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2008年10月 5日
あらためて、継続する意志を。
太鼓と笛の音が聴こえてきたので誘われて外に出てみたところ、お祭りの御神輿でした。どこか近所の神社で秋祭りらしい。
ポケットに手を突っ込んで深呼吸。夕方の空気に漂うのは、ほのかなキンモクセイの匂いです。ぼくはこの秋らしい匂いが大好きです。その気持ちを「朝が待ちきれない」という曲にしたこともありました。空中に拡散する甘いキンモクセイの香りは、ぼくをとてもしあわせな気持ちにしてくれます。懐かしいような、やさしくなれるような。
いろいろと考えることがあり、ブログの更新停止を9月の末に決めたのですが、過去のエントリーを復活させていたところ、書きつづけたいという気持ちが強まりました。
通常であれば一度宣言したものはきちんと守るのがオトコというものであり、有言実行、宣言したことを覆すのはプライドとして許されない、と思います。しかし、ぼくにはプライドも拘りもないので(苦笑)、あっさりと再開することにします。ブログを書きはじめます。
ぼくにとってブログは、日々24時間ある生活のなかでおよそ2時間を費やすものにすぎません。仕事や家族や趣味など忙しい合間をぬって考えたことを、制約のある短い時間のなかで綴っています。ブログがすべて、というわけではない。リアルな生活のなかの氷山の一角にすぎません。
けれども毎日の終わり、日付変更線を越える時間にひとりきりでPCの画面に向かい、ゆったりと考え、ブログで文章を綴る時間はぼくには至福の時間でした。ぼくの生活を豊かにしてくれました。直接的には関係しなくても、間接的にブログの世界がぼくを支えてくれていました。
ブロガーであるBirdWingとぼくは重なりながら、同一のものではありません。小説の作者と実際の人物が異なるのと同じように、ブロガーであるBirdWingはぼくでありながらぼくではない。現実のぼくはさまざまな闇を抱えて地上を犬のように這い、うまくいかない膠着状態に苛立ったりもしている。けれどもブロガーであるBirdWingは突き抜けた光の思考で現実を跳躍し、高く飛んで世界を俯瞰し、力強く明るい言葉で現実を刷新する書き手であってほしい。
その言葉が、偶然にサーチエンジンでぼくのブログに訪れた誰かにとって、少しでも癒しや和やかな気持ちになるものであればしあわせだ、と思っています。そして今回、過去のエントリーを復活させながら思ったことは、そもそもぼく自身がBirdWingの書いた過去のエントリーに元気付けられた、ということでした。
自画自賛のようでもあり、恥ずかしいのでエントリーにしようかどうか迷っていたのですが、ちょっとだけ仕事のエピソードを。
仕事をお願いしていたとある外部協力会社の担当者が9月末で退職されるということを知り、ぼくは電話で労いの言葉をお伝えしたのですが、その後に次のようなメールをいただきました。部分を引用させていただきます(名前はぼくの実名なので○○と伏せました)。
○○さまには、入社当時から大変お世話になり、色々と学ばせていただきました。実は入社当時に○○さまからいただきました、仕事に関するメール(納期や費用についての温かいお言葉)は今でも時折目を通しておりました。
○○さまとの仕事を通じて、仕事の楽しさと厳しさを教えていただきました。それゆえ、本当に充実して仕事に取り組むことができたと思います。
ご一緒にお仕事ができたことを嬉しく思います。
私の至らなかった点も多々あったのではないかと存じます。
本当にお世話になりました。ありがとうございました。
また、機会がございましたら、是非宜しくお願いいたします。
社交辞令とは思うのですが、実際にこの担当者とは非常に厳しいやりとりをしたこともあり、しかし、その状況下で最善を尽くしてくれたときには絶賛と感謝の気持ちを伝えました。すばらしい仕事をしてくれて、ありがとう、と。また、風邪で体調を崩されているときには、ぼくの方でやりくりをして納期をずらしたこともあったように記憶しています。
そういう状況もあったので、あながち社交辞令とも受け取れなくて、ぼくはしばらくぼーっと感慨に耽ってしまった。こういう仕事ができるパートナーは、それほど多くありません。本音でぶつかり合い、よい仕事をしていくことは、簡単そうでなかなか難しいものです。たいていビジネスライクに割り切ってしまうものです。けれども、きちんとお互いを尊重しつつ成長できるパートナーもいます。仕事に取り組む姿勢によって、そんな風に真摯に関わることができる誰かと出会えるか出会えないかが決まるものかもしれません。
ぼくよりも、この担当者のほうが優れていたのだと思います。年齢はずいぶん下なのですが、しっかりした考え方ができるひとは年齢に関係がないですね。聡明なだけではなくて、感謝の気持ちを伝えるという人間的な基本ができています。とはいえ、ぼくの拙いメールが厳しい仕事のなかで何度も読み返され、この担当者を元気付けていたと考えるとうれしい。たとえビジネス文書であっても、ぼくの言葉が活かされたということを知ることは、しあわせなことです。
ブログでも、こうしたことができればよいとぼくは思っています。ぼく自身の愚痴や暗い闇や欲求不満を解消するための批判的な何かを吐き散らすのではなくて、悩める誰かにエールを送り、闇を照らし、進むべき道のために元気付けてあげる。ときには疲れた気持ちを癒し、やわらげてあげたい。そのためにぼくはエンターテイナー(道化)であっていいと思うし、カウンセラーやセラピストであってもいい。決して権威的にはなりたくありませんが、どこか人生の教師のようでもありたい。
そんなブログを書いていきたいですね。
気持ちが揺れていたのですが、落ち着いてきました。じっくりと時間をかけて書く文章(小説や評論のようなものなど)は別に書くとして、ブログはブログで継続させたい。短気なぼくなのですが、10年間継続するぐらいの気持ちでいます。
朝令暮改で恥ずかしい限りですが、ブログを復活させます。とりあえず、現在読了してしまった箭内道彦さんの「サラリーマン合気道」という本、そして現在読み進めているミシェル・フーコーの「わたしは花火師です」、三島、谷崎、川端の「文章読本」についての考察あたりからはじめてみたいと思っています。
サラリーマン合気道―「流される」から遠くに行ける 箭内 道彦 幻冬舎 2008-09 by G-Tools |
わたしは花火師です―フーコーは語る (ちくま学芸文庫 フ 12-9) 中山 元 筑摩書房 2008-09-10 by G-Tools |
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エントリー復活履歴
■2008年10月2日
2004年11月 8日 シンキング・テンプレート
2004年11月25日 統合の動き
2004年11月26日 ブラウザが熱い
2004年11月29日 ブクログ
2004年11月30日 ネットメディア
■2008年10月4 日
2007年7月 3日 梅雨の終わりに間に合うように
2007年7月 7日 [DTM作品] AME-FURU(maybe blue)
2007年7月 9日 理解のためのパースペクティブ。
[ひとりごと01]
あらためて過去のエントリーを復活させながら思ったことは、結構いろんなことをやってきたなーということでした。自分で自分のバイタリティーにびっくりします。ネットコラボで曲を完成させたSheepさんは、音楽以外でも似ている生き方をしているひとだと思いました。だからきっとコラボしようと強く思ったのであり、ものすごい勢いで曲も完成したのでしょう。感謝しています。
2007年4月 6日 本気で変わる。生活を変える。
2007年4月10日 親になるには。
2007年5月 4日 イルカな休日
2005年11月 8日 生の対極にあるのではなく。
2005年11月13日 伝わらなくても、かまわない。
2005年11月17日 集合的な脳。
2007年3月18日 選択のエクササイズ。
2007年3月19日 デザインを通して知る。
■2008年10月5 日
2007年1月12日 思考を動かす。
2007年1月13日 素材から創る。
2007年1月14日 「ヒューマン2.0―web新時代の働き方(かもしれない)」渡辺千賀
2007年1月14日 束縛から解かれる。
2007年1月17日 日常の断片、家族のあれこれ。
[ひとりごと02]
三島由紀夫の「文章読本」を読書中。美文だ。眩暈がしました。読んでいてチカラが沸いてくる。一方で自分の過去エントリーを読み進めながら、ぼくがブログで何をしたかったのかをあらためて再考しました。夢から醒めた気分。はやくも前言撤回ですが、ブログをつづけるためにもう少しだけ充電。しばらくは並行して過去エントリーを見直します。
2006年11月29日 左脳的な兄と、右脳的な弟と。
■2008年10月6日
2007年4月 3日 リセット感覚。
2007年4月11日 難しさと原点回帰。
2007年4月16日 ゆっくり醸成する、そして夢。
2007年4月17日 InsightとForesight。
2007年4月18日 いま、ここを起点として。
[ひとりごと03]
帰宅する道すがら、濃厚なキンモクセイの香りに圧倒されました。どうしたものかいつの間にか、キンモクセイの季節です。しあわせだ。癒される。近々引越しをする予定なのですが、新しい家には苗木がほしい。どこで手に入るのでしょう。でも、手に入れなくてもいいかな。香りを頼りに樹木の在り処を探して、うろうろと散策するのも悪くありません。
投稿者 birdwing : 2008年10月 5日 17:52
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2 Comments
- 胡瓜 2008-10-07T07:39
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良かった~ヾ(*´∀`*)ノ
ノルマなんて無いんだし、御自分のペースでこれからも好きなスタイルで続けてって下さい☆
楽しみにしています。それと。。。もしかして、お庭のある一軒家御購入でしょうかっっっ?!
確かに、金木犀の香りには癒されます。
その昔、トイレの芳香剤のピコレットにキンモクセイの香りがあったように記憶してるのですが、似ても似つかぬ芳香剤の偽キンモクセイの香りに、大事な金木犀が穢されてるような気がしたのを覚えてます。
お引越し、大変でしょうが金木犀の側で深呼吸して頑張って下さいっ♪
- BirdWing 2008-10-07T21:52
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胡瓜さん、いつもあたたかいコメントをありがとうございます!そうですね、自分のスタイルでつづけていくことにしましょう。何度も揺らいでいる自分をみせてきた胡瓜さんには、お恥ずかしい限りなのですが(苦笑)。
うーむ、さすが胡瓜さん鋭い。はっきり書きませんが、今年の末には一軒屋にお引越しの予定です。庭に金木犀が植えられるかどうかはともかくとして。とはいえ、確かにキンモクセイといえば芳香剤ですね(笑)。ただ芳香剤のキンモクセイと自然の匂いが決定的に違うのは、自然の香りはどことなく懐かしさを運んできてくれることだと思います。
特にぼくはキンモクセイの匂いに包まれると、なぜか遠い記憶に思いを馳せてしまう。なんでしょうね。ラベンダーの香りで過去にトリップする物語もありましたが(「時をかける少女」でしょうか)、匂いはどこか記憶に結びついているような気がします。現世であれ、過去の何かであれ。それから音楽と匂いは近い感覚にあると思います。
仕事が終わって帰りがけに東京では雨が降りました。この雨で華奢なキンモクセイの花の多くは落ちてしまったことでしょう。でも、その儚さがまたよかったりするんですよね。
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