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2007年10月30日

「月曜日は最悪だとみんなは言うけれど」村上春樹 翻訳

▼作家の生きざま、小説のメイキングを楽しむエピソードのコラージュ。

4124034970月曜日は最悪だとみんなは言うけれど (村上春樹翻訳ライブラリー)
村上 春樹
中央公論新社 2006-03

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この本のタイトルは、「ストーミー・マンデー」という有名なブルースの曲から取ったようです。トム・ジョーンズの短編に引用されているとか。次のような歌詞のようです。

They call it stormy monday, but,
Tuesday's just as bad.

「月曜日は最悪だとみんなは言うけれど、
火曜日だって負けずにひどい」

せっかくなのでYouTubeで調べてみたところ、T-Bone Walkerの演奏がみつかりました。

■T-Bone Walker - Stormy Monday Blues


なるほど、渋いですね。水割りが飲みたくなる(笑)このアンソロジーのなかでは、トム・ジョーンズの「私は・・・・・・天才だぜ!」という短編が収録されているのですが、確かに彼の作品はブルースっぽいスタイルかもしれない。

この本を知ったのは、ネットを通じて仲良くさせていただいている方からの情報でした(ありがとね)。デニス・ジョンソンの「シークレット・エージェント」という短編のことを知ったのだけれど、なんとなくですが、ぴぴっとセンサーが働いた。

そこで、仕事の打ち合わせの帰り、お茶の水の丸善でその小説が入っている村上春樹翻訳ライブラリーを探して立ち読み。「シークレット・エージェント」自体はあっという間に読めてしまったのですが、言葉のいくつかはもういちどじっくりと読みたい気がしました。さらにレイモンド・カーヴァーやティム・オブライエン、ジョン・アーヴィングなど村上春樹さんに馴染みの深い作家の話ばかりが並んでいる。

そんなわけで、ついつい購入してしまった本です。でも、購入して正解でした。とても面白かった。

短編小説もありますが、収録されている作品のいくつかは作家のインタビューや友人の追悼文のようなものです。作家の知られざるプライベートやどうやって作品が完成したかということを知る上で、とても興味深い内容でした。つまり、メイキングのコンピレーション、あるいは作家の肖像のコラージュという感じです。

冒頭から2作までの「誰がレイモンド・カーヴァーの小説を書いたのか?」D・T・マックス、「グッド・レイモンド」リチャード・フォードはレイモンド・カーヴァーの話。ものすごくよい人柄の作家のようです。そして、いいひとであるレイモンドの作品に、凄腕の編集者であるゴードン・リッシュがざくざくと手を入れていく。リッシュ自体も創作するひとのようでしたが、レイモンド・カーヴァーの作品の情緒的な部分を削除し編集することによって、結果として初期のスタイルが完成したようです。つまり、リッシュなしにはレイモンド・カーバーの作品はあり得なかった。

しかしながら、やはり温厚なレイモンドであっても、さすがに次第にその残虐な(苦笑)小説の編集に困惑するようになった。そこで、ふたりは決裂するわけですが、その後、リッシュは創作教室のようなものを開きながらも、自分の作品としてはたいしたものが作れなかった、という話が非常に面白いものでした。

つまり、レイモンド・カーヴァーは作家であり、ゴードン・リッシュは編集者でしかなかった、ということですね。作曲家とアーティスト、プロデューサーとシンガーのような関係においても同じことがいえそうですが、縁の下の力持ち的(あるいは参謀的)なポジションで力を発揮するひともいる。

その後につづく、ティム・オブライエンのエッセイと短編3作もうまいな、と思いました。けれども、やっぱり印象的で気に入っているのは、ボクサー、海兵隊、コピーライター、学校の用務員(笑)とさまざまな経歴を持ちながら50歳近い年齢で作家になったトム・ジョーンズでしょうか。なんというか無頼派?日本の作家でいうと、坂口安吾的なスピリッツを感じたかな?

という、はちゃめちゃな作家のあとで、デニス・ジョンソンの「シークレット・エージェント」を持ってくるところがうまい。秘密諜報員に憧れながらも、結局のところ落ちぶれた作家として生活し、貧しさ、さびしさ、悪臭、病や死、酒やドラッグなどに取り囲まれた退廃的な生活を送る主人公。けれどもそこには達観した何かすがすがしいような諦めと強い何かがあると思いました。たとえば次の言葉。

ひとりの人間がいなくなっても、人生は変りなく続いていくのだ。

そして、畳み掛けるようにして繰り返される、次の表現。

子供たちは、変わることなく子供たちであるだろう。人々は変わることなく、人々であるだろう。

個人的な話ですが、父の命日を11月に迎えるぼくとしては、この言葉がなんとなく心に残りました。そして、この言葉は生きている人間に対しても言えることかもしれないですね。あるいは作品に対しても言えることかもしれません。どんなに感動的な作品であっても、読み終えたときにぼくらのリアルはつづいていくものです。変わりなく、いつもと同じように。

けれども一瞬だけ交わって離れていく人生というのは、だからこそ意味があって、「変りなく続いていく」こと=永遠、ではないと思う。「子供たち」や「人々」、あるいは作家のようなものは変わらないかもしれないけれど、個人としての"ぼく"や"あなた"は変わっていく。

普遍性と刹那のようなことを考えていたのですが、作家にも普遍的な何かと個別の顔がある。うーむ、まとまらなくなってしまいましたが、stormy mondayでも聞きながら、あとはお酒でも飲みながらぼちぼち思考することにしますか。10月26日読了。

投稿者 birdwing 日時: 00:00 | | トラックバック

2007年10月29日

ブラック・ダリア

▼ファイア&アイス、そして女性をめぐるセピア色の3つ巴の物語。

B000J6HYLSブラック・ダリア コレクターズ・エディション 2枚組
ジェイムズ・エルロイ
東宝 2007-05-18

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耳まで口が切り裂かれ、内蔵は抜かれ、腰で切断された全裸の女性。そんな猟奇的な殺人者をめぐって、ふたりのボクサー出身の刑事、ファイアことリー・ブランチャード(アーロン・エッカート)とアイスことバッキー・ブライカート(ジョシュ・ハートネット )、そしてファイアの妻であるケイ・レイク(スカーレット・ヨハンソン)をめぐる疑惑と真実の物語です。

監督はブライアン・デ・パルマ。といえば思い出したのが「アンタッチャブル」なのですが、セピア色を基調とした風景のなかで淡々と展開される物語、そして1940年代のジェントルマン的な映像は、映画らしい映画を観たなあという気分にさせてくれました。まあ、若干ありきたりと言ってしまえばそうなのですが、スタンダードな映画という気がします。

そもそも現実に起こったブラック・ダリア事件をもとに、ジェイムズ・エルロイの小説を映画化したもののようです。猟奇的な殺人が起こるシーンが若干ぼくにはわかりにくく、雑然としていた印象はありますが、一度ボクシングで手合わせしたエリートであるファイアと、ファイアの妻であるケイに惹かれているアイスの夏目漱石でいう「それから」的な関係に何か甘酸っぱいものも感じます。

この三人の関係は、事件や賄賂などを背景に、複雑に絡み合っている。作られた関係なのか、真実の愛情なのか、ミステリーでありながらそんな人間的なドラマをきちんと描いているところに好感が持てました。この部分がおざなりになってしまうと、ミステリーとはいえ単なる謎解きになっちゃいますよね。もちろんミステリーファンであれば、そんな直線的な推理の筋を楽しむのかもしれませんが、そうではないぼくはやはり、禁じられた恋に対する苦悩であるとか、正義と偽善の板ばさみによる平衡感覚であるとか、そんな部分に惹かれる。

映画内映画というか、ハリウッド女優を夢見ていたエリザベス・ショート(ミア・カーシュナー)のテスト撮影の映像も非常にせつないものがありました。彼女は黒い服を好んで着ていたので「ブラック・ダリア」と呼ばれていたのだけれど、結局、最後に出演できたのはポルノ映画であり、その映画を最後に殺されてしまう。テーマとなった女性ではあるのだけれど、ストーリー的には添えられた感じの存在で、けれどもそこには彼女なりの人生がある。夢をかなえようとしてハリウッドに出てきて、才能に恵まれずに男たちとの関係に溺れて、結局のところ、ぼろくずのように引き裂かれて死んでいく。かなしい(涙)。

ところで、どーでもいいことですが、スカーレット・ヨハンソンかわいいですね。ふっくらとした唇がおいしそう(笑)。映画のなかの彼女が素敵だと思ったのは、「ロスト・イン・トランスレーション」だったのですが。とはいえ、個人的な趣味を述べると、すーっと薄い唇も好みなんですけど。ああ、ハードボイルドの映画の感想の最後に、ほんとうにどうでもいいことを書いちゃった気がする(苦笑)。10月28日鑑賞。

■The Black Dahlia movie trailer

投稿者 birdwing 日時: 00:00 | | トラックバック

2007年10月28日

親子ラボ。

昨日の大雨が嘘のような快晴の本日、次男くんの幼稚園のバザーに行ってきました。まずは汚いトウキョウの大気を風雨で吹き飛ばしてくれたおかげか、まるできらきらと宝石のように美しかった雲の写真を。

071028_sora.JPG

奥さんは売り子さんとして朝早くからご出勤されたので、男グループ(ぼくと長男くん、次男くん)+お義母さんで幼稚園に行きました。

それにしてもまいったのが、息子たちのローテンション。なんだこいつらー。テンション低すぎ(泣)。兄弟で仲良くおててつないでいるのはいいのですが、あっち向いてのろのろのろ、こっち向いてのろのろのろ。放置されている自転車にぶつかって、あぁ・・・みたいな。しゃきっとしてください、しゃきっと!!

バザー会場には輪投げやヨーヨー釣りなどもあったのですが、ローテンションでもじもじくん状態な彼らは、

「えぇ・・・いいよぅ。やだよぅ(苦笑)」

と尻込みしていました。情けない(泣)、おとーさんは悲しいっ。とか思ったのですが、次第に楽しんでいるうちにテンション高くなってきて、帰る頃には絶好調に。次男くんなんか、きゃっほー状態でした。

ローテンションというか、エンジンかかるのが遅かったんだな、きみたち。その頃にはおとーさんといえばくたくたで、逆にテンション低めに(泣)。昨夜とはいえば、とーっても楽しくてしあわせな夜更かしタイムで寝不足だったし。

ビンゴゲームもやったのですが、以下の写真のあと、次男くん(右側)のビンゴはトリプルリーチだったにもかかわらず上がれず。きみの人生を象徴しているような気がしないではない。一方で一向に揃わないにーちゃんのビンゴも性格をあらわしているような気がしました(苦笑)。

071028_bingo.JPG

家に帰って男グループ三人でバカ話をしながら、しばし遊びの時間。次男くんの幼児レベルに合わせるので、う○ちとかおっ○い話ばっかりなんですが、そのうちにーちゃんが戯れに、ヨーヨーをふたつ胸に入れておっ○いに(苦笑)。それに対して次男君はしゃぶりついたところ、にーちゃんいわく

「・・・目が真剣で怖い(苦笑)」

とのこと。はぁ、きみたちの未来が心配だ。ニューハーフさんとかにならなきゃいいんだけど。とーさんは深くため息をついたのでした。まあ、とーさんもおっ○いには関心ないわけじゃないけどな(ふっ)。

そのうちに疲れたのか、にーちゃんは眠ってしまい、ぼくと次男くんは粘土遊びをしました。「おさかなちゅちゅる(つくる)」とのことなので、何を作ろうかーと聞いたら大好きな魚の図鑑を持ってきて

「まんぼうちゅちゅって(つくって)」

とのこと。なので、まんぼう作りました。こんな感じ。

071028_manbo.JPG

ぼくもちゅちゅる(つくる)というわけで、親子マンボウ。

071028_manbo2.JPG

そのうちにいろんなものを作って、紙の上に海を作ろう、ということで、こんな感じにしてみました。

071028_umi.JPG

解説です。青い文字がとーさん作。赤い文字が次男くん作です。見えにくくなってしまったのですが、わかめの背後にあるのは「かくれてるこざかな」です。こざかなって、いったい・・・。

071028_umi2.JPG

なかなか楽しかったです。親子コラボ=略して、親子ラボ。

最近、仕事ばっかりが忙しくて(というか趣味にも忙しくて)遊んであげることも少なくなってしまったのですが、こんな休日もよいものだーと思いました。天気もよかったし。

投稿者 birdwing 日時: 23:08 | | トラックバック

2007年10月27日

備忘録―music10月。

トウキョウは凄い雨の一日でした。台風のせいだとか。しかし、どういうわけかぼくの気持ちは快晴です。すっきりピーカンな感じ。

息子を病院に連れて行って小児科でうつされた風邪(お子様ですか、わたくし。苦笑)からも快復しつつあり、気分も上々な本日。いろいろなことを整理しつつ、ブログでレビューしていない音楽などについても整理しようと思いました。

まずはいままで購入したCDのうち、8月に購入してレビューしていないCDが3枚あります。

The_enchanted_hill.jpg The Album Leaf
The Enchanted Hill
ブラック・ホールズ・アンド・レヴァレイションズ[最強盤](DVD付)ブラック・ホールズ・アンド・レヴァレイションズ[最強盤](DVD付)
ミューズ


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Memory ManMemory Man
アクアラング


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The Album Leafは、解説のシートがどっかいっちゃったんだよなあ(苦笑)。どこかにあるかとは思うんだけど。

その後、9月24日に買ったのがこのアルバムです。遠いところから、このアーティストの情報が耳に届きました(笑)なんとなくサイトで検索して試聴したところよかったので購入。

SOUNDSSOUNDS
FreeTEMPO feat.Mari Mizuno FreeTEMPO feat.ogurusu norihide FreeTEMPO feat.arvin homa aya


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懐かしい気持ちになりました。実は近所のちっちゃなCDショップで購入したのですが、TowerRecordsに行ったら大々的に売り出されていました。日本のクラブミュージックには疎いので、そうなのかと認識を新たにしたのですが。

購入後に時間が経ちましたが、この4枚はどこかでレビューしようと思います。

だいたい給料日以降の月末から月初にかけて、どどどっとCDやら本やらを購入して、その後はひゅるるるる・・・と貧乏になる繰り返しなのですが、レビュー待ちのCDが4枚あるにもかかわらず、今月もまた4枚購入してしまいました。散財が・・・。

まずはPerfume。

Perfume~Complete Best~(DVD付)Perfume~Complete Best~(DVD付)
Perfume


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旧友のすすめに従い、次の本も購入。

クイック・ジャパン74 (Vol.74)クイック・ジャパン74 (Vol.74)
Perfume/さまぁ~ず/銀杏BOYZ


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非常に面白い。どういうところが面白いかというと、楽曲については中田ヤスタカさんが全面的にプロデュースしているのだけれど、振り付けなどはアクターズスクール仕込みらしく、さらに映像は関和亮さんという方がアートディレクションをされている。そんな複合体としてPerfumeというアイドルが作られているようです。

以前「プロデュース考」や「ドリームガールズ」のレビューのエントリーで書いたことがあるのですが、別の見解も生まれつつあり、いつかまとめてみたい気もしています。要点としては、予測もつかない作られ方(=生成)がされているところが、現代的、ウェブ的であると思いました。ブロガーは特にそうなんだけど、作られたもの/あからさまにプロデュースされたものを嫌うものです。作り物ではない本音であったり真実で動く。

実は、Perfumeは完璧に計算されているようで計算されていなくて、何人か関わるひとたちの思惑でこうなったらしい。何よりもそこが新しいと思した。製品にしても企業にしても、もはやひとりのカリスマが制御するような時代ではないのかもしれません。群集のようなものが作り上げていく。オープンソースがそうであるように。けれどもその作り上げられたものは「本物」です。アイドルらしき何か、ではなく完璧なアイドルが作られているところが大切であって、その力の入れ方はハンパじゃない。

そもそも楽曲の完成度高すぎでしょう(汗)。

聴いてびっくりした。これ、アイドルの曲じゃないですよね。という思考自体が、アイドルの曲は他のジャンルよりも劣るという潜入感に蝕まれていて、おかしいと思うのですが、ハウスやテクノのジャンルで十分通用する音楽によってアイドルをプロデュースする本物志向が凄いと思いました。

えー、そのハウス系の音楽で購入したのがこの一枚。

Colors of the SpiritColors of the Spirit
collioure


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ジャケットには、A Collection of future lounge , chill out , jazzy and smooth house music.という言葉があります。浜辺の光に溢れた光景のジャケットが美しい。日本人のアーティスト中村貴宏さんによる2005年のアルバムでちょっと古いのですが、2枚目のアルバムとともに新宿のTowerRecordsでは全面的にプッシュされていました。

が、ですねー。すみません。個人のブログなので書きたいことを書かせていただきますが、ぼくの感想なのですが・・・

つまんなくね?

という感じです、正直なところ。退屈な感じがしました。きれいなんだけど、なんというかぼくには何も響かない。フュージョンとかイージーリスニング、あるいはBGMとしてはよいかもしれません。でもねえ・・・買うまでもない気がする。

店頭でプッシュされていたということと、試聴してみたところ部分的に面白いなと思ったリズムがあって購入したのですが、じっくりと聴いてみると、いまいち。軽すぎて心が入っていかない。あと、最近の音楽制作では、ループさせることでリズムをいくらでもコピペできるじゃないですか。ただ、繰り返されても耐えうる音と退屈になる音がある。この音は、ちょっと5分間聴くのに耐えられない気がしました。飽きてしまう。

というのは自分自身の問題であって、みょうちくりんで退廃的なエレクトロニカばかり聴いているからかもしれません。

と、なんとなく損した感じがして(ちっとか舌打ちして)凹んでいたのですが、次の一枚でテンション上がりました。

エレクトロニカでは、特にウルリッヒ・シュナウスというドイツのユニットが最近のお気に入りなのですが、彼らがずっと標榜していたというMy Bloody Valentine。ずーっと気になっていたのですが、実はお恥ずかしいけれども聴いたことがなくて、本日やっと購入しました。名盤として名高い1991年のこのアルバムです。

LovelessLoveless
My Bloody Valentine


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うわー。まいったー!!!やられたー!!!ツボにはまりまくりです(泣)この変な感じ。リバーブに溶け込んだ轟音、そしてへなへなとした女性ボーカル。退廃的な音響。なぜか切ない青空のようなメジャーコード。4曲目を聴いている途中に気が狂いそうになって途中で止めました(涙)これ、凄すぎる。

いや、決して誰にもおススメしません。ビョーキです、この音は。でも、はまりまくりでした。どんな感じかというと・・・アルバムの1曲目「Only Shallow」をYouTubeから。

■My Bloody Valentine, Only Shallow

あああ、力が抜けていく・・・(泣)この不健全な音!Soonもいい。やっぱり病気なのかもしれない(苦笑)きれいすぎる音、上手すぎる演奏は肌に合わないのかもしれない。でも、そんな音楽も好きですが。

そして最後に購入したアルバムは、これ。

ミスエデュケーションミスエデュケーション
ローリン・ヒル メアリー・J.ブライジ ディアンジェロ


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なんとなくいままでのぼくが購入するジャンルから考えると異質ですよね(笑)が、それが意味があるんです。ソウルを感じました。あっ、しまった。でも輸入版を買っちゃった。歌詞がわからないかもしれない(苦笑)。困った。

とはいえ、自分の好きな領域や固定観念の殻に閉じこもるのではなく、新しい分野の何かに対しても目を向けていきたいと考えています。

投稿者 birdwing 日時: 21:51 | | トラックバック

2007年10月26日

つながりと切断。

トウキョウのぼくが住む辺りでは、最近ばたばたと頭上をヘリコプターが通過していきます。何事だろう?風邪でぼんやりしているせいか世情に疎いせいか、その理由がよくわかりません。

空を切り裂くヘリの轟音に得体の知れない不安だけを募らせています。知らないうちに世のなかにとんでもないこと(ゴジラが東京湾にあらわれたり、侵略者の宇宙船が不時着していたり・・・)が起こっていたりすると困る。ただの警備か何かならいいんだけど。

今日も、前後にふたつのプロペラを回転させた自衛隊らしきヘリが10機ほど編隊を組んで飛んでいきました。1機であればまだしも編隊飛行をしていると迫力がある。南に向かっていて、ちょっと細めのヘリがその後を追いかけていきました。携帯電話のカメラを構えようとしたら既に上空を飛び去ったあとで、写真を撮るのは断念。とはいえ、その異様な存在は網膜に残っているのですが。

村上春樹さん翻訳ライブラリーから「月曜日は最悪だとみんなは言うけれど」を帰宅後、キッチンで遅い夕飯を食べながら読み終わりました。


4124034970月曜日は最悪だとみんなは言うけれど (村上春樹翻訳ライブラリー)
村上 春樹
中央公論新社 2006-03

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短編小説を中心としたアンソロジーですが、ティム・オブライエンの作品も収録されています。彼が描いたベトナム戦争のイメージが重なったりして、なんとなく肌の上をぞっとするものが走りました。非日常的なものを感じてしまう。大丈夫なのだろうか?

自分の身近で起こっていることであれば把握ができるのだけれど、大きな何かに巻き込まれてしまったら、きっとぼくらには何も抵抗はできないと思います。戦争のような愚かな行為はもちろん、環境破壊も同様です。むしろ、じわじわと迫ってきて気付いたときには手遅れになっている環境破壊のほうが怖いかもしれない。ゆっくりとだけれども着実に何か変化しつつあるような気もします。

などと、大きな不安にさいなまれながら、地上のちっぽけなぼくはといえば、風邪をひいちゃって体調不調です。ごほごほ。まいった。

おじいさんのようですが、年々、風邪に対する抵抗力が弱ってきている気がします。風邪をこじらせて亡くなるお年寄りの話を聞いても実感がなかったのですが、何だかわかる気がしてきた(苦笑)。なんというかですね、辛さに抗うよりも何もぱっと手を離しちゃいそうな気がするんですよね、抵抗することを。やれやれ。風邪はひきたくないものです。

そんな体調の弱っているときには心も弱りがちです。寝込んでつらいときには考える余裕もないのだけれど、ちょっと快復してくると、時間もできるのでいろんなことを考えてしまう。これがよくない。

何がよくないかというと、たかが風邪をひいただけなのに、健康管理ができていない→日頃の不摂生がよくない→おまえ(自分)が悪い・・・のように、自虐的な無限ループにはまってしまうんですよね。これがまずい(苦笑)。

別にね、一生風邪ひいているわけじゃないでしょう。いまは風邪だけれど、いずれは治る(と、いいつつ、こじらせて随分長びいているんですが。ストレスのせいでしょうか)ものじゃないですか。それを全人格的なものに転換してしまうと性質が悪い。

メタファー的な思考で考えると、シネクドキ(提喩 synecdoche)的な思考でしょうか。難しい言葉を使ってしまいましたが、要するに部分と全体をすりかえて表現するような思考です。たとえば、「飲みに行こう」というときに、「酒を飲む」という部分は「飲む」という行為全体の言葉にすりかえられています。「飲みに行こう」と言ったときに、牛乳を飲むひとはいないですよね。けれども厳密に言えば、飲む(全体)=酒を飲む(部分)ではないのに、その表現が成立している。そんなレトリックです。

と、ちょっと余談に話がそれましたが、脳というのは、つながらないAとBを無理やりつなげようとする傾向があるような気がします。だから、風邪をひいた自分の具合の悪さと、全人格的な性格の悪さはまったくつながらないものなのに、そのふたつを恣意的につなげてしまう。さらには永続的に普遍化するので、一過性の風邪という状態なだけなのに、一生おまえは具合が悪いのだ、はっはっはっ・・・というように高らかに宣言してしまう。

だいたいブログで炎上など問題になったりするのも、拡大解釈というか、部分的なほんの数ワードに脊髄反射的に反応して、ブロガーの全人格を否定する・・・そんな解釈の暴走にあったりしますよね。

こういうときに何がいちばんの処方箋かというと

「つながりの切断」

ではないでしょうか。物事の因果関係をもう一度ばらばらにする。

そもそも、ぼくらの世界にあるものは理屈でつなげることができるものであり、けれどもだからといって拘束力があるというわけではありません。すべてが、ゆるいつながりによって接合されています。家族の縁もそうですよね。絆といっても、ロープで結わいてあるわけではない。

言語学的な観点からは、目の前にあるパソコンはパーソナルコンピュータの略語ではあるのだけれど、ぴーとろ(意味がわかりません)と言ってもかまわない。ソシュールか誰かによって説かれていたことだと思うのですが「言語の恣意性」というような概念だったかと思います。実体としての「リンゴ」と言葉の「リンゴ」には、かならずしも「リンゴ(実体)」が「リンゴ(言葉)」でなきゃいけない理由はない。必ずリンゴと呼ばなきゃならないのであれば、appleという言葉は存在しないわけです。その自由度がまた人間にとっては都合がよい気もします。

と、何を言っているのかわからなくなってきましたが、ばらばらと上空を飛んでいくヘリコプターに不安を煽られるけれども、その存在が日常を脅かす前兆ととらえるべきか。風邪のつらさに自分の未来を憂うことはありますが、風邪なんて一過性のものであって明日には元気になってぴんぴんしているかもしれない。

妄想も重くなりすぎると現実を侵食しはじめます。過度に思い詰めないことが人生を楽しむための最適な処方箋かもしれません。万能薬はないけれど、心がひいた風邪に効く薬はあるような気がします。それはたとえば、がんじがらめになった意味やつながりの呪縛を解いてあげることだったりする。

ただ一方で、ほんとうにつなげなきゃいけないものをつなげる「センス」も大切です。インスピレーションのような科学では解明できていないセンスも含めて。

投稿者 birdwing 日時: 23:58 | | トラックバック

2007年10月23日

the guitar plus me / zoo

▼music07-045:ひそやかなギターの調べとユーモラスな歌詞。バロック風でもある。

ZOO
the guitar plus me
ZOO
曲名リスト
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01.moonlight
02.circus
03.penguin
04.jellyfish
05.echo
06.zookeeper's waltz
07.pacman + piranhas
08.bills hills breakdown
09.evollution
10.(inside or outside of) cage

タマス・ウェルズのコンサートに行ったときに、彼の前に演奏していたのがthe guitar plus meことシオザワヨウイチさんでした。

ひとりぼっちのギター弾き語りでしたが、スキャット風に口真似で「ちきしゃかつくしゃか...」のようなシンセを表現していたところが面白いと思ったのですが、アルバムを聴いてみたらきちんと打ち込みのシンセが入っていた(笑)。なんとなくライブで口シンセをやってしまう純朴さが彼のよさのように感じました。誠実で、ほんわかあったかくて、ユーモラス。すべての曲が英語の歌詞です。かなり好みのストライクゾーンです。

雰囲気的には、勝手な印象ですがリトル・クリーチャーズをもっと軽くした感じでしょうか。彼等はどちらかというとソウルとかグルーヴのある感じですが、キラキラ感のあるかわいらしいフォーク調のギターにした印象。そのあたりが若干物足りなくもあるのだけれども、しかしながらthe guitar plus meの個性のようにも思いました。

なんとなくぼくの心に響くタイトルの曲が多かったのですが、あらためて歌詞を見直してもいいなあと頷けます。たとえば、アルバムの1曲目は「moonlight(月光)」で、月の光を冒頭に置くことから既にぼくの好み!なのですが、次のような歌詞からはじまります。iが小文字なのは、歌詞カードのまま。

i missed a rapid train but i don't care at all
i'm listening to the song again so i wanna go slow

快速電車に乗り損ねた、でも全然構わないさ
僕はその曲をまた聴いている、だからゆっくり行きたいのさ

この、ゆるゆる感(笑)。けれどもそこはかとなく漂う切なさ。いいですねえ(しみじみ)。ライブでも演奏されていた、3曲目「penguine(ペンギン)」は次のような歌詞です。

i'm penguine
i have wings
i can't fly
i hate the sky
i blame it on this rain
i blame it on weather

僕はペンギン、翼がある
僕はペンギン、空は嫌い
僕はこの雨のせいにする、天気のせいにする

ペンギン的なひとっていますよね。翼はあるのだけれど飛べない。そして飛べないことを何かのせいにする。この歌詞の最後のほうでは、「特攻野郎Aチームの助けが必要なんだ」とか「BAバラカス(通称コング)の食べ物には、睡眠薬が含まれている/そして、君らは僕を飛ばせてくれる!」などという、なんだかあやしい話になっていきますが、こんな比喩的な表現も楽しい。楽曲的にはマイナーコードとメジャーコードがくるくると入れ替わる曲の展開も、もろに好みでした。シンプルなソロと、何気ないハーモニクスも凝ってます。

ぴこぴこしたシンセの音からはじまる「jellyfish(ジェリーフィッシュ)」もいい。ペンギンときて、くらげ(jellyfish)では水族館かなと思いますが、この詩の冒頭もおとぼけでよいです。

sister tooth built my apartment
it's made of trampoline & transparent

sister tooth が、僕のアパートを建築した
それはトランポリンで作られていて、透明なのである

透明なトランポリンのアパート、どんなんでしょ(笑)。でも語の響きとして、trampolineとtransparentが利いている。こういう洋楽的なアプローチが好きです。サビでマイナーコードになるところもよい。かなり古いのですが(2005年7月25日)、bounce.comのインタビューを読んで、なるほどと思いました。以下、引用します。

その歌詞の世界は、彼が敬愛するスティーリー・ダン(しかも70~80年代ではなく、近年の作品)の近未来的世界観や予測不可能な展開に通じるものがあり、過激なシニシズムとグローバリズム批判が混在する。

なるほどね。ドナルド・フェイゲン的なちょっとSFちっくな世界観を追い求めているんですね。いいかも。

リリカルなギターのアルペジオが透明感に溢れていて素敵なのですが、後半ではハープシコード的な音も加わってなんとなくバロック風になります。あまりにはまりすぎると、ぎゅわーんというハードな楽曲を聴きたくなってしまう少年魂が発動してしまうのですが(苦笑)、晴れた日曜日の午前中には、こんなしんみりと静かなギターの音を聴いていたい。

アルバムの流れとしては、ひそやかな1曲目「moonlight」から一転して打ち込みのバスドラムが利いた2曲目「circus」につながる感じが気持ちよかった。逆回転のシンバルの音や動物園的な効果音からはじまる「zookeeper's waltz」はワルツなだけに3拍子のインスト曲なのですが、ハープシコード風の鍵盤も入ってバロック風です。9曲目の「evollution」もハープシコード入りです。この曲はライブでちょっと大変そうでした。たぶん運指とかコード進行が凝っているので、難しい曲なのではないでしょうか。

こんな風にアコギが弾けるといいんだけどなあ。とりわけ凄いわけではないのだけれど、ほんわかと心を軽くしてくれる一枚です。

■オフィシャルブログ
http://blog.livedoor.jp/tgpm/

■my space jellyfishが試聴できます。
http://www.myspace.com/theguitarplusme

■PV
http://www.sound-tv.net/artists/theguitarplusme/

*年間音楽50枚プロジェクト(45/50枚)

投稿者 birdwing 日時: 23:36 | | トラックバック

2007年10月22日

「働く理由―99の名言に学ぶシゴト論。」戸田智弘

▼名言で編む仕事のテツガク。

4887595654働く理由 99の名言に学ぶシゴト論。
ディスカヴァー・トゥエンティワン 2007-07-12

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座右の銘って、よく言われますよね。偉人などの名言を心に刻んで行動規範としたり、挫けそうなときに自分に言い聞かせたりする言葉です。残念ながら、ぼくはそういう言葉を持っていません。もし就職活動などの面接の場で「あなたの座右の銘は何ですか?」などと質問されたらフリーズしてしまいそうです(苦笑)。

他人に座右の銘を語るようなときでは、「成せばなる」のような当たり前の言葉では印象が薄いので、自分なりのチョイスと理由付けが必要になります。どんな言葉を選ぶのか、というセンスが重要であり、個人のテツガクを感じさせるものでなければならない。

就活のエクササイズとして、座右の銘を探す、というのはイコール自分探しにもなるような気がしました。自分のオリジナル名言であってもいいと思うんですけどね。借りてきた偉人の言葉ではなく。

「働く理由--99の名言に学ぶ仕事論。」は、キャリアカウンセラーである戸田智弘さんが、仕事とは何かと考えつづけるなかで出会った数々の名言と対話しながら、働く理由についてテツガクを組み立てていく本です。

99の名言が引用されているのですが、名言と呼ばれる言葉はそれだけで力があります。したがって、偉人の言葉の力が強すぎて、戸田さんが言おうとしている趣旨が霞んでしまいがちな部分もあると思いました。引用された言葉のベクトルに引っ張られて、散漫な印象の部分もあります。引用って難しいなあ。

ブログも同様でしょう。ブログの場合には特に書き手の都合のいいように、書かれたエントリーの一部を切り取ることもできるわけで、場合によっては引用元からまったく意味が変わってしまうことがあります。

結局のところ、言葉って何?と考えると

「解釈の具体化」

かもしれません。リアルをどう切り取るかという解釈が言葉になる。たとえば赤い頬を「リンゴのほっぺた」と比喩的な表現を使ったとき、信号機やケチャップなどさまざまな赤いものの選択肢からリンゴをチョイスする。その現実の切り取り方=解釈が重要です。

「リンゴのほっぺた」というのは使い古された言葉でクリエイティビティを何も感じさせないのですが、手垢の付いた解釈は言葉としても切れ味が悪くなるし、コピーライターや小説家は、どれだけ新鮮な解釈によって読み手のアタマのなかにさわやかな風を吹かせることができるか、光を溢れさせることができるか、ということが重要になるとも考えられます。

しかし、その解釈の飛躍は、突拍子もないところから出てくるわけではありません。才能さえあれば努力もせずに飛躍できるというものではない。思考の飛躍を才能のあるひとだけに与えられた特権として考えると話は終わってしまうのですが、一般的なぼくらであっても思考を飛ばせることはできる。しかし、飛ぶまでのあいだには、地面を這うような助走が必要になる。

仕事にも通じるところがあります。ぼくは企画という仕事に携わっているのですが、世間一般で考えられている、ちゃらちゃらとした企画とはかけ離れていて(というのもどうかと思いますが)、その作業はものすごく地味です(苦笑)。こつこつと積み上げていくことが多い。

しかしながら、多くのスポーツや芸術などで同様なように、基礎ができていないところで飛躍もできないんですよね。基礎ができていないところで飛躍すると、短期的には目新しいかもしれないけれど、ぜったいに弱さやボロさが露呈する。音楽であっても、才能にばかり走りすぎると薄っぺらになる。ハッタリの才能に甘んじることなく、いろんなことを吸収し、人生経験を積むことが間接的によい仕事を生み出すことにもなります。したがって、そこには時間がかかる。

ここがですね、若いひとにはよくわからないことではないか。かつて若かったぼくも同様だったのだけれども(苦笑)。

ある程度の飛躍を可能にするためには、時間が必要なのです。こつこつと積み上げていく時間が大切になる。よい仕事をするためには、焦らずにじっくりと熟成させることが大事なこともある。このことを戸田さんは次のような法則であらわしています(P.164)。

「可能性」×「10年間の連続」=「才能」

そして、戸田さんが引用されているモーパッサンの言葉が非常に端的だけれど力がありました。

才能とは継続する情熱のことである。

畳み掛けるように引用されていますが、同様の言葉をいくつかまた引用します。

これは小説家としての問題だけではなくて、夢を持ったときに、どんなものでもいまの世の中は十年その願望を持ち続ければ、必ず成就するというふうに思いますよ。十年間なにかに熱中するということは、好きなことであってもなかなか難しい。逆にいうと、十年間がんばるという気持ちでいれば、大抵成就します。――高橋克彦
私は「ある方面での職業的成功とは、適性&かけた時間の総和であって、才能の問題にあらず」と考えている。――本多信一
才能というのは、その人が小さい時から自分の孤独と傷を癒すために、必死で自分を肯定しようとしてきた結果のことなんです。――小倉千加子
物事を成就させ成功させる力は何か、その力の中にはむろん能力があろう。だが能力は、必要な条件ではあってもじゅうぶんな条件ではない。じゅうぶんな条件とは、その能力に、起動力・粘着力・浸透力・持続力などを与える力である。そのような諸力を、私は執念とよびたい。――土光敏夫
「夢」っていう言葉は、とても綺麗な言葉ですが、ある意味では生ぬるい。それで事が成し遂げられるかと言えば疑問です。どうあってもこれを実現したいし、また実現しなくちゃならない・・そういうこだわりや固執、つまりもっと泥臭いものが必要じゃないかと思うんです。――錦本彰

これらはすべて自分という個のなかに帰属する言葉なのですが、一方で、才能は他者という社会のなかにある、という発想も書かれていて、こちらも重要ではないかと思いました。

力を注ぐことは大事なのだけれども、社会と調和しないことであれば成就するのも難しくなる。自分が求めていることと社会のマッチングができれば、成就の可能性も高まります。それは自分が何ができるか、ではなく、企業にとって何を貢献できるか、ということを説いたドラッカーの発想にもつながるところがあります。

そして、他者や社会性を考慮しつつ、

自分の人生は自分で選ぶ

という自律性が重要ではないでしょうか。マジック・ジョンソンの次の言葉に打たれました(P,144)。

「お前には無理だよ」と言う人のことを聞いてはいけない。 
もし、自分で何かを成し遂げたかったら、
できなかったときに、他人のせいにしないで、自分のせいにしなさい。
多くの人が、僕にも「お前には無理だよ」と言った。
彼らは、君に成功してほしくないんだ。
なぜなら、彼らは成功できなかったから。
途中であきらめてしまったから。
だから、君にもその夢をあきらめてほしいんだよ。
不幸な人は不幸な人を友達にしたいんだよ。
決してあきらめては駄目だ。
自分のまわりをエネルギーであふれた、
しっかりした考え方を持っている人で固めなさい。
自分のまわりをプラス思考の人で固めなさい。
近くに誰か憧れる人がいたら、その人のアドバイスを求めなさい。
君の人生を変えることができるのは君だけだ。
君の夢が何であれ、それにまっすぐ向かって行くんだ。
君は、幸せになるために生まれてきたんだから。

アランの幸福論からの次の言葉にも通じると思います(P.229、232)。

悲観主義は気分に属し、楽観主義は意思に属する。
成り行きにまかせる人間はみんなふさぎこんでいるものだ。
どんな職業も、自分が支配しているかぎりは愉快であり、
自分が服従しているかぎりは不愉快である。

自分の人生は自分で決められるものであり、会社が何にもしてくれない、と言うのであれば、別にその会社に執着することもなく、辞めてしまえばいい。その自由が個々人にはあると思います。愚痴や不満、反省をしている時間があれば、次に何をすべきかという時間にあてたほうが有意義です。

淡い夢、理想などというメルヘンは企業には必要がなく、重要なのは確固とした未来に対する構想であり、そのための戦略であり、積み重ねていく実績だと思います。という現実主義に立脚しながら、それでもあえて夢というカタチのないものを語ることができるか、ということをリーダーの要件として考えたいのですが。

仕事は仕事、遊びは遊び、という割り切る発想もありだとは思うのですが、最近、ぼくはその効率的な発想に疑問を感じています。仕事にも遊びにもとことん没頭すると楽しいじゃないですか。身体を壊してはどうかと思うのですが、寝食を忘れて没頭するような仕事/遊びがいい。

いまぼくは仕事も、そして趣味の世界も最高に楽しい。完全にうまくいっているわけではありませんが、厳しさに対しても自分で選択しているという考え方にシフトしようと考えています。そして、ぼくを支えてくれたり、成長させてくれたり、刺激を与えてくれるひとの存在に感謝したいと思っています。10月19日読了。

投稿者 birdwing 日時: 23:26 | | トラックバック

2007年10月21日

ドリームガールズ

▼音楽ビジネスと光と影、そして生き様を描いたミュージカル。

ドリームガールズ スペシャル・コレクターズ・エディションドリームガールズ スペシャル・コレクターズ・エディション
ジェイミー・フォックス ビヨンセ・ノウルズ エディ・マーフィ


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Perfumeというアイドルおよび中田ヤスタカさんについて先日考察してエントリーを書いたのですが、音楽性はもちろんそのビジュアル的な振り付けが面白いと思いました。さらに旧友からのコメントをいただいて、何かがもやもや~と心のなかに浮かんだ。うーん何か言い切れていない、そんな状態のまま放置していたのですが。

もやもやした気持ちのまま久し振りにレンタルビデオ屋さんに行って何気なくこのDVDを借りたところ、偶然とはいえ、あっ!とひらめきが生まれました。それはどういうことかというと、

アイドルの原型はモータウンの音楽にある

ということです。特長的な振り付けやコーラス、ダンサブルな音楽など、ヒットチャートを意識した音楽のビジネスモデルとアイドルの原型がそこにある。無理やりこじつけてしまえば、Perfumeのルーツもそこにある。

「ドリーム・ガールズ」は、ダイアナ・ロスとスプリームスの実話を下敷きに作られたミュージカルの映画版です。3人編成のスプリームス(かつてはシュープリームスと呼んでいたかと思うのですが、Wikipedia によると最近はこの呼び名らしい)は、その音楽といい、3人それぞれがリードを取る歌い方の編成といい、Perfumeに似ている気がする。

というか、テクノ+ハウス系の最先端の音楽というオブラートで包んでいるけれども、たぶん中田ヤスタカさんは、その原型にモータウンのスプリームスという文脈を置いているのではないか。Perfumeは21世紀のスプリームスだったりするかも。計算されつくしたプロデュースなので、きっとそんなことまで考えつくしたうえで、中田ヤスタカさんはコンセプトを構築しているに違いない。恐るべし、アイドルプロデューサー。凄いですね。うーむ、トレンドの作り方として参考になる。

以下、参考までに挿入曲のミュージックビデオをYouTubeから。歌い始める前にポーズを決めているシーンなど、まさに先日引用したComputer Cityそのままです。

■Dreamgirls Music Video

映画のストーリーは、割合単純なサクセスストーリーです。ピュアな気持ちでスタートしたはずの音楽なのですが、売れるための商品として、あるいは誰がトップ(メインボーカル)を取るかという力争いにおいて、あるいは恋愛やドラッグなどが絡んで脱落する人間がいたり、けれども復活する人間がいたりする。そんな人間模様がうまく描かれていました。

物語はステレオタイプなのですが、映画全体を通して音楽が流れています。いやーその迫力に圧倒されました。特に中盤以降、泣けた。

歌唱力はあるのに売るために美人のディーナ(ビヨンセ・ノウルズ)をメインボーカルにしてトップから外されたエフィ(ジェニファー・ハドソン)は、遅刻したりモチベーションを喪失していくのですが、その限度がすぎてついにグループから追放されてしまう。結局、恋人であるカーティス・テイラー・ジュニア(ジェイミー・フォックス)とも別れてしまうのだけれど、そのシーンで「わたしは離れない」と歌うエフィのソウルフルな歌声には胸を打たれまくりです。

ちなみに、映画のなかのレインボーレコードが実際のモータウンレコードであり、ディーナはダイアナ・ロス、カーティスはモータウン・レコードの創設者であるベリー・ゴーディ・ジュニアをモデルにしているようです。

この映画を観ながら思いました。モータウンをはじめR&Bは要するに「演歌」であると。ソウルというと何か聴こえはいいのですが、どろどろとした怨念とか情念がその成分にある。というよりも怨念や情念がソウルそのものであるのかもしれません。なんとなくぼくはそんなどろどろな苦手な世界で、だから演歌は敬遠しがちだったのだけれど、その成分が人間の気持ちの深いところに根ざしていることは間違いなく、心を打つことも確かです。綺麗なものばかりではなく、闇やどろどろとしたものから生まれる音楽もある。

映画のなかでは、歌に時代を批判するメッセージを込めようとして曲を作るのですが、プロデューサーであるカーティスが「そんなものいらない」と苦々しく言い捨てるシーンがありました。音楽は時代性とは切り離して考えられないし、一方で、なまなましい個人の生き様とも切り離すことができない。両者をうまくつないだところにある音楽が、ひとの心を打つものです。しかしながら、そこに商業的な儲けが加わってくるとまた違ってくる。ピュアとか悪とかで片付けられる問題ではなく、そんな複合体のなかでカタチを変えていくのが音楽なのかもしれません。

音楽は商品であり、時代の反映であり、そして生き様である。表現であり、新しい何かであり、同時に古い伝統を内包している。そんなことを考えた映画でした。10月22日鑑賞。

■公式サイト
http://www.uipjapan.com/archive/dreamgirls/top.html

投稿者 birdwing 日時: 23:45 | | トラックバック

ディパーテッド

▼リメイクとして観なければ・・・。解釈の違いに疑問。

B000OYCKTQディパーテッド
ウィリアム・モナハン
ワーナー・ホーム・ビデオ 2007-06-08

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昨年までは年間100本の映画を観るのだ、と鼻息を荒くしていました。結局のところ毎週末にレンタルビデオショップに足繁く通い90本ぐらい観て挫折する、という一年間だったように記憶しています。

今年も下方修正した目標があったのですが、ブログの引越しやら何やらで忘却(苦笑)。とはいえ、放っておくと映画を観たい気持ちがぽつぽつと湧きあがってくるもので(このあたりの表現で、ふつふつと、ではないところに注意。それほどじゃないんですよね。ぽつぽつ。ぽそぽそ、というか)、久し振りに映画を借りにいったのですが、店頭に並ぶ作品はすっかり様変わりしていて困惑。

リハビリもかねて最初からあんまり重いのはいかがなものかと思い、よくわからないのですがレオナルド・ディカプリオとマット・デイモンがジャケットに並んでいる本作品を借りてきました。

ふんふん、マフィアに潜入する警察官の話ね、と思いながら観ていたのですが、途中から、まてよ?これどこかで観たことがある気がする・・・という一抹の不安が。映画を観ない時間が長かったからそんなデジャ・ヴ的な気持ちになるんだろうと思っていたのですが、途中で、これはもしや・・・とインターネットで調べてみたところ、なあんだと納得しました。

「インファナル・アフェア」という香港映画のリメイクなんですね。最初から調べて借りなさい、という感じですけれども。苦笑。

トニー・レオンが好きで観ていたのですが(続編と続々編はいまひとつだった気がする)、うーん、「インファナル・アフェア」をリメイクした「ディパーテッド」、どうでしょうこれは。マーティン・スコセッシ監督であり、レオナルド・ディカプリオは非常に暗い表情でよいし、マット・デイモンも体調悪くて小心ものの警察官を演じていて、申し分ない感じがする。第79回アカデミー賞監督賞・作品賞だそうです。けれども正直なところ、「インファナル・アフェア」を観てしまったぼくには、なんとなく物足りなさを感じました。

やっぱりこれはですね、バター臭いアメリカ映画というよりも、アジア系のごちゃごちゃした雰囲気と、行き場のない「業」のようなものを感じさせる雰囲気のほうが合っているのではないでしょうか。監督や配役が悪いわけでなく、文化という背景の違いだと思う。

あくまでもぼくの感じた印象ですが、内向的で何考えているかわからないが任務としてやることはきちんと遂行する、表情には出ないけれども忍耐強いトニー・レオンのようなアジア系の人間が演じたほうが、映画の深みが出せるような気がしました。こいつは永遠に苦しみにじっと耐えちゃうんだろうな、という切なさが伝わってくる。レオナルド・ディカプリオの場合には、潜入警察の辛さを薬に逃げて、途中でやめちゃいそうな気がした(すみません、勝手な印象です)。

精神科医とのやりとりも、なんとなく違う。いっしょにベッドに入っちゃったらダメでしょう(苦笑)。トニー・レオンが演じているほうでは、ストイックだけれども、ほんわりと愛情の漂うような関係があり、それがよかったのに(と、観ていない方には何のことやらわかりませんね)。潜入警察としての偽りの自分に疲れながらも、その女医の部屋を訪れるとなんとなく安らかに眠れてしまう。ハードボイルドな男が羽を休める場所としてのカウンセリングルームの設定がよかったんですけどね、レオナルド・ディカプリオの場合には、彼女をなじったり薬を貪り飲んだり神経質すぎる。脚本の解釈の違いなのかもしれませんが、これは違う気がするなあ。欧米的ではあるけれども。

そんなわけで、アジアの作品を米国でリメイクするのはどんなものだろうという疑問を感じています。したがって、「イル・マーレ」も手に取りながらどうしようかと迷っています・・・。10月20日鑑賞。

投稿者 birdwing 日時: 23:17 | | トラックバック

2007年10月20日

[DTM作品] 真昼の球体。

既に最新号が出てしまったのですが、BRUTUSの10/15号は「言葉の力」という特集で、いまだにぱらぱらとめくって読んでいます。この雑誌、永久保存版になりそうな感じ。

特別付録は「心の詩集」で、30人の方のおすすめの詩を掲載しています。いくつか印象に残った詩があるのですが、田村隆一さんの「言葉のない世界」がとても印象に残りました。この詩を推薦しているのはサトエリ(佐藤江梨子)さん。抜粋が掲載されています。以下、引用します。

BRUTUS 言葉のない世界

言葉のない世界は真昼の球体だ
おれは垂直的人間

言葉のない世界は正午の詩の世界だ
おれは水平的人間にとどまることはできない

言葉のない世界を発見するのだ 言葉をつかって
真昼の球体を 正午の詩を
おれは垂直的人間
おれは水平的人間にとどまるわけにはいかない


言葉が鋭角的に研ぎ澄まされています。この詩のなかでは、垂直的人間という上昇志向でラジカルな表現もよいのですが、ぼくが注目したのは「真昼の球体」です。なんだかよくわかりませんが、いい。「まひるのきゅうたい」と口のなかで転がしてみても心地よい。

というわけで「真昼の球体」という言葉を一人歩きさせて、イメージした曲を趣味のDTMで作ってみました。このイメージの背後には「言葉のない世界」が広がっているつもり。以下、ブログで公開してみます。


■真昼の球体(2分25秒 3.34MB 192kbps)

作曲・プログラミング:BirdWing


ぼくの作るモチーフとしては多いのですが、ハレーションを起こすような光に溢れた正午のイメージ。アスファルトの上に濃い自分の影が焼きついていて、ゆらゆらと陽炎が立ち昇っている。まるで真空のように自分のまわりだけ静かで、密閉された空間のような正午に取り巻かれている。濃密な時間です。

しかし、楽曲としてはごちゃごちゃして、いまひとつでしょうか。ピアノのメロディからできましたが、最初から最後まで同じフレーズで構成しています。

参考にしたというか、目指したかった音は(ぼくのはエレクトロニカ系なのでぜんぜん違うけど)ポール・ウェラーでしょうか。やはり硬質な音の背景には、硬派なロックの文脈を持ってきたい。「Wild Wood」というアルバムの1曲目でアルバム全体の雰囲気を印象付ける「Sunflower」です。YouTubeのPVは埋め込み不可のようなので、リンクを以下に掲載します。

■Paul Weller - Sunflower
http://jp.youtube.com/watch?v=6fajXLj4i1w

B000UNXZKEWild Wood
Paul Weller
Yep Roc 2007-11-27

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ふたたび田村隆一さんの詩に戻るのですが、硬質な言葉の連鎖。いいですね。結晶化された言葉という印象がある。BRUTUSにはこの詩が収録されている講談社文芸文庫の「腐敗性物質」という詩集が掲載されているのですが、これ持っている気がする。どこいったかなーと探そうとしたら本の雪崩にあいました。うーわー(流され中)。

4061975633腐敗性物質 (講談社文芸文庫)
講談社 1997-04

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気を取り直して。ぼくの書く言葉はどちらかというとやわらかめなのですが、たまに一人称を「おれ」に変えて書きたくなるときがあります。中学生がタバコを吸っているみたいなイメージになって、さまにならないんですけどね(苦笑)。

ちなみに、BRUTUSで「言葉のない世界」という詩について解説されている佐藤江梨子さんの言葉もいい。「熱い生き方にクールな文体、生き様に憧れてしまいます」として次のように書かれています。引用します。

私はどうしたら人に愛されるか、どうしたら嫌われずに済むかっていう、どちらかというと寺山修司的な考え方を持っている人間です。でも19歳の頃から愛読している田村隆一さんの詩を読むと、言葉で時を止めることも、息を止めることも簡単にできるんだって感じてしまう。私は自称「やきもち焼きの天才」なんですが(笑)、マイナス部分の自分を自慢してしまうあたりにも、通じるものを感じます。攻めの言葉ではないけれど、決して折れない強靭さを持っている言葉。本当に尊敬している、大好きな作品です。

わかる(笑)。愛されなくても平気な人間って、いないと思うんですよね。「愛されなくてもいいと強がる人間」はいるけれども。結局のところぼくは、ブログでモテる思考よりも愛する思考を、のようなことを書いたのだけれど、それは強がりの美学だと思う。愛されなくても大丈夫な人間なんて、どこにもいない。できれば、愛されたい。それもいちばん大切なひとに。

しかし、その強がりを「真昼の球体」という閉塞的な孤独をあらわす言葉の結晶に閉じ込めてしまう詩人。そのひりひりするような切なさにぼくは惹かれます。そして、そんなイメージを音にできればと思いました。できてないような気もするけど(苦笑)。

投稿者 birdwing 日時: 21:53 | | トラックバック

2007年10月18日

褪せないように、忘れないように。

日付変更線を越えるか越えないかという時間に帰宅するハードな毎日ですが、今日は久し振りに息子たちにおやすみを言うことができる時間に帰ることができました。

となりの部屋で息子たちは寝ているのだけれど、ごにょごにょ話したり、笑ったりふざけたり、ときどき歌い始めたりする声が聞こえる。早く寝なさいっ(笑)!という感じなのだけれど、甲高い声の歌を聞くのはいいものです。いずれ眠りに落ちてしまうのだから、もう少し聞いていたい気がする。そして、そんな声を聞けるのも、あと数年ではないか、と。

何の歌だろうと思って聞いていたら、ウルトラマン(それも初代。むねーに、つけーてる、マークは流星・・・という)でした。放送終了してしまった最新のメビウスではないのが面白い。ウルトラマンメビウスの番組のなかでも古いウルトラマンが出てきたのですが、時系列でアーカイブされたウルトラマンを息子たちはすべて並列にみています。家には最新の怪獣に混じって、キングジョーのソフトビニールの人形があったりする。不思議な子供たちです。

子供たちのことを久し振りに書いてみます。といっても、たいしたことじゃないのですが。

先週のことですが、金曜日。幼稚園の友達と芝生で転がりまくった次男くんは喘息をぶり返し、風邪をひいていたせいもあって、日曜日には喘息の発作を起こしました。発作を起こすと息がうまくできないせいか、お腹が硬くなる。硬くなったお腹をさすりながら、救急病院に連れて行きました。

久し振りに抱っこする次男くんが重くて、こんなに成長したかーと思った。相変わらず、診察のあいだには不安そうに「もう終わり?」を繰り返して泣きそうになるのですが、それでも最初の頃に比べると、彼も慣れてきた気がします。季節の変わり目のせいか、たくさんの子供たち(と、その親たち)が病院に訪れていました。1年未満の赤ちゃんを連れてきた夫婦が、診察で泣き喚く子供に耐えられずに涙をぼろぼろこぼしていて、思わずもらい泣きしそうになった(涙)。そういう時代もあったなあ、という感じです。

その次の日、いつものように会社に行く前に「行ってきます!」といったところ、いてらっしゃい、と次男くん。あれ?とちょっと新鮮に思いました。いつもは知らんふりをして怪獣遊びに夢中になっているのに、はっきりとぼくに、行ってらっしゃい、を言った。びっくりだ。ささいなことだけれど新鮮だったので覚えていて、次の日も声をかけてみると、やっぱり挨拶に答えてくれる。それもきちんとぼくの方を向いて。

たぶんですね、これはぎゅーっと抱っこしたためではないか、と。

喘息で辛くて苦しいときに、ぼくに抱っこされて、深夜に喘息の発作が起こって月を見上げながら病院に駆けつけた日のことを思い出したのかもしれません(彼はミカヅキが好きだ、とそのときに言っていた。以後、嫌いになってしまったらしいが)。そしてやっぱり辛くて苦しかったあのときと同じように抱っこされて、いままで「断絶」していた心の配線が、たぶん彼のなかで「つながった」のだと思う。

辛いときには声をかけてあげることも大事だけれど、やはり親がぎゅーっと抱きしめてあげることがどんな言葉よりも通じるものですね。

知らず知らずのうちに離れかけていた気持ちが、喘息という彼にとっては危機的な状況を契機として変わったのだと思います。それはほんとうにちいさな変化で、もしかするとただの偶然かもしれません。けれどもその「通じた」一瞬というものを大切にしたい。ついでにいうと、そんな危機的状況にならなくても、きちんと気持ちをつなげる父でいたい。

日常のあれこれはすべて色褪せていってしまいます。大きな事件や出来事は覚えているかもしれないけれど、瑣末な日常の断片はすべて記憶のなかに埋もれていってしまう。

ひょっとすると、ぼくがこの世界にさよならを告げるようなとき、思い出すのは4歳の次男くんの、いてらっしゃい、のような場面かもしれない。

なので、そんな瑣末な日常の断片も大切に記述しておこうと思います。

投稿者 birdwing 日時: 23:13 | | トラックバック

2007年10月16日

思考のデザイン、生活のデザイン。

昨日、取材に同行してある著名人のご自宅を訪問したのですが、インテリアデザイナーが手がけたような部屋のあまりのかっこよさに度肝を抜かれました。素敵すぎる。ドラマのセットみたいです。しかしながら、逆に自宅に戻ったところ、自分の部屋の雑然さに凹みました。ひどすぎる。納屋ですか、ここは(泣)。

とにかくモノが多すぎる。いや、多くてもいいんです広ければ。しかしながら狭い部屋であれば、モノを減らすしかないでしょう。捨てられない性格がいけないのかもしれませんが、いちばんの問題は本が多いことです。雪崩を起こしがちなので、なんとかしたい。ドラ○もんがいてくれたらスモールライトで収納してほしい。

と、本が多くて困っているのにも関わらず、本日、書店に立ち寄ってまた本を購入してしまいました(泣)。なんだかなあ。しかも、「整理」という言葉に惹かれて購入しているから、皮肉なものです。

購入した本は、アートディレクターである佐藤可士和さんの「佐藤可士和の超整理術」でした。

佐藤可士和の超整理術佐藤可士和の超整理術
佐藤 可士和


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デザイン系の方は、装丁が真っ白ですね。デザインの究極は白なのだろうか。

ぼくがこの本の何に惹かれたかというと、アートディレクターの視点から空間的にモノを整理する手法だけでなく、情報や思考を整理するノウハウが書かれている点です。さすがにハイクオリティな創造的仕事に携わっているだけあって、言葉のセンスもいい。

ほとんどあまり佐藤可士和さんのことを知らずに購入したのですが(不勉強ですみません)、デザインの世界では超人気なひとのようでした。キリンの極生とかSmapとか、そんなデザインをされているらしい。糸井重里さんの「ほぼ日刊イトイ新聞」のデザイン論や、R25のインタビューアップルのページに掲載されたインタビューなどを読んだのですが、どうやらデザインという領域を超えてデザインを考えているひとなのではないか、という印象を持ちました。

一方で、そんなクリエイターさんなので、ブログで酷評されていたりもする(苦笑)。結局のところデザインは感性による価値判断なので千差万別だと思うし、その一方でほんとうにいいデザインは万人が頷くのではないかとも考えます。ぼくデザインよくわかりませんから、というのが本音です。

ただ、ぼくが思うのは、デザイナーって執着しはじめると、どんどんダメになっていくような気がするんですよね。狭い経験値から述べる偏見かもしれないのですが、融通がきかなくなる。周囲の誰もダメ出しできないようなデザイナーっているじゃないですか。まあ、自然と仕事も頼みづらくなるのですが。

頑固な職人気質なひとが多いからか、一般的にそれってどう?と思うデザインを頑なに主張したりする。実は手抜きじゃないか?と思うようなものであっても指摘すると、とうとうとその意味を理屈で語ったり、修正をお願いすると逆切れされたりする。

そのこだわりは大事なのかもしれませんが斬新なものだけがクリエイティブではなく、一般的な常識を持ちながら新しいものを創造できるデザイナーっていないのかね、とも思う。逆にぼくはマネジメントを学んでからデザインへ移行するような人材のほうが、イノベーションを生むのではないかとも思っています。既に海外などでは、そんな動きがあるようですが。

とはいえ、デザイナーさんたちのやわらかい思考がぼくは好きで、そうした考え方にふれるために、深澤直人さんとか、原研哉さんなどの本を読み、非常に感銘を受けました。佐藤可士和さんの本はこれから読むのですが、アップルのページのインタビューで「コミュニケーションをデザインする」として、語っている次の言葉は考えさせられます。

デザインって結局、形をいじることではなくて、ビジョンとか企業や商品の“考え方を形にする”ことが仕事。言語外言語というか、空間であったり、映像であったり、グラフィックや音楽、Webなど、メディアは何でもいいんだと思います。形をいじる仕事だと思っていると先に進めないんですよ。もちろん、それぞれのビジュアルはとても重要なんです。なぜなら、それがインターフェイスになるから。ビジュアルを通して、人と人がコミュニケーションするから、そこの精度が高くないと伝わらない。だから、すごく重要なんですけど、その奥にあるものを考えるようにしないといけない。それを考えるのがぼくの本当の仕事だと思っています。

考えがカタチになっていること。つまり、思考の痕跡がきちんと具体的なクリエイティブに落ちているような仕事がぼくは好きで、趣味のDTMで音楽を作りながら、あるいは小説やブログを書きながら方法論について語るのは、やはり考え方に裏づけられた創作をしたいと思うからです。しかも、その考えを構築した上で考えに囚われない境地が理想なのですが。

こだわりつつ、囚われない。これって、なかなか難しいですよね。時間をかけて練りに練った作品をダメだと捨てることって、できないじゃないですか。でも、ダメなものは捨てるという割り切り方、整理の仕方が創造的ともいえます。創造力を養うためには考えるだけではなく、一流のよいもの、よいデザインに触れることも大事かもしれませんね。アタマだけじゃダメだ、身体も動かさないと。

ぼくは昨日の体験から、やはり自分が恥ずかしいと思えるような人間に出会って、恥をかくことが必要だと思いました。それはひょっとしたらお金持ちであるとか表層的な部分で判断するものではないかもしれません。人間的に、ああ、このひとにはかなわない、という器の大きなひとがいるもので、そんな人間に会ったり会うきっかけを作るのが重要かもしれないと思いました。

できれば20代に、でっかい人間に会えること。それが大事かもしれません。あるいはその偶然の出会いを企てること。

いま読んでいる別の本には、米スタンフォード大学のジョン・クランボルツ教授による「プランド・ハプンスタンス・セオリー(計画的偶発性理論)」というものが紹介されていて、これは自分から何かを仕掛けて予期せぬ出来事を作り出していこうという意思のようです。好奇心、持続性、柔軟性、楽観性、冒険心の5つが必要らしい。

整理は必要だと思うのですが、体系化や構造化することを目的とするのではなく、そこからはみだしたものを楽しめるようになると、創造性が開発できそうな気がします。偶発性をデザインすることは難しそうですが、日常生活においても、決まりきった会話のなかで、ときに波長を乱す不協和音をあえて投じてみるとか、予想もつかない展開を楽しめるかどうかが人生を楽しむコツかもしれない。

えーと、何の話なんでしたっけ(苦笑)。デザインから大きく離れてしまったような気がするのですが、人生をデザイン(設計)するということで、単調な生活のリズムにはっとするようなフィルインを入れるとか、躍動感のあるアクセントを入れるとか、そんなことを考えてみたいものです。そんな流れを変える要素が成長のための「とっかかり」になるような気がしています。

投稿者 birdwing 日時: 23:48 | | トラックバック

2007年10月15日

プロデュース考。

自作DTMの「half moon」という曲にボーカルを付けようと思って歌詞を考えているのですが、なかなかうまい言葉がみつかりません。

BRUTUSなど読みながら詩の名文からも学ぼうと思っているのですが、ひらめきが来ない。そもそもこの曲にはメロディすらあるようでないので、メロディから考えなければならないのですが、よく考えてみると曲ってメロディから作るんじゃないでしたっけ?

趣味のDTMでは、コード進行あるいはビートからぼくは作ります。最近では、ひとつのコードで最初から最後まで引っ張る・・・という強引な曲作りなので、サビという概念がなくなりつつあります。エレクトロニカの楽曲にはそんな構成が多く、延々と同じフレーズを繰り返していたりする。そのスタイルが定着しているのですが、いいのでしょうか。まあいいか。

「half moon」は「AME-FURU」という曲を歌っていただいたSheepさんのボーカルを切り貼りして作っているわけですが、こちらもやはりSheepさんに歌っていただきたく打診しつつ情報交換したところ、いま気になっている音楽はPerfumeとのこと。

PerfumeはCapsuleというユニットで活動されている中田ヤスタカさんのプロジェクトですね。Sheepさんいわく、いまプロデューサーとしては中田ヤスタカさんがキテる、とのこと。

Capsuleは聴いたことがあったのですが、Perfumeはさすがに聴いたことがなく、あらためてYouTubeで検索して聴いてみました。うーむ。わかる気がする(笑)Lotusloungeの音楽に通じるものがあります。Perfumeについて語るのは恥ずかしい気もするので、まずはプロデュースという視点から、中田さんの仕事を考えてみたいと思います。

先日、音楽プロデューサーの小林武史さんのこともブログで書いたのですが、男性が女性のボーカルをプロデュースするプロジェクトなりユニットがヒットするのではないでしょうか。小室ファミリーしかり、かつてのモーニング娘。などもそうだったのですが。

なぜだろう?と考えてみると、男性の視点から女性に楽曲を提供するので、複合的な相乗効果を生み、創作にひろがりができるのではないでしょうか。・・・って、何いってるかよくわからないですね(苦笑)。言い換えてみると、男と女が出会って新しい生命が誕生するように、異質なるものの出会いが創作を別の次元にドライブするのではないか。ああ、余計によくわからなくなっちゃったか(泣)。

さらに言い換えてみます。同質のものが集まる世界というのは居心地がよいけれど、新しいものは生まれにくいし、緊張感もない。というのは、刺激がないからです。ところが、異質なものが出会うときに、そこには緊張感もあるけれども刺激的であり、その科学反応から爆発的に何かが生まれる。

男と女に関するものだけではないかもしれません。西洋と東洋が出会うとか、陰と陽が出会うとか、そんな融合もある。異質なものを求める気持ち。異質なものと一体化したいと願ったり想うことが、広義の「恋」であったり「愛」であったりするのかもしれません。一方で同質なものを求めるのは、友情でしょうか。

話がでかくなりそうなので少しクールダウンすることにして(苦笑)、YouTubeでPerfumeの曲をいろいろと視聴してみたのですが、音的(聴覚)にはもちろん視覚的にも、にやりでした。しかも名称は、Perfume(嗅覚)であって、五感に畳み込んでくる。五感訴求型アイドルかもしれません(と、疲れたアタマで考えたのですが、これはさすがに言いすぎでしょう。味覚とかどうするんだ、という。食べられません。笑)。

なんとなく3人ということもあって21世紀のキャンディーズ(年齢が。苦笑)という気もするのですが、PVを観てこれはすごいな、と思いました。何がすごいかというと、曲を完全にビジュアライズしている。というのはですね、曲+歌詞というのが一般的な音楽の表現だと思うのですが、3人のローテーション(とは言わないか)を含めて踊りが単なる振り付けではなく「言葉」になっている気がします。その動きというパフォーマンスによって生まれる言葉ではない言葉が、音楽+歌詞と連動する。

しかし、よーく考えてみるとピンクレディーとかWinkなんかも(さらに年齢が。苦笑)、独特の振り付けが受けていたわけで、ノンバーバルなコミュニケーションまで含めてアイドルは生産・・・という言葉はどうかと思うのですが、プロデュースされている。しぐさという情報は、実は言葉よりも多くを語る気がしていて、その情報を駆使すると、かなり音楽や歌詞を補完するのではないか。

中田さんの仕事に注目してみると、Capsuleは実験的な試みとか、ちょっとお洒落なボサノヴァらしき曲もあったりして、テクノとハウスを基盤としていても複雑かつ洗練さを追求している。一方で、Perfumeの場合には、そのエッセンスを取り出して、一般ウケ(というよりも特定の視聴者向け?)するように研ぎ澄まされているので、わかりやすい。しかし、わかりやすい音楽にビジュアルが加わることで、より複雑になっているともいえる。

どれが先にできたんだ?と作り手の立場で考えてしまうのですが、やはり中田ヤスタカさんのプロデュースする曲は、すべてが計算されて全体で設計(デザイン)されているということがすごい。

と理屈っぽく語っていても仕方ないので、YouTubeから。ベスト版が夏に出たようで(CDショップをうろうろしていて見た記憶があります)、そのなかに収録されている曲なので、そんなに新しくないのでは。

■Perfume,Computer City(PV)

つづいて、スタジオライブのような映像。ファンというわけでもないので詳しくないのですが、何かの番組ですか?これ、振り付けがすごいと思いました。冒頭から、道を歩く、空を見上げる、太陽とすべて振りになっている。ファンにとっては当たり前のことかもしれないけれど、楽曲とビジュアルの完成度が高い気がします。どうやって考え付くんだろう?振り付けは後、だとは思うのだけれど。

■Perfume Electoro World ~studio live~

そんなわけで、中田ヤスタカさんってどんなひと?という興味が沸いてきたのですが、以下のスペシャルインタビューが個人的には面白かった。

■パワーレック・中田ヤスタカ氏スペシャル・インタビュー
http://www.ikebe-gakki.com/web-ikebe/pr-nakata-intvw/index.html

まず機材に惹かれた、というところが共感したんですけど。しかしながら、プロデューサーって何なんですかね、もう少し考えてみたいと思っています。

投稿者 birdwing 日時: 23:01 | | トラックバック

2007年10月12日

誰かのために、できることを。

ちょっと重いテーマになりますが、かつて言葉の使い手として思考のエクササイズに挑戦したことがあります。エクササイズという冷めたものではなく、ある意味、かなり真剣に考えていたのですが

いま手首にナイフを当てている誰かの手を、
言葉によって止めることができるのか

ということです。えーと、ちょっと重過ぎますか?(苦笑)まあ、たまには重いテーマもいいでしょう。

言葉の力を真面目に追求すると、言葉によって多数のひとを揺り動かすぐらいの力を持つか(煽動という意味もあるかもしれない)、あるいはたった一人の命を救うぐらいの力を持つべきではないか、そんな高邁な理想を抱いていました。若かったのだと思います(といっても、数年前なのだけれども)。

どんな言葉が効果的なんでしょうね。絶望しているひとを救う言葉とは。

北風と太陽の寓話に似ているような気もします。きつい叱りの言葉で、やめろ!と制止するのか。何があったのか教えてごらん?とやさしく声をかけるのか。それとも逆に笑わせちゃうとか。

制止する強さも場合によっては必要だと思います。けれども、その強い力がかえって反発を生むこともある。対話によってやわらげることも可能かもしれませんが、ある段階にシフトしてしまうと対話の余地もないような気がする。聞く余裕がなくなりますね。笑わせちゃうのは斬新ですが、実は難易度が高いのではないか。シリアスな状況で笑わせるのは、よほどの技量がないと難しい。

当時、そのテーマを考えつづけたぼくが到達した答えというのは、

神様じゃないから、ぼくにはムリ

という、非常に腰砕けな結論でした(苦笑)。自分のことも十分に救えない人間が、はたして他人を救えるのだろうか、まず自分を救ってから言え、と。自分の言葉で誰かを救うことができると考えること自体が驕っていて、おまえは神様か、と冷笑気味に突っ込んだ。だから神様に任せてしまおう、という。

ただ、いまあらためて考えるのは、救われない自分であるからこそ、他人を生かすことができるのではないか、ということです。傷ついた人間だからこそ他人の痛みがわかる、というのはよく言われることで、ロバート・ハリスさんの著書にも書かれていましたが、弱い人間だからこそ救える誰かもいる。

神様にはなれませんが、神様的な何かは人間のなかにわずかだけれどもあるもので(と、信じていたくて)、その何かを発動すれば、死ぬことをやめさせるのはムリだったとしても、ナイフを止めることはできるかもしれない。他人に任せてしまって、関係ないもんね、と諦観をもとに言ってしまうことがいちばん寂しい。

ぼくは(というかぼくも)電車のなかで、何気なくお年寄りや妊婦さんに席を譲ってあげたり、赤ちゃんにじーっとみられてにこっと笑ってしまったり、行き先のわからない地方から出てきたひとに親切に教えてあげたりしているひとを見るのが好きです。

いわゆるはてな村のひとたちであれば(全部が全部そうじゃないと思う。はてなユーザーは、はてな村のひとではない、とぼくは考えています。はてなじゃないところにも、はてな村的なひとはいるし)、席を譲る自意識がどーのこーのとか、強者と弱者の社会における存在があれやこれや・・・など、何か問題を難しくしそうな気がするのですが、もっとシンプルでいいんじゃないんでしょうかね?つまり

ぼくらには、誰か他者のために
「何かしてあげたい」、という気持ちがある

ということでいいじゃん、と思います。誰かに何かしてもらいたい、ではなくて。

奪ってばかりの人間は、結果として乏しくなっていく。与えられる人間こそが豊かになる。ギブ・ギブ・アンド・ギブな人生が、豊かな人生なのかもしれません。そして与えるのはお金ばかりではない。

ジョン・F・ケネディの言葉を先日引用したのだけれど、国が何かしてくれるのではなくて、あなたが国に何ができるか、ということ。万人から愛される「モテル思考(テイクの思考)」ではなくて、自らが誰かをきちんと愛することができるかということ。星の数やブックマークの数やアクセス稼ぎに追いまくられるのではなく、ほんとうにこれは!と思った記事にきちんとコメントできること(読みもしない記事全体の一文だけ脊髄反射的に拾ってブックマークにコメントするんじゃなくてね)。

という思考の道草のあとで、ぼくはふたたび

言葉で誰かを生かすことができるのか
稚拙だとしても、ささやかな自分の曲で誰かをしあわせな気持ちにできるのか

ということを考えていきたいと思いました。救うのはムリだとしても、心の向きを少しだけ変えてあげられるような何かを与えられるようになりたい。

あまりに大仰になるのもどうかという感じですが、ぼくは言葉で、あるいは音楽で、誰かの痛みをやわらげてあげることができるようになりたいと思いました。それは大勢のひとではなくてもかまわない。たったひとりのひとの痛みを和らげてあげることができればそれでいい。

そのためにいま視野に入れようとしているのは、ヒーリング、カウンセリング、セラピー、心理療法のような分野です(ははは、いま思いついた)。どうやって学べばいいのかよくわかりませんが、まずはネットで調べれば何か出てくるでしょう。いろいろな好奇心とともに、その分野についてもゆっくりと知識を得ていきたいと思います。

投稿者 birdwing 日時: 23:32 | | トラックバック

2007年10月11日

リアルな言葉を聞きたい。

自称フリーペーパーマニアなのですが、会社近くのコンビニで配布されていたR25がL25(女性向けのR25)に切り替えられてしまいました。OLさんが多いからでしょうか。

L25.gif

仕方ないのでL25を持ち帰っているのですが、表紙の色が可愛すぎる。内容はといえば、「わかるけどムカつく!男の一言徹底検証」などという特集がされていて、びくびくしながら読みました。うーびくびく(苦笑)。ひっじょーに居心地が悪いですなあ、こういう女性向けの記事を読むのは。でも、なるほどと思った。

具体的に引用すると冷や汗かきそうなのでやめますが、やさしいつもりで発した言葉が女性にとっては不甲斐なくとらえられてしまうことが多いようで、男は自信を持て! 立て!(いや無用に立たなくてもいいからまあお座りなさい)ということではないでしょうか。過剰に自信持ちすぎな男も困ると思うのだが。

一方で、トップの紺野まひるさんのインタビューを撮影しているカメラマンが大橋仁さんという方で、おお、この方はそういえばBRUTUSで宮沢賢治の詩を紹介していたひとではないか、と妙な符号があったりもしました。

そのBRUTUSの最新号の特集「言葉の力」については、以前にエントリーで触れたのですが、なかなか読みごたえがあります。筋力トレーニングするほどの元気はないけれども、脳の筋力、言葉力を鍛えたいぼくにとっては、最良の一冊といえますね。

言葉力というと詩とかコピーが重視されがちですが、BRUTUSの特集では、かなり広範囲に言葉をとらえていて、ビジネスや政治の場におけるカリスマのリーダーについて書かれている記事が面白いと思いました。

「一流のリーダーの言葉は詩である。」

というキャッチコピーもうまい、と思ったのですが、言葉はブンガクという日常と隔離された安全な場所で使われるだけでなく、リアルな社会に置いても影響力を持つものです。失言などで謝罪や地位を失うリーダーも多く、パブリックな場におけるモラルも求められているかもしれません。

このページで取り上げられている人物は、ジョン・F・ケネディ、キング牧師、チェ・ゲバラ、スティーブ・ジョブス。

ジョブスのプレゼンは有名ですが、芸術とまで言われているようで、何万人もがストリーミングで視聴している。リーダーについて「暗い夜を照らす松明のような存在」と書かれているのですが、闇夜のように先の見えない日本の社会においても、先陣を切る人間を批判するのではなく、自らが先陣を切って他のひとたちを導くようなリーダーが必要だと思います。

ジョン・F・ケネディの次の言葉も、あらためて響きました。

あなたの国があなたのために何をしてくれるかではなく、
あなたが国のために何ができるか、
それを問いたい。

国という言葉は、「会社」にも「家族」にも変えて使うことができそうです。

というように、書かれた言葉ではなく話された言葉に注目して、インタビューなどを探していたのですが、R25のサイトに過去のバックナンバーのインタビューが収録されていることを発見。このページ好きだったんですよね。俳優さんから文化人まで、ずらりとポートレートが並ぶインデックスのページもよいです。

どうしても小林武史さんのような音楽関係や、その隣りの岩井俊二さんや北野武さんのような映像系を読んでしまう。

R25_longinterview.JPG


えー、どうでもいいことですが、小林武史さんって一青窈さんと不倫してakkoさんと離婚しそうなんですか?したんですか?どーなんですか?し、知らなかった(芸能ネタ疎すぎるので)。MY LITTLE LOVERの「Man & Woman」の音作りに非常に衝撃を受けた記憶があり(そのあとの彼等の活動はよくわからん)、というのもボーカルのakkoさんが好みであったということもあるのですが(照)、自分の美しい奥さんをボーカルとしてプロデュースしている小林武史さんの姿勢に意味もなく眩暈を感じたものでした。小林武史さんは、岩井俊二さんの映画音楽を監修されていたりしますね。

YouTubeにあったので「Man & Woman」。ホーンのアレンジとか好みです。J-POPを引用して掲載するのはどうかと思うのですが、別に気取ったブログじゃないからいいや。

■My Little Lover - Man & Woman

知らなかったのですが、小林武史さんにはソロアルバムもあるらしい。しかし、あえてプロデューサーの道を選んだ背景には、サザンの桑田佳祐さんの次のひとことがあったようです。

ある日、桑田が言った。

「君はこれからもソロアルバムを出せるけど、あえて出さないっていう選択肢もある」。

このひと言で「昔から抱えていた何かに、ピリオドが打てた。自分はプロデューサーとして、ものを作る方が向いていると確信した」と小林は語る。

これは先日書いた、職業の「好きと相性」という問題と重なるかもしれません。

さらに、ぼくは拡大して連携してしまったのですが、いま(他の本があるのにまた購入して読み始めてしまった)村上春樹翻訳ライブラリーに収録されていたレイモンド・カーヴァーと編集者、そして彼の奥さんをめぐる問題を描いた短編にもつながる気がします。カーヴァーの小説は、編集者であるリッシュによって、ざくざく削除されて別物のような小説にされてしまったらしい。また、奥さんも小説家だったらしく、書きたいことを横取りされて夫婦の仲が冷えたとか。

創作をバックアップする縁の下の力持ち的な仕事も存在するもので、しかしながら、そうした裏方がオモテに出てしまうといろいろと支障も生じる。けれどもその力関係のなかに、封印された言葉があったりもします。

そんな言葉をぼくは読みたい。というわけで、経営者はもちろん職人さんだとか、いろんなひとのインタビュー記事にいま感心があったりします。

投稿者 birdwing 日時: 23:49 | | トラックバック

2007年10月10日

バーチャルな世界で。

セカンドライフってどうなったんでしたっけ?えーと、退職したあとの田舎の生活ではありませんよ(苦笑)。3Dの仮想空間において、飛んだり跳ねたりしながら街を自由に移動してコミュニケーションできる、リンデンラボ社のサービスです。

バーチャルというキーワードでいろいろと検索していたのですが、ふとセカンドライフのことを思い出しました。日本語版がリリースされていたんですね。サービス開始前にはかなり盛り上がっていた気がするのですが、なんとなく最近はあまり聞かないようになりました。早すぎたのでしょうか。

ふと思ったのは、仮想世界のなかに街はなくてもいいから、ウィンドウなどを空間的に処理できるといいな、ということでした。別にバーチャルボディはなくてもいいので操作のインターフェースが3D化してほしい。以下のマイクロソフトのSilverlighという新しい技術のコンセプトを表すデモ映像のような感じです。

この映像に似たシーンを何かの映像で観た気がするのですが。うーん、思い出せない。

それにしても、タブブラウザを使っていながらも、画面が窓でいっぱいになってしまうぼくとしては、立体ディスプレイのような装置が出てきて、しかもタッチオペレーションで、指ですいすいウィンドウを動かせたらいいなーと思いました。

さて、ヴァーチャルにもいろいろありますが、最近、面白かったのはauの記者会見予告のコンテンツです。「10.16に都内某所にて記者発表」──KDDIがauの発表会を予告というITmediaの記事もありましたが、ティザー(「じらす」という意味のteaseからの広告用語で、情報を少しずつ小出しにしながら注目を集める手法)的な要素もあるのですが、ブログバーツを提供していて、しかもそのパーツを入手する自分の分身がバーチャルな記者会見場に椅子を持って現われる、というものです。

以下のサイトで登録ができます。2日間で500人から4000人になってる!!

■news! au!!!! news!
http://www.newsaunews.kddi.com/

さっそくぼくも登録してみることにしました(ちょっと遅すぎ)。

①最初に分身を選びます。ぼくは狼男を選択(マンゲツの夜に変身)。20パターンも用意されています。

au_chara.jpg

②つづいて、椅子を選択。椅子を選べるというのがなんだかいいっす。

au_isu.jpg

③カメラを選択。やはり記者会見にはカメラでしょう。11種類用意されています。ぼくはアンティークな2眼レフにしました。

au_camera.jpg

④住んでいる場所を入力。プルダウンメニューです。

⑤最後に、イニシャルを入力。

これで、できあがり。生成されたコードをブログに貼り付けると表示されます。そもそもブログパーツはサイドバーに貼るものだと思うのですが、面倒なのでブログのなかに貼ってしまいます。以下です。

ちなみに、サイトの画面でIDを入力すると、ぐわーっと検索されて自分の場所が表示されます。おお、いたいた。ぼくは6000番台なのですが、ずいぶん後ろのほうですね。右側には埼玉のオンナの子が座っているようです。誰ですか?

バーチャルだとかWeb2.0だとか、そんな言葉は気持ちいいのでついつい使ってしまうのですが、結果としてそこから生まれるアイディアは単なるブログやSNSのようなものだったりします(苦笑)。でも、こういう参加型メディアもいいですね。しかも、ブログパーツを配布することで、クチコミ効果もある。

16日には何が起こるのでしょう。わくわく。

投稿者 birdwing 日時: 22:30 | | トラックバック

2007年10月 8日

オルゴールの調べ。

趣味のDTMで「portrait」という曲を作って昨日公開してみたのですが、あらためて聴きなおしてみると、かなりムリがあるなーということを感じました(苦笑)。

ただ、こういう曲もある、ということで手を入れないようにしようと思います。ブログと同じです。いつも名文ばかり書けるわけではありません。ときには目もあてられないような駄文を書くこともあるし、他人が読んだら何のことやらわからない個人的な趣向に走ることもある。それもまた肯定していきましょう。

しかしながら思ったのは、ちょっと装飾的な部分を加えすぎたり、ノイズなどを付加しすぎたので、当初考えていた方向性よりも変わってしまった気がする、ということでした。もともとはシンプルな繰り返しを考えていて、喩えるならばパッヘルベルのカノンのような感じにしたかった。

では、余計なリズムも取っ払って、シンプルなピアノの部分だけにしたらどうなるだろう、といろいろと試みていたのですが、オルゴールっぽくしたらどうだろうと考えたら、妙にはまりました。そんなわけで、簡単に公開してみます。

ネットで拾ってきた妙なFlashによる再生ツールを使っていますが、以下の白い棒の左側を押すと再生します(音量をコントロールできないのでご注意ください)。右端をクリックすると、ファイルをダウンロードできます。

■portrait_mb.mp3 (1分45秒 2.41MB 192kbps)




曲・プログラミング:BirdWing

最初にある箱を開けてネジを巻く音は、DTMマガジンに収録されていたフリー音源を使用しています。DTMマガジン、いろいろと活用させていただいています。

オルゴールの楽曲を作っていたら、にわかにオルゴールについての知的好奇心がそそられてしまったのですが、やはりこういうときはWikipedia。まずはオルゴールの項目で語源を確認。

日本語の「オルゴール」は、オランダ語のorgel(オルガン)に由来する。英語の表記は musical box または music box である。

なるほど。ソフトウェアシンセサイザーのプリセット名もmusic boxです。オルガンに由来するのが意外でした。オルガンっぽくないのですが、空気で振動させるか爪のようなもので金属を弾くか、という違いがあっても、同じルーツなんでしょうか。などと考えていたら「いわゆる自動演奏楽器全般をオルゴールと呼ぶ」場合もあると書かれています。となると、シンセの打ち込みで自動演奏させるシーケンサーもオルゴールの一種かもしれない。

分類としては、「シリンダー・オルゴール」と「ディスク・オルゴール」があるとのこと。どちらが古いかというとディスクの方であり、ナポレオン戦争の後にシリンダーに切り替わったようです。19世紀末には、ドイツからディスク・オルゴールの巻き返しがあったらしいのですが、やがてシリンダーとディスクともに畜音機の登場によって衰退していきます。しかし、ジュークボックスのような自動演奏装置もオルゴールと呼ばれたらしい。

音楽を身近に楽しみたい、何度も繰り返し聴きたいという願いが、オルゴールのような機械を生んだし、一方でiPodのようなオーディオプレイヤーを登場させたのかもしれません。ハードウェアは変化して、その機能も変わったとはいえ、人間の欲求には変化がないのかもしれないですね。

ちなみにオルゴールで思い出すのは、かつて小樽に訪れたときに足を運んだ「小樽オルゴール堂」ですが、Wikipediaには博物館も掲載されてみました。そのなかからトウキョウで行くことのできる場所をピックアップ。


■オルゴールの小さな博物館
http://www.musemuse.jp/Musemuse_home.htm
〒112-0015
東京都文京区目白台3‐25‐14
telephone 03-3941-0008 03-3945-8817
facsimile 03-3947-1025
休館日 / 日・月曜日 年末年始
○演奏会コース(定員50名)
料金 / 大人1,300円 小人600円 (小人:4才以上小学生以下)
○博物館コース(予約制)(1名から予約可 定員約12名)
料金 / 2000円 (博物館を楽しむグッズ&お茶付)
○館長コース(予約制)(4名以上10名以下)
料金 / 3,500円 (館長コースを楽しむグッズ&お茶付)
ショップ OPEN 10:30-18:00
※詳細は直接博物館にご確認ください。

予約制ですね、しかし入館料2000円は高い(泣)。なんとなくオルゴール好きな館長さんが趣味ではじめたような感じがします。この博物館のサイトにはオルゴールについての用語辞典から歴史までまとめられているページがあり、なかなか参考になります。

■パルテノン多摩マジックサウンドルーム
http://www.parthenon.or.jp/museum/magic1.html
〒206-0033
東京都多摩市落合2-35
042-375-1414
休室日 / 毎週月曜日(月曜が祝日の場合は火曜日)、施設点検日
開館時間 9:00~22:00
観覧料
高校生以上 個人¥200 団体[20名以上] ¥150
小・中学生 個人¥100 団体[20名以上] ¥50
※詳細は直接博物館にご確認ください。

何かのついでに立ち寄る感じでしょうか。インドア志向で腰の重い家族はぜったいに行かないような気がしていて、ぼくも能動的に行きたいとは思わないのですが、オルゴールの歴史自体に興味を感じました。

投稿者 birdwing 日時: 18:47 | | トラックバック

2007年10月 7日

[DTM×掌編小説] ポートレート。

デジタルカメラとカメラ付き携帯電話の普及によって、ぼくらの生活には写真が身近になりました。デジタル環境の写真は印画紙にプリントアウトしなくても、画面で楽しむことができる手軽さがあります。現像に出さなくてもその場で確認できるので、とても便利です。

フォトジェニックなひとというのはいるもので、一般のひとなのに撮影するとモデルのようにかっこいい。ぼくはというと、写真がものすごく苦手です。で、その遺伝子を引き継いだせいか、うちの次男くんも写真が苦手。

ぼくの場合は匿名でブログを書いていますが写真は掲載していたりして、それってどうだろう?などと時々考えるのですが、ブロガーの方々のページをみていて思うのは、写真が掲載されていると想像に拍車がかかるということです。想像というよりも妄想なのかもしれませんが(苦笑)。

というわけで、肖像画を意味する「portrait」という曲を、土曜日の深夜から今日にかけて趣味のDTMで作ってみました。ブログで公開します。


■portrait(2分35秒 3.56MB 192kbps)

作曲・プログラミング:BirdWing


そして、この曲を何度もチェックしながら、物語がアタマに浮かんできました。そこで掌編小説を書いてみました。portraitをBGMに読んでいただけると嬉しいです。ではどうぞ。


自作DTM×ブログ掌編小説シリーズ03
+++++++++++++++++++++
ポートレート
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作:BirdWing

あいつの訃報を聞いたのは、キンモクセイが香りはじめた秋のことだった。

学生の頃から写真を撮るために旅を繰り返していた彼だったが、いまニュージーランドにいるよ、おまえも部屋に閉じこもってないで世界へ出てこいよ、などという音沙汰がなくなったかと思ったら、病に倒れていたのだという。癌だった。わたしは遠い記憶を掘り起こしながら彼の自宅を訪ね、やつれて別人のように変わってしまった彼の妻に挨拶をした。かなしみに疲れていたが、美しいひとだった。

とても残念です・・・。そのあとに言葉が続かない。わたしは沈黙を噛みしめた。それがあいつの死の重みなのかもしれない。

それほど親しくしていたわけでない。けれども離れていたわけでもなかった。適当な距離を置いて、会ったり会わなかったりした仲だ。遺影のなかで、あいつはまぶしそうな目をして笑っていた。おまえもいずれここに来るんだぜ、そう言っているような、そうでもないような顔だ。

生前には、あのひとがよくしていただいて。
ひとまわりちいさくなったような彼の妻は、それだけ言って俯いた。

しばらくあいつとの思い出やとりとめのない話をしていたのだが、わずかに沈黙していた彼女は、あなたなら・・・いいかしら。そう言って、すっと真っ直ぐにわたしの方を見つめた。なんでしょう、わたしにできることであれば? 彼女の視線に戸惑いながらもそう言った。ちょっと来てくださらない。彼女は立ち上がって、わたしを導いた。

訪問したときには気付かなかったのだが、その住まいには地下室があった。
彼女に導かれるままに階段を降りる。冷たい空気は、まるで死者のぬくもりのようにわたしの周囲を包み込んだ。そうして暗い扉を開けて、彼女が電灯のスイッチを入れた。

途端に大勢の視線がわたしに向けられた。はっとした。それはすべて、彼が撮影したひとびとの笑顔だった。彼がこれを?わたしは彼女に訊いた。風景ばかりを撮っているんだと思ってた。そうなの、わたしにもあまり話さなかったのだけれど、あのひとは密かにたくさんのポートレートを撮っていたの。

目尻をゆるめた白髪の老人がいる。
生まれたばかりのちいさな微笑がある。
唇を歪ませたような笑いなのか苦痛なのかわからない表情がある。
空に向けて大きな口を開けた楽しそうな顔がある。

たくさんの笑顔が壁一面に貼り付けられていた。冷たい地下室の空気を忘れた。それは・・・そう、しあわせな風景だった。人間のぬくもりを感じさせるような。コラージュのように壁一面に貼られた写真は、わたしをとてもやさしい気持ちにさせてくれた。部屋全体を見渡した。なぜあいつはこの写真を世のなかに出さなかったんだろう。

この写真は?わたしは一枚の写真を指差した。

その写真だけは、笑顔のコラージュから少し離れるようにして貼られていた。若い凛とした顔つきをした美しい女性だった。

被写体として笑っていないのは、その女性だけだ。厳しい顔をして、ファインダーのこちら側を睨みつけるように強い視線を向けている。撮影する人間を責めるように、挑むように、きつい視線を投げかけていた。薄い唇を結んで、緊迫した面持ちをしていた。どこか寂しそうにもみえる。

知らないわ。彼女は、写真のほうを遠くを見つめるような目で見ながら言った。誰なのかしら。でも、あのひとにとっては大切なひとだったと思うの。

あのひとにも、わたしに話すことのできないひそかな恋でもあったのでしょう。
いまはもう、知ることもできないけれども。

彼女は少し言葉を含むようにして話した。真実を知っているのかもしれない、そんな気がした。わたしは、そういえば生前にあいつが何かを話したがっていたことを思い出した。聞いてほしいことがあるのだが・・・と言ったまま、あいつは言葉を止めて、いや、やめておこう、話してどうなることでもないし、と笑ったのだ。

あなたの写真がありませんね。わたしは話題を変えようと思って話した。そうなの、わたしの写真はすべて棺のなかに入れて焼いてもらいました。だから何も残っていません。それが遺言だったので。でもね、このひとを置いていってしまって。彼女は、ファインダーを睨みつけるような女性のポートレートの前に佇み、そのひとの顔の輪郭を細い指でなぞった。

あのひとが、寂しくなければいいんだけど。大切な写真を置き忘れたわ。

答えに迷ったのだが、勇気付けることにした。あなたの写真がたくさんあるから、大丈夫でしょう。あいつもしあわせものだ。たくさんのあなたの写真に囲まれて。彼女は、静かに微笑んで答えた。写真は写真でしょう? でも、わたしはここにいます。ひどいひとよね。いまとなっては浮気したでしょうと問いただすことも、怒ることもできないんだもの。困った置き土産だわ。

行きましょう。彼女は部屋から出た。わたしはもう少しだけ冷たい空気に浸っていたい気がした。

<了>

+++++


前回の自作DTM×ブログ掌編小説「ハーフムーン」は15歳のかけおちをテーマとして書いたのですが、今回は少しだけ大人の雰囲気で。曲自体もエンディングの部分は無理やりジャジーな雰囲気にしてみました。

まったく制作した音楽とは関係ないのですが、ポートレートと言って思い出すアルバムは、ビル・エヴァンスの「Portrait in Jazz」でしょうか。ぼくは「Waltz for Debby」のほうが好きなのですが。

B000000Y59Portrait in Jazz
Bill Evans
Original Jazz Classics 1991-07-01

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村上春樹さんも取り上げられている名盤です。ビル・エヴァンス(P)、スコット・ラファロ(B)、ポール・モチアン(Dr)というビル・エヴァンス・トリオの最高傑作ですが、社会人バンドでベースを担当していたぼくとしては、スコット・ラファロのメロディアスかつ奔放なベースに惹かれます。

と、村上春樹さんが出てきたところで掌編小説に戻るのですが、たぶん村上春樹さんのファンであれば想像もつくかと思いますが、地下室の電気がつく場面は、「1973年のピンボール」で探していたピンボールマシンに出会う場面のパク・・・じゃなくて、そのシーンへのオマージュ(リスペクト、敬意を払うこと)です。


1973年のピンボール (講談社文庫)1973年のピンボール (講談社文庫)
村上 春樹


Amazonで詳しく見る
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一方で楽曲を作成するにあたって、アタマに描いていたアーティストはThe Zombiesでした。The Zombiesのピアノのイメージでしょうか。1968年に発表した「オデッセイ・アンド・オラクル」、こちらはソフトロックの名盤といえます。

B0001YFPKKオデッセイ・アンド・オラクル(紙ジャケット仕様)
ザ・ゾンビーズ
インペリアルレコード 2004-05-26

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でも、だとすればストリングスのアレンジは、もっとメロトロン風にすべきだと思うんですけどね。これはSONAR付属のTTS-1というソフトウェアシンセサイザーのOrchestraというプリセットをそのまま使っているのですが、たぶんフィルターをかけて加工すると近い音になるような気がします。

と、そんな風に週に1曲できてしまう昨今。心臓がずきずき痛いのですが、恋をしているのでしょうか(笑)。な、わけはないので、これは更年期障害ではないかと思ったりするのですが、空腹にビールを流し込んでしまったため、夕飯どきの現在、酔っ払いつつあります。ほのかにキンモクセイが香ったりして、とてもしあわせな気分なのですが、酩酊ブロガーになりそうだ(苦笑)。

投稿者 birdwing 日時: 18:27 | | トラックバック

2007年10月 5日

「ワイルド・アット・ハート 眠ってしまった冒険者たちへ」ロバート・ハリス

▼大人のかっこよさを考える人生指南書。

4492042830ワイルド・アット・ハート 眠ってしまった冒険者たちへ
ロバート・ハリス
東洋経済新報社 2007-07-20

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気持ち的には学生の頃と変わらないつもりだけれど、そうも言っていられない年齢に差し掛かってきました。そんなおじさん境地に入りつつある昨今、よく考えるのは、

かっこよく生きたい

ということです。

このことを厳密に定義すると、かっこよくなりたいのだが、モテたいのではない。若い頃には、かっこいい=モテるという方程式が成立したような気がするのですが、最近、ぼくはモテなくてもいいから、かっこよく生きたいと考えています。それはどういうことか。

モテる、ということは他者に評価を求めるということだと思うんですよね。熱い視線を送ってくれる他者がたくさんいればそれが価値になる。たくさんの女の子にきゃーきゃー言われたいということです。しかし、モテなくてもかっこいいやつはいるのではないか。自分の生き方を揺らがせずに信念を持って生きている人間はかっこいい。表面的に繕ったり、いたずらに評価を欲しがるのではなく、100万人に否定されても1人のために生きる、というようなスタイルでしょうか。

マッチョではなくてもぜんぜんかまわない。たとえば仏像を彫ることに一生を捧げるようなひとは、ある意味、かっこいいと思う。胃の痛い思いをしながら、あっちの調整をして、こっちのご機嫌を取って、いまの生活水準を必死で守るために笑いたくもない場面でにこにこしているのよりも、ぜったいにいい。

たとえば、ブログにしても、アクセス数の増加やアフィリエイトでがっぽりと儲けを考えるのは「モテる」思考だと思います。その欲をぼくは否定しないし、そういう生き方もあっていいでしょう。むしろ世の中の成功者はそんな欲望に忠実なひとたちかもしれません。しかしながら、そうではない生き方もある。

他者を気にしながら生きるのは疲れます。というか事実、そうやって生きてきて疲れたのですが(苦笑)、だからぼくはもう、どんなに嫌われてもいいから、自分の言いたいことを言うし、書きたいことを書こうと思うわけです。ブログに関しても消したくなったら消す、修正したくなったら書き直す。リンクしてくれた方やトラックバックしてくれた方に申し訳ないから・・・などと過剰な気を遣わない。

ということを考えていると、どんどん肩の力が抜けるのですが、そんな励みに拍車をかけてくれたのが、ロバート・ハリスさんの「ワイルド・アット・ハート」という本でした。前置き長すぎ(苦笑)。

第6章「人生の荷物を整理しよう」というところで、「ペルソナをつくらない」ことを信条としている生き方が語られているのですが、自分がMであることをカミングアウトしたり、ミスコンの仕事は金輪際やらないことを宣言したり、ホンネが語られています。失恋して女友達に鼻水たらしながら泣いて慰めてもらったなんて話も書かれている。

外見の素敵なロバート・ハリスさんが語るからOKというところもあるのだけれども、その誠実な生きざまに共感しました。単純に真似をすると痛い目をみると思います。これもまたロバート・ハリス的に生きても意味がなく、自分なりにカスタマイズしなければかっこよくないと思うのですが。

ロバート・ハリスさんは定職につかずに、本屋を経営したり、映画の字幕の文章を書いたり、DJなどをやって気ままな人生を送ってこられたようです。しかし、その生き方は決して楽なものではなかったと思うし、言葉のひとつひとつにきちんと生きてきた重みのようなものを感じます。ここで言う「きちんと生きてきた」とは、安定した生活を送ってきたということではなくて、めちゃくちゃだけれど出会ったひとたちを大切にして、けれども合わないひとについてはすれ違うこともよしとして、自分の人生を肯定してきた、ということかもしれません。

第7章「心の重荷も捨ててしまおう」というページでは、マーク・トゥエインの次の言葉がトビラに掲げてあります。

最悪の孤独感とは、
自分自身に対して
不快感を抱くことである。

そして、自分を負け犬や落伍者と思ったり責めない生き方を説かれています。

ここでぼくが考えたのは、複雑化しつつある現代の問題は、他者を意識するあまりに、自分のなかの「他者としての自分」まで意識してしまうところにあるのではないか、ということでした。つまり、自分のなかにもうひとりの自分を存在させることによって、自分で自分を攻撃する。自傷行為のようなものです。

ブログの匿名なども似たところがあるかもしれません。ネットの住人としての匿名という別のペルソナを持つのだけれども、その別のペルソナに対して(他者から突っ込まれる前に)自分自身で突っ込みを入れてしまう。ライターもしくはブロガー、作者としての自分とリアルな自分を同期させることは意外と難しいもので、同期しつつもズレていることが多い。だから、あたかも他人のように自分を批判してしまう。その二重性が進展すると、ちょっとやばいのではないか。

だからこそぼくは書いていることとリアルな自己の同期が必要であると考えていて、もちろん自己の成長を踏まえて一歩先のことを文章に書き、リアルな自分を文章に追いつかせるような生き方もあるかもしれないのですが、あまり現在の自分と離れた自分を設定しても苦しむばかりで、等身大の文章を書くことが重要ではないかと思います。

本の前書きに戻るのですが、ロバート・ハリスさんはなぜこの本を書いたのか、という動機について次のように書かれています。

あいかわらずの官僚たちの癒着、汚職。
テレビではいまだに、金持ちの豪邸拝見などというバカな番組をやっている。
ロハスだの、エコだの、スローライフ、ワークライフバランスだのといったコンセプトが話題になっているが、結局そういうものも金で買う仕組みになっている。
チョイともてるにも、チョイとワルになるにも、高い車と、時計とスーツと、バッグと靴とが必要だそうだ。
バカバカしくて、もう一度この国から逃げ出したくなる。
でも、いますぐそうするつもりはないし、ぼくは生まれ育ったこの国が好きだ。
だから、この本を書いた。
これは、多くの団塊世代と同じようなサラリーマン人生を歩んでこなかったぼくなりの、いまの社会の流れに対するオルタナティブ・サジェスチョンである。

いいですね。ぼくは個人という地を這うような生活に立脚しつつ、遠い理想などに焦点を合わせて何かを書く姿勢に共感を持ちます。逆は不可です。大義名分のような曖昧な理想から個人を語るのは、どうかと思う。

何かモノを書くためには、ロバート・ハリスさんのように波乱万丈な人生を送らなければならない、とは考えません。もっと、いわゆるふつーのおじさんたちが自分のかっこいい生き方を追求したり、かっこよさとはどういうことかという考え方を書くことによって、日本の景気は活気が出るような気がします。雑誌に書かれていることの受け売りだけでは恥ずかしいですよね。全員が全員、イタリア製のスーツを着て、うまい店を探して、歯の浮くような台詞を語るのでは芸がない。

というわけで、自分なりの美学を大切にしながら、一方でロバート・ハリスさん的な「オルタナティブ・サジェスチョン」も考慮しつつ、ぼくはブログを書いていきたい。そんなことをあらためて考えさせてくれた本でした。10月3日読了。

投稿者 birdwing 日時: 23:34 | | トラックバック

2007年10月 4日

仕事のテツガク。

10月1日に内定式を行った会社も多く、2009年度の新卒採用もはじまるとのこと。街を歩いているとリクルートスーツ姿の学生さんをみかける機会が多くなりました。ひょんなことから、仕事である企業の採用向けコンテンツ制作を手がけているので、最近の就活について考えたり、そもそも仕事とは何だ?など青くさいことを考えたりしています。

仕事を含めて人生とは何だ?と考えさせられた書籍といえば、ロバート・ハリスさんの「ワイルド・アット・ハート」ですが、昨晩読み終わりました。こちらはいずれ感想を書くことにしましょう。そして、BRUTUS最新号「言葉の力」特集といっしょに購入したのが、次の2冊でした。

4887595654働く理由 99の名言に学ぶシゴト論。
戸田 智弘
ディスカヴァー・トゥエンティワン 2007-07-12

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453216592Xカンブリア宮殿 村上龍×経済人
テレビ東京報道局
日本経済新聞出版社 2007-05-26

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最初の「働く理由」から読みはじめているのですが、2冊目の「カンブリア宮殿」は作家の村上龍さんと経済人の対談集です。テレビで放映されていたものをまとめたらしいのだけれど、最近、ほとんどテレビを観ない自分としては、へえ、こんなのあったんだという感じです。活字を読んでも十分に面白いと思うのですが、お話を聞くのも面白そうです。説得されそう。テレビで観ておけばよかった。

「働く理由」は4分の1ほど読み終わるところですが(現在、P.68)、面白いと思った点がふたつあり、ひとつは「好きと相性は違う」ということと、「やってみなければわからない」ということです。

どんなに好きな仕事であっても、自分の性格や能力や過ごしてきた背景から相性の悪い仕事もある。好きな仕事、やりたい仕事にこだわると非常にピンポイントになりますが、相性のよい仕事であればかなりゆるい範囲で仕事を選択することができます。なるほど。

「好き」と「相性」について語られた次の部分は、非常に納得しました。

好きと相性って何が違うのだろうか? それは「好き」や「嫌い」は頭で考えることであるのに対して、「自分に合う」「合わない」は肌で感じることという点だ。

頭で好きだと思っていても、身体が拒んでいる状態では相性が悪い。そのぎくしゃくした状態が長く続くと、どこかが壊れていくような気がします。好きだという拘りを捨てて、自分に合っているものを選択したほうがよい場合もある。

この相性という観点は自分が中心の発想ですが、自分がやりたいことではなく、お客様がやってほしいことをやることが重要だったりします。株式会社ジョイコンサルティングの木村志義さんの言葉を以下に引用します(P.45)。

自分のやりたいことをやるために起業する、
という話をたまに聞く。あまりぴんとこない。
なぜなら、お客様は、
自分のやりたいことに対してお金を払うのではなく、
お客様のやってほしいことに対して、
お金を払うからだ。

そりゃそうだ。この自分中心の意識を、どれだけ他者からの視点に変えられるか、ということが社会人としては重要かもしれません。大人と子供の認識の違いは、他者の視点に立って自分の利益を捨てられるかどうか、ということにあるような気もしました。子供は、これぼくのだ!と拘る。大人は、しょうがないな、と大切なものを譲ってあげることもできる。

このマッチングは、結婚にもなぞらえることができます。高橋俊介さんの言葉で引用されています(P.32)。

結婚を考えてみるといい。好きな異性のタイプと、
幸せな結婚生活を送るのにふさわしいパートナーのタイプは、
必ずしも一致しないということに、多くの読者はうなづいてくれると思う。
好きというのは単なる好みの問題だが、結婚というのは具体的な日常生活だ。
そして生活とは、好きという気持ちや憧れだけで
すべてがうまくいくわけではない。

仕事選びは恋愛や結婚に似ている、のかも。

ただ、この流れで考えてしまうと、仕事は仕事、趣味は趣味と分離するような気がするのですが、やりたいこと、好きなことは最初からあるのではなく、何かをはじめるとそこから生まれる、ということが語られていました。イギリスの音楽評論家、アーネスト・ニューマンの言葉を引用(P.54)。

偉大な作曲家達は、意欲が湧いたから作曲に取り組んだのではなく、取り組んだから意欲が湧いたのだ。
ベートーベン、バッハ、モーツァルトは、毎日毎日、来る日も来る日も、作曲中の作品に取り組んだ。彼らはインスピレーションが沸くまで待って、時間を無駄にするようなことはしなかった。

これもわかる。いやだなあ、と思っていることも、とりあえず集中していると面白くなってきたりするんですよね。恋愛や結婚においても、いっしょに暮らしていくなかで、なんとなくふたりでいる空気感に癒されたり落ち着いたりする。だからそれほど熱愛ではなくても、いっしょにいる時間が心地よかったりする。

ところで、やりたいことなんて探さなくてもいい、という言葉を聞くと、なんだかほっとしませんか?ぼくはもっと早くにこの言葉を理解しておけばよかった。

自分探しとか、人生の意義とか、そういうことを過剰に求めすぎると、逆に楽しいはずの人生も楽しくなくなってしまうことがあるような気がしました。これがやりたいっ!という情熱なんかなくても、とりあえず何か仕事をはじめてみる。その仕事のなかに埋もれた原石のようなものを発見する。

待つチカラ」というエントリーでも書いたことがあるのですが、やみくもに血眼になって探すのではなく、のほほ~んと待ち続ける戦略だってある。果報は寝て待て、という戦略でしょうか。

ところで採用の話に戻るのですが、現在はひとりの内定社員を採用するために、100万円ぐらいのお金がかかっているそうです。つまり人材募集の広告であるとか、会社説明会であるとか、そのためのコストがかかる。10人内定者を予定するのであれば、100万円×10人=1000万円がかかる。内定を辞退されてしまうと100万円の損失、といえるかもしれません。企業によるとも思いますが、内定者を逃さないための努力も大変らしい。

いまの就活はほとんどネットによる情報収集が中心のようで、メインとなるのは「みんなの就職活動日記」「リクナビ」とか。最近の採用サイトは写真がふんだんに掲載され、オフィス写真の撮影サンプルまで媒体資料には掲載されています。えー学生さんにとっては夢を崩すようですけどね。

とはいえ、ぼくの場合は就職情報のなかで何が面白いかというと、人のインタビューですね。いろいろと採用サイトを巡回していて面白いな、と思ったのが、以下のKizasiを開発した方のお話です。

http://rikunabi-next.yahoo.co.jp/tech/docs/ct_s03600.jsp?p=000997

なんとなく転職したくなって困った(苦笑)。さすがライターさんの力量です。というよりも、そもそもKizasi開発者の稲垣陽一さんが、かっこよすぎです。

投稿者 birdwing 日時: 23:31 | | トラックバック

2007年10月 3日

言葉の力。

電車の中吊り広告でみかけて、ついつい購入してしまったBRUTUS 10/15号。表紙は9日が命日のジョン・レノンとオノ・ヨーコです。そして特集は「言葉の力」。これは買うしかないでしょう。

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言葉を操るブロガーとして、言葉には敏感でありたいと思っています。また、力のある言葉を使えるようになりたい。言葉はやさしく力づけてくれるものにもなるし、言葉の暴力といわれるように武器にもなる。できればやさしい使い方をしていたいけれど、自衛の意味も含めて、鋭い刃となるような言葉も使えるようになりたい。もちろん使い方を間違えないようにしたいですけどね。

涼しさを増した9月。読書欲が高まりつつあり、ツンドク本もまだまだたくさんあるのに、次から次へと本を購入中。そもそも本屋でバイトしていたぐらい本が好きなので、困ったものです。

BRUTUSの特集を喫茶店でぺらぺらとめくりつつ、読んでいて思わず感動して涙出そうになった言葉がありました。それはやはりといえばやはりなのですが、谷川俊太郎さんが、糸井重里さんのウェブサイト「ほぼ日刊糸井新聞」に掲載した「質問箱」のなかの言葉でした。

実は「ほぼ日」の存在は知っていたのですが、あまり読んだことありませんでした。お恥ずかしい。雑誌に載っていた質問箱の6は下記のサイトになります。キャプチャーをクリックすると、そのページに飛べます。

縦書きですね。画像による縦書きですが、ネットで縦書きに遭遇するとなんとなく和みます。イラストもかわいい。ちなみに谷川俊太郎さんの質問箱のページはこちら。

http://www.1101.com/books/shitsumonbako/index.html

引用してみます。この「質問箱」は、一般からの質問に詩人である谷川俊太郎さんが答える形式になっています。まず質問から。

質問 六
どうして、にんげんは死ぬの?
さえちゃんは、死ぬのはいやだよ。
(こやまさえ 六歳)

(追伸:これは、娘が実際に
母親である私に向かってした質問です。
目をうるませながらの質問でした。
正直、答えに困りました~)

それに対する谷川さんの答えは以下です。

谷川俊太郎さんの答え
ぼくがさえちゃんのお母さんだったら、
「お母さんだって死ぬのいやだよー」
と言いながらさえちゃんをぎゅーっと抱きしめて
一緒に泣きます。
そのあとで一緒にお茶します。
あのね、お母さん、
ことばで問われた質問に、
いつもことばで答える必要はないの。
こういう深い問いかけにはアタマだけじゃなく、
ココロもカラダも使って答えなくちゃね。

・・・あああ(号泣)。いいなあ。

やっぱり谷川俊太郎さん素敵だ。言葉の使い手でありながら、「いつもことばで答える必要はないの」と諭しているあたり、まいりました。ぼくも、ぎゅーっとしてあげてください、ぐらいの発想ならできる。しかし、そのあとの言葉で答える必要はない、という視点は思いつきそうで思いつかない。

言葉で問われたものに対しては、どうしても言葉で返答するじゃないですか。でも、音楽で答えてもいいんですよね。写真や絵画でもいい。そして五感で答えることもできる。ぬくもりという触感、あるいはおいしい食事の味覚や嗅覚で答えてあげることもできる。落ち込んでいたとしても、あったかいスープとか出されると、ちょっと気を取り直したりするものです。それもまたコミュニケーションである、という。

じっくりと読んでいるのですが、BRUTUSの特別付録には、WORDS OF MY HEART「心の詩」として安藤忠雄さん、浅野忠信さんなど30人がセレクトした詩のアンソロジーとなっています。英詩、日本の詩など織り交ぜて掲載されていて、縦書きあり、横書きあり、なかなか賑やかです。

そのなかでも泣けたのが、宮沢賢治さんの「眼にて言ふ」という詩。引用します。

だめでせう
とまりませんな
がぶがぶ湧いているのですからな
ゆふべからねむらず
血も出つづけなもんですから
そこらは青くしんしんとして
どうも間もなく死にさうです
けれどもなんといい風でせう
もう清明が近いので
もみじの若芽と毛のような花に
秋草のような波を立て
あんなに青空から
もりあがつて湧くように
きれいな風がくるですな
おなたは医学会のお帰りか何かは判りませんが
黒いフロツクコートを召して
こんなに本気にいろいろ手あてもしていただけば
これで死んでもまづ文句もありません
血がでているにもかかはらず
こんなにのんきで苦しくないのは
魂魄なかばからだをはなれたのですかな
ただどうも血のために
それを言へないのがひどいです
あなたの方から見たら
ずいぶんさんたんたるけしきでせうが
わたくしから見えるのは
やつぱりきれいな青ぞらと
すきとほつた風ばかりです

・・・あああ(号泣)。この透明感。

いまわの際に青空を眺め、風を感じているこの感覚。坂口安吾が小林秀雄論のなかでこの詩をすすめているのを、大橋仁さんという写真家が雑誌のなかですすめているのですが、途方もなくいい。そして、坂口安吾がこの詩をすすめるのもわかる気がする。彼の小説のなかには、まさにこの詩の(死の)風景が息吹いている気がします。

偶然にも、谷川俊太郎さん、宮沢賢治さんいずれも「死」という極限をテーマとした言葉になってしまったのですが、ぼくはまだなんとなく吹っ切れないものがあって、こういうすぱーんと研ぎ澄まされた言葉が使えない。

なんとなく甘酸っぱいものを感じさせるような、透明な切なさを表現しようと思っているのですが、技巧ではないですね、これは。どう生きるか、という身体的な思考(うまくいえないけれども、未分化の思考)がないと、こういう言葉は出てきません。それこそアタマで考えていちゃダメだ。

言葉の修行はまだ続きます。

投稿者 birdwing 日時: 23:20 | | トラックバック

2007年10月 1日

リアルタイムで生成するコンテンツ。

仕事のために参考に読んでおこう、と思って職場の机に積み上げておいた「コンテンツ・フューチャー ポストYouTube時代のクリエイティビティ」という本ですが、やっと時間ができてぱらぱらっとめくってみたところ面白かった。

4798114014CONTENT'S FUTURE ポストYouTube時代のクリエイティビティ (NT2X)
小寺 信良
翔泳社 2007-08-02

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テレビ局や音楽家など、さまざまなひとがコンテンツの近未来像について語る対談集なのですが、まず一人目に第2日本テレビの土屋敏男さんが登場。「ネットでしかできない表現 コンテンツを探せ!」というテーマでお話されています。

土屋敏男さんといえば「進め!電波少年(後半は、進ぬ!電波少年)」のTプロデューサーとして、ダース・ベイダー風の登場をしていたひとですね。重々しく登場して、とんでもない指令を出す。とても印象的な存在でした。

「なすびの懸賞生活」というコーナーでは、なすびという芸人さんが裸一貫から葉書を書いて懸賞に応募して、当選することで着るものや食べ物をゲットして生活していくという斬新な企画だったのですが、当時はまだ入園していなかった(かな?)長男くんがなぜかなすびの大ファンで、彼が登場すると「ばじじ、ばじじ(なすびと言っているつもり)」と大喜びだったことを覚えています。

と、思ったら、いまだにHPがあった!びっくりした。その当時のままみたいだ。

■電波少年的懸賞生活
http://www.ntv.co.jp/denpa/luck/

そういえばそんなこともあったなあ、とぼくも記憶に残っていたのだけれど、インターネットで24時間、彼の生活を中継するという企画もありました。裸の彼が動くと、股間を隠すためにでっかい茄子を動かさなければならなかったらしく、大変だったとのこと(苦笑)。

しかし、もっと面白いな、と思ったのは、土屋さんのコンテンツに対する考え方でした。突拍子のない考え方ではなく、ある意味オーソドックスではあるのだけれども、そこが逆に新鮮です。

たとえば、ライブドアの堀江さん、楽天の三木谷さんの考え方に対する違和感から、放送と通信の融合について、土屋さんは「技術」「ビジネス」「表現」の3つの視点を考えられています。要点をさらってみると、堀江さんや三木谷さんは利益や便利から「ビジネス」の部分を肥大化して考えすぎていた。そして、技術に関しては「メイド・イン・USA」がネットでは主流です。だから、「表現」の部分でネットでしかできないことを考えなければならない、と土屋さんは語ります。

そして「利」を追求するビジネス志向に対して、表現が重要であると語り、次のように述べています(P.12)。

だけど、コンテンツそのものっていうのはそれだけじゃなくて、例えば映像だけじゃなくって音楽や文学みたいなものも、基本的には人の心を動かすものじゃないですか。そういうものであるからには、じゃあインターネットの時代になって、どんなものが今までにない形で人に提供されるか、ということが同時に語られていかないといけない。

この言葉は次にもつながります(P.26)。目先の利益を生むコンテンツに対する批判です。

だから目先の、というかたくさんの人を納得させる理屈だったり、これで儲かっているからとか、こうやたら儲かりますよというようにいわゆるマーケティングをベースにした企画書を書くと、そうなるんですよ。でもそうじゃない。コンテンツは、実は「人の心」というわけのわからないものを動かしてナンボだ、っていうことにもう1回戻っていかないと、ほんとうにやせ細っていくだけだと思う。

同感です。実は儲けを追求しないほうがずっと面白かったりするのが、ネットのコンテンツだったりします。逆に儲けを意識したものは、あざとさを見抜かれやすい。土屋さんが別の部分で書いているように、表現の自由度が高い方が豊かであるとすれば、「利」から自由であったほうが既存の枠組みを壊した斬新な企画も生まれやすいのかもしれません。

この「利」から解放されて表現を追及することが逆に利益を生むという考え方は、出版という業態に対してもいえるとして、次のように書かれています(P.25 )。

それは出版でも同じで、例えば幻冬舎という出版社は、10年くらい前に角川書店を辞めた見城さんが設立した。絶対に新規参入の出版社なんてうまくいくわけない、って言われていた。ところが、編集者見城徹が「人間のもやもやっとしたところを文章にする」っていうことに非常にこだわった結果、資本金1000万で始めた会社が、上場して300億の価格が付くまでに成長した。

そういえば、見城さんの自叙伝的な本も気になっていたのですが、まだ購入していませんでしたっけ。

と、いうぼくも、非常に個人的な狭い領域ではありますが、ブログを書き、DTMで音楽を作ることによって、職業ではない表現者としてネットで何ができるか、心を打つ創作ができるのか、ということを追求したいと思っています。

手前味噌で申し訳ないのですが、土曜日にTwitterで一行ずつアップロードしながら掌編小説を発表しました(即レスで感想をいただいたことは昨日書きました。重ねてありがとね)。

この速さがインターネットの醍醐味のような気がしていて、もちろん推敲に推敲を重ねて10年の月日を費やして小説を発表する、という創作活動もあると思います。けれども一方で、インターネットにより表現の場、方法、スピードが変化しているわけで、書き上げたところからパブリッシングできる。そのスピードに合った文学なども生まれるように思います。

それを文学と言うのかどうか、と眉をひそめる大人たちもいるかもしれません。しかしながら、新しいジャンルのゲイジュツが生まれたときには、先鋭的なものに飛びつくひとと、それを批判するひとがいるものです。ぼくはどちらかというと、軽やかに飛びつきたい気がする。

さらに手前味噌を増量ですが、既に制作済みの「AME-FURU」の音声ファイルを切り貼りしてリサイクルして、half moonという曲を作ったところ、「AME-FURU」でボーカルを録音していただいたLotusloungeのSheepさんから、きちんと作りませんか、というお誘いをいただきました。おおっ。作りますとも!!そんなわけで先日発表した曲はボーカル入りの曲に仕上げる・・・かもしれません。まずは歌詞を考えなければ。

ついでにちらっとDTMのお話をすると、かつてぼくは歌入りの曲を作るときには、VOCALOIDというソフトで代用していたのですが、VOCALOID2の初音ミクはすごいヒット商品となったようですね。

VOCALOIDというのは音声合成によって歌うことができるソフトウェアなのですが、DAWがなくてもスタンドアロンで歌わせることができるので、DTMをやったことがないひとも購入しているようです。うーん。ぼくはアニメっぽいキャラクターが生理的にダメで(苦笑)、初代VOCALOID使いだったのですが、MEIKOの方がいいと思うんですけど。

この初音ミクを購入したひとが次々にネットに作品をアップしていて、さらにYouTubeで動画を投稿し、ニコニコ動画でも盛り上がっているようです。

ネットの面白さは、映像にしても文章にしても、自分の表現を簡単にコンテンツとして公開することができて、さらにコンテンツは誰かの影響を受けて、

リアルタイムに生成変化していく、

というところにあるような気がします。

電波少年という番組の面白さは、来週はどうなるかわからない(きっとスタッフも予測できない)面白さだと思うのですが、インターネットではまさにそのドキュメンタリーが並行して何本も走っている感じです。

Twitterなどはほんとうにリアルタイムで状況が変わっていく。完璧であろうとすると乗り遅れてしまいます。もちろんネットの速度に無理をして追いつく必要もなくて、スローに楽しむネットライフもあっていい。けれども、コンテンツをさくっと作ってさくっと公開、で、次はどうする?という気軽さが、ぼくは気に入っています。

不完全であること、生成すること、変化を許容すること。そんな認識をベースにコンテンツを考えてみると、ネットはかなり居心地がよいし、活用できるものになるのかもしれません。

投稿者 birdwing 日時: 20:38 | | トラックバック

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