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2007年11月23日

テレパシーのような、進化のような。

基本的に文章を書きたくてブログを書いているわけですが、文章はコミュニケーションの手段でもあり、王様の耳はロバの耳!のように暗闇に吐き捨てるようなものではない場合には、誰かに伝わることを前提として書いているわけです。読まれるために書いている。

テキストは伝わらない、メールは怖い、だから会って話すのがいちばん。

そんな原始時代的な考え方のひとはずいぶん少なくなったのではないでしょうか。もし、いまでもそう思っているようであれば、時代遅れ?とちょっと自分を省みたほうがいいかもしれないですね。21世紀。SF映画に登場するようなボディスーツは着ていないけれど、ぼくらの時代は静かに変わりつつあります。

年配の方であっても携帯電話のメールを使いこなすし、ブログもがんがん書いたりする。いいんじゃないですか。たぶんグラハム・ベルの発明によって電話が登場し、世のなかに爆発的に普及していったときにも、電話なんか顔の見えないものを使って横着しないできちんと訪問しろ!のような議論があったはず。古いものに拘る気持ちもわかるのだけれど、時代は変わっていきます。コミュニケーションの手段が増えることは、新しもの好きな自分的には大歓迎ですね。

ところで、チャットにしろメールにしろ、テキストのコミュニケーションではないですか。テキストというのは、書いた瞬間に削ぎ落とした何かがたくさんあり、だから想像力や推測で補う必要がある。

したがって、テキストのコミュニケーションを究めていくと、ものすごく想像力や推測する力、相手の気持ちを読む力、コミュニティであれば空気を読む力が鍛えられる。それは受信者の立場だけれど、発信者の場合には、なんというか相手のツボを押すような的確な言葉を瞬時に繰り出せるようになる。

先日、「パフューム ある人殺しの物語」という映画を観て思ったのだけれど、この物語では、香りというカタチのないものを永遠に持続させようとする狂気にも似た感情が主人公を殺人に駆り立てます。ただ、その力を究めることによって、ひとふりのハンカチに落とした香水によって、群集の怒りをやわらげて愛情で溢れさせたりすることができる。これはすごい。ぼくは言葉でこれができるといいと思いました。言葉の調香師になれたらいいと思った。

つまりですね、一瞬で相手を刺激し(トップノート)、広がりのある感情を喚起し(ミドルノート)、いつまでもぼくのことを覚えていてくれるような(ベースノート)言葉を発せないか。

えー、妻子のある身としてはこんな妄想をするのはいけないことであり(苦笑)、そんな機会も残念ながらもいまのところないのですが、圧倒的な力を持つ言葉をですね、もし大好きな女の子に使えるようになったら・・・彼女を言葉で官能的に悦ばせることができるのではないか、と(笑)。女性を感じさせるのは男性にとっても至高の喜びではないですか。感じている女性をみるのは嬉しいですよねえ、男性のみなさま。

あーしかし、いかん、いかん。言葉の使い手であるブロガーとしては、自分の言葉の力をヨコシマな欲望に使っちゃだめですね。モラルは大事です。自制。

とはいえ、万人に当てはまることではないけれど、波長の合うひとというのはいるものです。エンドレスでお話していたいひとがいる。テキストのコミュニケーションであっても、びしばし伝わることがある。その力を強化していくと、脳内でダイレクトにつながっている気持ちになります。たかが言葉なのに、まるで仮想の世界で抱擁されているような、あったかい気持ちになる。

これはもはや・・・えー、誤解やヒンシュクを恐れずに言うと、脳内セックスではないか、と。

相手の気持ちのいい部分を言葉で探り、愛撫する。そして自分の感じる部分に言葉で触れてもらう。もちろん信頼関係ができていなければ、言葉を裸にすることはできません。どうしても拒絶とか嫌悪の気持ちが、言葉をシャットアウトしてしまう。おざなりな社交辞令になる。それでも一度解放してしまうと、言葉だけで気持ちよくなれる。言葉で交接することができる。

物理的というか身体的に、男性でいえば射精という終わりがないから、基本的には言葉の交接はエンドレスです。しかしながら、気分は移り変わり、減衰し、維持できないものなので、常に不安や安定させようとする努力が必要になります。それに人間は欲張りなので、常に新しい刺激を求める。新しい刺激を言葉で作り出す=創造するクリエイティビティがなければ、確かにそこあったはずの世界=信頼関係が急に消滅するような脆いものでもあります。

わかりやすいので男女の恋愛に喩えてみたのですが、ひょっとするとメーカーと消費者の“恋愛”についてもいえることかもしれません。物理的に機能の改善も必要だけれど、デザインとかコンセプトとか、カタチのない何かでつながっていれば、永続的に信頼関係は築くことができる。このメーカーと消費者の“恋愛”こそが、ブランディングなのかもしれませんが。

と、非常に実感がともなわないので抽象的なことを述べましたが、テキストで愛し合うのは性別や年齢や地域などを限定しません。インターネットさえあれば世界中の誰とでも愛し合うことができる。

さらに、テキストで交わるようになると、必然的にリアルな性欲は減少する気もします(かえって、会いたくなって、リアルな身体に触れたいと思うこともあるかもしれないですけどね)。つまり、生殖機能としてのセックスが抑制されるわけで、それは人類の過剰な増加を抑制することになるかもしれない。

多分にSF的ではあるのですが、インターネットの登場は、脳内セックスを増加させて生殖活動を減退させる、というマクロな効果があるとしたら、地球規模の歴史的に意義があるのではないか、と思ったりして。

とかいう概念的なことを書いていないで、PCの電源をオフにして外へ出なさい、ということかもしれないとも思うのですが(苦笑)。

勤労感謝の日、トウキョウはとてもいい天気です。

今朝、夢のなかで、亡くなった父から酒を飲まされるシーンをみました。父がどこかで仕事に疲れたぼくを労わってくれているのでしょう。その夢は現実ではないけれども、いまこうして書くことによって、現実の一部にカタチを残す・・・。

言葉の力について、ぼくは考え続けていたいと思っています。

投稿者 birdwing : 2007年11月23日 13:07

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