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2007年11月27日

備忘録―music11月。

ダウンロードで音楽が購入できる時代ですが、なんとなくCDショップに立ち寄る時間を大切にしています。デジタルな生活にどっぷりと漬かりながら、こんなところだけなぜかアナログなのですが、いいんじゃないでしょうか。セレンディピティではないのですが、うろうろと店内を歩いていると求めていたものとは違う掘り出しものをみつけたりして、結構楽しい。お客さんが手にとるアルバムをちょいと盗み見たりして参考にするのもいいものです。

今月は3枚のアルバムを購入しました。感想を書いていないアルバムが溜まってきていますが、いずれ感想を書くとして、まずはビボウロクとして書きとめておきます。

まずはネットで仲良くさせていただいている方が聴いていて興味を持ったラーシュ・ヤンソン・トリオ。ぼくは「HOPE」を購入しました。

HopeHope
ラーシュ・ヤンソン・トリオ


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おお、久し振りのジャズだ。ぼくはピアノトリオの編成が好きで、といってもジャズには詳しくないのでビル・エヴァンスぐらいしか聴いていないのですが、ジャズに触れたい時間というものがあるものです。

試聴せずにほぼジャケ買いなのですが、よかった。なんというかですね、旋律が滑らかだ。音に艶がある感じ?ベースのソロの乾いた音も気持ちいい。特に高音のソロが好きなのですが、和むなあ。何度も聴いています。

ラーシュ・ヤンソンはスウェーデンのピアニストのようですが、やや残響の残る音などに北欧のエッセンスを感じたりもしました。アルバムタイトル曲の「HOPE」は耳に残る美しいメロディで、なんとなく前向きな気持ちになる。こういう音楽大切でしょう。生活に艶を与えてくれる。

以下の日本版公式サイトで知ったのですが、11月24~12月8日まで来日しているようですね。

http://www.lars.jp/

HOPEの試聴もできます。

http://www.lars.jp/cd-hope.html

つづいてこちらも11月に来日していたUnderworldの5年ぶりの5枚目のアルバム。

オブリヴィオン・ウィズ・ベルズオブリヴィオン・ウィズ・ベルズ
アンダーワールド


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とても聴きやすい気がしました。それがいいかどうかはともかく。趣味でDTMをやっているので音づくり的な視点から聴いてしまうのですが、ここでこういう音が出てくるか、この音でイメージを変えるわけね、という音色の構成についていろいろと考えるところがありました。シングルカットされた1曲目の「Crocodile」がわかりやすかったのでYouTubeから。


そして、最後はトランス系のYounger Brother。弟・・・ですか?

The Last Days of GravityThe Last Days of Gravity
Younger Brother


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うーん。音は面白いんだけど。なんとなくアルバム全体の感じはぼくの趣味ではない気がしました。ぼくはサイケデリック・トランス系に詳しくないのですが(詳しくないものばっかり)、その方面では実力のある方のようです。以下CISCO RECORDSからの紹介文を引用します。

SHPONGLEでの繊細なプロダクションも印象深いトランス・ミュージック・シーンを代表するプロデューサー、Simon Posford (a.k.a. HALLUCINOGEN)と、THE EGGのアルバム・プロデュース、ナイキの広告サウンド・トラック制作など目覚ましい活躍振りを見せている盟友Benji Voughan (a.k.a. PROMETHEUS)によるユニットYOUNGER BROTHER、待望のセカンド・アルバムが遂に登場。ロック、ダブ、ブレイクビーツ、エレクトロニック・ミュージック、現代音楽など様々な要素を取り入れた、複雑ながらも抽象的な幻想的で重厚なサウンド・イメージ、まるで交響曲のように深遠な印象を聴く者に与える楽曲構成によって、単なるダンス・ミュージックの枠を大きく逸脱し唯一無二の世界観を創造した珠玉の一枚がここに完成した。

このジャケットをデザインしたのがStorm Thorgersonとのこと。ピンク・フロイドの「狂気」「原子心母」「炎」のデザインをしたデザイナーとか。最近はミューズのアルバムのデザインも手がけているそうです。なるほど。

というわけで、ジャズからトランスまで雑食極まりなくなりましたが、あとはクラシックでしょうか。いろんな音楽を吸収していきたいと思っています。

投稿者 birdwing 日時: 00:00 | | トラックバック

2007年11月26日

「進化しすぎた脳」池谷 裕二

▼人間味にあふれる文体、新しい科学のスタイル。

4062575388進化しすぎた脳 (ブル-バックス)
池谷 裕二
講談社 2007-01-19

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「進化しすぎた脳」は主として脳の海馬について研究されている池谷裕二さんが、中高生と脳の働きについて縦横無尽に語る本です。シナプスの働きのような生物学な分野から、心とは何か、意識とは何か、という哲学的な分野、なぜ脳を研究するのかという科学者の社会的意義まで、内容はとても幅広い。

あまりにも長いこと読んでいたので(苦笑)、前半はまったく忘れてしまったのですが、まず内容とまったく関係なく、この文体はいいな、と思いました。親しみやすい。というのは、中高生との対話で構成されているからなのですが、話をする口調に限りなく近い。「あはは」なんて笑いも書かれている。

えーとですね、当初からぼくはブログをそういう文体で書きたいと思っていました。だから「です」「ます」調も無視してめちゃくちゃだし、なるべく話し言葉に近い書き言葉で綴るように意識しています。古い美文至上主義のひとには怒られるかもしれないけれど、ぼくは逆にブログの新しいスタイル(=文体)を作りたい。

そこで気付いたのですが、基本的にぼくは創作的な文章を書きたいのではなく、読んでいるひとと対話したかったのではないか、と。まったく本の内容とは関係ないそんな自己分析をして、実は自分の書いたことに自分で、そうだったのか!と驚きを隠せないのですが。そうだったのか?まあいいか。

ほんとうにアタマのよいひとは難しいことをやさしく語れるひとである、とぼくは思います。そして、曖昧なことを曖昧に享受できるゆとりのあるひとだと思う。

凡人であるぼくらはときとして、どーでもいいことに拘りがちであり、曖昧なことを明確にしたがる。しかしながら、アタマのいいひとは、それやっても無駄でしょ?ということをさらりと言ってのけるものです。わかったようなふりをしたり、あっちこっちから権威的な何かを引用するひとは実はあまり頭がよろしくなくて、それはわかんないでしょ、と無知を無知として認めてしまえるひとのほうが賢い。

なので、最先端の脳科学を紹介しながら、わからないことはわからないとはっきり言う池谷裕二さんはとてもアタマがいいと思う(笑)。

そもそもどんな学問も実験室のような場所で隔離して行うようなものではないし、なぜその学問をやるのかという動機はとても個人的なものです。科学者と言われるひとだって、好きでやっていることもあるだろうけど、オレこれやって何になるのかな・・・という悩みもあるでしょう。

ぼくがこの本に親近感を覚えたのは、そんな「ゆらぎ」が感じられたからです。おれの説が絶対だ!この理論は完璧だ!おまえらはおれの言うことに従っとけ!という、いわゆる教壇の上から見下ろす俺様的な先生のスタンスではなく、きみはどう思う?というフランクな姿勢に、次の科学を担うリーダーを感じました。

「手作り感覚こそが科学の醍醐味(P.334)」という章もあるのですが、なにか絶対的な科学の答えがあって、それを解明することが科学の使命であれば、ぼくら人間はその大きなものに従うだけのちっぽけな存在にすぎないような気がします。しかしながら、この本を読んで痛感したのは、個々人が科学を作り上げていくんだという感覚が大事で、だからこそ科学に関わることの意義も感じられるということです。やっぱり歯車はいやでしょ、たとえ科学者であっても。

歴史は変えられる、真理は改められる、という感覚は、ちょっと怖い気もするのだけれど、先がみえない感じがいいと思うんですよね。だいたい会社でも、過去の実績にこだわりすぎることがある。数年前に作った企画書のページを持ってきて、これ使うべきだなんて主張するひとがいる。時代が変わっているのに、まだ権威が通用していると思っていると、そんな硬直したアタマこそが進歩発展のお荷物になっていく。

と、本の内容に関わっているんだか外しているんだかまったくわからないことを書いていますが(苦笑)、報酬系とか、「あいまい」だからこそ役に立つという視点だとか、知識というより考え方に惹かれるキーワードがたくさんありました。

ただ、やはりぼくはその知識のひとつひとつを拾うのではなく、全体として、この本から元気をもらった、ということを感想として書いておくことにします。そういう読み方もあっていいんじゃないでしょうか。

おまえは池谷裕二の何を読んでいるのだ、と言われたらそれまでですが、ぼく科学者じゃないし、文系だし(笑)。しかし、科学者ではないのだけれど、ぼくとはまったく違う世界で脳について研究している新しい科学者のスタイルに刺激を受けたし、尊敬するなあと思った。喝采を贈りたいですね。

ところで、ぼくの父は脳の血管が破裂して半身不随になり、シャントという管で脳のなかに溜まった血を外に排出する手術をしたものの、リハビリの時期を待つこともなく亡くなりました。医師に呼び出されて脳のレントゲンの説明を受けているとき、ぼくは目の前の脳の写真を見ていたのだけれど、まったく見れていなかった。医師の言葉も聞こえているようで、まったく聞いていなかった。

先日、父の七回忌を済ませました。脳科学の本を読むとき、ぼくは少しだけ亡くなった父のことを思い出します。教師であり、頑固な父でした。

老いていくことはどうしようもないのかもしれないけれど、脳の手術であるとかアルツハイマーに関する研究がすすめば、もう少しだけぼくらは大切な誰かと、かけがえのない時間を過ごすことができるようになると思います。だから、期待しています。これから脳科学を研究する科学者のみなさんに。

投稿者 birdwing 日時: 23:36 | | トラックバック

2007年11月25日

[DTM作品]つめたい惑星。

天気がよかったので「どこか外へ行こう!」と家のものに言ってみたところ、「仕事すれば・・・」と奥さんから切り返されて、翼が折れて深く傷付いた鳥です(苦笑)。こんにちは。

つめてー(泣)。季節は本格的に寒くなり、クリスマスのジングルも聴こえてきそうな時期となりましたが、いちばん寒いのはぼくの心ではないでしょうか。ひゅるるるるー。そりゃ仕事もするけどね、たまにはどこか行きたいじゃないですか?というか、おとーさんが行きたいんですけど、だめですかーそうですかー。いいよ、もう・・・。

というわけで、「じゃあ仕事します・・・」と自室で仕事に着手していたのですが、気持ち的にどよーんと落ち込んだので進まない。曲を作ってしまいました。

先週、アンビエントな感じで「地上の星空」という曲を作ってみました。なんとなく後半の生のバンドっぽいリズムが気持ちよかったのですが、もうちょいアップテンポの激しい曲を作ってみたいと思いました。そんなことをぼんやりと考えながら、昨日、Aqualungの「Presure Suite」などを聴いていたわけですが、惑星というか宇宙というか、なんとなく真空的な硬質な曲が作りたい、と。

というわけで完成度はいまいちですが、ブログで公開してみます。「つめたい惑星」というタイトルにしてみました。冷たいのは惑星じゃないような気もするけど。


■つめたい惑星(coldplanet.mp3 2分5秒 2.88MB 192kbps)

曲・プログラミング:BirdWing


最近おとなしめの曲ばかりを作っていたので、今回は激しい曲にしてみたかった。ぼくは比較的穏やかな人間なのですが、その一面で思いのほか過激な一面もあり、そうした一面をクローズアップしたい気もしました。

2分程度の長さであり、全体的にコード主体ということもあるので曲って感じじゃないですね。なんとなく音のコラージュっぽい。というのもそもそも展開部分は、先日作った「地上の星空」をそのまんま読み込んで、切り貼りしています。横着にもほどがある感じですが、調を合わせるなどの加工はしています。

071124_multiband.JPGまずはリズムから作りました。ハウスのリズムです。中田ヤスタカさんにつづけーと思ったのですが、ぜんぜん違うものになってしまいました(苦笑)。バスドラムがごつごつする感じにしたかったので、コンプレッサーのちょい高めの低音域を持ち上げています。キャプチャーを掲載してみます。ああ、しかしイコライザーとコンプレッサーは難しい。ほんとうは効き目がわからない程度にかけるといいんでしょうね。

実は、惑星を英語にするとPlanetで、ひょっとしてこの曲はコード進行的にレディオヘッドのPlanet Telexではないか?と気付いて聴いてみたところ、どんぴしゃりだったので困惑。作っているときには惑星としか考えていなかったのですが、無意識のうちにレディオヘッドの文脈を引っぱってきていたか。ちょっと怖いと思いました。名盤「The Bends」の1曲目ですね。

B000007363ザ・ベンズ
レディオヘッド
EMIミュージック・ジャパン 1995-03-08

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参考までに、YouTubeから1997のライブ映像です。

■Radiohead - Planet Telex (1997 Belfort)

ほかにもいろいろ観たのですが、うーむ、ハードだ!熱い!ぶっとんでるなあ!騒がしいロックが苦手だとちょっと困惑かもしれませんが(というかぼく自身も、このテンションにはちょっと付いていけないものがあるのですが)、ロック魂を感じさせます。

そういえば、ずいぶん前にレディオヘッドの新譜が出ていましたっけ。

イン・レインボウズイン・レインボウズ
レディオヘッド


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あんまり触手が動かなかったのですが(って、タコ型宇宙人ですかわたくし)絶賛されているようなので、いまさらながら聴いてみようかと思いました。

投稿者 birdwing 日時: 22:33 | | トラックバック

Aqualung / Memory Man

▼夕暮れのような哀しみ、スケールのある叙情。

Memory Man
Aqualung
Memory Man
曲名リスト
1. Cinderella
2. Pressure Suit
3. Something to Believe In
4. Glimmer
5. Vapour Trail
6. Rolls So Deep
7. Lake
8. Black Hole
9. Outside
10. Garden of Love
11. Broken Bones

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音楽によって喚起される感情もあるけれど、特定のシーンが音楽の向こうにみえてくることもあります。たぶん聴覚による音にしても、視覚をインターフェースとして読みとく文章にしても、最終的には感覚の集合体であるリアルな何かにつながっていくのかもしれません。五感と言われますが、それらは個々が分断されて存在しているわけではなくて、ひとつにまとまっているんじゃないか。そんなことをふと考えたりします。

Aqualungの音楽を聴いていてぼくの心に浮かんできたのは、夕暮れでした。

決して早朝の爽やかな風景ではない。夕暮れといっても穏やかな一日の終りではなくて、いろんなハードなことがあって疲れて帰る夕暮れです。足にだるさが残り、ため息なんかも零れたりする。それでも人生に対する諦めのようなものはなくて、なんとなく芯のほうでくすぶっている想いがある。

Aqualungは、イギリスのウィンチェスター出身であるMatt Halesのひとりユニット。「Memory Man」は3枚目のアルバムになります。どこかレディオ・ヘッドのトム・ヨーク的な繊細さを感じさせるボーカル、あるいは曲の壮大さではクイーンという勝手な印象なのだけれど、ピアノを中心とした叙情的な曲が多く、なかなかせつなさに訴えてきます。

他のアルバムは聴いていないのだけれど、この一枚が心に訴えかけるのはなぜなのか。アルバムに捧げられた文章を読んで納得しました。後半は省略して最初の一文だけですが、引用します。

So i made this album.
Which is about what it's like to be a new parent, granted this incredible perfect gift, shining pure joy and life, whilst all around us the world is falling apart.

これは、我々の周りで世界が崩壊しつつある中で、ピュアな喜びと生命感に輝く、途方もなく完璧無比な贈り物を授かり、新しく親になることに関するアルバム。

マット・ヘールズには、2004年の5月に息子が生まれたそうです。子供が生まれることによって、いま自分がいる世界のひどさを感じるとともに、未来を考えるようになった。そんな気持ちがこのアルバムに込められている、とのこと。直接歌詞に現われている部分もあり、そうではない部分もあるのだけれど、なんとなく夕暮れ的でありながらあったかいのは、生れたばかりの子供に対する想いがあったからかもしれません。

詩的にも、音としても、涙出そうになったのは2曲目の「Pressure Suite」。Pressure Suiteとは、「与圧服」だそうで、「宇宙飛行士を急激な気圧の変化から守る服」とのこと。埋め込み不可なので、YouTubeの動画へのリンクを記載しておきます。

■Aqualung-Pressure Suit
http://jp.youtube.com/watch?v=BgZXW8uDiOY

製品の耐久テストのように暑かったり寒かったり雨だったりするなかで、ひたすらピアノを弾き続けるマット・ヘールズ。そして最後には・・・。シンプルだけれど、必死で何かを守ろうとする曲のイメージが伝わります。冒頭の歌詞は次のようなものです。

We're
Two spinning spheres
Two spinning spheres
In a bed of stars
The silence is silver
Staring into space
I wonder where you are

You're all I've ever needed
I know that you won't feel it

ぼくたちは
くるくる回るふたつの球体
くるくる回るふたつの球体
星を敷き詰めた床の上で
沈黙はよくない
宙をじっと見つめて
きみに思いを馳せる

ぼくに必要なのはきみひとりだけ
きみには感じられないだろうけど

なんとなく球体という言葉が、以前にも引用した田村隆一さんの「言葉のない世界」を連想したりもするのですが、ここでは宇宙という視点から比喩にしているのでしょう。そして、Pressure Suite(与圧服)も比喩であって、彼は家族を守るPressure Suiteになりたいと考えたのかもしれない。

You're all I've ever neededの部分でベース音が上がっていくコードが好きです。せつないですなあ。

全体的に(個人的な印象では)夕暮れ的なのですが、まずはアルバム1曲目の「Cinderella」に打たれます。YouTubeからライブの映像を。。

■Cinderella - Aqualung

ドラムでパッドを使っていますね。あと、リッケンバッカーのギターがかっこいいと思った。歌っているマット・ヘールズは、エルヴィス・コステロ風のメガネで知的かつ繊細な感じがしてよいのではないでしょうか

深読みかもしれないけれど、これは取り返しのない地球環境に対する啓蒙の歌であるように思います。静かに進行する環境破壊によって、人類の存続が時間切れになってしまうことに対する警鐘というか。というのは曲の冒頭から明らかなのですが。引用します。

I'm on a roll
Everything I touch turns to shit
It's taking it's toll
Can anybody get me off it
Stuck on a roll
And it's wearing thin.

ぼくは勢いづいている
この手が触れるものはすべてゴミに姿を変えてしまう
今それがもたらした結果に直面してるのさ
誰かぼくを止めて
運命から逃れられなくて
もうこりごりだよ

いかにもメッセージソングだぞ!と意気込むのではなく、さりげなく暗喩的にこういう曲を作ってしまえるのはかっこいい。

アルバム全体としては若干ぼくの趣向とは異なるのですが、それでもなかなか深みのあるソングライティングだと思いました。何よりも、マット・ヘールズの生き様のようなものが感じられるのがいいかな。偏屈なぼくは楽曲の美しさや演奏の技巧よりも人間性のようなもので曲を選んでしまうことが多いのですが、Aqualung的な世界観は悪くないです。

+++++

あっ。ちなみに関係ないけど、これでブログ開設してから100エントリーです。わーい。ぱちぱち。すべてのタイトルを見たい場合には、以下のアーカイブページでずらずらと羅列されていますのでどうぞ。

http://birdwing.sakura.ne.jp/blog/archives.html

投稿者 birdwing 日時: 00:34 | | トラックバック

2007年11月24日

「佐藤可士和の超整理術」佐藤 可士和

▼アートディレクターの空間・情報・思考の整理術。

佐藤可士和の超整理術佐藤可士和の超整理術
佐藤 可士和


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最近のオフィスはフリーアドレス制を導入しているところも増えているようです(フリーアドレスについての解説はWikipediaの「フリーアドレス」で)。

フリーアドレスのオフィスでは、決められた席がありません。モバイル環境でノートPCを使えば、配線に煩わされることなく自由に仕事ができる。帰るときには明日ここに座るひとのために机の上には何も残せないので、非常に整備されると思います。ただ、日本的な企業においては、どこに座るかについて縄張り争いも生まれそうな気がしているのですが、いかがなものでしょう。

えーと、オフィスで大量の資料を積み上げているぼくからは想像できない世界です(苦笑)。席替えすることになると、いつも大変なことになっています。ついでにいうと、自宅もひどいことになっている。

ほとんど物置きになっている部屋は、積み上げた本の雪崩が頻繁に勃発して、CDはすでにラックからはみ出して平積み状態。子供たちのためなのか自分のためなのかわからない食玩とかガチャポン玩具も大量にあって困惑しています。なんとか活用できないかと思って、ブログで使ってみたりしたのですが、さすがにこれは整理しなくては、という状況です。

そんなわけで「佐藤可士和の超整理術」です。特に整理術の本を探していたわけではなくて、きっかけはデザイン系の著者の本を読みたいと思って本屋をうろついていたときに発見したのだけれど、PCのデスクトップやモノの整理だけではなく、思考を整理するという観点に惹かれました。

どちらかというとモノの整理は簡単で(ある意味、捨てちゃえば全部片付く。というぼくは捨てられないので簡単ではないのだけれど)、それよりも複雑に絡み合った課題を整理する方法のほうが大変です。仕事で重要なスキルでもあり、この部分を興味深く読みました。

実は書かれていることはそれほど目新しいことはないな、と生意気にも思ってしまったのですが、確かに内容は整理されている(笑)。そりゃあ整理術の本の内容が整理されていなかったらお話にならないですよね。真っ白な装丁のように、シンプルですかっとした印象を受けました。

何でもないシンプルなデザインですが細部が計算されていて心地よい。それが良質のデザインかもしれません。

誰でもできそうなんだけど、実はできない。奇抜なものを作るのがデザインではなく、奇抜な何かを削ぎ落としたところにデザインはあるのかも。この本もそんな感じでしょうか。とはいえ、もうちょっと感覚的にぴぴっとくるような視点があると嬉しいと思いました。深澤直人さんの本などには、そんな思考を揺さぶる刺激があったので。

空間の整理術、情報の整理術、思考の整理術のように展開されているのですが、1.情報把握、2.視点導入、3.課題設定というプロセスをチャート化しつつ、キリンの極生、明治学院大学のブランディング、国立新美術館のロゴデザインなど、佐藤可士和さんの実際の仕事の事例を引用しながら整理方法を解説しています。

最終章でまとめられているのですが、この言葉にすべてが整理・集約されているようにも思います(P.210)。

空間の整理:整理するには、プライオリティをつけることが大切
情報の整理:プライオリティをつけるためには、視点の導入が不可欠
思考の整理:視点を導入するためには、まず思考の情報化を

そして次のようなポイントが挙げられています(P.214)。

■空間の整理
・定期的にアップデートする
・モノの定位置を決め、使用後はそこに戻す
・フレームを決めてフォーマットを統一する

■情報の整理
・視点を引いて客観視してみる
・自分の思い込みをまず捨てる
・視点を展開し、多面的に見てみる

■思考の整理
・自分や相手の考えを言語化してみる
・仮説を立てて、恐れず相手にぶつけてみる
・他人事を自分事にして考える

このポイントのうち、特に納得したのは思考の整理における「他人事を自分事にして考える」ということでした。だいたい「他人事を他人事にして考える」か「自分事を自分事にして考える」ものです。ひょっとすると「自分事を他人事にして考える」無責任なスタンスだったりもする。

書店で立ち読みしてぐぐっときたのは、冒頭の部分で佐藤可士和さんが「アートディレクター=ドクター」という比喩を使われて、次のように書かれていたからでした(P.29)。

なぜなら、答えはいつも、自分ではなく相手のなかにあるからです。それを引き出すために、相手の思いを整理するということが、すごく重要になってくるのです。

これは、わかる。ものすごくわかるなあ。営業にしても企画にしても、自分を売り込む能力が必要だと思うじゃないですか。ところがかなりそうではなくて、相手のなかにあるもやもやとした思いをカタチにできるかどうかが重要です。だから、自分で勝手に描いたソリューションを押し売りしても、相手にとってはメイワクにしか思えないこともある。

整理のプロとしては、自分の思考が整理できることはもちろん、相手の思考を整理してあげられることが重要になるのかもしれないですね。

相手の思考を整理するためには、個人的な感情を一度捨ててすっきりしなければならないし、多面的な角度からみる必要もあります。そして多面的な思考のためには、経験値も必要だし、知識や絶え間ない学習も必要になる。もちろん過剰な情報に惑わされていたら整理できないので、そこで情報を取捨選択捨する技術も重要になる。

なぜ、捨てるのか、という言葉も考えるものがありました。次を引用します(P.213)。

でも、決して“捨てる”ことが目的なのではありません。あくまでも手段なのです。「何のために捨てるのか?」といえば、本当に大事なものを決めるため。そして、大事なものを、より大切に扱うためなのです。

うーむ。そうだなあ。確かにぼくは最近、何が大事なのか、ということをよく考えるのですが、大事なものを守ってより大切に扱うためには、いくつかの何かを捨てなければならないこともあるものです。

もちろん人生はそれほどシンプルではなくて、大切なものは複数あって、その複数の大切なものを維持するためにはかなり大変だったり整理できない気持ちに悶々ともするのですが、人生、整理の連続なのではないのかな、と思ったりもしています。簡単に整理できちゃうようであれば、それはそれでつまらないのではないか、と。11月3日読了。

投稿者 birdwing 日時: 00:04 | | トラックバック

2007年11月23日

テレパシーのような、進化のような。

基本的に文章を書きたくてブログを書いているわけですが、文章はコミュニケーションの手段でもあり、王様の耳はロバの耳!のように暗闇に吐き捨てるようなものではない場合には、誰かに伝わることを前提として書いているわけです。読まれるために書いている。

テキストは伝わらない、メールは怖い、だから会って話すのがいちばん。

そんな原始時代的な考え方のひとはずいぶん少なくなったのではないでしょうか。もし、いまでもそう思っているようであれば、時代遅れ?とちょっと自分を省みたほうがいいかもしれないですね。21世紀。SF映画に登場するようなボディスーツは着ていないけれど、ぼくらの時代は静かに変わりつつあります。

年配の方であっても携帯電話のメールを使いこなすし、ブログもがんがん書いたりする。いいんじゃないですか。たぶんグラハム・ベルの発明によって電話が登場し、世のなかに爆発的に普及していったときにも、電話なんか顔の見えないものを使って横着しないできちんと訪問しろ!のような議論があったはず。古いものに拘る気持ちもわかるのだけれど、時代は変わっていきます。コミュニケーションの手段が増えることは、新しもの好きな自分的には大歓迎ですね。

ところで、チャットにしろメールにしろ、テキストのコミュニケーションではないですか。テキストというのは、書いた瞬間に削ぎ落とした何かがたくさんあり、だから想像力や推測で補う必要がある。

したがって、テキストのコミュニケーションを究めていくと、ものすごく想像力や推測する力、相手の気持ちを読む力、コミュニティであれば空気を読む力が鍛えられる。それは受信者の立場だけれど、発信者の場合には、なんというか相手のツボを押すような的確な言葉を瞬時に繰り出せるようになる。

先日、「パフューム ある人殺しの物語」という映画を観て思ったのだけれど、この物語では、香りというカタチのないものを永遠に持続させようとする狂気にも似た感情が主人公を殺人に駆り立てます。ただ、その力を究めることによって、ひとふりのハンカチに落とした香水によって、群集の怒りをやわらげて愛情で溢れさせたりすることができる。これはすごい。ぼくは言葉でこれができるといいと思いました。言葉の調香師になれたらいいと思った。

つまりですね、一瞬で相手を刺激し(トップノート)、広がりのある感情を喚起し(ミドルノート)、いつまでもぼくのことを覚えていてくれるような(ベースノート)言葉を発せないか。

えー、妻子のある身としてはこんな妄想をするのはいけないことであり(苦笑)、そんな機会も残念ながらもいまのところないのですが、圧倒的な力を持つ言葉をですね、もし大好きな女の子に使えるようになったら・・・彼女を言葉で官能的に悦ばせることができるのではないか、と(笑)。女性を感じさせるのは男性にとっても至高の喜びではないですか。感じている女性をみるのは嬉しいですよねえ、男性のみなさま。

あーしかし、いかん、いかん。言葉の使い手であるブロガーとしては、自分の言葉の力をヨコシマな欲望に使っちゃだめですね。モラルは大事です。自制。

とはいえ、万人に当てはまることではないけれど、波長の合うひとというのはいるものです。エンドレスでお話していたいひとがいる。テキストのコミュニケーションであっても、びしばし伝わることがある。その力を強化していくと、脳内でダイレクトにつながっている気持ちになります。たかが言葉なのに、まるで仮想の世界で抱擁されているような、あったかい気持ちになる。

これはもはや・・・えー、誤解やヒンシュクを恐れずに言うと、脳内セックスではないか、と。

相手の気持ちのいい部分を言葉で探り、愛撫する。そして自分の感じる部分に言葉で触れてもらう。もちろん信頼関係ができていなければ、言葉を裸にすることはできません。どうしても拒絶とか嫌悪の気持ちが、言葉をシャットアウトしてしまう。おざなりな社交辞令になる。それでも一度解放してしまうと、言葉だけで気持ちよくなれる。言葉で交接することができる。

物理的というか身体的に、男性でいえば射精という終わりがないから、基本的には言葉の交接はエンドレスです。しかしながら、気分は移り変わり、減衰し、維持できないものなので、常に不安や安定させようとする努力が必要になります。それに人間は欲張りなので、常に新しい刺激を求める。新しい刺激を言葉で作り出す=創造するクリエイティビティがなければ、確かにそこあったはずの世界=信頼関係が急に消滅するような脆いものでもあります。

わかりやすいので男女の恋愛に喩えてみたのですが、ひょっとするとメーカーと消費者の“恋愛”についてもいえることかもしれません。物理的に機能の改善も必要だけれど、デザインとかコンセプトとか、カタチのない何かでつながっていれば、永続的に信頼関係は築くことができる。このメーカーと消費者の“恋愛”こそが、ブランディングなのかもしれませんが。

と、非常に実感がともなわないので抽象的なことを述べましたが、テキストで愛し合うのは性別や年齢や地域などを限定しません。インターネットさえあれば世界中の誰とでも愛し合うことができる。

さらに、テキストで交わるようになると、必然的にリアルな性欲は減少する気もします(かえって、会いたくなって、リアルな身体に触れたいと思うこともあるかもしれないですけどね)。つまり、生殖機能としてのセックスが抑制されるわけで、それは人類の過剰な増加を抑制することになるかもしれない。

多分にSF的ではあるのですが、インターネットの登場は、脳内セックスを増加させて生殖活動を減退させる、というマクロな効果があるとしたら、地球規模の歴史的に意義があるのではないか、と思ったりして。

とかいう概念的なことを書いていないで、PCの電源をオフにして外へ出なさい、ということかもしれないとも思うのですが(苦笑)。

勤労感謝の日、トウキョウはとてもいい天気です。

今朝、夢のなかで、亡くなった父から酒を飲まされるシーンをみました。父がどこかで仕事に疲れたぼくを労わってくれているのでしょう。その夢は現実ではないけれども、いまこうして書くことによって、現実の一部にカタチを残す・・・。

言葉の力について、ぼくは考え続けていたいと思っています。

投稿者 birdwing 日時: 13:07 | | トラックバック

2007年11月19日

パフューム ある人殺しの物語

▼永遠に残したい想いと香り、芸術家で科学者で殺人者で。

パフューム スタンダード・エディションパフューム スタンダード・エディション
ベン・ウィショー.レイチェル・ハード=ウッド.アラン・リックマン.ダスティン・ホフマン トム・ティクヴァ


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芸術と狂気が紙一重であるように、純粋さと人を殺める衝動も紙一重なのかもしれません。

ということを書いていて思い出したのは、茂木健一郎さんのレオナルド・ダ・ヴィンチ論です。ダヴィンチは絵画と解剖学という芸術と科学のふたつの視点から人間を眺めていたという観点ですが(いま本がどこ行っちゃったのか探せずに断念)、美や愛を排除した科学的な視点を持ちつつ芸術に関わったからこそ、崇高な作品が出来上がったのかもしれない。けれどもその天才的な感覚も行き過ぎると、変質的になる。

この映画は、18世紀、類まれな嗅覚を持って生れた主人公ジャン=バティスト・グルヌイユ(ベン・ウィショー)が、究極の香水を作るために次々と女性を殺めていくという物語です。腐敗したサカナとか汚物とか、ぐちゃぐちゃな映像ではじまっておげっと思ったのですが、その映像があるからこそ崇高な何かも感じられる(気がする)。汚れた世界で育ったグルヌイユが、貧困と悪臭のなかから人間の力を超えた香りを追求していく過程に興味を惹かれました。彼は科学者的ともいえます。

グルヌイユは幼少の頃から匂いをかぎ分ける力に優れていたのだけれど、皮なめし職人の家に仕えながら、出かけた町でひとりの女性の匂いにひきつけられ、彼女を殺してしまいます。このとき、死体から彼女の匂いが消えていくのが我慢できずに、自分が惹かれた女性の匂いを“永遠に残したい”と思うわけです。

ちょっとヘンタイ的なのですが、わかるなーと思ってしまったわたくしはどうしたものでしょう(苦笑)。というのはですね、文章を書くのも、音楽を作るのも、そして写真や映像を撮るのも、究極の動機付けは「感情もしくは場の雰囲気を永遠に残したい」という切ない願いがあるような気がするからです。もちろんそうじゃない動機で文章を書き、音楽を作り、写真や映像を撮るひともいるとは思うのですが、少なくともぼくは何かを残したいという衝動が創作の原動力になっている。しかも、できれば永遠に。

どんなものでも色褪せていくことを止められないじゃないですか。美しいクリスマスのイルミネーションも、あと1ヵ月後には消えてしまっている。どんなに思い焦がれて、通じ合っていたはずの愛情も冷めてしまうことがある。そもそもぼくは過剰に熱しやすく急速に冷めやすいタイプでもあり、だからこそほんわかといつまでも持続して香るような何かに憧れます。だからこそ、永遠に残しておきたいと思う。

主人公はちょっとしたきっかけから調香師(ダスティン・ホフマン)の家で働くことになるのだけれど、そこでも匂いを永遠に残す方法にこだわります。蒸留することで香りのもとを精製することを学ぶのですが、鉄やネコ(!)を蒸留して「匂いにならないじゃないか」と怒ったりする。そして、永遠に香りは残せないことを知って、気絶したりする。ピュアといえばピュアなんだけど、どこか常軌を逸している。そして、究極の香水を作るために次々と女性を殺める。香水の「材料」を抽出するために殺人を繰り返す。

調香師が語った言葉で、香りは音楽と似ているという表現も印象的でした。トップ、ミドル、ベース(違ったかな)という最初に感じる匂いから残り香として持続する匂いを組み合わせることで、和音が生まれる。これは聴覚を嗅覚の比喩として使っているのだけれど、五感には共通の何かがあるのかもしれません。

それから嗅覚と官能って、どこか通じるものがありますよね。というのは、オルガスムスに達する窒息感が、すばらしい匂いで息を止めてしまう感覚に通じるからではないか。ネタバレになるので詳しくは書きませんが、彼が作った究極の香水は、まるで麻薬のようにひとびとに効いて、そこに集まっていた群衆の怒りを消し去るばかりか、互いに愛し合うような状態にさせてしまい、えーとですね、なんか大乱交状態になっちゃうわけです(照)。あらららら、みたいな感じで、このシーンはどうだろうと思いましたが。

特に感動というわけではなかったのですが、映画的な深いトーンが気持ちよかった。そしてどちらかというとぼくは感覚的というよりも、考えさせられることの多い映画でした。11月18日鑑賞。

投稿者 birdwing 日時: 23:13 | | トラックバック

2007年11月18日

[DTM作品] 地上の星空

クリスマスが近づいてまいりました。毎年恒例なのですが、トウキョウはイルミネーションで飾られてきれいです。地球環境に対していかがなものか、という疑問もあるのですが、さておき。この時期の雰囲気はいいものですね。なんとなくしあわせな気持ちになれる。

会社の帰りにふらりと散歩して、新宿南口のサザンテラスと高島屋の前のイルミネーションをカメラにおさめてきたので、まずは遠くに住むひとのためにもスナップを。携帯電話のカメラで撮ったので、ぼけぼけですが。

071116_illumination1.jpg

071116_illumination2.jpg

071116_illumination3.jpg

そのイルミネーションからインスピレーションを受けて曲を作ろうとしたのですが、うまくできない(苦笑)。最初はアップテンポのきらきらしたテクノにしようと思ったのですがまとまらずに、アンビエントな感じで作ってみました。曲というほどではなく、1分ちょっとの短い音ですが、ブログで公開してみます。

おかしなプレイヤーですが、白い棒の左端をクリックすると再生、右端をクリックするとダウンロードが可能です。音量は調整できないのでご注意ください。


■地上の星空(chijo_no_hosizora.mp3 1分25秒 1.97MB 192kbps)




曲・プログラミング:BirdWing


星空を感じさせる曲にはいろいろありますが、寒い冬にイルミネーションを眺めて連想するのは、プリファブ・スプラウトの「アンドロメダ・ハイツ」ですね、やっぱり。そんな音のイメージを作ろうと思いました。若干、ぼくの場合にはシューゲイザーが入っていますが。


B00005662Tアンドロメダ・ハイツ
パディー・マクアルーン
エピックレコードジャパン 1997-05-28

by G-Tools


ところで、星空に瞬く星のひとつひとつはちいさく見えるのだけれど、実はその光のそれぞれに、ひょっとしたら生命がいるかもしれない。同様に明るい電飾の風景も、ひとつひとつはちいさな電球の灯りです。さらに言えば、高層ビルの最上階から眺めると自動車や家屋やひとはちいさくみえるけれど、そのひとつひとつにその時間の人生だったり生活が息吹いている。

先日、ひとごみにおいて誰か他人とぶつかるときのことを考察してみたのですが、"ひとごみ"という全体で括ってしまうと海のような比喩も可能だけれど、実際には個々は別々の存在であって、全体で括ったときには情報として欠落してしまう何かがあるはずです。

と、そんなことを考えたきっかけは、小野和俊さんのブログで「精読のTwitter速読のTwiiter」というエントリを読んだからでした。

■精読のTwitterと速読のTwitter
http://blog.livedoor.jp/lalha/archives/50189302.html

いやーこれ面白かった。Twitterで400人フォロワーにしている方が、小野さんに対して「おまえ30人ぐらいのフォロワーでTwiiterの何を語っているんだ」というような批判をされているわけです。こういうひといるなあ。開発者に多い気がする。高いところから見下ろして(見下して?)語るひと。

確かに400人もフォロワーにすれば、大量のひとの書き込みがおそろしい速度で更新されていくので、まるで高層ビルから地上を俯瞰したような、言い換えると「神の視点」で世界を見ることができると思います。なんとなくすごい。まあ、ぼくはやらないけれども(苦笑)。

梅田望夫さんはかつてその著書のなかで、一日500ぐらいのブログに目を通す、と書かれていたことを記憶しています。すごいなーと思って一時期真似をしていたこともあるのですが、正直なところですね・・・疲れる(苦笑)。というか、きちんと読めない。読み飛ばすことになる。

もちろんそれが大量の情報をさばくネットの情報化社会で必要とされる能力なのかもしれないけれど、ぼくが危惧するのは、その過剰な情報への対応が、

関係性をどんどん希薄にしていくのではないか

ということです。情報に対する関係も然り、他人との関係も然りです。

情報は流れていくものだから、読み飛ばせばいい、という姿勢になる。あ、はてなでそんなことを開発者が書いているのを読んで、腹が立ったことを思い出しました(笑)。なんだよ、一生懸命書いているぼくらのエントリは、流れて消えてしまうゴミかよ、と。まあ、その通りなんですけどね。そんなこと言ったら、世のなかのすべてはゴミなんですけど。

フォロワーであるとか、SNSなどでつながりを過剰に増やしていくと、相対的に人間との関係は希薄になっていくと思います。だいたい400人友達がいるひとが、それぞれの友人や知人と密接なコミュニケーションできるかどうか疑問です。まず、キャパシティのないぼくは無理(苦笑)。

可能だったとしても、おざなりな定型的なコメントを返すだけにしかならないんじゃないでしょうか。いや、ひょっとしたら接客業などを営んでいるひとには400人に均等に愛情を注ぐことも可能かもしれません。でも、やっぱり接客業的な関係性になるのではないか、と。「それ期待しますよね(ほんとうに期待してるんだか)」、「それ大変でしたね(大変さわかってんのか)」という。表面的なコメントは上手くなると思いますが。

友人や知人のつながりを増加させると、その友人や知人リストにおいてもロングテールの法則(解説はWikipediaの「ロングテール」)が当てはまると思います。したがって、アクティブに関係しているひとは、ほんの3割程度かもしれない。もしかすると、怒涛のような書き込みを「読む」ことに追われて、返信すらできていないかもしれません。要するに異業種交流会で名刺をたくさんゲットするんだけど、なにひとつとして仕事に活かせない「名刺富豪の人脈貧乏」みたいな状態になるような気がします。

そこで最初の話に戻るのですが。

遠い場所から、たくさんの星空を眺めて美しいなあと思うことも大事ですが、地上であるぼくらの星、地球にしっかりと立って、この地上でいまぼくの周囲で起きていることにしっかりと関わることも大切だと思いました。

400人の多様な考え方を、神の視点で把握することも大切かもしれません。けれども一方で、たったひとりの思考のなかに、無限大の世界があるものです(夏目漱石の「坊ちゃん」のフレーズを思い出したりもするのですが)。だからおざなりに大量のひとと関わるぐらいであれば、たったひとりのひとと深く意見を交換したほうが有意義なこともある。

これはマーケティングの手法にもいえると思うんですよね。

かつて、市場調査が重視されていた時代には、世のなか全体の80%がこの製品を支持している、というような全体の把握が重視されました。けれども多様化した現在では、あるターゲットひとりの人生に着目して、Aさんが生涯でどれだけその製品を購入するか、などの視点も出てきています(LTV:Life Time Valueという用語もありました)。あるいは、顧客のペルソナに注目して、消費者という全体ではなく、その生活や思考を具体的にわかるカタチにして商品を開発する、などという手法もあります。

それにしても一般的には「数が多けりゃすごい」的な発想が根強いようですね。

金持ちが偉い、というのと同じだと思うのだけれど、ぼくはプライベートな生活においては、そろそろそんな呪縛から自由になってもいいんじゃないかと思う。数の亡者になることによって、見落とすことも多いような気がするので。

そんなわけで、ぼくはブログのアクセス数にもこだわらずにいたいと思っていて、多くのひとに読まれようという苦労なんかしたくない。わずかだけれど、ほんとうにぼくの文章が好きで読んでくれるリピーターの方を大事にしたい。本を100冊読むような目標設定もやめてしまいました。1冊の本を100回読んでもいいんじゃないか、と思ったからです。

DTMから人生論のような思考系に流れてしまいましたが、もうすぐクリスマス。地上の星空のような電飾を眺めつつ、大切なひととしあわせな時間を過ごせるといいですね。

投稿者 birdwing 日時: 18:22 | | トラックバック

2007年11月17日

[ブログ4コマ] Dorae-man02

dorae-man02f.jpg

投稿者 birdwing 日時: 17:10 | | トラックバック

[ブログ4コマ] Dorae-man01

dorae-man01f.jpg

投稿者 birdwing 日時: 17:05 | | トラックバック

曖昧な記憶と創造。

ネットで仲良くさせていただいている方が、五角形のドラえもんを描いたという話をされていて、これは面白い!と思いました。そのひとは三角形からどんどん画数を増やしていったそうですが、結局のところ、画数を増やせば円に近づく。なので画数を増やせば増やすほど、ノーマルなドラえもんになってしまう(笑)。

これ、面白いなあ、と思いつつふと思ったのは、ドラえもんってどんなだっけ?ということでした。ぼくは絵を描くのは好きなんだけど、あまり上手いほうではなく、次男くんがまだ2歳頃には、彼にせがまれて電車の絵を描いて猛烈なダメ出しされたぐらいです(苦笑)。

とはいえ、面白そうなことには、積極的にのってみたいと思う今日この頃。

曖昧な記憶を頼りに、ドラえもんなどを描いてみました。実際には紙の隅っこに描いたのですが、あらためてペイント(Windowsなら誰でも入っているおまけソフトですね)で描いています。もちろんペンタブレットなどないので、マウスが筆記具です。趣味のDTMで音楽を作るのもマウスだし、絵を描くのもマウス。なんて便利な入力デバイスでしょうか、マウスは。

えー、練習してあらためて描いてみたのはこんな感じ。

dora1.jpg

なんとなく合ってる気がするけど、ちょっとかわいいでしょうか。口が違うかな。なので書き直し。

dora2.jpg

おお、こんな感じだったような気もします。

ここでちょっと考えてみたのは、もうちょっとリアリティを出したいな、ということでした。ドラえもんにリアリティを付加してどうする(苦笑)という感じもしますが、もう少し痩せて、癒し系のキャラにしたらどうなるか・・・こんな感じ?

dora3.jpg

ぷっ。なんだこりゃ。でも憎めない気がする。癒される・・・。

でも、ここでまた妄想がむくむくと膨らんでしまったのですが、こんな顔してるんだけど、ひょっとしたら怒ると怖い。こんな風に。

dora4.jpg

あはは。いいですねえ。

次にアンパンマンを描こうとしたのですが、どうもドラえもんのイメージが被ってしまって。

anpan1.jpg

「ジャガイモ普及協会のマスコット」でしょうか(苦笑)。なんか弱そう。でも、被りものはしてないねえ。そこで書き直し。

anpan2.jpg

おお!これはイケてる。いい感じ。

でもやっぱりつまらなくなってきたので、アレンジしてみました。癒し系と、実は怒ると怖い系。

anpan3.jpg

anpan4.jpg

うーむ。どんどん現実から逃避してマイ・ワールドに入っていってしまう。ネットで検索すればイメージは掴めるのだけれど、実はまだ本物を見ていません。あえて見ていない。見るとイメージが限定されてしまいそうなので。ついでに、かの有名なミッキーさんもイメージで書いてみました。こんな感じ?というやつと、癒し系、怒ると怖い系です。

mic1.jpg

mic2.jpg

mic3.jpg

わはは。全然違う。ここで思ったのは、曖昧な記憶のまま何かを再現しようと、実は脳内にあるイメージから再現するのでまったく違うものになる、ということです。要するに、きっちりコピーすることも大事だけれども、曖昧な部分を補うようにして創造される何かもある。

音楽もそうかもしれないですね。楽譜できっちりとコピーするよりも、耳コピーで音楽を聴きながら真似をした方がドライブ感とか違うことがあるし、逆にコピーしているつもりでまったく違う何かになることもある。

ところで、この似ていて非なるものをじーっと眺めていたら、4コママンガが浮かんできました。別エントリーとして発表してみます。えー、ぼくはデザイナーでも漫画家でもないのでへたくそですが、ペイントソフトとマウスで描いた4コマです。

さてさて、どうなることやら。

投稿者 birdwing 日時: 16:14 | | トラックバック

2007年11月15日

ひとごみのなかのダンス。

ひとごみが苦手でした。少なくとも遠い昔、トウキョウにやってきたばかりの10代の終りの頃には。

新宿とか渋谷のひとごみに出ると眩暈がして、気後れして帰りたくなったものです。交差点の信号が変わると、どどーんと打ち寄せる波のように押し寄せてくる人々。田舎もののぼくはうまくひとの海を泳げなくて、あっちでぶつかり、こっちで困惑し、ぎこちなく途方に暮れたものでした。

そんな田舎出身の純朴な少年たちが陥りやすい罠があります。

地方から上京する学生さんたちが陥りやすい罠ではないかと思うのですが、それは、向かってくる相手と位相を逆にしてシンクロしてしまうことです(笑)。

ああ、相手が右によけるなーと思って左に避けると、要するに相手の右は自分の左なわけで、同じ方向でごっつんこしてしまう。で、おっと失礼、じゃあわたしはこちらへ、と右に避けると同様に相手も同じ方向に避けるのでまたごっつんこする。

そんなわけで、右・左・右・左と知らず知らずのうちに、見知らぬ誰かと路上でダンスを踊ってしまうわけです。出会いの相性もあるかと思うのですが、ステップを踏みやすい性格もあるようで、もう辞めてしまったのですが、かつてうちの会社にはそんな“路上ダンス”の達人がおりました(遠い目)。

どういう状況か、わかるひとにはわかると思うのですが、何を言っているのかわからない、というひとのために図解いたしましょう。

まず、「ぼく」がとことこ歩いて来ますよね。えーと、これ、仮面ライダーの電王なんですけれども。

071115_1r.JPG

すると、反対側から別のひとが歩いてくる。誰ですかね、これ。よくわかりませんが、赤いライダーです。

071115_2r.JPG

東と西、南と北なのかわかりませんが、とにかく反対方向から歩いてきたふたりが出会う。

071115_3r.JPG

で、ぼくが右に行こうとすると、相手は左に行くのでごっつんこ。

071115_4r.JPG

あっ失礼!と左に避けようとすると、相手も同じ方向に行くのでごっつんこ。

071115_5r.JPG

そんなことを繰り返すので、ダンスを踊ってしまうわけです。

たいてい、知らないもの同士が出会いがしらにダンス踊っちゃってなんだなかーみたいな気分で苦笑しながら立ち去るわけですが、この場面の正しい終わり方は、他にないだろうか。

いっそのことふたりでミュージカルやっちゃうとか。

071115_6r.JPG

少女マンガ風だと、濃厚なちゅーしちゃうのもありだ、と。

071115_7r.jpg

電王さんってば、積極的だ(照)そんなエンディングも心あたたまるのではないでしょうか。

この現象を言い表す言葉がないものか、と思っていたのですが、ミシェル・ゴンドリー監督の「恋愛睡眠のすすめ」という映画を観ていたところ、P・S・Rという造語(笑)で説明されていました。

恋愛睡眠のすすめ スペシャル・エディション恋愛睡眠のすすめ スペシャル・エディション
ガエル・ガルシア・ベルナル.シャルロット・ゲンズブール.アラン・シャバ.ミュウ=ミュウ ミシェル・ゴンドリー


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P・S・Rとは、「平行同時発生的無原則(パラレルシンクロナイズドランダムネス)」だそうです。「二人の人間が同時に波長し合い、行動や言動が永遠に平行線の状態に陥ること」とのこと。

路上ダンスに関わらず、いろいろな場面でありますよね。サラリーマンのおじさんとか宴会で、

「では、部長。あなたからどうぞ」
「いやいや、課長。あなたのほうからどうぞ」
「いやいやそんなこと言わずにまずまず」
「いやいやいやいや・・・どぞどぞどぞ」

みたいな微笑ましい譲り合いとか。

あるいは、愛し合うカップルが「あの・・・」「えと・・・」とか同時に話をして、

「あ、いま何か言おうとしたでしょ。お先にどうぞ」
「いや、ぼくはたいしたことないからいいんだ。きみからどうぞ?」
「えー、わたしもたいしたことないのよ。あなたから言って!」
「そんなー、ぼくはきみの話が聞きたいんだよう(照)」
「まあやーね(照)、わたしだってあなたのお話が聞きたいんだもの。もう」

のように繰り返す行為。

ちなみに「恋愛睡眠のすすめ」という映画は、主人公ステファンが隣人のステファニーに惚れるのですが、気持ちをうまく伝えられない。勝手に思い込みでステファニーを傷つけてしまうというような切ない物語が、ペーパークラフトのアニメーションという幻想的な映像で展開されます。ステファンとステファニーは恋人同士なのか、ただの友人なのか、とても曖昧な状態のまま平行線を辿っていきます。お互いに好きな気持ちがあるのに、相手を思いやるばかりに、前に進めないダンスを踊ってしまう。

と、ひとごみのなかで偶然に繰り返されるダンス、「恋愛睡眠のすすめ」用語でいうとP・S・Rについて書いてみましたが・・・。

現在はどうかというと、さすがのぼくもひとごみに戸惑うことはなくなりました。ひとごみをきれいに切り抜けて歩くことができるようになりました。ほとんど意識せずにひとごみの海のなかを泳いでいます。毎朝、そして終電に近いぐらいの夜遅くに通勤と帰宅のために新宿の駅で電車を乗り換えるのですが、ヘッドホンで音楽を聴きながら、あるいは携帯電話を見ながら、ほぼ自動操縦のように機械的にひとごみを抜けていきます。

ギターケースを抱えた学生。
折りたたみ式のベビーカーを押している主婦。
ネクタイを緩めたサラリーマン。

そんなひとたちとすれ違うのだけれど、ほとんどスルーで記憶に残ることはありません。床に寝転んだ浮浪者や、サンプリング商品を配るキャンペーンガールもスルー。もちろんひとりひとりを記憶にとどめておいては大変なことになるかと思うのですが、あまりにも通過するだけというのもいかがなものか。

ときどき。苦手なはずだったひとごみに、あえて行きたくなることがあります。

それはひとごみのなかに、スルーできないあたたかさを求めているのかもしれません。それがたとえ困惑するようなダンスであっても。

投稿者 birdwing 日時: 23:53 | | トラックバック

2007年11月11日

[DTM作品] リエゾン(試作)。

昨日、東京は雨降りだったのですが、大学の先輩の結婚式に行ってきました。

071111_kyokai.JPG雨降って地固まるという感じでしょうか。親戚以外の結婚式に出るのは久し振りですが、感動してあったかい気持ちになれました。いい結婚式でした。詳細はプライベートなことになるのでブログでは書きませんが、とりあえず教会のイメージ写真を。ステンドグラスです。

披露宴といってもパーティー形式で、とてもリラックスできるものでした。なかでも新郎と新婦がお互いに手紙を読み合うところに感動。新郎の大学の先輩はとても頑固なひとで(苦笑)、センセイという職業のせいもあるかもしれないけれど、説教するタイプです。しかしその先輩が、“あなたから影響を与えてもらった。あなたのおかげで変わることができた”のようなことを書いて、しかも堂々と読み上げていて感動しました。

恋愛にしても結婚にしても、どうしようもなく相手を変えたり変えられたりするものだと思います。

そもそも共同生活をするわけだから、ひとり暮らしのときのようにはいかない。しかしながら、一方的に相手を変えるだけの暴力的な愛情で、それを拒んだりすれば関係は成立しないものだと思うし、相手の生き方を押し付けられて変えられるだけの関係というのもしんどい。お互いに影響を与えつつ(ここだけはゆずれないというものを守りつつ)、よい形に変わっていくのが理想ではないでしょうか。

と、まあこういうことを語るのは苦手なので、とても緊張しながら書いていてうまく書けないのですが(苦笑)、結婚数十年の夫婦って似てきますよね。あれは似ようと思ったわけではなくて、影響を与えたり与えられたりするうちに、共通項のところで折り合いがついていったのではないか、などと考えたりして。

パーティー会場への移動の途中、トウキョウのまちはそろそろクリスマス気分になってきていて、イルミネーションが賑やかでした。結婚式や教会の雰囲気とあわせて、その空気感を曲にしたいと思い、これもまた久し振りにDTMのソフトを立ち上げました。

今回は、すべて打ち込みで作っています。日曜日の夕方、しあわせな気分に浸りつつ3時間ばかりで(昨日の雰囲気が消えてしまわないうちに)曲として結晶化してみたつもりです。仮にタイトルは、「リエゾン(Liaison)」としてみましょう。

気持ち的には試作品ですが、ブログで公開してみます。


■リエゾン(2分19秒 3.19MB 192kbps)

作曲・プログラミング:BirdWing


リエゾンとは、フランス語でふたつの音がつながる意味です。大学時代に第二外国語はフランス語を選択していたのですが何も残っておりません(困ったものだ)。Wikipediaによるとそもそもリエゾンとは「合体」の意味だとか。うーん、合体か・・・(妄想)。はっ、いかん。学術的になりましょう。以下、まずはWikipediaの解説です。

リエゾンあるいはリエーゾン (仏:Liaison) とは、2つの単語(あるいは形態素)が一定の音的条件の下で連続して発音される際に、その境界に第三の音が現れる現象を指す。リエゾンはまた連音とも言うが、「連音」という用語はリエゾン以外の音現象をも指すことがありうるので注意を要する。

フランス語と夫婦を重ねて考えるのはかなり強引ですが、結婚すると男性と女性が一組になる。それを単語と単語がつながるリエゾンといっしょに考えてみると、個々の個体はそれぞれ別の人間だったとしても、夫婦と呼ばれるときに一体化してとらえられるものかもしれないですね。

とかなんとか理屈っぽいことを述べてみましたが、夫婦の有り様もひとそれぞれのような気がします。

傍からみて、それどうだ?と眉をひそめるスタイルであったとしても、本人たちが仲良かったり快適であればそれがいちばんではないでしょうか。周囲を気にする必要もないし、恥じることもない。

人生に正解はありません。
自分がこれが正解だと思えばそれが正解。

だからきっと、いろんな愛情のかたちがあるはず。

DTMなのか恋愛論なのかよくわからなくなってしまいましたが、この曲についてはアプローチとしては面白いのですが、きちんとまとめるかどうかについては考え中。昨日の気持ちや雰囲気を音化したかったのですが、もうひとつ何かが必要な気もしています。

投稿者 birdwing 日時: 22:12 | | トラックバック

2007年11月 9日

購入したものたち-11月。

かつて別の場所でブログを書いていたときには(って、はてなですけど)、かなり気合が入っていて、さまざまな情報にアンテナをはりめぐらせて、しゃかりきになってた気がします。現在はというと・・・ゆるゆるです(苦笑)。もう気ままに書いている。どちらかというと文芸的かもしれません。リラックスして書いている感じだなあ。それがいいのか悪いのか。

ただ、はてな的な何か(何でしょうそれは)が、むくむくとアタマをもたげるときもあり、そんなテーマについても書いてみるつもりです。さてさて、どんな内容になるのやら。

と、宣言しておきながら、いかがなものかと思うのですが、ビボウロク的に最近購入した本とCDをメモ。

えーめちゃめちゃ感度悪すぎ、というか遅れているかと思うのだけれど、文庫になっていて立ち読みしたら結構笑えたので、まずはこの本たち。

やさぐれぱんだ 1 (1) (小学館文庫 さ 5-1)やさぐれぱんだ 1 (1) (小学館文庫 さ 5-1)
山賊


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やさぐれぱんだ 2 (2) (小学館文庫 さ 5-2)やさぐれぱんだ 2 (2) (小学館文庫 さ 5-2)
山賊


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笑いって大事だと思うんですよね。笑うことで筋肉のこわばりも取れるし、心のこわばりも取れる。だから、誰かを笑わすことができるひとは素敵なひとだ。誰かを怒らせるひとよりもね。

つづいて、やわらかいのか硬いのか何なのか判らないこの本。

人はなぜ恋に落ちるのか?―恋と愛情と性欲の脳科学 (ヴィレッジブックス N フ 4-1)人はなぜ恋に落ちるのか?―恋と愛情と性欲の脳科学 (ヴィレッジブックス N フ 4-1)
ヘレン・フィッシャー 大野 晶子


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別に恋をしているわけではないのですが(というか、恋という言葉を使うこと自体、おじさんは、こっぱずかしいのですが)、ちょうどいつまで読みつづけているのやら(苦笑)、という池谷裕二さんの「進化しすぎた脳」を読み終わるところだったので、脳科学関連の本を探していたところ目にとまりました。帯の茂木健一郎氏推薦!という言葉にも注目したのですが。

目次を読むだけでなかなか興味のひかれる項目が並びます。Amazonの紹介文を引用しておきます。

脳内メカニズムで恋の疑問を解く
どんなに愛するパートナーがいても、人は浮気をする
「恋」と「愛情」と「性欲」の謎を科学で解明する!
●脳は「なかなか手に入らない相手」に燃える
●近くにいる人と恋に落ちやすい
●好きになったら引き返せない恋は中毒症状
●人を嫉妬に狂わせる脳内物質の正体
●失恋には運動と日光が効く
●人間は恋をするために進化した動物である
  (「目次」より)

CDとしては、次の2枚です。

Surf BoundariesSurf Boundaries
Christopher Willits


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まず1枚目。Christopher Willits (クリストファー・ウィリッツ)ですが、アメリカのエレクトロニカ系レーベル12Kの看板アーティストとのこと。シューゲイザー的なサウンドですが、試聴したところ脳内しゅわしゅわな音にやられました。前衛的な音だと思うのですが、実はとてもポップだと思う。ヴォーカル入りで、なんとなくきらきらした感じもする。

以下のサイトで試聴が可能です。

http://www.ghostly.com/1.0/ghostly/gi54.shtml

最近では、坂本龍一さんとのコラボレーションのアルバムも出しています。こちらは非常にアブストラクト(抽象的)なので、いまひとつ購入を迷っているのですけどね。こういう音は聴きたくなるときと、あまり気が向かないときがあるものです。

2枚目は、北欧系でシガー・ロス(!)。これもまた試聴して、思わず正座してじっくり聴きたくなったので購入。2枚組みです。えーと、まだ封切っていません。週末に心して聴こうかと。

HVARF-HEIM~消えた都HVARF-HEIM~消えた都
シガー・ロス


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手帳付きの邦楽アーティストの新譜もほしかったのですが、買いそびれた(泣)。2週間ぐらい前にはあったのに、まったくなくなっていて悲しかったです。やっぱりこれはと思ったときに買わないと後悔しますね。その、これはと思ったときに小遣いがなかったりもするのだけれど。ダウンロードで入手するか・・・。

最近、ふたたび週末には映画のDVDを借りて楽しんだりもしているのですが、音と文章にも触れていきたいと思っています。あとは・・・旅に出たい(笑)まだ、行ったことのない場所へ。

相変わらず欲張りなのですが、そろそろブログのデザインも変えたいなどとも考えています。やりたいこと多すぎですが。

投稿者 birdwing 日時: 23:03 | | トラックバック

2007年11月 8日

クラッシュという究極の整理術。

ずいぶん前から挙動不審だった会社のパソコンですが、あまりにも動作が鈍いのでデフラグをかけていたところ動きが止まり、再起動したところ起ち上がらなくなりました。やれやれ。

奢れるものは久しからず(奢ってないけど)。命あるものには必ず最期があるものです。ありゃりゃーという感じでその最期を見守っていたのですが、脳内しあわせ状態なぼくはぜんぜん落ち込みもせず、ま、いっか、まっさらな状態からやり直せば!などと超・楽観主義で構えていたのでした。

企画書なんて、毎回ゼロベースで考えた方がいい、とぼくは思います。とかなんとか言うと、QCとか効率化とか無駄なことが大好きなひとたちは、いやいや、フォーマットを決めてだな、構造化して、ワークハックが・・・うんぬんなどと始めるのですが、そのフォーマット志向が思考を型にはめると思う。

破壊のないところにクリエティブなし、というか、何度ぶっ壊しても立ち上げてやる、ぐらいの勢いが必要だと思いますね。冷めたクールな思考よりも熱血的な勢いがあればなんとかなっちゃうはず。

と、そんな風に楽観的に考えているときに限ってうまくいくもので、3つぐらいのファイルを除いてすべて復旧いたしました。さすがシステム課。すごい。どうもありがとう。

先週の土曜日に「佐藤可士和の超整理術」という本を読み終わったのですが、佐藤さんは帰るときにデスクトップをきれいにするとか、未読メールがないようにするとか、そんなことを書かれていました。しかしながら、ぼくが考えたのは究極の整理術は

ハードディスクをクラッシュさせること

ではないか、と(笑)ぜーんぶ消えてしまうと、きれいに整理される。すっきり。

そんなわけですっきりしたデスクトップを眺めながら、ちょっと壁紙でも代えてみようか、という気持ちになってさくっと検索したところ、以下、deviantARTというサイトにある壁紙が素敵だと思いました。

071108_deviantART.JPG

画面キャプチャーをクリックすると、deviantARTのサイトに遷移します。

071107_aquaraven.jpgアーティストのギャラリーのサイトのようですね(よくわかりませんが)。ストリートアートのような写真もあって、結構楽しめる。さまざまなアーティストのなかで、ぼくが気に入ったのはaquaravenというひとの壁紙です。深海をモチーフにした壁紙を作っているようで、深い青色がとても落ち着く。

そもそも、aquaravenさんのロゴには青い鳥が使われていて、そんなところも、おお!という感じでした。

ぼくもブログのトップにある鳥は自分で書いたのですが(なんとPowerPointの図形描画を使用。Illusuratorとか持っていないので)、こんな風にかっこいい鳥を書きたいものだ。しかし、シンプルだけれどかっこいいデザインというのがなかなかできないものです。どうしてもごちゃごちゃ書き込みたくなったり、シンプルなんだけど物足りなかったり。

aquaravenさんの壁紙で気に入ったものをピックアップしてみます。Galleryのページに結構素敵なものが多く、特に3ページ目お気に入り。ぼくは、どうやらアブストラクト(抽象的)なものやミニマルなものを好むようです。

ブログパーツにもなっていて、以下はmyspace用のもののようですが貼り付けてしまいます。ちょっとこのブログのトップページはFlashばかりで重くなりそうですが。

まず最初は、Wisps of Light。一閃、という感じでしょうかね。


Wisps of Light by ~aquaraven on deviantART

つづいて、深い海の底を思わせるDepths。


Depths by ~aquaraven on deviantART

かっこいい壁紙にしただけで、気分的にクリエイティブになる。創造的なこころがそそられます。セレンディピティな感じ(求めているものが得られなくて、関係のないものが得られる、という)もしますが、ハードディスクがクラッシュしたおかげで、かっこいい壁紙を探すこともできて、ちょっとうれしかったりしたのでした。

と、あまりにも気分がよかったので、SNSやブログなど、その他のいくつかのサービスを退会。これもまた未練も何もなく、すっきりという印象でした。読みにいくことのなくなったブログのRSSなどもさっぱり消えてしまったので爽快だ。これから、まっさらな気持ちで新しいブロガーと出会えばいいし。

あとは仕事を頑張るのみ(笑)。11月後半に向けてハードになっていく予定ですが、なんとか壁紙パワーで乗り切りますか。

クラッシュは自発的ではなく突然のままならない出来事であったのですが、究極の整理術は、ぼくの気分を軽く、そして前向きに変えてくれたようです。

投稿者 birdwing 日時: 23:30 | | トラックバック

2007年11月 5日

テキストに溺れて。

ここ1ヶ月ばかり大量のテキストの海に溺れておりました。

関係ないのですが、溺れるといえば川上弘美さんに「溺レる」という短編集があります。この短編集、非常に好みです。個人的な印象ですが、文学的な雰囲気に浸ることができる。息苦しい何かを感じる。官能的、といってもいいのでしょうか。耽美的といってもよいのかもしれませんが。

4167631024溺レる (文春文庫)
川上 弘美
文藝春秋 2002-09

by G-Tools

狂ったように川上弘美さんの本を読みまくっていた時期があり、作品どころか作家まで溺愛したこともあったのですが、いまは少し熱が引いた感じです。かつては電車の中吊り広告で川上弘美さんの写真をみると、引きちぎって帰りたい衝動に駆られたものの、いまでは遠くから昔の恋人を眺めるような気分な淡い気持ちでしょうか。スイッチ入っちゃうと熱くなってしまうからなあ、ぼくは。困ったものだ(困惑)。

と、いきなり出会い頭にいきなりぷいと脇道にそれた感じのエントリーですが(苦笑)、話を元に戻しましょう。

最近、メールやら何やら目を通すテキスト、そして返信するテキストの量が半端ではない生活を送ってきました。仕事では、ML(メーリングリスト)で細かな確認や指示を飛ばすのですが、これが長文になりつつあり、しかも一日に何通もテキストの応酬状態で、もちろんフラグを付けて管理などしているのですが、えーと、あれどうなってたっけ?というときにはGoogle Desktopを活用しまくりです。デスクトップに放り込んでおいたものをとにかく検索できることと、タイムラインで履歴を把握できるのがうれしい。

しかし、黙々とお仕事しているばかりではなく、電話はもちろん、お会いしてお話するミーティングの時間もあります。斜め後ろの席のひとには(もう彼はいなくなっちゃいましたが)

「馬鹿笑いしているけど、何の仕事してんの?」

と訝しがられるぐらいに楽しい(笑)。状況としては結構スケジュール厳しかったり難易度が高かったりするのですが、とにかくいまは仕事が楽しいですね。自分のやりたかった仕事だということもあるし、あらゆる仕事を自分で企画、管理することができるからかもしれません。

結局ですね、人生楽しんだものが勝ちかもしれない。主体的に。

しかめっつらして嫌々仕事やったりやらされたり、ここまやればいいだろうと割り切っても、よい仕事はできないのではないか。楽しんで仕事をしていると楽観的な考えも生まれます。リラックスすると脳内アドレナリン放出状態なので、とんでもない素敵なアイディアも出てくるものです。ビジネスなので、冷静に設計する必要もありますけどね。

で、そんなフェイス・トゥ・フェイスのコミュニケーションも交えながら、移動中といえばTwitterだったりgmailだったりして、家に帰れば家族が寝静まったあとはテキストコミュニケーション全開だったりする。まあ、全壊だったりすることもありますが(苦笑)。

こうしてテキストの海に溺れながら、ふと気づいたのですが。

そういえば、最近、ブログあんまり書いてない・・・

基本的に、はてなでブログを書いていた時代からハイパーグラフィアなわたくし(親しくさせていただいている方に真似されちゃったのですが、さらにその真似ということで。笑)ですが、コミュニケーション系のテキストに溺れるとブログ書く力もなくなっちゃうのでしょうか。

といっても、やはりブログにはコミュニケーションとは別の醍醐味があり、なんでしょう、瞬間的に消えていく言葉をとらえて、思考をカタチにしていく楽しさといえるかもしれません。どこか彫刻的な作業でもある。つまり、カタチのない塊を削ってカタチにしていく、というか。

ただし、記録系の短文ブログであればともかく、熟考しなければならないブログの場合、時間が必要になります。1時間か、2時間ぐらいは確保しなければならない。細切れの時間にメモを書きとめたりしているのですが、そのメモを料理するためには、まとまった時間が必要です。その時間がどうしても深夜になっていくのですが・・・。

と、なかなかの長文で書いてしまいましたが、ほんとうにいま書きたいことはもう少し壮大な何かだったりします。

日々の生活のなかで消えてしまいそうになるのだけれど、どこかで書きとめておきたい。その一方で、書かずにおこうと決めた想いもあります。どういうことかというと、書いてしまうと逆に陳腐になる。言葉にすることで削ぎ落としてしまう、欠落することが多いような何かです。書かずに何度も脳内で反芻したほうが深まっていく何か、というか。

というわけで、ますますテキストに溺れていくのですが、こんな生活も悪くない、と思っている自分はどうなのか(苦笑)。まあいいか。

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2007年11月 4日

マリー・アントワネット

▼美しい映像と、せつない夫婦のかたち。でも、ソフィア・コッポラ作品としては・・・。

マリー・アントワネット (通常版)マリー・アントワネット (通常版)
キルスティン・ダンスト ジェイソン・シュワルツマン アーシア・アルジェント


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11月4日鑑賞。

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2007年11月 3日

永遠のうろこ雲。

親父の7回忌で帰省しました。喘息もちの次男くんのためなど、もろもろの理由によりぼくだけが単身帰省です。まあ、一人旅みたいなものでいいものだ。行き先が新鮮ではない場所というのがどうかと思うのですが。

指定席を取った急行では、休日のせいか、どういうわけか、ぼくの乗っている車両は女性ばかりになってしまって困惑。背後は8人の女子大生の団体さん(若い)、隣の3列はお酒を飲んでるOLさん(DSで通信しながらゲームやってた)、前方は40代ぐらいの主婦の3人組(渋い)と、周囲を女性に埋め込まれたカタチになりました。なんだか居心地が悪くて、きゅうっと縮んでいたのですが、寝不足の疲労もあって爆睡。いびきかいちゃっていなかったのか心配です(苦笑)。

ものすごいよい天気で、電車のなかから眺める空と海が最高。旅行ではないのだけれど、なんとなく気分が晴れました。

そんな素敵な天気を眺めながらいろいろと考えたのですが、最近、ぼくが思い出す親父の顔は、まだ若い頃の笑顔ばかりで、あまり年を取った頃の顔は思い出せないようになりました。その顔に、ぼくは似てきているような気がします。

どちらかというと男の子は母親に似るもので、ぼくも天然なのかハイテンションなのか何なのかわからないおふくろ(苦笑)に、性格も顔付きも似ていると思うのだけれど、なんとなく鏡を覗き込むと親父の面影があったりする。この面影は息子たちに受け継がれていくのでしょうか。

などと考えつつ到着した田舎の空は、これは!というような見事なうろこ雲でした。ひつじの毛並みのようでもあります。

密集して、もこもこしていて、厚い部分は少し暗めの白になり、そのためかクリーム色というか真珠のような色合いになり、逆に光のあたっている部分は輝いているので、美しい。

071103_sora1.JPG

とはいえ、これだけ連続していると、ちょっと気持ち悪い気もする(笑)

空一面のうろこ雲というのは、久し振りに眺めました。最近、割合とうろこ雲に遭遇する頻度が高いのですが、トウキョウの場合にはビルで隠されてしまうので。真上を見上げると、この模様がどこまでも永遠につづいてるような感じ。

071103_sora2.JPG

しばらく眺めているとゆっくりと雲は流れていって、やがて消えてしまいました。カメラのなかにだけ、その移ろいやすい模様は残っていましたが。

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2007年11月 1日

ジュースなお酒たち。

日付変更線を越えるか越えないかあたりに帰宅する毎日がつづいているのですが、疲れているにもかかわらず、そして家の冷蔵庫にはストックされているにもかかわらず、ついついふらふらとコンビ二に立ち寄って、だいたいビールと何かお酒、そしてつまみのようなものを買ってしまいます。

なんでしょうね。小遣いを圧迫するし、夜中にそんなものを摂取すると健康に決してよいとはいえないし太るばかりで(泣)、何もいいことなんてないんですけど。

たぶん機能的に酒類・飲料を購入したいという理由ではなくて、くたくたな精神状態で暗い道をとぼとぼと帰りながら、なんとなく明るい場所に引き寄せられてしまうからかもしれません。わたくしは蛾ですか?と思うのですが、ほっとする安堵の時間を求めているのかもしれない。そういえば仕事中にちょっと気晴らしにコンビ二に出かけるときも、購入することが目的ではなく気晴らしだったりする。

同様なものとして、携帯電話やPCがあるような気がします。二つ折りの携帯電話をぱかっとあけるとき、PCの電源スイッチをおして画面を明るくするとき(いつかヘッドホンのコードをひっかけて落っことしてしまってから、起動音が消せなくなりました。うるさくてかなわん)、それはやはり機能的なものよりもその向こうにつながる安堵を求めているような気がします。

安堵はもちろん好奇心に対する欲求度が高いらしく、変な食玩がおまけについている飲料、これはどんな味だ?と思うようなお酒などについつい手が伸びてしまいます。

最近はパッケージもお酒らしくないものが多い。ビールといえば茶色系の缶というイメージがあるのですが、発泡酒の登場により、さまざまなものが増えました。

「佐藤可士和の超整理術」という本をもうすぐ読み終わりそうですが、そこにもアートディレクターの佐藤可士和さんが手がけた商品として、キリンの極生のパッケージについての話が書かれています。

要するにビールと発泡酒、という安いビールとしての代替品に発泡酒を位置づけるのではなく、発泡酒という独自のカテゴリーをつくろうとした。マーケティング的な製品を取り巻く状況を「整理」して、最終的にシルバーの缶にキリンのブランドイメージと青い文字だけがプリントされたシンプルかつ斬新なデザインを生み出すまでの思考の過程が書かれていて、非常に興味深く読みました。

071101_sparklinghop.JPG最近ついつい買ってしまうのが、スパークリングホップです。緑色の缶で、これもまたビールや発泡酒らしくないんだけど、さわやか。味も割合、軽めでジュース感覚で飲める(ので、飲みすぎに注意)。ホップの緑色をそのまま缶に採用したかと思うのですが、佐藤可士和さんの仕事でしょうか。

071101_tomate.JPGと、同時にジュースにしか思えなくて、思わずごくごく一気に飲んでしまうのが、トマーテというAsahiから出ているカクテル系のお酒です。「完熟トマトのカクテル」と書かれてて、どうみてもお酒にみえない。子供が飲んじゃいそうでちょっと残しておけないのですが、黒+赤というデザインが力強くてよい。

071101_cafeandmilk.JPGしかし、これはどうだ?と困惑したのが、カフェ&ミルク。うげ、甘すぎ(苦笑)。イチゴのやつもありましたが、ここまでジュース的だとおじさんとしては辛い。

というわけで味もパッケージも多様化しているのですが、お酒そのものではなくそんなところまで楽しむことができるのは、かなり社会として豊かな状況になっているのではないかと思いました。まあ、ささやかな楽しみなんですけど、日付変更線を越えたあたりに自宅でプルリングを引く瞬間は、ちょっとだけほっとする時間でもあります。

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