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2008年1月20日

表現するひとのために。

「新風舎出てるよ」と奥さんに呼ばれたのでテレビのところに行ってみると、ちょうどニュースで自費出版大手の新風舎が倒産したという記者会見が行われているところでした。

新風舎

久し振りにみた松崎くんは引き締った顔をしていて(そりゃ当然だろう)、ぼくにはどこか凛としてみえた。以前よりも痩せたのではないだろうか。健康そうだからちょっと安心したけれど。

と、なれなれしく呼んで大変失礼かと思うのだけれど、実はぼくは高校のときに新風舎の社長である松崎義行くんと知り合い、まだ会社ではなく同人誌で運営されていた新風舎に参加していた時期もあったのでした。それほど仲がよかったわけではなかったけれど、彼がマガジンハウスの「鳩よ!」という雑誌で連載を持っていたこととか、あるいはビジネス系雑誌で取り上げられていたことなどを遠くから眺めて、眩しく思っていた時期があります。

と、ここでおじさんはまた過去に思いを飛ばすのですが・・・(最近ノスタルジーばかり)。

研数学館に通う予備校生として上京後、まともに受験勉強していたのも束の間、勉強もせずに余計なことばかり考えていたようなわたくし(苦笑)は、松崎くんの家に泊まって、詩とか映画がどうあるべきかの話をしたこともありました(全部話した内容は忘れたけど)。大林宣彦監督の映画を教えてもらったのも彼からだったし、「ベルリン天使の歌」などの映画も観にいった気がする。ねじめ正一さんがU2のレコードをバックに詩を朗読する、という困惑するような新風舎のイベントに参加したこともあったし、TILLという同人誌に参加していたこともあります。新風舎の倒産報道を視聴しながら、そんな過去のさまざまなことを思い出したんですよね。

ところで、そもそも若かりし頃のぼくが詩に関心を持ったのは、非常に不純な動機だったと思います。要するに、小遣いがほしかった、という。

旺文社から出ていたVコースという雑誌に詩の投稿を募集しているコーナーがあり、そこで入選するといくらかの図書券がもらえることを知り、応募したのが詩を書き始めた最初でした。選者はかなり有名な詩人の方でした(誰だったか忘れた)。図書券もらえるならやってみるかー、ということで投稿をはじめたのだけれど、なかなか入選しない。ところが、毎回のように入選しているとんでもないひとがいる。それが松崎義行というひとでした。

こいつは何ものだ?と思っていたのですが、ある日、文通欄(苦笑)のようなところに、文芸の同人誌をやりませんか、のような松崎くんからの告知がありました。そこで早速手紙を出して、松崎くんとの交流がはじまったわけです。まだインターネットもない時代で、田舎もののぼくは東京の見ず知らずのひとに電話する勇気もなかったので(ついでに携帯電話もない時代だったので)、毎月文通のようなやりとりでした。

ちなみにVコースの詩のコーナーにはいつも掲載される常連が他にもいて、ぼくは上京してからもうひとりの常連さんと電話で話したことがあります。ものすごく硬派なブンガク系のひとで、「きみの詩はいい。きみは詩を書き続けるべきだ!」と激励されました。腰砕けなわたくしは「いやあ・・・もう詩はやめちゃおうと思うんですけど、だめですかー」のような脱力した回答をして、彼を黙らせてしまったような気がします。

ところで、高校のときには新風舎は同人誌なので会費を徴収して運営していたのですが、その方針あるいはスタイルが加速して、現在の新風舎の問題にもなっていったような気がします。自費出版のビジネスモデルで儲けるために、本を出したいひとを騙して、お金を毟り取る営業スタイルが問題になっていました。詐欺商法のようなことで訴えられていたりしたようです。「メディア・「新風舎」にだまされた 自費出版の巧妙手口」のような記事に詳しく書かれています。

訴えるひとたちの気持ちもわからないではないですね。というか、ぼくもかつては、同人誌はもちろん商業誌に自分の作品や名前が載ることで(あるいは載らないことで)一喜一憂したものでした。名前が載ったときには、妄想が膨らんで困ったものだ。少年の頃に限らず、数年前にも企画のコンテストに応募して連続入賞して、ちょっとした小遣いを荒稼ぎなどしていたのだから困ったものです。変わらんなー、10代の頃から(苦笑)。でも、自分の筆の力で金を稼ぐという、傭兵的な何かが結構気持ちよかったんですよね。フリーライターの方はみんなそうかもしれませんが。

そうして自分の名前が載ったり好きなことでお金を稼ぐだけではなく、できれば自分の本を出したいという想いはありました。本を作るだけでなく、書店に並べたい。ベストセラーになるといいなーと。先日、仕事でとあるベストセラー作家のインタビュー取材に同行したのですが、ものすごい豪邸でびっくりした。圧倒されたのだけれど、やはりかすかに羨望だけでなく嫉妬もある。そんな欲があるのは、ふつうじゃないですかね。

新風舎の詐欺問題に関していえば、知人もしくは友人だから擁護するわけではないのだけれど、自費出版に過剰に夢を抱きがちなアマチュアにも問題があるのではないか、とあえて言いたいと思います。というのは、ですね。もし本気で作家になりたいと思うのであれば、自費出版とかその程度で甘んじていてはいけない。自費出版は最後の手段でしょう。

本気で本を出したいのなら、次のようなことを考え、行動すべきではないか、と。

①メジャーな文学賞の傾向を研究し、挑戦し、入賞する。
②徹底的にコネクションを作って、出版社に個人で売り込みをかける。
③稼ぎまくって出版費用を貯めて、本の出し方がわかるひとに委託する。
④印刷から流通まで自力で学んで安価に発行して、自分で売りさばく。
⑤諦める。

つまりですね、自分では勉強もしない、調べもしないし努力もしないで、パッケージ化された他力本願による自費出版という安易な道を選びながら、夢を買うのが高いとか詐欺だとか叫ぶ表現者はどうかと思う。ぼくの私見では、そういうことだけに拘ったり熱くなるひとは、表現者としては三流ですね。そんなことを声高に叫んでいる暇があるのなら、一文でも書け、あるいは売り込みに出ろ、と言いたい。熱意の向けどころが違うんじゃないか。

音楽だってそうじゃないですか。プロとしてデビューするためには、音楽が大好き!という気持ちだけでは通用しない。運もあるだろうし、努力も必要です。才能は大事だし、政治的な力だって求められる。最終的には自分の力だろ、という気もします。こんなにお金をかけたのにうまくいかなかった、詐欺だ、というひとに対しては、お金をかけなきゃいいじゃん、とシンプルに思う。夢にかけた費用に唾を吐く人間は、夢を追う資格がないんじゃないですか。もちろんその夢につけこむ詐欺も問題だと思いますけど。

純粋に表現したいのであれば、いまの世のなか、ブログがあるじゃないですか。印刷物に、本に拘る理由はいったい何でしょう。金儲けをしたいのであれば夢で儲けなくても仕事を探せばいいと思うし、名声がほしいのであれば自費出版なんかやってるんじゃないと言いたい。自費出版で名声が得られるわけがないでしょうが。本を作っちゃいましたと知り合いに自慢したい欲求を満たすことはできても、その本を買うかどうかは読者の問題です。流通したかどうかの問題ではないような気がする。

ぼくは利用者・消費者も、もっと賢くなるべきだと思います。ネットに関するあれこれにも言えるのかもしれないけれど、たとえばセキュリティにおいても自衛のスキルが必要になるのではないか。プロバイダが、ソフトメーカーが不備だったと責めるのも妥当ですが、自分自身も防御の力をつける必要がある。

一方で別の視点からは、自費出版が低迷しはじめたのは、やはりブログなどの個メディアによって、ネットで簡単に表現ができるようになったこともある。本を出すことが偉いという信奉者は多いのだけれど、そうではない表現者も増えてきているのではないでしょうか。いまだにアクセス数や発行部数に拘るひとが大多数だと思いますが、ぼくなんかは最近、そうした呪縛から離れつつあります。そして、離れてみると、ものすごく幸せだったりします。

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16日に、茨木のり子さんの「倚りかからず」という詩集を読み終えました。

4480423230倚りかからず (ちくま文庫 い 32-2)
茨木 のり子
筑摩書房 2007-04

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詩集は、他の本とは読んでいる時間の密度が違う気がしました。文字が少ないからすぐに読み終えるのだけれど、そんな速読が通用しないのが詩集ではないか、と。ゆっくり読むのがふさわしい。ご飯をよく噛んで食べるように、詩集は言葉の味を愉しみながら読むものでしょう。

それにしても、見栄とか体裁とか、勝ちとか負けとか、名声とか数字とか。そんなものに「椅りかからず」に生きていきたいものですね。

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数年前、外苑前の洋食屋さんで松崎くんと昼ごはんを食べたことがありました。ものすごい久し振りに会った彼は、「社長よりも詩人でいたい。表現者でいたい」というようなことをぽつんと言っていたことを思い出しました。きっと会社が大きくなるにつれて、いろんなひとが集まり、いろんな思惑に動かされ、自分のやりたいことが見えなくなったのかもしれない。

谷川俊太郎さんとも交流があった彼は、「ワッハワッハハイのぼうけん」という本を新風舎で復刻させたのだけれど、8歳のときにこの本を読んで出版社を作ろうと思った、というような松崎くんのメッセージのハガキがこの本には挿入されていたような気がします。熱風書房(新風舎の直営書店)で購入して、ぼくは長男くんに読ませたところ、すごい気に入ってくれた。長男くんの描くへたっぴな絵は、この本の和田誠さんの挿絵にちょっと似ている。

4797477423ワッハワッハハイのぼうけん
谷川 俊太郎
新風舎 2005-08

by G-Tools

新風舎に騙された、詐欺にあった、と訴えるのもいいでしょう。しかし、憤って新風舎を吊るしあげる表現者たちは、いったい他人にどれだけの影響を与えたのか。誰かの人生を変えるほどの衝撃を与えたことがあったのか。

ぼくは松崎くんには書き続けてほしいと思います。失敗は、失敗だと思うから失敗であって、成功への途上であると考えれば失敗ではない、と誰かが書いていました。というよりも、会社以外のところに、松崎くんのやりたかったことがあったのではないか。だから会社を失ったとしても、彼のやりたいことはまだ残っているんじゃないか、と思っています。

頑張ってね、松崎くん。
いまは逆風かもしれないけれども、新しい風が吹きますように。

投稿者 birdwing : 2008年1月20日 00:00

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