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2007年1月12日

「ライフサイクル・イノベーション」ジェフリー・ムーア, 栗原潔

▼book07-001:イノベーションの固定観念を変える一冊。

479811121Xライフサイクル イノベーション 成熟市場+コモディティ化に効く 14のイノベーション
栗原 潔
翔泳社 2006-05-16

by G-Tools

ジェフリー・ムーアは最終章である11章の最後を次のように結んでいます(P.343)。

社会は永続的な雇用先を必要としている。顧客は安定した製品の供給源を必要としている。政府は安定した税収を必要としている。投資家はリスクに見合うだけの投資機会を求めている。つまり、誰もが何らかの形で運命共同体なのである。企業として新しいレベルの競争力強化を常に行っていく必要があるということだ。これが進化というものだ。つまり、目標値を常に上げていくということだ。国家が生活水準のレベルを上げていくのも同様だ。新しい企業が毎年生まれているのもこれが理由だ。我々が自己のキャリアにおいて常に新しいスキルを学んでいかなければならないのもこれが理由だ。疲れることはあっても退屈することはないだろう。我々は結果を出し続けていかなければならない。ようこそ、生存競争の世界へ。

眩暈がしました(苦笑)。退屈してもいいから疲れない方がいいかも、と思ってしまったぼくは怠惰な人間なのでしょうか。 けれども、ビジネスの世界に生きるのであれば、その厳しい言葉を受け止めて当然という気がします。一発当てればいいのではなくて、結果を出しつづけなければならない。餌を摂取するために常に泳ぎつづけて、泳がなければ死んでしまうサメのようなものでしょうか。あるいは回転していないと倒れてしまう自転車のようなものかもしれません。この言葉は、ぼくのなかでは昨年末に読んだ「ドラッカーの遺言」の次の言葉につながりました(P.163)。

知識社会で中心をなす「知識」は、高度に専門化・細分化し、しかも流動性の高いものとなってきています。知識労働者として要求されるスキルは「情報の変化」に応じて絶えず形を変え、一度身につけたらそれでおしまいというものではなくなりました。つねにスキル・アップを心がけることで、自らの未来を切り拓いていく――私たち一人一人に、そのことが求められるようになったのです。

世界を変えるのは、ひと握りのリーダーでしょ?という考え方もあります。リーダーに任せればいいじゃない、という責任転嫁もできる。けれども、社会を変えていくのは個々にも責任があると思います。最先端の新しい何かを開発しているひとたちだけにイノベーション(革新)が求められているのではない。未来を切り拓くのは、他でもないぼくらであるわけです。

ではどうするのか、という可能性を示す上で「ライフサイクル・イノベーション」に書かれた"製品のライフサイクルすべてにイノベーションの可能性がある"というような主張は興味深いものでした。イノベーションは最先端ではないところにも生まれるということです。この視点は他にも応用できそうです。

「ライフサイクル・イノベーション」のポイントは3つあるのではないか、ということを以前エントリーに書いたのですが、簡単に解説してみると次のようになります。

1)イノベーションは、製品のライフサイクルのすべての段階で可能である。
製品にもライフサイクルがあります。赤ちゃんの時期、若者になって元気旺盛な時期、落ち着いて家族をもつ時期、老後というように、隆盛から衰退という流れがある。いままでぼくは革新的なものは若い時期にあるべきだ、という固定観念があったのですが、衰退していく時期にもイノベーションがある、という視点が新鮮でした。ジェフリー・ムーアは、ビジネスのライフサイクルに合わせて14のイノベーションタイプを紹介しています(14にとらわれることはない、とも言っていますが)。

2)ボリューム・オペレーション型企業とコンプレックス・システム型の企業では、イノベーションは異なる。
ちょっとわかりにくいのですが、乱暴に解釈してしまうと、ボリューム・オペレーション型というのはコンシューマ(消費者向け)製品であり、コンプレックス・システム型というのはエンタープライズ(法人向け)製品またはソリューションという印象を受けました。マーケティングにおいても、このふたつを混同しがちです。特に法人向けのマーケティングは、一般大衆向けのものとは違った特性があるので難しい。まだこれだけでは浅くてさらに解釈してまとめる必要あり、なのですが、その特性の違いを述べている部分は興味深いと思いました。

3)イノベーションを考える上では、コア/コンテキストという概念が重要である。
コンテキストというと、記号論などにかぶれていたぼくは文脈という意味でとらえてしまうのですが、ここではもう少し別の意味のようです。組織論におけるライン/スタッフで喩えたとき、後者のスタッフに近い気がします。ハーズバーグの衛生理論になぞらえると、不満足を取り除く方向性でしょうか(ちょっと違う気もする)。

コスト削減や時間短縮などの効率化がコンテキストにあたるようです。現場で重要な考え方や施策です。一方で、コアとは企業全体が競合と差別化を図っていくための先鋭的な何かで、事業性といえるかもしれません。いわゆるコアコンピタンスのコアですね。ジェフリー・ムーアは、イノベーションのタイプによってコアとコンテキストに注力するバランスも異なることなどを説いています

コアにおけるイノベーションは新製品開発のような派手な新しさです。しかしながら、コンテキストに関するイノベーションは、例えば時間短縮とかカイゼンにあたる地道な施策です。コア向けのイノベーションをコンテキストに応用しても効果が出ないし、逆も同様。たとえば画期的な新製品が求められているときに改良版を投入しても市場に合いません。戦略立案においては、企業のコアとは何か、コンテキストとは何かのように腑分けをする作業が重要ではないかと思いました。

当たり前のことのようにも思えるのですが、よく考えてみると、たとえば「作業効率化がわれわれのコアコンピタンス」だという発言があったとき、その発言は間違っているように思いました。コンテキストのイノベーションであって、事業のコアではない。事業のコアとなるものは、競合と差別化するサービスであったりソリューションです。「われわれの企業は革新的にコスト削減を推進している」というイノベーションもあると思いますが、事業全体を眺めたとき、その戦略が有効になる場合とあまり効果を成さない場合も考えられます。

と、こんな風にイノベーションに対する意識を革新するような本なのですが、理論はシンプルであるものの若干読みにくさを感じました。たぶん事例が多すぎるせいかもしれません。1月4日読了

*年間本100冊プロジェクト(1/100冊)

投稿者 birdwing : 2007年1月12日 00:00

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