2010年8月29日
[DTM作品] QOL(クオリティ・オブ・ライフ)
英語でツイッターをやっていると、さまざまな短縮表現に出会います。140字しか書けないので、短縮することで文字数を節約するわけです。
はじめは何のことやらわからないものもありました。けれども、英語でツイッターをするための本を買い求めていくうちに、なるほどなあとわかるようになりました。一例を下に挙げてみます。
- LOL:Laughing out loud (笑)
- GM:Good morning. おはよう
- THX:Thanks ありがとう
- BTW:by the way ところで
- BBL:be back later あとで戻ってきます
- CU:See you. またね
- OMG:Oh my god なんてことだ
- PPL:people ひと
- 2:to, too
- 4:for
日常に使われていることばにもたくさんの短縮形があります。特にビジネス用語。ご存知のようにITはInformation Technology (情報技術)の略であり、CSはCustomer Satisfaction(顧客満足)です。短縮化すると文字数が減るだけでなく、概念もぎゅっと圧縮される気がします。簡略化の半面、意味が削ぎ落とされる印象もなきにしもあらず、ですが。
ジョージ・オーウェルの小説「一九八四年」では、ひとびとを洗脳しイデオロギーを浸透させるために、ニュースピークという言語が物語内で使われていました。創作であるにもかかわらず、巻末に付録として架空の言語の原理について解説を掲載するほどの徹底ぶりです。
ニュースピークでは、ことばを短縮させるだけでなく、badという概念を消滅させてungoodで言い換えるなど、ことばの数自体も減少させます。言語は思考に直結しているため(というより人間は言語で考える生き物なので)、ことばの数を制限することで余計な思考を排除できる、と考えられているようです。凄い発想をするひとだなあ、ジョージ・オーウェルは、とおもいました。
140字という制限があるツイッターでは、日本語も短縮されています。よくみかけるのは「おはあり(おはようありがとう)」、「おつあり(おつかれさまありがとう)」という感じ。暗号化することで記号的には軽くなり、情報伝達を速めます。また、顔文字などの記号も、テキストだけでは伝えにくいノンバーバルな感情表現を伝えるために使われます。
ネットでソフトなどをダウンロードするとき、ファイルを圧縮して容量をちいさくしてオンラインの負荷を減らし、自分のコンピュータで解凍する。あの作業に似ているかもしれません。ぼくらは短縮された記号を「解凍」して、書かれたひとの感情を読み取ります。そこには独自の解凍のためのコードが必要であり、コードのわからないひとには何のことやらわかりません。
使い慣れてしまうと短縮形の世界にどっぷりと嵌まってしまうけれど、あらためて考えるならば、短縮されたことばには何か殺伐とした記号の世界を感じます。といっても、これは懐古主義的な、いわゆるおじさんの発想かも。若い世代にとっては逆に、短縮されたことばに親近感のようなぬくもりを感じるのでは。
そんなことばの短縮形のことを考えていたら
生活の豊かさは冗長性にあるのではないか、
という思いがぼくのアタマのなかに浮かびました。
つまり短縮されない、長ったらしい言語の世界が豊かなのかもしれない、ということです。ぼくのブログがその体現なわけですが(苦笑)、ワード数やスペースの制約を受ける職業ライターならいざしらず、個人的なブログは、書きたいことを制約にとらわれずに書けばいい。スタイル(文体)なんて構わない。定型のことばに嵌まるよりも、枠をはみ出したことばのほうが面白い。
ビジネスには効率化が必要ですが、個人生活に効率化は不要。ムダ、冗長性が大事ではないでしょうか。ビジネス思考の枠組みを利用してプライベートも管理するライフハックの発想がありますが、ぼくは嫌いです。私生活まで管理されたくないでしょう。だらしなくてもいいじゃん。
そもそも音楽や文学や映画などゲイジュツ全般がムダであり、それらはあってもなくても生きていけます。つらい片思いのレンアイや仕事の人間関係だってムダばかり。どうでもいいことにどっぷり浸かっている時間は、人生の浪費以外のなにものでもない。でもですね、そのムダがいいんだよなあ。
幸福とは冗長性である、とぼくは考えます。
無意味にムダなことは、とてもしあわせです。ぼーっとしている時間、あるいはどうでもいいことに没頭している時間って、なんだかしあわせではないですか。ぼくだけですか。もし、ああこんなムダなことに時間を費やしてしまった、と自責の念を感じるようであれば、自分にとって幸福とは何であるか価値観を見直したほうがいいかもしれない、とぼくは考えます。実際に、そうやって考えてきました。
人生は、みっちり密度の高い時間ばかりで構成されているわけではない。エリート志向の方は、時間を確実に消費しがちですが、意味があり過ぎる人生は疲れるとおもいます。完全燃焼すると、燃え尽きてしまいます。人生に意味なんてなくてもいい。消化できない不条理なことがあっても結構。ぐだぐだ悩んで迷っている時間も大切。過激なことをいってしまえば、ゴミや身体に悪い酒やタバコも必要ないからこそ意義がある。
と、無駄なことを長々と書きましたが、そんなことを曲を作ったあとで考えました。
今回の曲は「QOL」といいます。Quality of LIfe(生活の品質)の短縮形です。ブログで公開します。お聴きください。
I think that happiness is a redundancy. All the arts like literature, music, and the movie, are not always useful for our life. But there is a value because it is useless. In the field of the business even if efficiency is necessary, it isn't necessary in private life. It is happy that we can spend surplus time. I made this tune thinking about the quality of the bountiful life. The title of this tune is "QOL". QOL is abbreviation of "Quality of life". I'd like you to listen to this tune.
■QOL(4分00秒 5.49MB 192kbps)
作曲・プログラミング:BirdWing
ちなみに、Wikipediaで「QOL」について調べると、次のように書かれています。医療用語でもあるようです。
クオリティ・オブ・ライフ(Quality of Life,略語:QOL)は、一般に人や社会の生活の質、つまりある人がどれだけ人間らしい生活を送り、「幸福」を見出しているかを尺度としてとらえる概念である。「幸福」とは財産や仕事だけではなく、住宅環境、身心の健康、教育、レクリエーション活動、レジャーなど様々な観点から計られる。したがって個人の収入を基に算出される生活水準(英:standard of living)とは分けて考えられるべきである。
楽曲制作の背景はとてもシンプルです。アンダーワールド風のノリのいい曲を作りたかった、ただそれだけの動機でした。しかし、彼等のアルバムは2枚しか持っていないので、久し振りにレンタルCDショップでアンソロジーを借りました。2枚組みのアンソロジーです。聴き直しておもったのは、この曲が好きだということ。YouTubeからライブを。
underworld 1992-2002 (Japan Only Special Edition) アンダーワールド V2レコーズジャパン/コロムビアミュージックエンタテインメント 2003-10-16 by G-Tools |
攻撃的なリズムと叙情的なパッド系シンセがいいですね。この曲が使われている(らしい)「トレインスポッティング」という映画って観たっけかな。観たような気もする。けれども記憶が確かではありません。
制作メモです。
今回、制作手法としては前回作った「chaos cosmos」を踏襲しています。ただ、前回が非常に混沌とした作り方だったのに対して、今回はより先鋭化させたつもりです。
まず、GrooveSynthでベースラインを作って軽くワウをかけ、(自分としては。苦笑)なるべく攻撃的なリズムを組むことをめざしました。左右別々のトラックを作って、スライスしたドラムの音声ファイルを左右に振っています。が、実は意外に繊細に組み立てているのです。途中から、中南米系のパーカッション無料音源のTakimを多用して、メリハリをつけました。
とはいえ、アンダーワールドを研究しておもったのですが、ぼくは割合細かくリズムを変更したりメロディを変えたり小細工をするのだけれど、彼等のリズムは変化がない。一定のリズムを延々と繰り返している。ムダに長いなー、と(笑)。しかし、その冗長性が気持ちイイ。小細工に凝って、シンプルなリズムの気持ちよさを忘れていたことに気付かされました。なので、攻撃的でありながらビートの気持ちよさを追求しようと考えました。
ワウのギターソロが中盤に出てきますが、これ、弾いてないんですよね(笑)。細かいフレーズ素材集のピッチを調整して、切り貼りして作っています。ちゃかちゃかというカッティングノイズが好きです。ストリングスのシンセはアンプシミュレーターのディストーションを通して歪ませています。
没頭しているうちに、あっという間に時間が経ち、いつの間にか曲が完成していました。DTMの趣味をやっている時間が、ぼくには至福のときですね。しあわせだなあ、とおもう。永遠に曲を作りつづけられたらいいのですが。
投稿者 birdwing 日時: 10:52 | パーマリンク | トラックバック
2010年8月24日
[DTM作品] chaos cosmos (カオスコスモス)
NHKで放映されていた「Schola 坂本龍一 音楽の学校」。バッハ編、ジャズ編、ドラムズ&ベース編と3部構成でそれぞれ4回ずつ、対談とワークショップ、解説で構成されていて、とても興味深いものでした。
日付け変更線をまたぐ深夜の番組だったので、ついつい見逃してしまうことが多かったのですが、先日BShiで再放送があり、このときばかりは頑張って全回を一気にまとめてみることができました。満足、満足。
ドラムズ&ベース編では、坂本龍一さんに加えて、高橋幸宏さん、細野晴臣さん、ピーター・バラカンさんの対談、さらに小山田圭吾さんなども参加したビートルズやスライ&ファミリーストーンなどのコピー演奏があり、非常に豪華でした。
しかし、いま振り返って考えてみると、YMOのメンバー3人が集結した回はファンにとっては垂涎ものですが、個人的にはクラシックやジャズの回のほうがよかったかも。坂本龍一さんが通常手がけている音楽ジャンルとは異なった分野を解説した回のほうが、スリリングな感動があった気がします。
特にジャズ編では、フリージャズのピアニスト山下洋輔さんをゲストに迎えて、ジャズとは何かというテーマのもとに、コードからモード、そしてフリージャズへの変遷の歴史を追いかけていて勉強になりました。ジャズの歴史は端的にいってしまえば、社会制度と音楽の「解放」の歴史だったと感じました。
坂本龍一さんがジャズのセッションに参加するのは初めてだったとか。グランドピアノが向かい合って置かれ、坂本龍一さんと山下洋輔さんが対峙して演奏するとき、水を得たサカナのような山下洋輔さんに比べると、若干、坂本龍一さんの演奏には戸惑いを感じました。が、その異なるジャンルへの挑戦と融合が見所でした。
中学生と高校生、そして大学生のビッグバンドを交えたワークショップでは、フリージャズを体験してみるセッションがあったのですが、演奏をはじめる前に、「何をやってもいい。けれど自由には責任がともなう」と語る山下洋輔さんが印象に残っています。
そんな「フリー」な演奏にインスパイアを受けて、自分の枠を取り払おうと考えつつ曲を作ってみました。
タイトルは「chaos cosmos (カオスコスモス)」としました。「cosmos(コスモス)」 には宇宙という意味もありますが、「chaos(混沌)」の対義語として「秩序」という意味もあるようです。混沌とした宇宙。混沌のなかにある秩序。なかなか意味深長です。
ブログで公開します。お聴きください。
I don't think that freedom means unrestrained conditions. Freedom is often accompanied by responsibility. If we lost our own order of responsibility, freedom collapses, and it becomes chaos. Chaos is opposite word of cosmos. It means "order " besides the meaning of "space". I made this tune with image of chaos and cosmos. So I named the title of this tune to "chaos cosmos". I'd like you to listen to this tune.
■chaos cosmos(4分33秒 6.25MB 192kbps)
作曲・プログラミング:BirdWing
「Schola 坂本龍一 音楽の学校」のジャズ編では、フリージャズの先駆としてオーネット・コールマンの「ジャズ来るべきもの」というアルバムが紹介されていました。思わず買い求めたところカッコいい。特に気に入ったのは「Chronology 」という曲です。YouTubeから。
Ornette Coleman - Chronology
ジャズ来るべきもの(+2) オーネット・コールマン Warner Music Japan =music= 2008-02-20 by G-Tools |
さて、自由についてもうすこし。
感想を書きたいとおもっていながら手強いので着手できていませんが、マイケル・サンデル「これからの正義の話をしよう」は非常に考えさせられる本です。
これからの「正義」の話をしよう――いまを生き延びるための哲学 マイケル・サンデル Michael J. Sandel 鬼澤 忍 早川書房 2010-05-22 by G-Tools |
リバタリア二ズム(自由至上主義)に対する批判を中心に、自由とは何かを考える素材がたくさん用意されています。ジェレミー・ベンサムの「道徳の至高の原理は幸福、すなわち苦痛に対する快楽の割合を最大化すること」という功利主義からはじまり、ジョン・スチュワート・ミルの「自由論」にも触れます。次のように書かれています(P.67)。
『自由論』の中心原理は、人間は他人に危害を及ぼさない限り、自分の望むいかなる行動をしようとも自由であるべきだというものだ。政府は、ある人を本人の愚行から守ろうとしたり、最善の生き方についての多数派の考えを押し付けようとしたりして、個人の自由に介入してはならない。人が社会に対して説明責任を負う唯一の行為は、ミルによれば、他人に影響を及ぼす行為だけだ。
しかし、イマヌエル・カントは功利主義を批判し、正義と道徳と自由を結びつける厳格な自由を求めます(P.143)。
カントの考える自由な行動とは、自律的に行動することだ。自律的な行動とは、自然の命令や社会的な因習ではなく、自分が定めた法則に従って行動することである。
カントの言う自律的な行動を理解する一つの方法は、それを自律の対極にあるものと比較してみることだ。自律の対極にあるものを表わすために、カントは新しい言葉をつくった。「他律」だ。他律的な行動とは、自分以外のものが下した決定に従って行動することだ。
功利主義よりも、カントの自律の考え方に深く共感しました。自由であることは、社会に流れている定型のことばに疑問を抱き、自分のモノサシで考え、語ること、行動することに他ありません。他律的に外部の価値観に束縛されたら自由ではない。ステレオタイプな価値観を疑い、ときには多数の発言に抗う勇気があることも自由でしょう。
善人は定型的な多数決の価値観に満足し、そこで思考停止してしまう。けれども、ほんとうに自分はそれでいいのか、と考えつづけること。ごまかさないこと。無闇に既存の価値観を破壊する必要はありませんが、自分のなかにある格律にしたがうことが自由だとおもいます。
自由ということばから、エーリッヒ・フロムの「自由からの逃走」という本もおもい出しました。
自由からの逃走 新版 エーリッヒ・フロム 日高 六郎 東京創元社 1965-12 by G-Tools |
ふつうぼくらが考えるのは束縛からの解放、自由「への」逃走です。しかし、この本のタイトルは自由「からの」逃走となっている。フロムは近代化の過程で、大きな何かに守られていた個人(特に中産階級)が自由になり、かえって孤独や不安を感じるようになってしまった、という社会現象を指摘しています。
そして、ファシズムや権威主義、オートマチックな機械などに個人を委ねることによって、自由を放棄することによって安心感を得ようとするのではないか、と指摘しています。ヒトラーのナチズムが台頭する第二次大戦中に書かれた本としては、画期的かつ過激であると感じました。
ここでイメージが重なるのが、ジョージ・オーウェルの近未来小説「一九八四年」でした。
一九八四年[新訳版] (ハヤカワepi文庫) ジョージ・オーウェル 高橋和久 早川書房 2009-07-18 by G-Tools |
永続的に交戦状態にあり、ビッグブラザーが讃えられ、テレスクリーンという装置によって常に監視されているような社会。政治的な意図から危険な思想を生む言語はどんどん削られて、ニュースピークということばになり、過去の歴史は逐次都合のいいように改竄されている。思考警察に捕まると酷い拷問と洗脳が待っているため、誰もが無気力かつ神経質に制度に従います。物語のなかでは、次のようなことばが掲げられます。
自由は隷従なり。
ぞっとするような世界ですが、あながち空想ともおもえないところが怖い。社会に対する深い洞察が描かれた小説だとおもいました。
カオス(混沌)から秩序(コスモス)へ。
ぼくの考える秩序とは、体制や社会の規範というような外側にある秩序ではなく、自己の内側で生成される秩序です。自己の内側にある規範はどうしても外側からの圧力に脆く、揺らいでしまうのだけれど、思考を鍛えることで、自分なりの秩序を形成したいと考えています。
さて、理屈っぽい自由論がつづいてしまいましたが、最後に「chaos cosmos(カオスコスモス)」の制作メモです。
基本的にはリズムはワルツ(8分の6拍子)で、ワルツっぽく聞こえないリズムをめざしました。WAVEによる音声ファイルもたくさん貼り込みましたが、今回は「フリー」のVSTiもたくさん使っています。リズムはいつも通りのRhythmsV3.6.1とともに、中盤からTakim。これは中近東のパーカッションをサンプリングした音源です。クラップ(手拍子)もとてもリアル。
パッド系は、単音でRolandのGrooveSynth、Crystal、SUPERWAVE P8、Cygnus-O、padwan、MinimoogVAの6つを使用。Cygnus-Oはスペーシーな音が出るのですが、Crystalと同様、とてもクセがあるので使いにくい音源です。SUPERWAVE P8とpadwanは同じような音になってしまいました。
最近、ソフトウェア音源漁りをしていないので、2~3年前の古いソフトばかりです。最新の音源事情はどうなっているんだろう。久し振りにインターネットでフリーのソフトウェア音源漁りの旅にでも出ようかなあ。
音声ファイルはリズムパターンの切り貼りに加えて、ブレイクビート系の音、水滴がしたたるような効果音、ノイズ、ドローン系の音など満載です。深いリバーブをかけたり、フィルターをかけたり、加工しました。
それにしても、センスよく音をインポートして貼り付けるのは難しいですね。打ち込みが点描画だとすると、音声ファイルの切り貼りは新聞紙や写真を切ってコラージュするポップアートのような感じ。ところが、音の遠近感や余白など絵画的なセンスが求められます。
カオス(混沌)などとタイトルに付けながら、結局のところ整然とした作品になってしまった気もします。反省。
投稿者 birdwing 日時: 20:45 | パーマリンク | トラックバック
2010年8月17日
[DTM作品] cubic loop(キュービックループ)
立方体の絵を描くとき、正方形を正面にして描きますか、角から描きますか?
角から描く方法は「アクソノメトリック投影法」というそうです。「デザインする技術 ~よりよいデザインのための基礎知識」という本で知り、2006年にはブログでエントリを書いたこともありました(記事はこちら)。
以前のエントリでは、PowerPoint(略してパワポ)というプレゼン用のソフトでアクソノメトリック投影法による立方体を描いて、その画像を掲載しています。しかし、当時ぼくの使っていたパワポは、いまとなっては古いバージョンです。最新バージョンでは、もっとダイナミックな図形を描画できるかもしれません。古いパワポでは、描画機能に正方形を正面にした立体がデフォルトで用意されていましたが、個人的には角から描くアクソノメトリック投影法のほうが好みです。
なぜかぼくは立方体が好きです。要するにサイコロのような、どの面も等しい結晶のようなカタチに惹かれます。角砂糖などにも惹かれるものがあります(特にちいさめの黒糖の角砂糖)。そういえばブログのトップにもくるくる回るTumblr Cubeを掲載していましたっけ。
ルービックキューブという玩具がありますね。回転させて立方体の色を合わせるパズルです。これです。
残念ながら、ぼくはルービックキューブが苦手です。まったく歯が立たなかった。けれども一時期には大流行して、何秒で6面の色を合わせられるか、やっきになって取り組んだひともいるのでは。世界的な競技大会や最高記録もあり、現在でも根強い人気のあるパズルでしょう。
さて、今回DTMで曲を作る動機となったのは「立方体」。つまりCUBEでした。
単一のリズムのループで構成されていて、ルービックキューブの面を回転させるように、転調するような曲を作りたい、それが今回の最初の動機でした。ところが途中でキューブの面を回転させるのが面倒になってしまって、ありきたりの展開に落ち着いてしまったのですが(苦笑)。
タイトルはルービックキューブをもじって、「cubic loop(キュービックループ)」としました。ブログで公開します。お聴きください。
As you know, Rubik's Cube is cubic puzzle. Generally, the players rotate nine parts of six surface and adjust the color. I thought that I wanted to make the tune transposed like the Rubik's Cube using the looping sound. The title of this tune is "cubic loop". I'd like you to listen to this tune.
■cubic loop(3分34秒 4.09MB 192kbps)
作曲・プログラミング:BirdWing
すこしばかり余談です。CUBEということばから連想したのは、クルマの車種とともに、サスペンス映画の「CUBE」でした。
映画のあらすじはこんな感じ。平凡に暮らしていた人物が不意にさらわれて、目を覚ますと立方体の部屋のなかにいる。6つの面にはそれぞれ窓のような出入り口があって別の部屋に移動することができるのだけれど、どの部屋に行ってもキューブから抜け出せない。
移動するうちに、たくさんのひとと出会います。誰もが何も告げられず、このキューブに連れてこられたようです。迷宮のような同一の部屋には、殺人トラップが仕掛けられている部屋もあり、レーザー光線で身体を切り刻まれてしまったりする。さらに部屋自体が移動して組み合わせが変わってしまい、いまどこにいるのか位置を把握できません。移動中に金属プレートに3桁の数字が3つある部屋番号をみつけて、それが脱出への鍵となるのではないかと考えるのですが・・・。
不条理な設定に引き込まれる作品でした。続編の「CUBE 2」も観ましたが、個人的には一作目がおススメです。YouTubeからトレイラーを。
CUBE キューブ(買っ得THE1800) [DVD] ポニーキャニオン 2010-01-20 by G-Tools |
では、「cubic loop(キュービックループ)」の制作メモです。
ウタものの曲を作るときには、AがあってBがあってサビ・・・のように構成を考えるのだけれど、最近は一定のコード進行をループ(循環)させる曲が多くなりました。楽をしているといえば楽をしているのかもしれませんが、同じ和音が繰り返される曲が嫌いではありません。ベタですが、バロックのパッヘルベルのカノンも同一のコード進行で変奏されていきますよね。難しい音楽的な理論はわからないのですが、寄り添いつつ離れていく旋律が美しい。
長く打ち込みをつづけていると(といっても趣味のレベルですが)自然にできてしまう曲があります。負荷がなく、ほいほいできちゃう状態です。イメージ通りの曲があっという間にできあがります。しかし、できちゃったけど、どうだろう?と、余計な心配をすることが多々あります。自分の羽を抜く夕鶴のように苦しんで作る曲もあるので、逆に安易にできてしまうと安心できないわけです。
ほいほいできちゃった曲をそこで完成にするのではなく、あえてイメージを壊したり、細部をいじっていると、別のステージに突き抜けることがあります。今回の曲作りもそんな印象でした。
意識したのは、スティーリー・ダン、ドナルド・フェイゲンです。なんとなくフュージョン系のおしゃれなリズムとベースラインを想像して作りました。転調して半音ずつ下がってもとにもどるコード進行は、自分のなかではドナルド・フェイゲン的なものをめざしました。うまくできていないかもしれないけれど(苦笑)。打ち込みだけではあまりにも単調なので、ノイズやドラムの音声ファイルを加えたところ、ドナルド・フェイゲン的な雰囲気は消えてしまったようです。
■DONALD FAGEN-trans island skyway
使用したシンセはTTS-1を中心に、パッド系の単音は無料VSTiのCrystalを使いました。リードギターの音はTTS-1のプリセットにアンプシミュレーターとモジュレーター(フランジャー)を通して、ピッチベンドとモジュレーションで味付けしました。部分的にはディレイをかけています。ベースもTTS-1のプリセットそのままなのですが、ピッチベンドでスライドさせたような効果をねらいました。
リズムは3連符のノリです。ぼくはこのノリが正直なところ苦手です。とはいえ、ドラムを打ち込むときに、ゴーストノートを意識してベロシティを絞り込んだ音を加えていくとノリが表現されるんだな、という感触を得ました。欲をいえば、さらに音の位置をびみょうにズラしてゆらぎを作ると、人間的なリズムを表現できるのかもしれません。
あまりこの系統の曲は作りませんが、たまに作ると気持ちがいい。エレクトロニカっぽい音を加えたけれど、割り切ってフュージョン系にめいっぱい振ってしまってもよかったかな、と完成した曲を聴きながら考えました。タイトなリズムとギターのリフが、さわやかな夏の空に似合う気がします。
投稿者 birdwing 日時: 21:16 | パーマリンク | トラックバック
2010年8月10日
[DTM作品] irie(イリエ)
いまはトウキョーで生活していますが、少年の頃には海に近い田舎で育ちました。だからといって、夏にがんがん泳いだ記憶はありません。浜辺で寝そべって昼寝ばかりしていたような。
海なんてどうでもいいや、とおもっていたのですが、年をとったからでしょうか、なんとなく海に対する郷愁が募ります。神戸や横浜などの港町は昔から好きでしたが、ふらりと訪れてみたい気分になります。お台場など海がみえる場所では海を眺めて和んでしまいます。
8月ということもあり、海にちなんだ曲を作ろうとおもいました(単細胞!)。
大勢の海水浴客に溢れた浜辺で、ビーチボーイズの「Surfin' USA」がラジカセからフルボリュームで流れている。そんな賑やかな風景も夏らしくていいのですが、そういう曲は夏専門のアーティストの方におまかせして、だれも知らないような静かな入り江をイメージしました。プライベートビーチのような感じでしょうか。
実際の入り江には、お盆過ぎにはクラゲでいっぱいになってしまう海もあるのですが、それはさておき。アタマのなかに浮かんだ入り江は、白い砂浜で、海はエメラルドグリーン。周囲は小高い緑に覆われた丘で囲まれている、美しい風景です。楽園に近いかもしれないですね。そんなところ行ったことがないけれど。
というわけで趣味のDTMで新曲を作ってみました。タイトルは「irie(イリエ)」。英語にすると「The Cove」かな。和歌山のイルカ漁を盗撮したドキュメンタリー映画が話題になりましたが、ぼくはいまひとつあの映画に共感できないので、日本語で入り江としました。ブログで公開します。お聴きください。
The title of this tune "irie" means the cove in Japanese. There are white sands and green sea at the cove, and the waves are calm. The documentary movie "the cove" was open to the public, but I don't like it. I made this tune imaging the paradise. I'd like you to listen to this tune.
■irie(4分06秒 5.63MB 192kbps)
作曲・プログラミング:BirdWing
この入り江のイメージに合う映像を探したのですが、なかなかみつかりませんでした。かろうじておもい出したのは、レオナルド・ディカプリオが主演の「ザ・ビーチ」という映画。以下、トレイラーをYouTubeから。一瞬だけ美しい入り江をみることができます。
「irie(イリエ)」の制作メモです。
まず全体的には、気だるいまったりとした雰囲気を出そうとおもいました。眠気を誘うようなのんびりとした感じ。BPMも遅めの78です。最初はレイ・ハラカミさんの音楽を意識しつつ、オルガン系のシーケンスをベンダーでねじ曲げた音を作っていたのですが、フレットレスのベースのような、スライドを多用したベースを加えました。ベースはいつも通り無料ソフトウェアシンセのminimoogVAを使いました。プリセット音にややフィルターをかけて音色を丸めています。
レイ・ハラカミさんのアルバムでぼくがよく聴いたのはこれ。
Red Curb Rei Harakami ミュージックマインID 2001-04-25 by G-Tools |
今回はiPadから録音した音もたくさん使っています。以前、「iRela」という無料アプリの雨の音を使って「RD(レインドロップス)」という曲を作りましたが、今回も波の音は「iRela」です。
そして、潜水艦のソナー音のような音は、コルグの「iERECTRIVE」。こちらは有料アプリです。このアプリ、かっちょいいリズムがたくさん作れそうなのに、なかなか使いこなせません。そこで「Erectronica1 B25」のプリセット音を使いました。ほんとうは音声ファイルに落としてファイルでPCにコピーできるのではないかとおもいますが、BPMを合わせてヘッドホンジャックからダイレクトにPCにインプットしてDAWに録音、そのままリズムの位置を調整して使っています。こんなインターフェースです。
ドラムは基本的には読み込んだWAVEファイルのパターンを切り貼りして、特に3連符のアクセントに気をつけました。一部のどこどこどんというフィルインはiPadの無料アプリ「Shiny Drum」です。これはドラムパッドのアプリで、iPadの画面をタップすると音が出るようになっています。往年の著名なドラムマシーンの音がサンプリングされていて、テクノからジャズの音源まで幅広い。シーケンサーが付いていないのが残念だけれど、十分に楽しめるパッドです。
その他、入り江にある洞窟の感じを出すために、後半ではリバーブをメインに空間系のエフェクトを使いまくりました。というのも、コードがポップなので、ありきたりの音になってしまいそうな危惧もあったからです。打ち込みだけでは単調で陳腐な印象だったのですが、さまざまな音に深いリバーブをかけてぐちゃぐちゃにしたことで、シューゲイザー的な壊し方をできたかな、とおもっています。
エレクトロニカでは、この壊し方の加減が難しいですね。壊しすぎると耳障りで聴くに耐えないひとりよがりのサウンドになってしまう。逆にポップなコード進行やメロディの曲は壊さないと陳腐に聴こえる。先日、久し振りにウルリッヒ・シュナウスの「Goodbye」というアルバムを聴いておもったのですが、あのアルバムではエレクトロニカ的な楽曲の壊し方が美しい。残響音にかき消されてドラムスのリズムなど聴こえないけれども、アルバムを通して、とても繊細でドリーミーな価値観が貫かれています。あんな壊し方ができるといいんだけどなあ。
Goodbye Ulrich Schnauss Domino 2007-07-10 by G-Tools |
さて。今年の夏は帰省せずにトウキョーで過ごすつもりです。海には行かないけれど、プールで太陽の光を反射する水面でも眺めて満足しますか。
投稿者 birdwing 日時: 20:55 | パーマリンク | トラックバック
2010年8月 4日
かいじゅうたちのいるところ
▼cinema10-07:子供のなかにある大人的な。
かいじゅうたちのいるところ Blu-ray&DVDセット(初回限定生産) ワーナー・ホーム・ビデオ 2010-05-19 by G-Tools |
「子供」と「大人」というカテゴリー(分類)があります。あのひとは大人/子供だね、と批評することもあります。しかし、どこまでが子供でどこからが大人なのでしょう。煙草を吸えるようになったから、ビールを飲めるようになったから。給料を稼ぐようになったから、童貞もしくは処女を喪失したから。子供を育てるようになったから、自己責任と他者の権利を尊重して落ち着いて社会を批判的に眺められるようになったから。新聞の経済面をよく読むようになったから、ひとりで喫茶店に入ってコーヒーをミルクと砂糖なしで飲めるようになったから・・・だから大人なのでしょうか。よくわかりません。
子供と大人はまったく別個である、とぼくにはおもえない。また、子供という薄い殻に守られた成長過程があって、その殻が割れると大人になるとも考えられない。ぱんぱかぱーん、今日からあなたは大人です!なんてことはない。うまくいえないのですが、子供と大人の境界は存在しないのでは?
考えられるとすれば、子供と大人という"パラメーター"があるのではないか、とおもうのです。つまり子供成分と大人成分の配合と組み合わせによって、大人的であったり子供的であったりする。けっして年齢ではない。外見でもない。行動の規範があるわけでもない。そのひとの"成分"の違いが子供と大人を分ける。それがぼくの子供・大人観です。
音楽用語に喩えると、EQ(イコライザー)のような感じでしょうか。EQは音質を調整する装置です。通常いくつかの上下に動かすスライダーがあり、そのスライダーによって高音や低音を強調したり減衰させたりします。同様に、成長にしたがって大人的な要素を上げたり子供的な要素を下げたりしながら、ぼくらは生きているのではないか。
大人になってわかりました。完璧な大人などいないと(笑)。大人にも子供的要素はあり、子供にも大人的要素があります。潜在的に種が蒔かれていた大人的要素が成長すると、子供たちは大人になる。そして、大人になっても子供的な要素が部分的に育たなかったひともいる。シニアが子供じみた動機から犯罪を起こすこともあれば、20歳の女性がしっかりとした社会的な洞察をもっていることもあります。みずみずしい若さを失わない老人もいれば、ティーンエイジャーなのに体力も気力も底をついたひともいます。
政治的や社会的という大義のもとに、いい年をした大人が顔を真っ赤にして子供じみた喧嘩をすることもあれば、子供たちも人間関係に深刻に悩み、社会を憂いたりするものです。経験値によってもたらされる年の功は否定できないものかもしれませんが、子供も大人もある意味、対等に、ひとりのにんげんとして、その時代と社会を生きています。
モーリス・センダックの有名な絵本を映像化した「かいじゅうたちのいるところ」は、子供の世界における大人的な葛藤を感じさせる作品です。
8歳の主人公マックス(マックス・レコーズ)は、わがままだけれど繊細な少年。離婚して父親がいない家庭で、恋と仕事に夢中な母親、友達ばかりを大切にする姉のふたりの家族から相手にされず、ついにオオカミの着ぐるみのまま家を飛び出します。
家出したマックスが小舟に乗って辿り着いたのは「かいじゅうたち」の島でした。彼は、かいじゅうたちに「王様」として迎えられます。ほんとうは王様などではなく、ちっぽけな子供なのだけれど、食べられてしまいそうになって、王様の振りをする。そして、かいじゅうたちをひとつにまとめて、みんながしあわせになれるように大きな提案をするのですが・・・。
かいじゅうたちは二頭身で、クマやヤギ、ニワトリのような姿ですが、その顔つきは「大人」です。破壊や「かいじゅうおどり」を楽しむ子供っぽさもある一方で、嫉妬や怒りなど、かいじゅうどうしの関係の難しさに悩んでいます。
特にかいじゅうのリーダー格であるキャロルは、友達を作って出て行ってしまったKWに激しく嫉妬し、怒りのために次々と周囲のものを破壊しようとします。このキャロルとKWの関係は、マックスのリアルな世界における離婚(母親と父親の関係)に通じるのではないかとおもいました。
キャロルとKWの壊れた関係を修復するために、マックスは王様として、いろいろなアイディアを練ります。そのひとつが「どろだんごによる戦争」。どろだんごをつくって雪合戦のようにぶつけ合って楽しむのですが、結局、怪我をするかいじゅうが出たり、気まずいことになってしまったり。「戦争(ごっこ)」が仲直りの方法だ、というマックスの発想は子供っぽいものです。複雑でアンバランスな大人の顔をした「かいじゅう」関係には通用しませんでした。そして、マックスは王様としての力を疑われてしまうようになります。
みんながしあわせになれること。幸福の最大化という「功利主義」的な考え方といえるでしょうか。しかし、かいじゅうたち個々の性格がぶつかり合った末、うまく噛み合ったように感じられた関係の歯車は、いつも最後にはぎこちなく破壊されます。KWがしあわせになることでキャロルは不機嫌になり、みんなでいっしょに暮らそうという提案をしたマックスが王様の部屋を作ろうとしたとき、キャロルは、みんなが等しく幸福になるはずだったのに、ひとりきりの部屋を作るのはおかしいんじゃないか?と疑問をぶつけます。彼には返すことばもありません。
不満のあまりに当り散らすキャロルは、トリのようなかいじゅうの羽をもぎとってしまう。このとき、キャロルの行き場のない怒りは、父親を失い、母親と姉にも冷たくされたマックスの憤りに重なります。残忍さが痛々しく響きました。トリさん(名前を失念)は、なくした片腕のかわりに義手(羽?)として木の枝を挿してあらわれます。羽を失ってもマックスを責めずに、木の枝の羽でマックスに優しく話しかけるトリさんは、かいじゅうたちのなかでは、いちばん大人だなあと感じました。
最後に素朴な感想を。
「これ、子供が観てわかるのかな?」が本音です。対象年齢とすれば小学校高学年から中学以上。しかし、描かれているかいじゅうたちの心理は、孤独や嫉妬など複雑に入り組んだ「大人」の感情です。だから子供であっても、大人的な感受性のある子供たちにしか理解されないのではないか。
ぼくは児童文学研究者でもないし、心理学者でもないからわからないのですが、かなり高度な「大人意識」がなければ、なぜキャロルがそんなに不機嫌なのか、みんなのしあわせとはどういうことか、わからないとおもうのです。
一方で、大人の観点からは理解しやすいのではないでしょうか。「かいじゅうたち」とは、戦争などの諍いを好み、退屈に飽きていつも不機嫌で、あるいは嫉妬や差別意識に苛まれている大人たちそのものなのだから。
この映画は大人向けのファンタジーと捉えたほうがいい。スパイク・ジョーンズ監督の映像は魅力的で、かいじゅうたちが森をどっかんどっかん破壊したり、重なり合って眠るシーンは子供たちには楽しいかもしれないのだけれど、かいじゅうたちの関係や心理の機微は、大人的素養の高い子供にしか理解されないような気がします。
が、しかし。ぼくら大人たちが考えるほど、子供たちは「子供」ではないのかもしれません。幼い彼らのなかに眠っている大人意識を目覚めさせる、そんな映画かもしれない。絵本が高い評価で読みつづけられていることも考慮すると、表面的な子供というかいじゅうの裏側でうごめいている、大人というかいじゅうを「目覚めさせる」絵本だからかもしれないですね。
■トレイラー
■公式サイト
http://wwws.warnerbros.co.jp/wherethewildthingsare/
投稿者 birdwing 日時: 22:29 | パーマリンク | トラックバック