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2010年1月22日
Little DJ 小さな恋の物語
▼cinema10-05:死が生の原動力を与えてくれることも。
Little DJ 小さな恋の物語 [DVD] アミューズソフトエンタテインメント 2008-04-25 by G-Tools |
確か12歳のときだったと記憶しているのですが、親父からソニー製のラジカセを買ってもらいました。ほんとうはマイクとミキシングができるラジカセがほしかったのだけれど、親父が買ってきたのは、ほんとうにベーシックな機能だけのシンプルなラジカセでした。子供ごころながら、すこしがっかりしたのを覚えています。それでもオールナイトニッポンなどの深夜放送を布団のなかで聴いたり、自分の声を録音して楽しんだりしたものです。
中学生になってからは、小遣いを貯めてソニー製のミキサー(MX-5)を購入。ミキサーといっても3系統だけの入力(モノラル入力・出力)なのだけれど、5,000円程度だったその機材は当時のぼくには宝物で、さらにダイナミックマイクを購入し、自分でディスクジョッキー(DJ)の真似事をして遊んでいました。
コンデンサーなどの部品を集めてオーディオ機器を自作する機械好きな友人がいて、彼の作ったトランスミッター(FM電波を飛ばす機械)で、近所に生放送をしたことも覚えています。あと、生放送だナマロクだといって、自転車にラジカセを積んで海に波の音を録りに行ったことも。
当時に買ったミキサーはいまでも大事に持っています。箱もきちんと残っています。何しろ、ぼくが音楽を趣味とする原点となったような機材ですから。
そんなディスクジョッキー好きの過去があったため、「Little DJ」というタイトルに惹かれました。どうやら病院の院内放送のストーリーらしい。採血するときの注射針をみられないほど病院は苦手です。どうしようか半分は迷いつつ、それでもDJの誘惑に負けて借りてきました。
物語は、とあるFM局のディレクターである海乃たまき(大人の役は広末涼子さん)が、番組を打ち切られてしょげるシーンからはじまります。彼女の担当しているのは深夜3時の番組で、リクエストが一通も来ない。けれども、彼女がその仕事に就いたのは、ひとりの少年の忘れられない思い出があったからでした。そして、その少年、高野太郎(神木隆之介くん)の回想シーンに入っていきます。
野球の試合中に倒れてから調子を崩して入院した太郎は、退屈な入院生活をもてあまして、大先生(原田芳雄さん)の部屋に忍び込みます。定期的に院内放送を流しているその部屋には、壁一面にレコードがあり、オープンリールのデッキなどオーディオ機器が揃っている。思わずサウンド・エクスプレスのDJ尾崎誠(小林克也さん!)の真似をして、曲をかけながらマイクに向かって話しかける。と、それを大先生にみつかって、院内放送でDJをやってみないか、と話を持ちかけられます。いつもはレコードを流すだけの放送に、太郎の喋りを加える。
ええと、ワタクシゴトばかりで恥ずかしいのだけれど、実はぼくも少年の頃、自宅でミキサーを使って遊ぶだけではつまらなくなって、学校の放送委員になり、昼の放送をディスクジョッキースタイルにがらりと変えてしまったことがありました。保健室のかわいい先生から、「BWくん、大きくなったらDJになりなよ!ぜったいなりなよ」と言われて、照れたことがあったなあ(遠い目)。
大先生の部屋で、最初に神木隆之介くんが再生した音楽はシュガー・ベイブの「SHOW」 。思わず、にやりでした。まいりました。いい曲だ。
SONGS 30th Anniversary Edition シュガー・ベイブ ソニーレコード 2005-12-07 by G-Tools |
その後、何回かDJのシーンがあるのですが、TULIPの「ブルー・スカイ」がかかったことにも感動。この曲、親父がFM番組からカセットに録音して、ドライブのときによく聴いていたテープに入っていました。当時はコード進行などわからなかったのですが、かなしみと嬉しさが交互にあらわれてくる感じでいいなあと、この曲がかかるのを待ち望んでいました。映画の場面で「チューリップ・ガーデン」という2枚組みのレコードが大先生の部屋にありましたが、ぼくもこのレコード持っています。これ、ほんとうに擦り切れるほど聴いたっけ。
TULIPの「ブルースカイ」はこんな曲です。いまでも青空の写真をよく撮りますが、空を好むようになったのは、この曲がきっかけだったかもしれない。
チューリップ・ガーデン チューリップ EMIミュージック・ジャパン 2000-12-06 by G-Tools |
音楽はもちろん、随所に70年代的なノスタルジックな小物が登場します。太郎の父親(石黒賢さん)が乗っているクルマは赤のスカイライン。丸いテールランプが懐かしかった。うちの父親のクルマもスカイラインでした。
と、物語の筋には関係のない共感ばかりを書き綴ってしまいましたが、太郎のDJによって、退屈な入院生活がはなやいできます。同じぐらいの年齢の友達もできる。個室から大部屋に移ってからは、大人たちとの交流も生まれます。一風変わったひとたちばかりだけれど、みんなあったかい。
太郎の父親は、彼にクィーンのアルバムを買ってくるのですが、ノートを覗き見していたため、太郎は怒ってレコードを投げ捨ててしまう。同室で入院している結城(光石研さん)の息子周平(賀来賢人さん)は「そんな風にレコードを扱っちゃだめだ」と諭します。
周平もまた父にそのレコードを買ってもらい、そんなの好きじゃないよ、と突っぱねていた。ぼくも、せっかく父から買ってもらったラジカセをミキサーがついていないなど贅沢な不満を感じたことがありました。いま息子たちにたまに変わった玩具を買って帰ると叱られます(苦笑)。父と息子の両側面から、わかるなあ・・・と思った場面でした。
そして、交通事故で入院し、太郎が"ミイラ"とあだ名をつけた海乃たまき(少女時代は、福田麻由子さん)との淡いレンアイ。オリオンの下にある星がみえると願いをかけられるとか、いっしょに深夜、ベッドのなかで寄り添ってミュージック・エクスプレスの深夜放送を聴くとか(これは耐えられないとおもうなあ。中学生の少年としては。笑)、くすぐったいようなシーンが連発です。いや、でもこんなにかわいい女の子が同室で入院していたら、ぜったいに熱が出るとおもう。
無愛想でとっつきにくい、中村捨次(松重豊さん)は、太郎に20年前に好きになった女がいまでも忘れられない、いい声だった・・・のようなことを語り、太郎に、たまきはいい女になる、想いを伝えなきゃダメだ、ぜったいに放すな、と伝えて去っていきます。
いま伝えなければ、想いは永遠に伝えられない。
それはとてもよくわかります。レンアイというものは、そういうものです。機会を失うと永遠に次のチャンスはめぐってはこない。太郎は、たまきに何度も想いを伝えようとしながら、勇気がなくて伝えられません。手紙も渡せなかった。たまきと映画を観るために、太郎は病院を抜け出すのですが、その結果、冷たい雨に打たれて無理をして倒れてしまいます。渡せなかった手紙を読んで、父親(石黒賢さん)が堪えながら涙を流すシーンには、ぼろぼろ泣けました。
太郎がたまきと映画「ラストコンサート」をいっしょに観たあとで、たまきは「ステラは白血病でありながらずっと隠し通して、残された命を恋にかけた。できる?そんなこと」というようなことを太郎に言います。無邪気な感想なのだけれど、残酷なことばです。子供の無邪気さは、ときに残酷になる。
結局、後半ぼくは号泣。久し振りに映画を観て泣きました。
できすぎた話だよね、という冷静な感想はありだとおもいます。ただ、ぼくはDJ(ただの皿回しではなく、曲と曲をうまくつなぎ合わせる技術者ではなくて)というシチュエーションや、70年代のノスタルジー、何かを伝えようとする表現者としての苦悩、函館という舞台の叙情など、そんなものを含めてこの映画に打たれました。観てよかった。
そうしてぼくが最後に強く感じたのは、残された海乃たまき(広末涼子さん)の現実に負けない、生きようとする力です。ひとりの少年の死が、彼女に生きる力を与えた。彼女は打ちひしがれた現実に負けずに、伝説のDJの存在や、かつてのようなわくわくする感動を蘇らせようとしている。ことばにならない力をこの映画から与えてもらったような気がしました。
ブログも(あるいは、ついったーのようなつぶやきも)、ぼくにとってはDJに近いのではないか、とおもうことがあります。
音声のように消えてしまうものであり、インターネットの情報の波にのまれて消滅するものであったとしても、表現することで聴いている(読んでいる)誰かをたったひとりでも生かすことができれば。とても素敵なことではないでしょうか。
■PV15(Little DJ)
■公式サイト
http://www.little-dj.com/
投稿者 birdwing : 2010年1月22日 20:25
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