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2007年4月10日

親になるには。

サクラの季節も終盤で、東京では葉桜になってきました。そんな春の日、午前中は次男くんの入園式に参加。彼のイベントは(いまのところ)いつも快晴に恵まれていて、気持ちがいい。しかも、長男の経験から1年早めに3年保育で幼稚園に送り込んだため、すっかり慣れていて楽ちんです。

思えば長男の入園式のときには、長男くんは号泣しまくりでした。平然と式を受けている他の子供と比較してしまい、彼の行く末に心を痛めたものです。親としてもまだ未熟だったから、余計に心配になった。実は後から知ったのですが、下から上がってきた3年保育の子供が多ので、そりゃ他の子供は慣れている。1年間そこで過ごした子供たちと比較するのは酷だろうと思いました(その経験を次男に活かしています。三歳になったら放り込め、という形で入れてしまった)。

長男くんに関していえばいまでも今後が心配なのだけれど、次男くんは放置していても勝手に育つだろう、という気がします。乱暴ものの次男くんは転んだり脱臼したり暴れたり危なっかしいのですが、あまり気になりません。長男くんだったら大慌てで医者に連れて行ったけれど、次男くんであればぜんぜんかまわない。その代わり感動も少なめなのかもしれません。

とはいっても、去年までは制服というよりもエプロン(うわっぱり)だったのだけれど、今年からは制服姿で、なんとなく大きくなったな、と感慨深いものはあります。某アイドルの娘さんと同じクラスにもなり、そういうところも東京の私立幼稚園だなと思ったります。だからどうだ、ということはないのですけどね。

物理的あるいは生物的に考えると、子供ができた時点でぼくらは親になります。けれども人間的には、いつになったら親らしくなるのだろう。何をもって親というか、という定義について考えると、よくわかりません。

大人とは何か、という定義に近いものもあるかもしれませんね。社会人とは何か、という定義にも近い。大学を卒業して働き始めれば社会人かというと、そうともいえないものがある。ぼくも社会人になった頃には胸を張って、どうだ自分は社会人だと思っていたものですが、いま振り返ると、あの頃の自分はまだ青くて、社会人45%ぐらいだった気がしています。

話がそれました。親とは何かということはわからないのだけれど、幼稚園の入園式に参加して、ビデオカメラやデジタルカメラでわが子を撮影しているお父さんやお母さんは、みんな親らしい。スーツを着ているけれど茶髪で長髪の若いお父さんもいるのですが、それでもやっぱり親だなあという感じがする。

結局のところ精神性はともかく、わが子をみつめるあたたかい視線があれば親らしくなる、ということにしてみましょうか。

親として自覚を持つこと、声をかけること、一緒に遊んであげることも大事だけれど、何よりもまずあたたかくわが子をみつめてあげる。それが親としての第一歩かもしれない。その見守る視線さえあれば、親らしくなれる。

視線のシャワーを浴びると、子供たちは生き生きと変わります。あたたかい眼差しは太陽光線のようなものであって、光合成をして育つ子供たちには欠かせない栄養です。うちの次男くんに関していえば、カメラを構えたり、みられていると気付くと、過剰なアピールがはじまるのでどうかとも思うのですが(苦笑)、それでも親に見守られていることが子供にとっては成長のための第一条件ではないでしょうか。

ということを書きましたが、最近の次男くんは何か画用紙に書いているときに近づくと、「みないでっ! 10時間まってて!」といいます。創作過程をみられたくないクリエイターとしてのプライドが生まれてきたらしい。

そんなときは視線をそっと外してあげるのも、親としての配慮だったりします。

投稿者 birdwing : 2007年4月10日 00:00

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