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2007年10月 1日
リアルタイムで生成するコンテンツ。
仕事のために参考に読んでおこう、と思って職場の机に積み上げておいた「コンテンツ・フューチャー ポストYouTube時代のクリエイティビティ」という本ですが、やっと時間ができてぱらぱらっとめくってみたところ面白かった。
CONTENT'S FUTURE ポストYouTube時代のクリエイティビティ (NT2X) 小寺 信良 翔泳社 2007-08-02 by G-Tools |
テレビ局や音楽家など、さまざまなひとがコンテンツの近未来像について語る対談集なのですが、まず一人目に第2日本テレビの土屋敏男さんが登場。「ネットでしかできない表現 コンテンツを探せ!」というテーマでお話されています。
土屋敏男さんといえば「進め!電波少年(後半は、進ぬ!電波少年)」のTプロデューサーとして、ダース・ベイダー風の登場をしていたひとですね。重々しく登場して、とんでもない指令を出す。とても印象的な存在でした。
「なすびの懸賞生活」というコーナーでは、なすびという芸人さんが裸一貫から葉書を書いて懸賞に応募して、当選することで着るものや食べ物をゲットして生活していくという斬新な企画だったのですが、当時はまだ入園していなかった(かな?)長男くんがなぜかなすびの大ファンで、彼が登場すると「ばじじ、ばじじ(なすびと言っているつもり)」と大喜びだったことを覚えています。
と、思ったら、いまだにHPがあった!びっくりした。その当時のままみたいだ。
■電波少年的懸賞生活
http://www.ntv.co.jp/denpa/luck/
そういえばそんなこともあったなあ、とぼくも記憶に残っていたのだけれど、インターネットで24時間、彼の生活を中継するという企画もありました。裸の彼が動くと、股間を隠すためにでっかい茄子を動かさなければならなかったらしく、大変だったとのこと(苦笑)。
しかし、もっと面白いな、と思ったのは、土屋さんのコンテンツに対する考え方でした。突拍子のない考え方ではなく、ある意味オーソドックスではあるのだけれども、そこが逆に新鮮です。
たとえば、ライブドアの堀江さん、楽天の三木谷さんの考え方に対する違和感から、放送と通信の融合について、土屋さんは「技術」「ビジネス」「表現」の3つの視点を考えられています。要点をさらってみると、堀江さんや三木谷さんは利益や便利から「ビジネス」の部分を肥大化して考えすぎていた。そして、技術に関しては「メイド・イン・USA」がネットでは主流です。だから、「表現」の部分でネットでしかできないことを考えなければならない、と土屋さんは語ります。
そして「利」を追求するビジネス志向に対して、表現が重要であると語り、次のように述べています(P.12)。
だけど、コンテンツそのものっていうのはそれだけじゃなくて、例えば映像だけじゃなくって音楽や文学みたいなものも、基本的には人の心を動かすものじゃないですか。そういうものであるからには、じゃあインターネットの時代になって、どんなものが今までにない形で人に提供されるか、ということが同時に語られていかないといけない。
この言葉は次にもつながります(P.26)。目先の利益を生むコンテンツに対する批判です。
だから目先の、というかたくさんの人を納得させる理屈だったり、これで儲かっているからとか、こうやたら儲かりますよというようにいわゆるマーケティングをベースにした企画書を書くと、そうなるんですよ。でもそうじゃない。コンテンツは、実は「人の心」というわけのわからないものを動かしてナンボだ、っていうことにもう1回戻っていかないと、ほんとうにやせ細っていくだけだと思う。
同感です。実は儲けを追求しないほうがずっと面白かったりするのが、ネットのコンテンツだったりします。逆に儲けを意識したものは、あざとさを見抜かれやすい。土屋さんが別の部分で書いているように、表現の自由度が高い方が豊かであるとすれば、「利」から自由であったほうが既存の枠組みを壊した斬新な企画も生まれやすいのかもしれません。
この「利」から解放されて表現を追及することが逆に利益を生むという考え方は、出版という業態に対してもいえるとして、次のように書かれています(P.25 )。
それは出版でも同じで、例えば幻冬舎という出版社は、10年くらい前に角川書店を辞めた見城さんが設立した。絶対に新規参入の出版社なんてうまくいくわけない、って言われていた。ところが、編集者見城徹が「人間のもやもやっとしたところを文章にする」っていうことに非常にこだわった結果、資本金1000万で始めた会社が、上場して300億の価格が付くまでに成長した。
そういえば、見城さんの自叙伝的な本も気になっていたのですが、まだ購入していませんでしたっけ。
と、いうぼくも、非常に個人的な狭い領域ではありますが、ブログを書き、DTMで音楽を作ることによって、職業ではない表現者としてネットで何ができるか、心を打つ創作ができるのか、ということを追求したいと思っています。
手前味噌で申し訳ないのですが、土曜日にTwitterで一行ずつアップロードしながら掌編小説を発表しました(即レスで感想をいただいたことは昨日書きました。重ねてありがとね)。
この速さがインターネットの醍醐味のような気がしていて、もちろん推敲に推敲を重ねて10年の月日を費やして小説を発表する、という創作活動もあると思います。けれども一方で、インターネットにより表現の場、方法、スピードが変化しているわけで、書き上げたところからパブリッシングできる。そのスピードに合った文学なども生まれるように思います。
それを文学と言うのかどうか、と眉をひそめる大人たちもいるかもしれません。しかしながら、新しいジャンルのゲイジュツが生まれたときには、先鋭的なものに飛びつくひとと、それを批判するひとがいるものです。ぼくはどちらかというと、軽やかに飛びつきたい気がする。
さらに手前味噌を増量ですが、既に制作済みの「AME-FURU」の音声ファイルを切り貼りしてリサイクルして、half moonという曲を作ったところ、「AME-FURU」でボーカルを録音していただいたLotusloungeのSheepさんから、きちんと作りませんか、というお誘いをいただきました。おおっ。作りますとも!!そんなわけで先日発表した曲はボーカル入りの曲に仕上げる・・・かもしれません。まずは歌詞を考えなければ。
ついでにちらっとDTMのお話をすると、かつてぼくは歌入りの曲を作るときには、VOCALOIDというソフトで代用していたのですが、VOCALOID2の初音ミクはすごいヒット商品となったようですね。
VOCALOIDというのは音声合成によって歌うことができるソフトウェアなのですが、DAWがなくてもスタンドアロンで歌わせることができるので、DTMをやったことがないひとも購入しているようです。うーん。ぼくはアニメっぽいキャラクターが生理的にダメで(苦笑)、初代VOCALOID使いだったのですが、MEIKOの方がいいと思うんですけど。
この初音ミクを購入したひとが次々にネットに作品をアップしていて、さらにYouTubeで動画を投稿し、ニコニコ動画でも盛り上がっているようです。
ネットの面白さは、映像にしても文章にしても、自分の表現を簡単にコンテンツとして公開することができて、さらにコンテンツは誰かの影響を受けて、
リアルタイムに生成変化していく、
というところにあるような気がします。
電波少年という番組の面白さは、来週はどうなるかわからない(きっとスタッフも予測できない)面白さだと思うのですが、インターネットではまさにそのドキュメンタリーが並行して何本も走っている感じです。
Twitterなどはほんとうにリアルタイムで状況が変わっていく。完璧であろうとすると乗り遅れてしまいます。もちろんネットの速度に無理をして追いつく必要もなくて、スローに楽しむネットライフもあっていい。けれども、コンテンツをさくっと作ってさくっと公開、で、次はどうする?という気軽さが、ぼくは気に入っています。
不完全であること、生成すること、変化を許容すること。そんな認識をベースにコンテンツを考えてみると、ネットはかなり居心地がよいし、活用できるものになるのかもしれません。
投稿者 birdwing : 2007年10月 1日 20:38
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