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2010年1月21日

「なぜ日本人は劣化したのか」香山リカ

▼book10-02:日本の劣化に歯止めをかけるには。

4061498894なぜ日本人は劣化したか (講談社現代新書)
講談社 2007-04-19

by G-Tools

2000年以降、世界の経済情勢の変化はもちろん、日本において何かが大きく変わりつつあると感じていました。長引く不況だけが原因とは言いがたい。複雑に絡み合った不安が社会に蔓延し、ぼくらのこころの奥底に澱んでいた気がしています。それはいったい何だったのか。

2010年、過去の10年とこれからの10年を考えてみようと本を探して書店を彷徨っていたのですが、香山リカさんの著作「なぜ日本人は劣化したか」というタイトルを本棚でみつけて、わかりやすいキーワードにすこしだけ抵抗を感じつつ、ああそうか、日本人は劣化したという考え方もあるのか、とみょうに納得しました。2007年発行の本で若干古いけれど、現在でも頷ける部分があります。

雪印のような大企業の不祥事。衝動的な通り魔による殺人事件。派遣村、内定取り消しなどの雇用問題。迷走する政治。社会の歯車が噛みあわなくなった出来事に、日本はどうしちゃったんだろう、何かが緩んでしまったのではないか、と感じていました。

精神科医でもある香山リカさんは、そのような現象に、若年層の基礎体力、活字を読む力、他者のこころのうちを読み取る想像力の低下などを加えて、日本の病を「劣化」と診断し、多岐にわたって劣化の兆候を挙げています。

たとえば、電車やコンビ二の前で座り込む「ジベタリアン(死語でしょうか)」。彼ら、彼女らは、決して礼儀を失っているのではなく、そもそも「立っていられない」とのこと。おもわず失笑してしまったのですが、体力の低下が座り込む若者を輩出しているという解説に脱力しました。モラルの低下だけではないのです。

確かにそうかもしれません。耐性が衰えている。さらに驚いたのは、大学で「不可」をもらうことによって情緒不安定に陥ってしまう学生がいるということでした。学校の課外活動で先生に叱り付けられただけで、自傷にまで向かってしまう事態もあるそうです。そこまで日本人は打たれ弱くなっていたのか、と底知れない不安を感じました。あまりにも傷付きやすい。個人の甘えとしてバッシングされそうなことですが、社会的な病として原因がありそうです。

結局、生きる力自体が劣化しているのではないか、と香山リカさんは指摘します。この嘆きにも同意せざるを得ません(P.144)。

こうなるともはや、生物として生命を維持する力そのものが劣化しているのではないか、とさえ言いたくなる。ちょっとしたことで傷ついて、「もう死んだほうがいい」と考える若者が増えているのも、心が弱くなっているのではなくて、生物としての耐性が低くなっており、「死にたい」という発想がわくのは、彼らのとってはある意味で自然の反応なのではないか、とさえ思うことがある。

いくつか挙げられている劣化の現象において、ぼくがいちばん脅威に感じたのは、「排除型社会」と「寛容の劣化」でした。

米国を例に考えても、あらゆることを訴訟など法的手段に訴える社会は、徹底的に話し合い歩み寄ろうとする「寛容」の劣化だとも考えられます。その結果として、厳罰社会が待っているわけです。他者を監視し、制裁を加えることで解決を行う。あるいは銃弾で解決する。合理的な考え方の進化の結果なのかもしれませんが、思考停止の極みともいえなくない。

インターネットはもちろんあらゆるコミュニティにおいても、共感と同時に強烈な排除の意識が場を占めることがあります。空気(ルール)の読めない人間を排除していく。仲間うちだけで通じる隠語の使用もそうですが、異質なものの排除は、多様性に対する「寛容さ」の喪失ともいえます。

自由な発言の場であるはずのコミュニティが自由を縛り付ける。自由な考え方をしている人間は口を噤むことになり、もし口を開いたとすれば、総攻撃のバッシングが待っています。炎上という現象も、劣化の視点からみれば、寛容さの劣化といえる側面もあるかもしれません。

すこし話を戻すと、香山リカさんは犯罪学者でニューヨーク市立大学特別教授のジョック・ヤングが提示した「ゼロ・レトランス」という概念を引用しながら、包摂型社会から排除型社会への変化を解説しています。

ゼロ・レトランスとは、「市民道徳に反する行為を絶対に許さず、しつこい物乞いや押し売り、浮浪者、酔っ払い、娼婦を厳しく取り締まり、街中から逸脱者や無秩序を一掃すること」であり、次の6つの要素を挙げています(P.114)。

1.犯罪や逸脱にたいする寛容度の低下。
2.目的達成のために懲罰を利用し、過激な手段を用いることも辞さない。
3.礼儀や秩序、市民道徳の水準を、知られうるかぎりの過去まで戻す。
4.市民道徳に反する行為と犯罪が連続したものとみなされ、「生活の質」を維持するための規則を破ることは、重大な犯罪とつながっているとみなされる。
5.市民道徳に反する行為と犯罪は関係があり、市民道徳に反する行為を監視しておかなければ、さまざまな形で犯罪が増加すると信じられている。
6.そうした考え方を広げるために、同じテキストが何度も繰り返し言及される。それは、一九八二年に『アトランティック・マンスリー』誌に掲載され、もはや古典として知られるようになった、ウィルソンとケリングによる「割れ窓(Broken Window)」という論文である。

このゼロ・レトランスによる排除型社会の背景には、社会の衰退があるといいます。衰退の例として「失業者の増大、コミュニティの崩壊、伝統的な核家族の解体、他者への尊厳の念の喪失、社会病理の蔓延」をヤングは挙げていますが、「衰退」は「劣化」に置換できると香山リカさんは言及します。

最近、コンプライアンスも最重視されるようになりました。しかし個人的には、行き過ぎたコンプライアンスは監視社会や厳罰社会を生み、社会全体の勢いを失速させるような気がしています。法を守ることは大事です。しかし、近視眼的に目の前のことばかり注視して取り締まるのではなく、社会やビジネスの将来的な発展を考慮した上で、何を取り締まり、何を解放するかについて考える必要があるのではないでしょうか。

保守的な思考に陥ると、未来よりも過去のこと、「むかしはよかった。あの時代に戻るべきだ」という嘆息も出てくるもの。ヤングのことばで「衰退と欠乏が問題にされると、そこにはいつもノスタルジーが続く」という指摘が強調されています(P.118 )。

社会民主主義者から保守主義者までが「ほのぼのとした家族や職場、地域共同体の思い出に浸」り、"かつての価値"を復権させようと目論んでいる。狭量で不寛容な排除型社会の裏には、このノスタルジーというやっかいな怪物が潜んでいる可能性があることを、ヤングは鋭く指摘している。

確かに日本にも昭和懐古などの風潮はありましたね。

このことを考えると、衰退、劣化ということばとともに「老化」ではないか、ともいいたくなります。よい意味でとらえると成熟化ですが、成熟して豊かになったかというと、むしろ「先がない」。袋小路に追い詰められた印象が強い。追い詰められて行き場のない先で、消耗しつつあります。これは老化ではないか。

社会全体が老化したとしても、新しい世代のひとたちは困るばかりです。老化、劣化は食い止めなければならない。では、どうするか。

最後の第九章では、この劣化を防ぐためにどうするべきかを論じています。劣化によって人口が減少すれば「そこそこみんなが幸せ」という社会に軟着陸できるのではないかという、上野千鶴子さんの楽観的なのか捨て鉢なのかわからない見解などが引き合いに出されていました。それもいかがなものでしょう。

香山リカさんの書かれていることからぼくが重要だと感じたのは、自分たちは劣化しているという「病識」を持つということと、「無理と自制心」の必要性でした。

前者は精神科医らしい見解と感じました。後者は、企業の不祥事などの対策も含めて大事なことです。企業倫理の劣化が新聞を賑わす不祥事ほどに事が大きくなれば、企業側の危機感も募ります。しかし、ほんとうに大事なのは、もっとささやかな生活レベルやビジネスの現場で自制心を発動することではないか、とおもいました。

「えんぴつで奥の細道」のような漢字をなぞる本がベストセラーになったことに対して(幼稚園などの子供向けにそんな学習教材がありましたが、大人向けの本まであったんですね)、出版社や編集者が「いくら売れるからといって、こんな本を出すのは活字を扱う人間としてどうか」と自省すべきという主張には同感でした(P.158)。

最後の"売る側の矜持"は、「すべてを市場に委ねる」という新自由主義的な考え方とは相容れないものだ。新自由主義は、「売れるものは、市場で多くの人に選ばれたよいもの」という"魔法の大義"をものの作り手に与えてしまった。「売れたことは売れたが、作品としてのクォリティが低いから作り手としては満足できない」といった言い方は、いまや通用しなくなった。その逆の「売れなかったけれど、作品としてはよくできていた」も同様である。

ブームとなっている新書にも、ときどきひどい本があります。タイトルだけキャッチーだけれど内容はカスのような本だったり、ブログじゃないのに(笑)などと挿入されていたり。お金を出して購入しているのだから、真面目に作ってほしい。

日本人としての矜持を正すこと。
これがいちばん大切なことではないか、とぼくは考えます。

コンプライアンスであっても、ただ法を守るだけという形骸的な目的になってしまうと、刑罰しか目がいかなくなります。何のために法を守らなければならないか、あるいは行動規範そのものを見直して、日本人として誇りを持てることが重要だと感じました。劣化を止めようとしても個別の問題にかかずらわっていると、本質を見失う。それこそ「病識」をきちんと捉え、本質から変えていく必要があります。

音楽産業が衰退(=劣化)したのも、売れることを第一主義とした市場重視の姿勢にあったのではないでしょうか。小室哲哉さんの詐欺事件のようなスキャンダルも、市場重視的な姿勢から生じたと考えています。金儲けに目が眩み、金に追い回されるのではなく、クリエイターとしての矜持を正していれば、世間を騒がすような悪態を露呈せずに済んだはず。

劣化を食い止めるためには、体力も知力も必要になります。若者だけでなく、大人であるぼくらも体力・知力を鍛えなければ。そう感じました。

投稿者 birdwing : 2010年1月21日 08:09

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4 Comments

madmax 2010-05-09T14:12

昨日読み終わりました、この本。その前に「勝間さん、努力で・・・」を読んで、とてもリカさんに共感したので。おそらく私の知人達の中では唯一リカさん派ではないかと思います。

劣化についてもうだいぶ前から始まったのだなぁということを気づかされました。バブル自体劣化の証だったのでしょう。本ではあまり触れられたませんでしたが。

いろいろな例を挙げて劣化を説得的に説明されていまして、どれも納得させられました。が、ちょっと哲学的な理論付けのところでは、「なんでわざわざこの作家を引き合いに出すのかなぁ」と、強引な感じがしましがた、その・・・ヤングとかいう人の「排除・包摂社会」についての説明は、目から鱗でしたね。

私が感じたのは、やはり世の中の理、「盛者必衰」ってことですね。経済的な成功を収めた日本。庶民はその「ありがたみ」をあまり感じられないのですが、だからこそ集団として達成できた成功だったのです。しかしそれはガラスの勝利だし、アメリカあっての成功だった。今も変わらないし、それはどの先進国も基本的には同じです。

劣化は日本だけに限ったことではないし、イギリス、米国の劣化だって相当なものです。しかし、日本は特に期待値が妙に高く、脅迫感を伴うから、「劣化」がとてもセンセーショナルに聞こえる。そりゃまぁ、資源もないし、英語も下手、世界の事情に疎い島国根性など、マイナス面があり、だからこそ「人材」こそが命だった日本社会です。それが劣化したとなりゃ、実は一大事です。

本書の結論、劣化を防ぐにはどうすべきか、については、あまり説得的でなかった。紙幅の制限もあったからでしょう。「マナーの再確認」程度のことくらいしか書いてなかったと思う。私は、やはり政治的な解決も必要だと思ってます。富の再分配をもっとして、庶民を元気付けないと、余裕も生まれないと思ってます。他の先進諸国に比べて、格差はないのですが、それが日本という国です。もっと稼ぎたいならアメリカでも行けばいいし…暴論ですが。

日本は、そういう格差のない国として個性があり、その中で人材を育成し、教育することが大事なのではないかと思うのです。

どうもありがとう。

BirdWing 2010-05-10T22:17

madmaxさん、はじめまして。長文のコメントありがとうございました。ご指摘いただいたこと、ひとつひとつに頷きました。

ぼくは「勝間さん、努力で・・・」は読んでいません。先入観かもしれませんが推測すると、香山リカさんの力の抜けた思考に対して、勝間さんが、がむしゃらな生き方をぶつけた対談ではないかと想像します。どちらが正しいということはありません。勝間さん的な強者の生き方もおおいにありです。

ただ、先日ネットで話題になりましたが、BSの対談で、ひろゆきさんの発言に対して「だめか、こりゃ」のような見下した姿勢を取った場面をみて首を傾げました。率直に言うと、人間的に「好きになれない」と感じました。

ええ、好き嫌いの問題です(笑)。その観点からみると、ぼくは香山リカさんの思考が好きだな。なんだかほっとするので。が、ときどき強引な引用をすることは、おっしゃる通りです。彼女の特長(悪くいえば著者としての手の抜きどころ)ではないかと感じます。

乱暴なことを言ってしまえば、アメリカも政治的に思考停止と衰退の道を歩んでいるような気がします。エンターテイメントでも、やたらと戦争を鼓舞してみたり、ディザスター(災害)ムービーが多い。世界を滅亡させたがってるのではないか、と疑ったりします。確かに劣化しているのは日本だけではなく、劣化は言いすぎだとしても、経済的な成長の鈍化は感じられます。

ただですね、先日ティナ・シーリグの「20歳のときに知っておきたかったこと スタンドード大学 集中講義」という本を読んで、ああ、アメリカにはこんな教育を実践しているひとがいるならば、日本はかなわないかもしれない、と強烈な危機感を感じました。スタンドード大学では、IDEOのデザイン思考を基盤とした、柔軟な発想の演習が行われています。日本にも存在するかもしれませんが、実践的な教育が体系化されていない気がします。

>日本は、そういう格差のない国として個性があり、その中で人材を育成し、教育することが大事なのではないかと思うのです。

具体的にどんな教育が理想だとお考えでしょうか?

ぼくは、「思考力+実行力」に焦点を当てた教育ではないか、と考えます。知識はネットで検索すればいい。老いた教師の体験なんてものは時代の急速な変化のなかで色褪せてしまう。古い枠組みにとらわれないで、若いひとたちは、新しいことを考えてほしい。

経済的には貧しかったとしても最低限の生活水準さえあれば、あとは新しいことを考えること、イノベーションを起こすことで、しあわせになれるような気がするのです。NHKの「龍馬伝」の龍馬のような感じでしょうか。ガラパゴス化(鎖国)はもちろんのこと、ただ攘夷を叫んでも根本的な解決にはならんのです(福山さんの声で)。

ぼくは日本が大好きです。だからこそ日本の未来(そして未来を担う人材)をわずかでも支える人間になりたい。どうすればいいのか・・・その答えはみえません。苛立つのですが、みえない。

ただ、このような議論を重ねることで、ほんのわずかでも何かが変わるのではないかと信じています。ほそぼそと運営している稚拙なブログではありますが、批判でも構いませんので、ぜひまた感想などを聞かせてください。

ありがとうございました。

madmax 2010-05-12T21:21

ご返答ありがとうございます。
実は、ここへの投稿は、あまり意図せずに、ランダムに選んだ上でのことで、こんなにまじめにご返答いただけるとは思っていませんでした。

いろいろご返答してみたいなと思ってるんですが、まずは人材について。私は、人材育成については、実は専門的に勉強してるわけではないんですが、学生のころ政治、歴史などを学んでいた時、尊敬する教授が、「日本では、戦後、エリート育成の(非公式な)方法が失われた」と言っておりました。どういう方法かは、詳しくはわからないのですが、おそらく帝王学に近いものかなぁなんて思っているのですが。なぜなくなったかというと、もちろん戦後占領したアメリカは、ヘッドは一つでいい(つまりアメリカですね)と判断したからでしょう。

基本的には、エリートは、いわば貴族階級が担う役割だったわけです。国民、庶民からの敬意と、もちろん経済的な支援を得て、いざという時、自ら先頭にたって戦う(意味は多義的)戦士なわけですね。いわゆるノーブル・オブリージェを果たすわけです。これがエリート育成の基本中の基本ですね。人材育成のバイブルだと思いますね。

なぜ西欧でこんな文化ができたかというと、やはり一つには、長い間の身分制度のおかげでしょう。日本にもありましたね、封建体制のことです。しかし、このシステムは、やっぱり衰退しました。それは後に触れるとして、西欧で、そんな身分体制の中で、一体どうして、エリートのこうした気風が立ち上がってきた、もしくは要求されるようななったかと言うと、やっぱり、エリート同士、貴族同士がお互い競い合っていたからなんですね。彼らに従う下々の人々は、そんな争いの中で、いわばより優秀な貴族、領主に付くということができた。つまり会社の労働条件がいいところに、優秀な人材が集まるということですね。

しかしヨーロッパ内だけの争いだけでは、彼らのシステムはまだまだ良くなっていかなかった。一番の衝撃は、アジア、フン族からの侵略があったからです。彼らは、多くの民族の集合体で、騎馬の方法も優れていた。多民族ですから、それらを束ねるルールも非常に優れたものでなきゃならない。公平でありながら寛容で、納得がいくものですね。ヨーロッパの諸国、領主たちは、彼らの侵略および勝利に、ショックを受けた。そこから、彼らも、アジアの侵略から多くを学んだわけです。そのもっとも重要なルールの一つは、「部下からの進言に不利益を与えない」というルール。これは、システムを活性化する上で一番重要で効果的なルールでした。
今でも西欧の社会、システムは、このルールを守ってます。これこそが人材を育成していくための第一原則ではないかと思うのです。

具体的な人材育成への提言は、私にはできないのですが、日本では、こうしたルールが実施できてない事が一番の問題かと思います。実際のところ、旧態依然としたシステムで、企業が大きくて、上の方にいくほどまだ古い体質になっているでしょう。そして、その風土が、直属の上司から徐々に末端まで下っていく。しかも「部下の進言に不利益」を与えることも、いざとなったら辞さないわけですから・・・もう悪循環ですねぇ。

最近外資企業のウエイトがすごく高くなっていると聞きますから、今後、日本の会社風土も(やっと本格的に)変わっていくことになるでしょう・・・が、しかし、日本の社風というか、「文化」が、こういう風に「人材を切る」ので、かなり深刻にならない限り、何もしないでしょう(今までもそうだったし)。

でも最後に、実は日本はそんなに隷属的な上下関係ではなかったかも知れないという、反論もあるのです。それは丸山真男の「忠誠と反逆」という論文に明らかにされてます。古来、部下は上司をちゃんと「判断」していたし、上司が変だと思えば、それなりの「反逆」をしていたそうなのです。・・・それがおそらく竜馬や、その他の傑物たちの出番を用意していたはずです。もちろん彼らの出現の起源は相当深い。実は関が原の戦いから起源を発してますが・・・それは機会があったらまた・・・。
長くなっちゃった・・・久しぶりに、こんなに語りました。興味がありましたら本望です(こんな言い方しましたっけ?)

BirdWing 2010-05-13T22:44

madmaxさん、長文のコメントありがとうございました。長文マニア(?)のぼくとしては非常に嬉しいです!!

ちなみに、ネットの世界にはいろいろなブログがありますが、数々のブログを参考にしつつ、試行錯誤の後、ぼくは以下のようなポリシーで運営することにしています。

・アンチSEO。必要以上に訪問者、アクセス数を増加させない。
 (PINGつまり更新情報もGoogleとYahoo!のみ飛ばしています)
・長文コメント大歓迎。もちろんエントリ本文もブロック書きの長文志向。
 (ただし本文とは関係のないコメントは掲載いたしません)
・政治社会、文化(音楽、小説、映画)、プライベートまでテーマは何でもあり。

要するにぼくが暇なだけなのですが(苦笑)、ほそぼそと隠れ家的に書きつづけるつもりで、何かの機会に訪問・コメントいただいた方とは、ふかーくお話できればと考えています。よろしくお願いします。

さて、考えたことをお返事しますね。

madmaxさんが尊敬されていた先生の「日本では、戦後、エリート育成の(非公式な)方法が失われた」ということば、含蓄があると感じました。確かにおっしゃる通り、アメリカの占領下において、徹底的な民主主義化によってエリート的な特権階級が育成される動機すら失われた、という気がします。結果、横並びの中流社会を生んだといったところでしょうか。

封建制度に絡んでは、新渡戸稲造の「武士道」の内容をおもい出しました。農民や商人などの生計を立てなければならない階級から切り離されて、生計を立てるために努力をしなくてもいい武士というエリートがあったから、独特の文化が生まれたと書かれていました。ただ、武士は安穏としたポジションではなく、いざとなったら切腹しなければならない覚悟の必要な階級でした。

「エリート同士、貴族同士がお互い競い合っていたから」という指摘、深く頷きました。

競争社会、格差社会というと、どこか批判的な印象を受けます。しかし、堀江貴文さんの「格差の壁をぶっ壊す」という本に書かれていたのだけれど、格差批判の根底にあるのは「ねたみ」や「ひがみ」です。むしろそうした感情を抜きに競争や格差を考えると、「ルール」としての競争・格差社会は当然ではないかと考えます。そのルールに自分を嵌めるかどうかはともかく。

そのルールが有効であるとすれば、ルールのひとつとして下から上へ「進言」や「反逆」をする自由な機会の確保と容認、香山リカさんのことばを借りれば「寛容さの劣化」の進行をとどめるべきではないかと考えます。

最近の学校では、運動会の100メートル走では順位をつけないし、テストの結果も発表しない。そんなことをすれば、父兄からバッシングを受けるとのこと。何かがおかしいと感じています。

競争を知らない「鎖国」のなかでぬくぬくと育った子供たちの未来は、ぼくには危ういものに感じられます。あるいはベンチャーでは、失敗が許されない。起業することにリスクが大きいから、自ら手を挙げるのをためらうひとが多い。大手企業に対して、超えてやるぜ!のような気概がない。

お恥ずかしながら、丸山真男さんの「忠誠と反逆」は読んでいませんでした。しかし、健全な社会は、監視・統制化のもとにがんじがらめにされるのではなく、「進言」や「反逆」に「寛容」であるのではないかと考えます。たとえばスティーブ・ジョブスのAppleにおける数々の偉業も反逆的なものだと捉えています。でも、ソニーには反逆性が感じられないかなあ。真面目なんですよね。

ぼくも長くなりました(苦笑)。madmaxさんのコメント、非常に興味深いものでした。考える機会を与えていただいて、ありがとうございます。

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