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2008年8月 1日

夏のはじまり、ブログのはじまり。

夏が廻ってくるたびに思うのだけれど、いったい学生時代のぼくは夏休みという長い退屈をどうやって埋めていたのだろう。アルバイトで働いているか、寝てるか(公園や砂浜や図書館を含めて)、歩いているか、そのいずれかだったような気がします。しあわせなことにぼくの田舎は海辺にあり、帰省すればリゾートのように過ごすことができました。しかしながら、夏休みの間にとてつなく楽しいことがあったような覚えがない。

大学に入学したばかりの頃にはサークルをかけ持ちしていたので、夏といえば結構忙しかった気がします。ゼミのあった頃にはゼミ合宿などで、やはり忙しかった。とはいえ仕事に拘束される現在より自由だったはずであり、永遠に近いぐらいの長い時間があったはず。うーん、何をやっていたんだろう。

ぼくのいちばん好きな詩人である谷川俊太郎さんの「二十億光年の孤独」という詩集に、「ネロ――愛された小さな犬に」という詩があります。先日、あらためて集英社の文庫を買って、ぱらぱらとめくっています。

4087462684二十億光年の孤独 (集英社文庫 た 18-9) (集英社文庫 た 18-9)
川村 和夫 W.I.エリオット
集英社 2008-02-20

by G-Tools

この詩は18歳の「僕」が死んでしまった小犬のことを思い出して夏を過ごす、という詩です。後半部分を集英社文庫から引用します。

新しい夏がやってくる
そして新しいいろいろのことを僕は知ってゆく
美しいこと みにくいこと 僕を元気づけてくれるようなこと 僕をかなしくするようなこと
そして僕は質問する
いったい何だろう
いったい何故だろう
いったいどうするべきなのだろうと

ネロ
おまえは死んだ
誰にも知れないようにひとりで遠くへ行って
お前の声
お前の感触
お前の気持ちまでもが
今はっきりと僕の前によみがえる
しかしネロ
もうじき又夏がやってくる
新しい無限に広い夏がやってくる
そして
僕はやっぱり歩いていくだろう
新しい夏をむかえ 秋をむかえ 冬をむかえ
春をむかえ 更に新しい夏を期待して
すべての新しいことを知るために
そして
すべての僕の質問に自ら答えるために

文庫では英詩にも翻訳されているので引用します。

A new summer's on its way
bringing lots of different things,
the beautiful, the ugly,
encouraging things, despairing things.
And I ask myself,
what are all these things,
what's broughe them on,
what can I do with them?

Nero!
You died.
You went alone where no one could follow.
Your voice,
Your touch,
Your feelings, even -
It all comes back so clearly.
But Nero!
Summer's almost here again -
a new summer, immeasurably vast!
And
I'll keep on going as usual,
moving through a new summer, autumn, winter,
and spring, expecting still another new summer,
learning to know all things new,
and
answering all my own questions.

死んでしまった小犬は「二回程」の夏のなかで生きることしかできない。そして、小犬と過ごした夏の記憶は追加されることがなく、何度も繰り返されるだけです。ところが、18歳のぼくには新しい夏が廻ってくる。立ち止まることはできません。やっぱり「歩いていく」しかない。

もちろん解釈を変えることによって、いくつもの新しい記憶を生成することはできるかもしれないですね。でも、それは現実に生きている「僕」が変化するからこそ生まれる新しい記憶です。記憶そのものには永遠があるけれど現実はない。

ぼくもまた歩いていこうと思います。

残念ながらぼくは小犬を飼ったことはありませんが(ほんとうは飼いたい)、ネロという比喩で象徴された過去といっしょに歩いていきたい。ときには懐かしく思い出したり、ときには励まされたり元気づけてもらったりしながら。

ところで、レンタルサーバーの請求書を処理してあらためて思ったのですが、この場所でブログをはじめたのが去年の8月1日。MovableTypeで自分独自のブログを構築して苦労しながら書きつづけて、やっと1年になります。

それ以前にも何度かブログを書いたり消したりしていて、そんな過去の遺産を統合したため膨大なエントリ数になりました。思えば2007年の8月以前は、はてなというところでいろんなことを書き散らしてきたっけ。書きたい放題のことを垂れ流していた時期もあれば、無駄に攻撃的な時期もあったと記憶しています。でも、楽しかった。

とある方からブログ開設1周年のメッセージをいただいたのですが、確かに去年の8月のエントリと比べると、ずいぶん文章が変わっていますね。感覚的になっていると思う。というよりも、去年は無駄に力が入っていたので、文章もごりごりするような理論で押していました。いまはなんとなくやわらかい。

この変化がぼくは気に入っています。というのは記録されたテキストのエントリー(情報)は変わらないけれど、現実のぼくは変わっていくからです。もちろん変わらないところもあります。ただ、変化するからこそ現実であって、変化の差分を確かめられるという意味でもブログという記録が残っているのはいい。

かつてのエントリをネロ=過去に死んだ小さな犬と見做して、ぼくもまたネロ(=過去のエントリ)に質問し、答えていきたいと思います。ぼくはやっぱり歩いていくだろう。新しい夏をむかえ、秋をむかえ、冬をむかえ、春をむかえ、さらに新しい夏を期待して、すべての新しいことを知るために。そして、すべてのぼくの質問に自ら答えるために。

ブログ開設1周年を祝いつつ、また新しい気持ちで書き始めるつもりです。拙いブログですが、よろしくお願いいたいます。

+++++

ブログ構築1周年を祝う、PCの前のちいさなものたち。わーい。

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投稿者 birdwing : 2008年8月 1日 23:59

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