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2008年1月30日

アタマの自主トレ。

とりとめもなく考えることを趣味とするわたくしとしては(そんな趣味があるのか?)、ついつい買ってしまう雑誌が東洋経済新報社の「Think!」。買うのはいんですけど、これ、高いんですよね。1冊1,800円もします。ちょっとしたハードカバー並みの価格です。ただ、特集や掲載されているインタビューの人物に惹かれて、書店で手に取ってしまうのでした。前回買ったときもそうなのですが、買ったからには読み倒そうと思っています。

今回の特集は「地頭力トレーニング」。ちょうど細谷功さんの「地頭力を鍛える」という本を読了したところでもあって、タイムリーでした。表紙に並んでいる名前に脳研究者である池谷裕二さんをみつけたり、野口悠紀夫さん、神田昌典さんが書かれていることも購入の動機となりました。

Think! WINTER 2008 no.24Think! WINTER 2008 no.24
東洋経済新報社


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まずは冒頭の野口悠紀夫さんの「ビジネスパーソンに必須の「経済学的なものの考え方」」。最近読んでいることとつながりが感じられたのだけれど、就職活動の時期でもあるせいか、経済学の「比較優位の原則」を応用して、次のようなことが語られています(P.2)。

「比較優位の法則」を個人のキャリアに当てはめて考えれば、就職先を選ぶときに、みんなが入りたがる会社ではなく、「あなたに合った会社に入りなさい」「あなたの得意なことが活かせる会社に入りなさい」ということになる。

この言葉は後半の次の部分にもつながるのではないでしょうか(P.3)。

アメリカ・カリフォルニア州で1848年に金が発見され、人々が殺到してゴールドラッシュとなった。彼らは「フォーティーナイナーズ」と呼ばれる。彼らがなぜ失敗したかというと、みんなと同じことをしたからだ。 カリフォルニアに行けば金がある。金を探せば金持ちになれる。確かに自分1人だけが行けばそうなるが、多くの人が行けば状況は変わってしまう。

柳の下のドジョウという言葉も連想されましたが、受験などの合格率もそうかもしれません。マーケティング的にはニッチ(隙間)な市場を探せ、ということかもしれないのですが、そういえば「カンブリア宮殿」の本のなかで、男前豆腐店の社長である伊藤信吾さんも同じようなことを語られていたような気がしました。

次の言葉もなんとなく含蓄を感じました。

ケインズは「正確に間違えるよりも、漠然と正しくありたい」といった。3割くらい違っていても多くの場合に問題はないから、大まかな数字をつかんで、漠然と正しい方向へ向かう議論をすることが重要だ。ところが、そういう議論が行われていない。

木をみて森を見ず、というか枝葉末節というか、細かいことにこだわるばかりに全体を見失うことがあります。漠然と正しければよしとする考え方は、まさに細谷功さんの「地頭力を鍛える」で語られていたことでした。全体から考える、として。

仕事でもそうなのですが、細かいデータばかりを追っていると、最終ゴールを見失ってしまうことがあります。データに多少の誤差があっても、最終的なゴールに到達できるのであれば、アバウトでかまわない。数値というのは、到達する場所への道筋を補足するための指標であればいい。

雑誌をめくりながら、内容とは全然関係ないのですが思ったこと。池谷裕二さんかっこいいなー。

080130_ikegaya.JPG

以前には、こんな滝廉太郎というか、野口英世というか、ジョン・レノンというか、そんな感じの丸いメガネなんてかけていらっしゃいましたっけ。うーむ。しびれる。聞くところによると奥様も超美人とか。アタマがいいだけではなくて、ルックスも素敵で、奥様が美人というのは、羨ましすぎる。どれかひとつでいいから、あやかりたい(苦笑)。

と、「Think!」によって思考力を鍛える気持ちが高まってきて、仕事の帰りに渋谷で書店に立ち寄ってまた買ってしまいました。次の2冊です。

プロフェッショナルアイディア。欲しいときに、欲しい企画を生み出す方法。プロフェッショナルアイディア。欲しいときに、欲しい企画を生み出す方法。
小沢 正光


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その1人が30万人を動かす! 影響力を味方につけるインフルエンサー・マーケティングその1人が30万人を動かす! 影響力を味方につけるインフルエンサー・マーケティング
本田 哲也


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どちらも表紙が赤いですね。どーでもいいですが。

こんなふうに思考力の筋トレ道具が充実してほくほくしているのですが、ふと気付くと小遣いがシェイプアップされている(涙)。どうすればこちらは豊かになるのでしょうか。

投稿者 birdwing 日時: 23:48 | | トラックバック

2008年1月28日

ヴィム・ヴェンダースpresents Rain

▼Cinema08-004:雨が覆う断片的な物語たち。

B000U7PEJKヴィム・ヴェンダースpresents Rain [DVD]
マイケル・メレディス
トランスフォーマー 2007-10-05

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作品とは関係ないのだけれど、レイン(Rain)という語感がぼくは好きです。R音の怜悧な感じ、冷たく透き通った印象。けれども、最後のN音で包み込まれるようなあたたかさ。なんとなく黒川伊保子さん的な分析だけれど、この語感自体がいい。実際の雨は鬱陶しいものかもしれないけれど、ときどき雨の降る日が好ましく思えることがあります。雨の降る日には深くとりとめもなく考えに耽ることができそうで。

「ヴィム・ヴェンダースpresentsRain レイン」は、3日間降り続くモンスーンの雨の日、クリーブランドで暮らす6組のひとびとのさりげないエピソードを断片的につないだ映画です。断片的とはいえ、先日観た「バベル」が複数の物語が絡まりあって大きなうねりを描くのに対して、こちらではほんとうに詩的に組み合わせられるだけ。その全体をつなぐのは、JAZZです。クリーブランドのラジオ局から届けられるJAZZが雨のように全体に降り注いでいる。

乞食にモノを与えようとして妻と不仲になる夫婦とか、雨降りのためにだいなしになったタイルの粘土を前に呆然としてお金のやりくりに困る職人とか、酩酊してだらしなく息子を頼る老人(ピーター・フォーク)とか、息子を失って呆然としたまま客を乗せるタクシー運転手とか。どこか悲しくて救いがない。ちょっと文学的で、村上春樹さんの翻訳によるデニス・ジョンソンの「シークレット・エージェント」的な荒廃感を抱いたのだけれど、Amazonの解説から引用すると「19世紀末に短編小説界に革命を起こしたアントン・チェーホフによるいくつかの短編」をもとに作られているとのこと。なるほど、文学的なわけです。

ピーター・フォークといえば思い出すのは「刑事コロンボ」で、最近ではDVD付き雑誌もあったような気がします。いまは亡き父が「刑事コロンボ」が大好きで、NHKで放映されるドラマを酒を呑みながらずっと観ていたっけなあ。しかし、このピーター・フォークの甲高い声というのがぼくは苦手で、このひとはもっと低音の魅力で語っていたら、人気のある俳優になったんじゃないか、などと勝手なことを考えてしまうのでした。この声だからいいんだ、というファンも多いと思いますが。

結論として。ぼくはちょっと入り込めないというか、飽きる感じの映画だったかな。いまひとつ。ヴィム・ヴェンダースに惹かれたのだけれど、結局のところ製作総指揮で監督ではないし、JAZZも無理やりな挿入という印象で、おしゃれにしようと努力しているのだけれど、思想がないので薄っぺらな印象のお店、という感じがしました。というような感想は、雨に流すことにして。1月28日鑑賞。

投稿者 birdwing 日時: 23:58 | | トラックバック

2008年1月27日

「とことんやれば必ずできる」原田永幸

▼Book08-003:計画力、自発力、育成力から考えるリーダーの資質。

4761262435とことんやれば必ずできる
かんき出版 2005-04-23

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派手な成功であるとか陽のあたる人生というものもありますが、ぼくが最近かっこいいなと思うのは、地道な努力を継続するひとです。他人の評価を原動力にするのではなく、自分で正しいと覚悟を決めたことについて、自律して挑戦しつづける。他力本願でもなく、無駄な批判に時間を費やすのでもなく、黙々と自分の道を究める。これがかっこいい。

同時にクールだけど熱いひとでしょうか。知的な頭のよさをもっていながら(決して高学歴であるとかMBAを取得しているとか、ということではない)、人間味に溢れている。ものすごい人脈があるというわけではなくてもいいのですが、会うとほっとする感じ。見た目は穏やかそうだけれども、あったかいひと。

というふたつの要素があれば、どんな業界からも求められるひとになるのではないか、と思いました。まさに現在マイクロソフトのCOOを勤められている樋口泰行さんであるとか、この「とことんやれば、必ずできる」という本の著者であるマクドナルドの原田永幸さんなどは、そんな理想的なリーダーだと思います。

この本は以下のような構成になっています。

第一章 短期間で成長するための自己投資術
第二章 まずは、とことんもがいてみる
第三章 「一度決めたこと」は最後まであきらめない
第四章 結果こそすべてだと考える
第五章 転機を味方につける人が勝つ

スケジューリングや結果を出すための行動術などは比較的クールに効率重視で書かれていますが、第二章ではご自身の幼い頃の体験なども書かれていて、ほろりとする。どういう話かというと、高校に入学したときに祖父に買ってもらった自転車を盗まれたのですが、警察で盗んだ少年と対面して、そいつを殴ろうとした原田さんを母親が止め、盗んだ気持ちを思いやりなさい、と叱責したとのこと。さらに、その少年に対して羊羹を差し出したそうです。

母親の教育があってこそ、原田さんの人徳もあるのだと思うのですが、そんなエピソードがあったかい。さらに、ブログにも引用しましたが、第一章では「最高齢のミュージシャンデビュー」をするために、ドラムの練習をしているとのこと。これ、いいなあ。ぼくも音楽が好きだというせいもあるけれども、経営者といっても雲の上のひとではなく、なんとなくおちゃめな(失礼ですよね)ところが感じられて、ものすごく共感を持ちました。

仕事を楽しみつつ、趣味にも全力投球する。こういうリーダーが増えると日本はもっと元気になるんじゃないでしょうか。年齢は関係ない気がして、60歳になってからピアノをきちんと習う、というようなことがあってもいい。リタイアという観念がなくても、午前中はちょこっと仕事をして、午後は好きなピアノを弾いたり読書をしたりして過ごして、ときどきは地域の学校で自分が得意なことを若いひとたちに教えたりもする。そして夕方には、ちびちびとお酒をたしなみ(あくまでも健康を損なわない程度に)、ぐっすり眠る。そんなシニアになりたいものです・・・。

と、関係ない自分の老後に夢を馳せてしまいましたが、ぼくは原田永幸さんの書かれたことを自分なりに再構成してみると、次の3点に注目すべきだと考えました。目次はまったく無視しています。あくまでもぼくの視点からの整理です。ちょっと樋口泰行さんの「変人力」の真似をしてみました(照)。

■1.計画力

「とことんやる」ためにはまず、何をとことんやるか、という企画段階が重要であり、その時点で企画の質を高めるべきであると原田さんは書かれています(P.148)。ここで重要なのは、仕事もしくは人生を俯瞰した全体思考でしょう。ここでも、まあいっかと安易に妥協するのではなくて考え抜く。「明快な答えが浮かぶまで考え続ける(P.92)」わけです。これがぼくが原田さんの書かれたことから第一に重要だと思った「計画力」です。

しかしながら机上でいくら案を練っていても、実行しなければやっていないのと同じ。そこで、「ゴールから逆算して何をするべきか考える(P.53)」という戦略的な思考とともに、「実行しながら検証してベストの結果を出す(P.44)」という思考と行動を並列処理する能力が必要です。

さらに、「1年かかることを三ヶ月で終わらせる(P.12)」というスピード重視の考え方や、「出来っこない締め切りを決める(P.144 )」というちょっと無理やりな目標管理も重要になります。

また、会社の仕事に流されないために「自分の時間をブロックする(P.18 )」や「仕事は必ず就業時間内に終わらせる(P.25)」といった視点も提示されています。後者はぼくには耳が痛い。大変だ、大変だ、と言いながら深夜残業や休日出勤までしているのですが、やり方を見直そうと思いました。企画のお仕事に就きながら、計画性がないのかもしれないなあ(苦笑)。

■2.自発力

先日読み終えた「カンブリア宮殿」にも書かれていたのですが、「変化は自ら創り出す(P.216)」という力が「自発力」。その起点としては、「自分が何を知らないのかを知る(P.126)」で原田さんがよく使われるという「We don't know what we don't know」という言葉を心に留めておこうと思いました。いつの間にか、知っているつもり(あるいは振り)をしていることが多いものです。けれども「何でも経験してやろう、吸収してやろう」という姿勢でありたい。

そして、トレンドや情報に流されない自己が大事です。「戦略は市場調査よりも、ひらめきで立てる(P.58)」は、調査データの分析などを仕事としているぼくには全面的に賛同できない部分もありますが、特に調査データでも、最近では定量的なデータよりも定性的なデータからインサイト(洞察)を見出すことのほうが重要になってきている気がします。このとき重要なのは、リサーチャーなりアナリスト(もしくはマーケッターだったりコンサルタント)の"直感"ではないか。でも直感があったとしても、自律した強さがないと意見を主張できないんですよね。

つまり、自分のしっかりとしたモノサシを持つこと、価値判断の基準を持つことがポイント。それがステップアップの決め手にもなります。またまた耳が痛いのは「健康管理ができない人は、仕事もできない(P.191)」という言葉。そうですよねー、ほんっとにそう思います。昨日、人間ドックから帰ってきたばかりですが、健康についてもきちんと留意しよう。仕事のできるひとになりたいので(苦笑)。

■3.育成力

リーダーの最終的な目的は、ひとを管理することではなく、次の世代の人材を育てることにあるのではないか、ということを痛感しました。そうでなければ企業も永続的に回転していなかくなる。年を取ってくると自分の居場所ばかり考えるようになるものだけれど、そういうシニアは結局のところ、企業の老廃物なのかもしれない(苦笑)。自分の利益だけ考えて会社に何も残さなければ、企業に貢献しているとはいえない。

「リーダーの最も重要な役割は人を育てること(P.90)」にも書かれていますが、確かに指示を出すことがリーダーの仕事であるとも思う。リーダーシップに定型がないというのもわかります。企業文化や企業の状態によって、もとめられるリーダーシップも違うでしょう。ベンチャー企業であれば、とにかくぐいぐい引っ張るタイプのカリスマ的な指導力が求められるかもしれない。

しかしやはりある程度年齢を経たときに思うのは、次の世代を育てる必要性でしょうね。「後継者作りが自分自身の発展につながる(P.219)」というのは、まさしくその通りで、それは仕事ではなくても子育てをしているときに感じます。子供に教えているつもりで、子供から教わっていることが多い。

・・・と、ついつい長文になってしまいましたが、日曜日の夜、原田永幸さんの言葉をひとつひとつ再読しながら、静かにいろいろなことを考えました。こういう時間、結構大切ではないかな、と思っています。こういうひとに自分もなりたいなあ。だいぶ年くっちゃいましたが、まだ間に合いますかね。優れたリーダーの言葉は、自分にとって最高の栄養となるようです。1月15日読了。

投稿者 birdwing 日時: 23:51 | | トラックバック

2008年1月26日

[日記] ドック(犬ではなくて)という楽園

健康管理も仕事のひとつと言われますが、年に1回、会社の決まりで健康診断を受けなければなりません。さらに特定の年齢を超えると人間ドックとして、泊り込みあるいは日帰りでいろんな検査が必要になります。それだけ身体にガタがくる年齢ということもあるのですが、ぼくも人間ドック対象者であり、ほんとうは昨年の11月にドック入りする予定だったのですが、忙しくて延期したところ12月に予約が取れないほど人気ということ。1月になってしまいました。

そんなわけで行ってきました人間ドック。人間ドッグだと勝手に思っていた時期があったのですが、それでは人間犬、いわゆる人面犬ではないですか。どーでもいいことですが、人間ドッグとして思い出したのは、デビッド・シルビアンの次のアルバムでした。

B00004YMVCEverything and Nothing
David Sylvian
EMI 2000-10-31

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かわいいですよね。このジャケット。

さて、前日の21時からは飲食禁止ということで、木曜日には空腹を我慢しつつ25日金曜日の8時15分の集合時間にぎりぎりで滑り込みました。例年、ぼくがドックで通っている病院はちょっと大きめの総合病院で、公立学校の先生方の指定病院らしく、やっぱり先生らしきひとが多い。さらに70歳ぐらいのひとが多く、みなさん白髪です。ちゃらちゃらしている若造はわたくしぐらいのもので、非常に恐縮する。

近くに住む会社の先輩などは、最初はこの病院に通っていたのですが、時間がかかるし食事はまずいのでやめてしまったとのこと。別の場所の病院をすすめるのですが、なんとなくぼくはこの病院にこだわっています。

というのも最初にドックを受けた病院ということもあるのですが、父親が教師だったぼくとしては、なんとなくこの雰囲気に馴染むものがあるんですよね。70歳近い先生らしき年配者の方々に囲まれているのがほっとする。それからですね、1泊なんですが、オプションの検査を受けないとものすごく暇なんですよ(笑)。会社の先輩はその非効率さが気に入らないようですが、次の検査を待つ間にベッドでうとうとする時間がものすごくしあわせなのだー。

080126_dock.JPG天気のいい日、ぱりっとしたシーツのベッドで本を読みながらうとうとまどろむのは、ものすごく贅沢な時間だと思います。願わくば3回も血を抜かれたり、まずいバリウムを飲んだりすることがなければいいのだけれど、ドックなので仕方ない。近くに学校があって、子供たちがグラウンドではしゃぐ声が聞こえてきたりする(今回は学校側の部屋ではなかったので静かでしたが)。病棟の最上階にあるので、眺めもいいです。

といっても部屋はひとり部屋ではなく、4人の相部屋です。これも組み合わせによっては、会話がないときもあれば、見ず知らずのひとでも和気あいあいとお話をしちゃったりすることもある。

今回も、検査を待つ間うつらうつらしたり本を読んだりしていたのですが、同じ部屋のおじさんのひとり、少しばかり太り気味な方のイビキがすごい。「ふぎゅるるるる、んぐるるるるる」と続くのは比較的ノーマルなのでよいけれども、ときどき

「ふごぐるる・・・んがっ!!」

のようにバクハツする。おーまい、がっ!!の「がっ!!」ですかね。本を読みながら、びくっとするわたくしは小心ものでございます(苦笑)。これはあれだ、いま流行の睡眠時無呼吸症候群(Sleep Apnea Syndrome)ではないでしょうか。なんとなく心配になりましたが、知らないおじさんだし。言えないですよねえ。なんとなく躊躇してしまいました。

いやーしかし楽園でした。少なくとも1日目は。

おととしぐらいには、会社のメールを携帯電話でチェックしたこともあったのですが、不条理なメールにかーっときて血圧が上がってしまったことがあった。今回も随時メールチェックはしていましたが、なるべく読み流すようにしていました。忙しい忙しいと言いながら、実はどうにでもなるものだな(というのも、どうかと思うのだが)。そんなわけで仕事から切り離された一日、おかげさまで読みかけの以下の3冊の本をいっきに読み終えることができました。

4584392544ことばに感じる女たち (ワニ文庫)
黒川 伊保子
ベストセラーズ 2007-12-18

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4492555986地頭力を鍛える 問題解決に活かす「フェルミ推定」
細谷 功
東洋経済新報社 2007-12-07

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4167665042春、バーニーズで (文春文庫)
吉田 修一
文藝春秋 2007-12-06

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以前には、腸の触診として、おしりの穴にずぼっと指だか器具だか突っ込まれる検査もあったのですが、最近はなくなってしまいました。あれ、すごく恥ずかしいんですよね。なぜか若い看護婦さんが見てるし。突っ込みたいとは思うけれども(できれば)突っ込まれたくない男性のわたくしとしては、非常に困惑な検査でしたが、みなさんそう思われるのでしょう。いつの間にかなくなっていました。ほっとしたり、ちょっとさびしくもあったりして。

5時(!)に夕食後、健康に関する講義を1時間ばかり聴いて、そのあとお風呂に。お風呂からあがったらまだ8時すぎで、時間の流れがゆっくりと感じました。食堂のようなところに、ボディソニックのような体感音響機器が置かれていたので、そこで音楽を聴くことに。腰のあたりに低音がずんずん響いて、うほーな気分になりました。ヒーリング系のCDがあって、サブリミナル効果で元気が出る言葉が高い周波数で何度も繰り替えされているとのこと。聴き取ろうとしたのですが無理でした(当たり前か)。

と、そんな楽園に浸りながら一日を終えたのですが、2日目、ひどい頭痛と肩こりでした。寝すぎ、もしくはベッドが合わなかったのか、あるいはサブリミナルの言葉にやられたのか(苦笑)。ついでに胃の検査でバリウムを飲んだら気持ち悪くなり、帰宅後には寝込んでしまいました。

そもそも今回人間ドックで同じグループだった13人のうち、胃カメラではなくて胃透視はぼくひとり。いまだにカメラ飲むのが怖いとか思っているのはぼくだけだったようです。そもそも胃カメラのほうが病気を発見できるようだし、来年はバリウムじゃなくてカメラ飲んでみるかなあ。

コーヒー&シガレッツの映画の感想を書いたときには、タバコを吸うのもいいんじゃないかと考えたのですが、今回のドックの講義を訊いて、タバコによる発ガン率のアップなどあらためて健康の大切さを認識しました。それでも発ガンするのはタバコのせいだけじゃないと思うんだけど、大切なひとには健康でいてほしいから(できるだけ)タバコを控えるようにお願いしたいところですよね。

仕事に追われまくっている日々のなかで、人間ドックという1泊2日を思いっきり満喫してまいりました。

健康がいちばんです。

投稿者 birdwing 日時: 23:56 | | トラックバック

2008年1月24日

バベル

▼Cinema08-003:子供たちを守らなければ。

バベル スタンダードエディションバベル スタンダードエディション
ブラッド・ピッド.ケイト・ブランシェット.ガエル・ガルシア・ベルナル.役所広司.菊地凛子.二階堂智.アドリアナ・バラッサ アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ


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水面に一滴水のしずくを垂らすと、その波紋が大きく広がっていきます。アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ監督(言いにくい)の「バベル」は、弾丸という水滴によって国境を越えて広がった大きな波紋を描いた映画かもしれない・・・とそんな風に思いました。

放牧民の子供たちが手にした銃。何気なく撃った弾丸が、時空を超えてさまざまな因果を引き起こしていきます。大きな事件の発端となったのは、あどけない好奇心でしかありませんでした。そうしてモロッコ、アメリカ、メキシコ、日本と国境を越えて紡がれた物語は、運命に翻弄される人間の愚かさや、切なさや、孤独だけれども寄り添うあったかさなどに収束されていきます。

映画館で観ようと思いつつ見逃していた作品ですが、アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ監督(やっぱり言いにくい。苦笑)の映画は、伏線の絡み合いが見どころですね。この監督の作品は「21グラム」から観て、その後、闘犬をめぐって生きざまが交差する「アモーレスペロス」を観たのですが、いずれも複数の平行する物語が複雑に絡まりあっています。その多層的な構造が魅力です。

物語のスケールも大きいのですが、映像的な広がりもありました。赤茶けた砂ばかりのモロッコの砂漠、平和なアメリカの家庭、結婚式で盛りあがるメキシコのパーティー、そして原色のけばけばしいイルミネーションのなかで展開される都会的でありながらどこかノスタルジックな日本の夜。ばらばらにしたパーツを再構成するようにして組み合わされた映像は、さまざまな文化のコラージュともいえます。

さらに、音楽的な広がりもある。メキシコのラテン系のリズムと、一方で日本のクラブで騒がしく奏でられる電子音。そして耳の聞こえないひとたちが感じる、音のない世界の音。

物語のなかでは、複数の親子関係も複雑に絡み合っています。

モンゴルでは、知人から買い取った銃をふたりの息子たちに渡す男。最初から非常に危なっかしいなあという感じがしたのですが、狙って引き金を引け、ということしか教えずに彼は銃を子供に与えます。兄弟の関係もうまく描かれていて、長男は銃を撃つのがヘタな一方で、弟は銃を撃つのも上手ければ色気づいて姉の着替えを覗いていたりする。ありがちですが、弟の方が優秀だったりする。

アメリカでは、冷え切った関係の夫婦(ブラッド・ピット 、ケイト・ブランシェット)と女の子、男の子ふたりのちいさな子供たち。けれども親たちの関係がギクシャクしているのは、三人目の赤ん坊が死んでしまったことにあります。そして、残された二人の子供たちを世話するベビーシッター。

そのベビーシッターの母親は、メキシコに住む息子の結婚式のパーティーに出席する。ところが世話をしている二人の子供を連れて行ったところ、これがとんでもないことに巻き込まれる。とんでもない、といってもこれもまた魔が差す、というかちょっとした運命の悪戯から引き起こされた事件なのですが、このときクルマを運転するのがガエル・ガルシア・ベルナルで、激走するシーンは「アモーレスペロス」を思い出させました。ガエル・ガルシア・ベルナルは「恋愛睡眠のすすめ」のような、ほわわわわんな映画より、緊張感のあるバベルのような映画のほうが合っている気がする。

そして、日本。大企業に勤める父(役所広司)と聾者の娘・智恵子 (菊地凛子)の関係が描かれています。行き場のない苛立ちを、クラブで踊ったり、下着を脱ぎ捨てたり、ドラッグをしたり過激な行動に身を染める智恵子ですが、その強がりの向こう側にさびしさとか、愛情を求める切々とした想いがある。

ぼくはこの4つの親子関係に考えるところが多くありました。

子供たちは決して未熟なわけではなく、大人たちの縮図のようなものとして存在しています。ちいさな子供たちの世界にも争いがあり、喜びがある。一方で、大人たちのなかにも子供じみた考え方があり、決して成熟しているとはいえないのではないか。モロッコのシーンでは、事件にあったバスがちいさな村で救援を待つのですが、うろたえる大人たちの行動には大人とは思えないものがありました。極限時においては、人間の根本的な姿があらわになるもので、だからこそ子供じみた感情も発露する。

物語の伏線といっても、明確なラインが引かれているわけではないですよね。断片的な物語をつないでいくのは、ぼくらの思考です。そして、国境といっても明確な線は存在しなくて(もちろん警備や検閲などはあるだろうけど)、強行突破しようと思えば突破できる。あるいは血縁という絆。伏線をつなぐのがぼくらの意識であるように、血縁による絆といっても目にみえる赤い糸が存在するわけでなく、そこに絆を感じたときに線ができる。それらをつなごうとする、線を作ろうとするのが人間の意識です。

しかしながら明確な絆はみえないとしても、血縁というのは大きなつながりです。そしてベビーシッターのように、明確なつながりがなくても数年間いっしょに育ててきたのであれば、その関係は血縁に近いものがある。では、親として大切なことは、なんだろう?

ほんとうに子供たちが助けを求めているとき、危機的な状況に直面したときに、手を差し伸べることができるかどうか。

それが親として大切なことではないだろうか、とぼくはこの映画を観ていて思いました。子供たちには親が必要であり、弱者を守るのは大人たちである。守るといっても、大声を出したり拳銃で威嚇する必要はなく、高い場所から飛び降りようといている背中をぎゅーっと抱きしめてあげるだけでいい。

罪に問われたり、やるせない思いを抱えていたり、ほんとうにそばに居てほしいときに居てあげることができるかどうか。いちばん過酷なヤバイ状況のときに、逃げないでそんな自分の子供たちの側に立っていられるかどうか、それが親として求められることではないか。

まったく「バベル」から脇道にそれてしまったかもしれませんが(苦笑)、子供たちを守らなければ、というのがぼくがこの映画から受け取ったメッセージでした。1月23日鑑賞。

■Babel trailer

公式サイト
http://babel.gyao.jp/

投稿者 birdwing 日時: 23:58 | | トラックバック

2008年1月23日

[DTM] 雪降る。

朝起きてみると雪でした。・・・というシチュエーションが好きなわたくし(苦笑)。

080123_snow.JPG

北のほうに住むひとたちにとっては雪など鬱陶しいものでしかないと思いますが、南のほうに住むぼくにとっては、雪が降る日は、ちょっとした空からの贈り物的な嬉しさがあります。

ポエムな表現になっているけれども、どことなく心が高揚するものがある雪の日。すっかりおっさんなのだが、少年の心がちょびっとだけ残っているせいなのでしょうか。あるいは人間の振りをしているけれど、本質的には、雪が降るとよろこび庭駆け回るイヌだったりして。

いつもと違う風景を求めている、ともいえます。雨降りもそうだと思います。雨がアスファルトの舗道を濡らすと、街全体が黒くなる。雨に霞んで、ぼんやりとグレイに色調が変わる。一方で春、サクラの花が咲くと、そこだけが桃色の集合体になってはなやいでみえる。秋もそうですね。紅葉によって街路樹の色が変わる。要するに変化が好きなのか。そうなのか。

今日の雪は初雪ではなかったのですが、これだけ積もった雪を見るのは久し振りでした。雪を見て思い出すのは受験の頃、ものすごい雪が積もって、近くのコンビ二にわしわし雪を掻き分けて朝食を買いに行ったことです。

数年前にもやはり東京で大雪を経験しました。仕事が終わって帰宅しようと思ったら電車が止まってしまったので、動いている別の電車で帰ったのですが、ふだん降りない駅から北から南に向けて自分の家を目指して歩いているうちに転倒。真っ白な世界のなかで家路を見失いました。

あせったなーあれは。いやマジで(笑)。あやうく東京で遭難するかと思った。目印の川を見出して、雪だるま状態になって青く(というか白く?)なって家に帰ったとき、あったかい部屋のなかで、まだ言葉を喋ることもままならない赤ちゃんの長男くんと奥さんがすやすや眠る姿をみて、ものすごくほっとしたことを覚えています。パパがこんなに大変だったのに、きみたちは平和だなあ、と呆れもしましたが。

ところで、雪に関する曲を3年前にDTMで作ったことがありました。「ハツユキ」という曲です。実は最初に作ったのは当時から遡ること10年ぐらい前に、バンドをやっていた頃だと思います。

この曲で、はじめて歌うソフトウェアVocaloid MEIKOを使ってみたのでした。ひじょーに青臭い曲なのでお恥ずかしいし、いまとDTMの作り方がまったく違うのですが再掲載してみます。

以下の白い棒のようなFlashのMP3プレイヤーは、左端を押すと再生(もう一度押すとストップ)、右端を押すとダウンロードが可能です。音量はプレイヤー上では調節できないのでご注意ください。


■ハツユキ(Virtual Vocalist) 4.42MB 128Kbps  2005.01.13




詞・曲・プログラミング:BirdWing


こんな歌詞です。

+++++++++++
ハツユキ
詞・曲:BirdWing


きのう降り続いた雪が
街を別世界に変える
白いキャンバスに向かう
新しいぼくがいる

きっと明日になれば
とけてしまう魔法を
ぼくは信じてみよう
そして誓うだろう

 ぼくらは毎日生まれ変わるさ
 この冬の朝のように

 静かに だけど力強く
 踏み出そう雪のなかへ

時計を少しだけ進めて
きみと待ち合わせた駅で
古いポストカードを破る
新しいぼくがいる

 凍えそうなぼくらの街に
 火を灯すよ ささやかなぬくもりを
 いつまでも

 ぼくらは何度も生まれ変わるさ
 この冬の朝のように

 静かに だけど力強く
 踏み出そう雪のなかへ

 ぼくらは毎日生まれ変わるさ
 この冬の朝のように

 静かに だけど力強く
 踏み出そう雪のなかへ

+++++++++++

と、ここでこの曲を作るにあたって考えていた音楽の背景について解説してみます。種あかしというか、ルーツを探るというか。

歌詞についてはフリッパーズ・ギター的な影響が濃厚です。たとえば「だろう」とか「変わるさ」のような表現などなど。もっとぴったりの曲があるかと思うのですが、以下YouTubeから「Camera! Camera! Camera!」のPV。撮影風景がおしゃれですね。

■Flipper's Guitar - Camera! Camera! Camera!

しかしながら、実は楽曲的には自分でもよくわからないのですが原田真二さんの「てぃーんず ぶるーす」が頭にあったような気もする(苦笑)。

■てぃーんずぶるーす & Candy:原田真二

うーむ。まったくよくわからないですね、この曲の何がどーやってこうなるのか(困惑)。でも、確かレコード版のこの曲は細かいピアノの刻みでアレンジされていたような気がしていて、それを頭のなかでイメージしていました。あんまり大きな声ではいえないのですが、かつて原田真二さんのファンでした。しかし、原田真二さんはかなりぶっ飛んでいるところがあるので、さすがに引いちゃうんですよね。アレンジもまったく変えてしまったり、ついていけないような感じもあります。

同時に以前にもブログに書いたような気がしたのですが(消しちゃったからないけど)、最初はプリファブ・スプラウトのこの曲のような感じにしようと思っていたのでした。

■prefab sprout- prisoner of the past

雪で覆われたままの世界がよい気がしますが、あえて年月という雪を被った昔の曲の背景を掘り起こしてみました。10年以上前に作った「ハツユキ」の歌詞は、まっすぐですね。純潔という感じがする。なんとなくそんなピュアな自分に気後れするいまの自分がいます。汚れちまったんでしょうか、いまのわたくしは。

それはそれでいいのかな、と思うのですが。東京の雪もすぐに溶けてしまいました。いくらきれいに埋めておこうとしても、本質はすぐに顕わになってしまうものかもしれません。

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2008年1月22日

懐かしさと新しさと。

SRMAG0802.gifDTMを趣味としている自分としては、チェックして時々買ってしまうSound & Recording Magazine。

2月号の表紙はレディオヘッドです。さまざまな雑誌に露出過多で、もうそろそろいいんじゃない・・・という感じですが、それでも黒い背景にメンバーの写真がかっこいい。トム・ヨークではなくて、赤いセーターを着たジョニー・グリーンウッドが前面という配置もいいですね。トムはなんだか、ぽよよ~んという顔をしている。それはそれで雰囲気あるのだけれど。

しかしながら、実はぼくがこの本を購入したのは、たった2ページのインタビュー記事のためでした。じゃーん。

ロジャー・二コルス&ザ・スモール・サークル・オブ・フレンズ!

080122_soundandreco1.JPG

昨年末に邦楽のフロアで彼等の最新アルバムを発見して購入してから、かなりヘヴィ・ローテーションで聴いています。陽だまりに寝そべっているようなしあわせな気分になれる。21世紀にこの音を出していることが信じられません。

雑誌に載っている写真のおじさん&おばさん・・・というよりおじいさん&おばあさんが、若々しいハーモニーを奏でているんですよ?

うーむ、ほんとうにまいりました。記事は最新アルバムについてのインタビューなのですが、まずキャッチコピーに「このメンバーが集まったのは25年ぶり/ポール・ウィリアムスとの共作も34年ぶりなんだ」とあります。長い(泣)。アルバム自体は40年ぶりの2ndだったりします。

しかしながら読み進めてにやりだったのは、DAWを使っている。で、びっくりしたのですが、ドラムはなんと打ち込み。FXPANSION BFDを使っているとのこと。わ、わからなかった。ドラマーが叩いていると思いました。打ち込みだったのかドラム。引用します(P.35)。

●新録曲のドラムはすべて打ち込みですか?
○その通り。Digital Performer 5 でプログラムした。音源はFXPANSION BFDで、特にこだわりがあるところ以外はすべてクレイにまかせた。ちなみにベースの大半は僕がエレキベースを弾いているが、SPECTRASONICS Trilogyを使っているパートもある。
●ストリングスは?
ROLAND JV-80とJV-880をミックスして使っている。2つの異なるパッチをブレンドする音作りが好きなんだ。もちろん、新録曲以外は当時のストリングス・セッションをそのまま収録しているが、クレイの腕前のおかげでそれほど違和感はないはずだよ。

違和感ないない(激しく横に首振り)。ちなみにクレイというのは、エンジニアのクレイ・スミスとのことで、1970年代の音源に新しいボーカルを重ねるなどの処理をしながら作っていったそうです。ついでに、ロジャー・二コルスはベース弾くのか。やるなあ、二コルスじいさん。

080122_soundandreco2.JPG

1stアルバムにも収録されている「The Drifter」については、以下のように語られています。

●「The Drifter」ではオリジナルにおいて少し控えめだったメリンダのボーカルがかなりフィーチャーされていますね。
○この曲に関しては、今なら昔のアプローチよりももっと優れたボーカル表現ができると思ったのでトライしてみたんだ。こちらの方がずっと気に入っているよ。現代では昔に比べて編集による音作りが容易なので、僕らもその恩恵にあずかっている。ちょっと聴くと大丈夫なようでもよく聴くとミス・トーンになっているところなんかを、正確なテイクに差し替えたりしている。ハーモニーでは何よりも正確なチューンが大事だからね。

DAWでは音の切り貼り、テンポがずれているところを合わせたりピッチの調整などが可能なのですが、ぼくはこのアルバムはそんなテクノロジーとは無関係に作られたものだと勝手に思っていました。けれどもきちんと最先端の技術を使って、しかも懐かしくあったかいサウンドを究めている。素晴らしいなあ。

ぴこぴこ電子音を奏でるだけがテクノロジーではなくて、生音を加工して聴きやすくすることにも技術は活用されます。いや、オレはアナログ派だ、デジタルなんて大嫌いだ、というアーティストもいるかと思うのですが、最新の技術を取り入れつつも40年前とまったく変わらない音楽を奏でているロジャニコにしなやかなクリエイターとしての感性を垣間みたような気がしました。

+++++

アルバムはこちら。

フル・サークルフル・サークル
ロジャー・ニコルズ&ザ・スモール・サークル・オブ・フレンズ


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以下のサイトで「フル・サークル」の試聴が可能です。1曲150円でダウンロードもできます。ぼくのおすすめは、1、2、3、4、5、12。

■MUSICO Roger Nichols & the Small Circle of Friends
http://musico.jp/contents/contents_index.aspx?id=tYTZG

投稿者 birdwing 日時: 23:56 | | トラックバック

2008年1月20日

表現するひとのために。

「新風舎出てるよ」と奥さんに呼ばれたのでテレビのところに行ってみると、ちょうどニュースで自費出版大手の新風舎が倒産したという記者会見が行われているところでした。

新風舎

久し振りにみた松崎くんは引き締った顔をしていて(そりゃ当然だろう)、ぼくにはどこか凛としてみえた。以前よりも痩せたのではないだろうか。健康そうだからちょっと安心したけれど。

と、なれなれしく呼んで大変失礼かと思うのだけれど、実はぼくは高校のときに新風舎の社長である松崎義行くんと知り合い、まだ会社ではなく同人誌で運営されていた新風舎に参加していた時期もあったのでした。それほど仲がよかったわけではなかったけれど、彼がマガジンハウスの「鳩よ!」という雑誌で連載を持っていたこととか、あるいはビジネス系雑誌で取り上げられていたことなどを遠くから眺めて、眩しく思っていた時期があります。

と、ここでおじさんはまた過去に思いを飛ばすのですが・・・(最近ノスタルジーばかり)。

研数学館に通う予備校生として上京後、まともに受験勉強していたのも束の間、勉強もせずに余計なことばかり考えていたようなわたくし(苦笑)は、松崎くんの家に泊まって、詩とか映画がどうあるべきかの話をしたこともありました(全部話した内容は忘れたけど)。大林宣彦監督の映画を教えてもらったのも彼からだったし、「ベルリン天使の歌」などの映画も観にいった気がする。ねじめ正一さんがU2のレコードをバックに詩を朗読する、という困惑するような新風舎のイベントに参加したこともあったし、TILLという同人誌に参加していたこともあります。新風舎の倒産報道を視聴しながら、そんな過去のさまざまなことを思い出したんですよね。

ところで、そもそも若かりし頃のぼくが詩に関心を持ったのは、非常に不純な動機だったと思います。要するに、小遣いがほしかった、という。

旺文社から出ていたVコースという雑誌に詩の投稿を募集しているコーナーがあり、そこで入選するといくらかの図書券がもらえることを知り、応募したのが詩を書き始めた最初でした。選者はかなり有名な詩人の方でした(誰だったか忘れた)。図書券もらえるならやってみるかー、ということで投稿をはじめたのだけれど、なかなか入選しない。ところが、毎回のように入選しているとんでもないひとがいる。それが松崎義行というひとでした。

こいつは何ものだ?と思っていたのですが、ある日、文通欄(苦笑)のようなところに、文芸の同人誌をやりませんか、のような松崎くんからの告知がありました。そこで早速手紙を出して、松崎くんとの交流がはじまったわけです。まだインターネットもない時代で、田舎もののぼくは東京の見ず知らずのひとに電話する勇気もなかったので(ついでに携帯電話もない時代だったので)、毎月文通のようなやりとりでした。

ちなみにVコースの詩のコーナーにはいつも掲載される常連が他にもいて、ぼくは上京してからもうひとりの常連さんと電話で話したことがあります。ものすごく硬派なブンガク系のひとで、「きみの詩はいい。きみは詩を書き続けるべきだ!」と激励されました。腰砕けなわたくしは「いやあ・・・もう詩はやめちゃおうと思うんですけど、だめですかー」のような脱力した回答をして、彼を黙らせてしまったような気がします。

ところで、高校のときには新風舎は同人誌なので会費を徴収して運営していたのですが、その方針あるいはスタイルが加速して、現在の新風舎の問題にもなっていったような気がします。自費出版のビジネスモデルで儲けるために、本を出したいひとを騙して、お金を毟り取る営業スタイルが問題になっていました。詐欺商法のようなことで訴えられていたりしたようです。「メディア・「新風舎」にだまされた 自費出版の巧妙手口」のような記事に詳しく書かれています。

訴えるひとたちの気持ちもわからないではないですね。というか、ぼくもかつては、同人誌はもちろん商業誌に自分の作品や名前が載ることで(あるいは載らないことで)一喜一憂したものでした。名前が載ったときには、妄想が膨らんで困ったものだ。少年の頃に限らず、数年前にも企画のコンテストに応募して連続入賞して、ちょっとした小遣いを荒稼ぎなどしていたのだから困ったものです。変わらんなー、10代の頃から(苦笑)。でも、自分の筆の力で金を稼ぐという、傭兵的な何かが結構気持ちよかったんですよね。フリーライターの方はみんなそうかもしれませんが。

そうして自分の名前が載ったり好きなことでお金を稼ぐだけではなく、できれば自分の本を出したいという想いはありました。本を作るだけでなく、書店に並べたい。ベストセラーになるといいなーと。先日、仕事でとあるベストセラー作家のインタビュー取材に同行したのですが、ものすごい豪邸でびっくりした。圧倒されたのだけれど、やはりかすかに羨望だけでなく嫉妬もある。そんな欲があるのは、ふつうじゃないですかね。

新風舎の詐欺問題に関していえば、知人もしくは友人だから擁護するわけではないのだけれど、自費出版に過剰に夢を抱きがちなアマチュアにも問題があるのではないか、とあえて言いたいと思います。というのは、ですね。もし本気で作家になりたいと思うのであれば、自費出版とかその程度で甘んじていてはいけない。自費出版は最後の手段でしょう。

本気で本を出したいのなら、次のようなことを考え、行動すべきではないか、と。

①メジャーな文学賞の傾向を研究し、挑戦し、入賞する。
②徹底的にコネクションを作って、出版社に個人で売り込みをかける。
③稼ぎまくって出版費用を貯めて、本の出し方がわかるひとに委託する。
④印刷から流通まで自力で学んで安価に発行して、自分で売りさばく。
⑤諦める。

つまりですね、自分では勉強もしない、調べもしないし努力もしないで、パッケージ化された他力本願による自費出版という安易な道を選びながら、夢を買うのが高いとか詐欺だとか叫ぶ表現者はどうかと思う。ぼくの私見では、そういうことだけに拘ったり熱くなるひとは、表現者としては三流ですね。そんなことを声高に叫んでいる暇があるのなら、一文でも書け、あるいは売り込みに出ろ、と言いたい。熱意の向けどころが違うんじゃないか。

音楽だってそうじゃないですか。プロとしてデビューするためには、音楽が大好き!という気持ちだけでは通用しない。運もあるだろうし、努力も必要です。才能は大事だし、政治的な力だって求められる。最終的には自分の力だろ、という気もします。こんなにお金をかけたのにうまくいかなかった、詐欺だ、というひとに対しては、お金をかけなきゃいいじゃん、とシンプルに思う。夢にかけた費用に唾を吐く人間は、夢を追う資格がないんじゃないですか。もちろんその夢につけこむ詐欺も問題だと思いますけど。

純粋に表現したいのであれば、いまの世のなか、ブログがあるじゃないですか。印刷物に、本に拘る理由はいったい何でしょう。金儲けをしたいのであれば夢で儲けなくても仕事を探せばいいと思うし、名声がほしいのであれば自費出版なんかやってるんじゃないと言いたい。自費出版で名声が得られるわけがないでしょうが。本を作っちゃいましたと知り合いに自慢したい欲求を満たすことはできても、その本を買うかどうかは読者の問題です。流通したかどうかの問題ではないような気がする。

ぼくは利用者・消費者も、もっと賢くなるべきだと思います。ネットに関するあれこれにも言えるのかもしれないけれど、たとえばセキュリティにおいても自衛のスキルが必要になるのではないか。プロバイダが、ソフトメーカーが不備だったと責めるのも妥当ですが、自分自身も防御の力をつける必要がある。

一方で別の視点からは、自費出版が低迷しはじめたのは、やはりブログなどの個メディアによって、ネットで簡単に表現ができるようになったこともある。本を出すことが偉いという信奉者は多いのだけれど、そうではない表現者も増えてきているのではないでしょうか。いまだにアクセス数や発行部数に拘るひとが大多数だと思いますが、ぼくなんかは最近、そうした呪縛から離れつつあります。そして、離れてみると、ものすごく幸せだったりします。

+++++

16日に、茨木のり子さんの「倚りかからず」という詩集を読み終えました。

4480423230倚りかからず (ちくま文庫 い 32-2)
茨木 のり子
筑摩書房 2007-04

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詩集は、他の本とは読んでいる時間の密度が違う気がしました。文字が少ないからすぐに読み終えるのだけれど、そんな速読が通用しないのが詩集ではないか、と。ゆっくり読むのがふさわしい。ご飯をよく噛んで食べるように、詩集は言葉の味を愉しみながら読むものでしょう。

それにしても、見栄とか体裁とか、勝ちとか負けとか、名声とか数字とか。そんなものに「椅りかからず」に生きていきたいものですね。

+++++

数年前、外苑前の洋食屋さんで松崎くんと昼ごはんを食べたことがありました。ものすごい久し振りに会った彼は、「社長よりも詩人でいたい。表現者でいたい」というようなことをぽつんと言っていたことを思い出しました。きっと会社が大きくなるにつれて、いろんなひとが集まり、いろんな思惑に動かされ、自分のやりたいことが見えなくなったのかもしれない。

谷川俊太郎さんとも交流があった彼は、「ワッハワッハハイのぼうけん」という本を新風舎で復刻させたのだけれど、8歳のときにこの本を読んで出版社を作ろうと思った、というような松崎くんのメッセージのハガキがこの本には挿入されていたような気がします。熱風書房(新風舎の直営書店)で購入して、ぼくは長男くんに読ませたところ、すごい気に入ってくれた。長男くんの描くへたっぴな絵は、この本の和田誠さんの挿絵にちょっと似ている。

4797477423ワッハワッハハイのぼうけん
谷川 俊太郎
新風舎 2005-08

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新風舎に騙された、詐欺にあった、と訴えるのもいいでしょう。しかし、憤って新風舎を吊るしあげる表現者たちは、いったい他人にどれだけの影響を与えたのか。誰かの人生を変えるほどの衝撃を与えたことがあったのか。

ぼくは松崎くんには書き続けてほしいと思います。失敗は、失敗だと思うから失敗であって、成功への途上であると考えれば失敗ではない、と誰かが書いていました。というよりも、会社以外のところに、松崎くんのやりたかったことがあったのではないか。だから会社を失ったとしても、彼のやりたいことはまだ残っているんじゃないか、と思っています。

頑張ってね、松崎くん。
いまは逆風かもしれないけれども、新しい風が吹きますように。

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2008年1月19日

コーヒー&シガレッツ

▼Cinema08-002:コーヒーとタバコのある、モノクロームの時間。

B000A2Q7YGコーヒー&シガレッツ [DVD]
アスミック 2005-09-09

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苦味のあるものって、どこかオトナっぽくないですか。ビールもそうなんだけど、コーヒーとかタバコとか、そんな嗜好品には苦味があり、オトナの匂いがする。

かつて予備校時代にはぼくはかなりのヘビースモーカーだったのですが(といっても、キャスターとかフィリップモーリスとか、軽いタバコばっかり吹かしていましたが)、いまはタバコはすっかりやめてしまいました。でも、先日コンビ二に行ったら葉巻が売っていて、なんとなく美味しそうと思った。ちょっと手が伸びそうになりました。一方で、コーヒーは毎日のように摂取しています。あまりこだわりがなくて、缶コーヒーとかで十分に満たされちゃうんですけどね。

「コーヒー・アンド・シガレッツ」は、コーヒーとタバコのある風景をモノクロで描いたジム・ジャームッシュ監督の映画です。12の短編ムービーのオムニバスで構成されています。なんでもない雑談風景ばかりなのですが、これがまたいい。何も起こらないのだけれど、会話に妙な緊張感が生まれたり、哀愁に包まれたり、ときにはくすりと笑わせるようなユーモアがあって楽しめます。ぼくは気に入りました。本年度第一のおすすめです。

ほんとにコーヒーとタバコで雑談するだけの映画なんですよ(笑)。ただ、別の短編で同じ話が繰り返されたりして、それもまたおかしい。そして、モノクロという画面のせいもあるかと思うんですが、ものすごくおしゃれです。白いカップのなかに注がれるコーヒーも素敵な色だし(というか色がないからこそ映えるものだし)、気まずい空気のなかにたゆたうタバコの煙もいいなあと思いました。

実は出演しているひとたちもちょっと豪華で、イギー・ポップとトム・ウェイツというミュージシャンふたりが喫茶店で話すような短編もあります。渋い顔でコーヒーを飲み、タバコを吸いながら「おまえの曲、あのジュークボックスに入っていなかったぞ」みたいな牽制をする。言われた方はクールにしていながら、実は内心動揺しまくっていたりする。

ところで、ぼくはタバコとコーヒーを飲む女性って、ちょっと好きなんですよね。もちろん自分の彼女でニンシンしてお腹に赤ちゃんがいれば控えるように言うと思いますが、嫌煙家にメイワクをかけないのであれば、自己責任のもとにタバコだってかまわないと思う。それがオトナってものでしょう。この映画のなかでは「RENEE」という作品に出てくる女性がめちゃめちゃ素敵です。美しい。

YouTubeで動画をみつけました。でもこの動画、バックの音楽を別のものに変えているのでがっかり。だいなしだ(泣)もとの映画では、流れているバックの音楽を含めて最高なんですけど。

■coffee and cigarettes - renee

何を読んでいるのかと思えばファッション雑誌ではなくて、銃のカタログらしきところもいい。

「RENEE」だけでなく、ほとんどの短編で雑談の映像とともにコーヒーに砂糖を入れるシーンを上から俯瞰して撮っているのですが、これがおしゃれです。さりげなく置かれた小物、テーブルクロスなどを含めてなんとなく映像に癒される。どこか待ってました的な映像です。まったりとした会話風景にこの映像が挿入されることで、なんとなく映像に締りができる。

飄々としてとぼけていながら笑えるシーンも多いのですが、「二コラ・テスラは、地球を1つの共鳴伝導体であると捉えた」というフレーズも2作品で繰り返されていて、これもなんだかわからないけどよかった(笑)大きなコイルのようなもの(テスラコイル)を持ち込んで、学生らしき男の子がガールフレンドにそれを実演してみせるシーンは面白かったです。

好奇心で調べてみたらテスラコイルってほんとうにあるんですね!以下のテスラコイルはでかい。迫力があります。

■BIGGG TESLA COIL OF OKLAHOMA

まあ、こんなものを喫茶店でばちばちやられたら店のひとは困惑ですが(苦笑)。

ビル・マーレイのへんてこな給仕役もよかった。これがいちばん笑いました。黒人ふたりを相手に、ほんとうに俳優のビル・マーレイとして登場する。ぼくはビル・マーレイが結構好きで、ソフィア・コッポラ監督なのですがトウキョーを舞台に年の差がある女性との淡い恋愛を描いた「ロスト・イン・トランスレーション」とか、ジャームッシュ監督の作品では、突然匿名の手紙で息子の存在を知らされて過去に付き合った女性に会いに行く「ブロークン・フラワーズ」なども楽しめました。

任侠ものの映画を観ると肩をいからせて歩きたくなるものですが、この映画を観たら、無性に喫茶店でコーヒーを飲みながらタバコを吸いたくなりました。日曜日、奥さんには内緒で喫茶店に行って吸ってこようかなー。不健全なものに過度に依存するのはよくないと思うのですが、たまにはいいよね。できればそこに談笑できる相手がいてくれるといいのだけれど。1月19日鑑賞。

■公式サイト
さすがにサイトもおしゃれです。全作品の紹介など充実しています。
http://coffee-c.com/
080119coffee_and_cigarets.JPG

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2008年1月18日

Lars Jansson Trio / hope

▼Music08-001:希望を感じさせる流麗な音、なめらかな旋律。

HopeHope
ラーシュ・ヤンソン・トリオ


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01. How deep is the ocean
02. The tree
03. Hope
04. Live, be where you are
05. Why was I left under the sky
06. Living under the road to paradise
07. Summer rain
08. A little blues for you
09. A blissful smile
10. In peaceful sleep

手のひらが描かれたあたたかみのあるジャケット。そして残響音のなかで響くやわらかいピアノの旋律。ラーシュ・ヤンソン・トリオの「HOPE」を聴いたところ、なんだか懐かしい気持ちになりました。

ぼくはジャズにあまり詳しくありません。はじめて買ったジャズのアルバムは?といえば大学生のとき、渋谷のレコード屋で友人から勧められたビル・エヴァンスの「ワルツ・フォー・デビイ」だったと記憶しています。輸入版であり、しかもLPレコードだったかな。鎌倉に住んでいて、いっしょにサークルでミニコミを作っていた非常に知的な友人からおすすめされました。いまは彼も一児の父となって仕事に子育てに奮闘しているとのこと。

「ワルツ・フォー・デビイ」に関しては「きみに合ってるよ、これ聴きなよ」と買わされた感があったのですが、騙されて買ってみたところ、ほんとに自分にぴったりだったのでびっくりしました。何よりピアノトリオのゆるい空気感がいい。グラスの音や談笑する声などが入っているライブ演奏にも想像が膨らんで、しばらくは毎日このレコードに浸っていましたものです。朝に聴いて和み書店のバイトから帰ってきてまた聴いて癒される・・・そんなワルツ・フォー・デビイな日々が、かつてありましたっけ(遠い目)。

去年の11月、久し振りに購入したジャズのアルバムがラーシュ・ヤンソン・トリオの「HOPE」。ネットで親しい方からおすすめされたピアノトリオです。厳密にいうと、おすすめされたというよりも「聴いている」ということを知って、勝手にアンテナをぴこんと立ててしまった感じがある。

一度はCD売り場に行ったところ、アーティストの名前を失念してしまって断念。次にはメモって買いに行ったのですが、探していた「Witnessing」は見つからず、これでいいやという感じで試聴もせずに買ったのが「HOPE」でした。ただ、買ってよかったと思っています。とてもやさしくて、ちょっとだけ豊かな気持ちにもなれる。

ラーシュ・ヤンソンは北欧スウェーデンのピアニストで、このアルバムは通算9枚目、1993年の録音とのこと。「HOPE」というタイトルはギリシア神話のパンドラの箱が出典だそうで、「パンドラが箱を開けた途端、あらゆる災いが飛び出したけど、希望だけは残された。大切なのは心をリフレッシュして、望みを持つことさ」というヤンソンの言葉が記されています。

確かにアルバム全体を通して、希望に溢れているといえる。ピアノの響きものびのびとしていて、滑らかな印象です。アルバムタイトル曲である「HOPE」は馴染みやすいメロディで、すっと心に入ってきます。途中ベース(ラーシュ・ダニエルソン)のハーモニクスもきれい。続く4曲目「Live,be where you are」も軽快に弾んだリズムが楽しい。一瞬翳りのあるコード進行も好みで、このアルバムのなかでは好きな曲のひとつ。そして、ちょっとだけテンポがゆっくりめの「Why was I left under the sky」も好きな曲です。

いろいろな音楽があってよいと思うのですが、音楽はときに元気を与えてくれる。最近では、クラブジャズのような踊れるジャズも出てきているようだけれど、別にアップテンポではなくても高揚させてくれる曲もあります。辛さがあるからこそ一筋の光のような希望が輝いてみえるわけで、心に希望を抱いていたいものだなあ、と思わせる一枚でした。その後、すぐに「Witnessing」を購入。こちらも気に入っています。

■日本語オフィシャルサイト
http://www.lars.jp/

■こちらで「HOPE」の試聴ができます(Real Player)
http://www.lars.jp/cd-hope.html

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2008年1月17日

「カンブリア宮殿」村上龍 テレビ東京報道局

▼Book08-002:地道だけど斬新、変化を生み出す経営者の資質。

453216592Xカンブリア宮殿 村上龍×経済人
テレビ東京報道局
日本経済新聞出版社 2007-05-26

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企業活動において、採用や社員の教育は重要な意義があると思います。といっても、ぼくは人事でも経営企画のセクションに所属しているわけでもないので、踏み込んだ話はできないのだけれど、終身雇用制が崩壊して実力主義の社会になったとしても、だからといって年功は意味がないわけではない。オトナたちは次の世代を育てていく必要があるのではないか。

家庭を持って子供を育てるのも大事ですが、社会において若いひとを育てることも大事。育てる場所は、必ず学校じゃなきゃいけないということはないでしょう。会社だって十分に教育の場になります。というか、仕事を通じて学ぶことは学生時代の何倍もあります。

さらに、会社や学校という組織の枠組みにとらわれなくても、ブログを通して若い世代を育てることもできるはず。ソーシャルネットワークという考え方でとらえると、インターネットの登場によって時空を超えた交流もできるようになりました。ネット全体が大きな学校ともいえる。だから、どんなひともセンセイになれるし、セイトにもなれる。といっても教師になるためには、まず自分自身が教師として成熟していなければならないのですが(苦笑)。

しかしながら、ひとを育てるのはテキストによる表層的な情報ではありません。やはりひとがひとを育てる。どんな知識も、それが語られる人間があるからこそ意味を持つような気がします。テキストの向こう側に、あったかいブレインが感じられるからぼくらは学ぼうとする原動力を得られる。

反面教師というのもあり、企業の不祥事などで企業のトップが頭を下げている姿などをみると、やっちゃったなあ、あれはまずいなあ、と思う。一方で、企業のリーダーが書いた素晴らしい本などを読むと、こういうひとになりたいなあ、ちょっと努力してみるかなあ、と考えます。

どちらかというとマスコミもブログも不祥事や揚げ足取りに脊髄反射しがちですが、ぼくはむしろ後者の立場でいたい。素晴らしいひとたちの言葉に触れたい。

というわけで(うーむ、やはり前置き長すぎ。苦笑)、積極的に素晴らしいひとたちの言葉を吸収している今日この頃。樋口泰行さんの「変人力」に続いて読み終えたのが、「カンブリア宮殿」でした。この本は作家の村上龍さんが経済人と対談するテレビ番組を書籍化したものです。

以下22人の経済人との対談が掲載されています。

・張富士夫(トヨタ自動車会長)
・福井威夫(本田技研工業社長)
・大橋洋治(全日本空輸会長)
・後藤卓也(花王取締役会会長)
・古田英明(縄文アソシエイツ代表取締役)
・堀威夫(ホリプロ取締役ファウンダー)
・岡野雅行(岡野工業代表社員)
・松浦元男(樹研工業社長)
・笠原健治(ミクシィ社長)
・近藤淳也(はてな社長)
・伊藤信吾(男前豆腐店社長)
・宋文州(ソフトブレーン創業者)
・野口美佳(ピーチ・ジョン創業者)
・寺田和正(サマンサタバサジャパンリミテッド社長)
・渡邉美樹(ワタミ社長)
・吉田潤喜(ヨシダグループ会長)
・高田明(ジャパネットたかた代表取締役)
・平松庚三(ライブドアホールディングス社長)
・澤田秀雄(エイチ・アイ・エス会長)
・北尾吉孝(SBIホールディングスCEO)
・原田泳幸(日本マクドナルドホールディングスCEO)
・稲盛和夫(京セラ名誉会長)

最初のほうはさすがに伝統のある大企業の社長のお話なので、正直なところ日本経済新聞のPR記事(記事体裁の広告ですね。企業がお金を払って掲載する記事)のような感じがして、いまひとつ読むのに努力が必要だったのですが、それでも大企業のトップのふつうの姿が対談から浮き彫りにされています。そして、日本のモノづくりを代表するような岡野工業、樹研工業の話あたりから、個人的には興味を惹かれてぐいぐい読み進みました。

特に、男前豆腐店の社長である伊藤信吾さんの話が面白かった。そもそも父親が豆腐屋をやっていた、というのがきっかけかもしれないけれど、そこで豆腐を究めようと覚悟を決めたわけです。というよりご本人には、覚悟を決めたという自覚はなかったのかもしれません。次の部分がいいと思いました(P.166)。

伊藤 最初に職業を選ぶ時から、たぶんもうマーケティングは始まっていると思うんです。この業界に自分が身を置けば、ほかと違うものができるかもしれないと考える。だからその感覚はありますよね。学校を卒業する時に働きたい企業ランキングというのがあるじゃないですか。あそこに豆腐屋は絶対ない。もうそれだけは言い切れます。旅行会社に行きたい人、テレビ局に勤めたい人......。それは僕だって勤めたかったですよ(笑)。でも、学校だったり縁だったりで、入れないというのがある。「しょうがねえなあ、世の中つまんねえなあ」というところからのスタートです、僕は。

環境を選ぶのではなく、環境を創る考え方に近いと思います。企業に採用してもらうのではなく、自分で仕事を創り出していく。世のなかに合わせるのではなく、世のなかを創り出す。だから直感的によいと思えば、市場のデータなどは必要ない。

ぼくがこの本を読んでいて痛感したのは、経営者というのは、もちろん大きなビジョンを描いてはいるのですが、結構地道で、あるいはふつうであって(という言い方も微妙ですが)、いま直面していることのなかから独創的な発想をしていく、ということでした。ほら吹きではない。抽象論を振りかざす哲学者でもない。夢見がちなリアリストです。

だからどんな危機もチャンスに変えるのでしょうね。豆腐にもイノベーションはある。伊藤さんは「風に吹かれて豆腐屋ジョニー」というネーミングの豆腐を作ってしまうのですが(どういう名前でしょうか、これ。笑)、豆腐なんて古い、かっこわるい、やっぱり洋食だー、と逃げるのではなく、豆腐屋である自分をしっかりと受け止めて、覚悟を決めて、豆腐でできることを考える。名前はもちろん味にも徹底的にこだわるわけです。ぼくには覚悟が足りないような気もするのですが(苦笑)、現状に足を踏ん張って逃げ出さずに続けていけば、どんなチャンスも何らかのかたちで生かせるのではないか。

ただ、やっぱり変わってるなあ、と思ったのは男前豆腐店ではみんなが、チャールズとかトムとか、あだ名で呼んでいるということでした(笑)。バンドのノリらしいのですが、「チャールズ、1番に電話ですー」「トム、あの取引どうなった?」などと社員が話していたらおかしい。あ、でも考えてみると、ネットの社会ではハンドルで呼び合うことがあるから、むしろ先端かもしれない。

同様に発想の転換の面白さを感じたのは、ソフトブレーンの宋文州さんの言葉で、「お客様は神様だ」「営業は足で稼ぐ」「営業は人柄だ」「営業はセンスだ」という日本企業の営業では古くから鉄則とされているような言葉に疑問を投げかけます。そして次の言葉に頷きました(P.184)

宋 営業の仕事は、売ることではないんです。お客さんを知ることだと思うんです。お客さんを知らなければ売れません。

次もなかなか含蓄があります。

営業は体育会系がいいと言います。「なぜ?」と聞いたら「体力があって、頭を使わないから」。それでなぜ提案ができるんですか。

大多数が考えている常識に、なぜ?と投げかける。その問いのセンスが経営者には必要なのかもしれません。自由主義社会の格差は健全というワタミの渡邉さんの言葉にも、同じような印象を受けました。渡邉さんは飲食チェーン店を起点として学校経営もされているのですが、国に教育を任せておくことはできない、として民間からの教育についても考え続けられているようです。

みずからが抱いた疑問に徹底的にこだわり、その疑問を機会に変えていく。社会に取り込まれるのではなく、自分自身が変化の起爆剤となる。マクドナルドの原田さんの次の言葉にも共感を得ました(P.334)。

原田 世の中の変化についていこうなんて、とんでもないですよ。変化についていったら負けます。トレンドをつくらなければいけないのです。

原田泳幸さんのインタビューに共感を得たので、その後「とことんやれば、必ずできる」という本を購入したのですが、この本からも多くのことを学びました。

優れた経営者の資質について、いくつか気付いた点はあるのですが、まだ整理しきれていません。行動しながら考える、という吉田潤喜さんの考え方にもヒントがあるような気がします。樋口泰行さんにも感じたことですが、優れた経営者はパワフルです。思考力を支える行動力がある。

と、この本をひとつのインデックスとして、そこからさらに気になった経営者が書いた本を読み進めていきたいと考えています。優れた経営者の言葉は、ぼくらを元気にしてくれます。それがきっと日本を元気にしてくれるのではないでしょうか。1月4日読了。

■公式サイト
http://www.tv-tokyo.co.jp/cambria/

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2008年1月16日

プレゼン資料のYouTube。

会社でいちばんよく使うツールは何かと考えてみると、第1はメールだと思うのですが、ぼくの場合には第2あたりに登場するのがPowerPointあるいはExcelでしょうか。表計算ソフトであるExcelについてはご存知の方も多いのですが、PowerPointはあまり知られていないかもしれません。

PowerPointはプレゼンテーションソフトです。といっても、最近では学生もゼミの発表などで使うこともあるらしい。以前、伊東乾さんの「東大式絶対情報学」を読んだときに、PowerPointの使いかたなどが書いてあった気がしました。


4062133717東大式絶対情報学
伊東 乾
講談社 2006-03

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最近ではパッケージソフトを買わなくても、Gmailに登録すればGoogleドキュメントにワードプロセッサ、スプレッドシート(表計算)はもちろん、プレゼンテーションツールが用意されています。無料でそれらのツールを使うことができます。しかもオンラインで。便利になったものだ。

ところでPowerPoint。ぼくは馴染み深いツールなのですが、結構このアプリケーションが好きです。

Microsoft Office PowerPoint 2007Microsoft Office PowerPoint 2007


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何が好きかというと自由度が高い。ワープロのように使うこともできるのですが、白紙のページに自由に文字を配置できるので、とりあえずキーワードを平面上に置いて、発想をひろげることができる。KJ法のように、書き出したキーワードをグループごとにまとめていくようなことができるわけです。マインドマップ的なつながりがあると便利なのかもしれませんが、ちょっとした発想ツールにもなる。

また、グラフィックツールとして考えると、最近では統合されてしまったとはいえIllustratorのような自由度があるとともに、アウトラインプロセッサ的な構造の把握も可能であり、かと思うとアニメーションが付けられるので、タイムラインに合わせてアニメーションを構成していくとFlashライクな動画もできたりします。ムービーに合わせてテロップを変えていく、なんてこともできる。結婚式の最後に使うスタッフロールのようなものもできてしまうわけです。

ほとんど家庭で使っているひとはいないと思うのですが、ぼくは数年前まで年賀状の版下(って言わないか、もはや)づくりにはPowerPointを活用していました。また、長男くんの夏休みの課題などにも活用しています。

そもそも家で仕事をするためにわざわざ自腹を切ってソフトを購入したので、使い倒さなきゃという気持ちがあったのですが、使っているうちにいろんな用途で使えるようになりました。確か海外では、PowerPointによるアートコンテストというものもあったような気がします。

ちなみにPowerPointの文書をPDFはもちろんFlashのファイルに変換するツールもあります。Macromedia Flash Paperというソフトもそのひとつですが、PowerPointで作った文書をFlashにして、紙飛行機の作り方をブログで公開したこともありました。以下のエントリーです。

■折り紙ヒコーキを作ろう(1)
http://birdwing.sakura.ne.jp/blog/2007/09/post_37.html

うわー、しまった。これ(1)で終わってるじゃないですか(苦笑)。時間があれば(2)を書くことしましょう(って、エントリーのなかでも言ってる気がする)。

かなりいろいろなことができるPowerPointなのですが、ぼくの見解では、あまり優れた使い方の本がないような気がします。企画関連の本であっても、添付されているテンプレートがいまいちセンスがなかったり、どちらかというとマニュアルライクで、なんとなく満足できない。図解がブームになった頃には図解に焦点を当てた本もありましたが、いまひとつ。ぼくが書いてみたい気がするんですけど、PowerPointの解説本。

などと妄想を広げつつ、ライフハック的にプレゼンテーションツールの使い方が紹介されているページがないかなと探していると、ITmediaにいろいろと面白そうな記事がありました。特になるほどなあ、と思ったのは、以下の記事でした。

■3分LifeHacking:ほかの人が作ったプレゼン資料をオンラインで閲覧する
http://www.itmedia.co.jp/bizid/articles/0801/15/news068.html

何かを作ろうとするとき、いちばん手っ取り早いのが既に誰かが作った素晴らしい作品を真似る(=コピーする)ことで、模倣というのはあらゆる創造性の登竜門のような気がするのですが、ここで紹介されているのは、YouTubeライクにプレゼン資料を公開・閲覧できるサイトです。以下のふたつのサイトが紹介されています。

■SlideShare
http://www.slideshare.net/
080116_slideshare_400.jpg

■handsOut
http://handsout.jp/
080116_handsout_400.jpg

なかなか面白いじゃないですか。写真公開→動画公開という仕組みと同じですが、非常にニッチ(笑)。活用するひとは限られてくると思うけれど、それでこそネットのサービスという気もします。

公開プレゼンとか、企業からお題を出して企画を一般公募するとか、そんなコンテスト形式で使われると面白そう。それこそ知のオープンソースという感じがしますね(この言葉はなんだかステレオタイプで抵抗がありますが)。個人が自分の資料を公開するという図書館的な活用方法も便利ですが、たとえば就活で自分をプレゼンして売り込むとか、そんな活用方法もあるような気がします。

そもそもオンラインでプレゼンツールが使えるのであれば、ファイルをアップロードする必要もなく、ネットで作ってそのままプレゼンというスタイルも定着化しそうな気がします。印刷した企画書を配る時代も終わってしまうのかも。

そういえば、徹夜で分厚い企画書を作ってプレゼン直前にプリントアウトをするのですが、そういうときに限ってプリンターが故障してパニックになることも多くありました。何度それでひやひやしたことか(遠い目)。そんな時代も過去になってしまうのかもしれません。

登録してみようかなあ、handsOutとか。紙飛行機の折り方をアップしたいんですけど。しかし、利用するのも楽しいのですが、こういう新しいサービスを作るのも楽しそうですね。

投稿者 birdwing 日時: 23:58 | | トラックバック

2008年1月15日

センサーの感度が高まって。

どーしたことでしょうか、いい匂いがするんですけど。

街を歩いているとき、書店で本棚の前で立ち止まるとき、なんとなくいい匂いがして思わず深く息を吸い込み、鼻腔を膨らませてしまいます。懐かしい匂いだったり、とても甘い香りだったりする。なんとなく癒される気持ちになったり、切なかったりする。うーむ。ひょっとしてぼくがいい匂いになってる?な、わけないか(苦笑)。加齢臭だったらやだなあ。

感覚が研ぎ澄まされているのかもしれません。以前にもそんな感じになったことがありました。カラダの細胞の組織が突然変異を起こして、まったく変わってしまう感じ。世界が昨日までとはまったく違うものに思えてくる、というか。なんとなくスピリチュアルでいかがわしい気もしますが、ほんとうにそんな感覚なのです。感覚のイノベーションですかね。

そんな風にセンサーの感度が高まっている本日、原田永幸さんの「とことんやれば、必ずできる」という本を読了し、2箇所の書店でしこたま本を買い込んでしまいました。読書欲が高まっております。しかも、久々にちょっと面白い本にめぐり会った気がしています。センサーを解放しているせいでしょうか。

本日、購入したのは次の5冊です。あああ、小遣いが(泣)。

ことばに感じる女たち (ワニ文庫 P- 154)ことばに感じる女たち (ワニ文庫 P- 154)
黒川 伊保子


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倚りかからず倚りかからず
茨木 のり子


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春、バーニーズで (文春文庫 よ 19-4)春、バーニーズで (文春文庫 よ 19-4)
吉田 修一


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地頭力を鍛える 問題解決に活かす「フェルミ推定」地頭力を鍛える 問題解決に活かす「フェルミ推定」
細谷 功


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ソーシャルイノベーションデザイン―日立デザインの挑戦ソーシャルイノベーションデザイン―日立デザインの挑戦
紺野 登


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ブンガクから仕事関連までジャンルはいろいろですが(しかも詩集まであったりして)、最初に読み始めたのは黒川伊保子さんの「ことばに感じる女たち」と「地頭力を鍛える」なのですが、これが面白い。交互に平行して読んで、はまりまくっています(現在、それぞれP.60、P.40を読書中)。

まず、黒川伊保子さんの本ですが、そもそもぼくは「怪獣の名はなぜガギグゲゴなのか」や「恋愛脳」を読んで黒川さんのファンになりました。AIの研究者で言葉についての研究をされているだけあり、黒川さんの使う言葉はとても魅力的です。感性についての洞察も鋭い。言葉を操るブロガーとして、言葉の力を究明していきたいと考えていきたいぼくとしては、非常に参考になります。

冒頭から読み始めて、言葉の音と身体感覚を述べた部分には思わず背筋に何か走る感じがあったのですが、これは読了後に感想を書きたいと思います。にやりと笑ってしまったのは、文庫本の前書きでした。黒川さんは以下のような問いを投げかけます。

Q. 「仕事と私、どっちが大事?」と女性に問われたとき、正しい答えはどれか?

黒川さんが挙げている選択肢は次です。

①「きみが大事だよ、けれど、きみを大切にするためには仕事も大事だろ?」
②「きみだよ」
③「仕事かなぁ」
④「くだらない」
⑤「ああ、きみに寂しい思いをさせていたんだね、ごめんね」

さて、正解はどれでしょう(笑)。というか、正解も不正解もないような気がしますが、黒川さんが挙げている正解を読んで、なるほどなあ、と思いました。ちなみにその理由はまだ読んでいないのですが、なんとなくわかる。いずれ本を読み進めながら、答え合わせをしたいと思います。

その次の過激な言葉も頷けるものがありました(笑)。若干恥ずかしいのですが引用します(P.5)。

女は「ことば」でイク――という定説は、本当である。
けれど、それはベッドの中で褒めろという意味ではない。
必要なのは、日常のシーンにおける、心のわだかまりを解く「ことば」である。
ベッドに入る前に、「ことば」の勝負は決まっている。女のわだかまりを上手に説いてやれる男は、ベッドで無口でも一向にかまわない。

うーむ。引用していて、ほんとに恥ずかしくなってきた(照)。でも真理じゃないですかどうですか。ちなみに、ときどきブログで黒川さんの本を引用するのですが、このとき共感いただける女性は素敵な女性という気がします。個人的な見解ですけれども。

つづいて、「地頭力を鍛える」ですが、こちらは逆に男性脳的というか左脳的というか、ロジカルな分析が非常に素晴らしいと思いました。コンサルタントの細谷功さんが、インターネットの登場によって思考の重要性が高まっていることを説くとともに、どのような思考が重要であるかについて書かれた本です。

第1章を読んで、思考法をフレームワークに変える見事さにやられまくっているのですが、このことについてはブログでいずれじっくりと書きたい気がするのでいまは触れずにおいて、インターネットにおける「コピペ思考」に対する危惧について書かれた「はじめに」の部分を考察しておきます。

ワープロの登場とパソコンの普及により、手書きをする機会が減っていますが、その弊害というと「漢字が書けなくなる」ということがいちばん大きいのではないかと思います。字が下手になる、ということもありますが。

さらに、インターネットにある膨大な資料や記述を引用し、自分のブログなどに貼り付けることで、他人が言っていることをあたかも自分の考えのようにコピー&ペーストするようになる。これが「コピペ思考」なのですが、漢字を覚えることを放棄するだけでなく自分で考えることも放棄していくようになる。ネットで公開されているテキストを引用することによって、思考停止して白痴化していく。

細谷さんは次のような見解を提示されています(P.3)。

インターネットの向こう側にある情報の大海というのは諸刃の剣である。検索エンジンによってすべての人間が膨大な情報への簡単なアクセスを手にした。しかしこういった膨大な情報を簡単に「コピペ」するという姿勢で使っていたのでは人間の考える能力は退化していき、そのうちにコンピュータにその役割は取って代わられて、そういった人たちはたちまち大海の藻屑として散るだろう。その半面で考える力(本書でいう「地頭力」)を身につけた人はこの膨大な情報を駆使してこれまでとは比べ物にならないような力を発揮できる可能性がある。

このことはぼくも漠然と危機感を持っていました。なので、ブログを書くときに引用を禁じて書いた時期もあります。他人の言葉を引用すると、なんとなく自分で考えたような気になる。けれどもそれは虎の威を借る狐というか、ものすごく安易な借りものの思考でしかない。効率的かつファッショナブルに引用することはできますが、その利便性に甘んじることによってますます考えなくなる。

そもそもぼくは思考力を強化するためにブログを書き始めたのでした。立体的な思考の獲得をめざしていたわけです。どういうことかというと、インプット、つまり情報収集に関しては膨大なネットのテキスト、映画、音楽、小説などを対象として幅広く吸収し、吸収するだけではなくレビューなどで自分で考えたことをアウトプットすることによって、のっぺりとした平面的な思考ではなく、遠近感(パースペクティブ)のある思考を身につけたかった。

そのことによって何を目指すかというと、トランスフォーマーみたいにフレキシブルに自分を変形して、あらゆる状況に対してやわらかく生きていく、ということでした。これは、この本のなかで言われる「地頭型多能人(バーサタイリスト)」に近いかもしれません。

この「バーサタイリスト」という用語自体は、ITコンサルティング会社であるガートナーグループが2005年に定義した造語とのこと。「適応力があってどんな分野でも実績を上げることができる人」 のようです。

ここでふと繋がったのですが、ダイエーからマイクロソフトに転身した樋口泰行さんも、アップルからマクドナルドに転身した原田永幸さんも、バーサタイリストではなかったかと。一方でぼくは、小説を書きつつ音楽を作ったり、仕事について考察しつつ家庭について考えたりしていたのですが、つまり知らず知らずのうちにぼくが求めていたのは、バーサタイリスト的なスキルだったのではないか、と思いました。

そんな発見をしつつ、これらの本をあちらこちら読んでみたいと思っています。無理に繋げる必要はないのですが、自然と繋がってきたり、あるいは別の本を引き寄せたりしてくれるといいですね。なんとなく知的な好奇心がそそられるというか、楽しくなってきました。

投稿者 birdwing 日時: 23:30 | | トラックバック

2008年1月14日

トランスフォーマー

▼Cinema08-001:キカイという生命体との共生。

トランスフォーマー スペシャル・コレクターズ・エディショントランスフォーマー スペシャル・コレクターズ・エディション
シャイア・ラブーフ マイケル・ベイ タイリース・ギブソン


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子供たちは変身とか変形とか、合体が大好きです(ある意味、大人も合体は好きかもしれないけれども。照)。かつて遠い昔には子供であったぼくも、少年の頃には合体するロボットに憧れたものでした。マジンガーZとか、ゲッターロボとかになってしまうのですけどね。知っているひとは同世代ということで。

そもそも21世紀である現在、産業ロボット以外に消費者に手に入るロボットといえば玩具のようなものしか(いまのところは)ありませんが、それでもロボットは身近な存在になりつつあります。隔週でパーツが付いてきて、組み立てるとロボットになる、という雑誌まで販売されていて、機械モノ好きなぼくも購入しようと思ったのですが、家族の反対もあり(全部購入すると10万円ぐらいになる)結局のところ、腕の部分ぐらいまでしか手に入れていません。ふたりの息子たちが大人になる頃には、街をがしがしロボットくんが歩いていたりするのでしょうか。

長男くんが観たいといっていたので、借りてきた「トランスフォーマー」。地球外生命体である彼らはキカイの身体を持ち、地球のさまざまな乗り物に変形することができます。しかし、そこには悪いトランスフォーマーと良いトランスフォーマーがいて、彼等の星は悪いやつらに滅ぼされてしまった。そしてワルロボ(ディセプティコンズ)たちは地球を侵略するためにやってきて、そこで地球人とゼン(善)ロボ・・・オートボッツというらしい・・・との戦いが繰り広げられるわけです。

意外なことに、というか当たり前なのかもしれないけれど、長男くんはトランスフォーマーに詳しい。友達のひとりに、ものすごく詳しい子がいるらしく、これが隊長、これがなんとかだよ、と解説してくれる。しかしながら、DSやりながら観るのはどうだろうか、と父は思った。結局のところきみはロボット出てくるところしか観てないじゃん。

しかしながら、やはり小学生以上のひとたちも対象にしているので、さすがにキスシーンはなかったものの、マスとか童貞とかいう言葉が出てきて、ドウテイってどういう意味?とか聞かれたらどうしよう、しかし10歳なのでそろそろ教えてもいいか、いや自分はそんなこと父親から教わった記憶ないぞ、うーむどうすれば・・・などと父は苦悩した。そんな苦悩をよそに、まったく彼は聞いちゃいないようでした。ほっ。

とにかくCGが凄い。最初はロボットの全体像が見えないのだけれど、徐々に見せていく演出も憎い。けれどもビジュアルだけではなくて、好きな女の子とずーっと前から同じクラスなのに名前すら覚えてもらえなかった存在感のない主人公が、彼のひいじいさんが残した秘密によりロボットたちの戦いに巻き込まれてしまうのだけれど、戦いのなかで成長していき、素敵な女の子(ミーガン・フォックス。この子が結構かわいい)といい仲になってしまう伏線など、脚本もしっかりしていて好感を持てました。

それにしても、映像の動きが早すぎ(苦笑)。

変形しつつぐわんぐわん動き回るCGに、CG酔いしそうでした。カットの切り替えも早くて目が回る。先端のゲームをやっているひとたちには、これぐらいの動きは何でもないのでしょうか。おじさんには辛いぞ(泣)。でも、実写と思えるぐらいリアルな映像は十分に楽しめました。年々、CGによる映画は凄くなってきている気がします。特撮なんて言葉は遠い昔の言葉のようです。

ついでに、このごちゃごちゃしたメカニカルな感じがアメリカ的なんでしょうね。ぽてっとした体系のゴジラも輸出したところ、なんだかゴジラっぽくないスマートでリアリティのある巨大なトカゲになってしまった気がしますが、つるりんとしたロボットではなくて、ごちゃごちゃした感じがいいんだろうなあ。

シボレー・カマロ型のロボットに主人公と女の子は乗り込むのですが、このクルマはぼろいと口を滑らせてしまったばっかりに、自動車型のロボットが拗ねてしまうところに微笑ましいものがありました。けれども、自動車ロボットくんは自己再生のようなことをすることによって、かっこいい最新型の自動車に姿を変形するわけです。いいなあ。年齢を経てくたびれつつあるわたくしも、あんな風に変形できたらいいのに。というか、アンチエイジングの技術が進歩すると、そんな変形もできるのでしょうか。

身の回りのキカイと対話し、共生する時代がやってくるのかもしれません。機械とお話するのは寂しい気もするし、それってどうだ?というテクノロジーに対して批判精神も起こったりするのですが、結局のところ技術の進化が行き着く先は、人間の生活にキカイが溶け込むような世界ではないか。いまは冷たいハードウェアが多いのですが、モノ的にやわらかい素材を使うような工夫だけでなく、感情を持ったキカイが生まれたら、より人間と共生できるようになるかもしれません。

映画のなかで、自動車に変形するロボットを見て「きっと日本製だ」などと呟くシーンがあったのですが、世界的にも優秀な日本のモノづくりとしては、ロボットの分野で頑張ってほしいものです。

ちなみに「日本の玩具をもとに映画化したんだよね」とウンチクをぼくが語ったところ、「違うよ、これはアメリカがもとなんだよ」と切り返されました。ところがいまWikipediaで調べてみたら、やはりもとは日本の玩具のようではないか。ふっふっふっ。勝ったな。こんなところで勝ってもどうかと思うのだが、まあいいか。1月12日鑑賞。

■Transformers trailer

■公式サイト
http://www.transformers-movie.jp/top.html

投稿者 birdwing 日時: 15:30 | | トラックバック

2008年1月13日

「変人力」樋口泰行

▼Book08-001:知力と情熱で現場を変えるリーダーのために。

4478000832変人力―人と組織を動かす次世代型リーダーの条件
樋口 泰行
ダイヤモンド社 2007-12-07

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火中の栗を拾うという言葉がありますが、できれば厄介なことからは逃げていたいものです。面倒臭いことは避けて、のほほんと生きていたい。

しかし、逃走しているばかりでは面倒なこともないかわりに、大きな成功や成長も望めないのではないでしょうか。瑣末などうでもいいことはともかく、ほんとうに大事な事柄に対しては、どんなに面倒や厄介であっても、しっかり受けとめる必要がある。何が起ころうとも逃げない覚悟がひとを成長させるものであり、成功に導く。

最近、経営者のインタビューをよく読むのですが、志の高い経営者の共通項として、どこか遠い場所に夢を追いかけるのではなく、与えられた仕事をきっちりと受け止め、着実にこなす上で、その延長線上に夢を描いていく傾向があるように思いました。

若いうちにはなかなかそうはいかないですね。ぼくも同様だったのですが、こんな現状に耐えられるか!どこか別の場所に行けば違うんじゃないか?(・・・辞めてやる)と思いがちです。転職するときには、どうしても現在の会社に対する不満が原動力になっている。しかしながら、地獄も天国もいま存在するこの場所にある、と思います。この世界をよくも悪くも変えるのは、自分次第ではないか、と。

リーダーに求められるものは、自己はもちろん組織を変える力です。自分も変わらなきゃならないし、変える力を組織全体に波及させていく。自己を起点とした大きな力によって、組織全体を変えていく。というドライブさせる力を考える上で、「変人力」はとても参考になった本でした。

「変人力」は、ダイエーを再生し、現在はマイクロソフトのCOOに就かれている樋口泰行さんが、ダイエー再生時代の苦労について書かれた本です。とにかく熱い。行動力ばかりでなく知力にも溢れている。読み進めていて、感動のあまり感涙しそうになった箇所もいくつかありました。素晴らしい方だと思う。

かなり辛辣に再生前のダイエーを批判しているところもあり、そのストレートさにも打たれました。度重なるリストラの再生疲れによってダイエーの社内は病んでしまっていて、問題を指摘すると自分が責任を取らされるのではないかと捉え、言い訳ばかりをしている雰囲気だったとのこと。

また、社長は大勢の取り巻きと社用車に乗る慣わしだったため、樋口さんが就任後に単身でクルマのところまで行ったところ運転手が社長と気付かなかったなどのエピソード(P,27)や、樋口さんがかつてアップルコンピュータに勤められていた時代に、梱包に少し傷があっただけで「飛行機で持って帰れ」とダイエーの担当者に業者いじめをされたことなどが書かれています。

確かにどんなによい会社であっても、その規模や業績に驕り高ぶると志が濁りますね。

これは個人にもいえることで、オレはこんなに数字をあげているんだ、どうだ、と慢心した営業は、ぞんざいになったり謙虚さにかけるようになる。管理部門であっても同様ではないかと思います。

ところが、樋口さんは非常に謙虚な方です。いちばん泥を被らなければならなかった部分を、しっかりとご自身で受け止めて、ひとりで着々と進められた。ぼくが感動したのは、まず就任直後に全店舗の店長・支配人にご自身から電話をかけたということでした。263本の電話を土日を使ってかけたそうです。当然、店長や支配人は驚きます。「どちら樋口さんですか?」などという対応がある。次の言葉にも納得します(P.74)。

実は、それまでのダイエーでは、社長が店舗に電話をかけることはほとんどなかった。かけるのは、何か問題が起こったときだけ。そのため多くの店長が、社長からの電話は不吉な知らせとして、不安と恐怖を感じていたようだ。

こんな状況下では、前向きに仕事はできないでしょう。びくびくしながら指示待ちの状態になる。

フラットな組織ということが言われますが、階層はフラットになっていても権限が委譲されていなかったり、トップが報告を待っているだけではフラットである意味がないと思います。トップが安全な場所でふんぞりかえっているのであれば、硬直したヒエラルキー型の組織と何ら変わりはない。しかし、樋口さんが自ら実行された積極的に現場とコミュニケーションをとろうとする姿勢に打たれます。

コミュニケーションの活性化というと、じゃあ会議を頻繁に・・・などということにもなるのですが、大勢の貴重な時間を割いて集まって、発言といえば一部の社員だけ、しかも単なる報告だけの会議であれば、やる必要がない。どんなに短い対話であっても、リーダーや経営者と現場がダイレクトに1対1のコミュニケーションをすることによって、現場の担当者としても、こんな末端の人間の話を聞いてくれるんだ、という喜びが生まれる。それがモチベーションの向上にもなります。

樋口さんは閉鎖する店舗にも、ひとりで訪問して挨拶されたそうです。これも凄い。ふつうは社長がここまでしないですよね。というのはやはり泥を被りたくないせいもあるし、閉鎖する店舗の社員にとっては生活がかかった問題でもあるため、きつく非難されることもある。しかし、そういう面倒さやしんどさからも逃げずに、会社の方針を説いてまわった樋口さんの姿勢に感動しました。

初期段階で「売れる売り場」をつくるために「構造改革」と「営業力強化策」を推進、具体的には次の7つの課題への対応を考えられたそうです(P.46)。

①需要喚起策(広告宣伝、キャンペーン、価格政策)
②店舗人員増強、店舗オペレーションの強化
③店舗IT増強
④鮮度の向上
⑤人材育成
⑥品揃えの拡充
⑦店舗改造(改装)と環境・メンテナンス投資
⑧現場モチベーションの向上

書いてしまうと当たり前の印象もありますが、「当たり前のことを当たり前にやる」という考えがあったかもしれません。また、もれもなく重複もなく(MECE:Mutually Exclusive Collectively Exhaustive)課題が抽出されていて、コンサルティング的な思考ともいえます。そもそも樋口さんにはボストンコンサルティンググループに勤められていた経歴もあり、当然かもしれません(MECEはマッキンゼーの用語だったような気もするのですが)。

ぼくがなるほどと思ったのは、鮮度の向上に関しては、おいしい野菜を売ることに注力されている点で、ダイエーで売る野菜をフレッシュにすることが企業をリフレッシュすることにつながっている。これは非常にわかりやすい。店長としてもわかりやすいだろうし、消費者のイメージとしてもよいと思いました。

ダイエー再生における樋口さんの死闘は並大抵のものではなかったと思います。実際に、次のようにも書かれています(P.65)。

私は苦しいときに日記を書くようにしているが、ダイエー時代の日記を読み返してみると、毎回のように「苦しい、苦しい」と書いてある。その後に、「やるだけやってダメだったら、しょうがないやん。神様が見ててくれるよ。命、取られる訳やなし」と関西弁で記されている。愚痴を言うつもりはないが、本当につらい毎日だった。

誰かのせいにするわけではなく、苦しいことを苦しいと受け止め、それでも向かっていく。考えみると社長を評価するのは、株主や取引先も含めて社会という大きな世界です。「神様が見ててくれる」から、黙々と正しいことを行うのは並大抵の努力では不可能だと思うのですが、地道な継続が経営者には求められるのでしょう。

その死闘のなかで、これからのリーダーやマネージャーに必要な資質を次の3つにまとめられています。

「現場力」:現場の創意を最大限に引き出す力。
「戦略力」:人と組織を正しい方向に導く力。
「変人力」:変革を猛烈な勢いでドライブする力。

ひとつひとつを詳細に考えていきたいところですが長文化するので(苦笑)、それぞれについてぼくが最も印象に受けたことについて書いてみます。

■現場力

ここでいちばん印象に残ったのは、社長である樋口さんが閉鎖する店舗に挨拶に出向いたこと、みずから就任の電話をかけたことでした。いわゆる現場とのダイレクトなコミュニケーションです。さらに、「基本動作を徹底する」ということにも注目しました。現場における基本動作とは、簡単に言ってしまうと顧客志向であり、外部環境に目を向けるということです。社内政治などにばかり目が向くと、必然的に環境の変化が見えなくなります。事件は現場で起こっているんだ・・・ではないですが、やっぱり現場あっての仕事ではないか、と。

それから、ものすごく些細なことですが、会議中に黙っていたひとについては、会議が終了後に声をかける、あるいは何かあればメールなどでフィードバックさせるというのは素晴らしいと思いました(P.106)。黙っているひとに意見がないかというとそんなことはなく、実は熟考していることもあるものです。あるいは、考えるあまりにタイミングを逃してしまうことだってある。

また、会議ではどちらかというと声の大きいひとに流されがちですが、そんな発言は、場は盛り上がるけれども実行性の低い理想論ばかりということもある。個々のモチベーションを上げるという意味だけでなく、陽のあたらない貴重な意見を救いあげようとするきめ細かな現場への対応が参考になりました。

■戦略力

冒頭から「アカデミックな戦略論は役に立つのか」という問題を提議されています。このことについては、次の一文が答えになっていると感じました(P.118)。

つまり、戦略力を鍛えるために何より重要なのは、リーダー自身が現実のビジネスにどれだけ真剣に向き合ってきたか、どれだけ格闘してきたかにある。その要件を満たしたとき、机上の理論に「凄み」が加わる。

これは非常によくわかります。現場にいない人間が読み漁った理論で何かを語ろうとすると、どうしてもリアリティがない傍観者的な発言になる。だから、最初はどんなに幼稚であれ、自分でやってみることが大事かもしれません。やってみて失敗する。失敗から学ぶ。その繰り返しだけでも凄みは出ます。

その後、マクロの戦略観、ビッグピクチャー(全体俯瞰図)、マッキンゼーの創業者であるマービン・バウワーが考え出したFAW(Forces at Work)などの幅広い視野についての重要性が説かれながら、マクロの戦略観と現場をつなぐ「ブリッジング(橋渡し)」を重視されているところなど、説得力がありました。

一方で、ぼくも常に心がけたいと肝に銘じているのが、多様な視点の重要性です。多角的にものごとを見ることができる思考を獲得して、自分の幅を広げていきたい。このことをうまく言えないかな、ともどかしかったのですが、次の箇所で腑に落ちました(P.146)。

米国では、ビジネスパーソンの素養を現すときに「バンドウィドス(bandwidth)」という言葉が使われることがある。日本語に訳すと「帯域幅」という意味で、その人がどれくらい幅広い経験や知識を備えているかを表す言葉だ。バンドウィドスが広ければ、そのぶん処理能力は大きくなり、そこから伝達される他の機能も活性化していく。

日々貪欲に知識を吸収し、行動し続けていくことでしかないですね。帯域幅の広い人間になりたいものです。

■変人力

自分の正しさを主張すると、孤立することがあります。おまえは協調性を乱している、と非難される。

もちろん協調性は大事だと思いますが、お互いに足を引っ張り合って、行動を制限することにもなりかねません。この社内的な牽制によって、大局的にビジネスチャンスを逃してしまうこともある。であれば、たとえ孤立したとしても自分の価値判断のもとに、迅速に行動したほうがよいのではないか。もちろん企業内においては、企業全体にとって正しい(=利益をあげる)ことが優先されることが前提です。その前提を踏まえた上で、企業活動全体の利益に貢献できるのであれば、出る杭を恐れて和に甘んじることはないだろう・・・ずっとそんなことを考えていました。

ただ、それは非常に少数派の考えだと思っていたので、樋口さんの書かれたことを読んで、とても勇気付けられました。ああ、間違ってはいなかったんだ、と。日本HPとダイエーの2社の経験から、修羅場で企業を変革するリーダー像について、樋口さんは次のように書かれています。

今、こうした二つの経験を振り返って強く感じるのは、修羅場のリーダーには、オペレーションの能力以上にエモーショナルな能力が必要だということである。すなわち、周囲が何を言おうとも自分の信念を貫き通す力、底知れない執念で変革をやり遂げる力。言わば「変人力」とでも呼ぶべき力がチェンジ・リーダーに求められているのである。

日本の環境では和を尊ぶから難しい・・・などと考えてしまいがちですが、樋口さんは「ケプラーの第三法則」が日本に伝播される前に地動説を唱えていた江戸時代の麻田剛立という天文学者を引用されています。彼もまた変人扱いされていたらしい。そりゃそうでしょう。江戸時代に地球が動くなんてことを言っているのは、ぶっとんでいる。ところが彼のほうが正しかった。

しかし、変人が本当に非常識なのかと言えば、決してそうではない。むしろ、非常識なのは多数派の人たちで、後になって考えてみると変人こそが正しかったということは実に多い。歴史をひも解いてみても、そうした例は枚挙にいとまがないだろう。

むしろ問題なのは、変人になりきれないことかもしれません。信念を貫こうとすると、当然のことながら保守的なひとたちや、その目だった行動を快く思わないひとたちから誹謗中傷も受ける。そこで、やっぱやめとこうかな・・・と思って、ふつうのひとに戻ってしまう。ただ、そうやって個性を殺すことが実は組織全体の革新性を潰すことにもなりかねない。

樋口さんは変人力に必要な資質として次のふたつを挙げられています。

第一の資質「ぶれない軸を持つ」
第二の資質「異様なほどの実行力を持つ」

さらに多様性が変人力の原点であるとし、一方で「孤独な変人で終わらないために」として変人の在り方や留意点まで語られています。多少(あるいはかなり?)変人であるぼくには(苦笑)、この行き届いた配慮が非常にありがたいものでした。そして、改革をひとりの変人の孤独な活動ではなく、全社的なものにするためには、次のようにすべきであると述べられています(P.196)。

企業再生の現場で人を動かすのは、小手先のテクニックではない。魂と魂のぶつかり合いであり、気概の伝播である。その意味で、人材開発の手法として知られる「コーチング」や「エンパワーメント」とは一線を画すアプローチが求められる。。
喩えは悪いが、企業再生のリーダーシップは戦場におけるそれと同じではないかと思う。命を投げ出して戦う隊長の姿を見た兵士たちは、その姿に自然と共感して自らを鼓舞するようになると言われる。逆に、隊長の腰が引けていれば、兵士は動かなくなったり、逃げ出してしまうのではないか。

まさにそうですね。頑張っているリーダーの背中をみて、そこから立ち昇るオーラがスタッフに伝われば自ずと動くものです。逆に、安全な場所からおそるおそる指示を出すリーダーの言葉では、動かないかもしれない。知識や行動はもちろん、人を動かすときに熱意は重要な要素です。

それでは、こうした熱い思いをどこで、どうやって伝えればよいか。それは、いつでもどこでも真摯なコミュニケーションを繰り返す、ということに尽きる。資料に上手にまとめるのが重要ではなく、むしろ自分の中から自然と湧いてきた熱い思いを、自分の言葉で語り続けるということだ。借り物の考え方を棒読みするのではなく、様々な施策の根底にある思いを自分の言葉で熱心に語り続ける。そうした言葉が集まったときに、その人の哲学が相手に伝わるのではないだろうか。

樋口泰行さんの言葉にサムライを感じました。志を高く持ち、信念を貫けるよう背筋を伸ばしたいと思います。年もあらたまったことでもあり。1月1日読了。


投稿者 birdwing 日時: 22:50 | | トラックバック

2008年1月10日

当たり前の選択、という革新。

r25_080110.jpg仕事の合間に、ほっとレモンでも買おうかとコンビ二に立ち寄ったのですが、フリーペーパーのラックに本日発行のR25があったので手にとってみたところ、なんとインタビューはトム・ヨーク(Radiohead)。すごいなあ!でも、最近どの雑誌見ても(TVBros.まで)トム・ヨークの取材記事なので露出過多という気がしますが。

ただ、なかなか面白かったです、R25のインタビュー。トム・ヨークの穏やかだけれどアグレッシブな感じがよく出ている気がする。

そもそも彼等の最大の話題だったのは、ぼくも年末に購入したのだけれど、「イン・レインボウズ」というアルバムなのですが、

1)バンドのオフィシャルサイトから直接ダウンロード販売したこと
2)しかも、その値段は購入者に任せたこと(!)

ということをやってのけたからでした。

r25_tom2.JPG1)に関して言えば、レコード会社とか流通をすっとばして、アーティストが自分の曲を自分で売りさばいた、ということになります。だいたいアマチュアのミュージシャンは、自分でCD作ってサイトで売ったり、新宿には多いのだけれどストリートライブしながら販売したりするのだけれど、なんといってもレディオヘッドというメジャーなアーティストがインディーズみたいなことをやってしまうのが凄い。iTunes並みのイノベーションなわけです。

しかも、その値段は購入者の言い値、という。ものすごく感激して1曲に10万円という値を付けるようなひともいるかもしれないし、それこそ貧乏であれば10円で購入するかもしれない。こういう言葉で括ってしまうのもどうかと思うけれど、究極の顧客主導であるわけです。

アーティストが、えへんと威張り散らして曲を作り、中間のレコード会社や流通がそこに自分達の利益をくっつけて搾取して、消費者のところに届いたときにはでっかい雪だるまのような値段になっている、そんな音楽業界に対して、ほんとうにラジカルな破壊を行ったと思います。

この姿勢はロックだなあ。しかも、インディーズっぽい。いまさらながらだけれど、ぼくはこういう過激さが好きです。そして、ネットで何かをやるならば、こうでなくっちゃという気もする。

結局ブログを誰がつまらなくしているかというと、アルファブロガーとか広告モデルとか、最終的には従来からあるマスメディア的な思考とかレガシーな何かに収束させてしまおうという動きがつまらなくしているのではないか、とぼくは思う。もっとラジカルな、反主流というか、面白いことができるのではないでしょうか。

R25のインタビューから引用します。今回の試みは音楽業界への挑戦ではなく、シンプルな動機だったとして次のように語っています。R25のWebサイトでもインタビューを読むことができます。

「作品を届けるときに、間に余計な人たちが絡んでいないのが魅力的だった。たとえば先入観を与える情報雑誌のレビューとか、音楽業界の変な政治とかプロモーションとか、そういうくだらないことを抜きにして、とにかく早く音楽が出せるわけ。“ハイ、音楽ができました”“リターンを押す”“ハイ、受け取りました”ってね」

これはものすごく共感。というのはぼくもブログで稚拙ではあるけれども自作DTMを公開しているのですが、ほんとうに作ったその場でmp3にエンコードして、アップロードするまで15分とかからない。できたてほやほやの曲を公開できるわけです。だから次のような言葉にも納得。

「“普通じゃないこと”をやればメディアはすぐに革命的だと言うからね(笑)。最初のうちはそうした反応を楽しんでいたよ。でもね、結局そんなのは俺たちにとっては関係がないことなんだ。いまも普通に多くの人たちがネットを通じて音楽を発表している。俺たちはたまたまそれをちょっと大掛かりにやっただけだ。決断をした理由は単純で、当時の俺たちが置かれた状況から、当たり前の選択をしただけだよ」

この謙虚なのか大胆なのかわからない発言(笑)。そして、解説の次の言葉に大きく頷けます。

前作を03年にリリースし、レコード会社との契約が満了していた。この作品に取りかかっているとき、レディオヘッドはインディーズだったのだ。それも世界一有名で、世界一有力な。

うーん、いいですねえ。しびれる。もともとインディーズ的な何かに惹かれるわたくしですが、ロングテールの末端に巨人がいるようなイメージで、レディオヘッドに限りなく親近感を覚える。というか、応援したい。

r25_tom1.JPG

なのですが、あえて言い切ると、ぼくは「イン・レインボウズ」はあんまり好きじゃないんだな。数回聞いただけで、あとは聞かなくなってしまいました。よくわからないのだが、肌に合わない。熱狂的なファンではないので、もしかするとあまり聴かないアルバムになってしまうかもしれない。「ザ・ベンズ」はかなりのへヴィー・ローテーションなんですけどね。

と、そんなぼくはいまだにダウンロード販売で楽曲を購入したことがない時代遅れです(苦笑)。昨日も会社の帰りにCDを試聴して次の2枚を購入しました。

Surprising Twists!Surprising Twists!
ババマール


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A Little Place in the WildernessA Little Place in the Wilderness
Memphis


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一枚目は、フランスのサーフ・エレクトロ・ポップ(?)。チープな感じが楽しかったので。ちょっとTahiti80っぽいノリもあるかもしれません。埋め込み無効なので、YouTubeのリンクです。

■Babamars - "Move on (Surprising Twists)"
http://jp.youtube.com/watch?v=yJMsAZPbXnU

なんだか怪しい(笑)。2枚目は、ギターが美しいしっとりとした癒し系の音ですね。ジャケットのように霧というか霞の向こう側にある風景のような音です。

トム・ヨークのアグレッシブさに惹かれつつ、ブログなんかも書いているにも関わらず、どこか保守的でレガシーなものから逃れられない自分ですが、それでもやっぱり自分が変わりつつあると感じる今日この頃。当たり前だけど過激、ふつうだけど意外、というような尖り方に憧れます。

投稿者 birdwing 日時: 23:36 | | トラックバック

2008年1月 8日

持続すること、そして停滞の意義。

感情の起伏というのは誰にでもあるものだけれど、ぼくも時々テンション高くなったり逆にむっとしてみたり、話をしている途中で機嫌を損ねたり拗ねてみたくなったりすることがあります。

先日もとあるひとと話をしているうちに、なんとなく機嫌が悪くなった。かちーんとくることがあって、今日は話をしたくないな、と思った。けれどもそのときに相手が「やめないで話をしましょう」と言ってくれたので、しぶしぶ話をしているうちに少しずつこわばりが和らいでいきました。そして最後には心を覆っていたもやもやが消えていました。すっきり。

後で考えてみたのですが、非常にありがたいことだったな、と。やめないで話を継続してくれたひとに感謝したい、と思いました。気に入らないときに、さよなら!と断絶してしまえば、確かに気分的にはそれ以上悪くなることはないでしょう。けれども逆に、もう少し付き合っていればもっとわかりあえるはずだった関係さえも捨ててしまいます。悪くはならないが、突き抜けたよい状態にもならない。

持続させること。もし自分にとって価値のあることであれば、停滞する時期があっても長期的な視野のもとに地道に努力を続けること。やめないこと。これは大事ではないか。

ということを考えていたら、いま読んでいる原田永幸さんの「とことんやれば、必ずできる」という本にも似たようなことが書いてありました。

4761262435とことんやれば必ずできる
原田 永幸
かんき出版 2005-04-23

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原田永幸さんは、アップルコンピュータの社長からマクドナルドの社長へ、という経歴を持たれていて、要するにマックからマックへという転身が面白いのですが、非常にやわらかい言葉で真理を突くようなことを語られています。

これもまた先日読み終えた、ダイエーからマイクロソフトの社長となった樋口泰行さんにも通じるのだけれど、やはり異なった業種であっても力を発揮できるリーダーというのは、思考がやわらかく、さらに熱い。専門性を究めていると同時に、どんな領域においても原動力となるパワーを秘めている。

特に、原田永幸さんは趣味で音楽をやられている。この部分がぼくにも、おお!と共感する何かがありました。なんとドラムを叩かれていて、「最高齢のミュージシャンデビュー」の記録を作ることを夢とされているとか。いいなあ。引用してみます(P.16)。

つい最近も、新しいルーディメント(基本技術)を一つ、マスターしました。初めてトライしたときは、ろくすっぽドラムを叩くスティックを動かすこともできませんでした。動くまで練習すると、今度は、
「グルーヴ感(高揚感)がいまひとつだなぁ」
となり、さらに練習を続けます。それをずっと繰り返しているうちに、ようやくかっこいいリズムになります。一つのルーディメントをマスターするのに三日でできるものもあれば、二年かかるものもあります。しかもまだマスターしていないテクニックは山ほどあるし、すべてをマスターしたとしても、演奏中に無意識にいいタイミングでポンと出せるようになるまでには、高いハードルが待ち受けています。

けれども、この練習を持続することが、力になるんですよね。で、趣味とはいえども、とことんやる。ここまででいいか、という限界を作らない。そうすることによって成長するのではないか。

成長は直線ではなく階段状に伸びるということも書かれています。「停滞期があるからこそ急成長もある(P.80)から引用します。

「成長する」「力を伸ばす」「能力を向上させる」などという表現を使うと、その成長度合いをグラフ化した場合、直線になるようなイメージを受けます。
しかし、能力や実力といった「力」は、決して直線上には伸びません。どこかに伸び悩む停滞期があって、その後に鋭角に上昇する、つまり階段状に伸びていくのがふつうです。

したがって、停滞期にも意義がある、と説かれています(P.81)。

停滞期に必死で努力することは、大きく飛躍するためにジャンピングボードを用意しているようなもの。力が伸び悩んでいるように見えて実は、ジャンプに必要な力が着実に蓄えられていると言っていいでしょう。

つまり、そこでやめてしまうということは、着実にチャージされている力を捨ててしまうことになる。そう考えると短気は損気ですね。辛いな、しんどいな、と思うときにこそ、もう少しだけその辛さに耐えてみる。すると急速にぱぁっと視界が開けることもある。

そのためには目の前にあるものだけではなく、長期的な視野が必要になるのではないかと思うのですが、まずは夢を諦めないことが大事なのかもしれません。

もちろんずるずると続いていて何も得られるもののない何かは、さくっと捨ててしまう潔さも必要です。しかし、ほんとうに価値を見出したもの、自分がこれだけは守りたいと考えたものについては、諦めずに続けていれば、どんなカタチであれ叶わない夢はないような気もします。

投稿者 birdwing 日時: 00:00 | | トラックバック

2008年1月 4日

[日記] キャッチボールする少年。

あと数時間でトウキョウに帰る正月休みのおしまいの日。背中の痛みを堪えながら、かつては自分の部屋だった田舎の二階から、ぼくはからりと晴れた正月の空を眺めていました。そういえば10代の終わりの頃にも、こうして自分の部屋から柿と蜜柑の木々の向こうに広がる空を眺めたものだっけ。

10代のある時期、ぼくは谷川俊太郎のような詩人になりたいと真剣に考えていたような気がします。数時間も電車に揺られて、自分の住んでいる田舎よりも大きな町の書店に行って、思潮社の谷川俊太郎の分厚い詩集を購入。これです。

谷川俊太郎詩集谷川俊太郎詩集
谷川 俊太郎


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この分厚い本は10代から20代前半にかけて、ぼくのバイブルであり、何度も読んで気になった部分には紙を千切った付箋を挟んでいました。といっても熱病のようなもので、しばらくすると詩に対する想いは消えてしまったのですが。

父親になって、はたして自分は10代の頃と変わったのだろうか。精神年齢的には当時とあまり変わらないかもしれません。いや、ちょっとだけ丸くなったというか、磨耗した(疲れた?)気もする。大きく変わったとすれば、やはりいまのぼくには家族があり、ふたりの息子がいるということでしょう。これは大きい。

その日。久し振りにぼくは息子、長男くんを叱ったのでした。大声を出して。成長したとはいえ、10代になったばかりのまだまだちいさな身体を投げ飛ばして。

ぼくは長男くんと、おもちゃのボールでキャッチボールをしたり、ビニールのバットで三角ベースの真似事のようなことをして遊んでいました。

というのも前日、DSの恐竜キングばかりに夢中だった長男くんに、「バットとボールがあるから、これで遊ぼう」と声をかけてみました。だいたいそういうときには、「ええ?いいよう・・・」と言うか、最近ではこういうときだけはっきりと「やだ!」と断るのですが、なぜかこのときは彼の顔がぱっと明るくなって、「やろう!」ということになった。

スポンジ製で、硬式野球のボールを真似た縫い目があって、拳ぐらいの大きさもあるへなちょこな球ですが、そいつを投げる。ボールがボールだけにうまく投げられなくてぼてっと落ちたりして笑うのですが、しばらくするといい具合に投げ合えるようになりました。

投げながら訊いてみると、学校でソフトボールをやっているらしい。家にあったグローブは学校に持っていったとか。意外なことにソフトボールが好きで、3学期には終わってしまうのが残念とのこと。・・・知らなかった。息子と話していないもんなあ、最近。

これもまたビニール製のへなちょこバットを長男くんが構えて、ぼくが投げた球を打つ。結構打てる。というか、球が大きいから当たりやすいわけです。ぼくの田舎の家は周囲を山に囲まれていて、狭い庭のぼくの背後には山があるわけですが、ぱこーんと長男くんが力を込めて打つと山の上にボールが飛んでいってしまう。そのたびに取りにいくぼくは結構へとへとでした。

面白かったせいか、長男くんは一日中ボールを手にしていて、寝るときにも布団のところへ持っていて投げ方の練習をしていました。そして、「明日は何時からやる?はやくやりたいなあ」と、うきうきしている。

そんな長男くんが新鮮でもあったのですが、裏返すと、ぼくがいかに子供と遊んでいないかということの裏返しでもあり、ちょっと困惑でもあり。

というわけで、次の日もボールとバットで遊び始めて、前日から実家に戻ってきた妹の娘やうちの次男くん(ふたりは、なんだかいい感じ)も交えて野球もどきのことをやって遊んでいたところ。

080104

ベースがないので適当なのですが、妹の娘が打った球を取って、1累らしき場所にいておろおろしていた長男くんにタッチしてアウト!としたところ、長男くんは「アウトじゃないもん!」と言い張る。2累のベース(らしき場所)に行く前にタッチされたらアウトだよ、と言っても聞き分けがない。しゃがみ込んで不服そうにふくれている。

大人げないといえば大人げないのですが(苦笑)、ぼくも久し振りに短気が出て、「ルールを守れないなら終りだ(ぷんぷん)」と言って、マウンド(ってあるのか?)から勝手に降りて、部屋に戻って荷物の片付けなどしていました。

ところが下に降りてみると、玄関にしゃがみ込んだ長男くんが、しなだれて、しおしおと泣いている。

これもまた久し振りの長男くんの泣き姿でした。明日が待ちきれないほど楽しかった遊びなのに、辛い結果で終わってしまって、悲しかったのでしょう。気持ちはわかる。ぼくもそういうことが子供の頃には随分あった。でも、こんなことでしおしお泣いてどうするんだ、という気持ちもある。男の子でしょうが。しかも、きみは長男でもあるわけだし。

またキャッチボールやろう、と誘ってみるのですが、どうしても頑なに拒んで、二階に行ってしまいました。そんなわけでしばらく放っておいたのですが、二階に上がってみると畳んで積み上げた布団の陰に隠れて、まだしおしお泣いている。さすがに呆れて、もうこっちへ来いよ、と引き剥がそうとするのだけれど、頑なに隠れようとする。

そんなやりとりをしばらくしているうちに、かぁっとアタマに血が上って

「いつまでも、うじうじしてんじゃないっ!」

と、彼を引き摺って頭を押さえて、次には足払いをかけて畳に投げ飛ばした。

どたんばたんという音に気付いて下から奥さんが上がってきたのですが、ぼくの実家であるにも関わらず、ものすごい剣幕で怒られた。どーして暴力を奮うの!血が出てるでしょうがっ!と。そして、息子をぼくから引き離すと、ものすごい勢いで下に降りていきました。

ぽつんと取り残されたわたくし。

なんとなく結石らしき持病があり、時々背中が痛むのですが、キャッチボールをしている頃から鈍い痛みがあったものの、激情にかられて怒ったせいか、さらに痛くなってきた。いてて。そんなわけで、冒頭に書いているように、ひとりで二階の部屋で横になってしまったのでした。

080104_sora.JPG

叱ることで伸びる子供もいると思うんですよ。ただ、うちの長男くんは叱ることで萎縮してしまうタイプです。だからなるべく叱らずに、へなちょこなボールを投げても、うん、いいねえ、いまのはいい球だ、などと言って、やる気を出させるようにしていました。

とはいっても、やはりときには心配になるんだな。よく言えばやさしい子だとは思うけれど、気が弱すぎていろんなことが主張できない。ぼくの遺伝子を受け継いだせいでしょうが、もう少し強くなってほしい。

母親としては父親の暴力ばかり(暴力じゃないと思うんだけど。喝みたいなもの?)に目がいって、息子をかばう。それがぼくには愛情というよりも甘やかしているようにみえて、とても歯がゆい。ぼくだっていつも息子を投げ飛ばしているわけではないんですよ。手加減だってしているわけです。それに憎しみとか、自分の仕事の苛立ちを子供に向けているわけじゃない。苛立ちを子供に向けて解消するのだけはいけないという最低限度の意識もある。

父親は孤独だなあ。というか、男はみんな孤独なものか。

とはいえ、いずれは彼を投げ飛ばせなくなる時期も迫ってくるような気がしています。というか、ぼくが投げ飛ばされるかも。それでもぼくはまだ息子に立ち向かえるか、ということが勝負の要かもしれません。父親としての威厳でもあるな。そして、肉体的に投げ飛ばされるだけでなく、精神的に投げ飛ばされないようにしたいものだ、などと考えたのでした。

親は大変ですね。どこの家でも同じだと思うけれど。そんな辛さも、きみが父親になったときにわかるであろう。いずれ、ぼくがもういなくなった頃あたりに。

投稿者 birdwing 日時: 00:00 | | トラックバック

2008年1月 2日

リーダーの言葉から学ぶ。

20代の頃、“術”の本を読み漁ったことがありました。最近でいうとハック系の書物でしょうか。仕事のノウハウについて事細かに具体的に書かれた種類の本で、たとえば企画書の書き方であれば構成とかチャートの描き方とか技法についてマニュアル風に書かれている。いわゆる実用書のような本です

実用的な本だけに、それらの本で学んだことを実践すると短期間で成果をあげることができます。内容も構造化されているのでわかりやすいし、真似しやすい。しかしながら、長期的には通用しなくなる。つまりですね、具体的な術は環境が変化したときに陳腐化する可能性が高いと思います。環境が変わると使えなくなる。また、小手先で仕事をしていても、仕事に「凄み」は出ない。

いまでこそ言えるのですが、小手先の術を学ぶよりもテツガク(思考)を身に着けたほうがいいのかもしれません。テツガクあるいは考え方のツボのようなものを押さえると、あらゆる業態の仕事もこなせるようになる。専門的でありながら汎用的というか、要するに応用力のある「ツブシのきく」スキルになる。同種の仕事であってもフレームワークを含めた思考法を究めていくと、仕事の処理速度は格段と変わっていきます。

ただ、同時に机上の思考だけではダメで、行動できるかどうかが重要です。どんなに立派なことを述べたとしても行動が伴わなければ、やっていないのと同じ。現場から離れると、とかく安全な場所から言いたい放題の批判であったり、本を読みかじっただけの抽象的なピントの外れた発言をしがちであったりしますが、現場で起きていることについて身を持って体験すると、思考も変わってくる。

これはブログも同じかもしれませんね。まず書くこと。書かずに批判するのは、土俵の外から野次を飛ばしているようなものです。そして、書きながら考えること。考えていることは短期的には実を結ばないかもしれませんが、長期的には必ずそのひとの「身」となって結実していく。

昨年から言葉の力について考え続けているのですが、仕事に関してはリーダーや経営者の使う言葉に注目しています。別に偉くなって、えへんと威張り散らしてスタッフを管理するようなひとにはなりたくないけれど、リーダーや経営者を視野において、現在の仕事をしたいと思う。数字をこういじればこうなる・・・というような変革のノウハウではなく、その背後にある思考、リーダーや経営者のテツガクを知りたい。

そんなわけで、帰省のときから読み始めた「変人力」ですが、非常に感銘を受けつつ1月1日に読了しました。読んでいて涙が出そうになった箇所もあり、この本は熱い。

変人力―人と組織を動かす次世代型リーダーの条件変人力―人と組織を動かす次世代型リーダーの条件
樋口 泰行


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年初にふさわしい仕事のモチベーションを上げてくれる一冊でした。元気が出た。著者の樋口泰行さんは、相次ぐリストラで活力のなくなっているダイエーを再生し、現在はマイクロソフトのCOOに就かれているそうです。閉鎖する店舗のひとつひとつに自ら単身で挨拶に行ったり、就任の挨拶のために自ら全国の店長に電話をかけたり、その行動はほんとうに熱い。孤高でありながら、ひとの心を打つ力がある。

けれどもボストンコンサルティンググループに勤めていた経歴も持たれていて、背後には知力と非常に高度な思考力があります。これが凄いなあと思いました。知力×情熱というクールとホットな二面を持たれている。

こういうリーダーにわたしはなりたいものだ、と思いつつ、実は本の感想を書こうとしていたのですが、思い入れが暴走したせいか前書きが異常に長くなり収拾がつかなくなってしまったので(苦笑)、とりあえずはエントリーのひとつとしておきます。「変人力」には、何箇所もの付箋を立てました。いずれじっくりと樋口泰行さんの考え方を学びつつ、記事を書いてみたいと思っています。

ビボウロク的に書いておくのですが、その後、引き続き昨年買ったまま寝かせておいた次の本に着手し、4日に読了。

カンブリア宮殿 村上龍×経済人カンブリア宮殿 村上龍×経済人
村上 龍 テレビ東京報道局


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村上龍さんが司会の「カンブリア宮殿」というテレビ番組を書籍化したものですが、これもまた面白い。21人の経営者が登場し、聞き手である村上龍さんがその考え方を明らかにしていきます。最後に村上龍さんが、お会いした経営者ひとりひとりについて印象を語るところもいい。やはり経営はひとなんだな、と思わせるコメントに納得するものがありました。

いずれにしても、経営者というのは明るいですね。悩まない。悩むよりも問題解消に努めるようです。もちろん、悩んでいることを独白する人間味のある経営者の方もいらっしゃるのですが、あっけらかんと悩みを述べてしまうところが既に明るい。また、問題自体を楽しまれているような印象も受けます。樋口泰行さんも同じですが、あえて火中の栗を拾うような選択をして、そういうときにこそモチベーションが上がるという性格の経営者も多いようです。

正月、終わらない仕事のプレッシャーのためか休んでも気持ちの安らかではない日ばかりだったのですが、そんな自分がちょっと恥ずかしくなりました。やれやれ、ちっちゃいなー自分(苦笑)。上を見ましょう。そして凄いひとたちの考え方に学んでいきたい。

頑張りますか、2008年。趣味やプライベートはもちろん、仕事もね。

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2008年1月 1日

[日記] 星のあかり、夢、新年。

日付け変更線を越えて・・・といっても、12月31日の24時あるいは1月1日の零時の日付け変更線は年をまたいだ年度の変更線でもあるのですが(というか早い話が大晦日と元旦なわけなのだけれど)、田舎のさびれた道を近所の神社におまいりにまいったところ、暗くてまいりました(苦笑)。

31日に滑り込みで田舎に帰省したのですが、さすが田舎だ。足元を照らすのは満点の星空ばかり。数億光年の彼方から地上に降り注ぐ星の光はあまりにも弱く、田舎の道は暗すぎる。頭上を眺め続けていると、星が落ちてくる・・・というより川とか側溝に自分が落ちそうなので注意しつつ、神社にて、いちばんのりで拝んできました。

おまいりの帰りの道すがら、やはり星を眺めてしまったのだけれど、あまりの星の数に星座が判別しがたく、北斗七星はなんとなくわかったものの、ほかの星座はまったくわかりません。オリオンらしき星の集まりとか、カシオペアらしき星の並びが判るのだけれど、正解なのか不正解なのか、わからない。誰もジャッジできない。

東京生まれの息子たちにも見せようとしたのですが、感動よりも寒いとのこと。なので外に出たがりませんでした。しかも次男くんに至っては暗くて怖いらしい。家のなかでDSで「どうぶつの森」の星空を表示させて、今日はミカヅキだったの?などと言っておりました。

+++++

その後、なんとなく熟睡できずに、眠ったり目覚めたりを繰り返しながら迎えた元旦の朝。

次男くんのぷにぷにした手を握りながら寝ていたら、夢をみました。草原に左斜め上からざざざーっと木々と草が生えていき、たくさんの鳥なのか蝶なのか、というか雰囲気からするとハチドリのようなものが、ばばっといっせいに飛び立つ夢。これを初夢としたい。

正直なところ、その後2日にかけて、仕事の夢とか、電車に揺られる夢とか、なんとなく言いにくい夢(照)とか、ほろ酔い加減でいろいろな夢を見たのだけれど、どれもぱっとしなかったんですよね。

見たいように見れないのが夢であります。残念なことながら。

けれども、ふと思ったのは、目標であれば可視化できる。可視化できるばかりでなく、到達も可能です。夢は非現実的かもしれませんが、目標は現実的です。

夢を見ずに、目標を立てようと思いました。

+++++

雑感を連ねます。元旦、お屠蘇などを飲みつつ、新聞というものを久し振りに読んだのだけれど(随分前から新聞購読してません)、朝日新聞の天声人語を読んで、こりゃひどい、と思った。

天声人語といえば最上級のコラムであったはずではないですか。入試の問題などにも使われた(いまでも使われている?)コラムの名門です。しかも、元旦の天下の朝日新聞の一面ですよ?やはり朝日新聞らしい格調の高いコラムを読んで、ブログを書くときの参考にでもさせていただきますか、と姿勢を正して読んだのですが・・・。

いま手元にないので印象で語るのだけれど、ベートーヴェンの運命について書かれていて、なんとなくどこかで聞いたようなエピソードが引用された後、最後は唐突に年末ジャンボの宝くじで締めくくっている(いたと思う)。

これはないだろう(泣)。無理やりすぎませんか。なんとなく投げやりな感じもする。というか、率直なところ文章下手すぎでは?3つのテーマから論文を書きなさい、という課題が出て、とにかく適当にこじつけて課題だけ終わらせればいいや、とおざなりに完成させた学生の論文のような印象を受けました。

やはり新聞というメディアがブログやネットに押され気味のあまり、自暴自棄になってしまったのでしょうか。というよりも、ブログの面白さにはまっているうちに、読者であるぼくらのほうが「作られた」新聞のコラムに面白みを感じなくなってしまったのかもしれない。あるいは記者が朝日新聞という権威に慢心して、文章力を磨く努力を怠っているのか。

とにかく、新聞とるのやめてよかったと思いました、正直なところ。

+++++

時代は、その渦中にあるとわかりにくいけれど、少しずつ移り変わっているものではないでしょうか。

ぼくはジャーナリストでもなければ作家でもないのだけれど、ひとりのブロガーとして(アルファじゃないけどね)、技術や時代の変化と併走しながら、書くことについて考え続けていきたいと思っています。あるいは、書きながら(創作もしくは試作しながら)さまざまなことについて考えていきたい。

というわけで拙いながらも努力したいと考えている2008年が明けました。過去の反省とか総括をするのはやめようと思っています。常に未来のことを考えていたい。検索エンジンから辿っていただいて、あるいは過去から引き続き読んでいただいている方々に、感謝の気持ちを込めつつ・・・。

今年もよろしくお願いいたします。

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