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2014年2月 9日

ハツユキ

雪ですね!東京都心では45年振りの大雪だそうで、都心では27センチの積雪を記録したとか。自宅の窓から見える風景は一面の雪景色です。厳密に言うと初雪ではないとおもうのですが、久し振りの雪です。


yuki140209.JPG


東北や北海道など雪の多い場所にお住まいの方としては「それぐらいの雪で何を大騒ぎしているのだ」とおもわれる方もいらっしゃるかもしれませんが、節分ちょっと前あたりの東京では、なんとなく春の匂いさえ感じられるあたたかな気候でした。そのあとで、どかーんと降った雪には驚かせられるとともに新鮮な感動がありました

雪の記憶にはふたつあります。

ひとつは、幼少の頃に父が雪遊びに連れて行ってくれたこと。おぼろげなイメージでしか残っていないのですが、御殿場だったでしょうか。樹木の間に開けた原っぱの真っ白な雪の中でごろごろ転げ回ったり、プラスティック製の橇で遊んだりした思い出が残っています。

もうひとつは、大学受験の頃。浪人して東京でひとり暮らしをしていたとき、朝起きてみると大雪でした。受験週間に突入して緊張もあったのですが、食料を買い出すためにわしわしと雪を踏みつけて近所のコンビニに行ってきたところ妙に落ち着いて、楽しい気持ちになったことも覚えています。この真っ白な雪に新しい足跡を付けるように、未来は拓けているのだなあと感じました。合格発表の日にも雪は残っていました。

この受験生時代の記憶をベースに作った曲があります。「ハツユキ」という曲です。作った時期は定かではありませんが、1998年頃だとおもっています。社会人バンドをやっていた頃で、多重録音で作りました。そのテープは残念ながらどこかに紛失してしまって残っていませんが、大雪記念(笑)に弾き語りをしてみました。YouTubeでどうぞ。



歌詞です。

++++++++++
ハツユキ
++++++++++


 ぼくらは毎日生まれ変わるさ
 この冬の朝のように

 静かに だけど力強く
 踏み出そう雪のなかへ

きのう降り続いた雪が
街を別世界に変える
白いキャンバスに向かう
新しいぼくがいる

きっと明日になれば
とけてしまう魔法を
ぼくは信じてみよう
そして誓うだろう

 ぼくらは毎日生まれ変わるさ
 この冬の朝のように

 静かに だけど力強く
 踏み出そう雪のなかへ

時計を少しだけ進めて
きみと待ち合わせた駅で
古いポストカードを破る
新しいぼくがいる

 凍えそうなぼくらの街に
 火を灯すよ ささやかなぬくもりを
 いつまでも

 ぼくらは毎日生まれ変わるさ
 この冬の朝のように

 静かに だけど力強く
 踏み出そう雪のなかへ

 ぼくらは何度も生まれ変わるさ
 この冬の朝のように

 静かに だけど力強く
 踏み出そう雪のなかへ

バンドを辞めた後にDTMでアレンジを変えた音源を作っています。最初は2005年1月13日に制作した曲で、VOCALOIDに歌わせました。VOCALOIDはその後、初音ミクとなって大ヒットするわけですが、PCが歌うという、ヤマハのとんでもない素晴らしい技術でありながら、当時は一般的でなく、一部の音楽好きの他には知られていなかった気がします。Soundcloudでお聞きください。



先日、村上春樹さんの『ノルウェイの森』の感想で書いたのですが、人生は蓄積された成功の実績や人脈や傷付けてきた他者に対する責任など、さまざまなものを精算しながら「再生」していく行為ではないかと考えています。事実、同じ人間の形をしていても、その細胞は毎日新しく生まれ変わっていると聞いたことがあります。

この曲の歌詞のように「毎朝起きたときに新しい自分に生まれ変われたら」とおもいます。昨日の失敗や明日への不安にとらわれずに、毎朝、まったく生まれたばかりのような「ゼロ」ベースで一日をはじめる。一期一会という言葉もありますが、一日一日を真っ白なページからはじめることができたら素敵です。

昨日まで灰色だった東京を、一晩にして真っ白なキャンバスに変えてくれる雪は、風景を変えるとともに、ぼくらの心も刷新するものではないでしょうか。雪を契機に、あざやかに気持ちを刷新できたら素晴らしいとおもいます。

年を取ると脳内が硬直化して、「私はこういう人間だから仕方ない」「社会はこうあらねばならない」「常識は守らなければならない」など、自らの価値観に執着するあまりに、まったく違う価値観を排除するようなひとも多くなります。

もっと酷いのは若い人間に老いた自分の価値観を押しつけて、受け入れられないと「やっぱりおまえはバカだ」「いまの若い者はダメだ」などと嘆いたり批判したりするようになることです。自分の思考の軸を持つことは大切ですが、その軸に囚われると融通性と可能性を見失う。狭い軸で他者を批判するひとたちは、多様性を受け入れられないひとたちです。

自分の軸をしっかり持て、自分の強みを把握しろ、といわれますが、ぼくはいまだに自分とは何者かわからないですね。いくつも軸があるし、いくつも強みがある(もちろん弱みもある)。その意味では、まだ何者にもなれると考えています。

さて、本日は東京都知事選です。

さまざまな候補者がいらっしゃいますが、ぼくが注目し、推しているのは「家入かずま」氏です。

そもそも彼の著作を何作か読み、彼の生き様に共鳴したことが大きな要因です。早い時期からツイッターもフォローしていて、スタディーギフトの炎上だとか、携帯番号や銀行振込先を晒すこと、深夜というか明け方に人生相談をやっているなどの活動をみてきました。とはいってもカリスマ的に彼を支持しているわけではなく、「そこはちょっと違うんじゃないの」と感じていることも多々あります。ただ『こんな僕でも社長になれた』の著書には号泣した箇所がたくさんあったし、彼のマイナス面を考慮しても誠実な生き方が好きです。


4781608558新装版 こんな僕でも社長になれた
家入一真
イースト・プレス 2012-08-31

by G-Tools


家入一真氏に関していえば、最終的には「(人間的に)彼が好きか嫌いか」のような直感的な判断になってしまう。都知事としては頼りないし、仮に当選したとしても「逃げ」ちゃうじゃないかという不安はあります。

ただ、今回の選挙活動を通じて多くの若者が賛同し、家入氏を支えました。この多くの支持者によって彼は今後も支えられていくだろうし、逃げられない状況に置かれて覚悟を決めなければならなくなるような気もしています。ご自身の心の内から生まれる覚悟もあるでしょう。そして、彼の考え方に刺激を受けたり賛同したりした若者たちの中から、次世代を担う政治家や実業家が登場するのではないかという予感があります。

細川氏や桝添氏などの政策も読んだのですが、はっきり言って「ぴんとこない」。もちろん、政治家としての実績や実力はあるから、そこそこ東京都の行政を安心してお任せできる方々だとおおいます。でも、なんだか心を動かすものがないんですよね。一方、選挙活動を通じて発せられた数々の家入氏の言葉には揺さぶられるものがありました。

だいたい日本の政治は、家入氏が街頭で語ったように「おじいさんによるおじいさんのためのおじいさんの政治」になっている。「またか」というような過去の政策の踏襲と、ありきたりな改革しか見当たらない。これでは刷新は望めません。東京の人口ピラミッドのグラフをみると、高齢化といっても若い世代の人口比率は高いわけで、この世代が真剣に政治を考えれば新しい改革が生まれるのではないでしょうか。



家入氏が凄いのは、最初は1,000リツイートされたら立候補するという遊び感覚だったところが、自分には政策がないことを逆に利用して、自分は「器にすぎない」と公言し、ツイッターでみんなから政策を募ったことです。ツイッターに寄せられた3万件におよぶアイデアは120の政策に落とし込まれ、彼の政策としてウェブで公開されました。


http://ieiri.net/policy/

ieiri.jpg

「民意」を掲げる政治家は多いけれど、大半は単なるスローガンに過ぎず、当選しても有権者の意見に耳を傾けるようなひとはいないだろうなあと諦めていました。老人だから耳が遠いのかもしれませんが、みんなの声は政治家に届かない。民意は当選のための聞こえのいい惹句に過ぎないという印象でした。しかしながら、実際にツイッターで民意を集めて政策を作った家入氏は、民意をベースにした政治の本質を突いているとおもいます。

だから渋谷の街頭で、これだけの人々を集めることができたのでしょう。

家入氏に期待する声はいろいろありますが、ぼくがよいとおもったのはアゴラに寄稿されたNick Sakai氏の「都知事候補の家入さんに期待する」という提案です。「みんなで作る」政治であれば、選挙や政策だけでなく、行政のシステムもクラウドソーシングで作っていくという考え方です。

また、津田大介氏の運営されているポリタスに寄稿された評論家である宇野常寛の「家入一真の冒険は2月9日から「はじまる」」にも共感しました。次の部分を引用します。

今回の家入祭りはインターネット上の「祭り」であると同時に、長い間溜まって来た「新しい政治」への要求が爆発したものです。そしてその背景にあるのは、社会趣味の人たちの自分探しではなく、この10年で可視化されて来た新しい日本人の新しいライフスタイルです。新しい家族形態であり、新しい働き方であり、新しいメディア消費です。「義の言葉」ではなく「生活の言葉」であり、非日常の言葉ではなく日常の言葉です。そして、祭り=非日常が一瞬で終わっても、生活=日常は永遠に続きます。

したがって家入一真の次の課題は、この選挙を通じて集まった人たちの声と力を集めて何をやるのか、だと思います。彼がどれだけの票を集めるかわかりませんが、それが5万票でも10万票でも、その人数から出発して僕らはゆるやかに連帯し、やれることから手を付けていくべきだと思います。

もともと家入氏は行政に頼らずに、自分たちの力でシェアハウスなど人生に悩んでいる子たちの「居場所」を作ってきました。つまり長い間続けてきた活動の選択肢のひとつとして都知事に理候補することがあったわけで、当選しないことは決して敗北ではありません。むしろ立候補という行動を起こしたことによって、次の何かを生むための「きっかけ」になったはずです。家入氏にとって選挙活動は必ずしも無駄になりません。というよりも、むしろ大きな資産となるのでは。

振り返ってみると、家入氏は「きっかけ作り」の人でした。

JASDAQに自分で作った会社を最年少で上場させたことも、若手のベンチャー起業家に可能性を与えるきっかけだったし、不登校児や引きこもりに対するメッセージは、彼らに新しい生き方や考え方を与える契機を作りました。そして今回の都知事立候補は、政治に失望していた若者に政治を身近に考えさせるきっかけを与えたといえます。

ぼくらは、灰色の街を一夜にして変えてくれる「雪」のような新鮮な何かを求めています。

もちろん雪が降ったからといって覆い隠された街は変わらないし、雪はいつか溶けてしまう。それでも雪を契機として、冷たくて新鮮な空気を深呼吸することで気持ちを整え、ありふれた日常の生活に新風を吹き込み、あらたな一歩を踏み出すために心を引き締めることができます。

降り積もった雪を踏みしめながら、都知事選の投票に行ってきますか。この大雪の中の都知事選から東京が変わり、春に向けて新しい政治の萌芽が生まれることを期待しつつ。

投稿者 birdwing : 2014年2月 9日 11:39

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