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2007年10月30日
「月曜日は最悪だとみんなは言うけれど」村上春樹 翻訳
▼作家の生きざま、小説のメイキングを楽しむエピソードのコラージュ。
月曜日は最悪だとみんなは言うけれど (村上春樹翻訳ライブラリー) 村上 春樹 中央公論新社 2006-03 by G-Tools |
この本のタイトルは、「ストーミー・マンデー」という有名なブルースの曲から取ったようです。トム・ジョーンズの短編に引用されているとか。次のような歌詞のようです。
They call it stormy monday, but, Tuesday's just as bad. 「月曜日は最悪だとみんなは言うけれど、 火曜日だって負けずにひどい」
せっかくなのでYouTubeで調べてみたところ、T-Bone Walkerの演奏がみつかりました。
■T-Bone Walker - Stormy Monday Blues
なるほど、渋いですね。水割りが飲みたくなる(笑)このアンソロジーのなかでは、トム・ジョーンズの「私は・・・・・・天才だぜ!」という短編が収録されているのですが、確かに彼の作品はブルースっぽいスタイルかもしれない。
この本を知ったのは、ネットを通じて仲良くさせていただいている方からの情報でした(ありがとね)。デニス・ジョンソンの「シークレット・エージェント」という短編のことを知ったのだけれど、なんとなくですが、ぴぴっとセンサーが働いた。
そこで、仕事の打ち合わせの帰り、お茶の水の丸善でその小説が入っている村上春樹翻訳ライブラリーを探して立ち読み。「シークレット・エージェント」自体はあっという間に読めてしまったのですが、言葉のいくつかはもういちどじっくりと読みたい気がしました。さらにレイモンド・カーヴァーやティム・オブライエン、ジョン・アーヴィングなど村上春樹さんに馴染みの深い作家の話ばかりが並んでいる。
そんなわけで、ついつい購入してしまった本です。でも、購入して正解でした。とても面白かった。
短編小説もありますが、収録されている作品のいくつかは作家のインタビューや友人の追悼文のようなものです。作家の知られざるプライベートやどうやって作品が完成したかということを知る上で、とても興味深い内容でした。つまり、メイキングのコンピレーション、あるいは作家の肖像のコラージュという感じです。
冒頭から2作までの「誰がレイモンド・カーヴァーの小説を書いたのか?」D・T・マックス、「グッド・レイモンド」リチャード・フォードはレイモンド・カーヴァーの話。ものすごくよい人柄の作家のようです。そして、いいひとであるレイモンドの作品に、凄腕の編集者であるゴードン・リッシュがざくざくと手を入れていく。リッシュ自体も創作するひとのようでしたが、レイモンド・カーヴァーの作品の情緒的な部分を削除し編集することによって、結果として初期のスタイルが完成したようです。つまり、リッシュなしにはレイモンド・カーバーの作品はあり得なかった。
しかしながら、やはり温厚なレイモンドであっても、さすがに次第にその残虐な(苦笑)小説の編集に困惑するようになった。そこで、ふたりは決裂するわけですが、その後、リッシュは創作教室のようなものを開きながらも、自分の作品としてはたいしたものが作れなかった、という話が非常に面白いものでした。
つまり、レイモンド・カーヴァーは作家であり、ゴードン・リッシュは編集者でしかなかった、ということですね。作曲家とアーティスト、プロデューサーとシンガーのような関係においても同じことがいえそうですが、縁の下の力持ち的(あるいは参謀的)なポジションで力を発揮するひともいる。
その後につづく、ティム・オブライエンのエッセイと短編3作もうまいな、と思いました。けれども、やっぱり印象的で気に入っているのは、ボクサー、海兵隊、コピーライター、学校の用務員(笑)とさまざまな経歴を持ちながら50歳近い年齢で作家になったトム・ジョーンズでしょうか。なんというか無頼派?日本の作家でいうと、坂口安吾的なスピリッツを感じたかな?
という、はちゃめちゃな作家のあとで、デニス・ジョンソンの「シークレット・エージェント」を持ってくるところがうまい。秘密諜報員に憧れながらも、結局のところ落ちぶれた作家として生活し、貧しさ、さびしさ、悪臭、病や死、酒やドラッグなどに取り囲まれた退廃的な生活を送る主人公。けれどもそこには達観した何かすがすがしいような諦めと強い何かがあると思いました。たとえば次の言葉。
ひとりの人間がいなくなっても、人生は変りなく続いていくのだ。
そして、畳み掛けるようにして繰り返される、次の表現。
子供たちは、変わることなく子供たちであるだろう。人々は変わることなく、人々であるだろう。
個人的な話ですが、父の命日を11月に迎えるぼくとしては、この言葉がなんとなく心に残りました。そして、この言葉は生きている人間に対しても言えることかもしれないですね。あるいは作品に対しても言えることかもしれません。どんなに感動的な作品であっても、読み終えたときにぼくらのリアルはつづいていくものです。変わりなく、いつもと同じように。
けれども一瞬だけ交わって離れていく人生というのは、だからこそ意味があって、「変りなく続いていく」こと=永遠、ではないと思う。「子供たち」や「人々」、あるいは作家のようなものは変わらないかもしれないけれど、個人としての"ぼく"や"あなた"は変わっていく。
普遍性と刹那のようなことを考えていたのですが、作家にも普遍的な何かと個別の顔がある。うーむ、まとまらなくなってしまいましたが、stormy mondayでも聞きながら、あとはお酒でも飲みながらぼちぼち思考することにしますか。10月26日読了。
投稿者 birdwing : 2007年10月30日 00:00
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