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2007年11月26日
「進化しすぎた脳」池谷 裕二
▼人間味にあふれる文体、新しい科学のスタイル。
進化しすぎた脳 (ブル-バックス) 池谷 裕二 講談社 2007-01-19 by G-Tools |
「進化しすぎた脳」は主として脳の海馬について研究されている池谷裕二さんが、中高生と脳の働きについて縦横無尽に語る本です。シナプスの働きのような生物学な分野から、心とは何か、意識とは何か、という哲学的な分野、なぜ脳を研究するのかという科学者の社会的意義まで、内容はとても幅広い。
あまりにも長いこと読んでいたので(苦笑)、前半はまったく忘れてしまったのですが、まず内容とまったく関係なく、この文体はいいな、と思いました。親しみやすい。というのは、中高生との対話で構成されているからなのですが、話をする口調に限りなく近い。「あはは」なんて笑いも書かれている。
えーとですね、当初からぼくはブログをそういう文体で書きたいと思っていました。だから「です」「ます」調も無視してめちゃくちゃだし、なるべく話し言葉に近い書き言葉で綴るように意識しています。古い美文至上主義のひとには怒られるかもしれないけれど、ぼくは逆にブログの新しいスタイル(=文体)を作りたい。
そこで気付いたのですが、基本的にぼくは創作的な文章を書きたいのではなく、読んでいるひとと対話したかったのではないか、と。まったく本の内容とは関係ないそんな自己分析をして、実は自分の書いたことに自分で、そうだったのか!と驚きを隠せないのですが。そうだったのか?まあいいか。
ほんとうにアタマのよいひとは難しいことをやさしく語れるひとである、とぼくは思います。そして、曖昧なことを曖昧に享受できるゆとりのあるひとだと思う。
凡人であるぼくらはときとして、どーでもいいことに拘りがちであり、曖昧なことを明確にしたがる。しかしながら、アタマのいいひとは、それやっても無駄でしょ?ということをさらりと言ってのけるものです。わかったようなふりをしたり、あっちこっちから権威的な何かを引用するひとは実はあまり頭がよろしくなくて、それはわかんないでしょ、と無知を無知として認めてしまえるひとのほうが賢い。
なので、最先端の脳科学を紹介しながら、わからないことはわからないとはっきり言う池谷裕二さんはとてもアタマがいいと思う(笑)。
そもそもどんな学問も実験室のような場所で隔離して行うようなものではないし、なぜその学問をやるのかという動機はとても個人的なものです。科学者と言われるひとだって、好きでやっていることもあるだろうけど、オレこれやって何になるのかな・・・という悩みもあるでしょう。
ぼくがこの本に親近感を覚えたのは、そんな「ゆらぎ」が感じられたからです。おれの説が絶対だ!この理論は完璧だ!おまえらはおれの言うことに従っとけ!という、いわゆる教壇の上から見下ろす俺様的な先生のスタンスではなく、きみはどう思う?というフランクな姿勢に、次の科学を担うリーダーを感じました。
「手作り感覚こそが科学の醍醐味(P.334)」という章もあるのですが、なにか絶対的な科学の答えがあって、それを解明することが科学の使命であれば、ぼくら人間はその大きなものに従うだけのちっぽけな存在にすぎないような気がします。しかしながら、この本を読んで痛感したのは、個々人が科学を作り上げていくんだという感覚が大事で、だからこそ科学に関わることの意義も感じられるということです。やっぱり歯車はいやでしょ、たとえ科学者であっても。
歴史は変えられる、真理は改められる、という感覚は、ちょっと怖い気もするのだけれど、先がみえない感じがいいと思うんですよね。だいたい会社でも、過去の実績にこだわりすぎることがある。数年前に作った企画書のページを持ってきて、これ使うべきだなんて主張するひとがいる。時代が変わっているのに、まだ権威が通用していると思っていると、そんな硬直したアタマこそが進歩発展のお荷物になっていく。
と、本の内容に関わっているんだか外しているんだかまったくわからないことを書いていますが(苦笑)、報酬系とか、「あいまい」だからこそ役に立つという視点だとか、知識というより考え方に惹かれるキーワードがたくさんありました。
ただ、やはりぼくはその知識のひとつひとつを拾うのではなく、全体として、この本から元気をもらった、ということを感想として書いておくことにします。そういう読み方もあっていいんじゃないでしょうか。
おまえは池谷裕二の何を読んでいるのだ、と言われたらそれまでですが、ぼく科学者じゃないし、文系だし(笑)。しかし、科学者ではないのだけれど、ぼくとはまったく違う世界で脳について研究している新しい科学者のスタイルに刺激を受けたし、尊敬するなあと思った。喝采を贈りたいですね。
ところで、ぼくの父は脳の血管が破裂して半身不随になり、シャントという管で脳のなかに溜まった血を外に排出する手術をしたものの、リハビリの時期を待つこともなく亡くなりました。医師に呼び出されて脳のレントゲンの説明を受けているとき、ぼくは目の前の脳の写真を見ていたのだけれど、まったく見れていなかった。医師の言葉も聞こえているようで、まったく聞いていなかった。
先日、父の七回忌を済ませました。脳科学の本を読むとき、ぼくは少しだけ亡くなった父のことを思い出します。教師であり、頑固な父でした。
老いていくことはどうしようもないのかもしれないけれど、脳の手術であるとかアルツハイマーに関する研究がすすめば、もう少しだけぼくらは大切な誰かと、かけがえのない時間を過ごすことができるようになると思います。だから、期待しています。これから脳科学を研究する科学者のみなさんに。
投稿者 birdwing : 2007年11月26日 23:36
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