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2014年11月30日
11月の最後の夜
紅葉の季節になりました。SNSのタイムラインを流れてくる各地の美しい風景に癒やされます。パソコンにかじりついていないで、外を歩くと気持ちいい。燃えるような真紅のもみじもきれいですが、黄金の塔のような銀杏も素敵です。銀杏並木のある歩道をゆっくり散策してみたい。
家の近所にある公園の銀杏も色づき、木々の下にある地面は金色の絨毯のようでした。桜にしても、雪にしても、紅葉にしても、ふだんと街の彩りを変えてくれるので楽しい。四季の変化を楽しめる日本に住んでいることは、ありがたいとおもいます。であれば、そのありがたい変化をひとつひとつ丁寧に存分に楽しみたいものです。
本日は11月の最後の日。30日です。もう11月も終わりか、とおもうと感慨より焦る。明日から12月じゃないですか。当たり前ですけど。もう2014年も終わります。なんてことだ。
話は変わりますが、社会人になってから、大学時代の先輩とバンドを組んでいたことがありました。その先輩の作った曲に「11月の最後の夜」という歌があります。
とても好きな曲でした。自分なりにギターで弾いていたのですが、今年の2月頃だったか先輩たちと酒を呑んだときに「今度、録画してYouTubeにのせていいっすか」と聞いたところ、承諾をいただきました。
承諾をいただいたものの、なかなかうまく弾けず歌えず録画できずに放置状態。まあ、11月の最後の夜に公開すればいいか、とおもっていたのだけれど何度やってもうまく録画できず、ほんとうに11月の最後の日に録画できました。ふー間に合った。
YouTubeで公開した曲を、ブログでもご紹介します。
弾き語り「11月の最後の夜」です。
■11月の最後の夜
先輩の書いた歌詞です。
(漢字や仮名は勝手に文字化しました。違っていたら連絡ください)
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11月の最後の夜
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吉田光 作詞・作曲
11月の最後の夜に きみの消息を僕は聞く
窓の外見上げる暗やみに 星が流れていくのが見えた
仲間たちもひとりふたり消え 小さなパーティも終わり
ふざけ過ぎたあの頃のことを僕はひとりで想い出している
苛立ちの中できみを求め
それにも気付かず 強がっていた
5年 10年 過ぎたけれど
きみを想えば胸が痛い
だけど・・・
襟のほころびかけたセーター 見知らぬ山に捨てに行った
水を切って飛び立つ鳥たち 冬が来るのをじっと待っている
11月の最後の夜は 過ぎた季節の
ドアを締めてく
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実は「僕はひとりで想い出している」のところで、メロディを間違えてしまいました。歌詞を間違えることはあるのですが、まさかメロディを間違えるとはおもいませんでしたね。しかし、ものすごいテイクを重ねて、これ以上気力がもたなかったので、これでよしとしちゃいました。
歌いながら「窓の外見上げる暗やみに」は「窓の外見上げた暗やみに」ではないか、とか、「きみを想えば胸が痛い」は「きみを想えば胸が痛む」じゃないかとか、言葉の末尾の些末なことにこだわってしまい、うーむとか悩んでしまった(苦笑)「そんなこたー、どーでもいいんだよ。とのちゃん(ぽんぽん。肩を叩く)」という先輩が想い浮かびましたが(笑)
技術的な面では、5年ぐらい前のFinePixでVGA(640×480)で撮影して、Core i3プロセッサのWindows7マシンでAdobe Premiere Pro CC 2014で動画編集、動画編集中にAdobe Audition CC 2014 を立ちあげて音声編集をしています。
とにかくFinePixはノイズがひどい。しかもマシンが非力なせいか写真と合成したり映像を切り替えるエフェクトをかけたら、3回もPremiere が落ちた。さらに、エクスポートしたファイルも聴いてみたら、途中でステレオの左チャチャンネルの音が消えたりしている。機材が限界ですかね。そろそろ、いいマシンが欲しいなあ。
だいたいVAIOノートを使っていたときには、FireWire(IEEE1394)端子が付いていたので、ビデオから取り込むことが簡単でしたが、いまのマシンには付いていない。さらに、MacBook Air の端子はもはや Thunderbolt じゃないですか。変換ケーブルもあるようですが、どうしたものか。
などとおもいつつ、もしかしてスマホで録画した方が画質いいんじゃないの?とふと考え確認してみたところ、なんとインカメラでもFullHD(1920×1080)で動画の録画ができる。びっくりしました。おそるべしスマホ。今度はスマホで撮ってみようとおもいました。どこまで可能なのかわかりませんが。
欲をいえば、SONYのMUSIC VIDEO RECORER が欲しい。ただ、この機材で気になるのは、なぜ液晶が横向きに付いてるかな、ということです。液晶部分が90度折れ曲がって、こっちを向くようになれば自分の演奏を録画するときに便利なのに。
SONY ミュージックビデオレコーダー MV1 HDR-MV1
実はツイキャスやUstでライブ配信もできないかと考えています。あと、10曲きちんと演奏できるようになったら、どこかストリートで演奏してみたいという野望も抱いています。小田急線の新百合ヶ丘とか。さすがに渋谷ではムリな気がするので、ひっそり警官さんにも捕まらないようにしながら路上で自作曲を弾き語りするのが夢です。
それがムリなら公園で演奏ですね。理想はスナフキンです(笑)小川の前で釣り糸を垂らして、テントをはって、ギター弾いているような厭世的な、なにものかになりたい。
社会人バンドをやっていた頃の3人編成による「11月の最後の夜」の演奏は以下になります。といっても、スタジオで練習した演奏を試しに録音したものではありますが。
■11月の最後の夜/Cranberry Sauce
いまでも忘れられないのは、吉祥寺のライブハウスで演奏したとき、この曲の演奏を聴いて泣いている観客の方が何人かいたこと。
たぶん先輩関係で来場いただいた方だとおもうのですが、自分たちの音楽を聴いて泣く人がいるなんて想像もしなかったので、ベースを弾きながらたじろいちゃいました。とにかくぼくは演奏も何もかもアマチュアだったもので、えっ!?ぼくらの演奏で泣いちゃうわけ?みたいな驚きと、やっぱり先輩のが楽曲は凄いもんだと感動してしまった。というぼくも、この曲を練習しながら何度か泣きました。
古い曲を大切にいつまでも弾くことは、素敵じゃないか、とおもっています。ロディ・フレイム(アズテック・カメラ)もいまだにライブで、ネオアコの伝説的なアルバムから「Oblivious」を演奏していますね!なんだかうれしい。
High Land Hard Rain Aztec Camera Domino 2014-02-03 by G-Tools |
もちろん新しい曲を作る創作意欲も大切ですが、古い曲を演奏するといっても実は一回一回の演奏にはコンディションやノリが違う。そして、このコードはこうしてみたらどうだろう?というアレンジの可能性がある。リフみたいのを入れてみようか、などと考えたりする。つまり同じ作品であっても完成形はないわけで、いつまでも新しい作品として創造的に作り変えることができるわけです。だから、世の中には数え切れないカヴァーバージョンがあるわけで。
先輩から「1日に1回は楽器を触る時間を作るといいよ」と言われたので、愚直なまでに実行しています(笑)といっても、ほんとうに触るだけとか、磨くだけの日もありますが。
「11月の最後の夜」、おじいさんになっても弾き続けたい。あと何度ぐらい、11月の最後の夜を迎えるのでしょうか。そして、ぼくらは数え切れないぐらいの11月の最後の夜を過ごしてきたものだ、と感慨に耽ってみたりしています。
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■追記
うわー。アップロードして、バンドの演奏を聴いて気が付いたのですが、歌詞がごそっと抜けてましたね(汗)いちばんいい次の部分が抜けてました。
電飾が消された遊園地 はるか昔の恐竜の群れ
きみを乗せた電車はぼくから ずっと離れて二度と見えない
先輩、すみませんでした。
やれやれ。歌詞カード作らないで歌っちゃったもので・・・。
まあ、来年の11月の最後の夜に完璧版を作りますよ。
とほほ。
投稿者 birdwing : 2014年11月30日 20:48
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