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2007年1月12日

思考を動かす。

会議がうまく機能すると、アイディアが走り出す感じがあります。停滞していた空気が一気に突破口をみつけて弾ける感じ。そんな勢いでアイディアが走り出すと、その風に巻き込まれて別のアイディアも疾走する。思考が動いた、と実感するひとときです。今日はなんとなくそんな感覚を得ることができて、ちょっと爽快な気分でした。深夜までブログを更新していて、めちゃめちゃ寝不足だったのですが。

・・・とかなんとか、非常に比喩的な美しい表現を使ってしまったのですが(苦笑)、実際には今日のような日ばかりではありません。走り出したアイディアに対して「その提案は以前にもやったけどダメだったよね」といきなり潰されることもあるし、走り出したのはいいけれど目的地が曖昧なまま暴走した挙句に現場に戻れなくなってしまったり、相手を論破するゴールのない徒競走的な世界に突入したり、そんなこともあります。

限度の設定

今週は分析作業に仕事の大半を費やしました。一般に分析という作業は、ある現象やデータを"静的に"把握するものであると考えます。もちろん運動に対する分析もあるかもしれませんが、運動であっても瞬間の連続として時間と空間をスライスしていく。科学的には「観察」ということなのかもしれません。被観察物と距離を置いて、観察者としてそれを眺める。眺めてパターンなどを見出す。

しかし、ぼくらが住む現実世界についていえば、プレパラートに閉じ込めた永遠の理論がいつまでもつづくわけではありません。プレパラートに閉じ込めた永遠はきれいにみえるけれど、静的なものとしてきれいな結晶を残しておきたいというのは観察者のエゴかもしれない。人間の行動はすべてパターン化できるとは限りません。むしろパターン化されてたまるか、とも思うし、パターンから外れるからこそ面白い、創造的である、とも思う。多様かつファジーなのが人間であって、だからいい。

数値との戯れ、分析機器という精巧な"玩具"との戯れは楽しいものです。ぼくも分析作業をやっていて、データの砂場をスコップで掘り返しながら、思わず「これをずーっとやっていたら楽しいだろうなあ・・・」と、思うことがある。データを掘り起こす作業は、光の当て方を変えるだけで違う結果が導き出されるもので、解釈の可能性は無限に広がっています。やろうと思えば永遠につづけられる。けれどもですね、必要のないデータいじりを無限につづけるのは分析者のつまらないエゴではないか。無限に遊びつづけるのではなく、

ひょっとすると、これって途方もない無駄じゃないか?

と気づくことも重要な気がします。適正な分析は意義があるけれど、不適正な分析は過剰なノイズを増産するだけです。そこまでやらなくてもわかるんじゃないの、ということもある。膨大な時間をかけて子供でも知っている当たり前しか導き出せないこともある。また、膨大な情報は判断を鈍らせるだけのものであり、それで正しい判断ができるか、というとそうでもない。むしろシンプルな情報で迅速に意思決定したほうが、時流をつかむこともある。

その限度を見極めるのは、分析者のセンス、直感かもしれません。制止することも必要だけれど、もっとここを掘ったほうが宝がみつかるのではないかという場合にも、どこを掘るのかを決めるのはセンスという気がします。

見栄えではなく

同様に考えられる無駄な戯れが、チャート化という戯れです。もうひたすらチャート(図形)化しまくる(苦笑)。でも、これは何を意味しているのだろう?という不可解なチャートも多い。チャート化して意味があるものもあれば、逆に箇条書きや文章で説明したほうがわかりやすいこともある。何でも図形化すればよいというものでもない。

コミュニケーションとして考えると、そこには必ず伝えたい対象者がいるわけで、対象者によっても伝え方のポイントは異なります。たとえば経営者に向けたものであれば、文章は少なめで数値を強調した方がいいかもしれない。図形的な説明が苦手なひともいて、であれば図形ではない手法で説明するのがユーザビリティとして適切であると考えます。なんでもビジュアル化すればいいってものではない。図形化すべきときは図形化する、しなくてもよいときはしない。その使い分けが大事です。フォーマット化(標準化)よりもカスタマイズが大切です。

かっこいいから図形化してみました、というのがいちばんかっこ悪いとぼくは思います。必要にないところにビジュアル化は要らない。思考という裏づけのないかっこよさは、むしろかっこ悪い。と、おこがましいのですが、そんなことが言えるようになったのは少しだけぼくが年を取ったかもしれません。若い頃にはとにかくかっこいいデザインのチャートを作りまくって、横文字のかっこいい言葉を使いまくったこともありました。それはめちゃめちゃかっこ悪い。若気の至りというか、いま過去の仕事を振り返ると卒倒したくなることも多くあります。

思考を動かすことができる人材

ビジネスにおいて求められるのは、傍観者や評論家、観察者やかっこよくチャートを仕上げられるひとではなく、その静的な知恵やスキルを動的に活用できるひとではないでしょうか。きれいに企画書を仕上げられる人材よりも、手書きでもかまわないし口頭でもいいから、思い浮かんだアイディア(思考)をすぐに現実として動かせる人材です。

技術とビジネスの分野においても考えられます。よく例に挙げられるのはゼロックス・パロアルト研究所の例ですが、マウスや現在のグラフィカルユーザーインタフェースなど最先端の開発をしていたパロアルト研究所は、技術やアイディアはあったのだけれど、それをビジネスとして現実化することはできませんでした。実際に現実化して普及させたのは、スティーブ・ジョブスやビル・ゲイツだったりするわけです。

とにかく仕事では集中的に考える一週間だったのですが、考えてばかりでいいのか、という疑問がぼくのなかにあります。ちなみに、このエントリーは他者に対する批判のように読めるかもしれませんが、ぼくはその意図で書いていません。疲労した頭をクールダウンさせながら、自戒と自分がなりたい方向性をまとめてみました。自分に向けたメモのようなものです。メモなので結論はありません。結論は明日からの行動で。

投稿者 birdwing : 2007年1月12日 00:00

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