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2014年12月29日

さて、深呼吸でもして。

141229_1.jpg141229_2.jpg141229_3.jpgきらきらしているもの、輝いているものが好きです。

宝石は詳しくないのですが、もし自分が女性だったとしたら夢中になっていたかもしれません。

クリスマスの時期、街がイルミネーションで飾られるとわくわくします。東京の至るところのイルミネーションを撮影するために、デジカメ片手に巡礼に出たこともありました。野に咲く花を切り取って花束にするように、都会に咲く「ひかりの花束」を作りたかった。

クリスマスは終わってしまいましたが、先日多摩センターに行ったところ、いまだにイルミネーションが残っていて、絶景に見とれてしまいました。スマホで撮影した写真を掲載します。

遡ってクリスマス・イブの早朝。窓から見える朝焼けが黄金に輝いていて、あわてて外に出てデジタル一眼レフのカメラで撮影した写真も載せておきます。きれいでした!ふつう朝焼けはサーモンピンクなのですが、このときにはまさにゴールド。「神様からの贈り物」だとおもいました。

あまり空を眺めるひとはいないかもしれませんが、ぼくにとって青空は、きらきらしているもの、輝いているもののベストワンです。

しかし、空は刹那で変化し、永遠にそのままの状態でとどまっていることはありません。一瞬の輝きはすぐ失われてしまう。光芒という雲の状態がありますが、これは太陽が雲に隠されて、光だけが後光のようにみえたり、地上に降り注ぐ光の帯になる状態です。雲が移動してしまうと、光芒は失われてしまいます。ただ、一瞬の輝きだからこそ見逃せないし、貴重な光景です。

青空を見上げて、ほっとため息をつく。そんな時間を大切にしています。

ということを考えつつ作った曲に、『シンコキュウ。』という曲があります。2009年の2月 1日にインストゥルメンタルの試作曲を公開、その後、2010年の10月12日に、Sheepさんという女性に歌っていただき、ネットコラボで完成および公開しました。

この曲を今回、アレンジを全面的に変えて、打ち込み+弾き語りで動画にしてみました。YouTubeの映像をブログでも公開します。



以前も掲載しましたが、ふたたび歌詞を掲載します。「詞」とはいえ、歌謡曲のような言葉ではなく「詩」を意識していました。文字にするにあたって、改行の区切り方も歌詞的ではないカタチを考えていました。以下、歌詞です。

+++++++++++++++++++++++
シンコキュウ。
+++++++++++++++++++++++

深呼吸
をして見上げた青空。
たなびく雲
は、未来の
軌跡。

とぎれた
指をつないで
誓った。
忘れない
ように、約束をした。

深く。
強く。

ここから明日へ
歩き出すために。

息を。
ためて。

鎮めたこころは
もう迷わない。

遠く。
近く。

ぼくらが地上で
探してる道標(しるべ)。

息を。
吐いて。

鎮めたこころは
もう迷わない。

・・・・・

MacやiPhoneで閲覧されている方は、Sheepさんに歌っていただいた原曲を再生できない場合がありますので、その場合はSoundcloudにアップロードした音源でお聴きください。



打ち込み+弾き語りの動画をどうやって録画したか詳細を書きます。趣味のこだわりに関するムダに詳しいメモなので、あまり興味がない方は読み飛ばしちゃってください。

いつもYouTubeに弾き語りをアップロードするときは、FinePixを使ってVGA(640×480)のサイズでaviファイルで録画した動画を素材にしています。今回は、まずMacBook Airに無料で付属しているGarageBandでカラオケ音源を作り、それを聴きながら歌をGarageBandに録音、同時にFinePixで録画しています。

ヘッドセットを付けていますが、GarageBandの音は外部には出さずに、FinePixにはギターと歌が録音されている状態です。GarageBandの音源は、バックグラウンドと歌を別々にエクスポートして、それぞれMacBook Air上のAdobe Auditionでマスタリングしました。映像、FinePixの音声、GarageBandのカラオケ、GarageBandで録音した音声を、波形をみながらAdobeのPremiere CC 2014上で合成しています。

古めかしい機材ですが、ローランドのハードディスクレコーダー(VS-880)を持っているので、Takamineのエレアコとマイクをつないで、VS-880をミキサーとして使おうとも考えたのですが、こりゃ面倒だとおもってやめました(苦笑)動画+音声を別々に簡単に録画できるような機材があるとうれしいです。

打ち込みに関しては、VAIO PCG-6C1NにSONARというDAW(パソコンで音楽を制作するソフト)をずっと使っていました。しかし、VAIOくんが昇天されてしまったので(電源を入れてもまったく画面が表示されなくなってしまった)、ずっと遠ざかっていました。

MacBook AirにGarageBandが付属していることは知っていたのですが、どうせ初心者向けのソフトだろうとタカをくくっていたところ、ある日、なんとなく使ってみたところ「おおおお!これ結構使えるかも!」と感動しました。

もちろん音をリバースさせるとか、凝ったことはできないけれど、エフェクトやループ音源が充実していて、しかも音をチューニングできる。どういうことかというと、たとえば今回ストリングス(弦)の音を入れたのですが、ループ音源を細かく切り刻んでひとつひとつの音程を変えればメロディができます。これもまた面倒な作業で、サンプラーを使ってしまえば一発です(苦笑)とはいえ、今回の「シンコキュウ。」は、そうやって弦の音を入れました。

と、趣味の音楽の話はここまで(笑)

IT黎明期と比較すると、あまり突出した印象がありませんが、2014年も終わろうとする現在、テクノロジーは大きな変化の時期を迎えていると感じています。一方で、アナログのよさも見直されていますね。

ぼくのスタンスとしては、昔から変わりがないのですが、デジタル×アナログのハイブリッドでいきたい。「デジタルは人間的なあたたかみがない」「アナログは時代遅れだ」のような、二元論は不毛だとおもう。デジアナを融合させたり、柔軟に使い分ける能力が重要ではないでしょうか。その試みのひとつが、今回の打ち込み+弾き語りによる「シンコキュウ。」でした。

いま、東浩紀さんの『弱いつながり』を「紙の本」で読んでいます。


弱いつながり 検索ワードを探す旅
弱いつながり 検索ワードを探す旅東 浩紀

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この本の冒頭で共感したのは、インターネットで検索できない言葉を探すことが重要であり、そのためには身体の置かれた場所を変えること、つまり「旅」が重要であるという指摘でした。より深くウェブの世界に潜り込むために、リアルな環境を変えることが重要だということです。

福島の原発事故について、日本語で検索したときと英語で検索したときではまったく情報が違うとのこと。チェルノブイリについて調べていたとき、ロシア語の堪能な方に調べて貰ったところ、2時間ばかりの検索でスタッフが数日かけて調べた情報以上の重要な情報を得られたという話には説得力がありました。

身体の置き場所を変えることによって、思考回路も変わるし、感性のセンサーも変わる。この指摘は重要だとおもいました。

ただ、ぼくは「本を読むこと」は、仮想的に身体の置く場所を変えられるとも考えています。ふだんはあまり読まない「読書の場」に仮想的な身体を置くことによって、新たな体験もできるのでは。

ちなみに、最近『徒然草』や『伊勢物語』を読んでいます。これがひじょーに面白い。もともと国文学科出身なのですが、恥ずかしいことに学生時代にきちんと読んだことがなかったんですよね(苦笑)。え、こんなに古典って面白いんだ!と感じています。

12月には次のような本を読みました。


4838712901体の贈り物
レベッカ・ブラウン 柴田 元幸
マガジンハウス 2001-02

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4276210658ショパンを嗜む
平野 啓一郎
音楽之友社 2013-12-14

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441307078XI miss me.―新しい自分を見つける42章
香山 リカ
青春出版社 2000-09

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4569817009お金と人を引き寄せる50の法則
千田 琢哉
PHP研究所 2014-01-09

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4062180324空白を満たしなさい
平野 啓一郎
講談社 2012-11-27

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ツイートで読了した本の感想を短く(ときには連投で長く)つぶやいています。本好きな方にご参考まで。以下のリンクで面白そうな本がありましたら、手に取ってみてくださいね。

■twirog ハッシュタグbooksより
http://twilog.org/BirdWing09/hashtags-books

読書もまたハイブリッド志向で、ぼくは『徒然草』『伊勢物語』はスマホの電子書籍で、小説やビジネス書は図書館で借りた紙の本で読んでいます。ふつう逆だろ、という印象ですが、スマホで読む古典もいいものです。わからない古語はすぐにウェブの辞書で調べることができるし。

2015年はどんな年になるのでしょう。

平野啓一郎さんの「分人」という思想を借りれば、ひとは他者との関わりによって別々のキャラクターとして分人があるのと同時に、「時間ごとに存在する分人」もあるのでは、と考えました。

細胞は一定期間で入れ替わるということを何かで読んだ記憶があります。したがって、細胞が入れ替わった自分はもはや「別人(分人)」といってもいいのではないか。つまり、今日の自分と明日の自分は違う。そして今年の自分と明日の自分は別人といってもいいのではないでしょうか。

アドラーの心理学によって励まされたことですが、過去の実績やトラウマに固執するのは「変わりたくない言い訳」に過ぎません。つまり「逃げ」です。過去の実績を誇るのも過去の人間関係や失敗に執着するのも、未来を生きたくない、一歩先の明日に踏み出したくないための甘えた自己弁護に過ぎない。人間はいまからでも変わることができる。

さて、深呼吸でもして、新しい年、そして新しい自分を迎える準備でもしますか。2015年が、きらきらに輝いた年でありますように。

投稿者 birdwing : 2014年12月29日 14:34

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