« ディパーテッド | メイン | 「働く理由―99の名言に学ぶシゴト論。」戸田智弘 »

2007年10月21日

ドリームガールズ

▼音楽ビジネスと光と影、そして生き様を描いたミュージカル。

ドリームガールズ スペシャル・コレクターズ・エディションドリームガールズ スペシャル・コレクターズ・エディション
ジェイミー・フォックス ビヨンセ・ノウルズ エディ・マーフィ


Amazonで詳しく見る
by G-Tools


Perfumeというアイドルおよび中田ヤスタカさんについて先日考察してエントリーを書いたのですが、音楽性はもちろんそのビジュアル的な振り付けが面白いと思いました。さらに旧友からのコメントをいただいて、何かがもやもや~と心のなかに浮かんだ。うーん何か言い切れていない、そんな状態のまま放置していたのですが。

もやもやした気持ちのまま久し振りにレンタルビデオ屋さんに行って何気なくこのDVDを借りたところ、偶然とはいえ、あっ!とひらめきが生まれました。それはどういうことかというと、

アイドルの原型はモータウンの音楽にある

ということです。特長的な振り付けやコーラス、ダンサブルな音楽など、ヒットチャートを意識した音楽のビジネスモデルとアイドルの原型がそこにある。無理やりこじつけてしまえば、Perfumeのルーツもそこにある。

「ドリーム・ガールズ」は、ダイアナ・ロスとスプリームスの実話を下敷きに作られたミュージカルの映画版です。3人編成のスプリームス(かつてはシュープリームスと呼んでいたかと思うのですが、Wikipedia によると最近はこの呼び名らしい)は、その音楽といい、3人それぞれがリードを取る歌い方の編成といい、Perfumeに似ている気がする。

というか、テクノ+ハウス系の最先端の音楽というオブラートで包んでいるけれども、たぶん中田ヤスタカさんは、その原型にモータウンのスプリームスという文脈を置いているのではないか。Perfumeは21世紀のスプリームスだったりするかも。計算されつくしたプロデュースなので、きっとそんなことまで考えつくしたうえで、中田ヤスタカさんはコンセプトを構築しているに違いない。恐るべし、アイドルプロデューサー。凄いですね。うーむ、トレンドの作り方として参考になる。

以下、参考までに挿入曲のミュージックビデオをYouTubeから。歌い始める前にポーズを決めているシーンなど、まさに先日引用したComputer Cityそのままです。

■Dreamgirls Music Video

映画のストーリーは、割合単純なサクセスストーリーです。ピュアな気持ちでスタートしたはずの音楽なのですが、売れるための商品として、あるいは誰がトップ(メインボーカル)を取るかという力争いにおいて、あるいは恋愛やドラッグなどが絡んで脱落する人間がいたり、けれども復活する人間がいたりする。そんな人間模様がうまく描かれていました。

物語はステレオタイプなのですが、映画全体を通して音楽が流れています。いやーその迫力に圧倒されました。特に中盤以降、泣けた。

歌唱力はあるのに売るために美人のディーナ(ビヨンセ・ノウルズ)をメインボーカルにしてトップから外されたエフィ(ジェニファー・ハドソン)は、遅刻したりモチベーションを喪失していくのですが、その限度がすぎてついにグループから追放されてしまう。結局、恋人であるカーティス・テイラー・ジュニア(ジェイミー・フォックス)とも別れてしまうのだけれど、そのシーンで「わたしは離れない」と歌うエフィのソウルフルな歌声には胸を打たれまくりです。

ちなみに、映画のなかのレインボーレコードが実際のモータウンレコードであり、ディーナはダイアナ・ロス、カーティスはモータウン・レコードの創設者であるベリー・ゴーディ・ジュニアをモデルにしているようです。

この映画を観ながら思いました。モータウンをはじめR&Bは要するに「演歌」であると。ソウルというと何か聴こえはいいのですが、どろどろとした怨念とか情念がその成分にある。というよりも怨念や情念がソウルそのものであるのかもしれません。なんとなくぼくはそんなどろどろな苦手な世界で、だから演歌は敬遠しがちだったのだけれど、その成分が人間の気持ちの深いところに根ざしていることは間違いなく、心を打つことも確かです。綺麗なものばかりではなく、闇やどろどろとしたものから生まれる音楽もある。

映画のなかでは、歌に時代を批判するメッセージを込めようとして曲を作るのですが、プロデューサーであるカーティスが「そんなものいらない」と苦々しく言い捨てるシーンがありました。音楽は時代性とは切り離して考えられないし、一方で、なまなましい個人の生き様とも切り離すことができない。両者をうまくつないだところにある音楽が、ひとの心を打つものです。しかしながら、そこに商業的な儲けが加わってくるとまた違ってくる。ピュアとか悪とかで片付けられる問題ではなく、そんな複合体のなかでカタチを変えていくのが音楽なのかもしれません。

音楽は商品であり、時代の反映であり、そして生き様である。表現であり、新しい何かであり、同時に古い伝統を内包している。そんなことを考えた映画でした。10月22日鑑賞。

■公式サイト
http://www.uipjapan.com/archive/dreamgirls/top.html

投稿者 birdwing : 2007年10月21日 23:45

« ディパーテッド | メイン | 「働く理由―99の名言に学ぶシゴト論。」戸田智弘 »


トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://birdwing.sakura.ne.jp/mt/mt-tb.cgi/77