2010年5月30日
iPadの衝撃。
Apple製品には、ぼくらをわくわくさせる魅力があります。デザインでしょうか、製品が提供するライフスタイルでしょうか。Windows派のひとには冷ややかな視線を浴びそうですが、"iPad"はAppleファンに新しい希望を与えてくれました。多くのひとが発売前から熱狂的に取り付かれ、たくさんのニュースで取り上げられました。ぼくもまた日本の発売当日に購入したひとりです。
最初はそれほど大きな期待があったわけではありません。5月10日に、今日はiPadの予約開始日だということを偶然に思い出して、量販店に並んだのがきっかけでした。
受付はラスト2人目。ぎりぎりで間に合ってラッキーな気分になり、受付列の最後尾のおじさんと仲良くお話したりして予約を完了しました。その日最後の予約をしたおじさんは、白い髭に眼鏡が似合うどこかデザイナーさんらしい雰囲気のある方でした。そういえば彼も「なんとなく来て、並んじゃったんだよ」とか言っていたっけ。
予約をしたところ、どういうわけか早く手に入れたい欲求が高まりました。指折るように発売日を待っていると、発売日の前日に入荷の電話あり。混雑を避けるために20分ごとに購入の時間を設定しているとのこと。早く手に入れたいので、28日の金曜日、朝のいちばん早い時間に購入することにしました。
多くのひとは、Wi-Fi+3Gのモデルを購入されたようです。しかし、ぼくはモバイルでの利用を考えず、家で無線LAN(Wi-Fi)で使うこと、iPodと同期させて音楽を入れることもないので保存容量も16GBでいいや、ということでいちばんシンプルで低価格なモデルを選択しました(というよりも予算の問題もあったわけですが。苦笑)。Wi-Fi・16GBのiPadは4万8,800円でした。
ソフトバンクが回線の契約といっしょに販売していたため、キャッシュカードのチェックなどもあり、量販店の店員さんもめちゃめちゃレジで戸惑っていました。確認事項や用紙をひとつひとつチェックして(どこかそんなところも携帯電話の販売に似ている)、梱包されたビニールを切って中身まで確認するのには驚きました。うーむ、できればビニールの梱包は家で自分で切りたかったのだけれど。
家に持ち帰って記念写真(笑)。うひゃひゃー購入したぞ、ということで。
白い箱の表面にはiPadの初期画面が印刷されています。しかしよくみるとメールのアイコンのところに7通届いている通知マークがある。そんな細かいパッケージの表現にも、思わずにやり。
上箱を開いてみると、下箱のいっぱいいっぱいに液晶の画面が"嵌まって"いました。でかい。パソコンと比較するとそれほど大きくないはずなのですが、ホームボタンだけのシンプルなデザインのせいか、突起物がまったくないので液晶が広く大きくみえます。
ぎっちぎちに入っていたのでうまく取り出せなかったのですが、iPad本体を取り出すと、その奥には説明書などの書類が紙のケースに入ってさらに嵌まり込んでいます。まったくムダがありません。なんとなく洞窟のなかで秘密の文書を取り出していくような感覚で楽しい。
同根されている書類はマニュアルというほどでもなくて、ボタンの簡単な説明が書いてある一枚のシートのほか、保証書など。iPodなども同様でしたが、驚くほど解説書がない。インターフェースを洗練させて、直感的に操作できるから解説は不要なんだよ、というAppleの自信を感じました。白いアップルマークのシールが付属しているのも、なんとなくうれしい。ファンのこころをくすぐります。
その奥には何があるのかなーとおもうと、USBケーブルと電源アダプタが、これもまた嵌まっている。嵌まりすぎ。
iPad持ってみました。片手だと意外に重い。
裏面に感動。大きなロゴマーク以外に、ごちゃごちゃとシールが貼られていたりネジ止めがまったくないのが美しい。なめらかなカーブを描いているのも最高のデザイン。
ぼくは表面の保護用に、ELECOMのSmooth-Slidein Mat Film for iPad を手に入れました(量販店のカードのポイントで)。マット(ざらざらの)素材なので、指の跡がつきにくい。摩擦係数0.258で滑らず、硬度3Hで傷に強く、紫外線もカットするようです。失敗と埃を恐れたのですが、ヘラでおさえつつ、なかなかうまく貼れました。
さてパソコンと接続です。ごちゃごちゃしてお見苦しいのですが、ぼくのVAIOノートとUSBで繋ぎました。
iPadのほうには、iTunesと接続するように画面に表示されます。購入前に気付いてわずかに焦ったのですが、iPadはiTunesと接続して利用することが前提になっています。ところがぼくは、最近はiPodを使わないし、iTunesは重いので削除していました。あわてて最新版のiTunesをインストール。バージョン9.1以上のiTunesが必要となるようです。
ここからあとは画面の指示にしたがって、スムーズに初期設定が完了しました。Wi-Fiの接続も問題なく完了。はじめての設定には、以下の本がとても参考になりました。
iPad スターティングガイド (INFOREST MOOK PC・GIGA特別集中講座 384) インフォレスト 2010-05-06 by G-Tools |
さて、実際にiPadを使ってみた感想ですが。
すごいっっっ!iPhoneを使っている方には周知のことだとおもいますが、タッチパネルと加速度センサーによる操作感が気持ちいい。アイコンをタップしたり、画面をフリックするのも快感。IPS液晶はとてもみやすくて美しい。
SafariによるWebサイトのブラウジング、YouTubeのレスポンスと画面の美しさも感動でした。自宅の環境では1階と2階で無線LANを使っているのですが、アンテナが1本しか立っていなくてもスムーズにサイトが表示されます。
以前リビングでは、Wiiを使ってインターネットをブラウジングしていました。しかし、大画面のテレビに映し出せるメリットはあるものの、WiiのOperaは非常に遅く、YouTubeなどは表示されないことも多かったのです。重いコンテンツの場合、読み込みの経過を示すバーがあと5ミリのところで止まってしまうこともありました。また画面にソフトウェアキーボードが表示されるものの、Wiiのコントローラはゆらゆら揺れてしまうので文字入力にとてもストレスを感じました。
ところがiPadならばっちりです。スティーブ・ジョブズのようにソファーでくつろぎながら、ふふふん、という感じでインターネットができる(Flashのページはみることができませんが、別にいいかなという気がしてきました)。
Googleのマップも快適です。航空写真の表示も可能であり、ストリートビューもさくさく動くのにはびっくりしました。その他、デジタルカメラで撮りだめした家族の写真のうち、主要なものはほとんどiPadに入れてしまおうと考えています。指先でタップしたり、ピンチイン/アウトできるのが楽しい。
App Storeも使って早速無料のゲームなどをダウンロードしまくりました。子供(次男)がまっさきにはまったのが、Labyrinth 2 HD Lite。iPadを傾けてパチンコ玉を転がしてゴールの穴に入れるゲームです。iPhoneではもうおなじみのゲームですが、なにしろ画面がでかい。手放せなくなっていました。
■Labyrinth 2 HD Lite (無料・20.3MB)
つづいて、Air Hockey Gold。これは2人で対戦できるようなので面白いようです。また、10 Pin Shffle TM というボーリングゲームも子供たちは気に入っていたようです。
■Air Hockey Gold(無料・8.5MB)
音楽系のアプリが揃っているのもうれしいところ。JamPadはなんでもありというか、キーボード(ピアノ)+リズムギター+指板が表示されたリードギター+ドラムキットが使えます。アプリ内で課金をすると機能が拡張されるようです。これだけ楽器を詰め込むとさすがに液晶画面が狭いのですが、ぽろぽろりん、ががーっとピアノ+ギターを適当に弾いているだけでも結構面白い。
■JamPad(無料・26.7MB)
以上は無料ですが、有料になるとさすがによく作られています。とはいっても、たとえばPro Keysは115円!缶コーヒー1本に満たない価格にもかかわらず機能が充実しています。下の写真では、上段にパーカッションのパッド、下段にキーボードを配置していますが、上下段ともに鍵盤にすることも可能で、上の鍵盤をソロ、下の鍵盤をバッキングに使うことができます。ディレイのエフェクトもあり、ピッチベンドも使える。これはライブなどでも活用できそう。
■Pro Keys(115円・39.5MB)
個人的には、コルグのiERECTRIBE(6月30日まで1,200円、通常2,300円)を買うつもりです。ひょっとするとiPadで音楽制作も可能になってしまうかもしれない。願わくば、TENORI-ONとかMonomeのような、新しいインターフェースの楽器アプリが出てきてほしいですね。
ところで巷で話題の電子書籍の方面はいかがでしょう。
まずはAlice for the iPad-Liteの無料版をダウンロードしてみたのですが、本体を揺らすと時計が揺れて、おおーっとおもったものの3ページしかないため、なんともいえません。その後、iBooksをインストールしてWinnie-the-Poohを読んでみました。ページをめくる感覚、印刷が裏うつりしているところまでリアルです。単語を指で押していてると辞書が起動するのもいい。しかし、その辞書が英英辞書なので残念。日本語辞書と連携すれば、そのまま英語の教科書にもなりそうです。
つづいて豊平文庫‐無償版をダウンロードしてみました。うーむ、なんか非常にレアな本が揃っている感じ。しかし、iPhone用のアプリのため、2倍モードで読むと文字にジャギー(ぎざぎざ)がみえていまひとつ。大手拓次の詩集などをダウンロードしました。
電子書籍的なクオリティと醍醐味が感じられなかったので、つづけて有料版のi文庫HD(700円)を購入。本棚にずらりと表紙が並んだ画面は気分が盛り上がりました。とはいえ、本のラインナップは豊平文庫とあまり変わらないような。
マイナーな作家(というのも失礼ですが)の知られざる名作に出会えるのも興味深い機会です。自己啓発本の新書ばかりのリアルな書店とは、一風変わった書棚といえます。とはいえ、できれば自然科学系で面白そうな本もあるとよいとおもいました。それからやっぱりメジャーな最近の本も揃っていてほしい。
意外にいいなとおもったのが、電子版「産経新聞」です。その日の産経新聞をそのままiPadで読める。文字は拡大できるので読みやすい。どんな収益モデルで運営されているのかという勝手な不安がよぎりましたが、新聞あるいは週刊誌はこのような形態で配信していただくと、読者としては非常に重宝するとおもいます。ラテ欄は不要であり、社会面、スポーツ面だけ読みたいひともいそうなので、それこそ音楽がアルバム販売から曲販売に移行したように、コンテンツばら売りも可能かもしれませんね。
こうしてiPadを使いながら、このガジェットの位置づけは何だろうと考えつづけていたのですが、電車や移動時に使うモバイラー的な用途は、iPadが本来めざしていた活用シーンではないと考えました。つまり、そのようなツールであれば、iPhoneやiPod touchで十分です。
また、ネットブックも隆盛しましたが、結果的にそれらはノートPCの廉価版、小型版にすぎなかったとおもいます。
ホーム・コンピューティング、リビングPCのようなコンセプトは、かなり昔からハードウェアメーカーを中心に提唱されてきました。方向性としてはiPadはそれらに近いのですが、ホーム・コンピューティングが従来のままのPC(Windows PC)をテレビやAVと融合させてエンターテイメント環境を創出しようとしたのに対して、iPadはタッチパネルという卓越したインターフェースや洗練されたデザインによって、まったく別の世界観を構築しているようにおもえます。家電どうしがつながる、という考え方ではなく、このガジェット単体で生活様式を変えてしまう。そんな印象です。
iPadのコンセプトは、ソファに座ってプレゼンテーションをしてみせるスティーブ・ジョブスの姿に既に集約されていたように感じます。
ぼくはiPadに3Gの通信も16GB以上の保存容量も求めませんでしたが、個人的には正解だったと感じています。次世代のiPadがあるとすれば、もっとシンプルで手軽なものになるのではないでしょうか。データはすべてクラウドに預けることによって、手元には何も置かなくていい。通信はどのような方式であれ無線になる。もっとも要求されるのはコンテンツです。
現在、電子書籍に対して日本の出版業界の動きが鈍いということは、大きな機会損失だと感じました。片手で持てるような端末ですが、ビジネス契機と時代の変化を巻き起こす潜在能力を秘めていると感じます。SFのなかにしかなかった世界がいま手元にある。そんな衝撃があります。
投稿者 birdwing 日時: 18:33 | パーマリンク | トラックバック
2010年5月25日
LOU DONALDSON / SWING AND SOUL
▼music10-04スイングとソウル、音の触感。
スイング・アンド・ソウル
ルー・ドナルドソン
曲名リスト
1. ドロシー
2. アイ・ウォント・クライ・エニー・モア
3. ハーマンズ・マンボ
4. ペック・タイム
5. ゼア・ウィル・ネヴァー・ビー・アナザー・ユー
6. グルーヴ・ジャンクション
7. グリッツ・アンド・グレイヴィー
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音を聴くのは人間の聴覚ですが、聴覚に肌触り、つまり触覚に近いものを感じるときがあります。"耳触り"という感じでしょうか。嫌な音に対する「耳障り」ではなく、音という波が鼓膜の器官に触れるときの感覚。いわば音の触感です。
やわらかな毛布のようにふわふわした音もあれば、金属のように硬質で滑らかな音もある。ぬめっとした生々しい体液を感じさせるような音もあれば、さらさらと零れ落ちていく砂のような音もある。
触感はモノの素材に基づいています。しかし、音の触感の場合には、それぞれ個人的な印象です。したがって、あるひとには生々しく感じられる音が、別の誰かには無機質な音に聴こえるかもしれません。共有できそうですが、言葉化したときにズレてしまう。完全には共有できません。伝わるイメージもあれば、まったく伝わらないイメージもあります。それが音楽の感動を伝えるもどかしさでもあり、面白さでもあるとおもうのですが。
ぼくにとってサキソフォンの音は、弾力性がありながら艶やかな印象の音です。ゴムのような、人間の皮膚のような肌触りを感じます。特にアルトサックスの低音は掠れた音で、ざらついた和紙あるいは羊皮紙のような印象もあります。全般的にサキソフォンの音による触感が好きです。トランペットは金属的で冷たい感じがするんですよね。テナーサックス、アルトサックスによって奏でられたあったかい肌触りが好きです。
というわけで、アルトサックスの奏者であるルー・ドナルドソンの「スイング・アンド・ソウル」。
ブルーノートのベスト&モアシリーズということで、近所のCDショップを物色しているうちに気になって購入。とても安価だったせいもあります。しかし、久し振りにジャジーな気分に浸ることができました。くつろいで、わずかばかりゴージャスな雰囲気も楽しめました。
短い紹介なので、Wikipediaのルー・ドナルドソンの解説を引用します。
ルー・ドナルドソン(Lou Donaldson, 1926年11月3日 - )は、アメリカ合衆国のジャズ・サクソフォン奏者。ビバップやハード・バップ、ソウル・ジャズのジャンルで録音を行なった。
ノースカロライナ州のバディンに生まれる。ソウルやブルース寄りの演奏で知られるが、形成期には、多くのミュージシャンと同じくチャーリー・パーカーから大きな影響を受け、バップ寄りの演奏様式を採っていた[1]。最初の録音は、1952年にミルト・ジャクソンやセロニアス・モンクといったバップの使者とともに行い[2]、1953年には、トランペットのヴィルトゥオーソのクリフォード・ブラウンやドラマーのフィリー・ジョー・ジョーンズとも録音を行なっている。トランペッターのブルー・ミッチェルやピアニストのホレス・シルヴァー、ドラマーの アート・ブレイキーといった錚々たる顔触れのジャズ・ミュージシャンを率いて、いくつかの小編成のグループを組んだ[1]。アート・ブレイキー・クィンテットのメンバーとして、同グループの最も名高いアルバム『バードランドの夜 Vol.1』の録音にも加わっている。
長年にわたってパートナーのピアニストはハーマン・フォスターが務めた。
ピアノはハーマン・フォスター。Wikipediaの解説にある通り、古くからルー・ドナルドソンのパートナーだったとのこと。確かにふたりの演奏は対話的であり、息があっていると感じました。ハーマン・フォスターはあまり派手な演奏ではない印象ですが、ぽろりぽろりというすこしくぐもった音がやわらかくていい。
1曲目「ドロシー」は、ハーマン・フォスターのピアノからはじまるゆったりしたバラードですが、ルー・ドナルドソンのサキソフォンが終わって1分25秒あたりからのピアノの演奏が好きです。変わって2曲目「アイ・ウォント・クライ・エニー・モア」は軽快な曲。日曜日の午前中などに部屋を片付けながら聴くと気持ちよさそう。
3曲目の「ハーマンズ・マンボ」では、レイ・バレットのコンガがきいています。これ、気持ちいいなあ。コンガはセオリー通りというか、正確にマンボのリズムを刻んでいるのですが、その王道的なラテンのビートが快感です。途中からピアノとハイハットのリズムが細かくなって盛り上がって、また元のテーマに戻っていくところもいい。
4曲目「ペック・タイム」はスイングな感じ。ベースとドラムス+コンガになるところが快感です。そしてドラムソロ、コンガのソロが交互に入ります。一転して5曲目「ゼア・ウィル・ネバー・ビー・アナザー・ユー」はルー・ドナルドソンのサキソフォンが全面的に歌い上げるバラード。雰囲気があります。個人的には中間部分のハーマン・フォスターのピアノがよかった。なんというかギターのハーモニクスを爪弾くような音なのですが。
6曲目「グルーヴ・ジャンクション」はスイング。7曲目「グリッツ・アンド・グレイヴィー」はソウル、R&Bです。ゆったりめのリズムで、ベースとドラムからはじまって、ソウルフルな演奏で終わります。スイングからソウルへ。ルー・ドナルドソンが意識した音楽の志向性を垣間みたように感じました。
と、感想を書いてみて気付いたのですが、アルバム全体の曲の構成が緩急つけられていて、とても聴きやすい。そもそも「スイング・アンド・ソウル」とタイトルに名付けられているわけで、スイングの軽快なリズム感とソウルフルな雰囲気やノリがアルバムとしてうまく融合されつつ、まとめられているのだとおもいます。
演奏に胡椒のような絶妙な味付けをしているのが、コンガの達人といわれるレイ・バレットのリズムです。カッとかパンという乾いた音がサックスやその他の音に溶け込むと同時にメリハリを付けています。ライナーノーツから引用すると次のように書かれています。
ドナルドソンはこのアルバムで初めてコンガ奏者を録音メンバーに迎えた。そして、これ以降コンガは彼の音楽の特長のひとつになる。モダン・ジャズにおけるコンガは通常ラテン調の効果を出すために使われるが、ドナルドソンは自己のジャズ・サウンドのひとつの要素として使った。その意味で、メインストリーム・ジャズでコンガを使った最初のジャズ・ミュージシャンのひとりといえる。
ぼくはコンガの音が好きで、趣味のDTMでは打ち込んでみたり、ループ音源を加えたりしています。しかし、コンガ自体の楽器についてよく知りませんでした。奏法にはまったくの無知です。コンガはキューバの楽器なんですね。
というわけでこれもまたWikipediaでコンガの奏法について調べてみました。次のような奏法があるようです。
スティック(撥)を用いず、直接素手でヘッドを叩く奏法が一般的。主な奏法を以下に列挙する。
- 指全体でヘッドの端を押さえ込まないように叩くオープン
- 指先でヘッドの中心を弾くように叩くオープンスラップ
- 指先でヘッドの中心を弾くように叩き、ヘッドを押さえ込むクローズドスラップ
- 手のひら全体でヘッドを押さえ込まないように叩くベース
- 手の付け根でヘッドを押さえ込むヒール
- 指先でヘッドを押さえ込むトゥ
- 手のひら全体でヘッドを押さえ込むクローズ
- 指先でヘッドの端を押さえ込むモフ
うーむ。よくわからない。というわけで、コンガの達人レイ・バレットの演奏をYouTubeで探したところ、以下のようなソロ演奏シーンをみつけました。
■Ray Barretto-Solo De congas
凄い。片手でヘッドの上を滑らせることによって音程を変えることもできるんですね。パーカッション、奥が深いと思いました。この乾いた音が、サキソフォンの演奏をきりっと締めているように感じます。
サキソフォン、ジャズというと先入観として夜と酒のイメージがあるのですが、コンガの入った演奏では、さわやかな休日の朝の雰囲気も感じられます。洗濯されて日光に向けて干されて、さらりと乾いた布地のような肌触りです。ルー・ドナルドソンの「スイング・アンド・ソウル」、何度か聴き直しましたが気に入っています。
+++++++++
別のアルバムですが、以下の曲もハーマン・フォスターのピアノです。
■Lou Donaldson - South Of The Border
投稿者 birdwing 日時: 20:35 | パーマリンク | トラックバック
2010年5月20日
空気人形
▼cinema10-07:ゴミに埋もれた代用品のこころ、空気のゆくえ。
空気人形 [DVD] バンダイビジュアル 2010-03-26 by G-Tools |
「あなたは空っぽだ」といわれて深く傷付いたことがあります。自分の本質を突かれたような気がしました。鋭い言葉で貫かれた身体のどこかから、空気が抜けていくようでした。せいいっぱい頑張って維持していた張力がぱちんと弾けて、しゅうっと風船がしぼんでしまうように。
空まわり、空虚、空しさ。かなしみには痛みで満たされるものだけではなく、抜き型のようにこころに穴を空けて生きる力を損なうものもあるかもしれません。空気が吹き抜けるようなかなしみ。自分のなかみが噴出してしまうような。
「空気人形」は、こころを持ってしまったダッチワイフの物語です。
ファミリーレストランで働いている冴えない中年の秀雄(板尾創路さん)は、古びたアパートに住み、ダッチワイフ(ラブ・ドール)に話しかけて、人形を抱くことでさびしさを紛らわせています。ところが、ある日、空気人形の「のぞみ(ぺ・ドゥナさん)」はこころを持ってしまう。部屋から抜け出して、老人やさびしい受付嬢や子供など、さまざまなひとに出会いながら、やがてDVDレンタルショップでアルバイトをするようになるのですが・・・。
監督は、是枝裕和監督。彼の監督作品としては、シングルマザーに置き去りにされた子供たちのサバイバルを描いた「誰も知らない」に衝撃を受けました。是枝監督は、雑然としたゴミに埋もれた世界、猥雑なものと美しいものを同時に描くことのできる監督ではないでしょうか。ゴミのなかに美しさを見出せるひとです。原作は業田良家さんの「ゴーダ哲学堂 空気人形」。懐かしく感じました。彼のマンガをすごーく昔に読んだっけ。
ダッチワイフは、男性が性欲処理のために使うオトナの玩具です。空気を入れて膨らませるタイプが多いようですが、高級なものになるとシリコンで作られ人間そっくりらしい。そういえば去年知人に教えてもらったのですが、バジリコという出版社から「南極一号伝説」というダッチワイフに関する本が出ていて、これがものすごく面白いとか。
もはや"代用品"とはいえないのかもしれません。オーナーは人形としての"彼女"を愛しているのでしょう。ラブ・ドールの高級品は一体数百万もするそうですが、コレクターは何体も収集するようです。
人形がこころを持つ、そして人間に憧れる、人間になる、という物語のルーツは「ピノキオ」なのかもしれません。このテーマはさまざまにカタチを変えたストーリーとして変奏されています。たとえば手塚治虫さんの「どろろ」も妖怪から人間になるための物語といえます。また、アンドロイド、ヒューマノイドからこころを持った人間へ、という領域に話を広げると「A.I.」や「アンドリュー NDR114」などの映画もありました。
が、「空気人形」の物語世界における醍醐味はSFではない、日常の雑然とした風景に溶け込むリアリティではないかと考えます。
人形からこころを持った人間に変わるシーン、ぺ・ドゥナの裸体がとても美しく感じました。雑然としたアパートの部屋から窓辺で雨の滴を手ですくうシーン、全裸の後姿が女性らしい。この女優どんな経歴なのかな、と調べてびっくりしました。「グエムル 漢江の怪物」に出ていた女性なんですね。たどたどしい日本語、ぎこちない動きが人形らしさを感じさせていい。あまりの脱ぎっぷりのよさにどぎまぎしましたが。
「空気人形」では、人形がこころを持つという不条理さを当たり前のように描き、登場人物たちも当たり前の日常として受け入れます。
性欲処理として扱われていた人形が、こころを持ってレンタルショップの店員に恋をする、さまざまな映画に興味を惹かれる、化粧をしたり毎日を楽しむようになるという流れは、妻=ワイフ(つまりはダッチ・ワイフなので当然なのですが)のメタファであると考えました。性欲処理を含めた日々のルーティンに飽きて「こころを失った」妻が、不倫などによって自分を取り戻して生き生きとする、という。
痛烈なアイロニーは後半に進むにしたがって、多様に、しかも深く展開されていきます。さまざまなディティールが絡み合い、是枝裕和監督はうまいなあと考えさせられました。
人物像を織り成すさまざまな登場人物のひとりとして、オールドミスの孤独な受付嬢が登場します。とある会社の受付で、彼女は若い派遣の女性の隣りで居心地悪く座っている。訪問者が話しかけるのは彼女ではなく、若くてかわいい受付嬢ばかり。昼休みは公園でひとり弁当を食べ、自分で自分に向けて携帯で話をして空しさに耐えている。
空気人形であるのぞみには、身体の脇にビニールを貼りあわせたのりしろの線があります。受付嬢のストッキングが伝線しているのをみて、空虚なこころを持て余している彼女のことを、のぞみは自分と同じ人形であると勘違いします。化粧を覚えたとき自分の身体にある線を消してもらってうれしかったので、ストッキングが伝線している受付嬢に、これでビニールを貼りあわせた線が消えますよ、と笑顔で化粧品を差し出す。細かい演出ですが、いいなあとおもいました。
もはや若くはない派遣の受付嬢には、代用となる人材はいくらでもいます。秀雄もファミリーレストランの料理人から、「おまえの代理なんて、いくらでもいるんだよ!」と叱責される。こころがあったとしてもダッチワイフと同じように、空虚な「代用品」でしかない。
"人形は燃えないゴミ、人間は燃えるゴミ"であり、結局は、こころがあっても生きていてもゴミにすぎない、という残酷な現実。このテーマは後半で研ぎ澄まされていきます。代用品として愛されること、それは他者の妄想に生きることであり、自分の人生を生きていない。しかし、代用品だから(人形だから)重苦しい葛藤もなく、気ままに付き合うことができる。
ファンには激怒されそうですが、歌声をAuto-Tuneで加工して個性を払拭したPerfumeのボーカルは、アンドロイド=ラブ・ドール的ではないかと考えました。アイドルは「お人形みたい」とよく言われますが、理想的な恋人の代用でもあり、遠くにいて会話が成り立たないからこそ安心して愛でることができます。また、どこか存在をフィギュア化しています。
ところが、意思を持ち始めた途端に人形たちは拒絶されてしまう。「空気人形」の映画で、新しい人形を買った秀雄に対してのぞみが抗議すると「こういうのが嫌なんや。もとに(もとの人形に)戻ってくれへんかな」のようなことを秀雄は言います。勝手だけれど、ぐちゃぐちゃな面倒がなくて一方的に話しかけるだけで都合がいいからこそ代用品なわけです。のぞみが恋をしたコンビ二の店員も、のぞみに過去の恋人の影を重ねていました。
息を吹き込む=生命を吹き込む、ことなのかもしれません。だから、空気人形は体内のなかにある空気が抜けるとしぼんでしまいます。えーと、余談なのですが、ウルトラマンがカラータイマーを取られたシーンをおもい出しました。ウルトラマンって、カラータイマーを取られるとしゅーっとしぼんでしまうんですよね。やつも空気人形か。
■ウルトラマンタロウ&帰ってきたウルトラマンVS泥棒怪獣ドロボン
ついでに、好奇心のおもむくままに、興味本位でヒューマノイドやラブドールを検索して調べてしまいました。これは凄い。
■リアルラブドール
ヒューマノイドでは、音声合成ソフトVOCALOIDを使って歌を歌わせる試みもあるようです。クオリティが高いですね。
■歌声合成ソフト VOCALOIDを使った 歌を歌うロボット「未夢(ミーム)」: DigInfo
し、しかし、ラブドールとかヒューマノイドばかりをみていたら、なんだか気持ちが悪くなりました(苦笑)。ううう、ほんとうに気分が悪い。この心理は「不気味の谷現象」と呼ばれるようです。人間からまったく遠いASIMOくんのようなロボットはかわいいのですが、人間に近くなると次第に嫌悪感が強くなる。しかし、「不気味の谷」を超えてしまうと感情的な嫌悪感はなくなるようです(Wikipediaの解説はこちら)
ゴミのような人間と、人間のようなゴミ。代用品のこころと、こころに満たされた空気のような魂。ときに空っぽなこころを持てあますのですが、それでも人間になりたい、人間でいたい。しぼんできた空っぽなこころに息を吹き込みつつ、生きていたいと感じました。そんなことを考えさせてくれるいい映画でした。
+++++
■トレイラー
■公式サイト
http://www.kuuki-ningyo.com/index.html
投稿者 birdwing 日時: 19:45 | パーマリンク | トラックバック
2010年5月16日
[DTM作品] AOBA(青葉)
5月に入って樹木の葉の緑色が濃くなってきました。晴れた空に青葉はよく映えます。まばゆい。外に出て青葉を眺めていると、この季節、風のなかにすこしだけ夏の匂いがして気持ちがいいですね。ぐんぐん伸びて葉をひろげていく樹木をみているだけで、ぼくらのなかにも力が沸いてくる。
共感覚者の岩崎純一さんが書かれた本「音に色が見える世界」で知ったのですが、日本語にはもともと色彩語として「あか・あを・しろ・くろ」の4つしかなかったそうです。つまり、緑は青とよばれていた。だから木の葉の緑は「青葉」なのでしょう。ちなみに共感覚とは文字や音に色がみえること。通常の感覚しか持たないぼくには想像もつきませんが、世界は色にあふれていることとおもいます。
いま色は細分化され、名前が付いています。和色としては自然から名前を取った色名が多いようです。「和色大事典」から、この時期の樹木の緑色の移ろいを色に当てはめてみると、次のような印象でしょうか。
淡萌黄うすもえぎ #93ca76
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鶸萌黄ひわもえぎ #82ae46
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千歳緑ちとせみどり #316745
■■■■■
というわけで、青葉をイメージした曲を作ってみました。
風に揺れながら静かに佇んでいるけれど、樹木の幹のなかにある管は水を吸い上げ葉脈まで運んでいきます。成長のために力強く呼吸もしています。そんな木々の葉の力強さ、活力、生命力のようなものをイメージしました。タイトルはそのまま「AOBA(青葉)」です。
ブログで公開します。お聴きください。
I programed this tune by my laptop computer. The name of this tune is "AOBA". "AOBA" is green leaves in Japanese. I made this tune imagining vitality of the trees in May. It is quiet, powerful vitality. I'd like you to listen to this tune.
■AOBA(4分06秒 5.63MB 192kbps)
作曲・プログラミング:BirdWing
制作メモをすこし。
前回『ハルノネイロ』という曲を作ったのですが、あらためて聴きなおしてみるといまひとつ納得できませんでした。そこで基本的には前回の制作コンセプトを踏襲しながら、新しい曲づくりを試みました。したがって制作の基盤にあるのは、前回のエントリで引用したようなシューゲイザーやエレクトロニカの音楽です。
しかし、今回制作の途中でイメージしたのは、ベック、そしてアンダーワールドらしい音でした。特にベックのループ、サンプリングを使いながら、ややローファイな音づくりがアタマに浮かびました。以下のアルバム、そしてベックがシャルロット・ゲンズブールをプロデュースしたアルバムはいまでもときどき聴きます。
ザ・インフォメーション(DVD付) ベック ユニバーサル インターナショナル 2006-10-06 by G-Tools |
IRM シャルロット・ゲンズブール ワーナーミュージック・ジャパン 2010-01-27 by G-Tools |
Oblivion With Bells[日本語解説・DVD・ボーナストラック付き国内盤] アンダーワールド Traffic 2007-10-03 by G-Tools |
リズムは、まずTTS-1のドラムにリバーブをかけて生音を切って、空気感のある背景音を作成。基本的なリズムはフリーのドラム音源Rhythms v3.6.1を使っています。その他、パーカッション(コンガ)の音はループ音源。そして中間部分では、ノイズを切り貼りしてリズムを作りました。
うにょうにょいっている音は、これもフリーのSEEQ-ONEというソフトウェアシンセ。こんなインターフェースです。
このシンセ、はっきりいって使い道がないなあとおもっていたのですが、こういう風に使えばいいんですね。プリセット音を3パターンぐらいかえて、4小節ぐらいのフレーズをWAVE化して使っています。ブラスのヒット音、その他パッド系の音はGrooveSynthです。
クールな音を作りたいと考えているのだけれど、耳にやさしい音を意識するとありきたりの平凡な音楽になってしまう。一方で既存の枠組みを壊そうとすると困惑するような音になる。夢中になって取り組んで後で冷静に聴いてみると、いつもと同じようなフレーズを使っていることも多々あります。なかなか匙加減が難しいものです。
しかし、考えようによっては、樹木は毎年葉を散らし、けれども次の春にはまた新しい葉をつけます。葉は同じようでいて、毎年新しい。禅問答のようですが、異なるものを作りつつ同じであって構わないのではないか、とおもいました。まったく同じものはできない。時間は螺旋状に進んでいくわけで、いま存在する地点は昨日/数ヶ月前/去年/遠い昔のこの地点ではないのです。
毎年枯れて、しかし次の年には再生する青葉のような存在あるいはクリエイティブでありたい、と考えました。
投稿者 birdwing 日時: 09:50 | パーマリンク | トラックバック
2010年5月15日
「格差の壁をぶっ壊す!」堀江貴文
▼book10-09:破壊すべきなのは社会的な幻想。
格差の壁をぶっ壊す! (宝島社新書 311) 宝島社 2010-04-10 by G-Tools |
人間は不完全だから、うまくいかないときや不条理な現実に直面したとき、悪態をついたり、愚痴がこぼれてしまう。これは仕方がありません。しかし、ネガティブな状況を変えようとせずに、社会が悪いとか政治家の責任だと声高に叫ぶばかりでは進展がないでしょう。過剰な批判はもちろん、無気力に口を噤んで諦めてしまうことにも納得できません。格差についても同様です。
堀江貴文さんは「格差の壁をぶっ壊す!」の冒頭において、格差の根本にあるのは「ねたみ」や「ひがみ」の感情であるとして、「比べることは新しい自分への第一歩である」と語ります。ぼくはこの考え方に共感しました(P.19)。
突き詰めていけば、およそほとんどの格差問題というものは、格差の上に行けるよう努力するか、格差を気にしないで「俺ルール」の中で生きていくかという、2つの方法で解決できるものと言えるんじゃないだろうか。
そのきっかけとして、まずは自分と他人とを比べてみるということは、大いに有効である。なぜなら、自分と人とは違うと認識することで、自分を変えようとするきっかけになるからだ。繰り返しになるが、他人と自分を比べるということ、そしてそこに差が存在することをはっきりと認識するということは、ごく自然なことであるし、何ら悪いことではない。
格差を肯定するのであれば、ぐちゃぐちゃ言わないでそのルールのなかで覚悟を決めて生きていく。そうでなければ、たとえ大多数から孤立したとしても、自分自身のモノサシで生きる。究極としてはその2つの選択肢しかありません。愚痴や批判を述べる状態は選択を放棄しています。潔い生き方ではない。むしろ堀江さんのような考え方に潔さを感じます。
堀江さんは他人との差異によって自分を再確認することを述べています。この考え方にも同意しました。
しかしながら、冷静に他者と自己の差異を客観視するためには、こころの余裕が必要になります。堀江さんは、自分の生き方を確立できているひとだからこそ、メディアに持ち上げられてもバッシングされても動じずに、自分の信念を貫いてきて現在に至るのでしょう。けれども、堀江さんのように強く生きられないひともいます。周囲に迎合し、あるいは過剰に周囲と自分を比較して「ねたみ」や「ひがみ」の感情を生んでしまうわけで、だからこそ格差社会が大きく浮上する。日本のように和を重視する社会であれば特に。
ぼくは堀江さんの考え方が昔から好きでした。社会的に問題視されていたこともあり、行動は型破りだけれど、彼のことばに耳を傾けていると元気が出ます。同様の印象を感じられるひとに、小室哲哉さんがいます。小室さんは犯した罪を償わなければならないとおもうけれど、ぼくはふたりの人間性に惹かれます。というのは、一種の純粋さを感じるからです。
「格差の壁をぶっ壊す!」では「あとがき」として次のようなことばが記されています(P.190)。
だから私はこの本で、格差を気にする「心」を、執拗なぐらい批判した。そこから抜け出さない限り、いくらカネを稼いでも、いくら勉強ができるようになっても、いくらモテても、虚しいだけだからだ。そういう心が少しでも払拭できたのだとしたら、本書の試みはとりあえず成功だったと言えるだろう。
モテることに関しては次のような記述もありました(P.156)。
往々にして非モテの男性は、いわゆるイケメンのルックスや、自分よりカネを持っている人間に対して嫉妬してしまいがちだ。しかし本当は、その自信のなさが、自分の魅力を格下げしてしまっているということに早く気付くべきだ。
社会の問題に転嫁するのは容易いのですが、自分のこころの問題として省みると、格差への過剰な拘りはコンプレックスとおもえなくもない。格差を叫べば叫ぶほど、「自信のなさ」を露呈し「自分の魅力を格下げ」しているわけです。
こころの問題をクリアした上で、格差社会を実際にどう変えていくのか、というのは難題です。一筋縄ではいきません。ただ衝動的に「ぶっ壊す!」のであれば、戦争でも革命でも勃発させて破壊すればいい。しかし、(消極的といえなくもないのですが)固定観念を破壊することによって、わずかであっても新しい視点を獲得することが可能です。ぼくらは、みずからの"幻想"によって自分を縛り付けていることもあるのです。この自己呪縛からの解放が破壊の糸口になる(P.37)。
ここで打破すべきキーワードは「無難さ」。自らの周りにある無難さをぶち壊していくことが、格差幻想打開への第一歩だ。
いつの間にか思考が保守的になっている。行動が守りに入っている。だから不幸せな「共同幻想」に巻き込まれ、イノベーションが生まれなくなります。この本を読んで、格差という呪縛から抜け出さなくてはと感じたぼくにとっては、堀江さんがこの本で成し遂げようとした思惑は成功したといえるのかもしれません。
本書では、以下の格差について述べられています。
- 所得格差
- 世代間格差
- 職業格差
- 教育格差
- 情報格差
- 地域間格差
- 福祉格差
- 男女格差
- 恋愛格差
- 結婚格差
- 見た目格差
- 印象格差
統計資料を引用している部分もあり、社会の状況を把握した上で堀江さんなりの考察をされています。元気が出るのだけれど、やや楽観的な印象も否めません。たとえば、雨宮処凛さんの本を読むと(ぼくのエントリはこちら)、次のような箇所はどう考えるべきかな?と困惑もありました(P.29)。
少なくとも、現在の日本において、「お金がないから飢え死にした」という状況は非常に考えにくいものになっている。また、リストラなどで収入のない状況に陥ったとしても、生活保護や親族に頼れば、何とか食べていくことはできる。食うに困らない社会システムが既にできあがっているのだ。戦後の混乱期ならいざ知らず、現代の日本で「収入が少ないから食っていけない」というのは明らかな言いすぎである。
ぼくの読んだ限りでは、雨宮処凛さんは「排除の空気に唾を吐け」で、2007年7月に北九州市で起きた52歳の男性の餓死事件やシングルマザーの餓死問題を取り上げ、福祉制度や日本の社会に警鐘を鳴らしています。しかし、それは社会全体から眺めればレアケースで"そうはいっても"日本は豊かなのかもしれません。次のような指摘も、もっともであると感じました(P.42)。
半面、今、人に「助けてくれ」とうまく伝えられない人が多いように感じる。特に「能力的にたいしたことないなぁ」と思うような人に限って、「何かを守らなければならない」というプライドが強く働いているように見えるのだ。
おまえが助けてくれって言わないから自業自得だろ、のような個人の責任追及は避けたいのですが、HELP!という信号を出しにくい空気があることは確かです。社会的な問題はもちろん、個人が勝手に思考の枠組みを固めて、プライドをかなぐり捨てれば何とかなるはずなのに、みょうに自分を守ってしまう場合も考えられます。頑なに幻想にしがみついている印象です。次のようにも書かれています(P.63)。
そして、「ずっと正社員でいられる」という考え方自体も、もはや幻想だ。利益を生み出すためのスキルというものを身につけない限り、会社にとっては必要のない存在とされるからだ。ただ単純労働ができるようになったり資格を取ったりしても、それをスキルアップとは言わない。あくまでも「稼げるスキル」じゃないと意味がないのだ。
本質を突いているとおもいます。自分探しや資格取得も一種の幻想であり、現実的に考えると稼げるかどうかがポイントになります。幻想にかかずらわっている場合ではありません(P.72)。
置かれた立場や待遇に不満を持ち、「職場による格差だ」と腐ってしまっている人はとても多いように感じる。だが、そんなことに悩んでいるのは、完全に時間のムダ。「手に職をつける」努力はいつ、どんな立場からだって始められるし、また、稼げる仕事を見抜ければ効率的に稼ぐことだってできる。自分の頭で考え、自力で這い上がっていかなければ、いつまで経っても腐ったままなのだ。
自らが努力することも重要ですが、未来の人材のためには教育も重要になります(P.69)。
私としては、簿記なんかと一緒にさまざまな「商売の仕組み」を、学校教育の段階で教えておくべきだと思う。こうしたリテラシーがないから、仕事に就いても稼ぐことができない。つまり、騙されてしまうのだ。
ふと気付いて本棚を漁ったのですが、ぼくが以前購入した堀江さんの本は「100億稼ぐ仕事術」というタイトルでした(笑)。
100億稼ぐ仕事術 (ビジスタBOOK) ソフトバンククリエイティブ 2003-11-15 by G-Tools |
稼ぐことに執着するのは、はしたないように感じるひとも多いかもしれませんが、そんなことはないとおもいます。稼ぐ能力=生きる力であって、その力を強化することが生活を「豊か」にする近道のひとつでもある。もちろん個人がそういう生き方を選択した場合です。
具体的な解としては、最近読了したティナ・シーリグの「20歳のときに知っておきたかったこと スタンフォード大学 集中講義」のなかに見出しました。
20歳のときに知っておきたかったこと スタンフォード大学集中講義 Tina Seelig 阪急コミュニケーションズ 2010-03-10 by G-Tools |
スタンフォード大学では演習のひとつとして、5ドルを渡して2時間以内にできるだけ増やせ、という課題を出すとのこと。これはまさに「稼ぐ」能力開発といえます。クラスを14チームに分けて競わせ、最後にはプレゼンさせるわけです。もしかすると日本にも同様の演習を行うような大学があるかもしれませんが、米国でこんな教育を実践されているのだとしたら、甘ったるい日本の教育では国際間の競争には勝てないと感じました。言いすぎかもしれないけれど。
日本の教育は、格差に敏感になるあまりに、子供たちの牙を抜いて去勢した教育、競争を排除した教育になりつつあるように感じます。過保護で横並びのロボットを作るような教育です。それよりもっと個々の実践的な力を重視したほうがよいのではないでしょうか(P.86)。
高校生の中には受験をしない生徒もいる。先生はそういう生徒も一緒に教えなければならない。だから、一方で勉強したい生徒は予備校に行かなくてはならなくなるわけだ。色々な意味で硬直化している。こう考えると、全員一緒でなければならないという、一見平等のようにみえる教育が、実は才能をスポイルし、それぞれの能力に対して不利益を与えているのではないか。
次のようにも述べられています(P.89)。
すべての子どもたちが、同じ教室で同じ教育を受けなければならず、その上自分の能力を伸ばせというのは、大人たちの身勝手と言ってもいい。それが「理想的」であるとして、世の中が認めてしまっていることが大問題なのだ。あまりにも「理想的」という幻想に凝り固まっていると思われてならない。
この理想論に「凝り固まっている」教育の実情を壊す提言として、次のようなものがみられます(P.82)。
教師は、教師になることを自ら選択しているわけだから、学校のことしか知らなくても危機感を持つことはない。そういう教師で果たしていいのだろうか。
そう考えると、教師は専業である必要はないのかもしれない。月に1回授業をする会社経営者や弁護士や、サラリーマンがいても良いのではないか。
大学では、インターンシップや学外からの講師を招くことで、このような教育は実践されつつあるように感じます。しかし、もっと早い時期から「稼ぐ力」を教育のなかに取り込んでいってもよいのでは。もちろん、段階的な導入が必要でしょう。とはいえ、暗記中心の机上の押し込み教育より、思考力と実行力を具えた社会における実践的な人材=稼ぐことができる人材=強く生きられる人材の育成のほうがよいのではないか、と考えます。もちろんそれとは別に、アカデミックな知をのびのびと育む場所も確保しつつ。
個人的なことを語ると、ぼくの父親は教師でした。ぼくは教師である父を尊敬しています。しかし一方で、狭い社会のなかに閉じ篭もっている感じがどうしても払拭できずに、教師ではない一般的なサラリーマンの道を選びました。
率直なところ、教師の息子としてサラリーマンの自分を省みると、まったく別世界であると感じます。教師である父には教えてもらえなかった「社会的能力」の必要性を強く認識しています。そういう世界を子供の頃に知ることができれば。あるいはもうすこし悩まずに、苦労せずに生きられたかもしれません。父の庇護が大きく、ぼくはそれに甘えて、世間の厳しさを知らずに、成人になってからでさえ純粋培養されて成長してきました。
と、いろんな考えが錯綜したのですが、最後に、こころ強く感じたのは堀江さんの次のようなことばでした。
私はライブドアでの企業活動を通じて、民間が社会システムを変えることができるという確信を持つことができた。「ソーシャルハッキング」とも呼べる活動が、一民間企業でも可能だということだ。
ソーシャルハッキング。堀江さんも書かれているように、ハッキングとはコンピュータへの不正侵入(クラッキング)ではなく、「耕す」こと、つまり「専門知識を用いてシステムの改変を行うこと」だそうです。
一民間企業に可能なことの縮小版が一個人にも可能でしょうか。
ぼくにはまだわかりません。しかし、そのためには格差という「幻想」を逃げ道にしないこと、要するに、格差社会だからしょうがないという思考停止を乗り越えて、現実に生きていく(稼ぐ)力の獲得に鍵があると考えています。
投稿者 birdwing 日時: 21:03 | パーマリンク | トラックバック
2010年5月 9日
OWL CITY / ocean eyes
▼music10-03:眠れぬ夜に、エレクトロ・ポップのきらめき。
オーシャン・アイズ
アウル・シティー
曲名リスト
1. ケイヴ・イン
2. ザ・バード・アンド・ザ・ワーム~鳥さん、虫さん
3. ハロー・シアトル
4. アンブレラ・ビーチ
5. ザ・ソルトウォーター・ルーム
6. デンタル・ケア
7. 流星群
8. オン・ザ・ウイング
9. ファイアーフライズ
10. ザ・ティップ・オブ・ジ・アイスバーグ
11. ヴァニラ・トワイライト
12. タイダル・ウェーヴ~憂鬱という名の津波
13. ホット・エアー・バルーン (ボーナス・トラック)
14. ラグズ・フロム・ミー・トゥ・ユー (ボーナス・トラック)
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眠れない夜はどうやって過ごしますか?分厚い本を読む。ぼんやりと遠方で眠る恋人について考える。ネットでひたすらキーワードの連鎖を辿って彷徨う。夜更かしの友人と、とりとめのないチャットをする。ひとり酔いつぶれる。ブログの草稿を書く。あるいは・・・音楽を作る。
アウル・シティーは、アダム・ヤングのプロジェクト。彼が「洞窟」と呼ぶ両親の家の地下室で、眠れない夜に曲を作り、MySpaceなどネットのコミュニティを通じて楽曲を発表してファンを増やしてきたそうです。
ベッドルームミュージックという言葉をかつて聞いたことがあります。要するに自宅録音(宅録)なのですが、自分の寝室に機材を持ち込んで、そこで多重録音をして、ドラムマシーンやシーケンサーによるシンセサイザーの打ち込みはもちろん、ギターやベースも弾いてボーカルパートを歌って、ひとりで音楽を作ってしまう。トッド・ラングレンも自宅で曲を作っていました。
そして現在、インディーズやアマチュアのアーティストの地下活動(アダム・ヤングの場合はまさに地下室なので地下なんだけれど)からヒットが生まれる時代になりました。日本でいえば、まつきあゆむさんが注目を集めています。
不眠症から生まれた音楽。だからこそプロジェクトにOWL(ふくろう)という夜行性動物の名前を付けたのでしょう。けれどもふくろうは、叡智をつかさどる鳥でもあります。村上春樹さんの『1Q84』にも出てきたっけ。睡眠障害から地下室で作られた作品にもかかわらず、アウル・シティーの曲は湿ったところがない。夜の暗さを感じさせません。むしろ底抜けに明るい。そして洗練されています。
ぼくが曲調からイメージしたのは、エレクトリック・ポップという意味ではペット・ショップ・ボーイズ、鼻にかかった甘ったるいボーカルでは初期のタヒチ80、あるいはアクアラングというアーティストたちでした。けれどもそんなアーティストたちと類似の枠で括れないほど、突き抜けた明るさがあると感じています。
アウル・シティーのアルバムを試聴したのは3月の終わり頃。某地方のCDショップで、パワープッシュされていました。インディーズで紙ジャケットの安っぽいアルバムなのに、「このアルバムを試聴したひとは、そのままレジに持っていって購入する確率が高い」というような扇動的なPOPが立っていました。確かに試聴したところ、おお、これは買いかも!とおもったのですが、そのときは小遣いと相談して断念。その後、やはり諦めきれずに購入することになりました。
癒される・・・ということばはよく使われます。けれども、ひとによっては何に癒されるか違う。大自然のなかで新鮮な空気を胸いっぱいに吸い込んで癒されることもあれば、都会のビル群にある最上階のバーで夜景を眺めながら癒されることもあります。生音もいいけれど、ぼくはアウル・シティーのきらきらしたエレクトロ・ポップに癒されました。電子音なのだけれど、かすかに懐かしい。
全体的に捨て曲がありません。つまりぼくにとっては嫌いな曲が1曲もない。聴きはじめると最後まで一気に聴いてしまいます。特に好きな曲は、まず1曲目「CAVE IN」。フィルターをかけたラジオ風の加工から一気に音が立ち上がるところは、エレクトロニカ的なわくわく感をそそります。2曲目「THE BIRD AND THE WORM」は「~鳥さん、虫さん」という邦題のフォローがついていますが、なんとなく可愛い歌詞。
4曲目「UMBRELLA BEACH」は、ペットショップ・ボーイズを思い出しました。この曲好きです。全体の構想のメリハリ、間奏以降の疾走感。そして途中で、録音では生音なのかサンプリングなのかわかりませんが、弦の音が入るのが素敵です(波の音も入っています)。YouTubeから。
■Owl City - Umbrella Beach
7曲目「METEOR SHOWER」は静かなはじまりからスケールが大きくなる展開。また11曲目「VANILLA TWILIGHT」はロマンティックな曲で、2ndシングルだそうです。次の「TIDAL WAVE」および「HOT AIR BALLOON」のアコギのカッティングも気持ちいい。
ライナーノーツに引用されている彼のことばで、共感と尊敬をもって読んだのは次の部分でした。中学時代にギターを弾くことを覚えたのだけれど「一人っ子で、ひっこみじあんだった彼」はバンドを組まずに、プログラミングやシーケンサーを使って曲を作りはじめます。
「ギターを極めるよりもコンピューターに興味が向かったのは、ソロ・アーティストとして最小限のもので最大限のことができるからさ。それにミュージック・シーンなんてないオワトナではライヴを観る機会もなかった。だから、アーティストとは何をするものなのか、僕は自分なりに考えるしかなかったんだ。誰かに憧れてやりはじめたわけではないんだよ。だけど、オワトナの環境は僕の音楽から伝わる素朴さを保つ上で役立っていると思う。醜いものには、あまり触れずに生きてこられたからね(笑)」
ある意味、純粋培養で自分の音楽を育ててきたわけです。情報に溢れている場所は便利であり、刺激にもなるのですが、氾濫した情報に惑わされてかえって自分を失うことがあります。彼の音楽に流れる素直さのようなものは、逆に既存の枠を離れた独創的なものにも感じられます。
YouTubeにはいくつかのライブ映像(アマチュアがビデオカメラで撮影したものでしょう)が投稿されていたのですが、かっこいいなーとおもったのは全米No.1シングルにもなった「FIREFLIES」です。引用します。
■Owl City - Live X - "Fireflies"
編成はギター+ボーカルのアダム・ヤングに、ドラムス、コーラス+キーボード、ストリングス×2というベースレスの編成です。打ち込みと同期させているのだとおもいますが、弦が入っているところがユニークに感じられました。ファイアーフライズは故郷のホタルをイメージしたとのこと。
眠れぬ夜に地下室における宅録から生まれた音楽だそうですが、ヒットしても純朴さを失わないでいてほしいとおもいます。今後に期待しています。
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■MySpace
http://www.myspace.com/owlcity
投稿者 birdwing 日時: 13:25 | パーマリンク | トラックバック