« [日記] キャッチボールする少年。 | メイン | 当たり前の選択、という革新。 »
2008年1月 8日
持続すること、そして停滞の意義。
感情の起伏というのは誰にでもあるものだけれど、ぼくも時々テンション高くなったり逆にむっとしてみたり、話をしている途中で機嫌を損ねたり拗ねてみたくなったりすることがあります。
先日もとあるひとと話をしているうちに、なんとなく機嫌が悪くなった。かちーんとくることがあって、今日は話をしたくないな、と思った。けれどもそのときに相手が「やめないで話をしましょう」と言ってくれたので、しぶしぶ話をしているうちに少しずつこわばりが和らいでいきました。そして最後には心を覆っていたもやもやが消えていました。すっきり。
後で考えてみたのですが、非常にありがたいことだったな、と。やめないで話を継続してくれたひとに感謝したい、と思いました。気に入らないときに、さよなら!と断絶してしまえば、確かに気分的にはそれ以上悪くなることはないでしょう。けれども逆に、もう少し付き合っていればもっとわかりあえるはずだった関係さえも捨ててしまいます。悪くはならないが、突き抜けたよい状態にもならない。
持続させること。もし自分にとって価値のあることであれば、停滞する時期があっても長期的な視野のもとに地道に努力を続けること。やめないこと。これは大事ではないか。
ということを考えていたら、いま読んでいる原田永幸さんの「とことんやれば、必ずできる」という本にも似たようなことが書いてありました。
とことんやれば必ずできる 原田 永幸 かんき出版 2005-04-23 by G-Tools |
原田永幸さんは、アップルコンピュータの社長からマクドナルドの社長へ、という経歴を持たれていて、要するにマックからマックへという転身が面白いのですが、非常にやわらかい言葉で真理を突くようなことを語られています。
これもまた先日読み終えた、ダイエーからマイクロソフトの社長となった樋口泰行さんにも通じるのだけれど、やはり異なった業種であっても力を発揮できるリーダーというのは、思考がやわらかく、さらに熱い。専門性を究めていると同時に、どんな領域においても原動力となるパワーを秘めている。
特に、原田永幸さんは趣味で音楽をやられている。この部分がぼくにも、おお!と共感する何かがありました。なんとドラムを叩かれていて、「最高齢のミュージシャンデビュー」の記録を作ることを夢とされているとか。いいなあ。引用してみます(P.16)。
つい最近も、新しいルーディメント(基本技術)を一つ、マスターしました。初めてトライしたときは、ろくすっぽドラムを叩くスティックを動かすこともできませんでした。動くまで練習すると、今度は、 「グルーヴ感(高揚感)がいまひとつだなぁ」 となり、さらに練習を続けます。それをずっと繰り返しているうちに、ようやくかっこいいリズムになります。一つのルーディメントをマスターするのに三日でできるものもあれば、二年かかるものもあります。しかもまだマスターしていないテクニックは山ほどあるし、すべてをマスターしたとしても、演奏中に無意識にいいタイミングでポンと出せるようになるまでには、高いハードルが待ち受けています。
けれども、この練習を持続することが、力になるんですよね。で、趣味とはいえども、とことんやる。ここまででいいか、という限界を作らない。そうすることによって成長するのではないか。
成長は直線ではなく階段状に伸びるということも書かれています。「停滞期があるからこそ急成長もある(P.80)から引用します。
「成長する」「力を伸ばす」「能力を向上させる」などという表現を使うと、その成長度合いをグラフ化した場合、直線になるようなイメージを受けます。 しかし、能力や実力といった「力」は、決して直線上には伸びません。どこかに伸び悩む停滞期があって、その後に鋭角に上昇する、つまり階段状に伸びていくのがふつうです。
したがって、停滞期にも意義がある、と説かれています(P.81)。
停滞期に必死で努力することは、大きく飛躍するためにジャンピングボードを用意しているようなもの。力が伸び悩んでいるように見えて実は、ジャンプに必要な力が着実に蓄えられていると言っていいでしょう。
つまり、そこでやめてしまうということは、着実にチャージされている力を捨ててしまうことになる。そう考えると短気は損気ですね。辛いな、しんどいな、と思うときにこそ、もう少しだけその辛さに耐えてみる。すると急速にぱぁっと視界が開けることもある。
そのためには目の前にあるものだけではなく、長期的な視野が必要になるのではないかと思うのですが、まずは夢を諦めないことが大事なのかもしれません。
もちろんずるずると続いていて何も得られるもののない何かは、さくっと捨ててしまう潔さも必要です。しかし、ほんとうに価値を見出したもの、自分がこれだけは守りたいと考えたものについては、諦めずに続けていれば、どんなカタチであれ叶わない夢はないような気もします。
投稿者 birdwing : 2008年1月 8日 00:00
« [日記] キャッチボールする少年。 | メイン | 当たり前の選択、という革新。 »
トラックバック
このエントリーのトラックバックURL:
http://birdwing.sakura.ne.jp/mt/mt-tb.cgi/115