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2007年3月 7日

build to think(プロトタイプ思考)。

デザイナーではないのですが、デザインに関心があります。

けれども、さすがにプロではないので、さくっとデザインできません。昨夜も、このブログのタイトル画像をこつこつと作っていたら、夜更かしをしてしまいました。アドビのInDesignぐらい使えるとかっこいいのですが、ぼくのお仕事は企画業務なので使えるツールといえばPowerPointぐらいです(とほほ)。

そんなわけで、タイトルのブルーの鳥は、PowerPointのフリー描画機能を使ってマウスで描きました。しあわせの青い鳥でしょうか。最初はクロだったのですが、さすがにカラスじゃまずいだろう、と(苦笑)。それにしても音楽もイラストもマウスで作るので、マウス職人の道を究めようかと思ったり思わなかったり。

デザイン関連の本で昨日購入したのは、「デザインの知(Vol.1 2007)」です。

4046216212デザインの知 (vol.1(2007)) (デザイン哲学叢書)
降旗 英史
角川学芸出版 2007-02

by G-Tools

表現はもちろんデザインの背後にある考え方や哲学に関心があり、書店で興味を惹かれました。ついでにこの本は、すべてのページにおいて、左側に日本語、右側に英語という形でバイリンガルで構成されています。デザインだけでなく英語も学びたい、という欲張りなぼくには、一石二鳥の本でした。ちなみに英語に関していうと、最近はまず英語のブログを読もうと思っています。茂木健一郎さんの「the qualia journal」は必ず読んでいます。

「デザインの知」のなかでは噴水アーティストの杉原有紀さんの話が面白かったですね(杉原さんのホームページ)。いずれまた紹介してみようと思いますが、ちょっとだけ触れておくと、杉原さんはウォータードームという噴水アートを展開されています。芸術の道に進むきっかけとなった杉原さんご自身の水の体験も書かれていて、ぼくの幼少の記憶を手繰りよせるものとしても共感できました。VR(バーチャルリアリティ)の見地から、水を「マルチモーダルな物質」と位置づけるのも興味深い。マルチモーダルとは「複数の感覚に訴えることを意味する」そうです。

最近、スローリーディング&読む冊数を制限して、じっくりと本と関わる方向に軌道修正しようと考えてもいるのですが(つまみぐい的に本を読むことは、読書家として誠実さに欠けるのではないかと思うようになりました)、もうすぐ読了する「デザイン思考の道具箱」も非常に示唆に富んだ本です。

SAPとIDEOの共通点

「デザイン思考の道具箱」では、いままで軽視されがちだったデザインにおける哲学の重要性について解説されていて参考になります。その一方で、現場を観察することでインサイト(洞察)を発見する、フィールドワークの手法も重視されています。

「プロトタイプ思考(P. 144)」の章は、とても参考になりました。

この章を読んで、スタンフォード大学のDスクールは、ERP(Enterprise Resource Planning:企業の経営資産を効率的に運用するためのシステム)大手ベンダーSAPの創業者ハッソ・プラットナーから多額の寄付を受けているということを知りました。デザインコンサルティング会社IDEOのアプローチとERPのシステム開発のアプローチが似ていることをプラットナーが知って驚いた、ということを契機に寄付が進展したようです。

SAPとIDEOのアプローチで何が似ているかというと「デザイン作業の途中で顧客の反応を探っている点」とのこと。

ここで言うデザインとは、IDEOの場合はプロダクトデザインなど視覚的なデザイン(表現)だと思うのですが、SAPの場合はソフトウェアデザイン(設計や計画)でしょう。しかしながら、異なるデザイン領域であっても顧客を巻き込んでデザインしていく手法に類似点がある。

プラットナーはSAPの「SAPPHIRE'04」でIDEOに対する共感的な発言をしたようですが、IDEOの提唱した「クイック&ダーティプロトタイピング」と呼ぶ手法を非常に高く評価したそうです。

コンセプトや仕様を練りに練って時間をかけて制作や開発を行い、さあどうぞ、と納品したときに、これは違うんだけど・・・とお客様からひとこと言われたら、その時点でアウトですよね。それまでの時間もコストも無駄になります。しかし、お客様とともに試作品を検討しながら改良していけば、最終形はお客様の求めているものに近くなる。

顧客を巻き込んで開発していく手法は、ベータ版をとりあえず公開してユーザーの声を聞き取りながら改良していくことに近いかもしれません。多くのネット系ベンチャーのアプローチでは一般的ですが。

つくりながら考える技術

プロトタイプ思考とは、簡単に言ってしまうと"つくりながら考える"ことです。この方法が重要であると奥出直人さんはたびたび言及されています。まず、試作品を作る。その試作品について議論や検討しながら改良を重ねていくことで、「機能」と「見た目」を洗練させていく。以下、引用します(P.145)。

プロトタイプをつくる目的は、クライアントや上司を説得することではない。つくることで考える=build to think ためである。これは、考えたらまずつくってみるということである。つくることで考え、つくりながら考える。

ところが、このプラクティスが案外できないそうです。というのは、考えてから作る、という方法が一般化している。まずは準備周到にコンセプトを磨き上げ、それから作る。コンセプトが不完全な場合はまだ作るべき段階ではない、という考え方があるわけです。

一方で、自分では何もデザインしないくせに評論するときだけ元気になる。そんなひとも結構多いのではないでしょうか。ぼくもそのひとりかもしれないのですが(苦笑)、傍観者として口だけは達者なひとたちです。そういうひとは自分の手を汚すことはしない。自分ではつくらずに、他人のつくったものだけを論じる。けれども、自らがつくって失敗することが大事であると述べられています(P.146)。

何かアイディアやコンセプトができると、その本質を議論するひとがほとんどである。それではいけないのだ。まずつくってみる。そこが何よりも大切なのだ。つくったものはたいてい失敗する。しかしその失敗から多くを学んで素早く成功に結びつける。これがプロトタイプ思考である。失敗することでコンセプトを洗練させていく方法といってもいい。失敗からこそ学ぶことができる。つくらなければ失敗しない。

次のような部分も頷けます(P.148 )。

イノベーションの実践を教えているときに頻繁に観察される現象なのだが、新しいモノのコンセプトをつくると、いきなりそのコンセプトの詳細や有効性に関しての議論を始める人が多い。また実際にコンセプトを提案した者でなく、コメント好き、批評好きのメンバーが議論を引っ張っていく傾向もある。

この部分、非常に深いと思いました。手を動かさずに発想すると、机上の空論になりがちです。クリエイター/評論家のように領域に線を引いてしまうと安全ですが、これからの社会で求められているのは、手を動かしながら考えられるひとなのではないでしょうか。一種のプレイングマネージャー的ともいえます。

ぼくは歩くと思考が回転することがよくあるのですが、手を動かすことでも思考を促進できるらしい。こんなことも書かれていました(P.168)。

手を動かしていると同時に頭が活性化してくる。手で考えているのである。哲学的にいうとエンボディメント(embodiment)ということだが、楽器でもゴルフクラブでも同じで、身体の延長になっているときに、いろいろなことを思いつくのである。

そんなわけで、ぼくもヘタクソでいいから手を動かそうと思い、ブログの鳥ロゴをデザインしてみました(苦笑)。難しかったなあ。いやあ、デザイナーさん、すごいよ(しみじみ)。頭のなかにイメージがあっても、なかなか描けないものですね。

ブログ、音楽、子育ても同じかも

ブログにおいても、このプロトタイプ思考は使えそうです。とりあえず立ち上げて、部分的に改良をしていく。ぼくも昨日、タイトル画像を変更しましたが、作ってみて表示させて削除して作り直してまた貼って・・・という作業の繰り返しでした。プレビューという画面はまさにプロトタイプを確認する画面ともいえます。印刷では校正にあたる確認作業が、Webではもっと簡単にできるわけで。

自作曲の公開などの音楽に関しても、インターネットであれば簡単なので、とりあえず作った曲をアップロードできます。CDというメディアで配布するのであれば焼き直しはできないので、完成品が前提条件になる。しかしネットであれば、音楽のバージョンアップができます。ぼくも「rewind」という曲を一度公開後に手直しをしたのですが、現在さらに手直ししてmxd3(3回目のバージョンアップ)を作りたい気分です。ただ、この方法の問題点は、あまりにも不完全な段階で公開できるので、完成度を高めることがおざなりになってしまうこともある、という点でしょうか。

子育てにもプロトタイプ思考は応用できそうだと思いました。親として完璧な教育論を持っているひとには問題ないと思うのですが、多くの親たちは、親になっちゃったけどいったいどうすればいい?(おろおろ)という状態が多いのではないでしょうか。ぼくもそうでした。

けれども完璧な教育論を最初から持っている必要はなくて、子供といっしょに作っていけばいい。生成する発展途上の教育論でかまわない。テンプレートとして一般的な教育論を下敷きに借りて考えてもいいと思うのですが、子育てには一般論では対処できないことも多いですよね。だから、カスタマイズされた独自の子育て論でかまわないわけで、それは完成されている必要はない。現実に役立つ部分だけあればいいと思う。

ぼくらは不完全な生き物です。準備が完全になってから何かをしようとすると、時間に乗り遅れてしまう。見切り発車ぐらいでちょうどいい。

そもそも完璧な人間というものはいないわけで、人生そのものが途方もないプロトタイプ(試作)と改良の連続なのかもしれませんね。あっちを削ったり、こっちを出っ張らせたり、自分という試作品をいじりながら生きていくのも悪くないものです。その結果いびつなひとになってしまったら、それもまたよし、ということで。

投稿者 birdwing : 2007年3月 7日 00:00

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2 Comments

かおるん 2007-03-08T16:21

この鳥のロゴ、自分で作ったんですか?素敵です。以前私もイラストレーターでキャラクター作りに挑戦したことがあって、ベジェ曲線を使いこなせず挫折しました…。

油絵を描く時には、何枚も習作を作ります。自分の限界がわかるのが大きいです。イメージがいくら豊かにあっても、自分の技量じゃできないことがあるから、その落としどころを決める作業になるっていうか。まずプロトタイプを作ってみるということはとても大事ですが、どう読むかも、結構大きなポイントかなと思います。でないとプロトタイプの無間地獄にはまりそう。

birdwing_tn 2007-03-08T22:59

ありがとうございます。もっとかっこいい鳥のイメージがあったんですが、なかなかうまく描けませんでした。でも、ちょっとよれよれな感じが手作りっぽくていいかなと思っています(というより、無理やりそう思うことにしています)。ベジェ曲線は、ハンドルの引っ張り方を習得しないと、妙な感じになっちゃうので難しいです。
かおるんさんの絵は以前に拝見したのですが、タッチの違いでこんなに印象が変わるのかという驚きがありました。白いキャンバスには、いかようにも描けるので、プロトタイプの無間地獄にはまるのもわかる気がします。そういうときは、まあいっか、という割り切りが大事なのでしょう(笑)。ただ、趣味であれば永遠に同じことをつづけていてもいいのではないでしょうか。仕事はそうはいきませんけどね。

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