだがわ。ゆかた。てつなぎ」のような日記を綴ることです。ひらがなの達人とも言うべき、谷川俊太郎さん、川上弘美さん、黒川井保子さんという、ぼくの大好きな作家が取り上げられていたこともうれしく感じました。

というわけで、延々と2時間ばかりコトバを綴って、久し振りにブログを書きました。ブログでコトバを紡ぐことも楽しい。永遠に書いていたい気がする(笑)奥が深いですね、文章の世界は。

さて、仕事に戻って原稿を書きますか。

あ、ちなみに最近書いた原稿には、大塚製薬様のオロナミンCの特設サイト「キミハツ」に「大きな仕事をこなすモチベーションコントロール」というライフハックを書きました。よければご覧ください。ハツラツと働く若者たちのインタビュー記事や動画もとても興味深いので、ぜひ。

■キミハツ 大きな仕事をこなすモチベーションコントロール
http://kimihatsu.com/life/0032.html
kimihatus_Lifehack_ookinasigoto.jpg

投稿者 birdwing : 2014年8月27日 08:02

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